2014年12月8日月曜日

自滅解散に追い込まねば

・衆議院の選挙が14日におこなわれます。何のための解散で、争点は何か。よくわからない選挙だと言われています。だから、投票率は低くなって、固定票の多い与党が優位になるだろうと予測されてもいるようです。しかし、何のためも、争点も、これほどはっきりした選挙はないと思います。

・選挙を仕掛けた安倍政権は「アベノミクス」の信を問う選挙だと宣言しています。しかし首相がこの2年の間にやったのは「集団的自衛権」「秘密保護法」「TPP」「消費税増税」「年金の減額」「介護保険制度の改悪」「残業手当の廃止」、「憲法の軽視」、そして「原発再稼働」などたくさんあって、その多くは前回の選挙公約にはなかったのです。ですから、今度の選挙が、その政策全体に対して国民が「イエス」か「ノー」の意思表示をする機会でなくて何なのかと思います。

・「大義がない」「争点がない」選挙だから選挙に行ってもしょうがない。そう考えて棄権する人が多いのかもしれません。争点を明確にしてくれたら選挙に行くといった言い訳も聞こえてきます。しかし、争点は政党やマスコミが作るものではなく、有権者が自ら判断して決めるものではないでしょうか。現在の日本は、政治を他人事にしておけるほど、平和でも平穏でもない状況にあります。その元凶である安倍政権が、批判の多い政策は隠して選挙をして、あと4年の延命を図ろうとしているのが今回の選挙なのです。

・前回の衆議院選挙で自民党が大勝したのは、民主党の他に第三極と呼ばれた小さな新政党が乱立したせいだと分析されています。自民党の投票総数自体は、その前の民主党政権を誕生させた選挙と変わらなかったのです。おそらく、自民党票は、今回もやっぱり同数程度になるでしょうから、対立候補の乱立を避けて一本化すれば、多くの選挙区で逆転現象が起きるかもしれません。実際いくつもの選挙区で、一本化が実現されたようです。であればなおさら、安倍政権を支持しない人たちは棄権ではなく投票に行くべきだと思います。

・僕は雪崩現象が起きて、安倍政権が自滅することを期待しています。アナクロで強権的で情緒不安定な人がまた4年も首相を続けたのでは、この国はどうしようもないところまで落ちてしまうと思うからです。マスコミは彼の提灯持ちに徹するか、仕打ちを恐れて怖々(こわごわ)批判するかの2極に分かれています。ですから、安倍政権がこの2年間でやったことについて、正面から批判的な論陣を張る新聞社はほとんどないようです。テレビ局はもっと弱腰ですが、自民党からは「中立公正に徹せよ」という要請が各局に押しつけられたと報じられました。「中立公正」が政権批判をするなという意味の「ダブルスピーク(二重語法)」であることは言うまでもないでしょう。

・もうひとつ、衆議院選挙時には、同時に最高裁裁判官の国民審査がおこなわれます。罷免したい人に×をつけるのですが、いったい誰が罷免すべき人なのか、よくわからないのが多くの人にとっての感想だろうと思います、しかし、今回はこれも違うようです。日本の選挙の現状は衆参共に一票の格差を理由に「違憲状態」という判決が続いています。その最高裁での裁定が11月26日にやはり「違憲状態」との判断を下しました。しかし、裁判官の中で、より明確に「違憲」で選挙は無効だと宣言した人が2人いたようです。

・違憲であることを訴えて選挙をしてきた弁護士グループが、国民審査でその2人以外の裁判官に×をつけるよう主張しています。違憲と言ったのは山本庸幸と鬼丸かおるの両裁判官です。この二人には何もつけず、残りにxをつけるという要請で、僕はそれを実行するつもりです。

2014年12月1日月曜日

日本百名山一筆書き

・日本の山から名山を百座選んだのは、作家で登山家の深田久弥だった。一人の判断で選ばれた山々だが、今ではそれがすっかり定着して、日本の山の価値基準になっている。一般的には高い山が多いから、ぼくはあまり登りたいと思わないし、実際、登れそうもない山が多い。その百名山を一気に登り、しかも山と山の間を歩いて移動するという試みに挑戦した人がいた。最南端の屋久島と鹿児島、紀伊水道、津軽海峡、そして最北端の利尻島にはカヤックで渡ったというから、恐れ入った冒険だと思った。

