2001年9月10日月曜日

ブルース・ウィリスの映画

  • まだ、ポール・オースターについて考えている。そろそろ締め切りが気になりはじめたし、大学ももうすぐはじまってしまう。例によって、胃の調子が悪い。このパターンを何とか乗り越えたいのだが、今回もやっぱり駄目。書きたいテーマや材料はたくさんある。しかし、一本の線上にならべると、その大半ははずれていってしまう。逆に、新たに調べたり考えたりしなければならないことが浮上してくる。で、また小説の読み直し。原稿は遅々として進まない………。ため息つきながらWowowで映画を見る。
  • オースターは『スモーク』から映画にかかわりはじめた。『ルル・オン・ザ・ブリッジ』では監督と脚本を手がけたが、小説と映画のちがいを適格に言いあてている。
    私が書くとき、つねに頭のなかで最上位を占めているのは物語だ。すべてのことは物語に奉仕させなければと思っている。エレガントな描写、気を惹くディテール、等々のいわゆる「名文」も、私が書こうとしていることに本当に関連していなければ、消えてもらうしかない。声がすべてだ。『空腹の技法』
  • 小説はなにより物語。登場人物や場面の細かな描写は、読者の想像力にゆだねればいい。オースターがとるこのような原則は、小説の源流である、神話や昔話から引き継がれているものだ。そして、映画はまったく異なる原則の上に成り立っているという。つまり、映画にあってはディテールこそが大事ということになる。配役、セット、ロケ、天候等々、すべての条件を整えて、それではじめて「スタート」となるのである。
  • たしかに、そうだ。僕にとって見たい映画の基準は、監督か役者。誰が作ったかと同じくらい「誰が出ているか」が決め手になる。ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン、ショーン・コネリー、デンゼル・ワシントン、ニコラス・ケイジ、ダイアン・キートン、スーザン・サランドーン、シャロン・ストーン、ジュリア・ロバーツ………。
  • 最近つづけて、ブルース・ウィリスの映画を見た。『シックス・センス』『ストリート・オブ・ラブ』『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』。彼は『ダイ・ハード』で売り出したハードボイルドもののスターだが、シリアスなものもコミカルなものもこなす役者である。ハンサムではないし、頑健な肉体の持ち主でもない。禿頭でジャガイモのような顔。どこにスターの要素があるかという外見だが、不思議と魅力がある。
  • 決して強くはないのに生き残る。顔つきからして喜劇的な雰囲気があるから、コミカルな演技ははまり役だが、その個性はシリアス・ドラマでも生かされている。たとえば『シックス・センス』。『AI』でも大活躍の子役H・J・オスメントととの競演で、精神的に病んだ子どものカウンセリングをするという役どころだ。
  • オスメントはデリケートな心をもった少年をうまく演じている。というよりは彼の個性そのもので登場している。ブルースはその少年に不器用に接触するカウンセラーだが、決して意気込んでいない、力の抜けた演技が、少年とは対照的でいい。弛緩したブルースとこわばったオスメント。その少年のこわばりが次第に溶けてきて、彼の心のなかが明らかになっていく。物語はそういうことなのだが、注目させられるのは話の展開以上に二人の表情やからだのうごきである。
  • 役者のなかには、いつでも同じ顔で登場というタイプがある。それはそれで気に入れば好きだが、やっぱり飽きてくる。たとえばニコラス・ケイジ。あるいはいかにも演じているなと感じさせる人もいる。たとえばデ・ニーロやジャック・ニコルソン。そのうまさに感心することもあるが、時にやりすぎが鼻につくこともある。そこへいくとブルースは、自然体だ。役にはまっているようでいて、どこかでずれてもいる。演技をしているようで、また素のままのようにも見える。
  • 映画にスターが不可欠であるのはハリウッドが考案した戦略だが、しかし、やっぱり映画は脚本や監督以上に。配役がその作品の善し悪しを判断するものだ。ブルース・ウィリスの映画を見ているとつくづくそんな思いを強くする。そういえば、オースターの映画にはハーベイ・カイテルが欠かせない。だから僕はオースターの小説を読むときでも知らず知らずハーベイを思い浮かべてしまう。これは僕の想像力を妨げる要因で、邪魔だから消えてくれ、と言いたくなることがある。
  • 2001年9月3日月曜日

