2009年6月15日月曜日

やさしいベイトソン

 

野村直樹『やさしいベイトソン』金剛出版
モリス・バーマン『デカルトからベイトソン』国文社

bateson1.jpg・ベイトソンの理論は魅力的だが難しい。だから、話題としては、決まった中身と形でしかできないできた。このパターンを脱けだして、もう少し自分のものにできないものかと、ずっと思ってきた。最近見つけた『やさしいベイトソン』は、そんな気持ちをくすぐる誘惑的な題名で、薄い本だからすぐに読み終わった。この本には、著者が直接目の当たりにして聞いたベイトソンの話が書かれている。ベイトソンが娘と交わす不思議な会話と並行させて、ドン・キホーテとサンチョ・パンサを登場させてベイトソンを読み解く工夫も施されていて、おもしろく読むことができる。ベイトソンへの興味も増すことは間違いない。けれども、読み終わっても相変わらずベイトソンは難しい。その意味では、この本はベイトソン理論を易しく解説したものではなく、ベイトソンという人物の優しい人柄を描きだしたものだと言える。で、ベイトソンの『精神の生態学』(思索社)を引っぱりだしてみた。

・ベイトソンの理論といえば「プレイ」と「ダブルバインド」が有名だ。「プレイ」は「遊び」と訳してもいいが、その他にも、演技をする、スポーツをする、あるいは音楽をやるなど多様な意味がある。ベイトソンはその全てに共通した特徴を、互いに相反するメッセージ、つまり、「本気でやるぞ」と「本気でやるな」が共存するコミュニケーションだと指摘した。普通には「これは遊び」というと、本気でない、真面目でないと解されるが、「遊び」はそこに本気が入るからこそおもしろく夢中になるはずで、だからこそ、「ウッソー」とか「マジ?」といったことばが出るのである。

・彼の代表的概念である「ダブルバインド」も構造的には「プレイ」同様相反する二重のメッセージで成り立っている。時に精神分裂病(統合失調症)を患う人に見られるのは、その原因が、身近な強者から自分に向かって放たれた互いに相反するメッセージに晒されることにあるという。つまり、「〜をしないと罰する」という命令が「〜をすると罰する」と同時に発せられるのだが、弱者には、それに異議を唱えることはできないし、しかもその場から逃げ出すこともできないのである。こんな状況に繰りかえし置かれた弱者が自己を守るすべは、狂気に陥ることだけだというわけだ。

bateson2.jpg・「ダブルバインド」的な状況は、人間だけにおこるものだが、「プレイ」はじゃれあいや威嚇、あるいは序列確認のディスプレイなど、哺乳類には頻繁に見られる行動である。相反する二重のメッセージをやりとりして遊ぶのはかなり高等なコミュニケーションで、そんなことが人間以外になぜできるのか。考えてみれば不思議な行動だが、ベイトソンによれば、それは人間を特別視したところから出てくる発想のようである。
・同様に最近読んだモリス・バーマンの『デカルトからベイトソン』にはベイトソンの理論が近代化の土台となったデカルトの思想に対する根本的な批判であることが力説されている。簡単に言えば「精神と身体」「主体と客体」を根本的に分離したデカルトに対して、それらがたがいに繋がりあう関係として存在するとした点である。デカルトに従えば「理性」と「感情」は別ものだが、ベイトソンによれば、それは同じひとつのプロセスのふたつの側面だということになる。あるいはそれはフロイトの「意識」と「無意識」と言いかえてもいいが、ベイトソンは「無意識」を「身体」全体に存在するとしている。そう考えれば、哺乳類の動物が「プレイ」をするのは何ら不思議なことではないのである。

・人間は、理性的な精神を意識する生き物で、それゆえにこそ万物の長としての資格がある。果たしてそうだろうか。哺乳類は「プレイ」を楽しむことはしても、「ダブルバインド」な状況をつくり出すことはしない。種の共存にとって前者は不可欠だが、後者は避けねばならないことだからだ。「プレイ」は争いや諍いを大きなものにしない工夫で、関係やコミュニケーションの基本に据えなければならない。そのことを自覚したのが哺乳類だとしたら、人間は、その重要性を軽視し、矮小化し、ないがしろにしているといわざるを得ない。2冊を読んで改めて実感したことである。

