2000年9月25日月曜日

H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫) その1

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 ・夏休みになったらヘンリー・D.ソローの本を読みながら、森の中であれこれ気ままに考えてみたい。そんなふうに思っていたが、できなかった。本を読むよりは動き回っていることが多かったし、客もあった。バルコニーに座って木漏れ日の下での読書、という格好いい空想も、工房の建築工事や雷雨続きで、一度も実現しなかった。

・要するに、ソローの世界に入り損ねたのだが、気にはなっていたから、枕元に置いて、寝る前の時間を『ウォルデン』の読書に当てた。しかし数ページと進まないうちにいつでも睡魔におそわれた。だからいまだに、500ページほどの文庫を読み終えられないでいる。

・とは言え、この本は一気に読むようなものではない気もする。数ページ読んでは立ち止まり、ソローの発想を心に留めて反芻する。そうしながら夢の中………。そんな読み方がかえって、ゆっくり考える機会を作りだす。何しろこの本は1世紀以上も前に書かれたものであり、その時間の経過を埋めながら読まなければ、とても今の世界にあてはめることはできないからだ。しかし、中にはまさに核心をついた現代批判と言えるようなことばもある。たとえば、次のような文章。


ぼくらはメインからテキサスまで電信を開通しようとおおわらわだが、しかしメインもテキサスも、おそらくは通信に価するほどの情報を持ち合わせてはいまい。どちらの地域も、たとえば耳の不自由な名流婦人に紹介してほしいと熱望しながら、いざ面会がかない、彼女のらっぱ型補聴器のいっぽうの先端を手渡されると、言うべきことを持ち合わせない人と同様の苦境にある。知恵あることを語るより、口早に語ることのほうが主な目的とでも言わんばかりだ。(74p.)

・1世紀前の世界では電信、そして電話が敷設されはじめていた。つまり最初のIT革命である。ソローはそれを使っていったいどんな情報がやりとりされるのかと言う。本当に必要な情報ではなく、また本当に大事なコミュニケーションでもない、ただただ急ぐこと、あるいはつながることだけに対する脅迫観念と、それを実現していることでもつ安心感。それは何よりインターネットと携帯電話に向けられるべき批判でもある。


望遠鏡や顕微鏡ごしに世界を眺めるが、おのれの肉眼で見ることはない。化学は勉強しても、おのれのパンの作られるすべを知らず、いくら機械学を学んでも、パンを手に入れる手だては分からない。海王星の新しい衛星を発見しても、おのれの目の塵は見えず、おのれ自身がどういう無軌道な無法者の衛星であるかも見破られない。………自分で掘り出し、溶解した鉱石から自分用のジャックナイフを、そのために必要な本を読破して作った青年と、そのひまに大学の冶金学の講義に通い、父親からロジャーズ製の小刀をもらった青年と、いったい一ヶ月たったらどちらが大きく成長しただろう。(73p. )


・こんな一文に出会うとまったく耳が痛い気がしてくる。僕らは自分では何一つできなくなってしまっているくせに、ほしいもの、やりたいことに対する欲望ばかりが膨れあがっている。もちろん、問題は複雑で、ソローの指摘を鵜呑みにして社会批判をしたり、自己反省をしても、何かが変わるというものでもない。けれども、時流に乗り遅れまいと流れに身を任せてばかりでは、自分のいる場所を落ち着いて見定めることは難しい。世を捨てるというのではなく、世間から離れて一人になることで生まれるあらゆるものに対する距離感。

・ソローはボストンのコンコードに住んでいたが、そこから数マイルほど離れたウォルデン湖のほとりに小さな小屋を建てて数ヶ月暮らした。『ウォルデン』はその時の経験の記録である。この本を読むと、ソローがけっして「孤高の人」とか「文明を拒絶した生き方をした人」でないことがよく分かる。彼は最新の技術に常に注目し、それに翻弄される人びとに警鐘を鳴らした。