    NTT はなくなるべきだと思う

  • 僕のパートナーが今年から携帯を使いはじめた。電源はほとんどオフ状態で、たまに出かけるときだけもち歩く。メールの転送などもセットしているのだが、最近やたらに出会い系サイトなどのジャンク・メールが届くという。NTTは着信にお金を取るから、もうそのたびに腹を立てていて、携帯のアドレスを変えた。
  • ジャンク・メールに対する苦情は、まずは差出人に向けられるべきものだろう。男女の殺傷事件などで話題になっているこんな時期に、メールを無数に出しまくる出会い系サイトには、強い非難が向けられて当然だ。いったい何を考えているのか、と思う。けれども、それで収入を得ているNTTはなぜ知らん顔なんだろう。僕はこっちの方がよっぽどおかしいと思っている。もっともこのような姿勢は、ダイヤル伝言板やダイヤルQ2が社会問題になったときから一向に変わっていない。簡単にいえば、無責任な金儲け主義。
  • だいたいNTTにはパソコン通信をはじめたときから、腹に据えかねるような思いをくり返し持たされてきた。たとえば、パソコンを電話回線につなぐのに、電話と同じ料金を払わなければならないこと。このために、パソコン通信、あるいはその後のインターネットをするのに、毎月数千円から数万円の電話料を払わなければならなくなったこと。そのような理不尽さに批判が集中して、NTTがやっと重い腰を上げて「テレホーダイ」という中途半端なサービスをはじめたこと。だから、インターネットを落ち着いて楽しむためには、夜更かしをするか、早起きをするかしなければならなかったこと。もっとも、これもいまだに変わっていない。サービス精神の欠如。
  • もちろん不満はそれですむものではない。大学でインターネットにつなぎっぱなしという環境ができて、NTTにお金を払っているのは、インターネットへのゲートの通行料だということにあらためて気がついた。インターネットは個別のネットワーク同士がそれぞれ手をつなぎあって、それが世界大のクモの巣(WWW)に成長したもので、基本的にはアクセスにお金がかからないはずなのだが、その入り口まで行くのに高額の電話料を取られる。この意味ではNTTは関所を勝手につくって通行料を徴収した幕府と同じなのである。国営企業の体質まるだし。
  • 電話回線では通信速度にかぎりがある。そこでNTTが宣伝して利用を進めたのがISDNなのだが、韓国などでは既存の回線を使ったDSLというシステムで高速の環境を普及させていて、それが日本以上にインターネットへの関心を高めている。このようなことがほんの数年前に話題になって、DSLが日本で普及しない原因がISDNを放棄したくないNTTの都合によることが明らかにされた。ISDNにすれば、工事費や使用料などにそうとうのお金を取られる。それで多少のスピード・アップをしたことに喜んでいた人も多いと思うが、何のことはない。既存の回線ではるかにスピードの速いシステムがあったのである。自らの失敗のつけを利用者に負担させて知らん顔。
  • 携帯電話でメールのやりとりやインターネット接続ができるようになって、NTTはあたかも、その開拓者のような顔をしている。しかし、パソコン通信から現在までのプロセスを見ていると、NTTはくり返し、その利己主義的な体質で、その発展や普及の障壁になってきたことがわかる。まったくいい気なものなのである。ところが、契約合戦で熱かった「マイライン」はNTTの一人勝ち。藤原紀香や松坂慶子の説得もまるで通じなかったようである。しかしこれも、NTTが努力したせいではない。手続きをしなければ自動的にNTTと契約したことになるという、ハンディキャップつきレースだったせいにすぎない。
  • あまり話題にはされないが、IT社会への対応を急ぐという国の政策にとってNTTが大きな障壁になってきたことはまちがいない。実際接続料の高さを指摘されて国が動いたのはアメリカからの外圧だったりしたのだ。電話にもインターネット接続業にも民間業者が参入して一見、競争システムになっているかのようだが、NTTの既得権益の大きさに、どこも苦戦を強いられている。もうNTTなど使いたくない。僕は何年も前からそう思っているが、他に選択しようがなかったりするから本当にしゃくにさわる。
  • 2001年8月29日水曜日