2009年6月7日日曜日

エコという名の浪費

 

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・エコということばはでたらめな使い方をされて、すでにその意味を失っている。しかし、そうであればこそ、また、勝手に使えるわけで、「エコポイント」には、もう反エコの策略以外にはなにもないと言わざるをえない。何しろ、停滞した消費意欲を喚起させるために、まだ使えるものを捨てて環境に配慮したものに買いかえろというのである。その象徴は自動車だろう。

・たとえば僕の乗っている車はもうすぐ10年になる。走行距離は21万5千キロを超えたところで、誰に話しても驚かれたり、感心されたりする。後ろの座席を倒して薪にする木を運んだりするから、内部も汚れや傷が目立っている。当然、ディーラーのセールスマンには買いかえを勧められる。「排出ガス性能・燃費性能に優れた環境に与える影響の少ないニューモデル」にされた方が、税金も安くなるし、ガソリンも安くてすむし、何よりエコに協力できるというわけだ。しかし、無視することにしている。まだまだ元気に走っているのだから、買いかえる必要など感じない。調子が悪くなったら検討する。環境や経済面から言えば、そう考えるのが真っ当だと思うからだ。

・もちろん、去年のようにガソリンの高騰が再燃して、それが常態化すれば、燃費のいい車に買いかえるのも選択のひとつにはなるだろう。けれども、1Lで200円近くにもなった値段も今は120円程度で落ちついている。それに、高騰以降、僕は燃費を考えた運転を心がけるようになって、リッターあたり1〜2キロも余計に走れるようになっている。一時は高速道路を走っていて、同じようにスピードを落とした車が増えたと感じた。ところが、最近はまた、元通りでかっ飛ばしていく車をよく見かける。
・まさに喉元過ぎれば熱さを忘れるだが、その象徴は土日の高速道路だろう。1000円でどこまでも乗り放題というのは、いったいどういうポリシーをもとにした発想なのだろうか。遠くまで行けて儲けたと思う心理は、エコとどう折りあいをつけるのだろうか。第一に、燃費が倍に向上したからと言って、その分、無駄づかいしたのでは、何の意味もないはずで、エコが浪費を正当化する隠れ蓑になっていることの好例と言わざるをえない。

forest75-3.jpg・戦後のマイホーム・ブームによって建てられた家の多くは20年から30年程度の寿命で、作っては壊されてきた。それを100年とか200 年持つようなものにするといた政策が、やっぱり家の建て替え需要を喚起させようとしている。もっともらしい発想だが、これも新たな浪費にしかならないだろう。家はしっかり造れば、確かに長持ちする。しかし、そのためには、日頃のメンテナンスが必要で、それは結構面倒で煩わしいことなのである。
・僕の家はログハウスで、建てられてから20年近く経過している。ログハウスは年輪の数だけもつと言われているから、おそらく100年は大丈夫だろう。しかし、そのためには、まめに点検して、補修を怠ってはいけないのである。たとえば、引っ越して10年になるが、数年前に、ログの外側を防腐、防カビ剤入りの塗料で塗り直したし、ログの間にできる隙間にも、見つけるたびにシーリングを施してきた。屋根にたまった木の葉落としや薪ストーブの煙突掃除で傾斜のきつい屋根にも登らなければならない。もちろん、どれも業者に頼めばやってくれることだ。しかし、その度にびっくりするほどの額を請求される。

