2001年5月28日月曜日

Bob Dylan "Live 1961-2000"


・ボブ・ディランがデビューしてからもう40年がすぎた。年齢も5月24日で還暦を迎えた。僕がはじめて彼の歌を聴いたのは16歳の時だから、そのつきあいも35年を越えたことになる。本当に長いつきあいになったな、と思うが、その40年間を1枚に収めたCDがでた。ディランは今年、4年ぶりに日本でコンサートをしたが、その来日記念版として日本だけで発売されたもので、全曲ライブである。

・一番古いのは1961年。ミネアポリスの友人の部屋での録音で曲目はトラディショナルの「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」。その時期、彼はほんの少しだけ、ミネソタ大学にいた。そこから、彼のキャリアのなかで節目になるライブが並べられている。たとえば、3曲目の「ハンサム・モリー」はニューヨークのライブハウス、ガスライトでの録音で、レコード・デビューする直前のもの。5曲目の「アイ・ドント・ビリーブ・ユー」はロックを取り入れて物議を醸した1966年のイギリス公演。交通事故で沈黙しているときに出た、1968年のウッディ・ガスリー・メモリアル・コンサートが6曲目。7曲目は 1974年の復活コンサート。8曲目は1975年から76年にかけておこなわれた「ローリング。サンダー・レビュー」ツアー・コンサート。その後も、80 年代から90年代、そして2000年まで、ライブばかり16曲が収められている。

・もちろんぼくは、ここに収録されているほとんどをすでに持っているが、こうして並べて聴くと、また違ったおもしろさが感じられて、無駄な気はしなかった。特に目立つのが声の変化。僕は最近の太いだみ声にはどうしてもなじめないでいる。だから家にいてもディランのCDをかけることは多くはない。かえってヴァン・モリソンの声に、昔のディランとつながるものを感じたりする。だから、このアルバムで、改めて、声の変化のプロセスを確認した気がした。

・ディランのライブを僕は5回聴いている。最初はもちろん、日本初公演の1978年。大阪の松下電器体育館に2日連続ででかけた。2日目の席は前から10列目ほどで、ディランの顔を生で確認できたことだけで感激してしまった。その後、大阪城ホールで2回。最初はトム・ペティがバックで、聴衆が完全に2分されているのがおもしろかった。しかし、その後に来たときの印象はほとんどない。たぶんつまらなかったのだろうと思う。そして最後に行ったのが1997年の大阪フェスティバル・ホールで、レビューにも書いたように、これはなかなかよかった。

・で、今年が4年ぶりの来日コンサートだったのだが、僕は行かなかった。関心がないわけではなかったが、河口湖に住んでいると、本当にライブ・コンサートや映画を見に行くのが億劫になる。しかし、音楽は家や車で聴けばいいし、映画はテレビで見ればいい。そのためのCDやビデオや衛星放送じゃないか。もともと河口湖に住むときにそう判断したのだからしかたがない。とはいえ、今回は行きたかった。

・ ディランはここ数年、いろいろと話題になっている。グラミー賞を取ったし、今年はアカデミー賞ももらった。ノーベル賞の平和賞にも、何度も名前が挙がっているから、たぶん近いうちに受賞するだろう。20世紀後半のポピュラー音楽の方向をつくった人、アメリカ文化の代表者、あるいはアメリカの良心などということばで褒め称えられている。ディランもそのような風潮に応えたのか最近、「世界自然保護基金(WWF)」のために自分の曲を無料で提供する、といったニュースも報じられている。しかし、「歌を歌い始めたころ、動物だけが僕の音楽を気に入ってくれた。今度は恩返しをする番」(朝日新聞より)は、わかったようなわからないような中途半端なコメントだ。

・僕はこのような傾向にあえて反対する気はないが、名声や伝説というフィルターでディランを扱うのはあまり好きではない。ディランがくり返し言っているように、彼は1人の歌うたい。古いブルースやフォークを好んでうたう姿勢を、もっと色眼鏡なしで受けとめたらいいのにと思うし、ディランもちょっと調子に乗り過ぎかなという気もする。

