2019年4月29日月曜日

今年のMLB

 

・今年のMLBはイチローの引退セレモニーから始まった。イチローは去年開幕して間もなく、メジャーのロースターから外されて、チームに帯同するけれども試合には出ないという中途半端の立場になった。引退させずにおいて、日本でやる開幕ゲームを引退セレモニーにして盛り上げる。そんな演出は去年からわかっていたが、そのテレビ中継も、メディアの反応もあきれるほどのバカ騒ぎだった。救いはイチローが国民栄誉賞を辞退したことだが、なぜそうしたのかは、よくわからない。政治に利用されたくなかったのか、松井程度の選手が先にもらったことに対する反発か。あるいはパイオニアの野茂がもらっていないのに、自分がもらうわけにはいかないということなのか。

・イチローが辞めたマリナーズには菊池雄星が入った。そこそこのピッチングをしているのに、勝ち星に恵まれない試合が続いた。父親が亡くなっても帰国せずにがんばって、やっと一つ勝ったが、このこともまた、メディアは美談として大騒ぎした。今年は無理をせずに使うという球団の方針のようだ。マリナーズは主力を放出して、若返りをはかったが、出だし好調で優勝争いになればフル回転ということになるかもしれない。ムダ球が多くて中盤で100球近くなってしまうのが気になる。

・しかし、四球の多さではダルビッシュが一番だろう。スピードはあるし勢いもある。球種も豊富だから力でねじ伏せる投球ができるはずなのに、四球を連発して長打を浴びている。身体よりは精神面が問題で、投げる時にいろいろ考えすぎているのではないかと思う。力はあるのに自滅する試合を何度も見せられてきたから、彼の試合が見たくない気がしていたが、今年はNHKも見限ったのか、ほとんど中継をしていない。ピンチになっても動じないで飄々として投げる。そんな野茂のビデオでも見たらどうかと思う。

・対照的に田中将大はコントロールがいい。きわどい所にぴしゃりと投げて三振を取る。だから終盤に来ても球数が少ない。ただしヤンキースはレギュラーの多くが故障者リスト入りしていて、好投しても勝てない試合がいくつかあった。球に威力がないせいか失投してホームランを浴びることも少なくない。彼が投げる試合をもっと見たいのだが、どういうわけかデイゲームに投げて、中継が明け方なんてことが多いようだ。

・そんな中で一番好調なのが前田だろう。すでに三勝してドジャースの勝ち頭になっている。しかし、NHKは前田の試合をほとんど中継していない。それは去年も一昨年もそうだった。なぜ無視するのか。地味で話題性に乏しいから視聴率が上がらないのかもしれないが、前田が登板しているのに日本人選手の出ない試合を中継したりするから、担当者が前田嫌いではないかと勘ぐりたくなってしまう。

・日本人の誰もが待ち望んでいる大谷翔平は、まだ復帰していない。ただし復帰間近と言うことで練習風景が連日報道されている。去年の今頃は投げて打って大活躍で、メディアは大騒ぎだった。さて今年はどうか。DHで打つだけのシーズンだが、去年の成績を越えられるのだろうか。実はぼくは6月初めにアメリカに行く予定で、シアトルで見ることにしている。菊地対大谷とはいかないかもしれないが、彼が打つ姿を楽しみにしている。

・というわけで、今年もMLBを追いかけているが、シーズンオフの動向に強い疑問も感じた。ハーパーやマチャドといった選手が長期間で高額な年俸をもらう契約をした反面、何人かの選手が契約できずに浪人生活に入ってしまっているのである。それは去年もあって、年齢的にピークを過ぎた選手が敬遠される傾向がますます強くなっている。確かに、不良債権化した高額年俸の選手を抱える球団は少なくない。しかし、スター選手を引き留めたり、よそから引き抜いたりするのには、高額な年俸を払う必要がある。そんな露骨なマネーゲームを見させられると、うんざりして興ざめしてしまう。実力以上の年俸格差は、現在のアメリカ、そして日本の実社会を反映、というよりは先導するもののように見える。

