2004年2月9日月曜日

ボウリング・フォー・コロンバイン

 

・マイケル・ムーアはドキュメント映画の監督で、「ボウリング・フォー・コロンバイン」は去年のアカデミー賞に選ばれている。授賞式はアメリカ軍のイラン侵攻から4日目のことで、彼はそこで次のような発言をした。

われわれは作り物の理由でわれわれを戦争に送るような男がいる時代に生きている。戦争には反対だ。ブッシュ大統領よ、恥を知れ

・アメリカ人であれば戦争批判を躊躇するのがふつうの時期にした、きわめて率直で、当たり前の発言。ブッシュの強引な開戦理由にうんざりし、小泉の追随姿勢にあきれ、イラクの戦況に憂鬱になっていたから、痛快な気持になった。で、どんな映画なのか見たいと思った。もっとも、彼の作品が「最優秀ドキュメンタリー賞」を取ったのは、こんな時期だったからで、アカデミーの良心の表明なのではないか、といった気がしないでもなかったから、それほど期待もしていなかった。
・Wowowがマイケル・ムーアの特集(1月31日)をして、彼の作品を3本とテレビ番組を放映した。僕はその大半を見たが、作品の主張はもちろん、ムーア自身の存在感の強さに圧倒された。巨体で行動的、辛辣だがユーモアにもあふれている。カメラを持ってどこにでも出かけ、誰にでも会い、いきなりカメラを向けて、核心をつくインタビューを試みる。それはデビュー作からの一貫した、彼の姿勢と手法だった。
・彼のデビュー作は『ロジャー&ミー』。生まれ故郷のミシガン州フリントは世界最大の自動車メーカー「GM」創設の地だ。住民の大半はGMの工場で働いているのだが、輸入車に対抗するための海外への工場移転で、職を失ってしまう。ムーアは寂れていく街の様子や人々の暮らし、そしてGMの会長(ロジャー・スミス)を追い続けて、一本の作品にした。
・「ボウリング・フォー・コロンバイン」も手法はまったく同じだ。扱ったのはコロラド州のコロンバイン高校で1999年に起きた二人の生徒による銃の乱射事件で、彼らは13人を殺した後に自殺をしている。現場に行き当事者に会ってインタビューをする。そこに学校内に設置されたビデオカメラが撮ったできごとの様子を挟みこむ。そうして彼が問いつづけることは、子どもたちの信じられない行動を非難することではなく、銃とそれに対するアメリカ人の思いだ。
・アメリカには2億5千万丁の銃(国民一人に1丁)があり、それによって毎年11000人を超える人が殺されている。銃による殺人はイギリスでは68人、日本では39人で、銃の所持が厳しく制限されていることを考慮すればその少なさも納得できる。しかし、ムーアが問題にするのは、同じように銃の所持が簡単なカナダでも、それを使った殺人は米国とは比較にならないほど少ない点だ。
・彼はそこに、弱者や貧者に対する姿勢の違い、コマーシャリズムの度合いの違い、そして、アメリカの豊かな者たちの心に潜在する不安や恐怖心の大きさに注目する。その象徴として追いかけ回すのが「全米ライフル協会」の会長であるチャールトン・ヘストンだ。自分の命や財産は自分で守る。そのために銃は不可欠。銃は保険であり、精神安定剤でもある。頑丈な柵と塀に守られた豪邸に住み、襲われた経験のないヘストンだが、銃の必要性を信じて疑わない。そんな彼の姿勢が次第に恐ろしく、また滑稽に感じられてくる。
・ムーアの故郷フリントでは6歳の男の子が6歳の女の子を撃ち殺す事件が起きた。そのことをあげてヘストンを問いつめると、彼は不愉快な顔をして「もう時間をオーバーしている」とインタビューを拒否しはじめる。この時のヘストンの表情はけっして正義のガンマンではなく、「正義」や「悪」を好んで口にする時のブッシュの間抜けな表情によく似ていた。
・コロンバイン高校の事件の後、その原因としてやり玉に挙げられたのは、犯人の高校生がよく聴いていたロック・ミュージシャンのマリリン・マンソンだった。ムーアはマンソンにもインタビューをするが、このやりとりはきわめて率直で自然だ。ステージ上のおどろおどろしいマンソンとは違うふつうの青年の一面が見えた。
・ムーアは犯人の聴いていたロックが問題なら、犯人が好きだったボーリングだって問題だろうと言う。何しろ犯人の高校生は銃を乱射する直前まで、ボウリングをしていたのだから。アメリカでは、ボーリングのピンは射撃の訓練の標的によく使われている。理由は人間の身体に似ているから。ボーリングのピンを倒し、ストライクの痛快さを味わいながら、それが生きた人を倒す妄想に発展する。そんなことだってあるんじゃないか。「ボーリング・フォー・コロンバイン」というタイトルにはそんな意味が込められている。
・だったら、なぜ高校生はボーリングのピンを倒すように、同じ高校の生徒に銃を向け乱射したのか。銃があまりに手近にあり、それに頼り、それによって不安を拭おうとする大人たちが身近にいる。貧しい者、弱い者、持たざる者への蔑みと不信感。ムーアの主張はきわめてわかりやすくて、また説得力もあるが、そんな神経症的な不安感を世界中に振りまかれたのではたまったものではない。笑いながら同時に背筋が寒くなった。

