2019年3月11日月曜日

辞める人、辞めさせられる人

 

・NHKがひどい。ニュースに関するかぎり、もう中国や北朝鮮と変わらない、国営放送そのものだ。『安倍官邸VS.NHK』(文藝春秋)を書いた元NHK記者相澤冬樹が、「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送)に出て、NHKが変節したポイントに、ニュース番組から大越健介を交代させ、「クローズアップ現代」から国谷裕子を降ろしたことをあげていた。2015年から16年にかけての頃で、古賀茂明が「報道ステーション」(TV朝日)、岸井成格が「ニュース23」(TBS)を辞めさせられたのもほぼ同時期だった。安倍首相がメディアに積極的に介入し始めた時で、この後も、辞めた人、辞めさせられた人、なくなった番組などは少なくなかった。ついでに言えば、最近問題になった統計不正が頻繁に行われ始めたのも、この頃からのようだ。

・安倍政権がどんなにひどいものか。テレビはそれをほとんど取りあげない。だからだろうか。政権の支持率は五割を超えたままだ。しかし、対照的に、ラジオには、キャスターやコメンテーターが日々の政治状況を強く批判する番組がいくつもあった。ぼくの家では東京のラジオは受信できないが、ネットからなら聞くことができる。TBSには「ラジオCLOUD」があり、文化放送には「ポッドキャスト」がある。さらにYouTubeにはさまざまな番組の全部や一部を聞くことができるチャンネルが数多くある。

・よく聞いている番組には「荒川強啓デイキャッチ」と「大竹まことゴールデンラジオ」がある。コメンテーターやパートナーによって聞かない日もあるが、夜にチェックするのが日課になっている。ところがその「デイキャッチ」が3月で放送を終了することになった。1995年以来24年も続いた番組で、今でも聴取率は高かったという。もちろんやめる理由は荒川本人のものではない。終わるのは「番組としての役目が終わった」ということだが、おもしろいとか役に立つと思って聞いている聴取者がたくさんいるのだから、終わってなどいないはずである。いよいよ政権の圧力がラジオにまで及んできたか。そう思わずにはいられない出来事である。

・もう一つ、よく聞いている「大竹まことゴールデンラジオ」は大竹本人の腰痛で、昨年から今年にかけては本人不在で放送されることが度々あった。荒川より若いとは言え、彼も今年70歳になる。コメンテーターにお笑い芸人を多数使っていることもあって、下ネタで笑いをとることも多いが、その話題が大竹自身の老化現象であったりするから、ぼくにも思い当たる節があって、笑いながらも、共感することが少なくない。

・ただし、政治や経済の問題については、テレビはもちろん、ラジオの他局よりも先鋭的で、一部で話題になってもメディアではあまり取りあげない人や事件を登場させることが多かった。たとえば、元文科省次官の前川喜平、TBS記者に強姦された伊藤詩織、不当逮捕され、裁判で無罪になった官僚の村木厚子等々で、他にも、大竹本人が本気で怒りをぶつけるような発言があって、これについても共感することが多いのである。体力や気力を理由に辞めたりしないようにと思うばかりである。

・この番組に限らず、ラジオにはテレビとは違って、政治問題を正面から取りあげて、批判的なコメンテーターに歯に衣着せぬ発言をさせる番組が少なくない。テレビとラジオは同じ系列下にあって、TBSは言うまでもないが、文化放送と日本放送はフジテレビである。フジテレビは産経新聞の系列で、朝日新聞とテレビ朝日、読売新聞と日本テレビ、日本経済新聞とテレビ東京など、日本ではアメリカでは禁止されている「クロスオーナーシップ」が当たり前になっている。

