・今回の旅はサンチャゴデコンポステーラがゴールで、ポルトガルのポルトは付録のような感じだったが、スペインとはまた少しちがっていて、来て良かったと思った。スペインのルーゴから乗った列車は国際列車とは名ばかりの古ぼけたディーゼルカーで、スペインの電車との違いに驚いたが、ポルトの街もまた、廃墟が多くて、経済的な沈滞や国そのものの衰退が感じられた。ただし、その分、古いものがそのまま残されていて、かえって味わいのある風景や街の様子を見ることもできた。上にあげたタイル張りの教会などはその好例である。
・観光客がぞろぞろ歩く街並みには洗濯物を一杯干した家が多くて、それを珍しそうにカメラに納めている人も多かったし、店の外で鰯を焼いている光景なども目にした。僕は鰯の唐揚げを食べたが、丸ごと食べられるものでおいしかった。日本では高級魚の餌になっているような小鰯だが、ポルトガルではきわめて日常的なおかずになっている。経済的には豊かでないかもしれないが、けっして貧しくはない生活の一端が見えた気がした。観光政策が発展途上だからこそ見えた風景だろう。
・同様のことはファド体験にも言えた。たまたま見つけたファドをやるレストランでは、客だと思っていた人が代わる代わる唄って、楽しんでいた。半数は観光客だが半数は地元の人で、提供される食べ物も地元の人が食べているものだった。聴いていて思ったのは演歌との類似性で、マンドリンのバック演奏などから、演歌は日本人の心ではなく、ファドを日本化させたものではないかと感じた。日本の演歌を形作ったのはマンドリン奏者の古賀政男だったからである。
・対照的だったのは巡礼の目的地としてにぎやかだったサンチャゴ・デ・コンポステーラだった。大聖堂自体は荘厳で、私語を禁じるような雰囲気だったが、その回りの建物はほとんどが土産物屋かレストラン、あるいはカフェなどで、ぞろぞろと歩く観光客と巡礼者の人波にうんざりしてしまった。驚いたのは大聖堂自体のなかにも土産物屋があったことで、しかも安物ばかりが並んでいる様子にはがっかりするやら興ざめするやらだった。上からつり下げられた大きな香炉(ボタフメイロ)を焚いて教会内で振り回す儀式は、巡礼者の苦労を癒して毎日行われるのかと思ったら、高額な寄進があった時だけだと聞いた。まさに「〜の沙汰も金次第」だと思った。
・旅のおもしろさは歩かなければ味わえない。そのことを追認させてくれたのはNHKがBSで放送している「街歩き」だった。今回も、目的地についてホテルのチェックインを済ませたら、さっそく街に出て、地図を頼りにあちこち歩いてみた。土産物屋ではなく地元の店をのぞき、スーパーマーケットで買い物をする。道ばたで立ち話をしているおじいちゃんやおばあちゃん、おじさんやおばさんに「ハロー」「ボンジュール」「オラー」などと声をかけてみる。そうすると、決まって笑顔が返ってきて、何やら話しかけてくる。そんな経験は、てくてく歩いてみなければ、なかなか出会えない経験だろう。
・車とバスを乗り継いでのもので、ちょうど4週間の長さだった。国の違い、ことばや通貨、そして食べ物の違いはもちろん、都会と田舎、バスクやガリシアといった地域的な特性は、やはりある程度の時間と、ゆっくりしたペースでなければ味わえないことだと感じた。さて、こんな旅がいつまで続けることができるのだろうか。パートナーとの弥次喜多道中で、よく歩き、よく食べ、よく飲み、そしてよく眠ることができた。やっぱり、日頃の山歩きや自転車のおかげだろうと思う。これからも精進しよう、また旅に出かけるために!