2017年9月18日月曜日

中川五郎『どうぞ裸になってください』

 

goro1.jpg・中川五郎は僕と歳が同じだ。フォークソングを歌い始めて50年になるが、今でも精力的に全国各地を歌い歩いている。その彼が67歳の誕生日に下北沢のラ・カーニャでライブを行った。『どうぞ裸になってください』はその時の模様を記録したもので、CD2枚組で14曲が収められている。

・中川五郎が歌い始めたのは高校生の時だった。ボブ・ディラン、ウッディ・ガスリー、ピート・シーガーなどの歌を訳して歌い、あるいはメロディを借りて替え歌を作ったりした。その中の「受験生ブルース」が高石友也の歌でヒットして、一躍話題になった。僕も同じ頃にフォークソングに夢中になったが、歌うのは数年でやめてしまった。しかし彼は、その後もずっと続けて、50年を超えるまでになった。

・もっとも彼も、歌よりは音楽評論や翻訳、あるいは小説の執筆などを中心にした時期があった。その『渋谷公園通り』と『ロメオ塾』については以前にこの欄で紹介したことがある。その時には中川五郎は作家を目指しているのでは、と書いたが、以後はチャールズ・ブコウスキーを中心にした翻訳と、ライブ活動にその時間とエネルギーの多くを費やしてきたようだ。彼の訳したブコウスキーは何冊も読んでいるし、何より彼の音楽評論で教えてもらったミュージシャンはたくさんいる。僕にとっては、大事な情報源になっている。

・『どうぞ裸になってください』は全曲がメッセージに溢れている。「運命運命運命」は玄侑宗久『お坊さんだって悩んでる』から、「言葉」は寮美千子『奈良少年刑務所詩集』から、そしてアルバム・タイトルの「どうぞ裸になってください」は、村山槐多の詩をもとにしている。そのほかにも「真新しい名刺」は金素雲、「消印のない手紙」は長峰利造、あるいは「1923年福田村の虐殺」は森達也『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』からヒントを得ている。彼が、これらを歌にして伝えようとしているのは、社会から排除されたり、差別を受けた人たちの生の声であったり、関東大震災におけるデマと虐殺といった事実の伝承である。

・もちろん、自作の歌もあって、それもまた社会のおかしさに対する批判に満ちあふれている。「Sports for tomorrow」は東京オリンピックとアンダーコントロールがテーマだし、「二倍遠く離れたら」は東日本大震災と福島の原発事故の被害者の視点に立っている。あるいは「一台のリヤカーが立ち向かう」には横須賀基地や上関の原発に反対する運動と、公民権運動のきっかけになったバス事件やガザで石を戦車に投げる子ども、あるいはギターを持って抗議したガスリーやビクトル・ハラを歌っている。

・中川五郎の出発点は歌を訳して歌うことだったが、このアルバムにはジョン・レノンの「イマジン」とボブ・ディランの「風に吹かれて」が収められている。他にも金子光晴の「「愛情60」や高野文子の絵本「しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん」などもあって、彼が歌に込めた主張や思いの集大成といった感がある。「音楽に政治を持ち込むな」などというガラパゴス的発想のミュージシャンやファンが多い日本の現状の中で、そもそもフォークやロックをはじめ、ポピュラー音楽の原点になっているあらゆる音楽が、メッセージから出発していることを、改めて教えてくれる希有なアルバムだと思う。

2017年9月11日月曜日

再び、青木宣親選手に

 

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・青木宣親選手については、3ヶ月前のこのコラムで触れたばかりです。所属チームのヒューストン・アストロズは快進撃を続けていましたが、青木選手は準レギュラーで、思うように活躍できない状態でした。彼がMLBに行ってからずっと注目してきましたが、ここ数年は満足のいくシーズンを過ごせませんでした、で、応援のメッセージを書いたのですが、彼は7月末に、下位に低迷するトロント・ブルージェイズにトレードされてしまいました。

・準レギュラーとは言え、それなりの活躍はしていていましたから、ポスト・シーズンは間違いなしだったのです。それが、よりによってなぜトロントなのか。ニュースを聞いてがっかりしましたが、それは青木選手自身の方が何十倍も大きかったはずです。トロントは彼が移籍してすぐに、ヒューストンでアストロズと対戦しました。そこで青木選手はホームランを打って恩返し、というよりはざまーみろ!といった活躍をしたのです。

aoki3.jpg・その後風邪で休んだりもしましたが、なかなか出させてもらえない状態が続きました。三振ばかりで打てない選手を引っ込めて青木選手を使えよと腹が立ちました。とは言え、テレビでの中継はほとんどありませんから、もっぱらネットで追いかけていました。彼は今年も0.270前後の打率を残していて、それはトロントに行ってからも変わりませんでした。ホームランも出るようになって、レギュラーに定着してもおかしくない成績だったのです。