2004年2月2日月曜日

氷の世界

 

forest31-5.jpeg・今年は暖冬で雪も全然降らなかったが、1月17日に20cm積もると、19日には10cmと続いた。17日は久しぶりの除雪機で、うきうきと雪かきをしたが、19日は出講日で、仕事前の一汗を余儀なくされた。続くと途端にしんどくなる。ましてや仕事の日となると、気が重い。

・雪はサラサラで箒ではいてもいいほど軽い。しかし一晩放っておくと、車に踏みつぶされたところが凍ってしまう。凍れば春先まで残る。で、きれいにした甲斐があって、アスファルトの道になったのだが、1週間後の26日にまた雪。今度は3cmほどで、試験監督で早めに出かけなければならなかったから、除雪はせずに出かけた。

forest31-8.jpeg・そうしたら、翌日には路面はすっかりアイスバーン。森の外は乾いているから、この道に入ってきた車は、一瞬躊躇して停車、それからそろそろと動き始める。スノータイヤを履いていなければ、ハンドルもままならないから、訪問客には、気をつけるように言わなければならない。

・ここ数日は最低気温が-10度前後になっている。河口湖も氷が張り始めた。寒さがこのまま数日続けば全面に広がるだろう。精進湖はすでに全面結氷しているというので出かけてみた。途中の西湖はまるで凍っていない。水温が違うのは、たぶん深さのせいだろう。河口湖と精進湖に比べると西湖ははるかに深い。行かなかったが本栖湖にも氷はないだろう。精進湖は、氷の上に雪が積もってまだらになっているが、確かに氷に被われている。しかし、氷にのってワカサギ釣りというほどには厚くない。↓


forest31-4.jpegforest31-3.jpegforest31-2.jpegforest31-1.jpeg



・西湖の野鳥の森公園では、今年も氷のモニュメントが作られている。水をかけて少しずつ大きくするのだが、最高気温が氷点下の日が続かないとなかなか形にならない。今年はまだもう一歩で迫力に欠けるのだが、ライトアップした夜ならば、幻想的な風景に魅了されるかもしれない。しかし、それは寒いから遠慮して昼頃に出かけてみた。


