2013年5月20日月曜日

春の山歩き

 

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・今年は3月になって急に暖かくなった。卒業式には桜も咲いて、ぼちぼち山歩きをという気になった。で、京都の個展が終わって新学期が始まる前の4月はじめから歩き始めた。最初は伊豆の金冠山と達磨山から。暖かいところからと思ったのだが、駿河湾から吹き上げる風は冷たかった。次週は箱根の明神が岳。天狗で有名な最乗寺からの登りはだらだらと長かった。桜は咲いていたが、凍えるほどに寒かった。連休前の4月末は家の近くの十二ヶ岳に登った。距離は短いが絶壁や吊り橋のある難コースで頂上に着いたときには思わず万歳が出た。

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連休中は人混みを避けて家で大工仕事をして、連休明けに茅が岳に登った。日本百名山の名付け親で有名な深田久弥が最後に登って頂上近くで急逝した山である。女岩という意味深の岩壁があり、深田久弥終焉之地と書いた石碑があった。頂上はパノラマの風景だったが、残念ながら霞がかかってぼんやりとしか見えなかった。元気のいい山ガールたちが頂上でコッフェルを使って食事をしていた。
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先週は去年上高地に行ったときから考えていた奥穂高に行ってきた。と言ってもロープウェイに乗って頂上まで登り、まだ深い雪の残る周辺の散歩道を歩いただけである。西穂高、穂高、北穂高、槍ヶ岳、大ノマ岳、笠ヶ岳、そしてはるかに白山連峰まで見える景色は壮観だった。雪が溶けていて西穂山荘まで歩けば眼下に上高地まで見えたのにと残念だったが、欲はかかずにまた秋に来る楽しみにしておこうと思った。

前日は平湯で大ネズコの巨木を見に山に登り、大滝を見に沢を歩いた。ネズコはヒノキ科で成長が遅い木で、幹回りが7.6mもあるこの木は推定で樹齢1000年を越えているようだ。平湯大滝は落差が64mある。水しぶきがかかるほどのところまで近づくと、その高さがよくわかった。
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2013年5月13日月曜日

もう醜悪と言うしかない

 

・「アベノミクス」が好調で、株価が高騰しているようだ。テレビのニュースではそれに関連して、景気のいい話をよく取り上げている。高級品がよく売れているし、自動車業界も好調らしい。円安のおかげでソニーやパナソニックなど、傾きかけた大企業も明かりが見えてきたようだ。だから首相も強気になって、憲法改正や愛国的な道徳教育を声高に言いはじめている。

・「美しい日本」「強い日本」が安倍首相の持論で、占領軍に押しつけられた憲法を改正し、自衛隊を国防軍にして、真の独立国家にしなければというのである。しかし、押しつけられたものではないことは専門家の間では自明だし、世界中見渡してもこれほどに良くできた憲法は二つとないのだから、どう変えても改悪にしかならないのは火を見るよりも明らかである。第一、押しつけられたというのなら、未だに米軍のやり放題が通ってしまう「地位協定」こそ見直すべきなのに、このことを強く言う政治家は与党には見当たらない。

・円安になりインフレになって得をするのは輸出に頼る大企業だけである。株価が上がって儲かるのは、集めた資金を運用して利益を上げる機関投資家やグローバルに資金を運用するヘッジファンドだけである。富士山が世界文化遺産として認められそうだというニュースが流れると、地元の観光会社の株がストップ高になったそうだ。余り上下しなかった株が半年前の3倍にもなっている。観光客増に対する期待感からだろうが、こんな上がり方をするのはもう、バブルとしか言いようのない事態だろう。

・日銀が大量に発行する円は、国債として国の借金になる。その額がもうすぐ1千兆円を越えるという。この数字は国民一人あたりに換算すると800万円にもなる額で、空恐ろしい気がする。21世紀に入って倍増した借金が「アベノミクス」によってさらに急激に膨らんでいるのである。景気浮揚のカンフル剤は効き目がなければ劇薬として作用してしまう。その危険性を批判する声は、国会からもメディアからもあまり聞こえてこない。

