1998年7月15日水曜日

平野さんの 講義ノート

 

  • 僕がホームページをつくったのも、メールをはじめたのも、きっかけは、平野さんだった。だから、ぼくは彼をパソコンの先生だと思っている。もっとも、彼にとっては、ぼくは好き勝手なことをやる扱いにくい生徒でしかない。
  • 平野さんはコンピュータを何よりその仕組みから理解しようとしている。秋葉原で部品を買い集めて、オリジナルの機械を作っているし、図形や動画などをプログラミングによって描き出すことも朝飯前のようだ。
  • ぼくにとってパソコンは便利な既製品の道具でしかない。しかも、カウンター・カルチャーの臭いがして、画像や音の処理やDTPを最初から売り物にしたマック以外には、今でもほとんど興味がない。
  • 平野さんのホームページに刺激されてHTMLをおぼえ始めたときに、彼は、これは立派なプログラミング言語で、興味がないといっていたその世界にあなたは入り込んでしまったのだと言った。そんなものかと思ったが、しかし、ぼくの関心はもっぱらホームページの中身に向けられて、HTMLはやっぱり、そのための道具にしか感じられなかった。だから、ハードの仕組みやソフトの原理は相変わらずブラックボックスのままである。この点は正直言って、かなりしゃくである。
  • しかし、内容については、英語だけでほとんど更新しない平野さんのページよりはずっと充実していると自負してきた。ところが今年の5月頃から、ゼミや講義を登録している学生向けのページができて、それが頻繁に更新されるようになった。講義ノートや質問への返答、あるいはゼミでの議論の紹介。詳しいことは是非直接アクセスして読んでほしいが、その分量や守備範囲の広さには、今さらながら驚き、あきれてしまった。
  • たとえば「比較文化講義」には、ダーウィンやライプニツ、レヴィ=ストロースの『野生の思考』、フレーザーの『金枝編』、あるいは中国演劇史の本、デュルケム、マルクス、ガーフィンケル、それにもちろんユーエンの話なども出てくる。「認識と態度」「自然と文化」「システム」「文化と個体」「時間のイメージ」「循環と祭祀」........。学生のメールなども含めて、読んでいるうちに、授業に出席しているような感じになった。
  • 平野さんはプログラミング実習の授業も担当しているようだ。で、ここでは、CPUのオーバークロッキングが話題になったりしている。クロックスピードは現在、パソコンを差別化する重要な要素になっていて、250と300では、それだけでパソコンの値段が一挙に5〜10万円もちがったりする。彼は、設定を変えることによってクロックスピード200のCPUが233になるなどという、ぼくから見れば恐ろしくなるような話を学生にしているのである。ぼくにはRAMの増設だってびくびくものの作業なのにである。
  • 大学の講義やゼミは、きわめて閉鎖的な世界となっていて、現実には今だって、大学間はもちろん、教員間でさえ、互いに何をやっているのか見えないのが常識である。教員同士は、学生を通じた話しとして互いの授業内容を知る。もちろん、論文や著書を通して誰が何を研究し、どんな講義をするのか知ることはできる。しかしなぜか、講義の内容や、やり方、ゼミの進め方について直接話をしたり見学しあったりすることはめったにない。
  • ぼくは、ホームページを作り始めてすぐに、こんな慣習に風穴をあけたり、個々の大学の垣根を取っ払ってしまう可能性があることに気づいた。その新鮮さやおもしろさが、毎週の更新を面倒に思わない一番の理由だった気がする。けれども、そんな方向でも、また平野さんに一歩先を越されてしまった。わー、すごいと思い、よーやるとあきれ、また、こんちくしょうと歯ぎしりもしてしまう。おかげで夏休みに考えることがまた一つ増えてしまった。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。