1999年6月29日火曜日

"The People VS. Larry Flynt" "The Rainmaker" "Wag the Dog"

 

・久しぶりに続けて映画を見た。といっても劇場ではなくWowow である。おもしろい映画がなかったわけではないのだろうが、毎週の時間のサイクルが変わって、見る気にならなかった。新幹線での往復が10回を越えてバテバテだが、ゴールが見えかかってきて余裕ができたのかもしれない。で、アメリカのメディアをテーマにした2本。
・『ラリー・フリント』はストリップ酒場の経営者だったラリーが客寄せのつもりでヌード雑誌を作るところからはじまる。やがて雑誌が本業となり、ジャクリーヌ・オナシスを隠し撮りした全裸写真で一躍全国誌に躍進。男の雑誌『ハスラー』の誕生である。
# 「性」を売り物にした男性雑誌は『プレイ・ボーイ』が最初で、人物としてもヒュー・ヘフナーの方が有名だが、この映画を見る限りでは、ラリー・フリントの方がはるかに興味深い人物だと思った。『プレイ・ボーイ』よりも刺激的な誌面づくりをする『ハスラー』には、当然、良識派の非難が集中する。映画はそれにむしろ挑発的な言動や誌面で対抗するラリーを中心に話を進める。性表現の自由対倫理、あるいは対プライバシーの尊重。鉄砲で撃たれて下半身不随になっても裁判闘争をやめない主人公は、ちょっと格好よすぎる気がしたし、アメリカ映画の裁判シーン好きにも食傷気味だが、論点が明快で痛快な映画だった。オリバー・ストーンのプロデュース。
・そういえば、マジックで要所を塗りつぶした『ハスラー』を買って、バターでインクを落とそうとしたのはいつだったか。あるいは、アメリカの飛行場について、何よりもまず買った『ハスラー』に夢中になったのは..........。日本でのヘア解禁やインターネットでのアダルト・サイトの乱立といった現状から見ると、そんなに昔のことではないのに、なんだかほのぼのとした時代に思えてしまった。
・法廷ドラマは食傷気味といいながら見てしまったのが『レインメーカー』。『グッドウィル・ハンティング』で写真を撮るようにすべてを記憶する少年を演じたM・デイモンが新米の弁護士になって保険会社の悪行を追求するという話。今時珍しい、理想に燃えた青年ルーディの正義感あふれる活躍で、下手をすると嘘っぽく感じられてしまうものだが、コッポラの演出はきわめてクールで、引き込まれてしまった。
・低所得者を狙った保険ははじめから支払う意思がないという悪質なもの。で白血病の青年は骨髄移植が受けられずに死亡。大物弁護士団を相手に司法試験に受かったばかりの主人公の悪戦苦闘。力や金がなくても、経験がなくても、熱意と努力で現実に立ちはだかる壁は突き崩せる。それが、絵空事のように感じられないのは、映画の出来以外に、アメリカにおける裁判が果たす役割の大きさに原因があるのかもしれない。
・日本でも銀行や証券会社、あるいは保険会社のイメージはひどいもので、ありそうな話だと思ったが、その糾弾という行動にはあまり力強さは感じられない。ぼくは昔から、マネー・ゲームや財産管理の勧誘にはいっさい聞く耳を持たないという態度をとってきたから、バブル景気にも、その破綻にも無縁だったが、金融機関には嫌悪感さえ持っている。日本にはルーディが出現する可能性はないのだろうか。
・もう一つ『ワグ・ザ・ドッグ』は、これもアメリカ映画によくある大統領もので、出演はロバート・デ・ニーロとダスティン・ホフマン。再選を目指す大統領が少女をレイプするが、アルバニアで戦争をでっち上げてそのニュースをもみ消して当選という話。タッチはコミカルだし、演技達者揃いだし、話も荒唐無稽な気もするのだが、湾岸戦争から最近のコソボ紛争までの一連の出来事や、クリントンの下半身にまつわる話など、現実が現実だけに、ストーリーには奇妙なリアリティが感じられた。
・ニュースが作られるのは当たり前だが、事件そのものも作られる。ありもしないことをでっち上げ、あったことをもみ消す。もちろん、今は、そんなことに人びとが無垢であるような時代ではない。むしろカラクリがすべて種明かしされていながら、なおかつ、そのような「疑似イベント」が好んで消費される。であるなら、「サッチー」や「ヒロスエ」ではなく、もっともっと大きくて悪質な存在を取り上げたらと思うのだが、日本のメディアには弱いものいじめしかできないようである。

