2022年5月30日月曜日

バイデンは横田から日本に入った

 

バイデン米大統領が横田から日本に入った。首都東京に迎える外国の要人が使うのは、通常では羽田か成田だが、トランプ前大統領に続いて今度もまた、米軍基地の横田からだった。メディアの多くはそのことに批判を向けることもせず、歓迎のメッセージを並べ立てた。日本の中にある米軍基地とは言え、そこから大統領が日本に入るのは、ずいぶん失礼なことだと思う。玄関からではなく、専用の裏口からというのだから。占領時にマッカーサーが厚木に降りたのと変わらないのである。

同様のやり方で基地のある自治体、とりわけ沖縄が大きな被害を受けたことが、あったばかりなのである。米軍基地に配属される米兵等が、コロナの検査を受けずにやってきて、基地と町を自由に行き来したために、沖縄の感染者数が激増した。それが明らかだったのに、日本の政府はアメリカに対して、強い態度を示せなかった。日米間の地位協定を理由に挙げたが、これを機に改訂しようとする動きも起こらなかった。アメリカには何も言えない。そんな卑屈な態度があからさまになったが、たいして議論にもならなかった。

バイデン大統領と岸田首相との会談で、日本の防衛費を増額することを認めてもらったといった趣旨の報道があった。倍増せよといった主張が出たのはロシアのウクライナ侵攻があって以降で、安倍元首相がしきりに強調し、自民党内から賛同者が出て,首相も前向きに検討することにしたのだが、それがアメリカからの要請であることも明らかだった。台湾を守るために対中包囲網を敷くというアメリカの戦略に、日本政府はしっぽを振って賛成してきたのである。

日本は中国との国交回復の際に,台湾を中国の領土だと認めている。だから中国と台湾の関係は内政問題なのだが、政府の対応はこれを無視しているかのようだ。また、現在日本の経済関係を見れば、貿易相手国の一番は中国であって、対アメリカの1.4倍にもなっている。しかも輸入についてはアメリカの2倍以上になっている。何を買っても中国製といった現状からみれば、関係がこじれて貿易が止まれば、困るのは日本の方なのである。

仮に、中国が台湾に侵攻して、アメリカが台湾に加勢し、日本も参戦したとしたら、一体どうなるのか。戦場になるのは台湾だけではなく、中国本土と朝鮮半島、そして日本ということになるだろう。敵基地攻撃の必要性などといった発言が目立つが、日本がウクライナのようになることを想定しているとはとても思えない。国が焦土と化し、多くの人々が傷つき、死に、飢える様子が、なぜ想像できないのだろうか。

安倍政権以降の政府の姿勢が、アメリカの傘の下で、戦前回帰と思われるほどのナショナリズムをあからさまにしていることは言うまでもない。憲法を変え、核兵器を持ち、中国に対抗できる国にする。今回のバイデン訪日は、それが何よりアメリカにとって好都合な戦略であり、属国である日本が当然受け入れるものであることを、あからさまにした機会だった。しかし、こんな声が野党からもメディアからも聞こえてこないのは、何とも恐ろしい限りだ。

2022年5月23日月曜日

Neil Young "Barn"

 
young8.jpg"ニール・ヤングは相変わらず精力的な仕事をしている。"Barn"はクレイジー・ホースをバックにした2年ぶりのアルバムだ。古いライブや未発表音源を次々発売して、また出たかという感じだったが、このアルバムはなかなかいいと思った。

タイトルの"Barn"は納屋の意味だが、録音したのはコロラドから近いロッキー山脈のどこかにある古い納屋で、それを修復してレコーディング・スタジオにした。アルバム・ジャケットには夕焼けに映えるログの納屋が描かれていて、入り口にメンバーが並んでいる。YouTubeには"A Band A Brotherhood A Barn"というタイトルで、その録音風景や、納屋周辺の風景が収録されている。隙間から太陽が差し込むような納屋での録音だから、録音の環境としてはよくないのだろうが、おもしろい試みだと思った。

このドキュメンタリーは現在のパートナーである女優のダリル・ハンナが監督をしている。結婚したのは2018年で、36年連れ添い2014年に離婚した前妻のペギー・ヤングは、2019年に癌で亡くなっている。二人の間には障害を持つ子どもがいて、ブリッジ・スクールを一緒に運営していた。彼女自身もミュージシャンで、ニールのステージでバックコーラスなどもしていた。離婚後の彼女はつらかっただろうと勝手に思ったりするが、どうだったんだろうか。