・系列化していれば当然、新聞とテレビは政治に対して似たようなスタンスをとる。読売新聞と日本テレビ、産経新聞とフジテレビ、朝日新聞とテレビ朝日、毎日新聞とTBSだが、ラジオの文化放送には同系列の日本放送以上に、産経やフジのスタンスとは違うものを感じている。ネットで調べると、フジサンケイグループでありながら独自色を強く出す方針があって、それは開局以降の歴史にもよるようだ。もともとはカトリック布教を目的に開局され、その後の労働争議などによる混乱時に旺文社や講談社といった出版社が参加して再建して「文化放送」という名になったようだ。だから、テレビ朝日や日本テレビとも野球やマラソン、駅伝などのスポーツ番組で連携する場合がある。

・ラジオはテレビに比べて聴取者の数が少ないし、年齢層も高いといわれている。音声だけのメディアだということもあって、その影響力はテレビの比ではないだろう。しかしそれ故に、テレビではできない放送も可能になる。そんなラジオの特性に魅力を感じて、死ぬ間際まで登場していたのが永六輔だった。そしてその姿勢を受け継いでいるのが久米宏である。彼が毎週土曜日に登場している「久米宏ラジオなんですけど」も、ぼくが欠かさずネットで聞いている番組だ。彼もまた70歳を超えていて、大竹同様、いつまで続けられるのか心配だが、本人はまだまだやる気があった荒川強啓のように、番組自体を終了させられたりしないように願うばかりだ。

2019年3月4日月曜日

なぜこんなひどい政権を支持するのか

 

・政権のひどさはとどまる所を知らないほどなのに、支持率は相変わらず五割前後にとどまっている。信じられない気がするが、そう思い始めてからもう2年も3年も経っている。その間にどれほどのスキャンダルや、行政機関の不祥事が明るみに出たことか。森友・加計問題はうやむやのままだし、文科省、財務省、厚労省、総務省と、官僚制度はがたがたになっている。これはもう犯罪だろうと言うほかはない事件が続いているのに、警察や検察はまったく動こうとしない。

・北方領土の返還交渉ではロシアに押されっぱなしだし、トランプの言うがままに武器や兵器を買わされている。米朝会談については日本は完全に蚊帳の外だ。原発の海外輸出をしきりに宣伝していたが、ヴェトナムやトルコ、そしてイギリスでも、計画が頓挫した。外交の安部を売り物に、しょっちゅう外遊をしてきたが、その成果はほとんどなかったというのが実情だろう。しかしのその間に、海外にばらまいたお金は莫大なものになっている。

・政権は国の現状を明らかにする統計資料にまで都合のいい改竄をしていたという。景気を良く見せるため、実質賃金が上がっているように思わせるため、雇用率が上がっているように見せかけるために、調査方法を変えたのではという疑いである。これは業績不振に陥った企業がする最後の悪あがきとと同じ手法である。結果は状況をさらに悪化させて倒産ということになるが、日本という国がそうならないという保証はどこにもないのである。

・株価と円は、政権の支持率を維持するために欠かせない数字だと言われてきた。しかし、それもまた操作され続けている。株価を維持するために日銀や年金機構が投入している金額もまた莫大なものである。国の借金が1000兆円を超えているというのに、日銀のどこにそんなお金があるというのだろうか。日銀は円を好き勝手に発行できるところだと勘違いしているとしか思えないのである。年金機構は国民の年金を預かっている所である。資産運用によって資金を増やすことを目的にしているとは言え、政権のために大きな損害を被る危険性もある。年金を受給される人たちがどんどん増えて、逆に、納める人たちの数は減るばかりだから、このままではいずれ破綻することは分かっている。

・沖縄で辺野古基地についての県民の考えを問う住民投票が行われた。投票率が50%を越え、その七割以上が反対の意思表示をした。しかし政権はその意思を無視する態度に出て、工事を続行している。そもそも辺野古と普天間は連動などしていなかったはずで、もうとっくに返還されていたはずのものだった。辺野古をやめれば普天間は帰らないというのは、政権の脅しに他ならないのである。もっとも、辺野古には軟弱地盤があって、難しい工事にこれから何年もかけなければならないようである。あるいはできても、滑走路が短いから、普天間はやっぱり使い続けると言われかねないのである。

