2006年10月23日月曜日

河口湖の秋

 

photo38-1.jpg


photo38-2.jpg・もう毎年のことだけれど、夏が終わって秋が来ると、やっぱり新鮮な驚きを感じることが少なくない。今年は特に雨が続いて、どんよりした空模様ばかりだったから、抜けるような空になると、心も晴れ晴れした気になってくる。ひんやりした空気のなか早朝に散歩をすると、湖には釣りをする人のボートが一艘、二艘。薄暗いうちから漕ぎ出して、水に浮かんでひととき過ごすのは、きっと気持ちいいだろうな、などと思いながら、しばし眺めてしまった。


photo38-3.jpg・富士山が初冠雪というニュースを聞いのだが、残念ながら笠雲がちょうどその部分をおおってしまっていた。あたりは秋の気配なのに、植物の少ない富士山はまだ夏山の姿をしていて、あたりの山とは対照的な色合いになっている。家の近くの畑ではやっと稲刈りが始まった。とっくに黄色くなって、倒れている稲穂も多かったのに、雨が続いて刈り取りができなかったのだ。

 

photo38-4.jpg・ふだんはほとんど車のない農道に軽トラが並んでいる。一家総出で稲刈りなのだろうか。役目の済んだ案山子がわきで並んで立っていた。来年の夏まで納屋でお休みといったところだろうか。このあたりには、雀はもちろん、さまざまな野鳥がいる。きっとしごとは重労働だったのだと思う。ご苦労さんでした。

 

 

photo38-5.jpg・夏に雨が多くて不快な思いをしたが、意外な収穫もあった。家の周囲の森にシメジが大発生したのである。隣人に食べられる「ハタケシメジ」だと教わって、こわごわ食すと、香りはあるし、しゃきしゃきと歯ごたえがあって、市販のシメジよりもずっとおいしかった。毒ついでというわけではないが、淡い紫色の可憐な花を咲かせるこの植物は、殺人事件で有名になった「トリカブト」である。家の周囲では見かけないが、富士山の麓にはあちこちで群生している。


photo38-6.jpgphoto38-7.jpg

2006年10月15日日曜日

世界を旅する仕方

 

・飛行機嫌いを乗り越えて、去年から今年にかけて4回も海外に出かけたせいか、旅番組を捜してテレビを見るようになった。もちろんその種の番組は以前から好きだったが、最近は特にその傾向が強い。出かけた土地が映されればまた行きたい気になるし、まだのところも行ってみたくなる。しかし、名所旧跡といった有名なところにはあまり関心はない。ゲストが出てクイズなんて番組も見る気はしない。街の様子や人びとの生活模様などが身近に感じられること。テーマが歴史や自然なら、できるだけ具体的で掘り下げたものを。そんなエンターテイメントなしの基準で探しても、興味深い番組が結構ある。