・ぼくはとてもソローのような高潔な人間にはなれそうにない。けれども、彼のとった姿勢をちょっとだけ引き受けて、自分の経験の中で再現のまねごとぐらいはできるかもしれない。ソローが生きた時代から100年たった世界を、ソローの目と感性と思考を頼りに見つめ直してみたい。このコラムを思い立ったのはそんな意図からだった。どこまで続くか分からないが、しばらくはソローの本につきあってみようと思う。

2000年9月18日月曜日

嘉手苅林昌「ジルー」

 

jiru.jpeg・嘉手苅林昌は沖縄を代表する三絃の弾き語りだった。1920年生まれだが、三絃を手にしたのは7歳だったという。教えてくれたのは歌好きの母親だった。農業の手伝いのために10歳で学校へ行かなくなり、14歳の時に家の金を手に大阪に出た。徴兵、そして招集。クサイ島で負傷し、捕虜となって敗戦。戦後は大阪で闇物資の取引や沖縄一座の地謡をした後沖縄に帰る。1950年に初レコーディング。その後は主に、村の行事や祝いの座で歌い、沖縄中を回る。最初のLPを出したのは1965年。琉球放送のレギュラーや民謡クラブで歌い続ける。1999年、逝去。
・ジルーは嘉手苅林昌の童名で、本土で言えばジロー。年表によれば、死の直前まで歌い続けている。その童名をタイトルにした「ジルー」にはその足跡をたどるように1950年の初レコードから1975年までに録音された歌が20曲収められている。もちろん最初のものはSP盤で後はLP、すべて廃盤になっていたものをCDとして復刻している。
・聴きながらまず思ったのは、これが沖縄の民謡を集めたアルバムであるのに、喜納昌吉や林賢バンドとほとんど同じ感じで聴けたことだ。もちろん、ロックではないから8ビートはないし、英語も混じったりはしない。しかし、この二つの音楽には、確かに切れ目なく歌い継がれてきたものがある。そんな印象を持った。
・理由の一つは、沖縄の歌が歴史や時事的な物語の語り部として生き続けていること。それは、沖縄の自然や神話、あるいは昔話に触れ、戦争について歌う。古い言い伝えが生き生きとよみがえり、悲しい歴史が反芻される。あるいは何より多い恋歌は、どれもが春歌のようで開放的だ。沖縄の若いミュージシャンは、新しいリズムや楽器を取り入れ、時代に合わせたメッセージや物語を歌にするが、歌う姿勢に何ら違いはない。そんな印象が強い。


九年母木ぬ下をて 布巻きちゅる女(ミカンの木の下で布巻きしている女)
あっちぇーひゃー あんし美らさぬひゃー(あっぱれ、あんな美しい人ははじめてじゃ)
………
ちゃーならわん でぃ先じしかきてんだ(どうなろうとまずは行動あるのみ)
一番始みは我んから しかきら(はじめはおいらがナンパしてやる)
初みてどやしがよ 年幾ちなゆが(はじめてだけど彼女年幾つ)
十七、八やらや 我んね三十(十七八頃かな俺は三十)

やれー何やが やなうふじゃー小よ(だったら何なのさ いやなおっさん)
其処うてぃーふぇー じゃーふぇーしいね(此処でなんやかやしてたら)
仕事んならん(仕事できないじゃない)  「九年母木節」


・岡林信康がずいぶん前から、日本の歌は「エンヤトット」でなければだめといった発言をして、新しい歌を作りつづけている。彼なりにがんばっているとは思うが、ぼくは、そこにどうしても不自然さや違和感を持ってしまう。それは、僕らの生活感や日本の歴史や自然に対する意識が「エンヤトット」からはすでにとっくに切り離されてしまっていると思うからだ。その断絶が、日本の民謡を古くさい骨董品のように感じさせている。
・けれども、同時に思うのは、だからこそ、次々にとっかえひっかえ出てくる新しい音楽は、どれもこれもがアイデンティティ不明だということだ。そんなもの必要ないと心底感じているのなら、それはそれでいいが、今の日本人の多くは「アイデンティティ不確か症候群」を心の奥底に抱えてもいる。誰もが感じているのに、それを模索する道は容易には見つからないし、そんな気持ちを表に出す出口もない。
・「ジルー」の歌に感じる現在性は沖縄では当たり前のものだが、本土ではもちえないもの。そんなことをいっそう強く感じさせるアルバムである。

