・ターシャ・チューダーはアメリカ人の絵本作家で、日本では彼女がつくった庭が有名である。北東部のヴァーモント州に20万坪もある広大な敷地を持ち、90歳を過ぎた今もひとりで暮らしている。その孤高の暮らしをNHKが1年以上をかけて取材をした。BSで二回に分けて放送されたターシャの生活の徹底ぶりは見事で、驚くほかはなかった。
・彼女の絵本のテーマと内容は、彼女の暮らしや身近な人間関係から生みだされている。アメリカ人にとっては開拓の頃の暮らしを思いださせるような内容で、根強い人気があるようだ。もちろん、現在のアメリカ人の大半には、ほとんど無縁な生活で、したくてもできないし、本当のところはしたいとも思わないものだろう。しかし、憧れる。だからこそ、ターシャがそれを一貫して守り続けていることに、また大きな称賛の声が上がるのである。
・ターシャはひとり暮らしだが、近くに息子夫婦や孫夫婦が住んでいる。庭の手入れや家の維持管理をしてくれているが、身の回りのことはほとんどじぶんでやっている。毎日の日課は決まっていて、一日の最大の楽しみは、夕方のお茶の時間だという。愛犬のコーギーと一緒に庭を歩き、雑草を抜いたり、枯れた花を摘み取ったりする。気が向けば、花や犬や風景をスケッチして、次の絵本の材料にする。57歳で移り住んでから、もう30年以上も変わらぬ生活を続けている。
・電気が通っていないわけではないが、家の照明はロウソクですませている。そのロウソクは飼っているミツバチの巣箱からとった蜜蝋でつくったものだ。毎年一回、家族総出で、一年分のロウソクをつくる。溶かしたろうの中に芯を入れ、乾かしては入れる作業をくりかえして、直径が2cm弱のロウソクにする。その作業ののんびりさに思わず見とれてしまったが、開拓期はもちろん、つい100年ほど前までは、見慣れた光景だったはずである。
・12月になると、そのロウソクをクリスマス・ツリーに何本もつけて、それぞれに火をともした。もちろん家の中だから、老人のひとり住まいで火事の心配はないのかと余計なことを考えてしまったが、人工のライトとはちがって、いい感じに灯っていた。リンゴを収穫したときもまた、家族総出で、ジュースにしたりジャムにしたりする。で、もちろんそれが、ターシャの1年分の食料になる。絵に書いたような田舎暮らしで、それを絵本にすれば、売れるのはまちがいないことをつくづく感じたが、彼女は別に、本を売るためにそんな暮らしをしているわけではない。
・そもそも彼女が絵を描いたり、物語をつくったりしたきっかけは、子どもたちに見せたり、読んで聞かせたりするためだったという。ついでに操り人形も作って、子どもたちと一緒に人形劇をしたりもしたようだ。何でも自分でつくる。その徹底ぶりと器用さは、並外れた才能ではないように思う。けれども、程度の違いはあれ、ほんの数十年前までは、家で手作りしたり、自分で工夫したりするのは珍しいことではなかったはずである。その意味でいえば、ターシャを有名にしたのは、この半世紀ばかりの生活スタイルの大変容だったということができるかもしれない。
・彼女の息子は寡黙でほとんど目立たない。大工さんのようで、ターシャが住んでいる家も、彼がひとりでつくったようだ。もちろん母親の注文をかなえ、新築でも何十年もたった感じに仕上げられた。20万坪の土地と家は、もちろん、絵本の印税によって実現したものである。すでに50代も半ばを過ぎて、やっと自分の住みかをみつけ、やりたかった生活を百パーセント実現させている。
・気ままな暮らしだが、それを実現させるために彼女が歩いてきた道は、またかなりきびしいものだった。それをやり通せたのは、彼女に人一倍強い意志と信念があったからで、年老いて柔和になったとはいえ、その性格は表情からも十分に読み取れる。実は、気ままな暮らしをすることほど、しんどいことはない。ぼくもすこしだけ、そのことには共感できそうだ。
・ターシャはもちろん、自分の人生の終着点が近いことを自覚している。だから、思い通りにつくってきた庭をすこしずつ、自然にもどしはじめてもいるのだという。自分が死んだら、また、自分が手を加える前のまま。放っておけば、自然は自ら自然にもどろうとする。自分の生きた証は、そこからはいつの間にか消えてなくなってしまう。それを望む気持ちはまた、ぼくにもすこしわかる気がする。
・だから、生きていたときのままにのこして、「ターシャの庭」などという名所にはしないでほしいと思った。