・重要なのは目先のことであって、将来や未来にまで目を向けるのは理想論に過ぎない。こんな論調が今の日本の空気であるようだ。だから原発は再稼働が必要だし、TPPにも参加しなければならないし、原発をトルコやヴェトナム、そしてアラブ諸国にも売り込んでいく必要がある。もう醜悪としか言いようがない政策だが、安倍首相はさらに「主権回復の日」などというグロテスクなアイデアを実行した。それが沖縄にとって「屈辱の日」であることはまるで念頭になかったかのようであった。ちなみに僕は4.28というと「沖縄反戦デー」を思い出す。この日は大きな集会やデモが行われてきたのである。

・陳腐でグロテスクなものをもう一つ。「国民栄誉賞」は王貞治がホームランの世界記録を塗り替えたことを理由に設けられた。この賞は首相が独自に決めることができるもので、これまでスポーツ選手や芸能人が数多く受賞している。選考の基準が曖昧で選考委員会などが常設されているわけではないから、きわめていい加減に、その時々の空気や人気取りの狙いで決められてきた。

・安倍首相は今年すでに、死去した大鵬に授け、さらに長嶋と松井を表彰した。長島についてはなぜ今という理由がわからないし、松井については受賞そのものに疑問符をつけたくなる。特に二人が最近大きな話題になったわけではないし、記録で言うなら長島や松井以上の選手はたくさんいる。とりわけ松井については、メジャー・リーグでの活躍と言うなら、その道を切り開いた野茂や記録を残しているイチローの足下にも及ばない。

・首相の気まぐれかと思っていたら、受賞祝いの会席に読売新聞の渡辺恒夫が同席したというニュースが入ってきた。これぞ醜悪の局地。政府と財界とメディアが結託し、足並みをそろえて進む道の先にあるのは、地獄でしかないように思えてきた。

2013年5月6日月曜日

長田弘『アメリカの心の歌』(みすず書房)

 

osada.jpg・この本は以前に岩波新書で出版されていて、ぼくはこのサイトを初めた時の最初の書評にこの本を選んだ。1996年の11月だからもう16年以上も前のことだ。同じ著者の同じ題名だが、本はハードカバーで出版社も変わっている。中身は同じかもしれないと思いながら買うことにした。

・読み返しながら改めて思ったのは、この本を読んで知ったミュージシャンの多さだった。ジム・クローチ、グラム・パーソンズ、ジョン・プライン……。地味だけどいかにもアメリカ的。それを著者は最初に「『私の生き方』を自ら問い直すための歌」と書いて、多くのミュージシャンについて語っている。歌を聴けば、その人の生き方と人生に対する態度が聞こえてくる。そんな人たちばかりを集めて、それがアメリカの心の歌だと言ったのは、16年経って読み返して、なお一層納得できると思った。

・歌というのは、つまりうたい方だ。うたい方というのは、つまり歌うたいの個性だ。個性というのは、つまりは人生に対する態度だ。そして、人生に対する態度がすなわち歌である秘密をどうにかして伝えようとしてきたのは、シンガー・ソングライターの歌だった。

・これはアメリカ人ではなくアイルランド人のヴァン・モリソンについて書いた章の冒頭のことばである。アイルランド人のヴァン・モリソンの歌がなぜ、アメリカの心の歌なのか。著者はそのことには何も触れていない。と言うよりは、アメリカの心そのものとしてヴァン・モリソンを評価している。そして僕も、そのことに何の違和感も持たない。

・それはアメリカの歌の源流がアイルランドからの移民たちにあるからだ。その移民たちの多くはジャガイモ飢饉があった19世紀中頃にアメリカに渡って、どん底の生活を生き延びた人たちだった。それでアイルランドの人口は激減し、歌もすっかり廃れてしまったのだが、アメリカで歌い継がれて、アメリカの歌になった。現在のアイリッシュ音楽は、アメリカから戻った人たちによって復活したものに他ならないのである。

