2012年12月10日月曜日

「食」の現実

岩村暢子『家族の勝手でしょ!』新潮文庫、『変わる家族、変わる食卓』中公文庫

iwamura1.jpg・「食」についての文献を探していて、ちょっとびっくりするような本を見つけた。現在の多くの家族が囲む食卓がいかに貧しく、でたらめなものか。呆れながら読んだが、だんだん憂鬱になった。飽食やグルメの時代なのに、というよりはだからこその貧しさやでたらめだから、問題は複雑で、改めることは難しいというのがこの本の指摘である。

・食べるものはその種類も、調理の仕方も豊富にある。素材から作ることはもちろん、冷凍や即席のもの、そしてすぐ食べられるできあいのものがスーパーやコンビニで売られている。だからこそ、「食」にかける時間やエネルギー、そして費用が節約されやすくなる。著者が家庭をフィールドワークして集めた「食の軽視」の意見で一番多いのは、「忙しい」「面倒」「大変」、そして「節約」だ。

iwamura2.jpg・「忙しいからできあいのもので」「面倒だから冷凍で」「旅行や遊びに使いたいから食費を節約して」といった発想は、食の軽視そのものだが、問題は手作りを指向する人たちにも及んでいる。誕生日やお客をもてなすときには自家製のケーキを作ったり、パンを焼いたりする人が、日常の食事には無頓着で、そこには楽しくできるものには積極的だが、毎日くり返しする家事としての料理を「面倒」と感じる傾向があるようだ。「気が向けば」「作りたい気分になれば」「何かきっかけがあれば」その気になって作ることもある。著者はこんな発想を「手作り」指向ではなく、「手作りしている私」指向だという。

・食べることは生きるために欠かせないいちばん大事なことである。活動するためのエネルギー源であることはもちろん、絶えず入れかわる身体組織のためにタンパク質やカルシウムやさまざまなビタミンといった栄養素を補給しなければならないからだ。肉、魚、野菜をバランスよく補給することは、身体の維持はもちろん、成長期の子どもにとっては最も大切なことのはずだが、そこに注意を払わなくてもいいという発想が常識化しているようなのだ。

・著者によれば、このような発想は1960年生まれを境にして、それより若い人たちに多いという。だいたい50歳が境目だから、そんな発想で作られた食事で育った人たちが、もう20代の後半になっているということになる。そう言えば、僕にも思い当たることがいくつかある。昼ご飯を抜いたり、ビスケットや菓子パンで済ます学生たちが目につくようになったこと、食べることよりはファッションやケータイにお金を使いたいという発言を耳にしたことなどである。

・そのたびに、食べることを軽視してはいけない。必ずそのツケが中年過ぎにやってくる。そんな説教をすることが面倒になるほど、若い人たちの食の軽視が当たり前になってしまっている。彼や彼女たちが結婚して家庭を持ち、子どもを育てるようになったら、おそらくその食卓は、もっと貧しく、でたらめになることと思う。日本は政治や経済や放射能だけでなく、自らの身体の中から衰退や崩壊が起こっている。そんな危機感を駆り立てられる内容の本である。

2012年12月3日月曜日

テレビと選挙

 ・衆議院選挙と東京都知事選挙が同じ日に行われる。都知事候補に弁護士の宇都宮健児が立候補し、衆議院では「卒原発」というスローガンで反原発を明確にした「(日本)未来の党」が旗揚げをした。自民や維新よりは民主の方がちょっとましと思っていたが、ここに来てかなりおもしろくなってきた。僕は都民ではないから都知事選には投票できないし、衆議院選の選挙区に投票したいと思う候補者はいそうもないが、これから投票日までの間に、大きな流れが生まれそうな気配が感じられて、希望が少しだけ見えてきた。

・で、メディアの対応だが、橋下と石原ばかり追いかけてきたテレビも、ここに来て、「未来の党」の嘉田滋賀県知事に時間を割くようになった。反原発の声を受け止める新しい党として注目するが、小沢一郎の存在をマイナス要素としてあげる説明が必ずある。「未来」の政策は「国民の生活」とほとんど同じで、それはまた「民主党」が3年前に掲げたマニフェストとあまり変わらない。だから嘉田知事は小沢一郎の傀儡で、失敗した民主党の政策の焼き直しに過ぎないといった批判だ。