・冒険の主は田中陽希という名のプロのアドベンチャーレーサーで、その行程がNHKのBSで「グレイトトラバース・日本百名山一筆書き」というタイトルで放送された。屋久島の宮之浦岳に登ったのが今年の4月1日で、百座目の利尻山に登ったのが10月26日だから、ほぼ7ヶ月かかったことになる。その間の移動距離は7800kmで累積の標高差は10万mにもなったようだ。僕はその1回目の放送(5月24日)をたまたま見て、ずっと注目し続けてきた。

・山のガイドブックには行程にかかる時間が書かれている。僕はその時間通りに歩くことを目安にしているが、彼は大体、その倍の早さで登り、歩いている。だから一日のうちに2つ、あるいは3つの山を走破することもあった。その体力にはただただ感心するばかりだが、山登りではなく、移動のためのアスファルト歩きの方がつらそうで、体の変調が出ることが多かったようだ。

・たとえば大分県の九重山の後は鳥取の大山で、その後は愛媛県の石鎚山だった。この間半月以上を移動に使っている。アスファルトの道歩きは自転車にした方がもっと楽で早かっただろうに、どうしてそうしなかったのだろうと呟きながら見た。もっとも山に入ると元気になって、いかにも楽しそうな様子が伝わってきた。

・見ていて気になることは他にもあった、全行程を記録するために同行しているスタッフは、一緒に歩き、登っているのだろうか。いったい何人がついているのかといったことである。いい画像を撮るためには、いつも後ろから追っかけるだけではだめで、時には前から撮り、あるいは遠くから望遠でとらえることも必要になる。小型のヘリにカメラを乗せて上空から俯瞰するシーンもあったが、先回りをしたり、小走りで追い抜いたりして撮ったはずだから、撮影スタッフの方が大変だったのではと思った。

・この行程は田中自身が"twitter"や"facebook" に書き込んでいたから、山の頂上などで待ち構える人が徐々に増えていった。一番ひどかったのは関東周辺に来たときで、丹沢山では麓から頂上まで大勢の人がいて、彼自身が戸惑いを見せるシーンも映し出されていた。その多くの人たちが握手を求め、「がんばって」と声をかけ、サインをねだっていた。応援というよりは偉業に立ち会いたい。できればテレビにも映りたい。そんな自分勝手な人が多いことに、田中本人も時にストレスを感じていた。

・とは言え、テレビで放送されるからには、そういうことも予測されたはずである。装備や衣服、携帯食、サプリメント、カメラ、地図などといった必需品にはすべてスポンサーがついていたし、他にも医療関係や通信会社、それに警備会社などのサポートも受けていたようだ。おそらく、NHKからもそれなりの報酬を受け取っているはずである。プロのアドベンチャーなら当然だが、メディアイベントならファン・サービスもしなければならない。今回の挑戦で彼が勉強したのは、何よりそのことなのかもしれない。

・このドキュメントは4回に分けて放送され、最後は11月の23日だった。東北から北海道の利尻山までの行程を2時間にわたって放送する予定だったのだが、羊蹄山に登ったところで長野北部の地震で中断してしまった。田中が震源近くの白馬岳を歩いたのは6月の末だったし、噴火で死傷者を多数出した御嶽山の登頂は6月11日だった。長期間の行程であれば何が起こるかわからない。中断した後の地震速報を見ながら、僕は改めて、そんなことを実感した。

・最終回は29日に放送されなおした。御嶽山の噴火の時、彼は北海道富良野の実家にいた。蓄積された疲労がどっと出て、歩けなくなって1週間ほど休養した。だから雪の季節が間近に迫っている中を羅臼岳に登り、オホーツク沿いに稚内まで歩いて、カヤックで利尻島に渡ることになった。向かい風が最大で20mも吹き、3mの荒波で転覆もした。利尻山登頂も、強風で一度引き返している。彼の体力と意志の強さに感心したが、幸運と強いサポートがなければ達成できなかった偉業だとも思った。