・もう一つ気になるのは、故障する選手が多いことである。投手のトミー・ジョン手術は当たり前だし、野手もあちこち損傷させている。投手の球速競争やフライボールの流行で、ホームランばかり狙う傾向が怪我を増やしているのではないかと危惧している。やたら筋肉をつければいいというものではないだろう。イチローは大きな怪我をせずに選手生活を終えた。日頃の体調管理や試合前の入念なストレッチなどは他の選手が驚き、あきれるほどだったようだ。体格もほとんど変わらなかった。記録などより見習って欲しいところだと思う。

2019年4月22日月曜日

黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)

tsurumi2.jpg・鶴見俊輔は2015年に93歳で亡くなった。『鶴見俊輔伝』はその3年後に出版されている。著者の黒川創は幼い頃から鶴見俊輔と親交があって、小学生の時から時折『思想の科学』に文章を書き、大学を出るとすぐに評論活動を開始し、小説も書いたりして、多くの著作を出してきた。この本にも書かれているが、彼が初めて『思想の科学』の特集号の編集を任された時に、ぼくは彼のインタビューを受けている。彼は大学生で、特集号のタイトルも「大学生にとって大学生は何か」というものだった。ぼくを推薦したのは鶴見俊輔だったようだ。

・『鶴見俊輔伝』はその生い立ちから亡くなるまでを丹念に追った伝記である。ここに描かれた多くのことは、すでに本人によっても他者によっても書かれたことが多い。しかし、鶴見俊輔という人間の一生をこれほどまでに描写できるのは、著者の力量はもちろん、二人の関係の近さや濃さがあってこそだと思いながら読んだ。寝床で読んで、久しぶりに目がさえて眠れなくなってしまった一冊である。

・鶴見俊輔は後藤新平の孫、鶴見祐輔の長男である。そんな家系と母親の厳しい躾に逆らって不良少年になり、中学をいくつも退学になってアメリカに留学せざるをえなくなった。しかし、そのアメリカでは、わずか1年の高校生活の後ハーバード大学に16歳で入学し、二年半の在籍でまだ10代のうちに卒業を認められている。日米の開戦によって卒業論文を書いたのは留置場の中で、日米交換船でアフリカ回りで日本に帰国した。海軍軍属にドイツ語通訳として志願してジャワ島に赴任し2年務めた後、体調を崩して帰国し敗戦を迎えている。

・戦後になるとすぐに姉の鶴見和子や都留重人、武谷三男、丸山真男、渡辺慧などとともに「思想の科学研究会」を創り『思想の科学』を刊行した。この雑誌は出版元を代えて何度も休止と再会をくり返し、1996年に休刊されたが、鶴見がずっと中心にいたのは変わらなかった。鶴見はこの間、京都大学、東京工業大学、同志社大学で教職に就いたが、60年安保や70年安保の際に、国や大学に抗議して辞職をしている。

・この本にはぼくの知人が何人も登場してくる。多くは京都ベ平連に関わった人たちだ。ベ平連はアメリカ軍が北ベトナムに爆撃を始めたことをきっかけに生まれた運動である。60年安保をきっかけに生まれた「声なき声の会」が母体で、代表は小田実になったが、仕掛け人は鶴見俊輔だった。この運動体の中核は東京に置かれたが、京都にいた鶴見を中心に京都ベ平連が作られた。東京に比べれば規模も小さく地味だったが、定例デモを行い、また米軍からの脱走兵を匿い、国外へ出国させる手助けをした。あるいは岩国基地の前に反戦喫茶「ほびっと」を作り、ベトナム戦争の不当さを米兵に訴えることもした。

・ぼくが京都に住むようになったのはベトナム戦争が終結した1973年で、ベ平連もその年に解散した。だからベ平連としての活動に参加する機会はなかったが、できて間もない「ほんやら洞」などで、多くの人たちと知り合うようになった。この本には、ベ平連などに多くの若者を巻き込んで、その人生を変えてしまったことに対して、ずっと責任を感じつづけてきたという鶴見のことばがくり返し出てくる。しかし、運動に参加することでできた人間関係は、その後もずっと持続しているし、それぞれに納得のいく人生を歩んできている人がほとんどではないかと思う。