journal3-81-1.jpg・NHKの『世界ふれあい街歩き』は地上波でもBSでもやっている。ひとつの街を朝早くから日没まで、ただぶらぶらと歩く番組である。レポーターはいないから、出会った人はカメラ(マン)に話しかける。もちろん、ディレクターや通訳がいるのだが、あたかも自分がそこを歩いているかのようにして見ることができる。この番組に最初に気づいたのは、スペインに行ってきた直後にセビリヤ(セビージャ)の紹介をしたときだった。記憶もまだ新鮮な時で、しかも歩かなかったあたりだったから、食い入るように見て、それからやみつきになってしまった。
・番組のサイトを見ると2005年3月のベネチアから始まって、世界中にでかけているようだ。スペインはセビリヤのほかにグラナダとトレドはみたがバルセロナはみていない。アイルランドのダブリンは街の中心を流れるリフィ川沿いを歩いていて、何度かうろうろしたぼくにはとてもよくわかった。出かけたところ、まだ行ってないところ、見た番組、みていない番組にかかわらず、このサイトは街の地図に歩いた行程をしめし、出会った人を記録し、街についての説明も付記している。下手な旅行案内よりはずっと役に立っておもしろい。できれば、古いものも再放送してもらいたいのだが、放送時間が夜遅くだったり、昼時だったりするから、見逃してしまうことも多い。
journal3-81-2.jpg ・この番組の魅力は、また、大都市ばかりでなく、はじめて聞くような小都市にも出かけているところにある。たとえば、最近みたハンガリーのショプロンはオーストリアとの国境に位置していて城壁に囲まれた歴史のある街だが、ベルリンの壁崩壊の時には、東ドイツから西側に渡る入り口になったそうである。そんな出来事をちりばめながら、何百年も変わらない街並みを歩き、そこに住んでいる人に声をかけて、家の中に招き入れてもらったりする。こんな旅ができればいいな、と思わせる、うまい作り方をしている。続いてみたチェコのチェスキークルムロフは、湾曲する川に沿ってつくられたボヘミア地方のきれいな街だった。
・テレビ番組はどんなに短時間のものでも、あるいは脚本のない行き当たりばったりのようなものでも、かなりの準備と、収録のための時間を使う。実際に取材を受けたり、収録風景を見物していると、そのことにあきれてしまうほどだが、この番組も事前の準備は毎回周到なようだ。番組は1時間足らずだが、収録時間は早朝から日没まで行われている。それこそ何日も街を歩き続けて一回の番組が作り上げられる。何より、食事をしたりショッピングをしたりといった、他の番組が中心にするイベントがまったくないのがいい。

・旅の魅力はもう一つ、交通機関にある。飛行機は狭い座席に拘束されてけっして楽しいものではないが、行った先で乗る鉄道やバスは十分に目的のひとつになる。去年出かけたイギリスとアイルランドでは鉄道で移動したが、そのきっかけになったのは『欧州鉄道の旅』だった。これもガイドはいず、車窓の風景や車中の様子、それに途中下車して歩く街の様子が番組の内容になっている。もう何年も再放送が続いて、みたものばかりになっていたが、最近あたらしいものにかわりはじめた。だから、やっぱり番組をみつけると、1時間、一緒に鉄道に乗った気分で旅行を楽しむことにしている。
・とはいえ、しばらくは海外旅行は楽しめそうにない。なかなか時間がとれないし、出かけるとなればかなりの費用がいる。次はいつどこに行けるか、行きたいか。予定は立たないし、行きたいところは増えるしで、みながらついついため息をついてしまう。けれどもまた、どうせ行くなら行き先の歴史などをもっと勉強してなどとも思う。世界中には知らないところがたくさんあって、その一つ一つに知らない歴史があり、現状があり、大勢の人が暮らしている。

・この夏休みはどこにも出かけなかったが、そのかわりにGoogleearthという世界地図、というより衛星写真をみつけて、世界中を飛び回ってしまった。実際出かけた場所で泊まったホテルまでわかってしまうほど詳細の地図が世界中のどこでも見つけられる。すごいものが出てきたと感心したり、驚いたりしたが、一軒の家が特定できるほど詳細な世界地図(写真)というのは、管理社会の極限ではないかとも思ったりもした。アメリカではいま現在飛んでいる飛行機が表示されたりもするから、テロに使おうと思えばかなり危険な情報なのではと心配になるほどである。大都市のおもな建物が3Dで作られていて、つぎつぎ新しいものが追加されてもいる。飛行機だけでなく、鉄道が実際に走ったりするのも近いうちには実現するのかもしれない。

・P.S.この文章をアップしたら、すぐにトルコで日本人観光客を乗せたバスが横転して死傷者が出たというニュースが入ってきた。トルコは行ってみたい国で、行けば鉄道やバスも利用するはずだから、人ごとではない気がした。スペインでは実際、JALバスに乗って、団体客と一緒にあるファンブラ宮殿などをみてまわった。乗り換えの心配もなしに数日間、名所をまわってもらえたから、その便利さは実感済みである。日本人ガイドの説明もあって、旅程の一部にこれを挟むスケジュールはなかなかいいと感じていた。
・JRの鉄道乗りつくしから最近では世界に出かけている関口知宏がトルコからギリシャまでの旅行を放送したのもこの月曜日だった。トルコへの観光客がまた増えるな、と感じただけに、この事故は、危険なことが旅にはつきものであることを改めて実感させた。

