2020年6月1日月曜日

コミュニケーションの教科書


CS-1.jpg・『コミュニケーション・スタディーズ』(世界思想社)を出版したのは2010年ですが、それから10年経って、9刷で1万部を超えました。毎年300名以上が受講する「コミュニケーション論」を担当することになって、教科書を作ろうと思ったのがきっかけでした。当時大学院で担当していたゼミには在籍者や卒業生が多数参加していたので、それぞれの得意分野のテーマを担当させ、ゼミでの討議を経て完成させました。出版状況が悪い折りでしたから、初版の2000部は何年かかけて、自分で使いきろうと思ったのですが、翌年には増刷ということになりました。それからほぼ毎年、1000部ほどを出し続けて、とうとう1万の大台に達しました。

・日本の大学にはどこでも「コミュニケーション論」という名の講義が置かれています。「コミュニケーション能力」といったことばが注目され始めた時期でしたから、教科書として多く使われたのだと思います。しかも、中には継続して使い続けている方もいて、ありがたいことだと思ってきました。ぼくは大学を辞めて3年になります。もう研究者としても引退をしているのですが、今年も増刷という知らせを聞いて、少し手直しをしなければいけないと思いました。

・この10年で何がどう変わったのか。まずは2011年に起きた「東日本大震災」など、大きな出来事がいくつもありました。コミュニケーションやメディアについても、インターネット環境を中心に大きな進展と変化がありました。また、障害者やLGBTを自任する人たちに対する社会の対応の変化など、人間関係について改めて見直すことも求められるようになりました。そして何より、現在進行中のコロナ禍です。何しろ、人ごみにいてはいけないし、集まってもいけない。人と接する時には2mの間隔をとって、必ずマスクを着用して行うことが強制されたのです。

・その「社会(的)距離」(social distance)ということばは、E.T.ホールが提案した「近接学」(proxemics)において、人間関係における親しさを、「親密距離」「個人距離」「社会距離」「公衆距離」と区分したものでした。ここにはもちろん文化差があって、挨拶時にハグやキスをおこなう欧米人と、離れてお辞儀をする日本人では、その距離の取り方にずいぶん違いがあります。ところが日本では、毎朝の通勤通学電車では、誰もが当たり前としてすし詰め状態を許容しています。こんな特徴は感染の度合いとどう関係したのでしょうか。

・おそらく、人びとの接触や関係の仕方、集まりの仕組みには、これから大きな変化が起きることでしょう。それは当然、人間関係やコミュニケーションの仕方を変えていくはずです。そんな予測も含めて、執筆者たちには、担当したテーマについて書き直しをお願いしました。あまりに大胆な予測をして、数年後に陳腐化してしまってはいけませんから、そのあたりをどう書くかが問題になりますが、現在各自検討中です。

・コロナ禍を経験した人たちが、今後どのような人間関係やコミュニケーションの仕方をするようになるのかという疑問は、極めて興味深いテーマになると思います。テレワークや遠隔授業の経験は仕事や教育の仕方を変えるでしょう。外食や旅の仕方、音楽や演劇、そしてスポーツの楽しみ方も変わるでしょう。そんな大きな転機を感じさせますが、それが現実化した時には、全く新しい『コミュニケーション・スタディーズ』が必要になるかもしれません。もちろん、監修するのは僕ではなく、若い人たちになると思います。今回の改訂は、そんな予測をちりばめるだけになると思います。

2020年5月25日月曜日

●音楽の聴き方、楽しみ方

 

・コロナ禍で音楽を生で聴く場が閉ざされている。感染を防ぐためには、社会距離と呼ばれるおよそ2mの距離をとりあうことが必要とされるから、ライブハウスはもちろん、コンサート・ホールや野外もダメということになっている。確かに、ライブハウスの多くは狭い空間で、そこに大勢の人が集まり、ステージのパフォーマンスに応えて歌ったり踊ったり、掛け声をかけたりすれば、感染のクラスターになりやすいだろう。実際、ライブハウスは流行のごく初期に感染しやすい場所として注目され、3密の好例として槍玉に上げられた。

・そんな場に自粛を要請し、休業を強いるのであれば補償をするのが当たり前だ。しかし政府の対応は無視に近いし、わずかな補償も遅々として進まないほどお粗末である。EU諸国の対応に比べて、文化の大切さに対する認識不足が、露呈されてしまっている。このままでは、つぶれたり、閉じたりするところもあるだろう。また、主な活動の場としている人たちにとっても、表現の場が制限され、収入が途絶えてしまっているのだろうと思う。