・再販された本には「うたと誌の記憶」という部が追加されていて、そこではボブ・ディランやトム・ウェイツが取り上げられている。ディランはウッデイ・ガスリーをはじめ、多くの先達に影響されているが、1930年代に活躍した伝説のブルース・シンガーのロバート・ジョンソンについての既述は知らなかった。ディランはジョンソンについて、「彼の歌は私の神経をピアノ線のように震わせる」と言ったそうだ。「ロバート・ジョンソンを聴かなかったら、大量の詩の言葉がわたしの中に閉じ込められたままだった」とも。そこから、著者は次のように書く。

・歌を聴く楽しみあるいは悦びの一つは、その歌をいま、ここにみちびいただろうルーツをゆっくりと遡ってゆくことだと思う。歌は発展ではなく、遡行なのだ。遡ってゆくうちに見えてくる、歌にのこされた記憶の風景が好きだ。

・僕も全くその通りだと思う。そしてディラン自身やライ・クーダーの最近の作品には、はっきりと、遡行の大切さというメッセージが込められている。初心を忘れず、本質やルーツに目を向ける。そのことがまた、新しい歌や音楽が生まれる土壌になる。『アメリカの心の歌』を読んでつくづく思うのは、Jポップにはこの「心」がないということだ。懐古趣味はあっても遡行はない。

・この本を読んでまた、知らなかったミュージシャンを見つけた。スティーブ・グッドマンで1984年に白血病で死んでいる。38才で10枚のアルバムを残したようだ。そのうちの二枚をさっそく買って聴いてみた。当然だが、手に入るもの全てを買って聴きたくなった。

2013年4月29日月曜日

テレビを買い換えた

・ちょっと前から、VHSとDVがついたデッキで映像が映らなくなった。もうほとんど見ることもなかったから、そのまま放置しておいたのだが、今度は光テレビに同じ症状が出た。音はすれども姿は見えず。NTTに連絡してチューナーを交換したが、しばらくするとまた同じ症状が出た。で、テレビの付属機器との接続部分が原因だという結論になって、買い換えることにした。

・テレビはビクターの98年製だから15年見ていたことになる。数年前に一度全く見えなくなってビクターに連絡したら、部品の交換で生き返って、まだ当分これでいけると言われた。ブラウン管だがハイビジョン用だったから、僕は液晶画面よりはずっと気に入っていた。とは言え、パソコンもとっくに液晶になって、タブレットやスマートフォンなどですっかりなれてしまっているから、それほど惜しいという気にもならなかった。

・ただ、テレビにVHS+DVのデッキをつないでもやっぱり音だけで映像が見えなかったのはがっかりした。ビデオカメラで映したminiDVや、映画やドキュメントなど集めたVHSのカセットがかなりあるから、何とかしなければ全てが無用の長物になってしまう。以前に全部をDVDに変換しようと思って始めて途中で辞めてしまったことがある。今ならハードディスクに移し替えるのがいいのだろうが、手間や時間を考えると、とてもやる気にはならない。

・最近のビデオカメラはUSB接続でパソコンからハードディスクに保存できるようになっているようだ。スマートフォンで用が足りるから買う気にならないが、これまで撮りためたものをまとめて保存しておきたいとは思う。しかし、ベータから始まってVHS、Hi8、MiniDVと次々変わってきて、すでに見ることもできないカセットもかなりある。その多くは、こどもが小さい頃にせっせと映したもので、滅多に見ることはないが、見られるようにはしておきたいと思う。

・同じことはオーディオ機器にも言える。ほとんど聴かないLPレコードやカセット、そしてMDが棚積みされている。もちろん、音楽はCDで買うから、それらが占めるスペースはかなりのものになっている。そのほとんどはiTunesを使ってパソコンとiPodに収まっているから、本当は処分してもいいのだが、捨てようという気にはならない。と言うよりは、新しいアルバムの購入は相変わらず、itunesではなくCDでと思っているから、これからもどんどん増えていくしかないのである。