2000年9月11日月曜日

"Buffalo66'" "Little Voice"


・Wowowでは毎月二日、第一土、日曜日に、その月に放映する新しい映画をまとめて放送している。「最強宣言2days」。ずっと見逃してきたのだが、たまたまつけておもしろそうだったので何本も続けてみてしまった。今回紹介するのはそのうちの2本である。
・「バッファロー66'」は奇妙な映画だ。無精ひげのいかにもさえない感じの男が、ゴムまりのような女の子を誘拐する。彼は刑務所を出たばかりで、両親の元に行くのだが、結婚したと嘘の手紙を書いてしまっていた。で、それらしい女の子が必要だった。一見ストーカーふうに見える男は、実は異常にシャイで、途中立ち小便をするシーンでも、彼女に何度も、「絶対に見るな!!」と繰り返す。
・ 家に着くと両親が暖かく迎えてくれるが、会話の端々に、男が育った親子関係のありさまが垣間見えてくる。母親はチョコレート・ケーキを出すが男は食べない。「好きだったでしょ!」というが男は否定する。「チョコ・アレルギーだった」。母親はそれを知ってか知らずか、男に食べさせ続け、彼はそのたびに顔を腫らしたらしい。回想シーンになると突然スクリーンの中心から別のウィンドウが現れ、そこに少年時代のシーンが映し出される。すぐに激昂する父親。フットボール観戦になると我を忘れる母親。誘拐された娘はしだいに男に好意を寄せるようになり、両親に妊娠しているなどと適当なことを言い始める。父親は理由を付けては娘を抱き寄せる。4人が囲むテーブルを、カメラはいつでも、誰かの視線で3人を映し出す。これもおもしろいカメラ・ワークだと思った。
・男は刑務所に入る原因になった奴を殺しに行く。娘が同行するが、モーテルではもちろん一緒に寝ようとしない。風呂に入っているのを覗かれるのさえ嫌うが娘は一緒に入りたいという。そんなおどおどした男だが、ボーリングをするときだけはさまになっている。で、殺しの実行、というところなのだが、空想だけでやめて、モーテルに帰る。彼女の大きな胸に顔を埋めたところでおしまい。
・リトル・ヴォイスは自閉症気味の女の子の話。好きだった父親が死んでから、彼女は部屋に閉じこもって、父親が集めたレコードを聞いているばかり。外にも出ないし、母親の呼びかけにも応えない。ところが、父親の幻影が現れると、レコードそっくりに歌い出して、周囲を驚かせる。ジュディ・ガーランド、マリリン・モンロー、シャーリー・バッシーと誰の物まねでもやってしまう。場末のナイトクラブのオーナーと落ちぶれたプロモーターが売り出しにかかる。少女はたった一回だけの約束で歌うことにする。客席に父の幻影を見つけた彼女は、とりつかれたように次々と歌って客席を魅了する。
・味を占めた大人たちは、彼女をスターにすることを空想する。しかし、どう説得されても、脅されても彼女はその気にならない。予定したショーが台無しになり、漏電で家が焼けた後、母親は彼女をののしるが、逆に少女は父親の死の原因が母にあること、それが原因で自分が小さな世界に閉じこもってしまったことを母親に吐き捨てるようにいう。彼女が心を開いたのは、鳩が好きで無口な青年だけ。
・前者はアメリカ、後者はイギリスだが、共通点の多い映画だと思った。マザコンの男とファザコンの女。どちらもきわめて感受性の高いナイーブな若者が主人公で、それゆえに屈折した育ち方をしている。そしてその原因の多くはもちろん、親にある。夫婦、親子の関係の難しさと、それを正直に反映する形で成長する子どもたち。どちらも地味な映画だが、問いかける問題は日本にも共通する、今日的で普遍的なものだと思った。
・「バッファロー66'」は題名の通り60年代だろうが、「リトル・ボイス」の設定はたぶん現在である。しかし、少女の家にはやっと電話が取り付けられたところだ。田舎町で労働者階級の住む地域のせいかもしれない。歌われる歌とあわせて昔懐かしい感じのする世界。そこでそれぞれの主人公がそれぞれの仕方で救われる。映画にありがちなエンディングといってしまえばそれまでだが、殺伐とした少年犯罪が頻発する現在の日本では、そんな懐かしさや救いは求めようがない。求められないとわかっていても、それでも求めてみたい救いの手。見終わって浮かんだのはそんな感想だった。