1999年6月22日火曜日

ゼミ同窓会


  • 所属する大学を変えて、来年には引っ越しもする、と何人かのゼミの卒業生に連絡をしたら、同窓会をしましょうという話になった。言い出しっぺは5期生の安井さん。はじめはその年だけのゼミ生でということだったが、ばらばらにやるのはしんどいので全部まとめてという注文を出した。
  • ぼくは追手門学院大学に9年間勤めて、ゼミ生を200人ほど送り出している。すべての人に呼びかけるのは大変だし、音沙汰のない人を捜し出すのは面倒だから、最近ぼくの所に年賀状やメールなどで連絡してきた人だけに通知することにした。で、25人ほどが参加の意思を伝えてきて、当日は19人が出席した。
  • 7年ぶりぐらいで懐かしい顔もあったが、誰かわからないというほど変わった人はいなかった。結婚して名前が変わった人は4人。松山さんが三木さん、牧野さんが大江さんに。1期生ではそのほか井上さん。急に来れなくなったのは西岡(旧姓児島)さん。それと井上に変わった平川さんは大きなお腹を抱えて仕事をがんばったためか、入院で参加できなかった。無理せず大事にしてください。二人ともぜひ会いたかったのに残念でした。
  • 同じゼミとは言っても、年度が違えばほとんど知らない人ばかり、それに歳の違いもかなりある。それでも、結婚して子どもが2歳などと聞けば、7期生の秋田さんや東さんは羨ましそうに顔を見合わせてため息をついていた。でも、焦ることはないんです。
  • 一番参加者の多かったのは5期生。安井さんのほかに長野さん、深見さん、橋場さん、松林さん、それと金子君に足立君。金子君は北新地の会員制のクラブでバーテンをやっていて、最近ソムリエの資格を取った。で、白ワイン(クレマン・ド・・ブルゴーニュ)をプレゼントしてもらったし、二次会ではワインの講習会もしてもらった。韓国帰りで当日参加の川合さんは遅刻で、残念ながらビデオに撮り損なってしまった。
  • 次に多かったのは6期生。内山君、新谷君、和田君、御輿君。吉川さん。次にやるときは懐かしい三田のセミナー・ハウスか河口湖のぼくの新しい家でということになって、幹事は吉川さんに決まった。来年か再来年か、その時には今日参加できなかった人とも会いたいものです。
  • なお唯一参加の4期生平井君からは最近出した本を2冊もらいました。『大阪名物・テレビ漬け』と『G1完全制覇読本』(いずれも青心社)。競馬はともかくコテコテの大阪のテレビの話は、東京の学生に見せたら面白がるでしょう。
  • 1999年6月15日火曜日

    新しい職場で感じたこと

     

