◆四万十川→高松(7/25)
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◆四万十川→高松(7/25)
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◆高知→四万十川(7/24)
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「大飲み村-晩酌は-お家に帰って-母ちゃんと」 |
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◆京都→高知(7/23)
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・アメリカを人種の坩堝の国だというのは正しくはない。サラダ・ボールなどという形容もきれいごとにすぎる。確かに、ニューヨークやロスの街を歩く人の肌の色は多様だ。映画やテレビ番組でも、あるいはバスケットボールやベース・ボールの試合でも、さまざまな人種の混在する様子をよく目にするようになった。ロックといえば白人の音楽だという常識も、とっくに通用しなくなっている。しかし、それは日常生活や人々の意識の中で、肌の色が、同時に生きる世界の違いではなくなったことを意味するものではない。
・ "A Family
Thing"は南部に住む初老の白人の男が、母の遺言として、実の母が黒人であったと知らされるところから始まる。父親の浮気でできた子供であること、その黒人の母は、出産直後に死んでいること、そして異父兄弟の兄がいて、シカゴで警官をしていることなどが告げられる。もちろん、主人公の男には、黒人の血を受け継いでいることを示す特徴は、外見的には何もないから、彼にとっては母の告白は信じられないことである。
・男は黒人の兄を探しにシカゴに出かける。兄は白人の弟の存在を知っていたが、もう二度と会いたくはないと冷たく応対する。弟とはいえ、父は浮気相手の白人で、そのために母親は死んだのである。けれでも結局、ちんぴらに絡まれてけがをし、トラックを盗まれた弟を、自分の家に同居させる。家には母の姉である叔母と別居中の息子が住んでいる。地下鉄の線路に面した狭い住居。そこで奇妙な同居生活が始まる。
・
自分の生い立ちを調べ、そこで分かった事実をもとに、アイデンティティを確立し直す。あるいは、今まで異質で無縁だと考えていた人々との関係を親密なものとして再確認する。そのような作業の前に立ちはだかる垣根を乗り越えることは決して容易ではない。何しろ主人公は、アメリカの南部で生きてきた白人で、しかももう60歳になろうとしているのだ。けれども、そこを解決しなければ、この先、生きていく道筋やはもちろん、自分自身のことがわからない。
・この映画を見ながら、正直言って、こんな映画をアメリカ人でも作るのだな、と妙な関心をしてしまった。華やかなもの、派手なもの、楽しいものは何もない、きわめて地味な映画。しかし、そのテーマは限りなく重い。この映画で扱われるような事例が一つ一つ積み重なってゆけば、たぶん、アメリカは人種問題は解決の方向にゆっくりと進むだろう。そんな印象を持たされた映画だった。
・白人の弟がアーカンソーに帰る日、黒人の兄は見送りに出て、そのままトラックに乗って故郷に帰り、母の墓を弟と探すことになる。幼い頃の話をしながら、二人が、草に埋もれた母の墓を探す。最近では滅多にないことだが、ぼくは目頭が熱くなってしまった。
・ロックはアイデンティティの音楽だ。それは何より自分探しのために作られ、歌われる。「アイデンティティ」の自覚には、自分自身が何者であるのか、何になりたいのか、何になれるのかといったことについて考える余地が不可欠だが、おもしろいのは、ロックの新しい流れが、実際にはアイデンティティ選択の余地など十分にない状況にいる者たちから生まれたところにある。
・ロックンロールが50年代後半のアメリカに生まれたとき、それを支持したのは、大学をドロップ・アウトしたビートではなく、何か自由に生きたいけれどもそれができずに街角にたむろしているブルー・カラーのティーン・エージャーたちだった。60年代のブリティッシュ・ロックの台頭を担ったのは、親の生活に少しゆとりができて、勉強したくはなかったが、アート・スクールという名の専門学校に行って遊ぶ時間を過ごせた労働者階級の若者たちだった。