・いったいいつになったら、音楽をライブで聴くこと、楽しむことができるのだろうか。感染が一旦終息しても、2次、3次と流行することは避けられないから、免疫や抗体を作るワクチンが一般に提供されるようになるまで、ということになるのかもしれない。しかし、そうなったとしても、今までと同じようなスタイルで復活するのだろうか、できるのだろうかという疑問は残る。インフルエンザと同じように、冬の流行時には多くの人が感染し、死者も出ることは避けられないはずだからだ。たとえばインフルエンザは毎年日本人の1割が感染し、数千人が亡くなっている。今まで通りの再開には、新コロナによる感染をあわせて、流行を常態として受け入れることが必要になる。何しろ、日本では毎年、9万人を超える人が肺炎で亡くなっているという報告もあるのだから。

・ライブハウスはビルの地下室のように密室状態のところが多いようだ。しかもオール・スタンディングにして、ぎっしり詰め込んだりもする。決して居心地の良いところではないが、好きなミュージシャンのライブを楽しみに集まった人たちには、知らない者同士でも仲間意識は生まれやすい。だからこそ、盛り上がったりもするのである。それは野外で行われる大規模なフェスでも変わらないが、密閉状態ではないし、夏場だから、感染の危険性は少ないかもしれない。

・僕は既に退職したから、大学で今行われている遠隔授業をしなくて済んでいる。大変な作業に追われているようで、辞めた後でよかったと思う。しかしゼミなどでは、学生が積極的になったといった経験を話す人もいる。大学のゼミ室や教員の研究室では、学生たちは圧倒的にアウェイであると感じている。だから緊張し、牽制しあい、遠慮しあって発言を控えるようになる。ところが家での参加になれば、ホームで一人だから、自然に積極的になれるというわけである。

・それを聞いて、だったらすべての授業を大学内でやることはないし、教員同士の会議だって家から参加にしたっていいのではと思った。それはまた、テレワークで仕事がはかどるのなら、毎日会社に出勤する必要がなくなることにも繋がる。それでは人間関係が疎遠になってしまうと危惧する人がいるかもしれない。しかし、人間関係やコミュニケーションの仕方は通信機器や交通の発達で、この1世紀で激しく変わってきてもいるのである。もちろん、仕事の種類だってそうだ。

・音楽はそういうわけには行かないと言う人もいるだろう。しかし音楽を聴く仕方も、通信や交通同様に劇的に変わってきてもいる。記録して聴くレコードやCD、ウォークマン、そしてスマホはもちろんだが、ライブだって、ミュージックホールやパブ、あるいはコンサートホールが’できてからまだ200年と経っていないし、野外のフェスはまだ半世紀といったところなのである。ライブがいいと思うなら、それなりの方策を生み出さなければならないし、欲求が強ければ必ず、新しいスタイルが生まれてくるはずである。

・だから、今のコロナ禍を転機として、さまざまなことが大きく変わっていくのではないかといったことを夢想したくなる。もちろんそれは音楽にはかぎらないし、演劇やスポーツなどの文化全般、そして仕事の仕方や学校のあり方、あるいは近隣の人たちとの関係にも及ぶのではと思っている。できればそれが、環境問題や気候変動に本気になって向かう方向に舵が切れれば、もっといいのにと思う。そもそも、ウィルス禍が頻発するようになったのは、開発による自然環境の破壊が原因だと言われていて、そこを改善しなければ、これからも新種が瞬く間に世界中に蔓延することを繰り返す恐れがあるからである。

2020年5月18日月曜日

ポール・オースターを読んでる

 『サンセット・パーク』新潮社
『インヴィジブル』新潮社
『ミスター・ヴァーティゴ』新潮社
『ティンブクトゥ』新潮


ポール・オースターの新作が翻訳されたのをアマゾンで見つけた。そうすると買わなかった作品がもう一冊あった。『サンセット・パーク』は2010年に出ているから、翻訳はだいぶ遅れている。もう一冊の『インヴィジブル』も2009年に出版されて、翻訳は2018年だ。その間に『冬の日誌』(2012)や『内面からの報告書』(2013)が先に翻訳されて、後回しになったようだ。翻訳者は柴田元幸で、彼はほかにも翻訳しているから、出たらすぐに訳すわけにはいかないのだろうと思った。

auster4.jpg 『サンセット・パーク』は大学を中退した若者が主人公で、オースターが初期の頃にテーマにした、喪失と再生をめぐるストーリーになっている。2005年に書かれた『ブルックリン・フォーリーズ』のように、中年から老年にさしかかる男を主人公にしたものや、自分のこれまでの生き様を振り返って赤裸々に表現した『冬の日誌』や『内面からの報告』と違って、また初期の作品に戻った印象を持った。大学をやめ、ニューヨークでホームレスの生活をしたり、各地を放浪して、恋愛関係に陥ったりと青春小説のような趣がある。
ただし、その流れとは別に、父親や義母、そして実母が登場して、それぞれ、第一人称で自らの現状や、息子への思いを語っている。いわば、若者を軸にした相互の関係がテーマになっていて、僕は父親の立場で読んでいることに気づかされたりもした。時代設定も書かれた時とほぼ同じで、リーマンショック後のアメリカが映し出されている。