・小沢一郎は前回の衆院選の直前に「西松建設疑惑」で党代表を辞任し、民主党が政権を取って幹事長になった後、「政治資金規正法違反」や「陸山会事件」の容疑で起訴されて、剛腕、壊し屋の上にダークな政治家としてのイメージが定着したが、起訴されたことはすべて無罪になっている。
・その小沢に対するイメージはマスコミによって強化されたものだから、メディアは自らがしてきた報道の中身について検証して反省や謝罪をして当然のはずだが、そんなことをしたところはほとんどない。そして、「未来の党」の黒幕としての小沢の危険性を強調して、「卒原発」という政策の持つ意味を軽くしようとしている。

・3.11以降、特に原発問題について、新聞やテレビの報道が政府の発表の垂れ流しであったり、各社の立ち位置に基づいて意図的に操作されることがあからさまになってきた。デモの無視や経済への影響をくり返してきたことがその好例だ。テレビはさらに、派手な話題に飛びつく傾向を強めていて、いちばん大事な問題が何であるかを見失わせる役割ばかりを果たしてきている。

・一方で、原発の廃止に賛成する世論を大きな政治勢力にする動きは進んでこなかった。やっと生まれた「緑の党」の活動は地味で、しかもいくつも乱立している感がある。小異にこだわってオリーブの木の苗も植えられない状態だった。そんな閉塞感に囚われたところでの「未来の党」だったから、テレビも新聞も、大きく取り上げざるを得なかった。ただし、テレビのニュースは各党党首の街頭演説や、ぶら下がりのインタビューを編集して短く放送しているだけだし、各党の代表を呼んで議論をさせる番組にしても、論点がはっきりするというよりは、かえってわかりにくいままで終わってしまうことが多い。

・安部自民党総裁の呼びかけで、ニコニコ動画で党首討論会が開かれた。大勢集まれば、それは「朝まで生テレビ」と一緒で、大きな声ばかりが目立つしかないが、ネットではおもしろい中継がいくつも見られた。山本太郎の出馬宣言、嘉田知事と小沢一郎の公開対談、そして宇都宮都知事候補の高円寺での応援会、あるいはkinkintvには小出裕章が出たし、「未来」の代表代行になった飯田哲也も、卒原発政策の説明に大活躍だ。選挙の規制で、公示された後はネットの動きは制限されるが、知りたいことをじっくり確認するのは、テレビではだめだということがよくわかる数日だった。

・今度の選挙は、「反原発」のシングル・イシューでやるべきだ。経済の後退や電気代の値上がりなどといった主張は原発をなくしたくない電力会社の弁護でしかないし、核兵器をもつ可能性を手放したくない人たちの隠れ蓑だ。原発事故と放射能の拡散という事実の重さは、風化させたり、なかったことにしたりすることができないことなのである。
・そのことをはっきりさせるためにはテレビや新聞よりはネットの方がいい。にもかかわらず、選挙が始まると、候補者はブログはもちろん、フェイスブックやツイッターの更新もできなくなる。法律を変えたくないのは政治家よりもマス・メディアであることは言うまでもないだろう。

2012年11月26日月曜日

隣はとなり、家はうち

 

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毛無山・雨ヶ岳に沈む夕日を西湖から
  木曽の御嶽山に登った後も、毎週歩いている。この秋登った山を並べてみると次のようになる。木曽の御嶽山からは休みなく毎週歩いていて、しかも6時間以上歩くことも少なくなかったから、体力はかなりついてきた.先週登った白鳥山は500mほどの高度差で、登って昼食を取り、降りてくるまで2時間半しかかからなかった。
どこの山も秋真っ盛りで、これほど紅葉を満喫した年はなかった。天気にも恵まれて、遠くの山や海、あるいは島まで見通す景色を眺めると1000m以上も登ってきたかいがあったと思うことが多かった。しかし、冬は確実に迫っていて、大室山では小雪が舞った。これからは南の山を中心に年内も歩こうと思っている。

9月10日 北八ヶ岳横岳
9月21日 本栖湖・龍ヶ岳
10月5日 杓子山・高座山
10月18日 木曽御嶽山
10月25日 今倉山・二十六夜山
11月1日 瑞籬山
11月8日 朝霧高原・毛無山
11月15日 西丹沢・大室山
11月22日 富士川・白鳥山

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毛無山頂上から富士山
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大室山から相模湾と伊豆大島を望む
瑞籬山の岩場を登る
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ところで、たった一人でログハウスを建てた隣人だが、その後も時折やってきて、今度はツリー・ハウスを作り始めた。足場も本格的に組んで夏から始めて最近完成した。こちらは仕事もあるし、山歩きもしていて、作業しているところはあまり見なかったから、いつの間にという感じだった。それでも、時に早朝から夕暮れまで金槌やのこぎりの音がしていて、せっせと作業している様子を感心しながら眺めることもあった。さて次は何をするのだろうか。今度見かけたら、聞いてみようと思う。