forest75-4.jpg・庭に面したバルコニーや玄関のポーチに木の腐りやガタが目立つようになった。で、新しい木に変え、塗装し直すことにした。バルコニーの柵に使ったのは、BS放送の受信を邪魔しているために切り倒した栗の木だ。長さに合わせてチェーンソウで切り、皮を剥ぐと、真っ白い木肌があらわれた。それを柵に取りつけて、焦げ茶色に塗った。もちろん、塗装はバルコニーとポーチ全てに施した。何日もかかる面倒な作業だから、おもしろがってやらなければ憂鬱になってしまう。と言ってほおっておけば、もっと大がかりな補修をしなければならなくなる。
・ファーストではなくスローな生活。というと何かおしゃれな気分を感じたりもする。けれどもそれは、面倒とか煩わしいとかいう気持ちを楽しみに変える意識変革を必要とする。ちょっと故障したり古くさくなったらすぐに買いかえる。どうせ長持ちしないんだから、メインテナンスなんて考えなくていい。本気でエコを考えるなら、そう言う発想を生活のなか、消費という行動、そして何より生産の部分で根本的に見直す必要がある。その気がないなら、エコなんてことばを軽はずみに使うべきではない。と思うのだが、こんなことばも簡単につかい捨てられるから、もう繰りかえすのもうんざりする気になっている。

2009年6月1日月曜日

清志郎が教えてくれた

・清志郎が死んだ。高田渡に続いてもう一人、聴くに価するミュージシャンがいなくなった。二人とも僕とほぼ同年代で、その早すぎる死にショックを受けたが、日本に輸入されたフォークやロックという音楽も彼らと共に死んでしまったように感じて、そのことの方が寂しい気がした。二人以上にその音楽の本質を理解し、歌い続けてきたミュージシャンは他にいないと思っていたからだ。だから、清志郎の死をとりあげたテレビのニュースや新聞記事にはずいぶんと強い違和感をもった。

・清志郎の死は高田渡よりは大きく取りあげられ、葬式には何万にもの人が参列したようだ。大げさなパフォーマンスが、死を悼むよりは自らを誇示するように感じられたタレントもいたし、「夢をありがとう」などととんちんかんな叫び声を上げたファンもいた。清志郎の歌は、夢を疑似体験させるためのものではなく、みんなに自分の夢をもつことを訴えてきたはずで、そんなメッセージが伝わっていないことの証しのように聞こえてきた。あるいは、清志郎の音楽はCDやDVDの中に生きつづけて、そこでいつでも会うことができるといったニュース・キャスターのコメントにも首をかしげてしまった。

・清志郎は癌におかされる前に、『KING』(2003年)、『GOD』(2005年)、そして『夢助』(2006年)と立て続けにアルバムを出した。僕はそのどれも気に入って、以前にも増して彼の歌に注目するようになった。病気にならければ、その後にも数枚のアルバムが出ていたいたかもしれないし、これからも新しい歌がいくつも作られたはずだ。ステージでは相変わらずの衣装と化粧でパフォーマンスをしても、そこで歌われるメッセージには、歳を重ねてきた自分や若い人たちへの気持ち、そしてもちろん、今という時代に対する姿勢がこめられていた。彼の死は、そんな未来の清志郎が消えたことを意味していて、すでにあるCDやDVDでは、過去を思い起こすことしかできなくなってしまったのである。

・NHKのBSで清志郎がオーティス・レディングの軌跡を訪ねて、彼と一緒に活動したミュージシャンやマネージャーと出会った様子をまとめた番組、「時の旅人忌野清志郎が問うオーティスの魂より」が再放送された。オーティスは彼が一番影響受けたミュージシャンで、その絶頂期に飛行機事故で死んだ人だ。彼はその番組の中でオーティスゆかりのスタジオで、バックをつとめたギター・プレイヤーと一緒に、「オーティスが教えてくれた」をつくり収録した。その曲は『夢助』に収められている。