    観光地の光と影

  • 8月が終わると、河口湖周辺は急に静かになる。まだまだ下界は暑いし、避暑地も9月の方が天候もよいのだが、なぜか人びとは8月に集中する。あれほどいた、湖畔の釣り人やキャンパーも、湖の水上バイクも嘘のようにいなくなる。ぼくはおかげで、広い湖をカヤックを浮かべて独り占めだ。
  • ものすごい不況で、観光客は減っていると地元の人たちは言う。「ユニバーサル・スタジオ」に客を取られたと言う人もいる。9月からは「ディズニー」に新しい呼び物ができる。そうなると、人はますますこなくなるのかもしれない。けれども、新聞にはこの夏の山梨県の観光客は微増だと書いてあった。ぼくもたしかに交通量が大したことないと感じていたが、この感覚のズレはどこから来るのだろうか。
  • 河口湖町は観光地として環境を整備することに積極的で、美術館やホール、それにハーブ園のたぐいをいくつも湖畔につくった。オルゴールの森美術館や猿劇場など、民営の施設も多い。だから、駐車場には観光バスが並んでいて、周辺はいつでも人の波が絶えないほどだ。道路の脇には花が植えられて、ていねいに管理されているから、冬をのぞけば、いろいろな花が楽しめる。あるいは、このような施設をつかった催し物の企画もある。たとえば、ラベンダーの花の咲く時期には、「ハーブ・フェスティバル」が数週間開催された。ぼくのパートナーも陶芸家のコーナーに作品をならべたが、訪れる客は多かった。
  • こういった客にあわせてうまい商売をする店もある。ぼくがよく行くスーパーには、キャンプでバーベキューをするための材料が、いつでも豊富にならべられている。だから地元の客に混じって、グループで買い物をする若い人たちや家族連れもよく見かける。コンビニでは釣り竿等も売っているから、手ぶらで来て、釣りとバーベキューを楽しんで日帰りすることもできる。河口湖漁協も釣り人から新しい税金を徴収しはじめたから、だいぶ収入が増えたようだ。
  • ところが、客の流れはこういうところに集中していて、古くからある商店街の人通りはほとんどない。昔ながらの洋品店や雑貨店には、いつでもシャッターを下ろしているところもある。収入はどうしているんだろうと心配になるほどだ。あるいは、湖畔にも倒産して廃墟化したホテルや旅館、レストラン等も多い。繁盛しているところとさっぱりなところが極端なのだ。
  • 隣の富士吉田では、今年も26日に火祭りがあって、大松明の並んだメインストリートは人でごった返した。しかし、街の寂れた様子はひどくて、ふだんはシャッター通りなどと呼ばれるところもある。観光客がこないうえに、地元の客を外から来た大型店に取られてしまっていて、ほとんど対応策もとれない状況のようだ。
  • 難しい問題だと思う。こうすれば解決できるなどという提案はとても出来ないが、よそから移り住んできた者として、気になるところがいくつかある。その一つは、この周辺地域に住む人たちの意識や人間関係に見られる閉鎖性だ。
  • 地元の商店で買い物をしたり、歯医者にいったり、あるいは仕事を頼んだりしてお金を払っても、領収書はめったによこさない。万単位であってもそうだから、スーパーやコンビニとの対照はずいぶん目立ってしまう。バイクの修理をしてお金を払ったあと、なおっていないことがわかってもう一回預けたことがあった。修理個所がわかったらおおよその見積もりを出して、いつ頃までに仕上がるかなどの連絡が来るのが普通だと思っていたから、再修理のときにいろいろ文句を言った。そうしたら、留守になおったバイクを持ってきて、それっきり。こちらから連絡する気はなかったので、結局、修理の明細も領収書もなしのままだった。たぶんよそ者で、やりにくい相手だと思ったのだろう。
  • こんな仕事のやり方をするのは、顔見知り相手の商売をしているからだろう。それはそれで他人行儀でなくていいかもしれないが、狭い世界でしか通用しないやり方だ。モノを売るにしても、修理やサービスにしても、地元の慣習が通じない人間を相手にできなければ、先細りになるのは明らかだ。
  • ぼくは、買い物をして、おつりをごまかされたことが何度かある。あるいは、噂では、他府県ナンバーの車にはガソリンを高く売りつけるスタンドがあるそうだ。そういう経験をすると、客はどんどん離れていってしまうと思うが、観光地で一見さん相手の商売と高をくくっているのかもしれない。こういったことは観光地ならどこにでもある話だろう。けれども、ここは東京から100kmで、くりかえし来る人も多いのだ。
  • 今年観光客の数が増えたのには、格安料金での日帰りバス・ツアーが人気を呼んだことが一役買っている。そのお客さんたちはコースで決められたたところにしか立ち寄らないし、日帰りだから、宿泊もしない。若い人たちには、コンビニさえあればあとは何もいらない。そうすると、どんな商売をするにしても、特徴をはっきり出して、ホームページなども出して、誰にでも通用するスタイルで客に接することをしないと、ますます観光客は寄りつかなくなってしまう。あるいは地元の客にしても、若い人たちは全国チェーンや個性的な店に足を向けるばかりだろう。
  • 社会の仕組みを変えることの難しさは、政治や経済の構造改革に限らないのだが、それは文化(人間関係や生活習慣)の変革を伴うから、本当に難しいのだな、と思う。これは小泉さんには期待できない自分自身の問題なのである。
  • 2001年8月23日木曜日