・鶴見俊輔の晩年は病気との格闘だったようだ。しかし、それでも、彼の創作意欲は盛んで、いくつもの著作を残している。そしてそれを支えてきたのが、本書の著者である黒川創や、京都ベ平連からのつきあいであった人たちだったことを改めて知った。ぼくは部外者だが、この本から一番感じ取ったのは、鶴見俊輔という一人の巨人の回りに集まった人たちの人生模様だった。


鶴見俊輔関連ページ
「『鶴見俊輔座談全10巻』(晶文社)」1996年12月

「鶴見俊輔『期待と回想』(晶文社)」1998年1月

「僕らの時代の青春の記録」1998年6月

「鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)」2010年7月

「京都「ほんやら洞」が燃えてしまった!」2015年1月

「樽の中に閉じこもる!」2019年4月

2019年4月15日月曜日

樽の中に閉じこもる

 

・新元号でメディアが大騒ぎをしているようだ。ようだというのは、そういう番組は、まったく見ていないからだ。「令和」については評判がいい。サウンドから来るのかもしれないが、安倍首相がその意味や由来を、まるで自分が決めたかのようにテレビで吹聴して廻ったらしい。おかげで支持率が8%も上がったという。ネットではさっそく、万葉集(国書)ではなく、その元は中国の張衡の歌『帰田賦(きでんのふ)』だとして、その意味が、首相の説明とはかなり違ったものだといった指摘もあった。

・元号を政権支持率の浮揚に使うというのは不謹慎だが、これであたかも時代が変わっていい方向に進むといったイメージ操作をするメディアの行いは犯罪的ですらあると思う。何しろ最近のメディアはイチローの引退でもお祭り騒ぎをしたし、ピエール瀧のコカイン使用でも大騒ぎをした。皆が同じものに興味を示し、賛美をしたり非難したりと同じ方向を向く。そんな傾向がますます強くなっている。国際的な教育を柱にする大学の入学式で、新入生の服装がまるで制服のように統一されていることに、学生部長の先生が驚いたというニュースがあった。空気を読む、忖度する。何より大事なのは回りに同調することであって、個をもち我をはることではない。そんな態度が社会にくまなく蔓延してしまっている。

tsurumi1.jpg ・鶴見俊輔と関川夏央の対談集『日本人は何を捨ててきたのか』(ちくま学芸文庫)には「樽」というキーワードがあって、今の日本人の大半がその中に住んでいて、それが明治以降、とりわけ日露戦争以降に創られたものだという指摘がある。明治政府は近代化を急速に進めたが、その政策の根本にあったのは、近代化には不可欠のはずの「個人主義」を軽視したことだったというのである。個人ではない何者かにとって重要なのは所属であったり役職であったりする。人が会えば先ず名刺交換をするし、手書きのサインよりはハンコが大事にされる。それは第二次大戦で負けても変わらなかった。個よりは集団、世界よりは日本というわけだ。この特徴は進駐軍も見抜いていて、壊すよりは残した方が、日本人をコントロールしやすいと考えたという。

・このような指摘はもちろん、土居健郎の「甘えの構造」、神島二郎の「擬制村」、そして井上忠司の「世間体の構造」などたくさんある。しかし、明治以降にこのような傾向が強化されたし、戦後も意図的に維持されたという見方には、なるほどと納得した。何しろこのような特徴は誰より若い世代に強くて、彼や彼女たちは就職のために大学に行き、その大学は偏差値によって選ぶのである。「樽」の中では何より同調性が大事にされるが、そこにはまた、自分の個性とは違う偏差値やブランドにもとづく序列づけがある。

・グローバル化の時代なのに、いや、グローバル化の時代だからこその内向き思考だと思う。そこで日本の、日本人の、ここがすごいといったナルシシズムに浸っている。それがガラパゴスだなどと言われても、ガラパゴスの島民である限りは、そのおかしさに気づかない。少なくても、知らないふりをすることができる。何しろ周囲のみんながそうしているのだし、政治や経済をリードする人たちが、そう言っていて、メディアがそれを増幅してるのだから。