2000年9月4日月曜日

夏の終わりに

 大学の夏休みはもう少しあるが、河口湖は9月に入って急に静かになった。8月は確かに東京に比べれば涼しいが、富士山はほとんど見えないし、道路はいつも渋滞している。どうせ土日に来るなら、9月にしたらいいと思うのだが、人びとは行列が好きらしい。去年の経験からいえば、富士山周辺はこれからが美しい。秋の高気圧が張り出せば、空は真っ青になるし、富士山はくっきり見えてくる。湖の色も深い青がきれいだ。10月になれば、山も色づき始める。 それはともかく、今年の夏はペンションのオーナーをやったような毎日だった。我が家に泊まった人は7、8月の2ヶ月間で30人弱、日帰りの人をあわせると50人ほどのお客さんがあった。一緒にする食事や焚き火を囲んでの談笑などでいままでとは違ったつきあいを経験したから、楽しかったが、8月中旬は毎日夕立があって、シーツの洗濯や布団干しもままならなかったから、本当に大変だった。最後が4年生のゼミ合宿。

19人のうち15人出席という参加率だったし、にぎやかに楽しいひとときを過ごしたから、みんなにもいい思い出になったことだろうと思う。卒論のすすみ具合を報告した3人も、きちんと勉強してきた。けがも病気もなくやれやれといったところだが、一つだけ不満が残った。森の中に来ているのに家の中にじっとしている人が多いことだ。「散歩にでも行っておいでよ」といわれてはじめて外に出る。しかし、植物や昆虫、鳥等に興味を示すわけではない。家のなかには同居人がつくった陶器がずらっと並んでいるし、ぼくがつくった木工品もあったのだが、つくってみたいという者もいなかった。
ただ一人だけ、今年小学校の教員免許を取るために他の大学に編入した阿部君だけは、授業でやっているせいか、関心の示し方が違った。ぼくのつくったフォークを使ってピラフとマカロニサラダを食べながら、「先生これ食べにくい。もっと形を考えなければ。まだまだ改善の余地がありますね」と生意気なことをいった。小学校の先生は何でもできなければならないし、何にでも関心をもたなければならない。そして何より子供好きであることが必要だが、彼にはすべてが備わっている。あとはもうちょっと学力をといったところだろうか。
と、いびるのはともかく、自然に対する関心や道具についての興味などが、最近の学生たちにはほとんど動機づけられていないと思った。夕食のバーベキューでも、にんじんはどう切ったらいいのかと迷ってしまう人がいる。家でも食事作りの手伝いなどはほとんどがしていないようだ。家庭や学校がそんなふうにして子どもたちをスポイルしてしまっている。やっぱり今年の夏に一晩泊まった友人の息子のユウジ君はアメリカのオレゴンで生まれ育った中学生だが、ナイフの使い方も焚き火の仕方も上手だった。アメリカでは親は当然のこととして子供に家の仕事を手伝わせる。学校でも体験的な学習が重視されているようだ。過保護や事なかれ主義の風潮を何とかしないと、何もできない、何にも興味を示さない人間ばかりになってしまう。そんなことを改めて感じた。

