2015年9月14日月曜日

見たはずなのに、ほとんど忘れている

・BSや光テレビで時々映画を見る。初めて見るものもあるが、すでに見たものもある。特にもう一度見たいというわけでもなく、たまたま見はじめたから続けてという場合が多い。最近特に多いのだが、見たはずなのにほとんど忘れている。たとえば『フォレスト・ガンプ』、あるいは『戦場のピアニスト』や『ダイハード』のシリーズなど、見事に忘れていることに呆れてしまった。

・もちろん、歳のせいだと思う。しかし、一度見たからもういいと思ってきたが、果たしてどれだけ記憶に留めることができているのだろうかという疑問も感じた。そうすると、今まで見て、よかったと思う映画をもう一度見てみようかという気にもなった。僕の研究室には数百本のビデオカセットがある。ビデオのデッキが健在のうちに見直すことにしようか。

・映画やテレビ番組をビデオで保存したのは、講義の教材にするためだった。講義の内容に合わせて何本かのビデオを教室で見せてきたのだが、アップルの「キイノート」を使ってプレゼンテーションの講義を始めるようになってやめてしまった。それでビデオも用なしになって、廃棄してしまおうかと思うようになっていたのである。

・廃棄する前にDVDにコピーすれば、大学をやめて家に持ち帰ることもできるし、まだしばらくはパソコンはもちろん、テレビでも見ることができるだろう。しかしコピーをするには、相当の手間暇がかかる。CDで音楽を聴くように、くり返し見ることはないにしても、何度かは再生する。そんなことはないと思っていたが、ストーリーをほとんど忘れてしまっているなら、コピーしておく価値はあるのかもしれない。

・NHKが20年前に作った『映像の世紀』のシリーズは11本ある。講義ではずいぶん役に立ってきたドキュメントだが、これもBSで久しぶりに見かけて、その第1集を最後まで見た。見直すというより初めて見る感じがして、これはDVDにコピーしようかとも思った。しかし、たまたま放送されていたから見たのであって、わざわざ自分で見てみようと思うだろうかとも感じた。たぶんDVDにしてもほとんど見ないだろうとも思う。

・というわけで、見たはずなのに記憶が怪しいことを再認識したのだが、だからといって、プライベートに記録することもないかと思い始めている。youTubeを探せば見られるものもあるし、Amazonが動画の提供をするといったニュースもある。僕はプライム会員だから、追加料金なしで見ることができるようだ。どんな作品があるのかチェックしていないが、利用するのなら、テレビとパソコンをつなげるようにしなければならない。

2015年9月7日月曜日

再び、幸福について

 


渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー

edo1.jpg・イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読んで、明治維新直後の日本人の暮らしに、今さらながらに驚かされた。衣食住の貧しさ、衛生状態の悪さ、プライバシーとは無縁な人間関係、あるいは追いはぎはもちろん、欺されることもなく旅ができたこと等々である。で、時代劇ではわからない明治以前の日本人の暮らしをもっと知りたいと思った。

・渡辺京二の『逝きし世の面影』は、江戸から明治にかけて来日した欧米人によって書かれた多くの書をもとにして、外国人に受け取られた当時の日本人の印象を分析したものである。600頁にもなる大著だが、おもしろくて一気に読んだ。

・東洋の果ての国に来た人々に日本人がどう映ったか。それは各章の題名を並べただけでもよくわかる。章題は1章の「ある文明の幻影」ではじまって、以降は次のように続いている。陽気な人々(2章)、簡素と豊かさ(3章)、親和と礼節(4章)、雑多と充溢(5章)、労働と身体(6章)、自由と身分(7章)、裸体と性(8章)、女の位相(9章)、子どもの楽園(10章)、風景とコスモス(11章)生類とコスモス(12章)、信仰と祭り(13章)、心の垣根(14章)。

