・Wowowでは毎月二日、第一土、日曜日に、その月に放映する新しい映画をまとめて放送している。「最強宣言2days」。ずっと見逃してきたのだが、たまたまつけておもしろそうだったので何本も続けてみてしまった。今回紹介するのはそのうちの2本である。
・「バッファロー66'」は奇妙な映画だ。無精ひげのいかにもさえない感じの男が、ゴムまりのような女の子を誘拐する。彼は刑務所を出たばかりで、両親の元に行くのだが、結婚したと嘘の手紙を書いてしまっていた。で、それらしい女の子が必要だった。一見ストーカーふうに見える男は、実は異常にシャイで、途中立ち小便をするシーンでも、彼女に何度も、「絶対に見るな!!」と繰り返す。
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家に着くと両親が暖かく迎えてくれるが、会話の端々に、男が育った親子関係のありさまが垣間見えてくる。母親はチョコレート・ケーキを出すが男は食べない。「好きだったでしょ!」というが男は否定する。「チョコ・アレルギーだった」。母親はそれを知ってか知らずか、男に食べさせ続け、彼はそのたびに顔を腫らしたらしい。回想シーンになると突然スクリーンの中心から別のウィンドウが現れ、そこに少年時代のシーンが映し出される。すぐに激昂する父親。フットボール観戦になると我を忘れる母親。誘拐された娘はしだいに男に好意を寄せるようになり、両親に妊娠しているなどと適当なことを言い始める。父親は理由を付けては娘を抱き寄せる。4人が囲むテーブルを、カメラはいつでも、誰かの視線で3人を映し出す。これもおもしろいカメラ・ワークだと思った。
・男は刑務所に入る原因になった奴を殺しに行く。娘が同行するが、モーテルではもちろん一緒に寝ようとしない。風呂に入っているのを覗かれるのさえ嫌うが娘は一緒に入りたいという。そんなおどおどした男だが、ボーリングをするときだけはさまになっている。で、殺しの実行、というところなのだが、空想だけでやめて、モーテルに帰る。彼女の大きな胸に顔を埋めたところでおしまい。
・リトル・ヴォイスは自閉症気味の女の子の話。好きだった父親が死んでから、彼女は部屋に閉じこもって、父親が集めたレコードを聞いているばかり。外にも出ないし、母親の呼びかけにも応えない。ところが、父親の幻影が現れると、レコードそっくりに歌い出して、周囲を驚かせる。ジュディ・ガーランド、マリリン・モンロー、シャーリー・バッシーと誰の物まねでもやってしまう。場末のナイトクラブのオーナーと落ちぶれたプロモーターが売り出しにかかる。少女はたった一回だけの約束で歌うことにする。客席に父の幻影を見つけた彼女は、とりつかれたように次々と歌って客席を魅了する。
・味を占めた大人たちは、彼女をスターにすることを空想する。しかし、どう説得されても、脅されても彼女はその気にならない。予定したショーが台無しになり、漏電で家が焼けた後、母親は彼女をののしるが、逆に少女は父親の死の原因が母にあること、それが原因で自分が小さな世界に閉じこもってしまったことを母親に吐き捨てるようにいう。彼女が心を開いたのは、鳩が好きで無口な青年だけ。
・前者はアメリカ、後者はイギリスだが、共通点の多い映画だと思った。マザコンの男とファザコンの女。どちらもきわめて感受性の高いナイーブな若者が主人公で、それゆえに屈折した育ち方をしている。そしてその原因の多くはもちろん、親にある。夫婦、親子の関係の難しさと、それを正直に反映する形で成長する子どもたち。どちらも地味な映画だが、問いかける問題は日本にも共通する、今日的で普遍的なものだと思った。
・「バッファロー66'」は題名の通り60年代だろうが、「リトル・ボイス」の設定はたぶん現在である。しかし、少女の家にはやっと電話が取り付けられたところだ。田舎町で労働者階級の住む地域のせいかもしれない。歌われる歌とあわせて昔懐かしい感じのする世界。そこでそれぞれの主人公がそれぞれの仕方で救われる。映画にありがちなエンディングといってしまえばそれまでだが、殺伐とした少年犯罪が頻発する現在の日本では、そんな懐かしさや救いは求めようがない。求められないとわかっていても、それでも求めてみたい救いの手。見終わって浮かんだのはそんな感想だった。
2000年9月11日月曜日
"Buffalo66'" "Little Voice"
2000年9月4日月曜日
夏の終わりに
・大学の夏休みはもう少しあるが、河口湖は9月に入って急に静かになった。8月は確かに東京に比べれば涼しいが、富士山はほとんど見えないし、道路はいつも渋滞している。どうせ土日に来るなら、9月にしたらいいと思うのだが、人びとは行列が好きらしい。去年の経験からいえば、富士山周辺はこれからが美しい。秋の高気圧が張り出せば、空は真っ青になるし、富士山はくっきり見えてくる。湖の色も深い青がきれいだ。10月になれば、山も色づき始める。
・それはともかく、今年の夏はペンションのオーナーをやったような毎日だった。我が家に泊まった人は7、8月の2ヶ月間で30人弱、日帰りの人をあわせると50人ほどのお客さんがあった。一緒にする食事や焚き火を囲んでの談笑などでいままでとは違ったつきあいを経験したから、楽しかったが、8月中旬は毎日夕立があって、シーツの洗濯や布団干しもままならなかったから、本当に大変だった。最後が4年生のゼミ合宿。