2014年11月24日月曜日

紅葉とストーブ

 



forest120-6.jpg・毎年恒例になったストーブの火入れ(式?)は、今年は10月の中旬だった。最初は暗くなってから朝までで、温度も低めで過ごしたが11月に入ってからは一日中燃やしっぱなしにしている。最低気温が0度近くまで下がるようになってからは、ストーブの温度を250度以上に上げて、2次燃焼に切り替えるようになった。
・燃やし始めたら、翌年の薪を作る作業も始まる。その原木が今週やってきた。まずは4㎥で、雪の降る前にもう4㎥を注文するから、その前にチェーンソーで5等分に切って玉切りして、斧で割らなければならない。雪が積もるのが遅ければ、それも同じように薪にしてしまうのだが、雪が積もれば雪解け後ということになる。さて、今度の冬の寒さはどうなのか。厳冬ならば、さらに原木を注文と言うことにもなりかねない。

forest120-2.jpg・ストーブを焚き始めると、我が家の中は暖かくなる。最低気温が10度を切ると紅葉が本格的になるが、小さな石油ストーブで暖めるその時期が、一番寒さを感じる時間になる。もったいないから我慢をして11月になってからとしていたが、数年前から10月の後半から焚き始めるようになった。冷たい布団では夜中に何度もトイレに起きてしまうようになったから、やせ我慢はやめにしたのである。
・薪ストーブの季節になると、我が家の食事はストーブの上で作った煮物やスープ、そして鍋が多くなる。何日もかけてコトコト煮詰めたカレーやシチューは、この季節の最高のごちそうになる。自慢するわけではないが、遠くに出かけるとき以外は、近くで外食などまったくしなくなってしまった。

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・我が家の庭のカエデが今年は真っ赤に色づいた。最初は緑から黄色になり、それが少しずつ赤に変わって、すべて落ちた。庭は枯れ葉の絨毯で、歩くとふわふわして音がさくさくと聞こえてくる。枯れ葉はそのままにしておくと、やがては土に帰っていく。
・河口湖町の紅葉祭もやっと終わりになる。毎年観光客が増えて、道路は混雑する。おかげでこの時期のサイクリングは、西湖ばかりになる。高低差80mの急坂を登るのが、今年は特にきつく感じた。タイムも速くなるどころか遅くなるばかり。西湖の周回道路は人も車もまばらだが、山の紅葉は河口湖以上に素晴らしかった。ハアハアしながら、足を止めて見回すと、空と湖面の青と山の緑や黄や赤が目に入って、しばらく見とれてしまった。

2014年11月17日月曜日

ブラウン、U2、そしてディラン

Jackson Browne "Standing in the Breach"
U2 "Songs of Innocence"
Bob Dylan "The Basement Tapes"

standinginthebreach.jpg・ジャクソン・ブラウンが6年ぶりにアルバムを出した。タイトルは"Standing in the Breach"(難局にあたる)でジャケットの写真はハイチ地震の際に撮られたもののようだ。そのアルバムタイトルになった「難局にあたる」は次のような歌詞で始まっている。

この地球が揺れて、土台が崩れたとしても
私たちは集まって、もとに戻すだろう
生きている人たちを助けようと駆けつけるし
難局にあたって一緒になって世界を作り直すだろう

・社会に目を向けて、メッセージとして歌を作る姿勢は相変わらず健在だ。”If I Could Be Anywhere"(どこにでもいることができるとしても)は、永遠に続くものはないと言っても、プラスティックはずっとあって、目をつぶったって消えはしない、と歌って環境汚染を訴えているし、"Which Side?(どっちの側か)は「ウォール街を占拠せよ」の抗議運動を支援するために作られた歌である。

・ジャクソン・ブラウンはいつでも、悲惨なことや不当なことから目を逸らさないが、彼の歌には必ず光がさしている。「厳冬に生きる人がいれば、常夏に生きる人もいる。幸運に恵まれた人と、それとは無縁な人。しかし、壁を作る人がいても、ドアを開ける人もいる」("Walls And Door")というように。そんな姿勢は彼の歌い方にも現れている。「壁と扉」はジョン・レノンの「壁と橋」を思い出させる題名だが、社会学の巨人であるジンメルにも「橋と扉」というエッセイがあって、言わんとするところはよく似ている。人はもともと結合しているものを分離したがるくせに、分離しているものは結合したがる奇妙な生きものだ、という点である。