forest31-10.jpegforest31-9.jpegforest31-7.jpeg


2004年1月26日月曜日

年賀状の憂鬱

 相変わらずジャンク・メールは届くが、だいぶ数は減った。クリスマスの商戦が終わったせいもあるし、お断りの返信をまめに出したせいだとも思う。今やってくるのは「メールお断り」の返信が出せないものや、出しても受取人不明で届かないもので日に20通ほど。同じものがほぼ毎日やってくる。
11月から12月は学生が送ってくる論文の処理で忙しい季節だが、それがジャンクメールに埋もれてやってきたから、本当にしゃくにさわった。ヴァイアグラはいらないし、ペニスを大きくする必要もないし、アドルトサイトも見飽きてる。ダイエットなど大きなお世話で薬も器具もいらない。金儲けに興味はないから投資もしないし、貴金属も買わない。そんなことをぶつぶつ言いながら、「リストから消せ」(unscribe)のボタンを押しつづけた。
ちょうど同じ時期に年賀状を書かねばならなかったから、今年はそれも何とも憂鬱だった。実は年賀状は何年も前からもやめようと思ってきた。実際に、枚数を極力絞って出したりもしたのだが、届いたものには返信を出すから、結局は同じことになってしまった。この慣行から何とか抜け出せないものか。ここ数年は、毎回それに苦慮している。
日頃顔を合わせている人に年賀状を出すのは意味はないし、もらっても興味は湧かない。まったくつきあいの途絶えた人とは、それだけの関係なのだから、消えてしまっても構わない。勤める大学では、年賀状はお互いに出さないようにしましょうという慣行がある。ゼミの学生にも住所は教えないことにしている。そんなふうに考えても、やってくる年賀状はなかなか減らない。
で、今年も50通ほど出したが、そのほかに、1月1日に年賀メールを100通ほど出した。1月1日にHPにアップした「ダイヤモンド富士」の紹介で、たくさんの返信が来た。1月1日に出かけて、即アップと思った人が多かったようだが、実際に見に行ったのは冬至の日だった。来年からはこれで行こうと意を強くしたが、かえって材料探しに苦労するかもしれない。

富士山の写真は、大変結構なものでした。ぼくはいつも、相模川の河川敷から夕刻の富士のシルエットを見ているところです。

ダイヤモンド富士の写真見せていただきました。写真を見ながら「すごい・・」ってつぶ やきが自然に出ました。ため息と同時に。おかげで今年はいい年になりそうな気がしました!

「ダイヤモンド富士」ってなに?と最初思いましたが、写真をみて圧倒されてしました。私もいつか拝みたいです。

富士山の模様素敵でした。初詣いけなかったので、なんだか行った気分になれました。

初日の出の写真は、本当に素敵でした。写真でもあんなに素敵なのだから、実際はもっとすごいんだろねと妻とともに画面に見入り感激しておりました。

しかし、先生も元気ですね〜。初日の出を高尾山に見に行ったことがありますが、山頂に着いたとたんビールを喰らうというバカな行動をし、その後の急激の体温の変化に泣かされた記憶があって、もうそんなことする気にもなりません。ま、今度するならば日本酒をポットにいれていこうかな・・・。

富士山、拝見しました。東京では、年越し、年明けのけじめがつけにくいのですが、やはり、新年を迎えるとはこういうことですね。
年賀状が不要だと思いはじめたのはずいぶん昔からだが、その思いが強くなったのは、HPを作りはじめてからだ。何かを表現する。誰かに何かを伝える。こういった欲求はHPでほぼ満たされている。感想なども来て、やりとりも結構ある。インターネットはやらない人、印刷したもののほうが読みやすいという人のために毎年「珈琲をもう一杯」の雑誌版を作っている。20〜30部ほどだが、それも10号を数えた。1年分となると毎号60〜70頁にもなって、かなりの分量だが、それに対しても丁寧な返事が来る。つきあいを続けたいと思っている人とは日頃からやりとりができているのだ。
とはいえ、それでも気になる人は何人か残る。何人かのためにもそれなりに工夫をして作らなければならない。そうすると、せっかく作ったのだからと、枚数が増えることになる。このジレンマから何年も抜け出せないでいる。

2004年1月19日月曜日

CDの値段

 

george1.jpeg・輸入盤のCDの値段が下がっている。新譜でも1300円前後で手に入る。日本版は同じものでも3000円ほどしているが、違いはアルバムやミュージシャンの解説や日本語訳の歌詞カードぐらいだ。そこに1000円以上の価値があるとはとても思えないが、それがほしくて買う人は、いったいどのくらいいるのだろうか。そのほかに、クラシック・ロックがリメイク盤として、1000円均一で売り出されている。60年代から70年代にかけてのロックの名盤といわれるものばかりだから、若い人で興味のある人にはたまらない値段だと思う。
・僕はレコードがCDに変わったときに大概のものは買い直した。今から考えるととんでもない額になるが、1000円ならと、見落としたもの、買い控えたものをさらに揃えようとチェックし直している。まだ出はじめたばかりだから買いたいものは多くはないが、これからの品揃えによってはまた大量に購入ということになるのかもしれない。とりあえず手に入れたのははブライアン・イーノ"Music for Airports"、タンジェリン・ドリーム"Phaedra"など。