・ところが、8月末にまた、トロントは青木選手を自由契約にしました。プレイオフ進出の望みがなくなって、9月は若手の育成期間に切り替えるというのが理由でした。そのニュースがあった日の試合で、彼は4打数3安打で、ホームランを1本打っていたのです。監督は、プレイオフに出るチームと契約できるチャンスでもあると言いましたが、その期限である8月31日までに、青木選手と契約するチームは現れませんでした。

aoki4.jpg・9月に入って、ニューヨーク・メッツが青木選手と契約を結びました。メジャー・リーグは契約すればすぐ出場となるのですが、対戦相手はなんとまた、アストロズでした。ヒューストンはハリケーンによる水害で大変なことになっています。アストロズはそのために3試合ほどフロリダで球場を借りてゲームをしました。まだ町に水が溢れている中での試合でしたが、青木選手はトップバッターとして1安打しましたし、翌日には2番バッターで4打数3安打の大活躍でした。チームが決まるまでの数日間、彼は公園で、少年たちが野球をする脇で、キャッチボールなどをして、身体がなまらないようにしていたと言ってました。

・メッツの監督は以前にオリックスで指揮を執った経験のあるコリンズです。青木選手のことを知っているし、日本人選手の特徴もわかっている人です。今までと違って上位でレギュラーとして出場させるつもりのようです。青木選手は例年9月には大活躍をしてきました。あと一ヶ月頑張って、来年度のいい契約を勝ち得て欲しいと思います。どんな状況におかれても、腐らないし諦めない。そんな彼の精神的な強さに、改めて敬意を表したくなりました。

2017年9月4日月曜日

光岡寿郎『変貌するミュージアム・コミュニケーション』 (せりか書房)

 

・「ミュージアム」は日本では「美術館」と「博物館」に二分されていて、最近では「ミュージアム」自体も使われている。絵画と彫刻が中心の美術館はともかく、「博物館」にはさまざまな種類がある。さらに「ミュージアム」となると、一体何が展示されているのか。百花繚乱のように見えるし、玉石混淆にも思える。研究の場、学習、あるいは娯楽の空間?。「美術館」にしても「博物館」にしても、「ミュージアム」はずいぶん様変わりした。本書はそんな「ミュージアム」をテーマにした、本格的な研究書である。

museum1.jpg・美術館や博物館には今でも、堅苦しさやまじめさといったイメージがつきまとっている。そこは何より教育や教養の場であって、ミュージアムが指示したとおりに鑑賞し、学習しなければならないことを暗黙のうちに強要されがちだからである。しかし本書によれば、「ミュージアム」には、そのあるべき形態を巡っていくつもの論争があり、また時代の変化に伴った変容の模索も行われてきたようだ。著者はその歴史的・理論的推移を主に「コミュニケーション」をキーワードにして分析している。

・「ミュージアム」という空間は、そこに展示されたものと、それを鑑賞し、また展示物についての説明を見聞きする来館者の間にコミュニケーションを生成させることを目的にしている。そこに堅苦しさやまじめさといったイメージを持つのは、「ミュージアム」が基本的には教育の場であり、来館者は学習するためにやってくる(べきだ)と考えられてきたからだ。そして、来館者を受動的な存在ではなく、より積極的で自主的な人と見なすべきだとする主張やそのための変革がなされてきた。

・もっとも本書は主に、英米の「ミュージアム研究」を使って考察されていて、日本のミュージアムやその研究についてはほとんど触れられていない。僕の経験からすれば、日本のミュージアムは今でも、来館者を受動的な存在として見る姿勢が強いのではという印象が強い。順路に従え、私語をするな、飲食物を持ち込むな、触るなと、禁止事項がやたら多い気がする。それに比べれば、欧米で訪ねた「ミュージアム」には、確かに、もっと自由に鑑賞できる雰囲気があった。館内のカフェでランチをして、一日ゆっくり過ごせる場所がいくつもあったのである。