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forest104-7.jpg P.S.父母が老人ホームで暮らすようになって5ヶ月が過ぎた。売却した家も、つい最近壊されて、ご覧のような更地になった。ここには中学生の頃から京都へ行くまでの10年ほどしか住まなかったし、建てかえをしたから家に愛着があったわけではない。しかし、半年ほど前まで週に一度泊まりに来た家がなくなってしまい、ただの空き地になったのを見ると、やっぱり寂しさを感じた。「終の棲家もしょせんは仮の宿か。」そんなことをつぶやきながら、写真を撮った。ここでもまた、隣はとなり、家はうちだ。

2012年11月19日月曜日

「パイレーツ・ロック」


rock1.jpg・2009年に作られた映画なのに全然知らなかった。「パイレーツ・ロック」というタイトルで60年代のイギリスを舞台にしている。ビートルズやローリングストーンズに代表されるブリティッシュ・ロックが世界中を席巻した時代だが、不思議なことに、この種の音楽を放送するラジオ局はイギリスにはなかった。だから、イギリスの法律が届かない公海上に船を浮かべて、一日中ロック音楽をかける放送局が登場して人気を博した。映画はそんな時代の物語だ。

・海賊放送と言われたから「パイレーツ・ロック」なのだが、原題は"The Boat that Rocked"だ。放送をやめさせようとするイギリス当局のあの手この手の工作にもかかわらず放送を続けてきた船が、岩礁にぶつかって沈没してしまう。だからロックには音楽と岩の両方の意味がある。なるほどと思ったが、日本名の方がわかりやすい。もっとも、題名をつけた人の狙いはヒット作の「パイレーツ・オブ・カリビアン」にあやかろうとしたことは容易に想像がつく。良し悪しはともかくとして、原題と邦題の違いに対する違和感は、映画やポピュラー音楽の歴史を通して変わらずに続いている。

・映画は無数のファンたちの船がDJたちを助けるところで終わる。イギリスの放送は国営のBBCが独占していて、教養的価値のないポピュラー音楽は放送する価値がないと判断されてきた。ましてや、当時の大人たちの常識や礼儀、あるいは道徳観を無視したり否定することが当たり前だったロック音楽は、絶対に放送などしてはいけないものだと判断されてきた。また、BBCは組合に配慮して、音楽家たちの職場を守るために放送でレコードをかけることはせず、スタジオでのライブを基本にしてきた。映画に登場するDJたちも平気でセックスの話をくり返す。ただし"FUCK"だけは禁句で、これを言ったらイギリス当局の規制を許してしまうということだったようだ。連発が珍しくない昨今の映画やテレビになれてしまうと、昔日の感が一層強くなった。

・今から思うと嘘みたいな話ばかりだが、逆に言えば、イギリスに登場したロック音楽がラジオ放送なしで人気になり、ヨーロッパやアメリカ、そして日本でも大流行したのは、この音楽とそれが主張するメッセージがが国境を越えて若者の心にいかに強く響いたかを物語っている。おそらく、この映画を見た若い人たちは、そんな感想を持つのではないかと思った。あるいは、存在感の薄くなったラジオの力を再認識する機会になるのかもしれない。

・で、さっそくサントラ盤を購入したのだが、高校生の頃に聴いた曲が多く、いくつかはドーナツ盤で買った記憶があるもので、懐かしい気がした。ビートルズもローリングストーンズも入っていないが、60年代後半のイギリスを中心にしたロック名曲集といった内容になっている。

・ところで、ロック音楽とラジオの関係についてだが、アメリカではイギリスとは逆に、ロックの誕生にはラジオの役割が大きかった。3大ネットワークがテレビ放送開始によって全米各地のラジオ放送局を売りに出して、その放送局が地域ごとに番組を作って放送した。ドーナツ盤やLPなどのレコードの新技術と相まって、DJがレコードをかけて番組を作る方式が定着し、そこに新しい音楽が生まれる下地ができたのである。イギリスの海賊放送が目指したのは、そんなアメリカ各地にあって若者たちに人気のラジオ放送だった。