オーティスが教えてくれた
歌うこと、恋に落ちること
勇気を出せよ、君の人生だろう
オーティス・レディングが歌っている、あのラジオで

・オーティス・レディングは60年代の後半になって、白人たちの心にその音楽を素直に届けることができた初めてのミュージシャンだ。白人のロックは黒人のR&Bやソウルをルーツにするが、それぞれの間には肌の色という壁があった。そんな壁は本当はないことを証明したのは、1967年にカリフォルニアのモントレーで開催されたポップ・フェスティバルで、ジミ・ヘンドリクスのウッドストック登場とあわせて、ポピュラー音楽のエポック・メイキングになった。彼の最大のヒット曲は「ドック・オブ・ザ・ベイ」で、ビルボードで1位になったが、自家用の飛行機が墜落したのは録音の3日後だったようだ。
・NHKでは昨年2月の武道館の直前におこなったスタジオ・ライブの番組も再放送した。抗ガン剤治療後のリハビリが大変だったことなどを笑顔で話す様子が印象的だった。起き上がることも、歩くこともままならなかった状態から、2時間以上にも渡るステージをこなすまでの努力が大変だったことを改めて知らされた。さっそく『完全復活祭 武道館』を買って聴いてみた。依然と全く変わらないパフォーマンスをしながら、その1年後に他界。『夢助』に収録された「This Time」の歌詞が惜別のメッセージのように聞こえて、清志郎がオーティスとどこか遠くで出会っている様子を思い浮かべてしまった。

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今こそその時がやってきたんだ
もう誰にも僕をとめられないさ
今こそ行くべき場所がわかったんだ
音楽に導かれて行き着くのさ
ずっと僕を呼んでいる
ずっと夢に見ていた
こんな日がくることを

2009年5月25日月曜日

マスクと濃厚接触

・新形インフルエンザの騒ぎがはじまって1ヶ月が経った。この間の政府の方針やマスコミの対応にずっと違和感を持ちつづけている。ウィルスの国内侵入を水際で阻止できると、ほんとうに思っているのか?からはじまって、発症者の扱い、その報道の仕方、病院の対応、そしてマスクの着用の勧めと品切れなど、ひと言でいえば、その過剰さ過敏さに呆れもするし、気味の悪さも感じてしまう。

・発症したからといって、なぜその関係者が「ご迷惑をおかけしました」と謝罪しなければならないのか。弱毒性だとわかっているのに、なぜ感染をこれほど恐れるのか。そのためにマスクの着用が、どれほどの効果があるというのだろうか。冷静な対応を、などと呼びかけながらなぜ、政府は右往左往して、大げさな会見をするのだろうか。新聞やテレビはなぜ、どれも画一的に重大事であるかのように報道するのだろうか。

・今回のインフルエンザは最初は豚インフルエンザと呼ばれた。それがインフルと省略されたり、H1N1亜型となったり、新形とついたりして、現在でも統一されていない。あるいはフェーズ5とか6とかいうことばもピンと来ないし、パンデミックもわかりにくい。しかし何と言っても、聴いた瞬間に奇妙な感覚をもったのは「濃厚接触」ということばだ。ぼくはすぐに卑猥な連想をしてしまったから、テレビでアナウンサーが平気で口にするのが不思議でならない気がしてしまう。もっとも英語では"Close Contact"で、きわめて物理的な近接を意味するに過ぎないのだが………
・で、考えたのだが、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車などでは、確かに接触は濃厚に行われている。身体はぴったりくっついているし、たがいが同じ空気を吸っては吐いて共有しあっている。そんな場所に慣れている日本人は、日頃から見知らぬ人との濃厚接触に慣れていて、違和感をもたないと言えるだろう。だからこそ、マスクで防御と言うことになるのだが、マスクにはたいした効果はないと言われたりもしている。ほんとうに防ごうと思ったら、ガスマスクでなければいけないし、ウィルスは目からも入るからゴーグルをつけることも必要になる。

・その意味で、マスクは感染の予防と言うよりは、何より、気をつけて迷惑がかからないようにしていますという社会的なメッセージを伝える役割をしているように思われる。何も問題がない状況なら、日本人は見知らぬ他人を無視して平気でいられるが、緊急時にはその関係が途端に「世間」のそれになって、互いに必要以上に気をつかいあわなければならなくなる。そう思うと、マスクの着用は合点がいくし、政府やマスコミの対応も理解しやすくなる。
・急激な都市化によって近隣関係が壊れ、再生できないままにある日本の社会では、マスメディアがその代用品として機能している。だから、「世間」というあるのかないのかわからない社会の枠組みが、メディアを通して繰りかえし再確認されるのだが、それが何によらず強く出る傾向にあるようだ。人混みを避け、テレビを見ないようにする。そんな生活に居心地の良さを一層実感する自分がいる。