・「ミュージアム・コミュニケーション」の変容にはもう一つ、20世紀に登場したさまざまな新しいメディアをどう取り込んで活用するかといった問題もあった。本書ではその点についても、ラジオ、テレビ、インターネット、そしてミュージアムが提供する携帯型端末や来館者が所有するスマホについても詳細に言及している。それはもちろん、「ミュージアム」という空間における、その管理者や展示物と来館者の間に生起するコミュニケーションを主題にするが、また同時に、インターネットや携帯端末の発達が、ヴァーチャルな「ミュージアム」を作りだして、現実の場や実物を相対化してしまうのではといった指摘もある。確かに、混雑した会場で、立ち止まるなと言われて人混み越しに垣間見るよりは、インターネットでじっくり見た方がずっといいと思うことも少なくない。

・僕はこの本を読みながら、「ミュージアム」から離れてしまう自分をくり返し自覚した。最近の動物園や植物園の変容は「ミュージアム」をはるかに超えているし、「ミュージアム」と名のつく娯楽施設の乱立をどう捉えたらいいのだろうか。本物とそのコピーの主客転倒は、映画やアニメといったフィクションと、その舞台を聖地化して訪れる巡礼に典型だし、そもそも「ミュージアム」に展示されているものの多くは、それらがもとあった場所から移動させて集めたものである。それはすでに何かが死んでしまった遺物〔シミュラークル)だと言ったのはボードリヤールで、「ホンモノ」というなら、もとあったところに戻すべだと言いたくなってしまう。

・とは言え、本物の展示物に出会い、それをつぶさに経験することには、やっぱり大きな価値があるとも思う。その経験の場や空間としてミュージアムはどうあるべきか。本書はそのことを真摯に、詳細に分析した好著だから、誰より日本の「美術館」や「博物館」あるいは「ミュージアム」で働く学芸員に読んで欲しいと思った。

2017年8月28日月曜日

NHKの抵抗?

 

・NHKのニュースは相変わらずABEチャンネルだが、個々の番組には、面白いものや教えられるものが少なくない。特に敗戦記念日前後のものには、歴史を丹念に掘り起こし、証言を集めた番組が続いた。しかも、NHKのサイトには「戦争証言アーカイブス」が設けられていて、無料で公開されている。会長が変わって、作りたい番組が作れるようになったのだろうか。あるいは、NHKの姿勢に抵抗する制作者たちががんばっているのだろうか。

・アーカイブに公開されているのは、まずNHKスペシャルの「ドキュメント太平洋戦争」の1から6で、それぞれ「太平洋・シーレーン作戦」「ガダルカナル」「マリアナ・サイパン」「ビルマ・インパール」「レイテ・フィリピン」「一億玉砕への道」をテーマにしている。また「わたしの戦争体験」では、瀬戸内寂聴、小林桂樹、淡島千景、宝田明に話を聞き、証言記録としてはそのほかにも、「日本人の戦争1、2」「シベリア抑留」「満蒙開拓青少年義勇軍」「台湾先住民"高砂族"の20世紀」。そして巨大戦艦大和、乗組員が見つめた生と死」といった番組が列挙されている。。

・このアーカイブは他にも、1940年代から始まって映画館で上映された「日本ニュース」や戦後の「朝日ニュース」、そしてテレビが始まった1953年から現在に至るまでの膨大なニュース映像が掲載されている。あるいはSP盤レコードに保存された戦時録音資料として、「開戦時のラジオニュース」,さまざまな「演説」、戦況を伝える「勝利の記録」や「報告」そして玉音放送などもある。

・きわめて貴重な資料が大量に集められて公開されているのだが、検索についても丁寧に作られていて、「所属組織から」「地図から」「年表から」調べて見つけることができる。また、NHKがこれまでに製作した太平洋戦争をテーマにした「特集」も見ることができるようになっている。

・一気に見ることなどできない膨大な資料映像で、一体これをいつまで公開してくれるのだろうか。政府や自民党からクレームが来て削除されることはないのだろうか、と心配になる。もっともこのサイトは今年ではなく、2015年から続いていて、徐々に充実させているもののようだ。政策担当者へのインタビューによれば、学校など教育現場で利用してもらえることを心がけていて、学校向けの冊子なども作っているようだ。