    夏休みに読んだ本

    当然だが、夏休みの時間は自由に使える。ただし、何かまとまったことをしようと思うから、気ままに見つけた本を読むということは少ない。めったに出かけないから、本屋をのぞいて新刊本をさがすこともほとんどない。だから、そろそろブック・レビューの番だなと思ったのに、取り上げてもいいような本がない。といって、本を読んでいないわけではない。大学に行っているときよりもはるかに長い時間、本を手にしている。
    一つは『ポピュラー文化を学ぶ人のため』の翻訳。そのために、引用された文章で、翻訳のあるものには逐一あたらなければならない。R.ホガート、G.オーウェル、R. ウィリアムズ。フランクフルト学派のアドルノ、マルクーゼ、そしてベンヤミン。構造主義のレヴィ・ストロース、ソシュール、それに記号論のR.バルト。それぞれの代表作を次々に読み飛ばしている。もっともこれらは読んだとは言えないかもしれない。引用個所をさがして、そこを抜き出す作業で、ごく一部にしかふれていないからだ。それにほとんど、以前に読んだものばかりだ。
    『ポピュラー文化を学ぶ人のため』はカルチュラル・スタディーズの理論的基礎を概説するもので、一章が大衆文化論、二章がフランクフルト学派、そして三章が構造主義と記号論となっている。ぼくの担当部分はここまでだが、これ以降は四章がマルクス主義とアルチュセール、五章がフェミニズム、そして六章がポストモダニズム、という構成になっている。二人の共訳だが、ぼくが全体の責任を持たなければならないから、これから、後半についても、文献にあたっていかなければならない。だから、コマ切れの読書はこれからもしばらくは続けなければならない。
    で、翻訳だが、粗訳はすべてできていて、今はそれぞれ手直しをしている。これがすんだら、あとは全体を通して、もう一回読み直しをして、編集者に渡すということになる。9月末にはできあがるようにする予定だったが、ちょっと手間取っているし、じっくりやりましょうという編集者のアドバイスもあるから、時期はもうちょっと後になるだろうと思う。実は、今回の本の作成過程についても、このHPで紹介しようかと考えている。
    翻訳は自分で書くのではないから楽だが、しかし、その分、間違いは許されないし、訳者の創作もできない。そのあたりを訳者と編集者で点検しなければならない。その作業が面倒だが、それを、掲示板でやるつもりだ。乞う、ご期待。

  • ぼくが英語の専門書をはじめて読んだのは、学部の「英書講読」の授業で、たしかE.フロムの『自由からの逃走』だった。ベストセラーの翻訳があったから、ほとんど日本語だけで理解したように記憶しているが、英語の勉強だからというのではない読み方をはじめて経験した。そのあと大学院に行って、英語の文献を読むことが否応なしに必要になったが、日本語の本を読むのと変わらない、当たり前の習慣のように感じはじめたのは、もう20代も最後の頃だった。
    今、大学の学部では、英語をテキストにして専門科目やゼミをやるのはほとんど不可能になっている。英語で読む必要もなくなったわけではなく、学生の拒絶感が強いからだ。インターネットがこれほど普及して、英語はますます必需品になっているのに、学生にとっては、大学入試でサヨナラ、という感じなのだ。まったく困ったものだが、アレルギー状態でやる気がないのはどうしようもない。
    だから、英語をテキストにするのは大学院からということになる。院の入試にはそのための英語の試験もある。しかし、やっぱり抵抗力はかなりある。必要性を説明して読み始めても、内容を理解する以前の英語力しかないという学生もいて、なかなか思うようにいかない。力をつけようと思ったら、ほとんど英語づけ状態で何ヶ月もがんばるといった時期が必要だから、ぼくはかなりのボリュームのページを全訳することを勧めている。しかし、報告の直前に徹夜で訳してくるといった例がほとんどで、これでは、実際、ほとんど力はつかない。一冊の本を翻訳するのに、どれだけの時間とエネルギーと根気が必要か。そのあたりを、掲示板でのやりとりでわかってもらえたら、と思う。
    話が横道のそれたが、もう一つの課題「ポール・オースター論」も苦戦している。「孤独」をH.D.ソロー、「アイデンティティ」を「ユダヤ」、そして「アメリカ的」な特徴をベース・ボールとブルックリンに関連づけて考えてみようかと思っているのだが、まだまだ読む本が多くて、書きはじめるところまで進んでいない。というより、読む本が次々と出てきてしまってきりがなくなってしまっている。
  • 例えば、野球について書こうと思って、映画の『フィールド・オブ・ドリームス』を見て、その原作の『シューレス・ジョー』(W.P.キンセラ)を読んだ。そうしたら、サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』も、となった。野球といえばMLBの中継を毎日のようにやっているから、それを横目でちらちら、なんてこともしてしまう。また、ブルックリンやユダヤ人なら、W.アレンの映画も見なければ、あるいはエリア・カザンの『ブルックリン横町』、小説ならP.ハミルの『ブルックリン物語』というふうに………。
  • もちろん、オースターを読み直すこともしているから、時間はどんどん経ってしまう。もう8月も終わり。そろそろ章立てぐらいは作りはじめないと、締め切りに間に合わなくなってしまう。オースターの小説はおもしろい。けれども、切り取るとなるととりとめはなくて、何をどう書いたらいいのか、さっぱり良いアイデアは出てこない。困ったものだ。
  • 2001年8月11日土曜日

