・旅の後半はイタリア国境のツェルマットから電車で北上してユングフラウとアイガーのある中央部に移動した。実は最初はもっと鉄道に乗るツアーに申し込んだのだが、参加者が少なくて中止になって、山歩きだけのプランに変更したのだった。だから、貴重な鉄道体験になった。その鉄道を小刻みに乗り換えて着いたのはラウターブルンネンという町だった。そこからバスとロープウェイを乗り継いで、ユングフラウ、メンヒ、そしてアイガーを望むロープホルン小屋まで3時間かけて400m程登った。
・もうこの頃には全員打ち解けて、お互いを気遣いあって登り、山小屋に着くとすぐにビールで乾杯が当たり前になった。男たちは旅行会社のリーダーをのぞけば、後は60代と70代。僕以外は定年退職して悠々自適の暮らしをする人たちだったが、女たちは、休暇が取れるのに取りにくい空気を変えてやろうと参加した人、休みが取れなくて辞めてしまった人など、感心するぐらいしっかりした人たちだった。そんなプライベートなことがお互いの口から自然に出るようになった。
・アルプスの景色はどこも壮大だった。季節を過ぎていたとは言え、高山植物をいくつも見ることもできた。けれども、動物を見かけることが少ないのは意外だった。鳴き声をよく聞いたのはマーモットだけだったし、他には雨上がりの朝にいっぱいいた黒いアルプス山椒魚ぐらいだった。鳥もくちばしの黄色いカラスと雀だけ。一見自然に見えるけれども、人の手がものすごく入っているし、現在はその保護に熱心でも、すでに乱獲して絶滅させてしまった生き物がたくさんある。のどかな牧草地が広がる風景も、おそらく数世紀前には鬱蒼とした森だったはずで、アイガーの中を掘って3500mまで鉄道を作ってから今年で100年になることとあわせて、現在のアルプスが人間にとって好ましいものへの作りかえや再生であることをつくづくと感じた。
・今夏のアルプスは観測史上最高の暑さで山頂の氷河もずくずくに溶けていた。その石灰岩を砕いて白く濁った冷水が流れる川には厚い霧がかかっていた。その流れを見ながら、アルプスの氷河はあとどのくらい持つのだろうかと思った。
・今回のツアーは山小屋とホテルに4泊ずつの行程で、一日平均10km前後を歩いたから、全部では7~80kmを歩いたことになる。上り下りのくり返しだから相当きつかったが、観光旅行では見えない世界をずいぶんたくさん経験することができた。街歩きもいいけど山歩きもなかなかいい。今見ておかないとなくなってしまう景色もたくさんあるに違いない。さて次はどこに行こうか。帰ったばかりなのに、もうそんなことを考えたりもしている。