2009年5月18日月曜日

ディランとラジオ


dylan11.jpg・アマゾンから「Bob Dylan Radio Radio」という名の新譜の案内が入って、てっきり新しいアルバムだと思って買ってしまった。4枚組みだから、また海賊盤シリーズかと思ったのだが、聴いてみるとディランの歌はなく、50年代のポピュラー・ソングやブルースばかりだった。サブタイトルにある"Theme time hour"をネットで検索すると、これがディランがDJをした衛星ラジオの番組で選んだ曲を集めたものであることがわかった。
・ディランが現在のポピュラー音楽の原点に目を向けているのは、最近のアルバムからもよくわかっていた。しかし、このラジオ番組を聴くと、その熱意のほどが一層伝わってくる。曲目の全てはディラン個人のコレクションだというが、一度も聴いたことがなかった曲が少なくない。もっとも、ディランが伝えたいのは、そんな古い曲を聴き直すことではなく、ラジオというメディアがポピュラー音楽の発達に果たした役割だ。

・アメリカのラジオ放送局は、テレビの登場と共に、3大ネットワークから安価に売却されて、50年代には、小さなエリアをカバーするローカル局が独自の放送をするようになった。ナイトクラブやレコード・ショップなどを営むオーナーが、その宣伝手段に使ったから、局によって、地域によって、さまざまな音楽が発信されることになった。それが夜中であればかなり遠くまで届き、多くの若者たちが周波数をあわせて、お気に入りの局を見つけ、音楽を楽しむことになった。当然、それまでは肌の違いによって分離されていた音楽の垣根も取りはらわれたのである。黒人のブルースやR&Bから白人のロックンロールへという流れに果たしたラジオの役割の大きさは、すでに歴史的な事実として理解されていることだ。

dylan10.jpg・ディランがこの時期の音楽にこだわるのは、音楽があまりにも大きなビジネスとして生産され、有名性やお金にばかり左右されて、ろくな音楽が出てこない、最近の状況を危惧し、批判するからだ。その思いは、彼がここ数年発表する新しいアルバムにもこめられている。最新の"Together Through Life"でも、サウンドは50年代というよりもっと昔を感じさせるし、ことばも象徴的で抽象的な難しさは消えて、素直な気持ちのラブソングといった内容になっている。そんな地味なアルバムが、アメリカはもちろん、イギリスのほか、ベルギー、オランダ、フィンランド、スウェーデンなどで1位になったそうだ。

・このアルバムには、ラジオ番組そのものを記録したCDと、やはりラジオ番組に関連したDVDが付録されている。だからアルバムにたいする評価がそれらをあわせたものであることは間違いない。ディランの訴える、最近の危機的な音楽状況に共感する声だといってもいいのかもしれないと思う。もうひとつ、ディランについて驚くことがある。それは彼が世界中を回るコンサート・ツアに多くの時間とエネルギーを費やしていることだ。彼の公式サイトを見ると、今年のコンサート・ツアは3月から5月の初めまでヨーロッパ(スカンジナビアからドイツ、フランス、スイス、イタリアなどをめぐり、イギリス、そして最後はアイルランド)をまわり、7月からはアメリカ国内を1ヶ月半回る予定だということだ。その会場は決して大きなところばかりではない。
・ラジオと共に広まったブルースやフォーク、そこから生まれた新しいロックなどの音楽の力とその意味、そしてなによりそのすばらしさを、アルバムに表現し、ライブで歌い、語り、説いて回る。70歳になろうかという老人が自覚する使命感や発散するエネルギーに感服するばかりである。

2009年5月11日月曜日

ニート、クール、クリエイティブ

 

リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』(ダイヤモンド社)