    夏休み大工


    forest10-1.jpeg・ムササビはまだ屋根裏にいる。いつもきまって夜9時頃に出勤して、明け方4時半頃に帰ってくる。ぼくはまだ一度も見ていないが、早起きのパートナーがビデオに収めてくれた。かなり大きく見えるが、毛がふさふさしているから、実際のところは大きさはよくわからない。


    ・実は、なんとか屋根裏から引っ越してもらおうと思って、小屋をつくった。大昔に本箱をつくった木で、できそこないだったから、すぐにばらしてしまったが、30年近く捨てずにおいていたものだ。とにかく、ぼくのパートナーは物持ちがよくて、いつまでも捨てずにとっておく癖がある。しまっておいてよく忘れるから、まるでカケスだ。しかし、今回はその木が役に立った。

    forest10-3.jpeg・ぼくにとっては久しぶりの大工仕事だったが、鋸で切って釘を打つだけの簡単なものだったから、2時間ほどでできあがった。しかし、我ながらいい出来で、思わずにんまり………。さあ、どこに据えつけるか。ムササビの通り道を考えて、バルコニーの脇に生えている欅の木にすることにした。


    ・しかし、2階の屋根の高さにかけるためには梯子だけではたりない。とりあえず、幹に針金でくくりつけたが、ひくすぎてムササビに無視されるのは明らかだった。そこで、庭においてあるテーブルをバルコニーに運びあげて、その上に梯子をおくことにした。これでなんとか、最初の枝の上に乗せることができる。しかし、梯子の上まで登ると、相当高い。しかも不安定だ。ぼくは高所恐怖症だから、最初からどきどきだが、片手に小屋をもって登るから、もう一歩一歩がこわくて、枝に手が届くまでが大変だった。


    ・やっと枝に小屋を乗せて、今度は針金での固定。これが、片手でしっかり幹にしがみついての作業だから、なかなか思うようにいかない。手を伸ばすと、梯子がぐらっとする。心臓がかゆくなるのを我慢しての作業だった。そんなにしてがんばった甲斐があって、下に降りて見上げるとなかなかいい感じ。あとはムササビに気づいてもらうこと。住み心地の良さそうな小屋だと思わせることだが、さて、どうしたものか………。

    forest10-4.jpeg・ひとつ考えたのが餌でおびきよせる作戦。最初は、「健康菓仁」という名の木の実を置いた。しかし、何日経っても、食べた形跡はない。そこで、今度はひまわりの種を置くことにした。ところが、さっぱり寄りつかない。どうもムササビは屋根への通路に、もう一本上の枝をつかっていて、小屋のところまでは降りてこないようだ。もう10日ほどになるが、いまだに、ムササビは屋根裏で寝泊まりしている。何とかしたいが、次の作戦はまだ考えていない。

     

    ・昼間バルコニーで読書をすることがあるが、本や筆記用具、煙草、灰皿、珈琲カップ等々を椅子のまわりの床に置くと、取るのが面倒だった。ムササビの小屋で自信をもったから、今度はテーブルをつくってみようかという気になった。材木は、工房をつくったときの端切れがたくさん残っている。庭においてあるテーブルを参考にしながら、簡単な設計図を書いて、製作にかかる。ほぞをかませるのは面倒だと思ってはじめはやらなかったのだが、やっぱり釘だけではぐらぐらして心許ない。そこでノミで穴を開けることにした。本当はきちっと寸法を測らなければいけないのだろうが、目検討で適当にやった。しかし、組み立てて見るとなかなかいい出来。ここでまた、にんまりしてしまった。

    ・さっそく、つかってみる。いい感じ。午後は家の中では蒸し暑いから、ほとんど本を読む気にならなかったが、これなら、午後の時間も有効につかえそうだ。ところが、そのあと数日、午後になると必ず夕立が降った。なかなかうまくはいかないし、今度は濡れっぱなしにするのが気になった。で、次は塗装。DIYの店に買いに行くことにした。色は何にしようか、あれこれ考えた。やっぱり、焦げ茶、あるいはモスグリーン、思いきって黄色なんてのもおもしろいかも………。いろいろ迷った末に、透明のラッカーにきめた。材木はフィンランド・パインだから、やっぱり木の色と木目を生かした方がいい。カンナで角を取って、ヤスリをかけて、塗装。

    forest10-7.jpeg・こんなにうまくいくと、次々に創作意欲がわいてくる。これでは読書のためのテーブルつくりのはずが、本はそっちのけで、大工仕事ばかりをやってしまいそうだ。もう8月も後半で、夏休みも半分以上が過ぎた。しかし、予定した仕事は計画通りには進んでいない。ほとんど閉じこもり状態でいるのだが、カヤック以外にもうひとつやりたいことができてしまった。活字を追いかけることがますますほったらかしになりそうだ。しかし、アマゾンに注文した本やCDが届いたから、読書を新鮮な気持ちでやろう。せっかくバルコニーのテーブルができたのだから。