・こんな状況なのに、面と向かって批判をするメディアは皆無だ。NHKは政権の宣伝機関であることを恥ずかしげもなくあからさまにするようになっている。沖縄での住民投票について、その第一報を、反対が投票者の七割ではなく、全住民の四分の一だと報じたそうだ。少なく見せるこそくなレトリックと言うほかはない。また、「平成」の次は「安」の字をなどというキャンペーンをそれとなく始めているから、独裁政権の宣伝機関とかわらない。

・官房長官の記者会見で孤軍奮闘している東京新聞の望月記者に対して、菅は嫌がらせや、まともに答えないといった態度で対応していたが、よっぽど嫌なのか、排除しようとする強行姿勢を見せた。菅の態度は傲慢だが、記者たちがその場に大勢いるのに、望月記者に加勢する者がほとんどいないというのは、ジャーナリストとは言えない態度だろう。

・でたらめな政権を批判し、ブレーキをかけるのは立法機関である国会の役目だし、犯罪性があれば警察や検察、そして司法の役割である。もちろん、第4の権力と言われるメディアも、もっと強い態度に出なければならないはずだ。それらが無力化しているから、政権を担う者たちは、やりたい放題しても、それがあからさまになっても、すこしもこまらないのである。放っておいたら日本は本当に駄目になる。そんなことがなぜ分からないのだろうか。

・多くの人はうっすらとは分かっていて不安を感じているのだと思う。しかし黙っている。見て見ぬふりをしている。あるいは、そうは悪くはならないだろうと高をくくっているのかもしれない。そうして明るい話題、派手な出来事、卑近のゴシップで不安を紛らわしている。そして、どんなにひどくても、これしか道がないと思わされている。これはひとえにメディアの責任だが、そんなにひどくはないと思いたいという読者や視聴者の責任でもある。だから、後になってだまされたなどとは言えないのである。

・結局、痛い思いをしないと分からないと言うことなのかもしれない。しかし、福島原発事故があっても、再稼働を勧めて電力の基幹であることを変えないから、少しぐらいの痛さでは分からないのかもしれない。いっそ破産でもしたらいい。そんな捨て台詞も吐きたくなる。

2019年2月24日日曜日

旅から帰って

 

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forest156-3.jpg・15日間の旅から帰ってきた。3200kmほどを一人で運転し、事故もこわい思いもしなかったが、知人宅を訪ねた時に少しこすって、へこみとペンキのハゲができてしまった。目立つから修理しようと思うが、自分でではなく業者に頼もうと思っている。アウトバックはアメリカ仕様で、幅も高さも大きいから、街中のホテルでは駐車できずに、近くの駐車場に止めざるをえなかった。去年の四国旅行は街外れの休暇村やかんぽの宿が多かったから、改めて、大きいことのマイナスが気になった。もっとも、長期の旅行では車内が広いし、座席もゆったりしていて、運転疲れも少なくて済んだのだと思う。とは言え、帰って数日は体がだるく、頭もぼーっとして、日常モードに戻らなかった。

forest156-2.jpg・街中のホテルにしたのは、食事を近くの居酒屋などでしようと思ったからだった。旅館やホテルの食事はにぎやかで量が多くて、食べ過ぎてしまうし、パートナーは食べきれない。で、適当な所を事前にチェックしておいた。広島の牡蠣、福岡や佐世保での刺身、長崎のちゃんぽん、鹿児島の鰻、宮崎の牛肉などに舌鼓を打ったが、一番は熊本のとんかつだった。旅の最後の阿蘇と湯布院は夕食付きの宿で、阿蘇は肥後牛、湯布院は豊後牛がメインだったから、3日連続で霜降り牛を食べることになった。おいしかったが赤身の肉が欲しくなった。