・実は置き場に困るほど増えているのは書籍で、仕事を辞めて研究室を引き払うときになったら、それをどうするかはまだ考えていない。欲しい人にあげるか、どこかに寄贈するか、いずれにしても保存するスペースは家にはないから、その処分方法を考えなければならない。本もデジタル化がはじまっていて、近い将来には、全てをハードディスクに保存することができるようになるのかもしれない。しかし、本に対する愛着はLPレコードやCDの比ではないから、内容をデジタル化しても、本はいらないということにはならないと思う。

・テレビの買い換えから話が飛躍してしまった。新しい液晶画面を見ながら、気になったのは、新しくすることで不要になるもの、買い換える必要があるものなどが付随して一杯出てくることだった。そして、ビデオやCDといったソフトが何重にも保存されていく。これは本当に大問題だと思った。

2013年4月22日月曜日

『「文化系」学生のレポート・論文術』

 

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・ネットの利用が当たり前になって、レポートや論文が簡単に書けるようになったという声が聞こえます。しかし、それは誰もが、テーマに関連することばを検索して、最初に出てきたサイトや資料を材料にして書くようになったことも意味します。似たものばかりを読まされる教師がうんざりするのはもちろんですが、学生にとっても、安直な分、何の役にも立たない作業にしかならないのです。

・文章は、自分にしかわからないことを、誰にでもわかるように書くことが基本です。そのためには、何がわからないのかを自覚し、明確にするために、考えたり、調べたり、参考になる本を探して読むことが必要です。ネットはあくまで、そのための一つの手段に過ぎないのです。

・この本は、自ら積極的に、わからないことに興味を持ち、調べたり考えたりする学生に、何をどう調べ、どんな本を読み、どんなふうに考えたらいいかをアドバイスする内容になっています。章構成は以下の通りです。


はじめに

パート1 レポートや卒論を書くために押さえておきたいツボ
 1.文章表現の基礎 2.分野による違い 3.視点の定め方
 4.客観的な視座 5.批判的な姿勢
 コラム1 文章をどう書くか

パート2 レポートや卒論を書くために使えそうなコンセプト
 1.消費 2.若者 3.アイデンティティ 4.ジェンダー 5.階層
 6.政治 7.コミュニティ 8.レジャー 9.グローバル化 10.メディア
 コラム2 卒論の進め方

パート3 レポートや卒論を書くために役立ちそうなトピック
 1.音楽 2.ファッション 3.スポーツ 4.アニメ 5.アイドル
 6.有名人 7.映画 8.観光 9.食 10.ソーシャル・メディア
 コラム3 レポートを書くための技術

パート4 レポートや卒論を書くために参照したいデータ
 1 資料・データの集め方1(本、新聞、雑誌、インターネット)
 2 資料・データの集め方2(量的調査とデータ解析)
 3 資料・データの集め方3(フィールド調査)
 コラム4 レポート提出は「担任教員への思いやり」が大前提です!

あとがき

2013年4月15日月曜日

薪割りと山歩き

 

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・寒かった冬も3月になると急に暖かくなって、片栗の花や蕗のとうが例年よりも早く芽を出した。桜もすでに満開で、これも半月も早い。次の冬のための薪割りも、半分済んだところで雪が降って道が凍結してしまったから、原木の購入がヴェトナムから帰った後になってしまった。その4立米をチェーンソーで玉切りして、せっせと薪割りをしている。始めるとすぐに汗びっしょりになって、Tシャツでも暑いくらいだ。forest107-2.jpg
・玄関のベランダの木が腐ってきたので張り替えることにした。オームセンターに2m弱の板を買いに行ったが、必要な枚数が無くて、途中までしかできていない。このベランダは2005年に張り替えたものだから7年ほどしか持たなかったことになる。ついでに手すりも作りかえようと思うのだが、これは来月になるか再来月になるか。バルコニーも床下の土台から直さなければならないから、今年は大工仕事に精出さなければならない。forest107-3.jpg
・パートナーが乗っていたインプレッサが13年以上も経ってそろそろ買い換えの時期になっていた。まだまだ元気に走っていたから急いでいたわけではないのだが、オレンジのXVが気に入っていて、アウトバックを買ったディーラーの営業マンに話したら、さっそく新古車の出物があるという連絡が入った。自動でブレーキがかかるし、アイドリング・ストップもして燃費がいい。forest107-4.jpg
・暖かくなって再開したのは他にもある。自転車と山歩きだ。今年最初は伊豆の金冠山と達磨山で、3時間ほどの軽いコースのはずだったのだが、階段の直登で駿河湾から吹き上がる強い西風に煽られての行程は、久しぶりの山歩きとしてはきつかった。山桜も散りかけていて、先週来れば満開の景色が眺められただろう。 forest107-5.jpg