    ・勤め先が変わって2カ月半がすぎた。大学の教員はだいたい週3日のお勤めとはいえ、東京と京都の往復分だけ大学に滞在する時間は減っている。水曜日は昼に大学に着いて、午後はすぐ授業があるし、金曜日は午前中授業があって午後は会議。で、終わればすぐに帰り支度である。だから、特に予定のない時間を過ごすのは、木曜日の昼前後だけで、コミュニケーション学部棟とは離れた研究室にいるから、ゼミの学生や学部のスタッフの人たちとのつきあいも限られている。ゼミの学生も、学部のスタッフも人数が多いということもあって、名前と顔が一致しない人もまだまだたくさんいるし、職員の人たちの名前などはほとんどわからない。
    ・それでも、研究室の書架の整理がだいたいすんで、個人研究費で買ったテレビとビデオとMDラジカセが来て、部屋の様子も落ち着いたから、自分の部屋のような感じがしはじめてきた。ゼミの学生も何人かは授業以外に訪ねてきて雑談をして帰るし、院生とのやりとりも軌道に乗ってきた。あと足りないのは、注文したのにまだやってこないPower Bookだけだが、これは夏休みに持ち運びできるように買ったものだから、それほど困ってはいない。
    ・ところで、新しい職場に移っての感想だが、まずおもしろかったのは、ルールや慣習の微妙な違い。たとえばぼくはこれまで、学部のゼミや院の授業は研究室でやってきた。しかし東経大では教室を使ってくれと言われた。理由は研究室とは研究をするところであって授業をするところではないから。こういうことにはたぶん歴史的な経過があるのだと思う。研究室で学生がうるさくて苦情が出たとか、人の出入りの管理がしにくくて不用心だとか........。けれども、ぼくはいちいち教室に行くのは面倒だし、学生にも本やビデオなど、その都度紹介したり貸したりしたいものがあるからと主張して認めてもらった。で、応接セットの代わりに長テーブルと折りたたみイスがやってきた。
    ・驚いたのは、このような要望が、教員と職員とのやりとりの中でではなく、そのための委員会で話されることである。同僚の山崎カヲルさんによれば、研究室にテレビやビデオやCDを置くことも、個研費を使って書籍などをインターネットで買うことも、このような交渉の結果、つい最近認められたのだそうである。民主的といえば言えるのだが、ちょっと形式的にすぎないかと思った。
    ・民主的といえば、全学教授会。総勢100人以上という会議は壮観だし、全員が集まって大学の運営を、という方針は悪いことだとは思わないが、何かというとすぐ投票をはじめるから、とにかく時間がかかる。過去2回とも、3時半からはじまって、新幹線で帰れるリミットの7時になっても終わらなくて、ぼくは2度とも途中退席した。
    ・もちろん、悪いことばかりではない。昨年度まで一番うんざりしていた入試業務が、信じられないくらい楽になった。追手門では入試手当を一律で払うために、用がなくてもすべての入試に全員参加が方針だったが、東経大ではほんの1-2回ですむようになった。これは手当が仕事に応じて支払われることと、職員の参加度が高いためである。同様のことはもちろん、通常の前期末や学年末の試験にもあてはまる。このことで軽減される時間とエネルギーの一点だけで、ぼくは移ってよかったと感じてしまった。職員といえば、メールのやりとりで連絡を取り合えることも大助かりである。大金をかけて学内LANの専用システムを作りながら、学内の連絡業務や図書の検索などができない追手門のコンピュータとは何なのかと思ってしまった。ちなみに東経大には専用の LANシステムはないが、特にそれで不便をしているようでもなさそうである。
    ・違いの話を書いたが、実は問題は共通したところにある。それは「民主的であること」と「平等であること」の弊害。これはたぶん日本の大学すべてに共通していることだし、官公庁や企業の改善すべき体質として指摘されるところとも重なっている。その問題が一面では改善され、別の面では手がつけられないままにある。そんな違いのように思った。
    ・もう一つ、肝心な学生のことについても書いておかなければならない。しかし、この点については関西と関東という違いにもかかわらず、似通っていることに驚いている。これは文化的な違いがなくなってきているせいなのか、それとも同程度の偏差値のせいなのか、ぼくにはよくわからない。が、学生のことについても、そのうちにこの欄で取り上げてみようと思う。

    1999年6月8日火曜日

    村上春樹『スプートニクの恋人』講談社,『約束された場所で』文芸春秋

     