2006年10月9日月曜日

下層の暮らしをルポする手法

 

バーバラ・エーレンライク『ニッケル・アンド・ダイムド』(東洋経済新報社),ジャック・ロンドン『どん底の人びと』(岩波文庫),ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドンどん底生活』(晶文社)

journal1-105-1.jpg・「下流社会」なんてことばがはやって、自分が中流にはいるのか下流なのかを測る尺度があれこれ持ち出されたりしている。それで、一喜一憂する人も多いのかもしれない。けれども、そういう尺度がなければどっちかわからない程度なら、まだとても下流などとはいえない暮らしをしているのだと思う。
・アメリカは20世紀の初め以来、世界でもっとも豊かな国であり続けているが、その貧富の差が世界一ひどいものであることも知られている。しかし、その差は、最近特にひどいようで、そのことを批判する本が何冊か出されている。バーバラ・エーレンライクの『ニッケル・アンド・ダイムド』は、自ら低所得層の仕事について、その暮らしの厳しさを体験したレポートである。彼女は1941年生まれで、この体験取材をしたのは1999年だから58歳だったようだ。著名なジャーナリストでベスト・セラーなどもある。『「中流」という階級』という翻訳書もあって、その考察は社会学としても一級品である。そんな人がなぜ、と思ったが、若くないことも幸いして、ものすごくリアリティのあるレポートになっている。アメリカではもちろん、ベストセラーになったようだ。
・知らない土地に行って職探しをする。何の資格も、技術もない、50代後半の独身女性を採用する職種は、スーパーの売り子、レストランのウェイトレス、ホテルの客室掃除、あるいは、老人ホームなど、ごく限られている。時給は6ドルから7ドルで、アパートの家賃は500ドル。それで何とか数ヶ月がんばってみる、というプロジェクトで、フロリダとメーン州のポートランド、それにミズーリー州のミネアポリスを選んだ。
・こんな薄給の仕事でも、履歴書を書いて面接をして健康チェックを受ける。採用までには数日かかるから、同時にいくつか応募して就職先を選ぶと、仕事が始まるまでに1週間が過ぎてしまったりする。しかも、アパートはどこも空きが少なく、狭くて汚くて高い。で、見つかるまではモーテル暮らしだったりする。キッチンも冷蔵庫もなかったりするから、食事はファースト・フードか、パンを買ってただかじるだけだ。
・仕事はどれも肉体的にきついもので、しかも管理は厳しい。従業員同士のおしゃべりは厳しくチェックされ、休憩の時間はタイムカードに記録される。上司や客との関係では屈辱感を味わうことが避けられないが、従業員同士では助け合いもある。エーレンライクにとっては、すぐにも怒ってやめてしまいたいほどの仕事だが、そうはできないことを使われる者も、使う者も知っている。だから、冷淡さや意地悪がまかり通ってしまう。もちろん、やめて別の仕事に行く人も多い。だから慢性的な求人難なのだが、時給はちっとも上がらない。
・こんな境遇で懸命に働いても生活に困窮する人たちが3割もいる。アメリカで大人一人と子供二人の家族が最低限健康的で安心した暮らしをするためには年に3万ドル必要だそうだ。そのためには、時給は14ドルなければいけないのだが、その収入に達している人は4割に満たないようだ。アメリカは「働かざる者食うべからず」という考え方が強い。けれども、働いても食えないのが現在のアメリカの一面で、そのことをだれも強く指摘しないというのがエーレンライクの体験的取材のきっかけになっている。で、そのことを身をもって確認したのである。そのような状況は日本でも同様だろう。


私は「一生懸命働くこと」が成功の秘訣だと、耳にタコができるほど繰り返し聞かされて育った。「一生懸命働けば成功する」「われわれが今日あるのは一生懸命働いたおかげだ」と。一生懸命働いても、そんなに働けるとは思っていなかったほど働いても、それでも貧苦と借金の泥沼にますますはまっていくことがあるなどと、誰もいいはしなかったのだ。