・たまに日本盤のCDを買うと、付録の訳詞にうんざりすることが多い。勝手な思いこみで、いい加減な訳をしているものが多すぎる。同様のことは解説にも言える。いっぱしの評論家気取りが思いつきでだらだらと書く。しかし、このアルバムの訳詞はしっかりしているし、解説も丁寧だ。訳者はおなじみの片桐ユズル、三浦久、中川五郎。解説は菅野ヘッケル。ロックは、英語ができることはもちろんだが、詩がわかって、音楽がわかって、解説や訳詞から、久しぶりに何かを得ることができた。

2001年5月21日月曜日

突然の死 桐田克利『苦悩の社会学』(世界思想社)


  • 17日の朝、大学の研究室に着くと、メッセージのない留守電がいくつも入っていた。しばらくして僕のパートナーから電話が来た。「桐田さんが今朝亡くなったって。」「えー、何だって、どういうこと?」折り返し世界思想社の中川さんに確認して、やっと事態はのみこめたが、それでもまだ、まるで実感がない。しかし、葬儀には行かなければならない。勤め先の愛媛大学に電話をして会場を聞き、彼と親しかった人たちに連絡をする。そんなことで午前中の時間が慌ただしく過ぎた。会議も授業もキャンセル。飛行機と宿の予約。夕方の便で松山に出かけることにした。
  • 僕と彼は院生の頃からの勉強仲間で、E.ゴフマンやK.バーク等の難解な英語の文章を何年も一緒に読んだ。ゴフマンの "Frame Analysis" は600頁以上もあって読むのに2年もかかったが、彼がいなかったら途中でやめていたと思う。とにかく勉強一途の人で、読書と思索以外にはまったく関心がないという感じだった。日の当たらない彼のアパートに行くと、部屋には畳も見えないほど本が散乱していて、とても上がりこむ気にはならなかった。だからいつでも近くの喫茶店に誘った。
  • 彼の関心はコミュニケーションや人間関係における優劣の問題、それも劣位にある者の心情。例えば、自殺した少女の日記、いじめ、病いに苦しむ者………。そこに強くアイデンティファイしながら的確な分析を丁寧にしていく。そのまなざしはいつも優しさに溢れていた。書き上げたらもうおしまい。関心はまったく別のことに。といった僕の気まぐれさとは違って、彼は一度書いた文章を何度も書き直し、しかもそれぞれのバージョンを全て、フロッピーに保存していた。「書き直したら、前のなんていらないじゃない。」と言ったら、彼はまるで大切な宝物をけなされたかのように反論した。寡黙で頑なだけどおちょくるとムキになる、おもしろい人だった。
  • そんな彼の仕事は1993年に『苦悩の社会学』(世界思想社)となって出版された。売れそうにないけど、いかにも彼にぴったりの題名だと思った。その本を、僕は松山に持っていくことにした。何度も読んだ(読まされた)文章だが、もう一度読みたいと思った。飛行機嫌いの僕には、とても集中して読める状況ではなかったが、突然の死と重ねあわせると、また違った印象を受けた。
  • <健康>な人びとは、日常を自分の死の隠蔽のうえで生きている。「死ぬのは他者であり、私は死なない」。<生命あるものには終わりがある>ということは一般認識であるが、私たちの日常的意識はその認識に裏打ちされてはおらず。無限の生を生きるものとして感じている。
  • 死に対する現代の一般的態度が死の否定による生の肯定であるとすれば、重い病に直面した時、人はその態度のゆえに苦悩せざるをえない。自分の死の自覚は、もはや自分のいままでの形での生がありえないということを前提にしている。その不安を誰もが程度差こそあれ、経験するにちがいない。死は寂しさを伴う恐怖の対象として実感される。特に、働き盛りの時に病に陥る人びとはそうである。
  • 告別式の始まる前に奥さんの弘江さんとちょっと話した。絶えず流れ落ちる涙にはれあがった顔をしながらも、時折笑顔を浮かべて、彼女は状況を説明してくれた。桐田さんは夜間部の授業の最中に倒れた。脳溢血で、朝までさまざまな処置が施されたようだが、意識は一度も戻らなかった。授業が始まる前に「これから授業だ」と電話をしてきたこと。だから倒れたと言われても、大したことはないのでは、と思ってしまったたこと。もう少し健康状態について気にかけてあげたらよかったと反省していること。4歳になる流生(りゅうき)君が、最近、かっちゃんと言って、母親よりは父親に近づきはじめたことなどなど………
  • 僕が流生君にあったのは3年前、四国を車で回った時に高松の自宅を訪ねた。(→)
    まだ1歳の赤ちゃんで、桐田さんは遅すぎてやってきた「父親」という役割に戸惑い気味だった。学生や同僚たちの涙や虚脱したような表情でつらい雰囲気の会場にいる4歳になった彼に、この事態はどの程度認識されているのだろうか。僕は朝、ホテルを出て愛媛大学まで歩き、彼の研究室の前まで行った。主が突然にいなくなった部屋。授業に出かけたまま彼は2度と戻らない………
  • 桐田さんが本に書いたのは、病いや劣位の状況に追い込まれて苦悩する人たち。その愛憎の感情や夢と悪夢、希望と絶望の間を揺れ動く心の軌跡、失墜の闇が彼のテーマだった。なのに、彼は、そんな境遇に陥ることなくあっさりとこの世とおさらばしてしまった。彼が置いていったのは後に残された人たちの心の中の空白。「桐田さん、こんな死に方は君らしくないね。不器用なあなたには似つかわしくない格好いい結末」。もっとしぶとく生きて、もっともっと仕事をして欲しかった。読書と思索ばかりでなく、弘江さんや流生君との生活を楽しんだり、煩わしい思いをしたり、悩まされたり、苦しんだりしてほしかった。
  • でも、それは誰より桐田さんの希望だったのだと思う。まだまだ仕事ができたのに残念です。
  • ご冥福をお祈りします。
  • 2001年5月14日月曜日