    ・村上春樹の『スプートニクの恋人』がベストセラーになっている。書評もだいたい好意的だ。しかし、まるで少女小説、というのが読みながらの感想で、ぼくはあまりおもしろいと思わなかった。もっとも駄作だと決めつけたわけでもない。はっきりとは指摘できないが、村上が、今までとは何か違うものを目指しているようにも思えた。手がかりになるのは、もちろん、オウムとサリン事件への彼の「関わり」だ。

    ・村上はすでに『アンダーグラウンド』というタイトルで地下鉄サリン事件の被害者にしたインタビューをまとめていて、つづけて、もう一方の当事者であるオウム真理教の信者の世界を描き出そうとした『約束された場所で』を発表した。ぼくは『アンダーグラウンド』があまりにおもしろくなかったから、『約束された場所で』は全然読む気がしなかったのだが、『スプートニクの恋人』を読んで、あらためて読んでみたくなった。

    ・『アンダーグラウンド』のつまらなさは、サリン事件の被害者達が語った世界の一様性にある。地下鉄にたまたま乗り合わせた人々が、あまりに似た世界に生きている。仕事、職場という世界、家族、そして自己。それらについての姿勢や思い。分厚いページをいくら繰っても、まるで金太郎飴のように同じ世界が出てくるばかり。その単調さにうんざりした。脚色や編集なしに本にまとめるのが最大の目的だとはいえ、村上春樹でなければ出版社はどこもOKしなかっただろう。もっとも、ぼくには、村上春樹がなぜこんなつまらない本を作ったのだろうという疑問が残って、そこには何かおもしろい理由がありそうに感じられた。で、少女小説のような『スプートニクの恋人』である。とにかく判断は『約束された場所で』を読んでからにしようと思った。

    ・『約束された場所で』は意外におもしろいかった。オウムに関心をもつ人たちに共通した心理は、現実の世界との違和感にある。現実と折り合いをつけることが下手、というよりは、現実を現実として認めたくない気持ち。そこからオウムとの出会いによる魅力的な世界と新しい自己の発見。出家、修行、解脱.......。もちろんここに登場する人たちの現在の考えや気持ちはそれぞれだが、入信前の状況やその後の意識の変容についての話はまた、奇妙に一様なものである。

    ・サリン事件を巡って両極に位置する人たちの日常生活に対する姿勢は対照的である。事件の被害者達の多くは、その理不尽な境遇を世間に訴えたり、裁判を起こしたり、勤め先に仕事をこなせないことを主張したりといったことはしない。そうすることによって、日常の安定性がさらに揺らぐこと、そこからはじき出されてしまうことを恐れるからだ。おまけに偶然の不幸にもかかわらず、自分を責めたりしたりもする。オウムに入信した人たちは逆に、日常生活を捨てたこと、それによってもたらされた幸福感やリアリティの確かさを力説する。けれども、それは、まるでまったく同じ世界であるかのようにも思える。


    僕らは世界というものの構造をごく本能的に入れ子のようなものとしてとらえていると思うんです。箱の中に箱があって、またその箱の中に箱があって......というやつですね。僕らが今捉えている世界の外には、あるいはひとつ内側にはもう一つ別の箱があるんじゃないかと、僕らは潜在的に理解しているんじゃないか。そのような理解がわれわれの世界に陰を与え、深みを与えているわけです。音楽でいえば倍音のようなものを与えている。ところがオウムの人たちは、口では「別の世界」を希求しているにもかかわらず、彼らにとっての実際の世界の成立の仕方は、奇妙に単一で平板なんです。あるところで広がりが止まってしまっている。箱ひとつ分でしか世界を見ていないところがあります。『約束された場所で』p.232