・帰宅途中にいつものスーパーで一週間分の買い物をした。ピーマンは宮崎、アサリは熊本、いちごは福岡、牛肉や黒豚は鹿児島、そして買わなかったが鰻も鹿児島で、改めて毎日食べているものが日本全国からやってきていることを実感した。もちろん、他にも北海道や東北、北陸や中国地方からやってくるものもある。ついでに言えば、良く買うアスパラはメキシコだし、ニンニクはスペインだ。別府から大阪へのフェリーの大半が大型トラックだったのもうなづけるというものである。そう言えば鹿児島の居酒屋では、鰻の生産量は日本一なのに、市内に鰻屋ががあまりないと話していた。地元の人が食べるものと、生産しているものが必ずしも一致するわけではない。そんなことも改めて教えられた。

forest156-4.jpg・河口湖は帰れば15度もあって、すっかり春の様子だった。聞けば、この間に雪もほとんど降らなかったという。一番寒い時期を暖かい所で過ごそうと思って昨年から旅を始めたのだが、かえって九州の方が寒かった気がした。とは言え、外は15度でも家の中は8度だったから、すぐに薪ストーブに火をつけた。ログハウスは木が暖まるのに時間がかかって、1度上げるのに1時間もかかる。外に出れば暖かいのに、ストーブは最大限の火力にした。
・暖冬と二週間の旅のおかげで、今冬は薪の消費量が少ない。次の冬用の原木も、去年より一立方メートル少なかったのに、この時期での薪の残量は多い。もう春の気配だから、この分なら、来年の冬の薪を心配することもないだろうと思う。さて、来年の冬はどこに行こうか。もうそんなことを考えたりしているから、いい気なもんだと、我ながらあきれてしまう。

2019年2月18日月曜日

九州旅行

 

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・前回更新日は長崎でした。その後島原半島から熊本に行き、天草、鹿児島、宮崎、阿蘇、湯布院まで来ました。旅も終盤で、今日は別府からフェリーに乗って大阪まで行きます。

・島原半島は普賢岳が噴火した後、学生を連れてフィールドワークをした所です。まだ生々しかった現場についての記憶とは違って、ずいぶん整備されていました。災害記念館では、火砕流や土石流の映像を見ましたが、周辺には石や土に埋もれたままの家も残されていました。普賢岳は雪で、残念ながら近くまでは行けませんでしたが、麓からは雪を被った姿を望むことができました。その後、フェリーで熊本へ。地震で崩れた熊本城を見に行きました。

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・天草は大学生の頃に来て以来ですから、50年ぶりになります。今回立ち寄ったのは大学院に社会人入学したHさんと会うためでした。これで懐かしい人5人目です。下島を北から西に車を走らせ、中を突っ切ってまた本渡に戻り、翌日は南下して牛深からフェリーで長島へ。出水で越冬中のツルを見物し、水俣の水俣病情報センターを見学しました。その後南下して鹿児島まで。途中で川内原発近くを通りました。

・鹿児島では指宿に行き開聞岳を見て、砂湯に入りました。砂をかけてもらうと、足先までどきどきしてきて10分と入っていられませんでした。予定ではフェリーで大隅半島に渡るつもりでしたが、フェリーが少なくて、鹿児島に引き返して桜島に行きました。展望台から見る桜島は、まさに噴火中という恐ろしくなるような風景でした。我が家では牛肉や黒豚、そしてウナギは鹿児島産を買うことが多いです。本場で食そうということで屋台村に行きました。出荷数は日本一だけど鹿児島にはうなぎ屋が少ないのだそうです。