morrison6.jpeg・ところで、CDが本当に売れていないようだ。買いたいものがないから、簡単にコピーできるから、と理由はいろいろあるだろう。洋盤の値下げはその対策の一つなのだろうか。あるいは単に円高の影響か。昔のものをリメイクというのも、新しいものが売れないからこその対応策なのだろうか。
・とはいえ、好きなミュージシャンの新譜も少なくない。スティング"Sacred Love"、プリテンダーズ"Loose Screw"、ヴァン・モリソン"What's Wrong With This Picture" "Vanthology: A Tribute to Van Morrison、ジョージ・ハリソン追悼記念コンサート "Concert for George"、トラヴィス"12 Memories"。

travis4.jpeg・スティングもプリテンダーズもヴァン・モリソンもいい。いつもながらの安定したできといったものだが、若いトラヴィスもREMを思い出させる音作りで、ちょっと新境地が感じられた。"Vanthology"はヴァン・モリソンの歌を多くのミュージシャンがカバーしたものだ。地味だが影響力のあるミュージシャンならばこそ、といったアルバムに仕上がっている。
・どれも、ただ聴いているだけでも十分楽しめるが、どれもまた、ことばを味わう価値がある。それをしないのは、おいしい料理の半分しか食べないのと同じで、何とももったいない。スティングはタイトルどおりラブ・ソングが多い。しかしたとえば1曲目のようになかなか哲学的で意味深いものがある。


sting3.jpeg 扉が愛で封印された中
眠った心の中
手袋の中の指の中
………
星が移動する、その外
世界が燃えている、その外
………
愛は絶え間なく争う子ども
愛は世界の果ての炎 "Inside"

・洋楽を聴かない大学生が言う理由は、決まって「歌詞がわからない」といったものだ。高校までで十分理解できるだけの英語を習っているはずだが、はなからわからないと決めつけてしまっている。だったら、日本人の歌う歌におもしろい歌詞はあるのか。そんな質問をしても、やっぱりはっきりした応えは返ってこない。だから、語学力の問題ではなく、歌のことばに対する関心のなさなのではないかと思ったりする。
barakan1.jpeg・ピーター・バラカンの『ロックの英詞を読む』(集英社)は、有名なミュージシャンの代表作ばかりを集め、その英語の歌詞に日本語訳をつけたものだが、その歌やミュージシャンや使われていることばについて、彼ならではの説明や解釈があって、なかなかおもしろい。こんなふうな読み方をすれば歌詞の意味はもちろん、英語にも興味がもてるのではないかと思う。

2004年1月12日月曜日

2003年度卒論集「教授!話が違います!!」


03-1thesis.jpeg
 
今年のゼミ生は12名。去年の19名より7名減で、その分、忙しい思いも軽減されました。もっとも今年のゼミ生は去年と違ってコンパ好き。研究室でもリラックス(しすぎ)で、にぎやかなものでした。どうしてこんなに違うものか、長年教師をしていても理解できない不思議な現象です。
・そんな快活さが功を奏したのか、就職状況も去年とは違って好調で、9人が内定、未定の3人もこだわった末の結果で、それなりに納得しているようです。中でも特筆すべきは女子学生。5名全員が就職先を決めました。学部全体での女子学生の内定率は5割以下ですから、これは快挙といってもいいでしょう。
・ところで卒論ですが、なかなか個性的なものが出そろいました。着々と書き上げた人、最後で馬力をかけた人、こだわりにこだわった人。もちろん、やっと形になったという人も数名います。なお各論文についてのコメントは卒論集のできあがる3月にあらためて掲載します。

1) 「SFとファンタジー 」……………………………………………四宮 響
2) 「サービスという名のコミュニケーション」………………新井さやか
3) 「キャップの下のジャップ」………………………………………渡辺賢
4) 「マンガと暴力、性描写を弁護する」………………………島田健太郎
5) 「アメリカ合衆国におけるサッカーの存在」…………………八巻貴洋
6) 「Jリーグ百年構想 」……………………………………………斉藤大樹
7) 「街の色とわたしたちの生活」…………………………………松井優子
8) 「香りの好み〜組み込まれるにおいたち〜」………………坪井真沙美
9) 「情報時代の表現の自由」………………………………………金子拓人
10) 「こんなにすごいぞ 昭和30年代 」………………………篠原悠里子
11) 「子どものペット化現象について」 ………………………… 池田恵美
12) 「笑いのメカニズム」 ………………………………………… 許斐勇人