隣町の富士吉田はぼくの生まれ故郷だが、夏の終わりに日本三大奇祭のひとつ「火祭り」がある。ぼくはその日東京で用事があって夕方に帰って、急いで祭りに出かけた。「火祭り」はその名の通り町中に火が焚かれる。浅間神社から町のメインストリートを数キロ、道の真ん中に20メートルおきに5メートルほどの大松明。それに各家には井桁に組んだ薪。その間に縁日の屋台がずらり。子どもの頃を思い出して懐かしかった。 途中、富士講の宿坊(御師)がいくつか開放されていて、そのうちの一つにはいると、ユニークな富士の絵がずらり。86歳になるこの宿のマキタ栄さんの作だそうだ。無造作に並べられているところがとてもよかった。今では、白装束で浅間神社から頂上まで登る人はほとんどいないらしく、宿もやってはいないという。夏の富士登山はバスで上がった5合目からで、後は行列して山頂を目指す。富士山は秋でも登れるのに、9月になればやっぱりひっそりする。

こんな具合で、じっくり勉強、というわけにはいかなかったが、本のゲラも届いて、仕事モードになりはじめている。このHPに開いた二つのBBSにもお客さんが訪ねてくれている。出版に向けて、もっともっとにぎやかになるといいな、と思っている。 最後に工房について。7月からはじまった工事は外側がほとんどできあがった。窯も入って後は細かな内装と外側の塗装。もうすぐ火入れを試して、同居人の陶芸づくりがはじまる。そのうちぼくもろくろを回してみたくなるかもしれない。コンクリートの床には暖房が埋め込まれているから、冬はここが一番暖かいかもしれない。床にマットを敷いて読書と昼寝などというのも気持ちがいいだろう。楽しみがまた一つ増えた。

2000年8月28日月曜日

鈴木慎一郎『レゲエ・トレイン』青土社 R.ウォリス、C.マルム『小さな人々の大きな音楽』現代企画室

 