auster5.jpg 『インヴィジブル』も主人公は若者だが、こちらは時代設定が1960年代から70年代になっていて、オースター自身であるかのようにして読むことができる。その意味では、初期の作品に戻ったという感じもした。大学生の頃に知りあったフランス人の哲学者とその恋人との関係が軸になり、舞台はニューヨークからパリに移って話が進む。しかしそれは。すでに老いて病と闘う主人公が書いた自伝小説で、大学時代の友人に中途のままで送り、次にそのもとになるノートやメモを送り、死んだ後に友人が見つけたものも含めて、小説ににまとめたものだったのである。しかも友人はでき上がった作品を持って登場人物を訪ねてもいる。小説であり、ドキュメントでもある。そんな工夫が面白かった
訳者の後書きに、この小説が『ムーン・パレス』に共通していると書かれていた。もう内容を忘れてしまったので読み直すと、驚いたことに、僕はほとんど思い出すこともなく、初めてのような感じで読んだ。で、オースターを読み直そうと思って、次に『偶然の音楽』を読んだが、やっぱり、思い出すことはほとんどなかった。このコラムでも書評しているのに、よくもまあ、すっかり忘れてしまったもんだと、我ながら呆れてしまった。

auster7.jpg そこで書棚を見回して、内容を思い出さないものをと『ミスター・ヴァーティゴ』を手に取った。読み始めて、これは買ったけれども読まずに積んどいたものかもしれないと思った。主人公は孤児で、拾われた男に、空中を浮遊する能力が見込まれて、その修業に明け暮れるところから始まる。時代設定は1920年代から30年代で、大恐慌が始まる直前の好景気から、一転して暗い社会になる世相が背景になっている。空中に浮いて歩くことをマスターすると、二人は興業に出かける。それは人びとを驚かせ、国中の話題になり、大金を手にするようになるが、少年の悪伯父に誘拐され、山奥に幽閉されたりもする。うまく逃れて興業を再開するが、今度は浮き上がるたびに強烈な頭痛に襲われるようになって、結局、浮遊はやめることにする。
オースターには珍しいおとぎ話で、悪ガキから全うな大人に成長する物語という意味で「ピノキオ」にも似た趣があって、そのことは彼自身も自覚しているようだ。ただし、子どもにはちょっと難しいかもしれない。

auster8.jpg 彼の作ったおとぎ話と言えばもう一冊、『ティンブクトゥ』がある。犬が主人公の物語だが、僕は途中で読むことをやめてしまっていたから、これも初めてというように読んだ。犬の主人は若い放浪者で、病を患っていながらニューヨークからボルチモアまで歩いて、旅をしている。しかしボルチモアに着き、エドガー・アラン・ポーの記念館にたどり着いたところで生き別れてしまう。主人が倒れて病院に運ばれ、犬は捕まることを恐れて逃げたのである。物語はそこから一匹だけの放浪生活になり、何度か拾われて、楽しいことも、つらいことも経験する。こちらは『吾輩は猫である』の犬版にも思えるが、ポーの生き様を念頭において書かれたもののようでもある。
そんなわけで、もうしばらくオースターの作品を読み続けようと思っている。もっとも読むのはいつも、寝る前のベッドの中で、気がついたら2時間も経っていた、なんてことも度々だ。だから早めにベッドに入るようになった。

2020年5月11日月曜日

再放送ばかりになったテレビ

 

・今までよく見ていたテレビ番組のほとんどが再放送になった。たとえば火野正平の「心旅」は、この春も三重県からスタートして愛知、静岡と来たところで、中断が決定された。その後は2014年の旅が再放送されている。見ていたのにほとんど覚えていないが、やっぱり6年前だから若いなと思った。最近の旅では、一日に走る距離は10km前後だが、6年前は20kmはざらで、40kmなんて日もあってびっくりした。やっぱり70歳を超えたらしんどくて、スタッフも気にしているんだろうな、と思った。もちろん、同年代である自分に照らし合わせての感想だ。

・もう一つ、田中陽希の「グレート・トラバース」は日本百名山ひと筆書きに続いて、2百名山をやり、現在は3百名山の途中にある。最初は2014年で208日、次は2015年で221日だったが、今回の3百名山は、まとめて全部に登るから、2018年から初めて2年を予定している。屋久島から出発して現在は宮城県まで来ていて、既に250座を越えているが、やはり緊急事態宣言が出て中断を余儀なくされた。東北地方は感染者も少ないから、中断しなくてもいいのではと思う。しかし、全国的に登山やトレッキングを自粛するよう求めているし、山小屋も閉じているから、そんな時には続けられないと判断したのだろう。