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・宮崎までは神宮巡りになりました。霧島神宮に鵜戸神宮。霧島は火山の溶岩、鵜戸は砂岩と泥岩が作る海岸の絶景でした。宮崎から日南にかけてはプロ野球チームがいくつもキャンプをしていましたが、もちろん素通りです。次の日は高千穂峡から阿蘇へ。溶岩が作る柱状節理が深く削れて渓谷を作っていて、前の日とあわせて、九州の地殻変動のすごさを実感しました。
・阿蘇は中岳の活動が活発で火口は立ち入り禁止でした。5つの山が並ぶ景色は壮大で驚いたのですが、続いて見た九重連山は雪を被っていて圧巻でしたし、最後に見た由布岳もまた、雪を被ってなかなかの姿でした。せっかく積んできた自転車に全然乗っていないので、宿の付近を走らせました。上り下りが多くてきつかった。

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2019年2月11日月曜日

今年は九州一周

 


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・去年は四国八八カ所の巡礼をしましたが、今年は九州を一周しています。2月の厳冬期を避けて、暖かい所で過ごすことにして二回目の行動です。河口湖の冬は今の時期が一番寒いのですが、今年はそもそも暖冬で、出かける数日前には季節外れの暖かさになって、もう春かと思うほどでした。しかし、これからはわかりません。実際、出かけて数日後に雪という予報がありました。

kyushu2.jpg・河口湖を出発して1日目は大阪、ここではパートナーの知人と会い、一緒に夕食を食べました。もう90才ですが、ビールを飲んで元気なおばあちゃんでした。2日目は広島まで。河口湖からは800キロ、給油したら46Lでしたから、Lあたり17キロも走りました。平和記念公園にはじめて行き、原爆ドームを見ました。広島は縁のないところで来る機会がなかったので、一度は見ておくべきだと思いました。宿は朝食だけにして、夕食はホテル近くの居酒屋で、生牡蠣や牡蠣フライを食べました。

kyushu3.jpg ・3日目は途中秋吉台によって福岡まで。カルスト台地も学校では習っているから一度は見ておこうと思って寄りました。秋芳洞には中国人の観光客が多くて驚きました。秋吉台は寒風が吹いて寒かったのに、秋芳洞はいつでも17度。歩いていると汗をかくほどでした。今までいくつもの鍾乳洞を見てきましたが、規模はここが一番でした。下関の水族館でフグにもいろいろ種類があるのだなと感心して、関門トンネルで海峡をくぐって福岡着。夕飯はここでも居酒屋で、壱岐の島特産の刺身と牛の薄焼を食べました。普段と違って毎晩ビールを飲んでいます。

・4日目は福岡から吉野ヶ里遺跡に行き、友人のFさん宅を訪ねて歓談し、有田で陶土の採掘場をみて佐世保まで来ました。ここまでずっと天気が良くなくて、今日も雨。吉野ヶ里遺跡は広大でしたが、雨の中でしたから歩くのは一部だけにしました。有田の陶土採掘場は「ブラタモリ」で見ましたが、もう山を削り取ってしまったことがわかるほどでした。全部陶器になったのかと思うと、有田焼の生産量のすごさがあらためてわかる気がしました。


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・5日目は佐世保から長崎まで。国道202号線で西岸を南下しました。サンセット道路。角力(すもう)灘という名でいくつもの大小の島が点在していました。その一つ、橋でつながった大島に寄り、隠れキリシタンの村や遠藤周作文学館などを見て、長崎の町を稲佐山から眺めました。曇り空で雨もぱらぱら降っていましたが、長崎市内に入ると青空になり、稲佐山の展望台からは長崎湾や町並み、そして雲仙なども見ることができました。夜は知人のKさんの案内で町を散歩して、ちゃんぽんや皿うどんで歓談。折から長崎はランタン祭りで大賑わい、運がよかったのやら悪かったのやら。旅はまだ3分の一が終わったところです。


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2019年2月4日月曜日

最近買ったCD

 

Mark Knopfler "Down The Road Wherever"
Tom Waits "Closing Time"

