・今度の物語の登場人物は15歳の少年「田村カフカ」、字の読めないナカタ老人、私設図書館の館長の佐伯さんと館員の大島さん、トラック運転手の星野さん。舞台になるのは東京中野区野方、戦時中の山梨県のどこか、それから四国の高松とそこまでの旅程。さらには高知に行く途中にある深い森。
・例によって話は二つの世界を順繰りに追うことで進む。家出をする15歳の少年。戦時中に何かの原因で記憶を失うナカタさん。少年は父と二人暮らし。母は姉を連れて4歳の時に家を出た。彼には捨てられた記憶が鮮明に残っている、母親に愛されて育つという思い出の喪失。父親には何の愛情も感じない。ナカタさんは字が読めない。生活保護を受けていて、中野区から一歩も出ないで生きてきた。しかし彼は猫と話ができる。
・この、まるで関係のない二人が、何かに導かれるように高松に向かう。少年は小さな私設図書館にたどりつき。そこで佐伯さんという女性と出会う。彼女は15歳で大恋愛をしたが、相手は東京に行き大学紛争に巻きこまれて、不当な殺され方をしている。愛の対象の喪失。少年は彼女に惹かれ、彼女に母親を見つける。そして霊のように、あるいは無意識の世界から飛び出してきた虚像のようにして彼の前に出現する15歳の彼女に夢中になる。
・ナカタさんは猫探しをしてジョニーウォーカーに会う。猫を殺して心臓を食べる男。彼は自殺願望をもっていて、ナカタさんの手を借りて自殺を図る。ナカタさんが彼を刺し殺したとき、少年は突然意識を失う。気づいたときにはシャツにべっとりと血がついている。そしてナカタさんには人を刺した痕跡は何も残らない。ナカタさんは突然、西に向かって旅をはじめなければと感じる。ヒッチハイクをして、富士川SAで名古屋に住む星野さんという長距離トラックの運転手と出会う。そこから、二人の珍道中が始まる。
・まったく繋がりの感じられない二つの世界、二人の人物の話のトーンは、少年の部分はいつも通りのものだ。しかし、ナカタさんについてはだいぶ違っている。少年の時に記憶を喪失し、文字を失い、家族からも距離をおかれ、ほとんど生活実感のない時を過ごしてきた人物だが、また奇妙にユーモラスな一面を持つ。猫と話をする。敬語を使い、人間とのあいだにほとんど区別をしない。彼に出会う人たちはそこに興味をもち、また惹かれていって、いろいろ手助けをする。トラック運転手の星野さんは結局、物語の最後までナカタさんとつきあい、彼の死を看取り、彼に代わって物語を完結させる。漫画のような世界だが、また奇妙にリアリティがある。
・ジョニー・ウォーカーはウィスキーのラベルの人物だ。彼は猫をさらい、殺して、まだ動いている心臓を食べる。頭を切り落として冷蔵庫で保管。もう一つの世界では彼は少年の父親で著名な彫刻家。ジョニー・ウォーカーはいわばメタファーなのだが、父親そのものよりもはるかに生き生きしている。
・話にエネルギーを持ち込む人物がもう一人。高松で星野さんを呼び止めてポンビキをするカーネル・サンダース。星野さんはとびきりの女の子を紹介されてすっかり満足するが、カーネル・サンダースはまた異世界への扉となる石のありかも教えてくれる。彼もまた誰か、あるいは何かのメタファーなのだが、実体の方ははっきりしない。
・物語を紹介していると、それだけで終わってしまいそうだが、ものすごくよくできている。ストーリー・テラーとしての村上春樹の本領発揮。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』以来の長編だが、読んでいて先の世界が楽しみという気持を久しぶりに味わった。彼の作品はほとんど読んでいるが、『ねじまき鳥』は1994年だから、面白いと思ったのは8年ぶりということになる。
・この物語のテーマは「喪失」と「メタファー」。登場人物のすべてが、心のなかに、あるいは記憶のなかに「喪失感」もっている。その空白部分を埋めるために、それぞれの人物が関わりあう。そして登場人物はまたたがいに、誰かのメタファーとして描きだされている。関係がないのはおそらく、星野さんひとりだけだろう。ナカタさんは少年のメタファーなのかもしれないし、佐伯さんのメタファーなのかもしれない。そして佐伯さんは少年の母親のメタファー。あるいは少年の方が佐伯さんが恋した青年のメタファーなのだろうか。もう一つ、この物語には、ギリシャ神話の「オイディップス」のメタファーという意味あいもある。
・おそらく、もう少したつと、『海辺のカフカ』の謎解きがにぎやかになるだろう。そうしたい衝動を誘発する作品。きっとこれは傑作ナノダと思う。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。