・貧しい境遇にある人の生活をつぶさに見て、彼や彼女たちが持つ実感を知るためのいちばんの方法は、自ら体験してみることである。エーレンライクがとったこのような方法は、けっして珍しいものではない。たとえばG.オーウェルは自ら放浪者になって『パリ・ロンドン・どん底生活』を書いている。ビルマでの警察官の経験をもとに書いた『ビルマの日々』やいくつかの短編、あるいは炭坑町を取材した『ウィガン波止場への道』や義勇兵となって参戦して書いた『カタロニア讃歌』など、彼が書いた作品の多くは体験をもとにしている。じぶんで体験してみなければわからない感覚から考える。それはオーウェルのおもしろさや強い説得力の原点でもある。
・そのオーウェルが刺激を受けたルポルタージュを最近読んだ。ジャック・ロンドンの『どん底暮らし』で、20世紀の初めにロンドンのイーストエンドに入り込んで書いたものである。若いアメリカ人で栄華を極めた大英帝国の首都の東半分が劣悪な貧民街であることに驚愕する。襤褸(ボロ)服に着替え、救貧院で食事をもらうために半日並ぶ人の列に入り、何家族もが同居する汚いアパートの一室を住処にする。何とか職にありつこうと探し回るがまるでない。そんな状況をオーウェルやエーレンライクの体験と重ね合わせると、どんなに物質的に豊かな社会になっても、まったく改善されていないことに気づかされる。
・ロンドンもオーウェルも若いときに、若いからこそできた体験だが、エーレンライクのレポートは初老の独身女性という立場でやったからこそ描きだされた世界で、おなじ歳になっているぼくには、「わー、すごい!」としか言いようがないのが何とも情けない気がする。

2006年10月2日月曜日

SPAM排除!



迷惑メールは相変わらず、日に100通以上もある。とはいえThunderbirdを使いはじめてから、くりかえし来るメールは自動的にゴミ箱直行になって、煩わしさからはほとんど解放された。もっとも、初めてのものがいきなり迷惑メールになることは少ないから、やっぱり、毎日数十通に迷惑マークをつけることになる。そうすると、面倒くさいからどうしても、アルファベットの題名や送信者名のメールは、中身を確認せずにゴミ箱送りにしてしまうことになる。
ネットをはじめたころは、海外からもメールがあって、ディスコグラフィーにあるレコードを譲ってくれとか、留学している日本人の学生から、レポートや論文の相談をされたりといったこともあったのだが、最近は、いちいち確認もしないで捨ててしまっている。「あなたの大学に留学したい」といったメールのなかにうさんくさいのがあったり、プライベートを装うDMが増えたりしたからだ。
返事を書かないのは海外からのものにかぎらない。「リンクを張りました」「相互リンクをお願いします」といったメールにも、最近では反応しないことが多い。リンクは自由だから、断る理由はないし、相互リンクについては、リンクの頁を放りっぱなしで、何年もさわっていないから、承諾しましたと言いにくい。全面改装してという気もあるけれども、検索エンジンがこれだけ充実してきたら、個人の頁のリンクなど、ほとんど意味ないのではとも思ってしまう。実際、だれかの、どこかの頁のリンクを利用して、おもしろいサイトを発見するといったことが、ほとんどなくなってしまっている。
返事を出さないもう一つの理由は、学生や教職員とのメールでのやりとりが増えたこと、友人、知人、あるいは学会の連絡などもほとんどメールで済ますようになって、毎日処理するメールの量が多いことにある。だから、見知らぬ人からのメールはどうしても後回しになって、そのままにしてしまう。特に最近の迷惑メールには「相談があります」「お久しぶりです」「連絡をお願いします」などといった題名があって、ついついあけてしまうことがあるから、見知らぬメールには、最初から警戒心を持ってしまっているせいもあるだろう。