・最近、CDをほとんど買わなくなった。大学を辞めて研究費で買えなくなったというのは一昨年のことで、そこから良く吟味してから買うことになったのだが、そもそも気になる新譜が滅多に出なくなった。ぼくがつきあってきたミュージシャンがみんな歳を取ったということもあるし、若いミュージシャンについてアンテナが効かなくなったということもあるのだろう。あるいは、新作発表としてCDを使わなくなったのかもしれないとも思う。いずれにしても、このコラムに取りあげるものがなくて、どうしようかと悩むことが多くなった。コンサートにも3年近く行っていない。

knopfler2.jpg・アマゾンが新譜やあなたに勧めるCDといってメールを送ってくる。しかし、その多くはすでに持っているものだったり、気をそそられるものがほとんどなかったりする。ぼくの好みはデータによって分かっているはずなのに、まったく当てにならないから、ビッグデータもいい加減なものだと言いたくなる。しかしその中で久しぶりに気になるものがあった。

・一つはマーク・ノップラーの新譜だ。ノップラーは精力的に活動しているミュージシャンだ。このコラムでも16年に"Altamira" 、15年に "Tracker"、そして13年に"Privateering"を紹介している。スコットランドのグラスゴー出身で、母親がアイルランド人ということもあって、彼の音楽にはケルトを感じさせるものが少なくないが、今回はちょっと違っていた。「新しく試みたスローでエレガントな歌のコレクション」というのがノップラー自身の狙いだったようだ。アルバムタイトルは「どこであろうとこの道をくだろう」といった意味だろうか。同名の曲はないが、どの曲も息せき切って駆け上がるものではなく、静かにくだっていく感じだ。中身は過去を振り返るものが多い。

waits9.jpg・もう一枚はトム・ウェイツの "Closing Time"だが、これは新譜ではない。1973年に発表されたものだから、もう45年も前のものになる。持っていないのに, デビューアルバムだと言うことと、評価が高いから買うことにした。聞き慣れただみ声とはちょっと違い、ピアノだけで静かに歌っている。「酔いどれ詩人」などと形容され、チンピラか用心棒のような風貌が特徴的だった時とは大違いだ。ジャケットに映っているトムは、痩せていて、ピアノの前で悩みを抱えるようにうつむいている。歌も孤独をテーマにしたものが多い。ヒットとはならなかったようだが、今聴いてみると、彼のまた別の一面が感じられた気がした。

・そう言えば、パートナーのキャスリン・ブレナンとの共作で何枚ものアルバムを作ってきたが、2011年の"Bad as Me"以来、しばらくなりを潜めている。精力的にライブ活動をやっているマーク・ノップラーとは違い、ライブもしていないようだ。
waits10.jpg・もっとも昨年コーエン兄弟が監督した『バスターのバラッド』には出演しているようだ。六つの話で構成されるオムニバス映画で、トムが出ているのは第四話の「金の谷」だという。山奥で砂金を掘る老山師が鉱床を掘り当てて、それを独り占めにしようとした若い男を殺す話のようだ。画像で見る限りではすっかり老けている。オフィシャルサイトを見ると、劇場公開はなしでNetflixで独占配信しているようだ。見たいけれども、ちょっとためらっている。ともあれ元気なようだから、そのうちまた新しいアルバムを発表してくれるかもしれない。

2019年1月28日月曜日

パトリシア・ウォレス『新版インターネットの心理学』 (NTT出版)

 

wallace1.jpg・この本の旧版は1999年に出版され、日本では2001年9月に翻訳されている。ぼくは2003年1月にこのコラムで紹介した。インターネットが一般に使えるようになったのは1995年だから、ごく初期の利用者に見られた特徴を描き出そうとしたものだった。それが同じ著者による改訂版として出版された。翻訳を2冊ともやっているのは川浦康至だが、彼はぼくとは大学の同僚で、一昨年一緒に退職した仲である。退職と同時に遊んでばかりいるぼくとは違って、彼は500ページにもなるこの本を翻訳した。しかも贈っていただいたからには何はともあれ紹介しなければならない。で、がんばって読んでみた。