・日本はすでに先進的でも豊かでもない社会に落ち込んでいる。収入は格差が広がって、多くの人は労働時間は減らないのに給料は減るばかりだ。軍事費が突出して社会福祉は削られている。国の借金は増えるばかりなのに、国の予算は100兆円を超えた。いつ破綻してもおかしくないのは、「樽」の外に出ればすぐにわかる。出なくたって「樽」の外に目を向けることもできる。しかしそうはしないし、させないようにしている。新元号騒ぎは、その端的な例だと言えるだろう。

2019年4月8日月曜日

雪のない冬

 

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forest157-2.jpg・今年の冬は雪が少なかった。山はうっすら白くなっても下は雨、というより、雨そのものが降らない冬だった。当然空気は乾燥するから、薪ストーブの上には鍋二つにヤカンをのせて湯気を出すようにしている。そのほかに加湿器二つがフル稼働で、これでも40%を保つのは難しかった。おかげで洗濯物は、リビングの吹き抜けに干せば半日で乾く。洗濯は外に干したり、ドライヤーを使ったりしない冬が、一番楽なのである。
・ところがその加湿器が二つとも、蒸気を発散させなくなった。フィルターを買って交換したのだが、古いフィルターには白い粉が付着していた。水道水に含まれる石灰(カルキ)やカルシウムだと思うが、これを丁寧にとってやることにした。布製のは乾かした後、軽く叩いたり、もんだりして、固まりを除去すると、買ったばかりのようにふわふわになった。紙製のも乾かして、これは穴に串を差し込んでこそげ落とすようにした。どちらも手間がかかって面倒だったが、クエン酸に浸すというやり方よりはずっと効果的だった。おかげで、購入したばかりのフィルターはしまって、古いものをまた使い始めている。

forest157-3.jpg ・我が家では生ゴミは庭に穴を掘って埋めることにしている。その穴が満杯になってきたので、新しい穴を掘ることにした。5~6年おきにやっていて、その都度場所を変えるのだが、掘っていると珈琲の紙フィルターが出てきた。しかしゴミは土に帰って、真っ黒でいかにも豊かなものになっていた。たぶん10年以上、15年ぐらいは経っているのだと思う。ここには生ゴミの他に、ストーブで出た灰も一緒に埋めている。大木に覆われて日がささないから畑にはできないが、木漏れ日でも育つ花ぐらいは咲くかもしれないと思った。
・昨年の秋頃から背中に痛みを感じるようになった。薪割りのせいか、自転車かわからないが、穴掘りには支障がなかった。翌日には筋肉痛が出るだろうと思ったが、まったく出なかった。日頃から身体を動かしていればこそだが、腰の痛みは少しもよくならない。。

forest157-4.jpg ・今年も庭には、いの一番に片栗が咲いた。毎年花の数が増えていたから、数えるのが楽しみだったが、数日前に季節外れの雪が降り、その後零下になる日が続いた。一度出始めた片栗も躊躇しているようで、まだ去年の数にはなっていない。庭の富士桜も、膨らみ始めたつぼみがじっとしていたのに、やっと咲き始めた。雪のない冬らしくない冬だったのに、今頃になって冬に逆戻りだ。植物もすっかりとまどっている。
・チベット積みしている薪が崩れた。表面が乾いてつるつるになっているから、積み直してもまた崩れてしまった。仕方がないから二カ所にして、高く積み上げないようにした。雨が少なかったことが、こんなところに出ている。
・前回書いたが自転車でこけてから、首や肩の痛みが取れていない。寒いせいもあって、自転車にはしばらく乗っていなかったが、昼の温度が10度を超えたので走ってみた。故障箇所を直し、急坂用のスプロケ(歯車)に換えたので、その具合を試してみた。一つひとつではなく飛んでしまうこともあるが、差し支えなく走ることができた。歯車(スプロケ)を大きなものに換えて坂道を楽に上れるようにしたから、西湖に行く急坂で試してみた。しかし、しばらくぶりだったからやっぱりきつかった。走り慣れてからでないと効果はわからないのかもしれない。


2019年4月1日月曜日

修理、修理!?

