2012年12月17日月曜日

スイスで出会った若者


journal5-114-1.jpg・夏にスイスのアルプスを歩いたときに、一部だけ山岳ガイドをした若者がいました。元気が良くて、ちょっとくたびれかけていた僕もメンバーたちも、彼の勢いに乗せられて、ロープホルンの山小屋まで楽しく登ることができました。しかし、それ以上に楽しかったのは、歩きながら、そして山小屋で話してくれた、彼がこれまで歩いてきた足跡と、現在や未来に対して考えている生き方でした。

・彼の名は太田拓野さん。現在「野外・災害救急法 ウィルダネスファーストエイド」を立ち上げて、災害時に負傷した人を助けるための術を日本で普及させるための活動をしています。スイスで山岳ガイドをしていたのは、資金稼ぎのアルバイトで、夏の3ヶ月ほどの仕事だったようでした。僕は大学の後期の講義で、「レジャースタディーズとツーリズム」という名の、毎回ゲスト講師を招いて話していただく今年だけの特別講義を担当していました。ところが予定していた講師の都合が悪くなって、代わりの人を探していたのですが、太田さんの話を聞いて、即座に「彼の話を学生に聞いてもらおう」と思いました。

・で、この講義も終わりに近づいてきた12月11日に、ゲスト講師をしてもらいました。彼は高校を卒業した後、アメリカの大学に留学しています。そこで経験した差別や極貧生活、そしてアメリカ大陸を自転車で北から南まで走り抜いたことを話し、カナダの大学に移って「災害救急法」の資格を取って、現在の活動に至っていることを熱っぽく語ってくれました。

・学生たちにはずいぶん刺激的な内容だったと思います。就職を中心にした自分の人生設計について、できる限り安全にと考える学生が多いのが最近の傾向ですから、太田さんの話は、そんな思いを根底から揺さぶるものでした。僕は日頃から、学生たちに、もっと視野を広げ、少しだけでも冒険をしてみたらと言ったりしてきましたから、彼の話は格好の援軍になりました。

・もっとも彼は、留学から始まって親に猛烈に反対されたこと、母親を何度も泣かしたことも話しました。そんな話に応えて、講義の最後で僕は、自分の息子たちがネクタイを締めてスーツを着て仕事をすることに憧れていて、それは僕がそうしなかったことに対する反面教師だったという話をしました。もっと冒険してほしかったと思ったとつづけましたが、もし太田さんが息子だったら、反対はしなくても、いつもいつも心配で気が気ではなかっただろうとも言いました。

・そんなご両親の心配は、今でも、そしてこれからも続くのだろうと思います。けれども、彼が最後に話した、今大きな地震が起こって、大勢の人が災害にあったときに、少しでもましな状態だったあなたに、ひどい傷を負った人に何ができますかという問いかけには、彼が今やっている活動に対する彼の思いの強さを感じましたし、それこそが今一番必要なことなのではないかとつくづく思いました。

・先日、中央道の笹子トンネルでコンクリートの板が崩れ落ちるという事故があって、多くの人が亡くなりました。僕は通勤にこの高速道路を利用しています。笹子トンネルは通りませんが、トンネルを走るたびに、もし今地震が起きたらどうなるかといったことが頭をよぎって、ぞっとすることが少なくありません。とっさの対応、傷を負ったときの処置など、自分には何一つできることがないことを、改めて実感させられた話でした。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。