2004年1月5日月曜日

富士を見る、富士から見る

 

・二週連続の富士山です。ふだん見慣れていると富士山も当たり前のように感じる部分がありましたが、「ダイヤモンド富士」を見てから、またあらためて富士山を見直したい気になりました。年末に関西からお客さんが来て、そのうちの一人と一緒に御坂山系を縦走しました。寒波がやってきて突風が吹いた翌日で、空は真っ青、景色は遠くまできれいに見える素晴らしい条件でした。気温は零下で寒かったのですが、喘ぐような上り坂でもほとんど汗をかかず、かえってちょうどいい感じでした。


まずは前回紹介した増穂町高下からの夜明け前の富士山。
forest30-1.jpegforest30-2.jpegforest30-3.jpegforest30-4.jpeg



次は御坂山系の黒岳から見た富士山
photo28-3.jpegphoto28-2.jpegphoto28-1.jpeg



新道峠からの富士
photo28-4.jpeg

黒岳から見た南アルプス、八ヶ岳、そして北アルプス

photo28-7.jpegphoto28-9.jpegphoto28-8.jpeg


・山歩きは本当に久しぶりで、登りはじめて15分でもうへたばってしまいました。尾根に登るまで何とかがんばって後は登っては下る縦走。もうとっくに雪に覆われている季節ですが、今年はほとんど見られません。葉の落ちた雑木の林が続きます。10時に御坂峠の天下茶屋を出発して大石峠まで縦走、そこから下ってわが家についたのは4時半。最後はもう足が棒のようになってしまいました。

photo28-10.jpegphoto28-11.jpegphoto28-12.jpeg



御坂山系から見たわが家のある森、わが家から見た御坂山系

photo28-15.jpegphoto28-16.jpeg


・翌日は富士山の五合目まで車で出かけました。雪化粧をしているとはいえ、上がってみると、うっすらとしたものです。

2004年1月1日木曜日

ダイヤモンド富士

 

forest30-1.jpegforest30-2.jpegforest30-3.jpegforest30-4.jpeg


・富士山頂からの日の出、あるいは富士山頂への日の入りを「ダイヤモンド富士」と言う。理屈では1年中どこかで必ず見ることができるのだが、やはり絶景ポイントと時期がある。冬至から正月にかけて有名なのは山梨県増穂町高下。甲府から笛吹川(富士川)沿いに南下したあたりで、下部温泉や身延山よりは北に位置する。河口湖からは峠をくだって車で1時間ちょっと。まだ真っ暗な早朝5時に家を出発した。 ・日の出ポイントに到着すると、すでに車の列。三脚にカメラをセットした人たちが数十人いた。気温は-1度、冷え込みは例年になく弱かったが、それでも、立ちっぱなしでいるのはつらい。6時過ぎには着いて、日の出の時間は7時半。車の中でコーヒーを飲みながら待つことにした。

forest30-5.jpegforest30-6.jpeg
forest30-7.jpegforest30-8.jpeg

・高下(たかおり)は家が数軒の集落だが、甲府盆地を見下ろし、富士を望む景色は本当に素晴らしい。高村光太郎が感激したというだけのことはある。その光太郎の碑があり、名産の柚子が無人販売所に並んでいた。富士山の山頂から正月に太陽が昇るのだから、何か霊気すら感じてしまった。

forest30-9.jpegforest30-10.jpeg
forest30-11.jpegforest30-12.jpeg

太陽は富士の左斜面を這うように登ってくる しかし出そうで出ない 光が薄雲に反射して赤から黄色、そして白に変わる で、その白い光の輪が山頂に達するといよいよ日の出 富士に後光が差した。 きらりと光る 光線は最初は下に二筋、それから三筋、さらに上にも三筋 ダイヤモンド富士! 肉眼ではまぶしいが、カメラを通すと光の筋の変化がよくわかる 「ワー、すごい!」と言っただけで、あとは無言 わずか数分の光のショーに、じっと見とれてしまった。 夜が朝に変わる時、一年が終わり、そして始まる時、冬至の季節 人は大昔から、この一日や季節や一年の変わり目を特別の思いで迎え 物語り、祀り、祈って過ごしてきた その理由が理解できる そんな気がした瞬間だった。
forest30-13.jpegforest30-14.jpeg
forest30-15.jpegforest30-16.jpeg