 

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・九州旅行で傷をつけたアウトバックを修理に出しました。まったくわからないほど綺麗に仕上がりましたが、10日間で75000円もかかりました。出費も痛いですが、代車の軽では遠乗りする気にもならず、不便な思いをしました。スバルから不祥事のお詫びにと5万円の為替をもらっていましたから、まあいいか、と自己納得。

・以前からぐらぐらして、噛むと痛い歯を抜いてもらいました。その代わりに入れ歯に歯を一本追加しました。ところが、入れ歯の不具合を直してもらった帰りに、自転車で転んで、顔に擦り傷ができてしまいました。首も痛いし、手も足も痛い。何とか家には自転車で帰りましたが、ギアが壊れて変速できなくなってしまいました。

・身体は病院に行くほどもないだろうと思い、薬もつけませんでした。そうすると、目蓋が下がって黒ずんできました。バンドエイドを傷口にあて、目蓋を持ち上げるように貼りつけて、一週間ほどで気にならない程度になりました。しかし、首の痛みと肩のこりはなかなか直りません。ずい分軽くなりましたが、後を引くようなら、パートナーが通っている整体に行こうと思っています。

・さて自転車ですが、付いていたシフトレバーはシマノのSORAという品名です。ネットで調べると17年に新型が出たようで、シフトレバーだけでなく、他の部品も交換する必要があるということでした。壊れたのは、ハンドル左についているフロントの2段変速の部分だけでしたが、ハンドルにつけるシフトの形状がかなり変わっているので、右についているリアも交換することにしました。そうするとハンドル部分にまいてあるテープを全部はがして付けかえて、またテープでまき直さなければなりません。必要なものをアマゾンでそろえて注文しました。

・加えて、上り坂を楽に上れるよう、もっと大きな歯車(スプロケット)のついたセットに変えようと思い、チェーンも新しくすることにしました。これは以前から考えていて、春になったらやろうと思っていたことでした。で、やってきた部品をYouTubeを見ながら組み立てていきました。ところが、調整は簡単ではなくシフトチェンジが思うようにいきません。一つ飛び越えて変速したり、動かなかったりとなかなか大変でした。そこでまた、旧型のままで使っていた部品(ディレーラー)も、新しいものにしようということになりました。

・しかし、それでもまだ、シフトはスムーズではありません。さらにネットで調べると「スプロケット」と「ディレーラー」が適合していないことがわかりました。仕方がないのでスプロケットを買い直すことにしました。これで全部揃ったのですが、まだやっぱり、スムーズには動きません。シフトの調整は、買ってから一度もやらなかったのに、これほど微妙なものとは思いませんでした。

・おかげさまで、さっぱりわからなかったロードバイクの仕組みがよくわかりました。河口湖も暖かくなって、自転車にはいい季節になりました。自転車屋に泣きつきなどせず、走りながら手直しをして、何とかうまく動くようにしたいと思います。もちろん、70歳になりましたから、今回のことを肝に銘じて、年相応に、がんばらずに走ることを心がけるつもりです。

2019年3月25日月曜日

初めてのウィリー・ネルソン

 

Willie Nelson "To All The Girls........"
"Healing Hands Of Time"
"Star Dust" "Last Man Standing"