・日本ではマスメディアとしてのラジオ放送局が深夜に番組を開始して、そこで欧米の新しい音楽をかけたから、ロックは日本でもラジオから流行したと言える。ただし、僕の経験で言えば、聴きたい音楽が最初に流れるのは進駐軍放送のFENだった。海賊ではなく進駐軍。共産圏への影響などもふくめて、ロックとラジオの関係を調べるのは案外おもしろくて、先行研究の少ない部分なのではないかと思った。

2012年11月12日月曜日

拝啓、オバマ大統領殿

 オバマ大統領殿

 大統領再選、おめでとうございます。選挙前の予想では、ほぼ互角でどちらが勝つかわからないと言われていましたから、選挙の結果は気が気ではありませんでした。
 4年前にあなたが、「チェンジ」とか「イエス、ウイー、キャン」といったことばでアメリカの若者たちの心をつかみ、新しいヒーローとして彗星のごとく登場したときのことを、今でもよく覚えています。就任の祝典には数多くのミュージシャンが歌い、ハリウッド・スターがスピーチをして讃えました。90歳になるピート・シーガーが歌う"This Land is Your Land"は、ほほえましくまた感動的でもありました。

 あれから4年弱、あなたは核軍縮を唱えてノーベル平和賞を受けましたし、保険制度の新設にも尽力されましたが、他方で白人保守層が巻き返しを狙って起こした「ティ・パーティ」の運動や、経済状況の悪化と失業率の増加、あるいは中間選挙で共和党に下院の過半数を占められたことなどによって、就任前に掲げた政策の多くを実現することができませんでした。支持率が落ち、批判や非難をされたのは当然ですが、しかし、イラクからの撤退やアフガニスタン問題も、リーマンショック後の経済の落ち込みも、ほとんどはブッシュ政権の失政の後始末で、そのことを共和党や保守勢力から非難されるのはお門違いも甚だしいと思いました。

 実は日本でも、同じようなことが起こりました。長年続いた自民党政権に変わり、民主党が政権を獲得したのでした。鳩山首相は自民党とは違ういくつもの政策を掲げて大きな期待を抱かせましたが、沖縄の普天間基地問題でつまずき、わずか1年で退いてしまいました。多くの日本人は幻滅して彼をアホ呼ばわりしましたが、アメリカの力、というよりはアメリカの意向を気にした勢力によってつぶされたのだと言う人もいます。

 日本は未曾有の大地震と津波、そして福島原発の事故によって、大惨事を経験しました。この処理のまずさを強く批判されて、次の菅首相もやはり1年で失脚しましたが、普天間基地同様、原発を推進してきた張本人の自民党は、自分の責任を棚に上げて、民主党批判に終始してきています。国会はやはりねじれ状態で、民主党の掲げた政策のほとんどは実行できていません。

 民主党3人目の野田首相は自民党にすり寄って、政権の延命を図りましたが、そのためにすっかり国民の支持をなくし、自民党からは選挙をせよと脅されてばかりです。このままでは、あなたの国とは違って自民党が政権を奪い返すかもしれません。危険な原発を廃止すべきという声は、国民の大多数の意見です。その力に押されて野田首相は逃げ腰ながらも廃止を政策として掲げました。しかし、自民党政権になれば、そんな頼りない政策さえもつぶされて、日本中の原発が再稼働してしまうでしょう。

 そこであなたにお願いがあります。次の4年間の政策の中に、日本のアメリカ軍基地の縮小と、アメリカにおける原発の新設をやめ、既存のものも年限を決めて廃止することを掲げて欲しいのです。日本の戦後の政治はアメリカ追随を第一の政策として実行してきました。日本独自の政策を狙った政治家はことごとく、つぶされてきたと分析する人もいて、アメリカの力は国民の声以上に強いのだとつくづく感じています。

 もちろん、あなたはアメリカの大統領ですから、日本とは利害の異なる点について、たとえばTPPのように日本に強行に迫らねばと考えている政策もあろうかと思います。しかし、それについても、言いなりになる日本の政治家や官僚たちばかりでなく、反対し抵抗する人びとの声にも耳を傾けて欲しいと思います。何よりあなたはマジョリティではなくマイノリティを代表する初めてのアメリカ大統領なのですから。

2012年11月5日月曜日

続・悪夢の選択

 ・政治の世界はいつでも、しょうもないと思うしかないものだった。しかし、今はその中でも、とびきりしょうもないと感じる。その一番の対象は、東京都知事を突然辞めた石原慎太郎だ。もう老害としか言いようがないが、本人は若いやつがしっかりしていないから、自分がやるしかないと言い放った。