そんなことを考えながら聴くと、ヤングの複雑な気持ちを表す歌詞を見つけることができる。最後の "Don't forget love"は死んだペギーに対する歌のように思えるし、"They might be lost"は彼女と子どもたちのこと、そして "Shape of you"は今一緒にいるダリルを歌ったもののように感じられる。そんな聴き方ができるアルバムだが、気候変動に対するアメリカ政府の無策ぶりを批判する "Human race"や、エネルギー依存を批判した "Change ain't never gonna"、あるいはカナダ生まれでアメリカ人になった自らの経歴を歌った "Canerican"なんていう歌もある

クレージーホースをバックにしているが、半分はソロに近い静かなもので、半分はロックしている。全員爺さんばかりだが、ヤングの声は今でもボーイ・ソプラノのままだ。長年歌い続けてきて、これからもまだ歌い続ける。そんな表明の歌もあって、聴いていると心が休まる気になった。

今こそ、古い歌を歌おう
君が聴いたことがある歌だ
君の心の窓をゆっくり開く (Welcome Back)

2022年5月16日月曜日

断捨離について思うこと


五木寛之が『捨てない生き方』(マガジンハウス)を出して、その「断捨離」考について毎日新聞に寄稿しています。それによれば、彼の「捨てない生き方」の根拠は「どれひとつとっても,それを手に入れた時の人生の風景,記憶が宿っている」からということにあるようです。それらに囲まれて暮らすことこそ豊潤な時間で、過去を思い出すことでこそ心が生き生きして明日への活力になるというのです。ここにはもちろん,使い捨ての風潮に対する批判や、敗戦時に平壌にいて、自らが棄民になったという体験が加わります。

僕はこの意見にわが意を得たりと思いました。「断捨離」はわが家でもやるべきこととしてパートナーから言われています。しかし、そうすべきだと思うがなかなか捨てられないでいる自分がいる一方で、いや、そうではないのではという気持ちもまた捨てられないでいたからです。過去の思い出がよみがえるようなものは捨てる必要はない。新聞を読みながら、思わずそう呟きたくなりました。だから捨てるのは、当分やめておこう。そんな気にさせる意見でした。

ところが先日、僕の従兄弟が亡くなって、その後始末に出かけることになりました。彼は独身で身寄りがなく、火葬に出席したのは僕ら夫婦と甥っ子、それに身の回りの世話していた友人だけでした。そのお骨をもって家に着くと、どの部屋もモノだらけで、段ボール箱がうずたかく積まれて、足の踏み場もないほどでした。彼は白血病を病んで、ここ数年入退院を繰り返していましたから、訪ねた時はもちろん、メールのやり取りでも、「「断捨離」をして片づけておいた方がいいと繰り返してきました。しかし、モノはますます増えるばかりで、ここ数ヶ月の間にも,新しく買ったものや,新たに集めた資料などがあったようです。

彼は映像やアニメの専門家でしたから、それに関連する書籍や漫画本、ビデオやDVDがうずたかく積まれています。おそらく、資料として貴重なものも少なくないはずです。しかし、それを大事だと思う人に寄贈するにも、どこに声をかけたらいいのかわかりません。探しても遺書はもちろん、それらしい連絡先もわからないのです。おそらくまだまだ生きられると思っていたのでしょう。病院での化学療法などについてのメールを読むと、いつ死んでもおかしくないことはよくわかりましたが、本人だけはそう思っていなかったのかもしれません。

さて後始末はどうするか。甥っ子や友人と途方に暮れる思いで、当座のことを話して別れました。死んだ本人にすれば、どれもこれも捨てられない思い出深いもの、貴重なものだったのかもしれません。しかしそれほど縁が深いわけでもない僕らから見れば,すべてはゴミ同然でしかないのです。ですから、ほとんどはゴミとして処理するようになるのだと思います。

僕は今回の経験で、死が近づいてきたと実感できる頃になったら、自分の意思で、思い切って捨てておくべきだろうとつくづく思いました。我が家には数千の蔵書やCDがあります。そのほとんどはもう読みもしないものですし、CDは全曲パソコンに入れてありますから、処分しても困らないものなのです。Amazonに店を開いて,この際売ってしまおうかとも思いますが、それもまた面倒な話です。とりあえずは書類や雑誌、小冊子の類いから捨てることにしようか。そう思いはじめていますが、ひとつひとつ手に取ると、過去がよみがえって、やっぱり残しておこうと思うかもしれません。