2013年4月8日月曜日

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・suzumokuなんていうミュージシャンは全く知らなかった。だいたい日本のメジャーの音楽状況はここ数年、嵐やAKBやらSKE、NMBなんていう訳のわからないグーループに席巻されていて、およそ音楽とは関係ないビジネスと化している。興味がないと言うよりは嫌悪感で、聴くのはもちろん、話題にもしたくないほどだった。もちろん、3.11以降にさまざまな問題を批判する歌が生まれていることも事実である。ただし、その多くが地方に住んで、小さなライブハウスなどで活動するミュージシャンたちだから、メジャーとマイナーの断絶がますます大きくなってしまっている。

・suzumokuのビデオ・クリップをYouTubeで見たのはFacebookで紹介されていたからだった。それほど興味を持ったわけではなかったが、一つ見ると、続けて見たくなって、YouTubeにあるビデオを全部見てしまった。で、さっそくAmazonでCDを買うことにした。日本人のミュージシャンにこんなに興味を覚えたのは尾崎豊以来かもしれない。とにかくひどい音楽状況だけに、とても新鮮に感じられた。

suzumoku1.jpg ・''キュビズム"には12曲が収められている。どの曲を聴いても感じるのは、どこでも見かける街の風景、駅や駐車場、そして自分が住む部屋の様子やテレビ、あるいはそこで出会う人や見かける出来事の描写が、まるでスケッチブックを見るようにイメージできたことだった。で、もちろん、それにはsuzumokuというフィルターが通されていて、その感性や姿勢には共感したり感心したりするものが多かった。それはたとえば、次のようなフレーズだ。


最低まで転げ落ちたら 有名になるの?
犯罪者のモンタージュが 街中に張られている
「モンタージュ」

空回る換気扇のガラガラ 余りにもうるさいものだから
溜息を一つ置き去りにして 冷た過ぎるドアノブを掴む
「ノイズ」

またも虐待のニュースです なんと痛ましいことでしょう
信じ難い事件ですが 次はスポーツの話題です
「どうした日本」


suzumoku2.jpg ・'キュビズム"は昨年出たばかりの最新作で、その他に"素晴らしい世界"と"コンセント"の2作を買った。サウンドはギターだけのデビュー作から徐々に多様なものに変わってきているが、歌詞の特徴にはほとんど変わりがない。「都会を飾る真夜中の明かり 『あれは残業の景色なんどよ』と君は眠そうに目を擦りながら 独り言のように呟いている」(「素晴らしい世界」)。あるいは並んで歩いている恋人同士の会話を歌った「街灯」には印象に残る映画のワンシーンを見るような趣がある。

「もしもさ、明日全てが滅びるならどうしようか?」夕日と歩きながらふと君が問い掛ける 「いきなりどうしたの?」とおどけて笑ってみても 真面目な横顔に僕は少し立ち止まる 認め合いその時まで二人生き残れるのなら 迫り来る最後がどれほど暗くとも 街灯が一つ一つ灯される日常を願うだけ

・歌はことばをメロディに載せて伝える表現手段だ。だから歌を聴くときには、その歌詞が何を伝えようとしているのかに注意を向ける。当たり前の聴き方だと思うが、最近の日本人の作る歌にはほとんどメッセージがないのが普通だった。だから一層、suzumokuの歌には新鮮さを覚えた。彼が描くのは今の若者たちが抱く「心の歌」のように聞こえてくる。ちょっと声が優しすぎるところがもの足りない気もするが、それもまた最近の若者らしさを表象しているのかもしれない。