    2001年8月7日火曜日

    R.E.M. "Reveal"


    ・もう2カ月以上、この欄を更新していない。最近、CDをろくに買っていない。通勤途中によれる店がないことや、休みになって出かけなくなってしまったせいもあるが、一番の原因は、『アイデンティティの音楽』を出して、気が抜けたことにある。とはいっても、もちろん、音楽を聴かなくなったのではない。わが家には1000枚を超えるCDがあるから、聴きたいものに不自由はしない。しかし、それらはあらためてレビューで取り上げるものでもない。そろそろ何か取り上げねば、と気にはなっていたのだが、そのまま時間が経ってしまった。
    ・で、CDの棚を見回したら、取り上げようと思ってそのままになっているのが何枚もあるのに気がついた。一つはR.E.M.の "Reveal"。タイトルは「明らかにする」、あるいは名詞なら「暴露」。前作の"UP"が今ひとつの気がしたのだが、今回のは聴いたかぎりでは悪くない。しかし、すぐにレビューを書くというほどのものではなかった。まず第一に、アルバム・ジャケットが何ともつまらない。よく見ると、鴨が水辺にむかってぞろぞろ歩いていて、撮している人、たぶんマイケル・スタイプの影が写っている。彼の写真好きは有名で、日常のスナップがこれまでのアルバムにも使われているが、僕はそんなにいと思わない。R.E.M.が元気がよかった頃は、まずアルバムのジャケットに斬新さを覚えたのだが、そういう工夫をわざと削ってしまっているようにも感じてしまう。歌詞を見渡しても、過去を反省する内容が多い。基本的にには前作と同じトーンのように思った。

    僕は高いところにいた 高いところまで登った
    しかし人生は時に、 僕を押し流す
    僕は間違っていた?
    わからないし 答えなんてない
    ただ信じることだけが必要だ "I've been high"

    ・ P.オースターについて文章を書く準備をしながら考えているのは、「アイデンティティ」の獲得と喪失について。この社会では人はだれでも、何者かになるために自分を探さなければならないし、何者かであるために自分をつくりあげなければならない。そうしなければ、だれも自分のことを認めてはくれない。けれども、そのような自分の「アイデンティティ」はたわいもないことで揺らいでしまったりするし、また逆に、自分から捨て去ってしまいたくもなる。オースターの小説には、そんな自分のアイデンティティを自ら消去しようとする人物がくりかえし登場する。捨てていった果てに、いったい、残るのは何?そして、他人との関係はどうな
    ・R.E.M.に限らないが、一度頂点に上り詰めたスターは、今度はその固定化されたイメージに悩まされる。一方では音楽は絶えず新しい世界を切り開かねばならないから、獲得した名声がその足を引っ張るようになる。マンネリ、スランプ、才能の枯渇、そして堕落………。で、つづくのが、できあがったイメージ、つまりアイデンティティを剥がしたり、捨てたりする行為。ボブ・ディランやビートルズから始まって、エリック・クラプトンやブルース・スプリングスティーン、それにスティングなど、こんな過程の中で右往左往したミュージシャンは少なくない。R.E.M.はその現在の典型のように思えるし、Radioheadも似たような状況にいるような気がする。
    ・オースターと絡ませてルー・リードについて調べている。彼はオースターの映画『ブルー・イン・ザ・フェイス』の冒頭部分に登場してニューヨークやブルックリンについて語るのだが、彼の歩いてきた道もまた、アイデンティティやイメージの獲得や喪失をめぐるものだった。彼が率いたヴェルヴェット・アンダーグラウンドはアンディ・ウォホルとの関係なしには存在しえないバンドだった。実存と虚構、本物と偽物のあいだの垣根を取っ払ってすべてを同列にならべてしまうこと。リードやウォホルがしたのはまさにそんなことだったが、それだけに、一人になったルー・リードが自分の世界をどんなふうなものとして作りあげるのかは難しいテーマだった。
    ・で、結局彼はニューヨークの風景とそこに生きるさまざまな人の生活をスケッチして歌う吟遊詩人になった。サウンドもことばもかぎりなくシンプルで、それがかえって聴くもののイメージを喚起する。マイケル・スタイプも一人になって、自分を誇示することなくスケッチ、というよりは彼の場合には写真を撮るように、情景や人びとを歌にする才能があると思うが、まだまだそんな境地には至っていないようだ。
    ・P.オースターの小説を読むと、彼の淡々としたストーリー・テラーの役割に魅了されてしまう。それは彼が、民話や神話あるいは童話にある語られる物語の手法を意識しているせいだが、これは歌にだってつかえる手法で、ルー・リードやヴァン・モリソンがそれをすでに自分のものにしているように思っている。イメージ豊かに作品を作りあげるのではなく、できるだけシンプルにして、読む者、聴く者が自らイメージを呼び起こせるようにすること、だからこそ、読者や聴き手はその世界に誘い込まれていく。そんなことができるミュージシャンは、やはり、人生のなんたるかをある程度経験したあとでなければ生まれてこないのだが、ほとんどの人はその途中で消えていってしまう。