・ウィリー・ネルソンはよく知っているミュージシャンだが、彼のCDは一枚も持っていなかった。なぜか?ちょっとポピュラー過ぎるということもあるし、これはいいと思った曲に出会わなかったのかもしれない。それに、彼に限らないがぼくはフォーク・ソングは好きだがが、カントリーはそれほどでもない。フォークに比べてカントリーは、アメリカの保守的な層が支えてきた音楽だと思っていたからだ。
・とは言え、彼はまた、フォーク・ミュージシャンとの交流が多かった人でもある。ボブ・ディランの30周年記念コンサートに出ているし、『ブロークバック マウンテン』ではディランの持ち歌でトラディッショナルの「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」を歌っていたし、アメリカの農民たちの厳しい境遇を訴えた、ディランとの共作の「ハートランド」という歌もある。また、ウッディ・ガスリーのトリビュート・アルバムにも参加している。アルバムを一枚も持っていないのは不思議だな。と今さらながらに思った。

nelson2.jpg・というわけで、ウィリー・ネルソンのアルバムをいくつか買ってみた。さて何にしようかと探して、とりあえず選んだのは女性ミュージシャンとのデュエットを集めた"To Alll The Girls......"(2013)だ。共演者はシェリル・クロウ、エミルー・ハリス、ノラ・ジョーンズ、ブランディ・カーライル、ローザンヌ・キャッシュ、ドリー・パートン等々と多彩で豪華だ。全部で18曲が収録されている。もちろんそこには、フォークとカントリーといった区別はない。ウィリー・ネルソン自作の歌も数曲あるが、フォーク、カントリー、それにロックなどもある。父と娘、あるいはおじいちゃんと孫娘が仲良くデュエットして、ほのぼのとした雰囲気が伝わってくる。こんなふうにジャンルを超えた女性ミュージシャンと一緒に歌えるということは、彼の音楽的な力はもちろん、人間性にもよるのだろうなと思った。ちなみに彼は1933年4月生まれだから、もうすぐ86歳になる。

nelson3.jpg・ウィリー・ネルソンのベスト・アルバムは何だろうか。これまで70ほどのアルバムを出している中からネットで調べて"Healing Hands Of Time"(1994)を選んだ。「ウィリー・ネルソンの掛け値なしの傑作」と題名のついたページには、彼の声が「苦労の多い人生が作り出したものである」という記述があった。どんな苦労があったのか知らないが、確かに声だけでなく顔に刻まれたしわからも、それはうかがい知ることができる。このアルバムはそんな彼の風貌や声とは違って、ストリングスを使った美しい調べになっている。そんな所が、彼に惹かれなかった理由かもしれないと思いながら聴いた。もう一枚の"Star Dust"もタイトルでわかるように、スタンダード・ナンバーを集めたものである。なじみの曲をネルソン流に歌っていて悪くはないが、イージー・リスニング過ぎて飽きてしまう。

nelson1.jpg・もっとも、自作の歌詞には文学的でいいものが少なくない。


君を失った間
時という癒やし手が働いて
やがてぼくの心の中から君が消えた
≪中略>
目を閉じて眠りにつかせるのも
時という癒やし手 "Healing Hands Of Time"

・長田弘の『アメリカの心の歌』(岩波新書)にはウィリーについての、次のような描写がある。「誰からも愛されてきただけでなく、誰からも信じられてきた。生き方はむしろ八方破れで、保守にくみしない人生は決して穏やかなものとは言えない。そうであって、つねに無垢の人、微笑の人でありつづけてきた。」改めて聴いて、そうかもしれないと思った。

nelson4.jpg・ウィリー・ネルソンはまだ現役だ。最近でも二枚のCDを出している。一つはフランク・シナトラのナンバーを集めたものだが、もう一枚は全曲彼のオリジナルで、しかも新作のようだ。その"Last Man Standing"は、はじめに戻ったようなシンプルでカントリー風のサウンドで、陽気さに溢れている。そして声もまったく変わらない。しかし、タイトルになった歌は「最後の生き残り」といった意味で、今はもういないウィリー・ジェニング、レイ・チャールズ、そしてマール・ハガードといった名前を出している。まだ仲間はいるが、次は誰になるのか、と楽しそうに歌うネルソンの境地はどんなものなのだろうか。いずれにしても、今頃になって、彼の歌に魅了されている。

2019年3月18日月曜日

ティム・インゴルド『ラインズ』(左右社)

 