・要するに、当時の日本人は貧しくても貧窮しているわけではなく、むしろ生活を楽しみ、人々の関係は和やかで、子どもをかわいがり、弱者に優しく、士農工商の封建社会ではあっても自由にできる領域は多く、体格が貧弱に見えても腕力や持久力があり、性にはおおらかで、建前の男尊女卑には実質的な女の力がともなうといった印象である。木でできた粗末な家に住んではいても、ゴミなどはなく季節の花で飾られているし、きれいに整地された田んぼは周辺の森や林と見事な景観を作り出している。それは地方に限ったことではなく、100万人都市の江戸ですら同様であった。

・もちろん、このような描写には、産業革命が進行した近代社会から来た人たちが見た中世の社会という意味合いがあって、近代化以前にはヨーロッパでも見られた特徴だったはずだったはずである。だからこそ、楽園のように感じた人たちはまた、明治時代の急速な近代化が、このような特徴を急速に喪失していくことにも触れている。本書の題名である「逝きし世の面影」はまさに、ここであげられている特徴が、今はとうに消え去ってしまったかつての日本の面影であることを指摘しているのである。

・あるいは著者は触れていないが、当時の日本に訪れた人びとが高い階級の人であり、自国では近寄らない低階層の人びとに、日本では否応なしに出会ったということもあるかもしれない。貧しい人間は品性も卑しく、怠惰で向上心がない。そのような認識が差別意識に基づく偏見であったことは、イギリスの労働者階級の文化や生活に注目したレイモンド・ウィリアムズやリチャード・ホガートの研究、そして、そこに端を発するカルチュラル・スタディーズによって、明らかにされていることでもある。

・もちろん、日本を訪れた人の多くは、その途中でインドや東南アジア、そして中国などに立ち寄っていて、そことの比較の上で、日本や日本人の特異性に驚き、感心もしている。その意味ではやはり、彼や彼女たちが感じた印象には、確かなものだったと言えるだろう。であればこそだが、近代化を急ぎ、欧米の列強に対抗して戦争に突入して負けた日本。そこから再起して経済大国になり、世界有数の豊かな国となった日本について、その現在までの歴史や現状を見た時に、日本人はこの1世紀半の間、江戸時代よりも幸せを強く感じたことがあったのだろうか、という疑問を持った。

2015年8月24日月曜日

どこにも行かない夏

 

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・ここ数年、夏休みには長期の旅行と決まっていた。昨年はイギリス・フランス・スペイン・ポルトガルに3週間行ったし、一昨年は北海道の礼文島と利尻島を中心に10日間の旅行をした。その前はスイスのアルプスに10日間、その前は韓国に11日間、そしてその前はアメリカとカナダに3週間の長期旅行だった。

・今年の夏にどこにも行かなかったのはパートナーの病気のためである。正月に脳梗塞になったために3週間のイタリア旅行を中止した、彼女は治療とリハビリで70日ほど入院し、その後もずっとリハビリを続けてきた。日常生活に支障がないほどに回復をしたが、長期の旅行、特に長時間の飛行機はリスクが高いし、トレッキングはもちろん街歩きも難しい。だからしばらくはどこにも行かずに、機能回復に努めることにしたのである。

forest127-2.jpg・今年の夏は河口湖も暑かった。ただし午前中ならまだ涼しい。そこで精出したのが自転車とカヤックだった。カヤックは特にパートナーにはいい運動になる。オールを漕ぐのは腕だけではなく、腹筋や背筋、そして足の筋肉も使うからだ。アルミのパイプをつなぐゴムも修理をして、組み立てやすくなった。 漕ぎ出すのはいつも西湖なのだが、どうせならと僕は自転車で出かけた。汗びっしょりになった後、湖に漕ぎ出して感じる風は何とも心地いい。


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・自転車には、用事のない日はほぼ毎日乗った。河口湖を一周すると20km、西湖まで行くと23km、両方を回ると33km、精進湖まで出かけると39kmになる。いろいろ道を変えて、あちこち走って来た。たとえば上図のルートだと32kmになって、時間は1時間20分ほどになる。250mほど登るからかなりきついが、足の筋肉も心肺機能も強くなって、走りながら回復するようにもなった。ただし、お腹の贅肉はなかなか落ちてくれない。もう少し涼しくなって、観光客も減ったら富士山一周をやってみたいと考えている。