・70年代のイギリスのパンクの背景には職がなくて暇を持て余し、鬱憤のはけ口を探し回っていた連中がいたし、レゲエはそのさらに下の階層に位置せざるを得なかったジャマイカ系イギリス人の中から生まれている。80年代に登場したヒップ・ホップ・カルチャーもその発生地はニューヨークのゲットーだった。地下鉄の落書き、ストリート・カルチャーとしてのダンス、そして、不平不満や怒りの声をリズムに乗せて主張するラップ、ディスコのDJから生まれたスクラッチ。
・Radioheadは90年代に登場したイギリスのグループである。ぼくはつい最近彼らの音楽を聴いて、かなり関心を持った。
Radioheadのサウンドはどこかで聞いたことがある。U2、ドアーズ(ジム・モリソン)、ピンク・フロイド、あるいはキング・クリムゾン、さらにはベルベット・アンダーグラウンドやトーキング・ヘッズ、そしてR.E.M.............。実際、次のような歌があった。
ギターは、誰にでも引ける
だが、誰もそれ以上になりたいとは思わない
髪を伸ばして、僕はジム・モリソンになりたい
・ぼくはRadioheadの音楽に、アイデンティティの模索に必要な時間や選択肢を十分に持ちながら、そのために迷い、悩んでしまう恵まれた状況にいる若者たちのつぶやきを聞いた気がした。何でもできるが、何をやっても誰かのまね、何かの焼き直しにしかなり得ないというジレンマ。その閉塞状況を一面ではポスト・モダン的なノリで軽くやり過ごしているように見せながら、しかし同時に、その苦悩に正面からぶつかろうともしている。ぼくは彼らの音楽にそんな姿勢を感じ取ったが、若い人たちはどんな思いで聴いているのだろうか。 (1998.07.08)
・『Shall we
dance』を見たが、僕はおもしろいと思わなかった。竹中直人のわざとらしい演技は昔から嫌いだし、ダンス教師役の草刈民代はお人形さんみたいで気に入らなかった。日本アカデミー賞の独占は、裏を返せば、日本映画の貧困さを証明するものでしかないじゃないか。と、理由はいくつも上げられるが、実は、僕は社交ダンスが好きではないのだ。
・けれども、『「Shall we
dance?」アメリカを行く』はおもしろかった。自分の作った映画を持ってアメリカ中を飛び回り、そこで上映会をして観客とディスカッションをする。あるいはその土地のメディアや著名なジャーナリストのインタビューを受ける。この本は、その中でこの著者が感じたこと、つまりアメリカ人にとっての日本、日本文化、そして日本映画についての知識や情報の少なさ、そのために持たれる偏見や誤解との格闘を主な内容にしている。
・現在、世界の映画をリードし、支配するのはアメリカである。だから日本の外に映画を持ち出そうとすれば、まず、アメリカで好評を得なければならない。実際アカデミー賞には「外国映画賞」という部門もある。さぞかしアメリカ人は世界中の映画に見慣れていてのだろうと思いたくなるが、実際には、状況はまるで違う。
・アメリカではずっと外国映画は英語に吹き替えられて上映されてきた。つまり、アメリカ人の観客は登場人物や舞台が日本だろうと、中国だろうとロシアだろうとアフリカだろうと、誰もがどこでも英語を話すのが普通だと考えてきた。だから、字幕を読むのはアメリカ人の多くにはいまだに面倒なことである。周防正行はそんな世界に、日本人による日本語の映画を持ち込んで、見せようとした。
・野茂がメジャー・リーグ4年目にもなって、いまだにインタビューを日本語でやっている。アメリカ人はそのことにかなり批判的である。アメリカで認められるためには、何より英語でのコミュニケーションをマスターしなければならない、というわけだ。もっともらしく聞こえるが、しかしアメリカ人は日本に来ると、英語が話せるというだけですぐに、英会話の職に就けたりする。何年も日本に住んで日本の大学に勤めながら、ほとんど日本語をしゃべらない、なんていう人も結構多い。要するにアメリカ人にとっては、アメリカだけが「世界」なのだと思わざるを得ない。
・周防正行は次はハリウッドで映画を撮るのか、という質問をくりかえし受ける。それは質問者にとっては、「Shall we
dance」に対する評価の意思表示なのだが、周防には、アメリカ人の偏狭さとしか感じられない。映画はハリウッドで作られる。ハリウッドだけが映画を作る場所だというわけだ。メジャー・リーグのチャンピオンを決めるのはワールド・シリーズだが、そこには日本や韓国のチャンピオン・チームは出られない。野球やバスケット・ボールのワールド・カップをやって、アメリカが勝てない状況が生まれない限り、アメリカ人の偏狭さは、とても直りそうにない。
(1998-07-01)