    2001年7月30日月曜日

    『アイデンティティの音楽』について

     

  • 本がでてから、もうすぐ3カ月になる。大きな新聞や雑誌に書評が載ったという話は聞かないが、ネットではいくつか紹介された。好意的なのは何と言ってもbk1。野村一夫さんの「ほうとう先生の芋づる式社会学」。その第3回の「ロックの文化社会学」で詳しく紹介していただいた。
    20世紀の若者たちがつくりあげたロック文化を時代ごと・論点ごとに論じたものです。とてもバランスのとれた説明になっていて、団塊世代の思い入れを適度な距離感と歴史的文脈に即して説明している好著です。つぎつぎに更新されるメディア技術が導入されるなかで、人口が増大し教育機関に仮収容された形の宙ぶらりんの「若者」たちが、その特定の階級的地位とからんだサブカルチャーをつくりあげ、独特のライフスタイルと音楽を結びつけて育てていくプロセスがよくわかります。
  • 僕自身がロックについて知る過程でわかったことは、日本だけで聞いていたのではわからない音楽と社会背景との関係。この本で伝えたかったことは何よりそのことで、野村さんにきちっと評価してもらえて、ほっとした。同様の評価は『サウンドエシックス』(平凡社新書)の著者である小沼純一さんからもいただいた。
    ロックンロールからパンクのみならず、その後に派生してくるレゲエやラップと「ロック」から派生した音楽まで含まれる。また、アメリカ・イギリスのみならず、旧ソ連や中国にロックがどう受け入れられていったかをも視野に入れている。MTVやダンスといった周辺事項、あるいはカルチュラル・スタディーズに言及しながら、ロックを受け入れ、聴き、楽しんだ少年少女達といった層といったものに目を配ることも忘れてはいない。このような「ロック」を考えるうえでのベーシックなものが、コンパクトに記述されているわけだ。ロック・ミュージシャンには「アート・スクール」の出身者が多いのだが、この「アート・スクール」はもともとウィリアム・モリスの考えから生まれたという事実、そして、そこに通う学生は、裕福になった(労働者)階級の子達であったという指摘など、細部から浮かび上がってくることにも、しばしば刺激を受けもした。
  • もっとも苦言もあって、2部の「ポピュラー論」が論文的で文章が生きていないと書かれてしまった。これは社会学者としての顔も出しておきたいという欲求(見栄?)からのもので、音楽好きの人には読んでもらわなくてもいいと思っていたものだった。bk1ではほかに桜井哲夫さんの書評もあって、最初はAmazonのことばかり言っていた僕も、途中からはすっかりbk1のファンになってしまった。いち早く載せてくださった桜井さんは大学の同僚だから遠慮があったのか、辛口の批評をする彼にはめずらしく、内容の紹介という控えめなものだった。
  • 若い人からの批判が掲示板にのって、思わず本気になって弁明してしまった。名古屋大学の稲垣君は自らパンクのバンドを組みレコードも数枚出している。で、卒論の題名は「アイデンティティと音楽」。僕の書いたものを以前から読んでいてアメリカのL.グロスバーグにも関心をもって読んでいるという。彼の批判は次のようなものである
    ロック史に関する知識的な部分が多くて、アイデンティティに関する生々しさというものが薄められてしまった感があったからです。その生々しい葛藤が描かれないと、「ロックって反抗ですよー」「ああそうですか。ロックは反抗なんですね。」という浅い理解になってしまうとおもいます。その点で、共同体や集団というものを強調しすぎているような気がします。もちろんそれらを抜きにして考えることはできませんが、「ベビーブーマー」などという時、一体どこにそんな集団がいるのか?ほんとにその集団の人々は同じ価値観をもっているのか?という疑問を持ってしまいます。現代におけるアイデンティティは、グロスバーグらが言うように「国民」、「国家」や「完全な個」としての一貫した純粋なものではなく、もっと揺らぎのある不安定なものと考えたほうが良いとおもいます。
  • これに対して、僕が書いた返答。
    ポピュラー音楽について考えようとしたときに、日本人の感覚からとらえるアイデンティティは欧米でのそれとはずいぶん違うことを基本に据える必要があると思いました。同じ国民とは言っても階級の違いによって衣食住から細かな好みまで違う。あるいは人種のそれはもっとはっきりしたものですし、同じようなことはジェンダーなどにも言えることです。僕がアイデンティティということばで示したかったのは20世紀後半のポピュラー音楽を考えるときには、このような背景を歴史的に押さえることでした。