・19人のうち15人出席という参加率だったし、にぎやかに楽しいひとときを過ごしたから、みんなにもいい思い出になったことだろうと思う。卒論のすすみ具合を報告した3人も、きちんと勉強してきた。けがも病気もなくやれやれといったところだが、一つだけ不満が残った。森の中に来ているのに家の中にじっとしている人が多いことだ。「散歩にでも行っておいでよ」といわれてはじめて外に出る。しかし、植物や昆虫、鳥等に興味を示すわけではない。家のなかには同居人がつくった陶器がずらっと並んでいるし、ぼくがつくった木工品もあったのだが、つくってみたいという者もいなかった。
・ただ一人だけ、今年小学校の教員免許を取るために他の大学に編入した阿部君だけは、授業でやっているせいか、関心の示し方が違った。ぼくのつくったフォークを使ってピラフとマカロニサラダを食べながら、「先生これ食べにくい。もっと形を考えなければ。まだまだ改善の余地がありますね」と生意気なことをいった。小学校の先生は何でもできなければならないし、何にでも関心をもたなければならない。そして何より子供好きであることが必要だが、彼にはすべてが備わっている。あとはもうちょっと学力をといったところだろうか。
・と、いびるのはともかく、自然に対する関心や道具についての興味などが、最近の学生たちにはほとんど動機づけられていないと思った。夕食のバーベキューでも、にんじんはどう切ったらいいのかと迷ってしまう人がいる。家でも食事作りの手伝いなどはほとんどがしていないようだ。家庭や学校がそんなふうにして子どもたちをスポイルしてしまっている。やっぱり今年の夏に一晩泊まった友人の息子のユウジ君はアメリカのオレゴンで生まれ育った中学生だが、ナイフの使い方も焚き火の仕方も上手だった。アメリカでは親は当然のこととして子供に家の仕事を手伝わせる。学校でも体験的な学習が重視されているようだ。過保護や事なかれ主義の風潮を何とかしないと、何もできない、何にも興味を示さない人間ばかりになってしまう。そんなことを改めて感じた。
・隣町の富士吉田はぼくの生まれ故郷だが、夏の終わりに日本三大奇祭のひとつ「火祭り」がある。ぼくはその日東京で用事があって夕方に帰って、急いで祭りに出かけた。「火祭り」はその名の通り町中に火が焚かれる。浅間神社から町のメインストリートを数キロ、道の真ん中に20メートルおきに5メートルほどの大松明。それに各家には井桁に組んだ薪。その間に縁日の屋台がずらり。子どもの頃を思い出して懐かしかった。
・途中、富士講の宿坊(御師)がいくつか開放されていて、そのうちの一つにはいると、ユニークな富士の絵がずらり。86歳になるこの宿のマキタ栄さんの作だそうだ。無造作に並べられているところがとてもよかった。今では、白装束で浅間神社から頂上まで登る人はほとんどいないらしく、宿もやってはいないという。夏の富士登山はバスで上がった5合目からで、後は行列して山頂を目指す。富士山は秋でも登れるのに、9月になればやっぱりひっそりする。
・こんな具合で、じっくり勉強、というわけにはいかなかったが、本のゲラも届いて、仕事モードになりはじめている。このHPに開いた二つのBBSにもお客さんが訪ねてくれている。出版に向けて、もっともっとにぎやかになるといいな、と思っている。
・最後に工房について。7月からはじまった工事は外側がほとんどできあがった。窯も入って後は細かな内装と外側の塗装。もうすぐ火入れを試して、同居人の陶芸づくりがはじまる。そのうちぼくもろくろを回してみたくなるかもしれない。コンクリートの床には暖房が埋め込まれているから、冬はここが一番暖かいかもしれない。床にマットを敷いて読書と昼寝などというのも気持ちがいいだろう。楽しみがまた一つ増えた。
2000年8月28日月曜日
鈴木慎一郎『レゲエ・トレイン』青土社 R.ウォリス、C.マルム『小さな人々の大きな音楽』現代企画室
ジャマイカの黒人系は、近代市民社会の普遍的な人間としてどこかの国民になりたい、そしてその国民主体になりたい、という欲望と、それから黒人にかんする否定的なイメージ。つまり「ジャマイカでは黒人は国民の完全主体にはなり得ないのだ」というエリート社会からのイメージとの、二重性において自己意識をもったのです。
2000年8月21日月曜日
ジャンク・メールにつられて
同姓のよしみで、突然のメールの送信お許しください。□ ■ クラブと申します。当クラブは、今の日本の預金金利の低さに、ガマンできない人達が集まってつくられた自主運営の情報交換会です。『目的を持ってお金を貯めている』 方、『将来お金が絶対に必要』な方に、ごく一部の資産家の持つ『貯蓄術』を、ただ一心にお伝えしたく、失礼を覚悟で ご連絡申し上げました。
現在マイクロソフト社では自然言語の解析を行い、今後の製品開発に役立てるためのデータ (コーパス)を集積すべく、あらゆる分野(固い言葉から日常の言葉まで)で使用される日本語文章のサンプルをご提供いただける協力者の方を探しております。
2000年8月14日月曜日
オリンピックのテレビはどうしようかな?