    ・世界を平板にしか捉えられない、ひとつの世界としてしか理解したがらない感性。オール・オア・ナッシング的思考。これはもちろん、オウム信者やサリン事件の被害者に限ったものではない。たぶん村上春樹がこれまで書いてきたのは「入れ子」状の相対的な世界とそれを可能にする「デタッチメント」というスタンスだったはずである。けれども、そんな相対的な意識で捉える他はない世界に生きるには、また、「リアリティ」に対して柔軟に距離を加減する「アタッチメント」の感覚も欠かせない。そういったバランス感覚が崩れ、あるいは欠如してしまっている。そういった傾向を意識した小説の創造はたぶん、簡単には実現しない難しい作業だろう。『スプートニクの恋人には』をもう一回丹念に読んでみようと思った。

    1999年6月1日火曜日

    Van Morrison "Back on Top", Tom Waits "Mule Variations", Bruce Springsteen "18 Tracks"


    ・気になる3人のアルバムが相次いで出た。長い通勤時間には読書とウォークマンが欠かせないが、ここ数往復、ぼくはこの新しいアルバムばかりくりかえし聴いている。で、いまだに飽きない。京都から東京への朝の新幹線の中ではスプリングスティーンが目を覚ましてくれるし、東京から京都への夜の車内ではトム・ウェイツのけだるい声がたまらなくいい。そしてヴァン・モリソンはどちらでもごきげんだ。新しい人たちが悪いというわけではないが、やっぱり、同世代のミュージシャンの今を聴くのが一番だ。
    ・ヴァン・モリソンの活動はここのところ精力的である。心臓に持病を抱えているのにコンサートもして元気のようだが、"Back on Top"もなかなか充実している。友達や恋人について語り、季節を歌う。そしてアイルランド。過去への郷愁と現実への醒めた目、それにもちろん、生きることへの強い意志.......。

    ハイウェイから脇道に一人はずれ
    俺はまだ家庭を探し求めている
    道ばたで朝目を覚ますと
    頭は痛く、手は冷たい
    雲の中の銀の裏地をまさぐって
    俺は哲学者の石を探す
    "Philosophers Stone"


    ・トム・ウェイツのアルバムは本当に久しぶりだ。ライナーノーツには6年ぶりとある。アル中で入院でもしているのではと思っていたが、相変わらずの声が聴けた。「裏通りの放浪者」とか「酔いどれ天使」といったイメージとは違って、奥さんとすてきな暮らしをしているようだ。このアルバムも田舎の農場で録音した。

    俺が素材を集める役で、カミさんがコック。彼女が言うんだ。「うちに持って帰りなさい。そしたら私が調理してあげるから」ってね。...........彼女は俺の本当の愛だよ。音楽に関しても、人生に関しても、彼女のように俺が信頼できる人間は他にはいない。

    ・アルバムの1曲目は"Big in Japan"、「日本では大物」という意味だ。アメリカではすでに忘れられた人が日本では人気者で、コンサートをやったりコマーシャルに出たり。エンターテイメントの廃品置き場とちょっと辛辣な日本批判だが、そんなこと言わずにコンサートをやってほしいとぼくは思う。

    ・最後にブルース・スプリングスティーン。彼は他の二人に比べたらまだまだ昔のイメージに囚われ、煩悩に悩まされているようだ。地味な前作"the ghost of tom joad"とは違って、"Tracs"は4枚組のCDで同時に世界ツアもはじめた。日本でもちょっと前に1ページ全部の新聞広告が出された。"18 Tracs"はそのベスト盤である。
    ・今までの未収録曲を集めたもので、さらにそのベスト盤だから仕方がないのかもしれないが、アルバムとしてのまとまりがない。日の目を見なかった曲にもいいものがある。作った者にはそれぞれに思いや愛着があるだろう。そこに光を当てる。"Tracks"はそんな目的で作られたようだが、やっぱりいい曲は少ないなと思った。しかし、良い悪いを別にして、すべてをさらけだそうとする姿勢はいかにも彼らしいが、ぼくは時に食傷気味になってしまう。 (1999.06.01)

    1999年5月19日水曜日

    加藤典洋『可能性としての戦後以後』(岩波書店) 『日本の無思想』(平凡社新書)