  • 音楽を素材や解き口にして、一つの社会や文化を知る。そんな試みが少しずつ形になってきている。以前にこの欄で取り上げた鈴木裕之の『ストリートの歌』(世界思想社 )はその一つだが、それに続くようにして新しい本が出た。鈴木慎一郎著『レゲエ・トレイン』(青土社 )である。タイトルの通り、この本がテーマにしているのはカリブ海の小国、ジャマイカである。
  • ジャマイカといえば、まず思いつくのはレゲエ。おそらくこのようにいう人は多いはずだ。レゲエはボブ・マーリーが世界的に有名にし、確立させたロック音楽の1ジャンルで、たとえば国を代表するサッカー・チームが「レゲエ・ボーイズ」と呼ばれたりする。 陽気なリズムがダンスには欠かせないものになっているから、おそらく若い世代でレゲエを知らない人はいないに違いない。けれども、ジャマイカがどんな国かということについては、レゲエとは裏腹にほとんど誰も知らない。『レゲエ・トレイン』はその落差を埋めてくれる好著である。
  • 著者が問いかけているのは、一つはレゲエという音楽の根にある「ラスタファ」という思想。つまりアフリカ回帰の願望である。そこにはジャマイカ人の大半が奴隷としてアフリカから連れてこられた人びとの子孫だという背景がある。このような考え方はもちろん、レゲエとともに生まれたものではなく、1930年代に一つの社会宗教運動として興っている。
  • レゲエはだから一方では、イギリスから独立した後も少数の白人に支配される不当な国、貧しい社会であって、こんなところではなく、本来の地アフリカに帰って生きるべきだと歌う。しかし、レゲエの歌には、他方で、ジャマイカのあらゆるものに対する想い、愛を表明したものも多い。こんな指摘をする著者はその意識の二重性を次のように解釈している。
    ジャマイカの黒人系は、近代市民社会の普遍的な人間としてどこかの国民になりたい、そしてその国民主体になりたい、という欲望と、それから黒人にかんする否定的なイメージ。つまり「ジャマイカでは黒人は国民の完全主体にはなり得ないのだ」というエリート社会からのイメージとの、二重性において自己意識をもったのです。
  • この本の中でおもしろかったのはレゲエの歌に古くからのことわざが多く使われているとする指摘である。レゲエはジャマイカ固有の音楽ではなく、伝統的なものに、アメリカやイギリス、それにもちろんカリブ海の近隣の影響が混じり合って生まれた。しかも、ボブ・マーリーによってイギリス経由で世界に広まったこの音楽は、それぞれの国で多様な変容の仕方をしている。しかし、そういう状況になってもレゲエの歌詞には、ジャマイカに言い伝えられ、人びとの口に今も上ることわざが多い。著者はそれをレゲエが今も共同性に根ざしたものであることの証拠だという。レゲエはジャマイカ人にとっても「集合的な経験」としての濃さを失っていないというわけだ。
  • もう一冊『小さな人々の大きな音楽』。これを書いたR.ウォリスとC.マルムはスェーデン人で、このタイトルの小さな人々とは、アメリカやイギリス、それに日本などの音楽大国とは違う、経済力も技術力も小さな国に住む人々のことを指している。そのような国力の差にかかわりなく、どんな社会のどんな文化にも音楽はあって、20世紀の時代には、それが大国で生まれた音楽産業や新しいメディアの影響を受けた。台風のように押し寄せる大国の新しい音楽によって吹き飛ばされる伝統的な音楽。あるいは、したたかに取り込み変容しながらも、独自な展開を見せる音楽。そのような多様な状況を、国ごとに追いかけた内容になっている。
  • 本国での出版は1984年で翻訳されたのは1996年だが、つい最近見つけた。当然、ここでふれられている音楽状況は80年代のはじめまでだが、90年代になって大きな問題となる著作権などにも多くのページが割かれていて、興味深い。音楽小国はどこも90%以上が海賊版といった状態だが、それでも、乏しい外貨が著作権という名目で流出してしまう。そのかき集められたお金がは、いうまでもなく、ほんの一握りのミュージシャンとメジャーの音楽企業に流れ込む。資本主義の鉄則といってしまえばそれまでだが、事細かな事例の紹介はとても興味深い。もちろん、このような状況はインターネットの時代である現在では、もっともっと複雑なものになっているだろう。知りたいが、ぼくにはとても調べる気力もエネルギーも時間もない。
  • 2000年8月21日月曜日