・NHKにはうんざりという印象を持ってから、もうずいぶんになる。だからこそ、組織のなかで頑張っている人たちがいることには、少しだけ救われる気にもなる。けれどもまた、毎日のニュースで取りあげる出来事や、その報道の仕方の偏向とのあいだに、同じ放送局とは思えないほどの乖離を感じてしまう。NHKは前文科省次官の前川喜平にインタビューをしながら放送しなかったし、加計学園の獣医学部の建設図面が公開されても、一切放送していないようだ。そのくせ、北朝鮮のミサイルについてはくり返し流している。

・とは言え、この乖離は、もっと顕著なものになって欲しいと思う。政治的なスタンスを別にすれば、見て面白い番組を作っているのは圧倒的にNHKなのは明らかだろう。間違っても、政治力によってつぶされることがないように。民法には、みたいと思う番組自体が、ほとんどなくなっているのだから。

2017年8月21日月曜日

空梅雨明けから雨ばかり

 


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小雨で河口湖の鵜ノ島がもうすぐ陸続きになりそう


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forest143-5.jpg・梅雨とは言えほとんど雨がふらない日が続いた。河口湖の湖面もずいぶん下がって、鵜ノ島がもうすぐ陸続きになりそうにまでなった。豊富な地下水で町の水道は全国一安いと言われているが、水量が落ちているので節水に協力をという放送があった。地下水が直近の雨に左右されるとは思わなかった。で、暑いから風呂ではなくシャワーにするようになった。
・家の周辺のヤマユリが今年もよく咲いた。毎年のように増えている。で、ヤマユリが消えたら姥ユリが咲き始めた。植物は時期がくれば必ず顔を出す。しかしその季節がここ何年も不安定だ。空梅雨だったのに明けたと宣言されたとたんにぐずつく天気ばかりになった。降れば土砂降りで、付近でも土砂崩れがあった。

forest143-4.jpg・空梅雨だったから、自転車にはよく乗った。西湖まで行くと80mの上り坂がある。きついが登り切ったところでいつも応援してくれる人たちがいる。大人が二人、子どもが三人だ。西湖を一周したところでまた、この人たちが迎えてくれる。いつもは横目で通り過ぎるのだが、立ち止まって御礼代わりに写真を撮った。
・8月に入ると毎日曇り空で、時折雨が降る天気が続いた。さて、自転車はどうするか。雨が降る前の午前中にしたり、雨上がりの午後にしたり。ここのところすっかり、一日のメーンイベントになっている。日に照らされても、雨にずぶ濡れになっても、5人の案山子が待っている。だから今日も頑張って行くか。そんな気にさせる人たちだ。

forest143-6.jpg・ところで、庭のミョウガもやっと収穫できるようになった。空梅雨で遅れていたが、連日の雨で息を吹き返したようだ。まずは薬味に、それから天ぷら、あとは梅酢につけて少しずつ楽しむことにしようか。
・そう言えば、西湖に向かう急坂に生えている栗の木も、緑の毬(いが)をつけ始めている。うまく収穫できれば、正月の栗きんとんになる。ただし、年によって数も大きさも味もまちまちだから、今年はどうか。出来具合を確かめるためにも、せっせと西湖通いをしなければ。

2017年8月14日月曜日

愚かすぎる東京オリンピック

 

・陸上競技の世界選手権がロンドンで開かれた。イタリアは40度を超える猛暑のようだが、ロンドンはマラソンにも適したほどの涼しさ〔寒さ?)だったようだ。他方で3年後に予定されている東京では、37度を越えた日もあったし、突発的な豪雨に見舞われたりもした。すでに亜熱帯化している東京でなぜ、真夏にオリンピックをやるのだろうか。マラソンはもちろんだが、屋外で行われるどんな競技にとっても、過酷な条件とならざるを得ないだろう。選手はもちろん観客だって、暑さに倒れ、死者だって出るかもしれない。こんな愚行が他にあるのだろうか、と思う。

・ところがマスコミからは、こんな疑問は全く聞こえてこない。テレビにとってはオリンピック中継は一大イベントだし、新聞社も協賛しているからだ。それは出版にとっても変わらない。週刊誌でオリンピック批判の記事を見かけることは滅多にないし、書籍についても、大手の出版社からは批判的な内容の本はほとんど出ていない。以前にこの書評で取りあげたオリンピック批判の本も小さな出版社だった。〔→〕