     

    tenyo1.jpeg・加藤典洋が続けて2冊の本を出した。彼の文章はわかりにくいとか、同じテーマにくりかえしこだわりすぎるとか言われるが、ぼくにはそんなことあまり気にならない。というよりは、いつも教えられることがあって、新しい本を読むのが楽しみに感じられる。今度の2冊でおもしろいテーマは「タテマエ」と「ホンネ」。ただ2冊はほとんど同じことを論じていて、部分的にはほとんど同じ文章というところもあるから、興味がある人はどちらか一冊だけ買って読んだらいいと思う。
    ・「タテマエ」と「ホンネ」は日本人がよく使い分ける処世術で、日本文化の中に深く根ざすものだと思われている。「裏」と「表」「面従腹背」など、類似する意味のことばは少なくない。けれども、加藤は「タテマエ」と「ホンネ」や「表」と「裏」が、戦後の、それも特に70年代から、それ以前とは異なる意味で使われるようになったと言う。


    タテマエとホンネという考え方は、1950年代には登場しているが、たぶん戦前にはなかった。それは当初、欺瞞的な考え方として正当につかまれ、主に知識人によって用いられる。しかしやがて否定的なニュアンスを払拭する形で高度成長の時期に社会に浸透を始め、1970年代に入ると、一気に、日本独自の古来からの考え方であるかに思われる形で、メディアなどの前面に現れてくるのである。
    『可能性としての戦後以後』p.141

    tenyo2.jpeg・「タテマエ」は原則であり、「ホンネ」は本心から出たことば。それは「公」と「私」のはざまで、自分の意に沿わなくとも、あるいは不利益になることであっても、自分を殺して「原則」や「大義」に従うという「滅私奉公」の姿勢から引き出されている。その意味では「タテマエ」と「ホンネ」は「公」と「私」、「表」と「裏」に共通することばとして理解することができる。しかし、いま使われる「タテマエ」には「表向きの原則」にすぎないというニュアンスがあり、「ホンネ」にも「言うことをはばかられるが誰もが暗黙の内に了解する本心」といった性格が強い。加藤はそれを政治家の「失言」問題を例に取りながら説明するが、このような感覚は、多くの人に共有されたものである。
    「タテマエ」が「公」の原則に基づくものならば、「ホンネ」の土台になるのは「私」の「信念」である。当然、二つの間に挟まれた人はその二律背反的な使命のあいだで葛藤することになるはずなのだが、現在使われる「タテマエ」と「ホンネ」にはそのような苦悩は感じられない。二つは相対的なもので、対処の仕方も便宜的なものでしかない。きわめて安直に使われて、何となく了解されるように感じられるから、突き詰めて問題にすることだとは思われない。加藤は、そんな信念や本心の消滅を、敗戦による戦前と戦後の「切断」に見る。

    一つは天皇との関係における「切断」です。もう一つは憲法との関係における「切断」です。また三つ目は、戦争の死者との関係における「切断」です。そして最後は、旧敵国との関係における「切断」ということになるでしょう。
    『日本の無思想』pp.67-68

    「公」の原則に対する不信と形式的な追随、そして「私」の中での「信念」の不在とまかり通る私利私欲の追求。このニヒリスティックな状況の打開について、加藤は「私利私欲」の上に「公」をどう築くかという視点で考察する。福沢諭吉の「痩我慢の説」、鶴見俊輔の「大夫才蔵伝」、あるいはカントの「啓蒙論」を駆使して彼が力説するのは、敗戦時に「切断」してうやむやのままに放置した問題に立ち返るということである。いつもながらの結論ではあるけれども、それだけに、ぼくには彼の「信念」の強さへの信頼と共感が感じられた。

    1999年5月14日金曜日

    場所と移動

     