・本を買うのはすぐ読むためだけではない。今すぐには読まないけど、おもしろそうな題名だから買っておこうか。こんな理由で買った本がかなりあるが、その多くはいまだに手つかずのままだったりする。目がしょぼしょぼして、長時間の読書ができなくなってきたから、読まずにそのまま積ん読されてしまうかもしれない。それではいけないなと思って、本棚を物色して、何冊かをとりだしてみた。しかし、なかなか手に取る気にならない。本を読むのが仕事だったはずなのに、読む気にならないし、読まなくてはいけないなどとも思わない。結局、読書が好きだったのではなく、職業上、仕方なく読んでいたのではないか。そんなふうに感じてしまう、今日この頃である。

lines1.jpg ・とは言え、少なくとも毎晩寝る前に寝床で読むことにはしている。読み始めるとすぐに眠気が襲ってきて、数ページも読まずに寝てしまうことが多いし、おもしろくないと思って、本棚に戻してしまう本もある。今回紹介するのは、そんな中で何とか読み続けた一冊である。『ラインズ』は題名通り「線」に注目した本である。副題は「線の文化史」、出版されたのは2014年で、特に必要ではなかったが、題名に惹かれたのだと思う。


・歩くこと、織ること、観察すること、歌うこと、物語ること、描くこと、書くこと。これらに共通しているのは何か?それはこうしたすべてが何らかのラインに沿って進行するということである。(p.17)

・こんな書き出しで始まる本書は、これだけで、いろいろな想像をかき立てられて、何が書いてあるのかという好奇心を刺激する。さらに続いて、話すことと歌うこと、あるいは話すこととと書くことの違いと繋がりときたから、眠くならずに読み進めることができた。

・点と線、そして時間は一次元のものである。それが面になると二次元になり、立体をはじめとした物理的な空間が三次元になる。点と線は三つの次元の出発点だが、人が何かを描いたり、記述したり、作りだしたりするのも点と線が出発点になる。それではそもそも「線」とは何か。定義はさまざまにできるかもしれないが、この本では「糸」と「軌跡」の違いに注目している。

・「糸」は人が作りだしたもので、織り合わせることで二次元の布になる。しかし蜘蛛の巣のように糸を作りだす生き物は他にもいるし、そもそも生き物は骨や筋肉、あるいは神経系など、さまざまな糸によって出来上がっているということもできる。一方「軌跡」は表面上に残された線状の痕跡だ。これにはもちろん、人が描いたものと自然にできあがったものがある。いずれにしても、「糸」と「軌跡」が、人が何かを作りだす出発点にあったことは間違いない。

・人が歩く。その足跡の一つひとつは「点」だが、その軌跡は「線」になる。そこを大勢の人が行き来すれば、程なくそこには「道」ができる。あるいは一人の人の存在は一つの「点」だが、子どもや孫に続くと、そこには「系譜」という流れや「線」が生まれる。この本には、そんな「点」と「線」から派生するさまざまなものが、主に人類学的材料で紹介され、検討されていく。へぇ、そうかと思わされることが少なくない。

・しかし今ひとつ賛成しかねる部分もある。この本には、オング批判という大きな狙いがあるようだ。W.オングは『声の文化と文字の文化』(藤原書店)で知られている。話すことと書くこと、そして印刷されることの間にある大きな違いを「線」の断絶として展開しているのだが、インゴルドはその線は断絶などせず繋がっているという。確かにそういう一面はあるのだと納得したが、オングが力説したかったのは話す人と聞く人、書く人と読む人、印刷物と読書に見られるコミュニケーションとしての違いと、そこに起因する人間関係や社会の変容にあったのだから、この批判は枝葉末節のことではないかと思ってしまった。

・この著者には『ライフ・オブ・ラインズ 線の生態人類学』(フィルムアート社)や『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』(左右社)といった近刊がある。興味を惹かれるが、目次を見ると、本書同様、多様な面に展開させる内容になっている。ぼくは「線」に関わるあれもこれもではなく、次には「歩くこと」や「道」にしぼったテーマにしたものを読んでみたいと思うようになったから、さらに買おうとは思わない。