2000年6月6日火曜日

テレビと広告

 山間の家だから、テレビの映りが悪い。これは不便と思ってアンテナを高くあげたがほとんど改善されなかった。ケーブルテレビも調べたが、えらく高い加入費を取るし、ハイビジョンは見られないと言う。普及率が低くて経営状態はよくないようだ。インターネットへの接続サービスをしていれば、それでも加入をしたのだが、その予定も今のところまったくないらしい。しかし、BSアンテナをつけてもらうと、これはきれいに見えた。で、まあ、これでもいいかということにした。


だから、当然、テレビを見る時間は減った。週末はカウチ・ポテトでテレビということが多かったのだが、引っ越してからそんな時間の過ごし方をほとんどしなくなった。天気が良ければ外に出ているし、夕食も焚き火の前でしたりする。映りの悪い画面を凝視する気にはなれないから、ステレオでテレビの音声だけ流したり、CDをかけたり。いつの間にか、BSで映画を見ようという気もなくなってきた。


見なければ見ないで、別にどうということもない。今更ながらに、テレビ視聴が習慣的行動であったことを実感した。実は新聞も引っ越してから朝刊だけの配達になった。しばらくは夕方新聞がこないことに物足りなさを感じたが、慣れてくると、これもどうということはなくなった。と言うより、かえって、朝夕刊をまとめたほうが読みごたえがあっていいと思うようになった。何より広告紙面が少ないのがよい。BS以外はほとんどテレビを見なくなって気がついたのも、やっぱり、CMにふれなくなったことで、改めて広告って何なのか考えてしまった。

 
そんな僕の生活環境の変化とはもちろん無関係だが、テレビ放送会社が軒並み増収増益になったそうである。民放の収入源はいうまでもなく広告である。長引く不況の中、景気の回復をテレビによる宣伝にかけようという企業が多いのだろうか、中には前期比で60%増の利益をあげた局もある。シドニー・オリンピックで今年はさらに増収が見込めるそうだ。まさにテレビ頼みの時代のようである。


マスメディアとしての放送はもちろん、ラジオが先だが、ラジオとは無線を一方向の情報伝達手段に限定したメディアのことである。双方向の送受信ができる技術をわざわざ一方向に限定して、不特定多数の人に受信装置だけをもたせる。その普及を可能にしたのは番組として提供されたニュースや娯楽だし、それに対してお金を払わなくていいというシステムである。ただで、楽しい時間が過ごせる、あるいは役に立つ情報が手に入る。マスメディアとしての放送が大衆消費社会の幕開けと時期を同じくしているのは単なる偶然ではない。そして、テレビはラジオの手法をそのまま踏襲して、ラジオをしのぐ巨大なメディアになった。この意味ではラジオもテレビも、その使命は何より広告による消費の刺激にあった。だから、不況の時にテレビが儲かるのは当たり前のことなのである。

メディアが広告に頼ること自体を批判するつもりはない。けれども、最近の民放の景気の良さの裏には、広告収入を上げるための人気番組作りだけに励もうとする姿勢が露骨に見えてしまう。『21世紀のマスコミ』を考えるシリーズの中に「広告」に焦点を当てた巻がある。その序文で編者が問うているのは次のような問題意識である。

マスコミがジャーナリズムとメディア文化の健全な担い手であるなら、それは、政治・経済・社会の現実がいくら混沌たる様相を呈していても、そこに埋もれたままでは終わらず、そうした状況を目一つだけでもうえから捉え、相対化する作用を及ぼし、ものごとを批判的に考えるよすがを私たちに提供してくれるはずだ。だが20世紀末において<21世紀のマスコミ>のあり方を展望しようとするとき、いってみればそのような頼りになるマスコミの姿を、私たちは容易に発見することができない。(桂敬一他編著、大月書店)

ジャーナリズムの不在と、どうしようもなく質の低いメディア文化の中で、広告だけが自己主張をするテレビ。こんなテレビがかなりの視聴率を稼ぐことができるのは、私たちの視聴行動が習慣化して、他に目を向けたり批判的に見たりすることができなくなっているからなのだろうか。あるいは、先行き不安な現実からつかの間でも目を背けたいという意識でもあるのだろうか。しかし、実際には、民放だって安閑としていられない現実が迫っているのだ。


インターネットが普及してテレビを見る時間が少なくなっているのは間違いない。あるいは日本ではなかなか普及しないが、ケーブルや衛星によるペイ・テレビが近い将来増加することもはっきりしている。情報や娯楽をお金を払って選択して手に入れるのか、広告にまかせて垂れ流してもらうか。テレビは今、そんな分かれ道の前に立っているように思うのだが、民放の好景気は、そんなこととは無関係であるかのように見える。メディアの多様で広範囲な再編成を目の前にして、目先の利害にばかり注目する。全国ネットの総合テレビ局が21世紀に生き残れる保証はどこにもないはずだから、これはもう明らかにバブルである。銀行ばかりを批判している場合ではないのである。

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