    オリエンテーション・キャンプ

     

    saiko1.jpeg・僕の所属する学部では、毎年、新入生を1泊2日のオリエンテーション・キャンプに連れて行く。主な目的は、学生同士の親睦で、これをやらないと、いつまでたってもうち解けた関係になれない学生が多いからだ。ここ数年は富士五湖の西湖が会場になっていて、僕は家が近いという理由で、今年の実行委員長にさせられてしまった。
    ・とにかくいろいろと委員をやらされているから、できるだけ手抜きでと考えた。しかし、去年も一昨年も参加して感じたのは、西湖まで出かけていってするスケジュールになっていないということ。ボランティアで手伝いをしてくれる学生たち(オリターと呼ぶ)とそんな話をしているうちに、キャンプ・ファイヤーやバーベキューをやろうということになった。4月に入ってから毎週、学生たちとキャンプの中味を検討。熱心な学生たちが出すアイデアにつきあって、委員会は毎回長時間になった。

    saiko2.jpeg・こんな予定ではなかったのに、と思ったが、学生が何かを積極的にやるという姿勢は最近めったに見かけないから、面倒くさがってもいられなかった。
    ・前回書いたように、僕はゴールデン・ウィーク中に体調を崩した。仕事を再開してしんどい一週間だったが、前日にした最後の実行委員会も無事済ませて一応準備はOK。キャンプ・ファイヤーや翌日の西湖散策につきあう体力があるかどうか不安だが、一応何とかなりそうなめどはついた。やれやれ………。
    ・当日は、本当に久しぶりの快晴。朝起きたときに窓から真っ青な空が見えるのはずいぶん久しぶりで、寝起きの感覚も久しぶりに気持ちがいい。これなら何とか勤まりそうだと思った。