songsofinnocence.jpg ・U2の"Songs of Innocence"(無垢の歌)はiTunesに公開されてAppleのデバイスに自動的にダウロードされて問題になったアルバムだ。ぼくのiPadには残念ながら入らなかったからAmazonで買うことにした。やはりこれも6年ぶりの新作で、U2にとっては満を持しての発表だったのだと思う。だからこそ、iTunesで多くの人に聴いて欲しいと考えたのかもしれない。けれども、これまで彼等のアルバムのすべてを聴いてきた者としては、一番印象が薄いと言わざるを得ない。確かにU2らしいサウンドにはなっているが、それだけに昔の焼き直しといったふうにしか聴けなかった。
・実際、彼等はどうだったのだろうか。自信があったからiTunesで無料で聴けるようにしたのか、あるいは自信がなかったからなのか。僕は後者だったのではないかと思う。ボノには音楽以外のことでエネルギーや時間を費やさなければならないことが多すぎるのかもしれない。

thebasementtapes.jpg ・最後はディランの"The Basement Tapes"で、ブートレグ・シリーズの11作目になるものだ。バイクの事故で休養していた1967年に、ザ・バンドのメンバーとウッドストックの別荘の地下室で録音をしたデモテープで、1975年に同名のタイトルで公式に発売されてもいる。僕が買ったのは6枚組のコンプリート版で、すべてを聴くと6時間半にもなるものだ。しかも同じ曲がいくつも入っていて、熱心なファンでもなければ聴き続けられない内容になっている。とは言え、僕はやっぱり何度も聴きたくなった。

・ロックフェスの原点として伝説化している「ウッドストック」は隠遁しているディランを引っ張り出すためにウッドストックでやったと言われている。ディランは出なくて多くの人をがっかりさせたが、その間に、実験的な新しい試みをして、なおかつしばらくの間、公にされなかった曲が並んでいる。僕はもちろん、資料のつもりでこの高額なアルバムを買ったが、それ以上の価値があるとも思った。

2014年11月10日月曜日

オバマの不人気はなぜ?

・アメリカの中間選挙で民主党が負けて上下両院で共和党が多数を占めた。その理由はオバマ大統領の不人気にあったようだ。確かに最近の政策には失敗も多いし、首をかしげたくなるものもある。しかし、ブッシュの時代よりは良くなっている面も多いはずで、そこを評価しないのはなぜなのか、疑問を感じた。

・オバマ大統領は「イスラム国」なる勢力が強くなって、その対応に苦慮している。弱腰だという批判をかわすために、「プレデター」という名の無人攻撃機を使っているのだが、誤爆や民間人を巻きこむことが多いと非難されている。遠く離れたところから、まるでゲームをするかのようにミサイルを撃ち込む。しかも、標的にする根拠が、怪しい奴が集まっているとか、4駆に乗って銃を持っているとといった漠然とした場合もあるようだ。

・ずいぶんひどいことをしていると思う。しかし、それを使うのは、アメリカ兵をイラクから引き揚げるという方針を実行したからで、それを覆して再び派兵をおこなうことを避けるためである。つまり、オバマはブッシュ前大統領が9.11に対する報復としておこなった無謀なイラク戦争の後始末をさせられているわけで、現在のようなひどい状況になった責任はブッシュこそがとるべきもののはずなのである。

・今、アメリカ経済はけっして悪くない。これはブッシュの時代に起きた「リーマンショック」の後始末をおこなってきたオバマの成果だと評価されてもいいはずである。なのに評価されないのはなぜだろうか。もちろん、景気の回復の恩恵を受けているのがわずか1%の富裕層に限られるという現実があって、若い人たちの批判が強いのは事実だろう。しかし、これも、ブッシュ政権が残した制度のためだし、それを変えたくても共和党や経済界の抵抗が強いという側面もある。

・オバマ大統領が掲げた政策で実現したものに「医療保険制度改革」(オバマケア)がある。日本では当たり前の健康保険制度をアメリカに定めようとしたもので、貧しい人でも病院で治療を受けられることができるようにしたものだが、この制度についてもまた、共和党の猛烈な反対があった。民間の保険会社と契約している人にとって何のメリットもないし、保険に入れない人は自己責任だという考え方や、国の予算はできるだけ少なくする「小さな政府」が党のスローガンだという理由が挙げられている。