forest127-4.jpg・長期間は無理でも一泊ぐらいはと木曽駒ヶ岳に出かけた。あいにくの雨で千畳敷カールは霧に包まれていたから、宝剣岳まで登るのはやめにした。残念だったが、行きに寄り道をした秋葉街道は面白かった。中央構造線に沿った道路で、ゼロ磁場で有名な分杭峠があり、色の違いがはっきりわかる断層もあった。中央構造線は天竜川から西に紀伊半島、四国山地、そして九州の阿蘇へと続いている。フォッサマグナと相まって日本アルプスを生んだ大きな地殻変動の痕跡だ。フィリピン海プレート上の伊豆半島がぶつかって富士山や箱根、そして丹沢山地ができたことなどとあわせて、本州の地質学的な歴史の凄まじさの一端を見た気がした。

2015年8月17日月曜日

無責任体制の極み

・猛暑の中、今年も8月15日が来た。戦後70年、この国はずっと敗戦ではなく終戦と言い続けてきた。負けたのなら誰かがその責任を取らなければならないが、終わったのなら、それは誰の責任でもない。そして今年の夏は、この無責任体制が戦後70年で一番突出したと言える。安倍政権は世論の大反対にもかかわらず、暴走、迷走を続けているが、その姿勢自体もまた無責任そのままである。何を言うのかずっと話題になってきた「談話」にも、主語のない、曖昧な表現ばかりが目立った。

・11日に川内原発が再稼働された。反対の世論が多数を占める中での強行である。6日の広島、8日の長崎の式典の直後であり、11日は福島の月命日だった。無責任の上に無神経な行為と言わざるを得ない。福島の状況は未だにアンダーコントロールどころではないし、避難した人たちの多くの生活も、もと通りになることはない。そもそも地震や火山の噴火がこれほどに多い国に、原発など作ってはいけなかったのに、政権や電力会社にはそんな反省は微塵もない。桜島が噴火しそうなのが、自然が下す鉄槌のように思われてしまう。

・検察審査会が勝俣元会長ほかをやっと強制起訴した。事故責任をはっきりさせるような裁判がおこなわれることを願うばかりである。裁判では福井地裁で高浜原発再稼働の差し止め命令も出た。再稼働の可否を判断する新しい規制基準自体が「緩やかすぎて合理性を欠く」ものだとして原発政策を根本から見直すよう求めた内容だった。安倍首相はその判決など無視して、川内原発について、世界で最も厳しい新規制基準をクリアしたなどとうそぶいている。

・安保法制の衆議院における強行採決もまた、世論の大反対、政権支持率の急降下、そして大学生や高校生などが自発的に始めたデモを無視してのものである。さらに理解してもらうよう努力すると言っているが、理解したからこそ反対の声が強くなってきているのである。この戦争法案は、一説では安倍が祖父岸信介の意志を継いで実現しようとするものだと言われている。しかしまた、2012年にアメリカの「安全保障研究グループ」が公表した「第三次アーミテージ・ナイ・レポート」の内容そのものだと指摘する人もいる。

・アメリカに言われるままだからこそ、国会での論議と承認前にアメリカに行って、法案を約束したのだろうか。その安倍は、「ウィキリークス」が公表した「米国安全保障局」(NSA)が日本の内閣、日銀ほか大企業の電話を盗聴していた事実について、真意を尋ねることをしただけで抗議をまったくしなかった。そんなアメポチの隷属姿勢を、中国や韓国、そして北朝鮮に対する喧嘩腰と対照させると、日本や国民を守るためなどという説明が嘘っぱちであることがよくわかるだろう。

・無責任な言動はほかにもたくさんある。新国立競技場を巡る顛末はうんざりするほどだが、ここでも責任の所在がはっきりしない。オリンピックのエンブレムの盗作騒ぎも相まって、「もうやめたら」と言いたくなってしまうが、実際、オリンピックの後に大不況に陥って、そのまま日本没落なんてことを言う人もいる。実態のないアベノミクスと、それを支えるために年金を株価の操作に注入している日銀の行動は不安感を募らせるだけだし、ソニー、パナソニック、そして東芝といった日本を代表する企業の不振や不祥事なども続いている。で、そこでも、責任の所在はうやむやだ。

・戦争法案は参議院で論戦が続いている。武器は運べないが弾薬は運べる。だから核兵器や劣化ウラン弾なども運ぶことができる。こんなとんでもない議論があり、また法案の成立前なのに、防衛省では法律を前提にした計画を作成しているといった資料が暴露されている。もうめちゃくちゃだが、それでもこの法案を成立させるつもりなのだろうか。成立を阻止して安倍政権を倒す。無責任体制には一人一人の責任ある批判の声が力を持つ。「私」という一人称で、はっきり発言をすることが大事だ。

2015年8月10日月曜日

ベテラン健在!