    saiko3.jpeg・西湖に着いたのは4時過ぎ。全体会をして、夕食。そして7時からキャンプ・ファイヤー。1年生にはゼミ単位で仮装してジェンカを踊るという課題をだしておいた。しらけて何もやってこないのではという心配があって、新聞紙、段ボール、パンストなどを用意したが、予想に反して、仮装はなかなかのものだった。で、大きく燃え上がる火の勢いもあって、キャンプ・ファイヤーは最初から盛り上がった。アー、これなら大丈夫。ほっとした気がした。 ・ジエンカを踊った後にはソロで歌う学生がいたり、エレキギターを持ち込んでビートルズを歌う教員がいたりで楽しかった。学生たちはその後も、ホールに集まってビンゴやクイズのゲームなどで盛り上がった。教員たちは部屋に引き上げて慰労会。夜中に騒いだり、外出したりする学生もほとんどいなくて、その点でも大助かり。

    saiko4.jpeg・翌日は8時に朝食をとって9時からはいくつか用意したミニ講義や授業。僕は「西湖散策」を担当したが、希望者が多すぎて、半分はバスで「野鳥の森公園」に送り出す。で、残った学生を連れて、ちょっとだけ山登り。宿舎の北側には高い山が迫っていて、時折山崩れが起こる。それを防ぐ大きなダムまでが一応の予定で、時間にしたら30分ほどだった。すぐに弱音を吐く学生もいたが着いたらまだ物足りなそうな雰囲気で、それならちょっと冒険をと川原にくだって巨岩がごろごろするところをダムの中まで歩く。水は全然流れていないが足場を気をつけなければ滑ってしまう。「ワー、こわ」とか「キャー」とかいう学生もいるが楽しそうで、次には堤防の上まで登る。空は真っ青、山は新緑、眼下には西湖、遠くに富士山。一人前の山歩きをした気がして満足そうな顔。じゃー、これで下に降りましょう。

    saiko5.jpeg・最後はバーベキュー。飯盒炊さんのまねごともして終了。1時半にバスが出発して、僕の役目もすんだ。オリターをしてくれた学生さんたちは本当に頼もしくて、1年生も積極的だった。実行委員は慣例で行くと3年間やる事になっているらしい。今回だけでかなりくたびれたから、もう来年は交代して欲しいところだが、たぶんそれは無理だろうから、来年は今回と同じスケジュールで、事前のミーティングなどは極力簡略にしたいと思う。それにしても、大学の先生も体力がなければつとまらない仕事になった、とつくづく感じた。いったいいつまでもつことやら。

    2001年5月7日月曜日

    最悪のゴールデンウイーク

     