何もなければまだ当分生きることになるでしょうから、まあぼちぼち、少しずつ。そんな言い訳をしている自分に呆れるやら、納得するやら。

2022年5月9日月曜日

ウクライナについての本

 黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)
オリガ・ホメンコ『ウクライナから愛をこめて』(群像社)



ukraine1.jpg ウクライナには多くの民族や国が争ってきた長い歴史がある。その地を求めたのは温暖で肥沃な黒土にあったし、近代以降では鉄鉱石や石炭が産出されたからだ。紀元前からキンメリアやスキタイといった遊牧民が住み、古代ギリシャが植民都市を作った。2世紀の東ゴート族,4世紀のフン族の支配などがあってスラブ民族が住みはじめたのは6世紀以降だと言われている。ウクライナやロシアの起源となったキエフ大公国が生まれたのは8世紀のことだった。欧州最大の国家となるほど隆盛したが、モンゴル帝国の侵攻によって13世紀の初めに滅ぼされている。

黒川祐次の『物語 ウクライナの歴史』にはこれ以降の中世から近代、そして20世紀の終わりまでの歴史が書かれている。これを読むと,ウクライナは絶えず、周囲の国が争って占領をくりかえしてきた土地であったことがよくわかる。東にはキエフ大公国から派生したモスクワ大公国(後にロアシ帝国)があり,南にオスマントルコ、西にはポーランドとハンガリー,そして北にはリトアニアがあって,クリミア半島にはモンゴルの末裔であるタタール人のつくるクリミア汗国もあった。

ウクライナが国家として最初に成立したのは第一次大戦後だが、第二次大戦後にはソ連に併合され,現在のウクライナになるのはソ連崩壊後の1991年である。だから新しい国だと言えるが、ウクライナに住んで農耕の民として生きてきた人の中には、どこの国に占領されようと独自な民族だという意識が続いていた。その象徴がコサックと呼ばれた軍事的な共同体で、17世紀には一時期,国家として成立しかかったこともあった。

この本を読むと、ウクライナがロシアの一部であるかのように主張して侵攻するプーチンの言動とはまったく異なる,ウクライナの民であることと、独自な国家であることを求めて戦ってきた長い歴史があることがよくわかる。

ukraine2.jpg オリガ・ホメンコの『ウクライナから愛をこめて』は20世紀のウクライナの歴史を、身近な人たちの経験として語っている。ロシア革命によって53ヘクタールもあった土地を取り上げられたひい爺さんのこと、チェルノブイリ原発事故が原因で白血病で若死にした再従兄弟(はとこ)のこと、ユダヤ人ゆえににシベリアに避難して、ドイツ軍を助けたことを理由に赤軍に炭坑へ連れて行かれて、あるいはロシア革命からパリに逃れたために結婚できなかった、いくつもの男女の話などである。

ソ連によるウクライナ支配は70年続いたが,その間にことばや宗教が否定された。そのことばを取り戻すために子守歌を集める人がいる。あるいはキリスト教の聖像(イコン)を探して町で巡回展する人もいる。都市に住む人が田舎に別荘を持って、そこで野菜や花作りを楽しむ人が増えている。白パンに憧れて教師になった母のこと、出版の仕事をしていたが,本当はパイロットになりたかった父のこと。どんな話の中にも、ドイツやソ連に占領されたことで負った傷が見え隠れする。

著者のオリガ・ホメンコはキエフ大学で日本文化を専攻し,東京大学に留学して,現在ではキエフの大学で日本史を教えている。だからこの本も日本語で書かれている。中にはキエフの町を散歩しながら,名所旧跡を案内するところもあって、今はどうなっているのか気になった。行ってみたいと思わせる案内だが、今はとても無理。

彼女は2月に『国境を越えたウクライナ人』(群像社)を出している。その直後にロシアの侵攻が始まったのだが、彼女のTwitterにはキエフ周辺やウクライナ全体のこと、そしてもちろん、占領されたリ避難したりしている、友達や教え子のことなどが日本語で書かれている。

2022年5月2日月曜日

天候不順とコロナ禍でどこにも行けず

 