  • Mark Knopfler "Tracker"
  • James Taylor "Before This World"
  • J.D.Souther "Tenderness"
  • Blur "The Magic Whip" 

knopfler.jpg・マーク・ノップラーの"Tracker"は3年ぶりで、彼は数年おきに着実に新譜を出している。評判が良くてUKはじめ、世界中で売れているようだ。trackerは追跡者や狩猟者の意味だが、同名の曲はない。アルバム制作者の意味だろうか。前作の"Privateering"同様、ケルト音楽が心地いい。その頭の曲は「笑う、からかう、飲む、そして吸う」というタイトルで、若い頃にロンドンで暮らしていた様子を思い返している。2曲目の「バジル」も新聞社で使い走りの仕事をする少年の話だ。これも、自分のことなのだろうか。彼の作るアルバムには今回に限らず、いくつもの物語がある。8曲目の"Light of Taormina"の歌詞にはディランと一緒に歌っている写真がある。数年前に一緒にツアーをしたようだから、その時に作った曲なのかもしれない。

jt1.jpg・ジェームス・テイラーの"Before This World"はスタジオ録音としては13年ぶりのようだ。ずいぶん久しぶりだが、その間、ライブ盤やカバーを出している。このアルバムも評判が良くてビルボードでNo.1になったようだ。3曲目の"Angels of Fenway"は、ボストン・レッドソックスが2004年に86年ぶりにワールド・チャンピオンになった時の歌だ。おじいちゃんもおばあちゃんもファンで、子どもの時に一緒にフェーンウェイ・パークに応援に行った。おじいちゃんは死んだが、おばあちゃんは病院のベッドで応援した。
・他方で9.11やアフガニスタンを歌った歌もある。自分のこと、身近なこと、そして世界のことを無理なく、穏やかに物語にする。ノップラー同様に、ストーリー・テラーとしての才能は健在だ。

souther.jpg・J.D.サウザーの"Tenderness"は4年ぶりのアルバムだ。前作の"Natural History"は彼のヒット曲を歌い直したもので、その多くは彼自身ではなくイーグルスやリンダ・ロンシュタット、そしてジャクソン・ブラウンなどに提供した歌だった。ノップラーやテイラーもそうだが、サウザーも外見は正真正銘老人だ。しかし、歌う声にはそれほどの違いはない。もちろん歌作りのエネルギーや力も衰えていない。
・アルバムの最後の曲"Down Town"には「戦争の前」という副題がついている。いつの戦争なのかどこの町なのかわからないが、ダウンタウンの良さと、今は失われてしまっている様子を歌っている。過去を思い返すというのも、3人に共通したテーマのようだ。

blur1.jpg ・最後はブラーの"The Magic Whip"。"Think Tank"を出したのが2003年だから、12年ぶりということになる。メンバーの脱退騒動で活動自体も休止していたが、2009年から再開している。香港で録音したから、ジャケットには模糊魔鞭という漢字が書いてある。イギリスのチャートで1位になったようで、なかなかいい。
・ブラーを知ったのは映画の『トレイン・スポッティング』だった。その後に出た"13"も"Think Tank"もよかったから、"The Magic Whip"も期待して買った。アジアを意識してということだが、聴いている限りはあまり感じない。

2015年8月3日月曜日

BSを見るのは地方の年寄りかマニア?