大学のサーバーが9月の末から迷惑メールをチェックするようになった。疑わしいものには題名の頭に[S_P_A_M] という表示がついて届けられるようになった。始まったばかりのせいか、表示されるのは2割ほどしかない。あるいは携帯からやってきた知人のメールに[S_P_A_M] とついていたりするから、やっぱり確認の必要がある。しかし、これが十分にはたらいてくれるようになれば、Thunderbirdと二重のチェックができて、作業はずいぶん楽になるし、いらいらせずに済むようになるだろう。
このコラムで迷惑メールについてはじめて書いた文章は1999年の11月で題名は「広告依頼とDMについて」となっている。ネット・ビジネスがまだ歩き始めたばかりの頃で、数通のメールに腹を立てていたことがよくわかる。それが1年後に書いた「ジャンクメールにつられて」になると詐欺まがいのサイトの話題になり、さらに1年後の2001年にはジャンクメールの山という話になっている。その意味では、5年間も迷惑メールに悩まされてきたわけで、これではメールの処理が煩わしくなるのも無理はない、とじぶんで納得してしまう。

2006年9月25日月曜日

生きものの世界

 

forest54-1.jpg


・今年は雨の多い夏だった。からっと晴れた日は数えるほど。だから、じめじめして、家の中はかび臭くて、外でもあちこちでキノコを見かけた。見るからに毒キノコで、一つも食していないが、ひょっとしたら美味のものがあるのかもしれない。当然、カエルやミミズなども多い。庭を歩いたり、ハンモックに揺られていて、例年になく、蚊に悩まされもした。

forest54-2.jpgforest54-3.jpg
forest54-4.jpgforest54-5.jpg

・高温ではないが多湿な気候は虫にも好都合なのかもしれない。庭で見かける虫の種類も、例年になく多かった。生まれたばかりの芋虫。それが青葉をむしゃむしゃ食べる。成虫は交尾に夢中だ。どんな虫も、間近で見ると色合いが美しい。マクロで写真を撮ると、その色合いがいっそうはっきりする。技術のある写真家が高機能の高価なカメラを使ってはじめて可能になるような鮮明なショットが簡単にとれてしまう。デジカメの威力に改めて感心!。

forest54-6.jpgforest54-7.jpgforest54-8.jpg
forest54-9.jpgforest54-10.jpgforest54-11.jpg
forest54-12.jpgforest54-13.jpgforest54-14.jpg

・こうして並べると、森の生きものの多様さがよくわかる。けれどもこれらはどれも、目をこらしてはじめて見えてくるようなものばかりだ。当然、意識しなければ気づかない。それは花でも一緒で、野草が咲かせるのはどれも小粒で、近寄ってみなければ、その色合いや模様はわからない。だから、こういう世界にふれていると、余計に、派手さばかりを追いかける都市の暮らしや人びとの関心の向けどころにインチキ臭さを感じてしまう。
・もちろん、自然のものだけでなく、育てたものもある。朝顔は今年もきれいな花を毎日たくさんつけている。茗荷もたくさん出た。ただし、一週間だけの楽しみだった。今は秋海棠が満開だ。

forest54-15.jpgforest54-16.jpgforest54-17.jpg

2006年9月18日月曜日

破れたジーンズの不思議

 

jeans1.jpg・破れたジーンズが流行っているらしい。たしかに街中でも見かけるし、テレビタレントなどもはいている。何かの授賞式などにはいて出たりするのはおもしろいと思うし、女の子のチラリズムとしても悪くはないのかもしれない。けれども、わざわざ破れたものを買うということになると、ちょっと、おかしいんじゃない?と言いたくなってしまう。第一、ぼくにはそれがなぜ格好いいのか、その感覚が今ひとつよくわからない。もちろん、破れたジーンズなどはくなと言いたいのではない。実際ぼくが家ではいているジーンズは、ごらんの通り穴の開いたものである。

jeans3.jpg・ぼくはいつでも、どこでもだいたいジーンズをはいている。毎年1本新調して、3年ほどたってよたってくると、家での作業着にしている。京都に住んでいるころは膝が破けてくると夏用の半ズボンにして使っていたのだが、河口湖に来てからは、薪割りや大工仕事をするときのユニフォームになっている。去年の秋に、破れがひどくなったものを2本つなぎあわせて、薪を運ぶための背負子(しょいこ)を作った。ホームセンターで売っているものを見てヒントにしたものだ。