  • 今年のゴールデンウィークは9連休。どんなふうに過ごそうかと思っていたら、初日から熱が出てダウン。咳が出て体がだるい。で2日ほど寝たり起きたりの生活をしていたら、腰痛も再発した。こうなると、寝ててもしんどいし、もちろん起きていてもしんどい。クスリはなるべく飲みたくないから、コーヒーにオレンジ・ジュース、お茶と絶えず水分補給をする。しかし、3日経っても4日経ってもすっきりしない。口の中がまずくて、何を食べてもおいしくないし、空腹感がない。アー、シンド、アー、退屈………
  • 熱など出したのは何年ぶりか、思い出せないほど久しぶりで、近年は風邪もひいたことがなかったから、何もしないでボーとしていることに慣れなかった。しかし、ナイフやノミを持つ気はしないし、パソコンをつけても目眩がしてしまう。もちろん外に出るなどもってのほかで、ベッドでうとうとするほかはなかった。眠くなくてもベッドに寝ている時には本でも読むしかない。で、枕元に並べたのはP.オースター。実は、この夏休みにものにしたいと思っている好きな作家で、すでに書評にも何度か取り上げたことがある。
    →『リヴァイアサン』
    →『偶然の音楽』『ルル・オン・ザ・ブリッジ』
    →『スモーク』『ブルー・イン・ザ・フェイス』
  • 熱があるときは、やっぱり読書もしんどい。しかし、オースターの小説は、こんな時でも妙に引き込まれる。『シティ・オブ・グラス』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』。これはニューヨーク三部作と呼ばれるが、前の2冊は探偵の主人公が人を見張る話。そして見張るうちに怪しくなるのが何より自分自身の存在ということになる。探偵とは自分を透明にして目的の相手に近づこうとする職業である。その透明な存在は、目の前で出来事が次々起こってはじめて、生きてくるのに、何も起こらなかったら、本当に自分自身の存在自体が危うくなってきてしまう。それで依頼者が何も言わないとしたら、いったい自分は何をやってるんだと自問自答せざるを得なくなる。依頼の趣旨がはっきりしない。これといった仕事が何もない。そこではっきりしているのは、自分が姿を隠しているという事実だけである。
  • 『鍵のかかった部屋』は失踪した友人の残した原稿を出版する作家が主人公で、彼は友人の奥さんに恋をし、彼の伝記を書こうと懸命になる。これは自分を友人の立場に限りなく近づける行為で、いわば「分身」のドラマだが、自分の存在があやふやになることでは「透明」と共通している。友達に成り代わろうとする自分と、自分であろうとする自分の葛藤。あるいは逆に友達に乗り移られてしまいそうになる不安。
  • 「分身」と「透明」と言えば、それは清水学さんの 『思想としての孤独』のキーワードだった。自分はいったい誰であるのか、と問いかけはじめた瞬間から、誰もが、自分の存在の不確かさやあやふやさに悩むようになる。自分がこの世界でかけがえのない、たった一つのユニークな存在であること、そうなるように努力すべきであること。それは欧米の近代社会が作りだしたフィクションだが、そこにとらわれた人間は必ず、また自己の「透明」さや「分身」と戯れ、悩まされることになった。まさに根源的な「ジレンマ」あるいは「パラドクス」
  • オースターの小説の主人公は、自分を分身にしてしまう、あるいは分身に乗っ取られたままにさせておくといった状態を受け入れながら、何の意味もない、何の役にも立たない行為に自身をを没入させ続ける。それこそ寝食を忘れ、他人や社会の存在を無視してのめり込む世界。主人公はやがてそこに奇妙な達成感さえ持つようになる。読みながら不思議な共感を覚えるが、それはまた、最近話題の「引きこもり」とはどこかが違う気もする。
  • 僕は結局、休みのほとんどを家に閉じこもって過ごす羽目になった。その間、同居人はクラフト・フェアやグループ展で出かけることが多かったから、僕はほとんど一人だった。誰にも会わず、何もしない10日間。体調はどうやら戻りつつあるが、外の社会へ出かけていくのがまた億劫になった。このまま「引きこもり」を続けたら、どうなるかな?なんて、オースターの小説を実践してみたい気が芽生えてしまった。それにしても、千客万来で忙しかった去年とはまるで違う、今年のゴールデン・ウィークだった。
  • 2001年4月30日月曜日

    アー、アホクサ

    前にも書いたが山間部の難視聴地域で民放の映りが悪いから、テレビはほとんどBSしか見ないのだが、最近一つだけ、見たいと思っているCMがある。沢口靖子が出るタンスにゴンだ。といって、あの豊乳が目的ではないし、それが本物か偽物か見極めたいわけでもない。最後に彼女がつぶやく「アー、アホクサ」のひとことが気に入っている。それに、清純派の美人女優だった彼女のイメチェンぶりがおもしろいからだ。