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カタクリが種をつけた


いつものことだが,カタクリが花をつけた後の4月の初めに重たい雪が降った。それでもカタクリの花はめげなかったのだが,今年は鹿がやってきて,花も葉っぱも食べてしまった。カタクリの花は年々増えてきていて,去年は140にもなったから,今年は200をこえるのではと楽しみにしていたのに,松の木の根元に咲いていたのがごっそり食べられてしまった。がっかりして数える気にならなかったが、それでも、残ったのがしっかり種をつけた。

forest183-2.jpg 鹿も食べるものがないのか,この冬は庭の椿や青木の葉もきれいに食べられてしまった。それでも青木は赤い実をつけて,新しい葉も出しはじめている。雪に埋もれても零下が続いても,しっかり生きているからたいしたものである。鹿に食べられているのはそれだけではない。周囲の若い木の皮が軒並みやられているから、立ち枯れしてしまうかもしれない。町は猿の駆除はしたようだが,鹿には手が回らないのだろうか。付近の山の木も相当やられているのだろうと思う。

春になって庭の花もにぎやかになった。とは言えどれも小さなものだから近寄ってみなければよくわからない。花の名前には疎いが,いくつか写真に撮ってみた。

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コロナ禍はいつまで経ってもおさまらない。暑かったり寒かったりして雨の日も多いから、山歩きも自転車もままならない。それでもまず始めは紅葉台に行き、三国山に行った。紅葉台から見た富士山は雪がかなり溶けていたが,この後たっぷり降って,真っ白になった。もちろん今はまたかなり溶けている。三国山は天気が悪かったが行くことにした。ブナの新緑はまだだし厚い霧で何も見えなかったが,どこか神秘的で悪くはなかった。自転車は週一回ほどだから,いつまで経っても息が切れる。

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ストーブを炊かなくなったので掃除をした。煙突を外してすす払いをし,ストーブ内の灰をきれいに掻き出して、黒のストーブ磨きで化粧直しをした。また寒くなったら元気に燃えてもらえるよう、丁寧に。この冬は薪の消費が多くて最後は乾いていないものまで燃すことになった。次の冬はそうならないようにと,十分に用意してある。その野積みした薪を家の周りに移動する作業もした。

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こんなふうに過ごしていて,ほとんどどこにも出かけていない。ワクチンを打っていないから感染者数がもっと少なくならない限り,これからも遠出は無理だろうと思う。もちろん,孫たちもやって来ない。


2022年4月25日月曜日

SNSは誰のものか

 
Twitterの株をテスラ社CEOのイーロン・マスクが買い占めて、買収を提案したようだ。Twitter社は拒否したからマスクは敵対的買収に乗り出すと言われている。その目的はTwitterをもっと自由な表現の場にして、「世界各地で言論の自由のためのプラットフォームになる可能性」を実現させることだとしている。もっともらしい言い分だが、どこまで信じられるだろうか。彼はこれまで表現や言論についてほとんど発言をしてこなかった人である。ただし彼の発言は主としてTwitterでなされてきたから、不満を感じていたのだろう。

Twitterのアクティブユーザーは2億人程度だから、20億人も持つFacebookやYouTubeに比べたら、規模の小さなものである。時価総額でもFacebookやInstagramを有するメタ・プラットフォームズ社の約70兆円の一割以下の約5兆円でしかない。ただし、Twitterには影響力のある政治家やジャーナリスト,あるいは学者の発言の場という性格があって、国内はもちろん,世界的に世論を動かす力にもなっている。トランプ前アメリカ大統領は,自らの政策をまずTwitterで発表したりもしていたのである。

そのトランプは現在Twitterを追放されているが、マスクはトランプと懇意だというから、表現の自由を理由に,復帰を認めさせるかもしれない。制限を大幅に緩和して、誤報もフェイクも差別発言もありということになれば、Twitterの信頼感は地に落ちるということになりかねない。

もっともマスクの資産の多くはテスラ社の株だから、それを売らなければツイッターを買収する資金は得られないようだ。現実的には無理なことを,話題作りにぶち上げただけだと批判する人もいる。あるいは仮に、時価より高い買収提示額で買おうとしても、Twitter社の株主は,容易には売らないだろうとも言われている。Twitterをマネーゲームに巻き込むことで,かえって大きな反感を買うことになるかもしれないのである。

個人が友達の輪を広げるために使うFacebookや、高収入を得ることを目的にした人が活躍するYouTubeには巨額の広告収入が得られるメリットがある。しかし言論の場という性格が強いTwitterは広告も少ないから、経営的に決して儲かる会社ではない。実際これまでに倒産の危機を迎えたこともあった。その意味では。世界的に重要なメディアになっても、常に収入確保に苦心しているWikipediaと似たものだと言えるかもしれない。