jeans4.jpg・こんな具合だから、ぼくのジーンズは、買ってから捨てるまで 10年以上も生きつづけることになる。丈夫で長持ち、汚れやほころびを気にせず着ることができるし、生地としてもほかに使い道がたくさんある。厚手の綿に藍染めをした生地は、もともと帆布や幌の素材として作られ、カウボーイや綿摘み労働者の作業着に転用されたものである。だから、もともと新品も中古もなく、破れて使えなくなるまで利用されたのである。
・その意味では、破れても汚れても平気で街中にはいていくというのは、ジーンズ本来のはき方として正しいのだと言える。けれども、新品にわざわざ穴を開けたり、ほころびを作ったりするのはどうなのだろうか。一度穴があくと、はいているときはもちろん、洗うたびにその穴が大きくなる。太い綿糸でざっくり織った生地だから、ほころんたデニムには念入りな補修が必要になる。その穴かがりに刺繍などをほどこしたら、高い値段になるのも十分に納得できる。

jeans2.jpg・その破れや汚しのテクニックをテレビで見た。グラインダーで青い縦糸だけ削って、白い横糸を残す。もちろん、どの部分にどんな穴を開けるかには、専属のデザイナーがいて、作業をする人はその指示に従って正確に処理をする。さらには、刷毛でペンキを散らす。だから、仕事着として乱暴にはいてついた破れや汚れとはちがうのだという。試しにグーグルして、穴あきジーンズの作り方を調べてみた。そうしたら、たしかにいくつもあって、読んでいると、へーと驚くことばかりだった。穴あきジーンズはたしかに、ただ破れているわけではない。それは一つの刺繍であったり模様であったりする。こういうものを見ていると、それをおもしろいとかかっこいいと感じる感覚も、わからないではない気になってくる。

jeans5.jpg・しかしである。それを新品で、しかも付加価値のある高い商品として買うという発想はどうなのだろうか。個性的というのなら、せめてじぶんでやってみるぐらいの自発性がほしい。新品を破りたければチェーンソウで薪切りをしたらいいし、ペンキのシミをつけたければ、家の壁でも塗ったらいい。流行の始まりはたぶん、そんなことをあたりまえにやっているアメリカやイギリスの人たちからなのだと思う。だから、そういう行動とは無縁な男の子や女の子たちの格好は、ぼくにはとってつけたような、何とも似合わないものに見えてしまう。

2006年9月11日月曜日

Bob Dylan "Modern Times"

 

dylan9.jpg ・ディランのあたらしいアルバムは「モダン・タイムズ」という。チャップリンの映画と同じで古くさい感じがするが、収録された曲にも昔懐かしいブルースやカントリーやジャズの雰囲気がある。マディ・ウォーターズ、ハンク・ウィリアムズ、そしてジョニー・キャッシュとのジャムセッションという感じで、いかにも楽しそうだ。いうまでもなく、みんな、この世にはいない人たちばかりだ。

・それは、ポピュラー音楽として近代化されるきっかけになった音楽の再現といってもいいかもしれない。スーパースターがこれ見よがしにじぶんを印象づけようとするのではなく、顔見知りのストリート・ミュージシャンが集まってジャム・セッションをやる。そんなサウンドに仕上がっている。だからだろうか、ディランは録音技術に文句をつけて、スタジオで聴いたサウンドがCDでは再現されていないと批判している。ディランがこのアルバムに盛り込みたいものは、ディジタル録音では漏れてしまう。おそらく、そう言いたかったのだろうと思う。

・インタビューでは続けて、「不法なダウンロードをして、ただで音楽を手に入れる風潮に音楽産業が手を焼いているが?」という問いかけに「なぜだめなんだ?どうせ価値のないものじゃないか」と答える部分がある。日本では、ここが「最近のミュージシャンの作る音楽にろくなものはない」といったニュアンスで伝えられたが、インタビューを読むと、ディランはディジタル化の批判しているだけのようにも読み取れる。「スタジオの方が10倍もよかった。CD には何の価値もない。」