    ロック音楽は一方では、そのような背景を強く否定する方向性をもちましたが、同時に強く影響されもしてきました。そのようなプロセスが世代を経て、あるいはさまざまなところで多様にくり返されたのが、ロック音楽にとって一番強い特徴だったように思います。このように考えると、このような展開とはほとんど無縁に、ただ音楽だけが次々通過していったのが日本だったといこともできるのかもしれません。ただ、階級や人種やジェンダー、あるいは世代といった区切りは、日本はほとんど論外ですが、イギリスやアメリカでもはっきりしなくなってい来ているというのが現状です。グロスバーグが指摘するのはそこに関連してくると思うのですが、ただそれは、たとえば肌の色の違いほどには人種としてこだわることが少なくなった、とか、自分のアイデンティティの根拠として確実なものではなくなったという程度のものとして考える必要があると思います。
    以上、僕は日本の若い世代に、この半世紀ほどの歴史と、さまざまな国の事情を知ってもらうことで、今まで聴いてきた音楽を今までとは違うものとして聞き取って欲しいと思って本を書きましたが、君の感想を読むとやっぱり、なかなか伝えるのはむずかしいな、と感じました。日頃学生とつきあっていて感じるのは、歴史を実体験に近いものとして想像する力がずいぶん失われてきたなということと、日本の常識や日本に住んでいることで持つ感覚が世界のなかではかなり特殊なものであるという自覚です。音楽はきわめて感覚的なものですが、この本を音楽と同じように自分の感覚に引き寄せて読んでしまうと、たぶん僕が伝えようとした意味は伝わらないでしょう。まさに「関心事の地図」がずれてしまっているのです。
  • 彼とはたぶん、これからもいろいろ議論しあうことがあるはずで、楽しみな読み手を見つけた気がした。
  • と書いて仕上がりのつもりでいたら関大の岡田朋之さんの感想がBBSに載った。で、「メディア文化や消費文化の流れの中にきちんと位置づけた意義」を評価していただいた後に次のような批判があった。
    特に前半に言えることですが、著者の思いがイマイチ迫ってこないことです。なんだか非常に淡々としすぎていて物足りない気がしました。意識して抑制的に書かれたのかもしれませんが…。以前に書いたメールで、同時代的なリアリティが湧いてこない、ということを言いましたが、結局それは私の個人的な読み方の問題ではなくて、文体から来るもののような気がします。
    小川さんの名言で、「いい文章からは音楽が聞こえてくる」というのがあります。でも、この本からは聞こえてきませんでした。
  • これに対する僕の返答。
    「著者の思い」はご指摘の通り意識的に抑えました。ロックなどの音楽についてぼくらの世代が何か発言すると、「団塊の世代」とか「ベビー・ブーマー」といった枕詞がついた反応が返ってきてその意味が矮小化される傾向があります。 生まれてから半世紀たった音楽を、そうではないコンテクストのなかで位置づけたいと思いました。
    ……
    好きなミュージシャンやグループばかりについて言及することは控えましたし、誰かに象徴させて語るということも避けました。半世紀の流れを網羅しようと思いましたから、いろんな音が出てきて相殺されたのかもしれません。ただ、控えはしましたが、どこを書いているときでも、ぼくの頭のなかにはそれぞれ音楽をイメージしていましたから、できましたらそのつもりでもう一回読み直してみたらどうでしょうか。
  • こう書いた後に、ふと気がついた。岡田さんは音楽について文章を書いているがほとんど日本のものに限られている。彼が名前を出した小川博さんもそうだ。ところがこの本では、僕は日本の音楽はほとんど無視してしまった。彼の不満はそこにあったのかもしれない。『アイデンティティの音楽』は日本の音楽状況や社会背景とは異なる世界に光を当てたものだから、稲垣君も含めて、読者には同じような不満を感じる人が少なくないのかもしれないと思った。けれども、僕は日本のポピュラー音楽にはほとんど興味を持てないままに過ごしてきたし、研究対象として無理して聴こうとも思わなかった。たぶんこの姿勢はこれからも変わることはないだろう。「同時代的リアリティ」のずれの原因なのだろうか。