・翻訳したクリス・ロジェクの『カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために』(世界思想社)のなかに、「ニート資本主義」をテーマにした章が二つある。「ニート」というと日本では、働く気のない若者に対する呼称を思い浮かべられてしまう。しかし、そのneetではなく、もともと英語にある、きちんとしたとか洒落たといった意味のneatで、従来の資本主義とは違う新しい流れを指摘したものだ。本の中では、その例として、イギリスの「ヴァージン」、「ボディショップ」、アメリカの「アップル」そして出版社の「ルートレッジ」などをあげている。
・その源流は60年代の「対抗文化」にあって、「ヴァージン」のリチャード・ブランソンはロンドンで始めたレコード店を出発点にして、飛行機や鉄道などに拡大させているし、「アップル」のスティーブ・ジョブスはパソコンのマッキントッシュから 最近のiPodやIPhoneなどでデジタル文化をリードしてきた。60年代の「対抗文化」はその名の通り、既成の政治や経済のシステム、そして既存の文化に対して「ノー」を突きつけたムーブメントだったが、そこから生まれた新しい文化が80年代から90年代にかけてビジネスとして台頭し、現代では大きな産業に成長した。「ニート資本主義」はその潮流を指して名づけたものだ。

florida.jpg ・この流れには、「クール資本主義」「ニューエコノミー」など、他にも幾つもの名前があって、「クリエイティブ階級」というのもその一つだ。リチャード・フロリダの『クリエイティブ資本論』(ダイヤモンド社,2008年)は2002年に書かれていて、「新しいアイデアや技術、コンテンツの創造によって、経済の成長を担う知識労働者層」の増大がひとつの階級を形成し始めていることを指摘したものだ。パソコンが普及し、インターネットが世界をつなぐようになった90年代から00年代を考えれば、このような傾向を理解するのは難しくない。けれども、そこで見逃せないのは、クリエイティブ階級を形成する人たちに共通した好みや傾向があることだ。
・フロリダは第一に、仕事と生活、あるいは遊び(余暇)を区別しない点に注目する。常識的には、糧を稼ぐ仕事は楽しいものであるとはかぎらない。だから、稼いだお金を生活や遊びの中で使ってリフレッシュする。けれども、この新しいクラスの人たちは、何より楽しいこと、夢中になれることを仕事にしようとするのだという。あるいは、形式や礼儀、組織的忠誠心などに対する拒絶感もある。だから、衣服は職場でも家でも一緒だし、仕事につまれば、職場の近くを散歩したりジョギングしたりもする。社内で出世するという上昇志向は稀薄で、むしろより興味深く働ける先をもとめて水平的に転職をする。と同時に、生活する場所自体に対するこだわりもある。そこはまた、自分の創造力を刺激する場所でなければならないからである。実際、アメリカの都市の盛衰は、このクリエイティブ・クラスの人たちを引きつけるために、企業を誘致し、文化的な活気に溢れた街づくりをすることにかかっているというのである。この本によれば、その魅力的な街は、ニューヨークやサンフランシスコ以上にワシントンDC、シアトル、そしてテキサスのオースチンのようだ。

・フロリダが強調するように、生き方としては悪くないと思う。けれども、ここには大きな落とし穴がある。楽しければ報酬にはあまりこだわらないし、就業時間も気にしない。そして安定や出世にも無頓着になる。これは雇う者には好都合の発想で、仕事環境を整えて居心地良く働ける場にすれば、そこは「人に優しい搾取工場」になる。有能な人材を留めておくにはかなりの努力がいるが、用がなくなれば、役立たずだと判断すれば、簡単に首を切ることもできる。多様な働き方、多様な生き方を可能にする一方で、できる・できないの差が明確になり貧富の格差が拡大する。現在の大不況の中で、フロリダの言うクリエイティブ・クラスの人たちの仕事や生活の状況は、いったいどうなっているのだろうかと考えてしまう。