・たしかに、録音時の熱気とか高揚感といったものが記録されなければ、のびたラーメンのようなものなのかもしれないと思う。けれども、聴いていてひどいとは感じない。アナログのレコードならば、それが盛り込めるのだろうか。残念ながら、ぼくには、そんな微妙な差異はよくわからない。

夜、神秘な庭を歩いていると
傷ついた花がつるから垂れ下がっていた
向こうの冷たい透明な泉を通り過ぎたとき
だれかが背中をたたいた
しゃべるな、ただ歩け
この疲れ果てた悲しみの世界でも
心が燃え、願い続けるようなことがある
それはまだだれも知らないこと
(Ain't talikin')

・"Festival Express"というドキュメント映画をWowowで見た。1970年にカナダのトロントからカルガリーまで、列車をチャーターしておこなったコンサート・ツアーで、ジャニス・ジョプリンやザ・バンド、あるいはグレイトフル・デッドが出演している。コンサートそのものより、列車内でのセッションが中心で、まるでお祭り騒ぎの盛り上がりだが、コンサート会場での入場券を巡る客と主催者のやりとりもおもしろかった。

・どの会場でも、主催者やミュージシャンたちはフリーのコンサートにしろと抗議して押しかける人たちに詰め寄られる。その理由は、共感して、自分にとって大事な曲、バンドだから、金など払わずに見る資格があるというものである。こういう発想は何とも懐かしいし、グレイトフル・デッドのガルシアが別の会場でフリーのセッションをやったりするのも、時代の空気を思いださせてくれる気がした。第一、このドキュメントの中心は列車での移動中にミュージシャンが集まって、寝る間も惜しんで歌い、演奏し続ける、その高揚感にある。ここでは、音楽は共感の道具であって商品ではまったくない。

・確かに、70年代の初めまでは、こういう雰囲気があったのだが、いまではすっかり忘れられている。その代わりに、ロックはいまでは何より商品で、有名なミュージシャンはメジャーのレコード会社と契約し、コンサートも巨額な費用と手間暇をかけることがあたりまえになっている。お金ではなく、気持ちで買う(評価する、共感する)。そんな側面は70年代以降急速に薄れ、何万枚売って何億ドル稼いだかがミュージシャンの価値評価の基準になった。

・いまでは、新しく生まれるものだけでなく、どんな古い音源もディジタル化されて売り出されている。ディランの新しいアルバムは3年ぶりだが、その間に出されたリメイク盤や海賊盤の本物盤は数知れないほどだ。そのほとんどを手にしているぼくからすれば、確かに、最近のミュージシャンの作る音楽やメッセージは、屁みたいなもので何の価値もないと言いたくもなる。けれども、ディランは何より、自分のつくってきた音楽が取っかえ引っかえして売り出されることに嫌気がさしているのかもしれない、とも思う。

・ たとえば街中で歌を歌い楽器を演奏する人たちを見かけることがよくある。ちょっと立ち止まって耳を傾け、手拍子をたたいたり、知ってる曲なら口ずさんだりもする。こういう場に参加するのにお金はかからないが、小銭をはらうことが礼儀となっている。フリー(ただ)だがシェア(共有)したのだから、それなりの代価を払う。それはコンピュータの世界にまだ残る、「フリーウエアー」と「シェアウェア」のソフトに共通する。そして、両者の根っこにある発想は同じものである。

・ ディランの"Modern Times"はそんなフリーとシェアの関係が作り出した音楽の再現をめざしているといえるだろうか。だとすれば、このCDが売れようと売れまいと、無断でダウン・ロードされようと、それはディランにとっては、どうでもいいということになる。音質は気に入らないかもしれないが、ディジタル化とネットは、音楽の伝わり方にフリーとシェアを再現させる可能性をもっている。それが音楽を商品以上のものにするのか、以下のものにするのか。音楽の世界を豊かにするのか貧しくするのか。それはミュージシャンと彼や彼女がつくる音楽と、それを受け止める聞き手の関係の再構築にかかっている。 (06/09/11)