・オバマは大統領選挙の中途で彗星のように現れて、「チェンジ」というスローガンであっという間に民主党の大統領候補になって、選挙でも圧勝した。しかも直後には「核廃絶」を唱えたことを理由にノーベル平和賞も受けた。環境保全や自然エネルギーの開発を謳った「グリーン・ニューディール」も時流に乗って、好意的に受け取られた。だから、不人気の理由は、それだけ大きな期待を寄せられたのに、たいした成果が上がらなかったという失望感にあるのかもしれない。特に、オバマに期待をした若い人たちには、強いのだと思う。

・オバマ大統領の任期はまだ2年ある。しかしアメリカでは次の大統領についての話題がすでに熱く語られはじめている。今度は女性初の大統領の登場をクリントンに期待する声が大きいようだ。年齢的にちょっと心配だが、女性大統領の登場はいいことだと思う。と言うよりはオバマの前にやるべきだったと今さらながらに感じている。

・共和党支配の議会とのねじれによって、オバマ大統領はまだ2年も任期があるのに、レームダックになったと言われてしまっている。何をやろうにも議会の反対にあって何もできないことが予測できるからだ。しかし、だからこそ、今までやろうとしてできなかったことを次々政策に掲げて、議会と対決するという姿勢に転ずることもできるのではないかと思う。

・これから数十年たってオバマがアメリカの歴史の中でどのように評価されるか。僕はブッシュとは雲泥の差で「名大統領」として評価されのではないかと思っている。とは言え、大統領について選挙のたびに夢を作り出して熱狂しては、数年後に落胆するくり返しをまたやろうとしていることには、多少のうらやましさもあるが、半ば呆れている。

2014年11月3日月曜日

 

老人力とは言うけれど

・赤津川源平が死んで、彼がポピュラーにした「老人力」ということばがまた、話題になりました。そう言えば、そんなことばがあったな、と思うと同時に、心身の老化を自覚することが多くなったこともあって、以前とは違う意味でいろいろ考えてしまいました。

・「老人力」は老化による衰えを読み替えて、積極的な意味を持たせようとしたことばです。これを耳にしたときには「なるほどそういう解釈の仕方もあるか」と思いましたが、いざ心身の衰えを自覚しはじめると、なかなか積極的な読み替えはできない自分に気づかされてしまいます。衰えはやっぱり不都合なこととして、自分に不意に襲ってきた災難のように感じられてしまうからです。

・わかっているはずの名前や地名が出てこない。ことばの引き出しにガタがきたのか、それともどこかにうっかりしまい忘れてしまったのか。思い出そうとしても全然出てこないのに、しばらくすると、何でもなかったように口をついて出る。笑って済ませる程度でなくなってきていますから、ちょっと不安を感じるようにもなってきましたた。

・もっと心配なのは体の方です。耳が遠くなったという自覚もありますし、目の疲れもひどくなりました。仕事を終えて夜、車で帰宅するときに、前を走る車の尾灯が二重に見えたりします。パソコンにタブレット、そしてスマートフォンなどを毎日長時間見つめているせいか、文字がぼけて見えたりすることも多くなりました。小さい字が読みにくくなって、本を読む時間も減りましたし、原書を読むことが億劫になりました。

・もっと困っているのは、トイレの近さです。特に最近体調を崩して熱を出したときには、数日間、一時間と持たないことが続いて難儀しました。慌ててトイレに駆け込んでも、ちょろちょろとしか出ないのですから、もう情けないやら呆れるやら。さっそくネットで漢方薬を買いましたが、効き目があるのかどうか、よくわかりません。熱を出した原因が何だったかよくわかりませんし、その後は、元通りにではないにしても、トイレに行く回数はそれほど多くはなくなったからです。

・テレビはBSを見ることが多いのですが、老化を防ぐ薬のたぐいのCMが多いのに、改めて気づかされています。無関心だったのが、そうではなくなった、こちらの変化のせいだと思います。同世代のタレントが「一度試したら手放せない」などと言って勧めています。「アホくさ」と思っていましたが、自覚があるとちょっと気になってしまう。そんな自分の変化にも老いを感じてしまいます。

・人の弱みにつけ込む手口は「オレオレ詐欺」が顕著です。何でと思うほど引っかかる人が多いようで、狙われているのは大半が老人です。しかし、テレビのCMや新聞雑誌の広告、それにネットのバナーなど、世の中にはそんなものが満ちあふれていますから、ついつい手を出してしまう人も多いのだろうと思います。欺されるはずがないではなく、気をつけようと考えるようになりました。