・火野正平が日本全国を自転車で巡る番組「心旅」が今年も続いている。春は和歌山から出発して北海道まで行って7月末で終了した。秋は徳島から出発して沖縄まで行くようだ。番組は朝昼夜とやっていて、僕も朝と夜は楽しみにして見ていた。BSだからどの程度に見られているのかわからなかったが、彼が行く先々で出会う人が「毎日見てます」といった声をかけることが多いのに意外な感じがした。火野正平が走るのはほとんど都市部ではなく、山間や海岸地帯で、そこで出会うのはお年寄りが多かったからだ。

・大学のゼミでこの番組の話をしても、見ている学生はほとんどいない。彼や彼女たちは、そもそもBSそのものを見ていない。テレビで見るものと言えば夜のバラエティで、テレビのチャンネルにBSがあることすら意識していない学生が多いのである。実際視聴率から言ってもBSはあまり見られていない。そのことは地デジと同時中継するスポーツ番組の視聴率の違いからも明らかだ。

・若い人たちがあまりテレビを見ないことや、主たる視聴者層が高齢化している傾向はずいぶん前から指摘されている。都市部では多チャンネル化が当たり前になっているからBSにまで関心が向かないのも当たり前かもしれない。けれども地方では、地デジの民放も2局だけだったりするから、BSもかなり見られている。その主たる視聴者層もやっぱり高齢者なのかもしれない。火野正平の番組を見ていて、そのことを実感した。前回書いたように、CMが「特定保健食品」や「栄養機能食品」ばかりなのもわかるというものである。

・もっとも、同じBS番組でも田中陽希の「グレイト・トラバース」は、老若男女に視聴されているようだ。去年の百名山に続いて今年は二百名山の踏破をめざしている。北海道の稚内から歩き始めて九州をめざす行程で、終わるのは12月になるようだ。その2回目の放送が8月1日にあった。百名山に比べて二百名山にはなじみのない山も多い。登山者が少なくて道が藪に覆われてなくなってしまっているところもあるようだ。なかなか大変な試みだと思う。ただし、彼にとっての悩みはや苦労はそれだけではない。

・彼はブログを出していて、そこには全行程の日程や日記が載せられている。だから、登りやすい山になると、待ち構えていて一緒に写真を撮ったりサインをねだったりする人がかなりいる。食べ物などの差し入れをする人もいて、そのことが歩く妨げにもなっている。番組は見て欲しいけど、邪魔はして欲しくない。そんな気持ちがブログでも吐露されているが、山歩きがブームになっている現状を考えれば、その憧れの人に一目会いたいといった願望をやり過ごすことは難しい。そもそも、ブームに火をつけたのもBSの百名山番組だったりもしたのだ。

・マニアックな番組と言えば「ツールドフランス」も、その全日程を中継していた。毎日25分ほどの時間だが、ロードバイクに乗り始めた者としては興味津々で見続けた。百台を超える大集団だからちょっとしたことで転倒して、それが何台にも連鎖する。優勝候補の選手が骨折をして棄権といったことも連続した。何しろ平地ではそのスピードが60kmを越えるというし、下り坂なら100kmにもなるようだ。どんなにがんばったって30kmを超えて走り続けることなどできないし、坂道では60kmが精一杯という者からすれば、自転車競技はやっぱりサーカスのように思えてしまう。

・テレビを見るとすれば、もっぱらBS。そんな視聴が定着してずいぶんになるが、我が家では最近、見られない日が多くなった。家の周囲の木が繁茂して電波を遮るようになったからだ、曇りがちになったり、風がちょっと強めに吹いたりすれば、もう映らなくなってしまう。大木を伐採することはできないから、BSアンテナを移動するか高くするかしなければいけないのだが、年齢を考えると屋根に登るのもそろそろ控えた方がいいかも、と思い始めている。森の中に住んで暑さをしのげているが、電波は届いて欲しい。どうしたものか悩んでいる。

2015年7月27日月曜日

友達と仲間

 