2000年8月8日火曜日
HANABI! はなび!! 花火!!!
2000年8月1日火曜日
Neil Young "Silver and Gold",Eric Clapton "Riding with the King",Lou Reed "Ecstasy"
・元気な中年ロッカーの新作が相次いでいる。まずはニール・ヤング。久しぶりのアコースティックで、昔をふりかえるような内容である。「君にまた会えて良かった」と歌う一曲目。デビューしたときのバンド「バッファロー・スプリングフィールド」についての歌では、バンドがだめになった理由を思い返し、誰が悪かったわけでもないと言っている。突っ張りのやんちゃ坊主たち。
・今では楽しみのために歌うことができる、と言うとおり、このアルバムには何の気負いも、気取りもない。歌いたいときに歌い、つくりたいときに歌をつくって、出したいときにアルバムを出す。頭はだいぶ薄くなって、からだは重たくなったが、ヤングの声は名前の通り、昔のままでみずみずしい。ヤングというよりはボーイ・ソプラノ。しかし、その声からは、ナーバスな感じが消えて、落ち着きやゆとりが生まれている。クレイジー・ホースとやるロックこそニール・ヤングだと思う人には物足りないかもしれない。でも、ぼくは彼のアコースティックな歌が好きだ。特に今はそう思う。
・ふりかえると言えばクラプトンのアルバムも同じだ。ただし彼は、ロックンロールの生みの親であるB.B.キングと歌っている。ジャケットにはオープン・カーを運転するクラプトンと後ろの座席でくつろぐキングがいる。かたわらにはそれぞれ愛用のエレキ・ギター。何か冗談でも言い合っているのか、二人とも笑っている。本当に楽しそうだ。裏には30年以上前に一緒に並んでギターを弾いている写真。当然二人とも若い。
・「スロー・ハンド」と呼ばれるクラプトンのギターはロックを象徴するようなサウンドを聴かせてきたが、キングは彼の少年時代からのヒーローだった。だから、30年以上前の写真に写っているクラプトンの表情は真剣そのものだ。クラプトンはいつかキングと一緒にアルバムをつくろうとずっと夢見てきた。彼の笑顔はその夢が叶った喜びの表情なのかもしれない。
・もちろん、B.B.キングを敬愛するロック・ミュージシャンは多い。ぼくが10年ほど前に出かけたU2のコンサートは、キングとのジョイントだった。ステージではボノがいかにも楽しそうにキングとデュエットをしていて、ぼくはそのシーンを今でもよく覚えている。
・20世紀の後半は「ロック音楽の時代」といってもいいと思うが、そのきっかけを作ったのはB.B.キングとマディー・ウォーターズ。この二人がいなければ自分もいなかった。成功したロックミュージシャンには、そんな気持ちが共有されている。半世紀を経て、ロックも歴史になった。この先の行方を見定めるためにも、過去を振り返って見る必要がある。クラプトンのアルバムには、そんなメッセージが読める気がした。もちろん、二人の歌はノリが良くて楽しい。ロックの原点と、そして今。
・ルー・リードのニュー・アルバムは「エクスタシー」。ジャケットには目を閉じたそんな顔が連続的に5枚。エクスタシーとはいえ、セックスではなくドラッグでもない、気持ちよく歌っているときの表情のようだ。
・もっとも、歌の内容は恋人たちの出会いと別れ、夢と悪夢、共感と欺瞞といったもので、彼のつぶやくことばはいつもながら、シニカルで、しかも優しい。
彼女が愛って何と呼んだらいいって聞いた
そうだな、家族じゃないな
性欲でもない
わかってるだろうけど、結婚なんかじゃ断じてない
結局は信頼ってことだろう
しいて言えば、愛は時間だ(Turning Time Around)
・この歌を聴きながら、ぼくはG.ジンメルの「誠実(トロイエ)」ということばを思い出した。
心には、それを一般にある道へと導いた衝撃がすぎ去った後にも、なおひとたびとられた道を固執する持続力があり、誠実をこのような心の持続と呼ぶことができる。(『社会学の根本問題』岩波文庫)
・愛が一時の衝動であることはよく言われている。だから恋愛と結婚は別といった割り切り方がされたりする。しかし、愛とは、そのような衝動が消えた後に残る一人の相手、一つの対象、一本の道にこだわる気持ち。心の持続。3人のロック・ミュージシャンから伝わってくるのは、何よりロックに対するこの気持ち、「誠実(トロイエ)」である。ぼくも全く共感!!
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...