・つい半世紀前までは、人生50年と言われていましたが、今では平均寿命が80を超えました。最後まで五体満足というわけにはいきませんから、医者や薬に頼るということは避けられないでしょう。そこのところをどうやってうまくやりくりするか。そんなことを自分の身近な問題として考えざるを得ない時期になったことを自覚する、今日この頃です。

2014年10月27日月曜日

二人の信頼できる外国人

ピーター・バラカン『ラジオのこちら側で』岩波新書、他
アーサー・ビナード『亜米利加にも負ケズ』新潮文庫、他

・日本に住む外国人で、公に活動している人はたくさんいる。けれども、僕が信頼しているのはそれほど多くない。
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・ピーター・バラカンはロックやブルース、それにワールド・ミュージックをラジオなどで紹介し続けてきた人だ。実際僕も、彼の勧めるミュージシャンのアルバムを買ったことが何度もある。『ラジオのこちら側で』は、イギリス人の彼が日本に来たいきさつから始まって、日本でこれまでどんな仕事をしてきたのかを綴った内容になっている。

・大学を出た後しばらくぶらぶらしていた彼が日本に来るきっかけになったのは、音楽業界紙に載った東京の音楽出版社の人材募集の記事だった。大学で日本語を専攻していたこともあって、応募したことが、その後40年間、日本に住んで音楽を中心に仕事をする方向を決めた。

・そんな彼が日本でしてきたことは、一言でいえば、質のいい洋楽の紹介である。『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)といった著書があるように、歌が伝えるメッセージを紹介することにも熱心だった。日本人は音楽の歌詞にはあまり興味を持たないし、とりわけ洋楽については顕著だが、彼には、そんな傾向を改めてやろうという野心があったのかもしれない。

・僕はそんな彼の姿勢にずいぶん前から共感して、彼のラジオ番組や書いたものに注目してきたが、残念ながら、日本人の歌のメッセージを軽視する傾向は、改まるどころか、ますますひどくなっている。というよりは、若い人たちが洋楽そのものを聴かないことが当たり前になった感さえある。その意味では、彼がラジオで訴えようとしてるメッセージは、彼と同世代の洋楽好きの日本人にしか伝わっていないのかもしれない。

binard1.jpg・アーサー・ビナードはアメリカ人で、大学では英米文学を専攻していたのに、卒論を書くためにたまたま出会った漢字や日本語に興味を持って来日した。そのまま日本に居続けて、詩などの文学を通して日本語に興味を持ち、自ら日本語で詩やエッセイを書いたり、日本人の詩や童話を英訳、あるいは英語の本の日本語訳などをしたりしている。

・『亜米利加ニモ負ケズ』を読むと、彼の言語に対する感覚の鋭さや日本の歴史や文学の知識の多さや深さに驚かされる。たとえば飲み物の「ラムネ」は「レモネード」から転じた和製英語だが、炭酸のあるなしで味はまるで違う。しかし、彼は、だから「ラムネ」は偽物だとは言わない。それどころか「ラムネ」は仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』に登場し、鴎外の小説や虚子の俳句にも詠れている。日本人にとっては夏の風物詩や季語として扱われていることに敬意を表することを忘れない。

・彼は毎日の食事に、豆腐や梅干しや納豆が欠かせないと言う。あるいは、日本の自然や文化に対する愛着の程度もかなりのものである。そんな彼は、ビキニ諸島でアメリカがした核実験で被爆した「第五福竜丸」を題材にした『ここが家だ』(集英社)という絵本を作り、福島の詩人の若松丈太郎と『ひとのあかし』を翻訳している。また、原発再稼働を阻止する運動に出かけ、沖縄の辺野古にも行って基地建設に反対する集会に参加している。

・彼は自らを愛国主義者だと言う。ただしそれは盲目的な愛国ではなく、母国の短所を見抜き、指摘して改善を促すという意味での愛国である。盲目的な愛はエゴイスティックで、そのことに無自覚だから、時にストーカーにもなりかねない。そんな「盲愛国主義者」は美化したものを本物として見なして国の批判を許さない。今の日本がこんな状況になりつつあるなかでは、彼のようなスタンスこそが大事だろう。

・彼の愛国主義はアメリカだけでなく、日本にも向けられている。そしてその姿勢を、多くの日本人は忘れてしまっている。と言うよりは、自覚したことがないのかもしれない。