・なぜ彼は、都知事を辞めて国政に転身するのだろうか。もっともらしい理由はいろいろあるのだろうが、一番は息子が自民党の総裁になれなかったことにあるようだ。そもそもやる気がなかった4期目の都知事選に出たのも、自民党の幹事長だった息子に強く説得されたからだった。公私混同もはなはなだしいが、彼の罪はこんなものだけではない。

・尖閣諸島を国営化したことに対して中国で起こった反日デモのきっかけは、石原がアメリカでした「尖閣諸島を東京都が買う」という発言だった。多くの日系企業が暴徒化したデモ隊に荒らされ、略奪され、日本車が壊されたり、不買運動が起きた。その被害は尖閣諸島の購入費の比ではないし、日本と中国の関係をめちゃくちゃにした責任はきわめて重いとおもうが、彼には、そんなことに対する責任などを感じる気持ちはまるでないようだ。むしろ、ますます過激になって、戦争も辞さないと言ったりもしている。

・石原はまた、「一度の事故で原子力の活用を否定するのはひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為」だという発言もしている。しかし彼は、ディーゼル・エンジンの排ガスとは違って、放射能の被害に対する認識がない、家を捨てて暮らしている人たちが見えていない、重厚長大な産業を基盤とするシステムからの脱却という未来が描けていない、人の住まない島々の所有権を主張して起こる問題や被害に考えが及ばない、そして何より、オリンピックの誘致もあわせて、ナショナリズムを煽ることによって自らの存在を誇示しようとする以外に能がない政治家なのである。80歳になったこんなひどい政治家をマスコミはなぜたいした批判もせずに野放しにしているのだろうか。

・他方で、政治の話題は橋下大阪市長を中心にした「日本維新の会」にばかり向けられている。こちらの方にはマスコミもその出自を取り上げて批判をして、逆に抗議を受けたりもしている。「維新八策」では「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」をうたっているが、大飯原発の再稼働を容認したり、離党した国会議員を寄せ集めたり、いくつもの政党との連携を模索したりと、信用できない行動が目立ちすぎる。最悪の総裁選びをした自民党ともあわせて、こんな力が政権を取ったらどうなるのかと考えると、暗澹たる思いにとらわれてしまう。

・「3.11以降、世界は変わったのです。」京大助教の小出裕章さんがくり返し口にすることばだが、世の中の空気は「たいしたことではなかったことにしよう」という気持ちで充満している。幸か不幸か排気ガスと違って、放射能は目に見えないし臭いもない。ないことにするためにはきわめて好都合だが、それで危険がなくなるわけではない。そんな不安感や危機意識を持つ人たちのデモが数十万人にも増えたが、こと国政選挙については、それを争点にすることができないようだ。

・反原発の声は多数派なのに、それを受け止める政党がない。なぜ日本には「緑の党」ができないのか。いや正確には、あってもないに等しいほど目立たないのか。「反原発」で政策の一致した政党が「オリーブの木連合」を目指して動き出すといった話も全く聞こえてこない。このままでは「悪夢の選択」すらしようがなくなってしまう。

2012年10月29日月曜日

雲と夕日

 

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・台風が過ぎた後の夕方に帰宅すると、きれいな夕焼けに迎えられることがある。朝は真正面から朝日を見て出勤し、帰りは夕日に向かって走る。まぶしいことこの上ないが、時折、思わず「きれいだ」とつぶやいてしまう光景に出会う。ほんの一瞬の美しさで、数分もすると薄暗くなってしまう。そんな瞬間を逃したくないから、カメラはいつも手放せない。

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・散歩や自転車の時にもいい風景に出会うことが少なくない。心動くのはやっぱり、雲と太陽だ。いつもの風景がいつもと違って見える。たとえば富士には笠雲がかかることがある。(左上)天気の下り坂を教えてくれるしるしだが、頂上にできた雲が飛ばされて意外なところに浮かんでいたりもする。(右上)笠雲と言えばアイガーの周辺を歩いているときにも現れた。(左下)その前日泊まった山小屋からは村だけを覆う雲が見えた。(右下)

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・雲と夕日がつくる風景を探してみたら、懐かしい写真が次々と見つかった。ポートランドで見たMt.クックには黒雲が重たく垂れ込めていた。(左上)イギリスの西端にあるSt.アイブスの夕焼け。(右上)親不知から見た日本海の夕日。(左下)、そして我が家から見た夕焼け。(右下)
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