    ジャンク・メールにつられて


  • 最近特にというわけではないが、ジャンク・メールがよくやってくる。大半はお金儲けかアダルト・サイト。新ビジネスの誘いとか、投資の勧め、あるいは掘り出し物の宣伝などといったメールにはまったく関心がないから、即削除することにしている。本当はメールを開く気もしないのだが、最近はなかなか凝っていて、題名に「渡辺と申します」などとついていて、一見しただけではどんな内容なのかわからない場合が少なくない。たとえば………
    同姓のよしみで、突然のメールの送信お許しください。□ ■ クラブと申します。当クラブは、今の日本の預金金利の低さに、ガマンできない人達が集まってつくられた自主運営の情報交換会です。『目的を持ってお金を貯めている』 方、『将来お金が絶対に必要』な方に、ごく一部の資産家の持つ『貯蓄術』を、ただ一心にお伝えしたく、失礼を覚悟で ご連絡申し上げました。
  • インチキくささ丸出しだが、詐欺まがいの商法に引っかかったというニュースは後を絶たないから、こんな誘いでも、ついついその気になる人がいるのかもしれない。そういえば、勧誘はメールだけでなく、研究室の電話にもよくかかってくる。こちらはもう本当にむかっとしてしまうから、「あんたどこにかけてるのかわかってるの?今授業中だよ!」と言うことにしている。
  • けれども、アダルト・サイトにはちょっと興味をそそられる。だから時には、サイトを訪ねることもある。そうするとたいがい、それなりの写真が数枚あって、「これ以上ご覧になりたい方は。ぜひ会員に」といったメッセージが書いてある。会費は電話料に加算かカードによる払込。実は危ないことが一度あった。
  • 専用ソフトのダウンロードボタンがあって、何の気なしに押したら、ダウンロードをはじめて、即解凍、終わったら、自動で接続を始めた。慌てて、接続中止にしようとしても、何度も同じ動作を繰り返す。仕方がないから、パソコンを強制終了して、立ち上げなおし、TCP/IPをチェックする。すると、今まで使っていたプロバイダーの設定はすべて消されてしまっていて、怪しい接続先は消去ができない。で、システム・フォルダを開いて、それらしいファイルをすべてゴミ箱に捨てて、もう一回再起動。やっと元に戻ってほっとしたが、そのあくどさにあきれた。
  • 身に覚えのない多額の電話料金を請求された話もよく耳にする。上に紹介したケースなら、そんなことにもなりかねないだろうと思った。インターネットは手軽だが、落とし穴もあちこちに巧妙に仕掛けられている。そしてパソコンに詳しくない人なら、自分が穴に落ちたことすら気づかない。
  • もっとも、アダルト・サイトが全部、このような怖いところだとは限らない。最近では週刊誌にも「ヘア」は珍しくないが、日本のサイトではハードコアはもちろん、性器の露出も禁止されている。しかし、外国のサイトのものなら、そんな日本の法律は関係ない。しかもインターネットには国境がないから、何でも自由に簡単に見ることができる。大学でも、これはなんとかしなければ、という意見も出るが、僕は英語の勉強にもなるのだから、多少の冒険はいいのではないかと思っている。
  • これはジャンクではないが、もうひとつ意外なメールを紹介しよう。「コーパスご提供のお願い」というもので、何のことかわからなかったので開けてみた。依頼主は「マイクロソフト社」。
    現在マイクロソフト社では自然言語の解析を行い、今後の製品開発に役立てるためのデータ (コーパス)を集積すべく、あらゆる分野(固い言葉から日常の言葉まで)で使用される日本語文章のサンプルをご提供いただける協力者の方を探しております。
  • コーパスとは「言語情報のかたまりで、通常はセンテンスごとに切り離したデータ」のことのようだ。つまり、僕がHPに載せた文章を日本語の材料として使いたいということのようである。依頼書を読むと謝礼も出るという。僕はマック派だからビル・ゲイツは好きではないが、日本語の解析に役立つなら協力しようかと思って、承諾の返信を出した。
  • 言うまでもないが、HPのデータは、誰でも見ることができる。見るということは、受信したパソコンにデータが全部ダウンロードされるということだ。いったんダウンロードされたデータは盗作や無断借用ならいざしらず、解析材料にするぐらいならいちいち使用許可を取る必要もないだろうに、と僕は思った。しかし、インターネットの時代を先導するマイクロソフト社だから、逐一契約をするというのは当たり前かなとも感じた。何しろソフト会社にとって最大の敵は製品を無断コピーさる人たちなのだから………。
  • そんなわけで、僕の文章がやがてマイクロソフトの製品に生かされることになるのかもしれない。そう考えると、自信を持って「正しい」とはとても言えない僕の書く日本語が材料になっていいのだろうか、と心配になってきた。と書いているこの文章も、マイクロソフトにコーパスとして利用されることになるのである。
  • 2000年8月14日月曜日

    オリンピックのテレビはどうしようかな?

