・どう考えたって、日本がさらに経済成長をする国になるとは思えないし、地震や津波でもう一度原発事故が起こることは絶対に避けなければならないし、小さなほとんど利用価値のない島の領有権を主張してナショナリズムを煽って、戦争などを起こしてはいけないのに、あえて、危険を冒して火中の栗を拾おうとする。それが勇気あることであるかのような思い違いをする内閣が誕生しようとしているのだ。
・僕は今年はせっせと山歩きをした。山登りにはかなり慣れて自信もついたが、そこで得た教訓は、登るよりは降りる方がしんどくて危険で難しいこと、しかし、周囲を見回したりする余裕も登りよりは降りの方が多いと気づいたことだった。五木寛之が『下山の思想』(幻冬舎新書)を出して、そのタイトルに共感して読んだ。思想と呼べるものはほとんどなくてがっかりしたが、下山を思想として考えるというヒントが得られたことは収穫だった。
・日本は戦後の経済成長からの登山が頂上に達して、すでに下山の途中にある。それに気づかずにまた登り始めようとしたり、疲れているのにすぐ次の新しい山に登ろうとするかのような行為は、遭難の危険性を大きくするばかりだろう。それよりは、下山の仕方をできるだけ緩やかに、降りることもまた山歩きの行程として楽しむ気持ちを持つことが大事なのだと思う。
・こんなふうに思えないのは、山ガールなどでブームになった山歩きをドキュメントするテレビ番組が、決まって登る行程だけを取り上げて、頂上に着いたところで終わることに典型的だ。そのことは、山歩きを登山や山登りということはあっても、下山や山降りとは言わない言葉遣いにも現れている。登れば必ず降らなければならない。それはけっして省けないことなのに、無視してしまう発想が、バブル以降を「失われた〜」という文句で片づけてしまおうとするのは明らかだ。
・日本はすでにアメリカに次ぐ経済大国になり、GDPで中国に抜かれたとは言っても一人あたりでは、まだ一桁違うほどの豊かさを示している。その蓄積した資産をなぜ、数字ではなく実感として経験できる豊かさに向けようとしないのか。「経済成長」はすでに先進国では破綻した「神話」にすぎない。それを認めないから、国債を発行して経済対策を実施して、借金ばかりを積み重ねる失敗をくり返している。
・将来の不安を取り除くためには、勇ましくて景気のいい話ばかりに耳を傾けるのではなくて、周囲や遠くの景色を自分の目でよく見つめることが必要だ。下山する先があたかも谷底であるかのような脅しには乗らないこと。少しずつ降って平地に降りる。そうしたら、後はフラットな道を散策したり、少しばかりの起伏を楽しんだらいい。今必要なのはこんな生き方なのだと思う。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。