    ・4月から勤務先である大学が変わった。大阪から東京。しかし、いくつか理由があって相変わらず京都に住み続けている。だから、毎週のスケジュールは大学への出講日にあわせて水曜の朝に京都から新幹線に乗って、その日の午後と木、金と仕事をして、また新幹線で深夜に京都に帰る、ということになった。で、そんなパターンで1ケ月以上が過ぎた。「大変ですね」と言われるし、ぼくも最初はそう思ったが、今のところ、しんどさよりはおもしろさを感じることが多い。
    ・今さらながらに驚いたのは、早朝、あるいは夜更けの新幹線が満員であること、その大半が中年のサラリーマンであることだ。朝の新幹線は完全に関西から名古屋への通勤列車になっているし、金曜の夜は家に帰る単身赴任のお父さんらしい人で一杯だ。職住近接とかSOHOといったことばがはやっても、仕事のための移動に多くの時間を使う人が多いのは相変わらずのことなのである。今までほとんど電車にも乗らなかったぼくにとって、そんな通勤での体験は新鮮だ。
    ・毎週1000kmの移動をしているわけだが、もちろん旅をしているのだという感覚はほとんどない。片道4時間ほどをウォークマンで音楽を聴きながらの読書で過ごしている。これがなかなか集中できて、研究室よりもはるかに本が読めるから、かえって読書量は増えそうである。そんなふうにして読んだ今福龍太の『クレオール主義』に「場所と移動」についての記述があって、新幹線の中で読んだせいか共感する部分が多かった。

    たとえば、ある場所に「住む」という経験について考えてみる。「定住」は従来から「移動」に対立する概念としてしばしばこれと対照させられてきた。しかし現代社会のなかで、「住む」ことは「移動する」こととますます「経験」として区別できなくなりつつあるように見える。......中略.......現代は、移動の論理の上にたってようやく危うい定住の形式を手に入れているにすぎない。

    ・今福はこのように書いたあとで、「私たちの日常の『生活』が、移動機関の内部から<場所>を眺めるかたちで遂行されている」と言い、移動手段を、日常を描く筆記用具にたとえて話を展開している。「たしかにそうだ」とぼくは思い出したように新幹線から外の景色を眺め、それから、ぼくが住むところ、働く場、生活の場所を思い浮かべた。「いったいぼくは、どこにいるんだろうか?どこから来て、どこに行こうとしているのだろうか?」
    ・ぼくは人生の半分ずつを関東と関西で生活してきた。だから学生にはずっと東京弁の先生と言われてきたが、東京で、関西弁の先生と言われてしまった。自覚がないわけではなかったが、関東弁と関西弁がチャンポンになっていて、聞き手はその聞き慣れないことばの方に関心を向けるのである。もちろん、だからといって「故郷喪失者」や「デラシネ」などといった心持ちになるわけではない。むしろ、今福の言う「クレオール主義」の実践者のような気になった。
    ・「クレオール」とは移動や交易によって生みだされた、一種の簡略化された言語で、ブロークンなものとしてみなされることが多いが、それはまた母語として、主要な表現手段としても使われている。そのさまざまな言語や文化の交差から生まれたという特徴に、今福は偏狭なナショナリズムや民族主義、あるいは定住への固執がもたらす弊害を乗り越える道を求めている。それほど大げさなものではないが、ぼくの使うことばや、文化的基盤には今、疑似クレオールと呼べるものがたしかに実感できる。
    ・だから、「ぼくはどこにもいない人」(nowhere man)ではなく、ここにも、あそこにもいる人。アイデンティティにこだわりながら、いつまでもそれを未成のままにしておきたい人。こんなことを勝手に考えている間に、「ひかり」は東京に着いてしまった。ひとときの同乗者たちがホームに降りて、それぞれに散っていく。ぼくは中央線に乗って国分寺へ、3講目に「社会学」の講義をしなければならないし、そのあとは2年生のゼミだ。研究室にテレビとコンポをいれて、早く居心地のいい部屋にしよう。(1999.05.14)