押井守『友だちはいらない』テレビブロス新書

蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』角川新書
高田渡『マイ・フレンド』河出書房新社

・大学生が入学してまずやるのが友だち捜しであるのは、今さら言うまでもないことだ。で、大学の4年間を通したつきあい方はつかず離れずで、卒業してしまえば、それでおしまいといったもののようだ。「そういうのは友だちと言わないんじゃないの」といった批判をして、卒業した後もつきあえるような友だちを作った方がいいよといった話を何度となくしてきた。
・けれども他方で、僕自身が十代や二十代の頃に出会った友だちと、今どんなつきあいをしているかと考えた時に、たまに会う程度以上の人は誰もいないな、と思っても来た。親密につきあっていたって、それが長続きするわけではない。だとしたら、いったい友だちって何なんだろう。学生に話しながら、同時に矛盾する気持ちを感じていたのも事実だった。

osii.jpg・押井守の『友だちはいらない』は、そんなはっきりしない気持ちにひとつの答えを出してくれるものである。彼にとって一番大事なのは、友だちではなく、仕事仲間である。一緒に仕事をする仲間は、仕事上のつきあいであって、必ずしもプライベートな世界にまで入りこむものではない。プライベートなつきあいは家族で十分だし、ペットがいればもっといい。

・だからといって仕事仲間は表面的で形式的なつきあいだとも限らない。互いに協力したり、競争したりしながら、それなりに太くて深い関係になることもある。もちろんこれは映画監督ならではの発言で、どんな仕事にも共通するものではないかもしれない。あるいは、日本の企業は今でも、仕事だけではなく、プライベートなつきあいまでにもずるずる繋がるものだから、仕事仲間はもっと限定的にして、別の関係を作りたいと思う人も多いだろう。

ebisu.jpg・蛭子能収は漫画家で、テレビにもよく出るタレントでもある。周囲の空気など気にせず言いたいことを言う。その態度が人気の理由でもあるようだ。その彼もまた、友だちはいらないと言う。それは小さい頃からいじめられた経験によるようだ。周囲に同調するよりはできるだけ自由に生きる。この本はそんな生き方の提案書でもある。

・「ひとりぼっち」と言いながら、彼もまた仕事上の仲間の重要性を認めている。しかしやっぱり、そのつきあいをプライベートな世界にまで入れようとはしない。私的なつきあいは、彼にとっては奥さん一人に限られる。だからその奥さんの死が、彼にとってひどくつらいものであったことが書かれている。彼はその寂しさに耐えられず、テレビ番組で新しい奥さんを公募したようだ。「ほとりぼっち」になれないじゃないか、と言いたくなったが、一緒に生活する人こそ、いちばん大事だと思うのは、僕にもよくわかることである。そのことを、パートナーの脳梗塞と入院で痛感した。

wataru.jpg・高田渡の『マイ・フレンド』は、彼が十代の頃につけていた日記につけた名前だ。彼はその日記を友だちと思っていて、日記に語りかけるように、相談するように書き続けている。もちろん、現実に友だちがいなかったわけではない。家族もいたし、仕事仲間もいた。しかし、ウッディ・ガスリーやピート・シーガーを知り、そのレコードを聴き、歌詞を書き、バンジョーやウクレレを自作し、演奏や歌う練習をした。アメリカへの留学を考え、ピート・シーガーに手紙を書き、音楽評論家の家を訪ねて、聞きたいことを聞き、いくつもの資料をもらってきた。

・そんなことを友だちに話すように日記に書く。それは彼の自伝のようだし、私小説のようでもある。何でも打ち明けられるし、相談もできる。それで自分の考えもはっきりする。フォーク・シンガーとして独特のスタイルを作った人の若き日の日記であるだけに、一人の物語のようにして読んだ。実は僕はこのノートを、彼がデビューする前に井の頭公園で見せてもらっている。もう半世紀も前の話で、僕も同じようなノートを作っていたが、もうとっくに捨ててしまっている。

・友だち、仲間、そして家族。その関係の重要性は、一人一人それぞれだろう。また、誰にとってもそれぞれの関係の重みや意味合いは、歳とともに変わっていく。恋愛は結婚によって持続的な関係になる。仕事仲間もまた、ある程度の持続性を前提にする。ところが友だち関係には、持続的であることを保証するものは何もない。だからこそ、一次的にせよ、親密な関係になる。そして必ずしも生きた他人である必要はない。そんなふうに考えると、僕にも思い当たる出会いはいくつかあったと思う。