・「LGBT」ということばが日本でも良く聞かれるようになった。当たり前とされていた異性愛だけでなく、同性愛もあれば両性愛もあるし、自らの性を変える場合もある。こういった自覚を持つ人たちは、かつては非難や差別を恐れて秘密にせざるを得なかったが、今では社会的にも制度的にも認知されて公言できるようになった。このような性についてのマイノリティの立場を認めようとする動きは世界的な趨勢だが、そこには当然、差別に苦しみ、抵抗し、抗議する人たちの歴史があった。この本はその歴史をアメリカ、とりわけニューヨークを中心にしてまとめたものである。
・著者の北丸雄二は東京新聞の特派員として1993年にニューヨークに赴き、任期が終わった後も帰国せずに、フリーのジャーナリストとして2018年まで25年間滞在を続けた。その間はまさに、ゲイの一語で一緒くたにされていた人たちが、それぞれの違いを主張し、認められるようになる時期と重なるが、その行動を取材しながら、自らもゲイであることをカミングアウトするようになる。僕は週一回ニューヨーク事情を紹介するTBSラジオの番組で彼を知って、その報告を楽しみに聞いていたが、彼がゲイであることは、この本が出るまで知らなかった。
・性について、性別について、あるいは人種差別についての不当さが糾弾されるのは1950年代のビートニクや60年代のヒッピーに代表される対抗文化以降だが、ゲイが問題視されるのは、ずっと遅れて80年代になってからである。それもゲイ特有の感染症とされたエイズが流行したことで、忌み嫌われたことがきっかけだった。この本を読むと、ゲイの運動がそこから偏見や差別に抗して公然となされるようになり、やがて力を持って市民権を勝ち取っていったことがよくわかる。著者がニューヨークに留まり続けた理由も、何よりその動きのダイナミズムにあって、そのことが社会や政治の動きだけでなく、映画や音楽、そして何より彼が精通している演劇やミュージカルの世界を話題にしながら語られている。
・他方でこの本が問題にするのは、そのような流れとは対照的な日本の動きである。日本でも「オカマ」と呼ばれた人たちの存在は古くから知られていて、テレビタレントとして人気になる人も少なくなかった。けれども世間では、性別ははっきりしたもので、その転換や同性愛などは異常なものだという考えが根強く残っていた。世界的な趨勢で「LGBTQ+」を認知しようという動きは数年前から日本でも起きているが、その力は決して大きなものになっていない。というより、同性婚はもちろん夫婦の別姓すら認めようとしない力が強く働いていて、世界から取り残されている感すらするのである。その意味で、この本が訴えるメッセージは大きいと思う。
・この本のタイトルは「愛と差別と友情と」だが、恋愛と友情の違いについての言及があって、改めて考えてみたいテーマだと思った。常識的には友情は同性間にはあっても異性間では成り立たないと言われてきた。要するにその違いは両者の間に性関係があるかどうかということなのだが、性関係があっても友情が成り立つとしたら、恋愛と友情の違いは何なのだろうか。
2022年3月28日月曜日
北丸雄二『愛と差別と友情とLGBTQ+』 (人々舎)
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。