・もうひとつ、「対抗文化」は確かに、つまらない仕事とそこで得た収入で生活や遊びを消費するシステムを批判して、仕事と生活、そして遊びの融合を唱えたが、同時に、人びとが生きる上で味わう格差や差別にも強い批判の声を上げた。クリエイティブな生き方を誰もができるようになることの基盤には、そのクリエイティブ資本を搾取する・されるという関係に対する自覚と抑制が欠かせない。フロリダにはそういった視点がほとんどない。ニート、クール、クリエイティブといったことばをもう一回見つめなおしてみたくなった。

2009年5月4日月曜日

連休はどこにも行かずに

・今年の連休は、長くとれば16日間にもなったところがあるようだ。仕事が暇になったせいかなと思うが、どうだろうか。海外旅行も2週間ならゆっくりできるし、飛行機代ももったいなくない気がする。燃料も安くなって余分なお金を取られなくてすむようになった。他に長い休みがとれない人には、またとないチャンスだったはずだ。ところが、突然の「豚インフルエンザ」騒ぎである。

・新種のインフルエンザは、警戒してきた鳥ではなく豚で、アジアではなくメキシコだった。だからあまり気にしていなかったのだが、あっという間に大きな騒ぎになった。成田空港では、国内にウィルスを入れないために警戒を厳しくしたから、せっかくの旅行に不安がつきまとったり、長時間待たされて検査を受けたりさせられている。旅行をあきらめた人も多いのだろうと思う。移動が手軽に頻繁になった時代には、病気もあっという間に世界中に広がる。そんなことを目の当たりにした。

・国内では高速料金が1000円になって、どこも渋滞で大変だったようだ。安くなったからといって、何百キロも車を走らせてどこがおもしろいんだろうと思うし、ガソリン代はかかるのだが、テレビのニュースでは、儲けたと言う人のコメントを何度も見た。行きたいところに行くのではなく、できるだけ遠くに行く。そんなドライブの楽しみ方があってもいいとは思うが、渋滞や混雑を我慢してまですることではないだろう。いったい何が儲かったのかと首をひねったのは僕だけなのだろうか。
・旅行会社は定額給付金で旅行できる旅を知恵を絞って企画して、連休前の新聞には、その広告が連日何頁も載っていた。確かに安いし、国からもらったお金だから、首相が言うようにぱっと使うのもいいのかもしれない。けれども、そのお金は結局、国の借金になって国民に跳ね返ってくる。拒否してやろうかと思ったが、つけは後からしっかり回ってくる。そう思うといまいましい金だが、いったいいつ給付されるのだろうか。

・大学で教えていると毎年思うのだが、ゴールデン・ウィークは少しもうれしくない。4月に新学期が始まって、やっと調子が出たところで小休止になるから、かえって邪魔くさい。もう1ヶ月後なら、ちょうどくたびれたところでホッとするのに、といつも文句を言ってしまう。
・文部科学省の指導で大学の授業は半期15回、通年なら30回やらなければならなくなった。以前から15週や30週だったのだが、祭日があれば当然授業回数も減ったし、試験期間も1回や2回として数えられたから、実際には12回程度が普通だった。それが、きっちり15とか30回やるように学事歴を組まなければならなくなったのである。

・大学は授業を受ける以上に、自分で勉強するところだ、と僕はずっと思ってきたし、今でもそう思っている。ところが学生たちは、授業にさえ出ていれば勉強していると考えるようになっている。それは錯覚で、自分でやらなければ何も身につかないよ、と学生には繰りかえすのだが、文科省の発想は学生と一緒で、学生の態度をますます受け身にするだけなのである。
・だから夏休みがえらく短くなった。入試の多様化で授業のない2月や3月もずるずると仕事が入るから、まとまった仕事もできないし、長期の旅行もできなくなってしまった。そうやってだらだら働かせる一方で、研究成果を要求したって、いいものができるわけはない。そんなわけで、連休中はたまった仕事の片づけで、あっという間に過ぎてしまった。

・忌野清志郎が死んだ。高田渡に続いて、骨のある数少ない日本人のミュージシャンがまた一人、いなくなってしまった。もう日本人で聴きたいミュージシャンはほとんどいない。