・前作でぼくが注目したのは、「インターネットのリヴァイアサン」と「集団成極化」だった。「リヴァイアサン」はトマス・ホッブスが国家について使った概念で、人間がたがいに争い合うことを避けるために各自が持つ「自然権」を国家(リヴァイアサン)に譲渡すべきだとしたものである。国境がなく世界中の誰もが参加できるネットの世界には、そこを統治する権力は存在しなかった。だから参加者たちは、やりたい放題ではなく、その場が機能するようにルールを決め、エチケットを心がけることが前提にされ、「ネチケット」とか「ネチズン」といった言葉が使われた。

・しかし、インターネットが急速に進化すると、多様な場にいろいろな人たちが接触するようになり、誹謗中傷や暴言が飛び交うことが問題にもされた。前作が主なテーマにしたのは直接接触の場とインターネットにおける、自己呈示の仕方の違い、他者との関係の持ち方の違いと、それによってもたらされた、世界の出現であった。ネットへの参加は何より「匿名」であることが一般的で、それが直接接触の場ではできないことを可能にした。またネットは同じ意見や趣味を持つ者との接触を容易にした。そうやってできた似た者同士の集団は、極端に走りやすい特徴を持った。ウォレスはそれを「集団成極化」と名づけた。

・『新版インターネットの心理学』の原著 は2016年に出版されている。だから前作からは17年後の改訂版である。インターネットはこの17年の間に大きく変わり、まったく別物になったといってもいい。何より利用者の数が桁違いだし、利用の仕方も多種多様になった。スマホの登場によって人びとの日常生活に深く入り込み、なくてはならないものになったし、世の中を大きく動かす手段としても使われるようになった。だからこの本で扱う事例も複雑で多様だが、しかし、基本的な所では案外共通しているとも思った。

・たとえばそれは目次を見ればよくわかる。章構成は第一章の「心理学から見るインターネット」から始まって、「あなたのオンライン性格」「インターネットの集団力学」「オンライン攻撃の心理学」「ネットにおける好意と恋愛」と続くが、これは旧版とほとんど一緒である。違いは旧版ではインターネットとポルノの問題が独立していたが、新版ではジェンダー問題と合わせて「ネットにおけるジェンダー問題とセクシャリティ」になった。反対に新版で新たに加わったのは「オンラインゲーム行動の心理学」と「子どもの発達とインターネット」、そして「オンラインプライバシーと監視の心理学」だ。

・もちろん、旧版と似た章構成の部分も、中身はほとんど変わっている。ネットでの自己呈示は文字が中心だった段階から画像が容易に使えるようになり、音声や動画も当たり前になった。フェイスブックやツイッター、インスタグラムやユーチューブなど、利用できる場は無数にある。当然、そこでの自分の「印象管理」も複雑で多様になるわけで、その細かなケースを豊富な先行研究を紹介することで検討している。同様の方法はネットにおける個人や集団間にあらわれる友情や恋愛、手助けや協力、そして妨害や攻撃を扱う章にも通じている。

・人生の途中でインターネットに出会った「デジタル移民」と違って、現在では生まれた時からインターネットが身近にある「デジタル世代」が、すでに成人に達しようとしている。実社会とは違うもう一つの世界として認識するのではなく、両者が混在一体となっていることを当たり前に思う感覚は、「デジタル移民」には持てない感覚だろう。

・インターネットは「移民」の一人としてぼくも便利に使っていて、もはやなくてはならないものになっている。便利だが、言動のことごとくをチェックされ監視されているのを自覚することも少なくない。その意味で、ネットにまつわるさまざまな問題と事例を検証しているこの本は、人間個人から関係、そして社会に及ぶ問題を視野においている。だから、一気に読むだけでなく、時に応じて気づいたことを辞書のように確認するにも使えるものだと思う。