    民放テレビを見ない理由にはもうひとつ、関西弁と違って面白みのない標準語がある。それはとりわけCMに顕著だ。僕は最近流行の語尾上げにはほとんど反応しないことにしているが、そうしながら、関西弁の「〜、な」という念押しには抵抗なくうなずいていた自分を思い出す。両方とも、話したことばの判断の一部を相手にゆだねる言い方だが、語尾上げの方が遠慮深そうに聞こえる分だけ同意しかねる気がしてしまうのに、「な」の方は押しつけがましい気がするぶんだけ、こちらにぐっと近寄ってくるような距離の近さを感じてしまう。悪くするとなれなれしさや図々しさになってしまうのだが、例えば「ボケ」や「ツッコミ」といったやりとりの工夫がそこに生き生きとした、笑いを誘うような世界をつくりだす。


    大学で担当している講義で「恥や恥ずかしい経験」について書いてもらった。「恥」は「罪」に対応する意識で、一種の社会的制裁なのだが、学生の書いたものはそれではなく、単純な失敗談とそこで感じた「恥ずかしさ」がほとんどだった。「階段でこけた」「電車の扉が目の前で閉まった」「ヒト間違いをした」「ジッパーがはずれているのに気がつかなかった」………。


    そういうときに次にする行為は、一つは極力なかったことにしたいという願望に基づくものであり、もうひとつは笑いへの転化、つまり笑われることを笑わせることに変えることだろう。どちらも恥ずかしさをうち消すためにする行動だが、後者の方がより積極的なのはいうまでもない。そして学生たちの反応にあったのは圧倒的に前者だった。


    沢口靖子は、自分に付与されてきたイメージからすれば、キンチョーのCMに恥ずかしさを感じているはずだ。けっして自分からこんなCMを作ろうと思ったわけではない。スタッフにその気にさせられたのかもしれない。キンチョーのHPにはこのCMのエピソードが載せられていた。

    撮影当日、スタジオ入りした沢口さんは、もうすでに役に成りきっていて、『和製マライア・キャリーよ。』と、ご満悦でした。1テイク撮るたびに監督さんが『拍手!』と言って、沢口さんをのせていきます。そのたびにスタッフ全員が拍手を送るので、沢口さんの“陶酔の表情”が大変自然なものになったのです。また、でき上がったCMがイヤらしくならなかったのは、『豊満な沢口さんを綺麗に撮りたい。』という、監督のねらいがあったからです。

    思わずノセられてしまったことに対抗する自分の自己主張、それが「アー、アホクサ」だ。恥ずかしいで終わるのではなく、それを笑いに転化させる一言。関西的なものといってしまえばそれまでだが、東京では現実の場でもテレビの中でも、このようなシーンに出会うことが本当に少ない。シリアスなトーンが強すぎるのだが、時に僕は息が詰まってしまう。

    2001年4月23日月曜日

    感情とコミュニケーション 『管理される心』A.R.ホックシールド(世界思想社) 『楽しみの社会学』M.チクセントミハイ(新思索社)