     

  • 千葉すず選手は結局オリンピック代表になれなかった。スポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定は、選考過程は公正だが基準が不明確というもので、いかにも「仲裁」と名のついた機関の決定内容だと思った。オリンピックで彼女の笑顔や突っ張ったときの口をとがらした顔が見られないのは残念で、ぼくは水泳を見る気がしなくなった。フジヤマのトビウオも権力者として居座る姿は醜い。選手は黙って従えばいい。そんな古い考えが通用しないことを肝に銘じるべきである。
  • どうもここ数年、スポーツ界を中心に同じパターンがくりかえされている。サッカーの釜本とトルシエ、あるいはプロ選手のオリンピック派遣を巡る巨人オーナーの発言と古田選手の不出場。スポーツがどんどん国際的になって、選手が視野を世界に広げれば、当然、意識や考え方も変わってくる。それを自覚せずに日本式の古い慣習や考え方を当たり前のことと続けている。組織のトップにいる人たちは、もう全然世の流れについていけてないのに、そのことに気づいてすらいない。情けない状況だが、若い人たちが次々と反旗を翻して自覚させる他はない。千葉すずの行動はそんな意味ではきわめて重要なものだと思った。
  • マスコミはおしなべて千葉選手に好意的である。そこから、スポーツ組織の体質の古さを批判する。オリンピックの選考基準が曖昧であることは陸上の女子マラソンでも話題になったが、それをアメリカのたった一回の予選会と比較して対照させる。しかし、体質的にはマスコミも同じであることを自己反省することなどはしない。野茂や中田や伊良部がマスコミとどれほどのけんかをして、今どんな認識を持っているかということに、自覚的なジャーナリストなどほとんどいないのが現状なのだ。
  • ぼくは野茂や伊良部のメジャー・リーグ進出以来、日本のプロ野球には関心がなくなって、今ではほとんどテレビ観戦もしないし、新聞の記事も読まなくなったが、トルシエ騒ぎでJリーグに対する興味もかなり薄れてしまった。こういう話をすると「だけど選手には罪はないし、がんばっているから見てやらなきゃ」といった応えが返ってくる。どうもそれもまた、きわめて日本人的な発想のように思えて、説得力を感じない。何より、こういった発想がマスコミ、とりわけテレビのスポーツ・ニュースのコメントには溢れていて、それにもまたうんざりしてしまうのだ。
  • 巨人が独走をはじめて、ペナントの興味は薄れかけている。あれだけの補強をすればそうなるのは当たり前で、今年はおもしろくならないことは最初からわかりきっていたはずだが、ニュースは巨人の話題探しに終始してきた。それはこれまでの視聴率に依存する保守的な体質以外の何ものでもない。
  • ぼくは今年もメジャー・リーグを追いかけているが、残念ながら佐々木をのぞいてはいいニュースを聞かないし、中継を見ていても悔しい気分になることが多い。野茂や吉井も調子は悪くなかったのに見方の援護が少なくて勝てないでいる。鈴木がずいぶん成長したが、彼も同様に勝ち星に恵まれない。伊良部は早々故障してしまった。おまけに、あの頑丈な野茂まで故障者リスト入りである。だから、新聞もテレビもメジャー・リーグのことをあまり話題にしない。
  • 野茂と言えば、今年はずいぶん苦労している。先日見た試合ではフォームが変わっているのにびっくりした。球種も増やそうとしているようだ。手を痛めたのは、そんなことが原因かもしれない。彼はいまだにインタビューを通訳を介してやっている。アメリカになじめていないようにも思えるが、メジャーで生き抜くために孤軍奮闘していることはひしひしと伝わってくる。中田だってローマに移籍したあとは思うように試合にでられない。しかし、どっちにしたって、頼りになるのは自分一人で、評価されるのは今現在の実力でしかない。
  • というわけで、何人かのスポーツ選手の動向は気になって、インターネットで追いかけているが、テレビでのスポーツ観戦はまったく楽しくない。甲子園はもう何年も前から嘘っぱちの青春物語にうんざりしている。オリンピックも陸上、サッカー、水泳、野球と興味を半減させるニュースばかり続いていて、開始が待ちどうしいなどということは全くない。せめて、野茂の故障が治って、またマウンドでの雄志を見ることができたらいいのだが………。