・20年の東京オリンピックは7月24日から8月9日の日程で開催される。梅雨明け前後で、一年で一番蒸し暑い時期だし、台風だって今年のようにやってくるかもしれない。そんな風に思っていたら久米宏が7月22日放送の「ラジオなんですけど」(TBS)で、「今からでも東京オリンピック・パラリンピックは返上すべきだ」と発言した。この番組では6月にも、リスナーに「今からでも返上すべき?」というテーマで投票を呼びかけていて、2000票を超えるうちの83%が返上に賛成をした。〔→)このラジオの聴取者は高齢者が多い。60歳以上が800票を超え、その9割が返上すべきと答えている。他方で20歳代は50票ほどだが、返上は57%にとどまっている。

・3年後の開催に合わせた発言は、これ以外には聞かなかったが、日刊ゲンダイが31日に「久米宏氏 日本人は“1億総オリンピック病”に蝕まれている」と題した直撃インタビュー記事を掲載した。彼が東京オリンピックに反対する理由は暑さだけではない。これ以上東京一極集中進めるべきではないこと、招致を巡る黒い金スキャンダル、エスカレートする国家間競争などがあって、至極もっともな主張だと思った。

・そもそも築地市場の移転だって東京オリンピックが絡んでいたし、「テロ等防止法」〔共謀罪)の成立理由もオリンピックのためだった。オリンピックを夢のイベントのようにイメージ操作をして、そのためと称して、やりたいことをやる。そんな薄汚い政治にオリンピックが使われている。そしてオリンピック自体も、スポーツを餌にしたグローバルな経済行為に変質してしまっている。大会の招致に手を上げる都市が少なくなって、東京の次ばかりでなくその次までも、今手を上げているパリとロサンジェルスに決めてしまうようだ。

・オリンピックを返上すると1千億円のペナルティが科されるようだ。しかし、オリンピックが終わった後に大不況がやってくると警鐘を鳴らす人は多いし、日本の財政状況は借金まみれで破綻寸前にあると指摘する人もいる。国立競技場の建設についても自殺者が出るほどひどい状況のようだ。冷静に見たら、返上についての論議がわき起こって当然だと思うが、久米宏の発言に応える動きはほとんど見られない。今、新聞社がオリンピック開催について賛否を問う世論調査をすれば、反対票がかなりの数に上ることは明らかなのに、なぜそれをやらないか。東京オリンピック開催に積極的なのは政権や東京都はもちろん、テレビや新聞社や大手出版社、それに何より電通という悪名高い広告代理店だからである。これこそ本当のイメージ〔印象〕操作に他ならない。


2017年8月7日月曜日

鳥海山、月山、そして蔵王

 

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・4泊5日の予定で、鳥海山、月山、そして蔵王に出かけた。と言っても、山登りをしたわけではなく、車で行けるところまで行って、後はプチ・トレッキング程度だった。家を6時に出て、中央道、圏央道、関越自動車道、日本海東北道を通って、鳥海山の麓の山荘に着いたのが3時過ぎ。久しぶりの長距離ドライブだった。さっそく鳥海高原ラインで1170mまで行ったが、快晴で頂上がくっきり見え、雪渓がいくつもあった。歩くのは明日にして、持っていった折りたたみ自転車で山荘までダウンヒル。700mほどの高低差を30分ほどで走った。気持ちがよかったが、ブレーキを握りっぱなしだった。


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・翌日はもう一回車で上り、雪渓のある滝ノ小屋まで歩き、月山まで移動した。スキー場近くまで行き、また宿まで自転車に乗り、1150mから550mほどの高低差を20分で下った。次の日の月山歩きは弥陀ヶ原で、宿のある南面から北面に車で移動した。2kmほどの木道の周回コースを一回り。今日も快晴で鳥海山も月山もよく見えた。月山は出羽三山のひとつで、その三つをまとめて祀る神社のある羽黒山の麓まで出かけた。

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・4日目は月山から山形市を経て蔵王に移動。エコーラインを刈田まで行って、リフトでお釜まで上がった。そこからお釜巡りをして避難小屋まで行き、コマクサを探してまたリフトまで戻った。4kmほどだったがお釜の景色は壮観だった。宿の温泉は硫黄のにおいが強い強酸性泉で、日焼けした腕がちくちくとしみた。最終日は米沢を経由して福島から一気に帰宅。長距離ドライブで、さすがにぐったり疲れてしまった。ご飯がおいしくて、連日おかわりをしたから、おなか周りがちょっときつくなってしまった。また自転車に励まねば………。

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