  • 「キレル」とか「ムカツク」といったことばをよく耳にする。学生も頻繁に使うし、犯罪やもめごとにまつわる理由としてもくり返し出てくるから、しばらく前からずっと気になっていた。僕自身は使うことは少ないし、聞きたくない、嫌いなことばだが、今の時代の共通感覚を探るキイワードであることは間違いない。「キレル」というのは、いったい何がどうなることなのだろうか。学生と一緒に考えてみようと思った。
  • 「キレル」にしても「ムカツク」にしても、人間関係のなかで持つ怒りの感情をあらわしたことばとしては共通している。若い人たちのするコミュニケーションのなかには、それほど怒りを誘発する原因があるのだろうか。例えばそれを上の世代の人たちは、辛抱が足りないとか、コミュニケーションの仕方を知らない若い世代の特徴として考える傾向にある。それを非難するのはたやすいが、そうなる原因や仕組みをはっきりさせなければ、批判自体がまた「ムカツク」原因になってしまう。
  • A.R.ホックシールドの『管理される心』には「感情規則」ということばが出てくる。感情は心の中から自然に湧き出るものと思われがちだが、社会学ではそれも、きわめて社会的なものとして捉えられる。「私たちが気分や感情に関して内在的だとみなしているものは常に社会的な形態へと作り上げられ、人びとに利用されてきたとも考えられる。」たとえば怒りの抑制、感謝の気持ちの表明、羨みの抑圧等は道徳やマナーとして躾られたもので、そのいわば感情規則と呼べるものは「文化が行為を方向づけるためのもっとも影響力のある手段の一つである。」
  • 私たちが自覚し、あるいは表出するさまざまな感情は、ある規則に従って訓練されたものであり、いつの間にかそれが自然に備わったものであるかのように身についたものである。喜怒哀楽やその他の感情は、それがどんな些細なものであっても、その裏には、してはいけないこと、しなければならないことといった、規則が潜んでいる。だから、そのような規則に背いたとき、うまく実行できなかったときには「罪」や「恥」といった意識を持つ。
  • 例えば60年代の対抗文化が主張した「性の解放」はそれまでの常識的な男女関係を否定した自由なものとして考えられたが、しかし、一方できわめてやっかいな感情を「抑圧」しなければならなかった。つまり、自由な性には必然的に「嫉妬」がまとわりついたのである。しかも意識をもって「自由な性」を主張する人は、自ら感じて抑えが効かない「嫉妬」の感情に、強い罪悪感を持たされた。一つの集団を維持するため、あるいは人間関係を円滑に行うためには、いずれにしても、うまく機能する感情規則が欠かせない。『管理される心』を読むと、そんな現実を改めて認識させられる。
  • さらにA.R.ホックシールドは現代が、感情の管理を職業としてこなす人たちが増えた時代であるという。例えばサービス業と呼ばれる職種には、顧客に心地よい気持ちを与えることが何より重要である。むかついてもそれを表に出してはいけないし、キレルことなどもってのほか。そんな態度を仕事として要求される人が増えている。しかも相手はたいがい見ず知らずの初対面の人間である場合が多い。喜びや親愛の情、誠実さ、親切心………。このような感情をいわば取り繕われた演技として誰にでもくり返し表明する。それが今の社会の性格を特徴づけている。
  • こんなふうに考えると、そのような感情規則はまた、きわめて壊れやすい脆弱なものであることがわかってくる。しかも、この規則が親密なはずの人間関係の基本にも入りこんでいるとしたら、人間不信の芽はいつでもどこでも顔を出す危険を孕んでいる。それはまた、家庭内暴力や引きこもりの原因ともつながっているはずである。
  • このような感情にまつわる現状分析にもう1冊、対照的な側面を扱った本を並べると、今という時代を生きる人たちの心を理解する手だてが深まるかもしれない。M.チクセントミハイの『楽しみの社会学』。これは最近復刊されたもので新しくはないのだが、例えば「ハマル」といった、これもよく使われる感情表現をうまく説明できる概念を提出している。チクセントミハイは人が夢中になって我を忘れたり、現実感覚から抜け出す心情を「フロー」ということばで解き明かしている。ゲームにはまる。スポーツに熱狂する、あるいは小説や映画の世界に没入する。そんな時の意識は、いわば、コップという日常世界から意識が溢れ出す状態に似ている。そしてまた、今の時代はこんな意識を経験する場や道具に満ちあふれている。
  • 「はまる」と「キレル」は一面ではまったく違うが、日常の世界やそれを統制している規則からはずれる状態であることでは共通している。はまりやすい、きれやすい意識は、そのまま日常生活の世界が持つ枠組みの柔軟さと同時に脆弱さを証明する。目の前にいる相手との間に了解されているはずの感情規則が、必ずしも確かなものではなかったり、安定していなかったりする。そのような世界は、その柔軟さと脆弱さを熟知して自ら管理することができれば面白いものだと思うが、それはなかなか難しいし、若い人たちや子どもたちにその術を伝えるのはもっと難しい。
  • 2001年4月16日月曜日

