2002年12月16日月曜日

山梨放送「1億人の富士山」

 富士山の麓に家を買って4年がすぎた。四季をそれぞれ何度か経験して、気候や人の気風にもなれてきた。いろいろ良いところや悪いところもわかってきて、自分の住んでいる場所、これからも住み続ける土地として馴染みも持ちはじめてきた気がする。ただ残念なのは、テレビの難視聴地域で地上波やUHFが見にくいから、地元のローカル放送が見られないことだ。ケーブルがあるのだが、BSで十分だと感じているから、ローカル放送のために加入する気にはならない。前ににも書いたように、インターネット・サービスがこの地区までくれば、考えようかと思っている。しかし、いつになるやら、という状況だ。


新聞のテレビ欄に載っている地元の放送局の番組でいくつか気になるものがあった。たとえば、富士山にまつわる番組。で、陶芸教室にきているKさんに頼んで録画して持ってきてもらうことにした。「1億人の富士山」。ローカル放送の番組だから地味だしお金もあまりかけていない。しかし面白い内容で、毎週録画してもらって楽しんでいる。
番組ではたとえば、山小屋でガイドのアルバイトをする東京の大学生にスポットを当てて、その仕事の内容を紹介した。ぼくは大学生の時に同じ仕事をした経験があるから、懐かしかった。山小屋のハッピを着て毎日5合目までお客さんを迎えに行き、8合目まで案内する。その他、食事や寝床、食糧や燃料の荷揚げと何でもやった覚えがあるが、今はもうちょっとスマートになっているようだ。山のガイドとして、それなりの技術や資格も必要なようだった。こういうところで働く学生を見ると、懐かしいし、頼もしい。


登山についてはその他、救急の医療施設があって、そこに医学部の学生やインターンが交替で常駐していることとその仕事ぶりを紹介したこともあった。見習いのお医者さんが、つぎつぎやってくる患者に対応する。たいがいは高山病や擦り傷、打撲程度なのだが、実習経験としては、かなり有効な場だと思った。しかし、富士山は日本一高い山なのに、登山をするという意識なしに登ってくる人が多いのには、あらためて驚いた。


頂上からパラグライダーで舞い上がる計画を立てて実行した若い女性の話もおもしろかった。富士山の頂上は気流が複雑で、それを見極めないと舞い上がることができずに落下したり、たたきつけられたりしてしまう。何日も試みてやっと飛び立って朝霧高原への飛行が成功。これはこの番組の今年のクライマックスといえるものだった。ぼくの家の近くでも、休みの日にはパラグライダーが舞っている。空からの眺めを体験したい気もあるが、ぼくは高所恐怖症だから、これだけは難しい。


富士山の気流についてはイギリスのBOAC機が空中で分解して山腹に落下した事故が有名である。それを取り上げたこともあって、番組では、その現場の現在の様子や当時の目撃者へのインタビュー、あるいは専門家による原因の説明などで、事故をふりかえっていた。
この番組の面白さは一方では歴史を掘りさげるところにある。たとえば山頂の測候所や富士山レーダーの建設について、また戦時中の測候所の活動や、戦後のアメリカの進駐軍の話、最初に富士山に登った外国人、あるいはシーボルトと富士山の関係などよく調べてつくっているものが多かった。


話題はほかに女性キャスターの米作りへの挑戦、本栖湖の湖底探索、富士吉田のうどんなどがあって、これは逆に身近な感じがして興味深かった。うどん屋を訪ねたのは立松和平。あの独特の語り口で、うどんの話。彼のほかにも結構有名なゲストが登場して、地方でもしっかり稼いでいることがよくわかった。


テレビの現状や将来は地方の放送局にとってはなかなか厳しい。地上波の全国放送がどこでも見られるし、BSやCSの衛星放送もある。多チャンネル化とデジタル化のなかで、その存在価値を示していくためにはよほどの努力が必要になるだろう。たくさんある番組のなかで、面白そうだと選択してもらうためにはどうしたらいいか。一つは「1億人の富士山」のように地元ならではの番組を作ることだと思う。できれば、富士山というテーマに関心をもつ人は山梨県にかぎらないはずだから、他県の放送局に売りこんでいく。小さな放送局には、守りではなく、攻めの姿勢、あるいは小さな放送局同士の相互の協力や競争が欠かせない気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿

unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。