僕は時折やってくるWikipediaの要請に応えて少額の寄付をしている。スポンサーや広告収入に頼らずに,非営利の財団を作って運営しているものを利用するからには,それなりの対価を払うのが当然だと思うからである。すでに世界中の人が利用して,政治や経済,そして社会に大きな影響を持つ場になったTwitterも、個人が所有するものではなく、利用者の代表によって管理運営されるべきものになっていると思う。もちろんその仕方は世界共通のものではなく、国ごとに異なるものになる。そんな面倒なことにいちいちつきあうほどイーロン・マスクは暇ではないはずである。


P.S.Twitter社が一転,イーロン・マスクの買収提案を受け入れたようだ。一部の大株主の意向のようだが、すべて買い占めるのに年内はかかると言う。世界的な言論の場が一人の所有物になったらどうなるか。株主の中には,このTwitterの持つ社会的・政治的意味を考えて,高値だって売らないという人がいないのだろうか。 

2022年4月18日月曜日

見田宗介の仕事

 

見田宗介さんが亡くなった。一度もお会いすることはなかったが、若い頃から大きな影響を受けた人だった。だから当然、訃報に接して、彼の著書を読んだ時に驚いたり納得した様子がよみがえってきた。

僕が最初に読んだのは『価値意識の理論』(弘文堂、1966)だった。修士論文を書いていて、「価値」について整理された本はないかと思って見つけたものだった。何をどう引用したのかは覚えていないが、「まえがき」に、これが彼の修士論文だったと書いてあって、驚いたことを良く覚えている。社会学を勉強しはじめたばかりの僕にとって、社会科学や人文科学の理論や学説を網羅させて、うまく整理された精緻な文章を同年令の人が書いたというのは、とても信じられることではなかった。ちなみにこの本は400頁もある大著だった。

見田宗介には真木悠介という名で書いたものもある。そのことに気づいたのは『展望』(筑摩書房)という当時定期購読していた雑誌に載った「気流のなる音」という題名の連載だった。カルロス・カスタネダの『呪術/ドン・ファンの教え』(二見書房、1972)を取り上げてコミューン論を展開したものだが、たまたま僕も夢中になって読んでいた本だった。

内容はメキシコのヤキ族の呪術師ドン・ファンが弟子入りしたカルロス・カスタネダにさまざまな薬草を使いながら、ヤキ族の生き方や世界観を伝授するといったもので、四部作で構成されていた。僕は、特殊なキノコやサボテンがもたらす世界や、それによって起こる意識変革にばかり興味を持ったが、「気流のなる音」は山岸会や紫陽花村といった日本のコミューンの分析に当てはめていて、ここでも、その視点の見事さに圧倒されるばかりだった。

僕が大学院に行って勉強したいと思ったのは、フォークソングやロック音楽に興味を持っていて、将来的にはそれを研究テーマにしたいと思ったからだった。それをどうやって社会学の研究対象として分析するか。どうしたらいいかわからないまま放っておいて、本格的に始めたのは「カルチュラル・スタディーズ」に出会った1990年代の中頃のことだった。しかし、その前に『近代日本の心情の歴史――流行歌の社会心理史』( 講談社、1967)は読んでいて、その時にも同じような分析が日本の流行歌ではなく、ロックやフォークでもできるはずだと思わせてくれた。

他にも印象に残る彼の著作は少なくない。連続射殺犯として死刑に処された永山則男が獄中に書いた『無恥の涙』を元にした「まなざしの地獄」(展望、1973 後に『無恥の涙――尽きなく生きることの社会学』河出書房新社、2008)や『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』( 岩波書店、1984)、あるいは『白いお城と花咲く野原 -現代日本の思想の全景』 (朝日新聞社、1987)や『自我の起原 ――愛とエゴイズムの動物社会学』 (岩波書店、1993)等がある。社会や世界、そして人間の現在や未来に対する観察や思考は最近まで続けられていて、このコラムでも『社会学入門――人間と社会の未来』(岩波新書、2006)や『現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと』 (岩波新書、2018)を取り上げた。

このコラムを書くために、何冊かを改めて確認した。この際だから見田宗介(真木悠介)さんが残した著作をもう一度読み直してみようか。そう思ったのは、鶴見俊輔さんが亡くなった時以来のことだった。