    高校生と携帯メール

  • 朝テレビを見ていたら、高校生と携帯メールの特集をやっていた。毎日100通のメールを出す女子高生や、メールを使った授業ができないかと工夫する英語の先生。高校生たちのインタビューへの応え方や話し方もふくめて、興味をもった。
  • 最近の高校生はこんなにメールを出しているというのに、ぼくのところへは来たことがない。同じ学校の限られた友達同士で頻繁にやりとりするおもちゃになっているのだから当然だが、パソコン・メールとの違いを感じた。実は先日、指定校の推薦入学があって、ぼくは受験した高校生と面接をした。ぼくは、彼や彼女たちのほとんどがコンピュータに関心があると言っているのに、さわったこともない人がほとんどなのに驚いた。受験したのは都立と周辺の県立高校の生徒が大半で、それぞれの高校には相変わらず、パソコンを使う授業がまったくないのである。ぼくがホームページを作った理由の一つには、高校生が大学選択するための材料提供という狙いがあった。しかし、開設してから4年たつのにいまだに一通の手紙もやってこない。理由を改めて教えられたし、「IT革命」などといってもおよそお粗末な教育の現状をみせられた気がした。
  • 高校生達は本当はコンピュータに関心があって、早くやってみたいのに、学校がそれに応えられない。だから彼や彼女たちはそれを携帯メールでやり始めている。そんなことが言えるのかな、と思ってテレビを見ていたら、携帯メールとホームページを連動させて授業をやろうとした先生が、女子生徒に反対されているシーンが出てきた。「友達とのやりとりで楽しんでいるものを、つまらない授業に使ってほしくない」。英語の授業を何とか楽しくしようと試行錯誤している先生は困惑した顔をした。生徒達にとっては、授業はどんなふうになろうがおもしろくない。だから友達とメールのやりとりをして気分を紛らわせている。入試で面接をした生徒達が一様に夢ややる気を力説していたのとはあまりにも対照的だった。彼らの本当の気持ちはどっちなのだろうか。
  • そういう疑問を持っていたら、NHKが村上龍をホストにして教育の現場についての特集をやった。午前中から夜までの長時間番組で、ぼくは全部につきあったわけではなかったが、不登校や教室内での生徒達のルール無視の言動など、現場の先生達や父母達からさまざまな現状が話された。村上龍は最近話題作を連発していて、教育や経済について、マスメディアでの発言も多い。『共生虫』も『希望の国のエクソダス』もおもしろいと思ったが、そのおもしろさの半分はフィクションとしての誇張がつくりだすものだろうとも感じていた。しかし、小中高校の現状については彼の小説には誇張はなさそうだった。
  • 『希望の国のエクソダス』では学校に行くのをやめた大量の中学生たちがネットワークでつながって社会にメッセージを送ったり、ネット・ビジネスを起こしたりする。そしてもちろん大人達はうまく対応できない。テレビを見ていて、不登校生徒の数の多さや、授業が成立しない教室という現実が誇張どころではないのかもしれないと思ったが、それとは対照的に、ネットワークへの関心と経験は、作者の全くの希望的な創作のように感じられた。中学生どころか、高校生だって、大半はネットどころか、パソコンのキイボードにすらさわったことがないのだから。だとすれば、携帯メールがもてはやされるのは、この落差が原因なのだろうか。
  • 学校の授業はおもしろくない。先生は信用できない。たぶんこれが今の小中高校生の共通認識だろう。しかし、勉強して大学まで行かないと先の展望は開けないし、コンピュータぐらいマスターしないとろくな仕事にも就けない。だから、それなりに前向きにと考える生徒と、もうどうでもいいと思ってしまっている人たちがいる。そんな彼らにとって自分自身や人間関係をかろうじて実感させるメディアが携帯メール。そんなふうに考えると、どうしようもなく憂鬱になってくる。
  • 面接を受けた受験生達の夢は、ひょっとしたら合格するために用意したセリフなのかもしれない。ぼくはそう感じながらも、彼らのことばを信じたい気になった。大学にも、最近、何をしたいのかわからない学生が増え始めているのだから………。