・僕は家周辺で自転車に乗り、近くの山を歩いている。例年の連休なら河口湖の湖畔も近隣の山もにぎわうのだが、今年は閑散としていたし、登山口は閉鎖され、駐車場も入り口が閉じられていた。だから自転車には乗ったが、山歩きは4月の中旬以降やめている。確かに、首都圏から大勢来られたのでは、感染者が出てしまうという不安はあるだろう。しかし、不安感にどれほどの客観性があるのかとも思う。休みには渋滞するほどの人気の山ならともかく、そうでなければ、互いに接触や接近をしなければ、それで充分なのではと思う。

・普段あまり見ていないが、バラエティなどでも距離をとったり、家などからオンラインで出演といった形が増えてきた。しかし、スタジオやロケで収録するドラマや、ロケ中心の旅番組は、撮ったところまでで中断ということになるようだ。テレワークが出来るものと出来ないものの違いが、こんなところにも出ているのである。いずれにしても、テレビが主な仕事場であるタレントは仕事が減って困っているようだ。こんな様子もやっぱり、危険というよりは、不安感を与えないための配慮のように思う。

・スポーツは現状では、競馬以外は開催の見通しが立たないようだ。ほぼ終息した台湾や韓国の野球は、無観客ながら開催し始めている。近いうちに観客も入れるようだ。日本よリも感染者数も死者数も多いアメリカも、MLBを何とか開催しようと、いろいろな案を出して探っている。ところが日本では、野球もサッカーも、開催が出来るような対策があまり見えてこない。やっぱり、不安を煽るようなことはしてはいけないと自粛しているように見える。

・今日本中に蔓延しているのは、コロナウィルス以上に「不安」という空気なのだと思う。しかし「不安」を解消させるのは「安心感」ではなく「安全」で、必要なのは、それをどうしたら可能にできるかという模索なのだと思う。政府が中途半端な対応をしているのに、どこも批判ではなく忖度して、出る杭になってはいけないと躊躇しているのだろうか。

・テレビのニュースは、自宅待機せずに出かけている人を探し回る監視塔になったかのようだ。サーフィンをしたって、釣りをしたって、接触を避けるよう気をつければいいじゃないか。そんなことを発言する人は、テレビではほとんど見かけない。オーウェルの『1984年』に出てくるテレスクリーンそのものである。

2020年5月4日月曜日

コロナ後のライフスタイル

 

・コロナ汚染を鎮静化するためには、人びとの濃厚接触を避けなければならない。だから家から出ないようにというのが、緊急事態宣言の趣旨である。控えるように要請されたのは、満員電車に乗って仕事に行くこと、繁華街に出かけること、密閉空間でのイベントを中止すること、観光地に旅行などしないこと等々である。要するに、どうしても避けられない場合を除いて、家に留まるようにという要請である。仕事もできない、学校にも行けない、外食やレジャーを楽しむこともできない。ないない尽くしで既に数週間、そしてこれからも長期間、過ごさなければならないのである。

・要請には補償が伴う。当たり前の話だが、日本の政府は明確にしていない。不良品で調達先も怪しいアベノマスクや、PCR検査の異常なほどの少なさに見られるように、政府の対策はめちゃくちゃで、この先どうなるのか、不安というよりは恐怖感さえ持ってしまう。しかしそんな状況でも、考えてしまうのは、今回の騒動が一時的なもので、終息すれば以前と同じように復活して再開されるというのではないだろうということだ。

・パソコンとインターネットをつかえば、ある程度の仕事や勉強はできる。だから、毎日通勤通学しなくても、週に何日かは在宅で仕事や勉強をすればよい。そうすれば、移動の時間は減るから、交通機関や繁華街の人ごみは緩和される。週末や祝日に高速道路や観光地や娯楽の場が混雑することもない。自由に使える時間が増えることになるから、忙しさを理由に便利なものばかり求めていた発想が変わるようになる。外食や出来あいのものを買うのではなく、家で自分で作る。もちろんこれは衣食住のすべてに渡るようになる。要するに、ライフスタイルの大きな変化がもたらされるはずなのである。

・僕は自分の研究テーマとしてずっと「ライフスタイル」を掲げてきた。僕が最初に出した本は『ライフスタイルの社会学』(世界思想社、1982年)だったし、その後も『シンプルライフ』(筑摩書房、1988年)、そして『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社、2007年)と続けてきた。これらの中で一貫して主張してきたのは、仕事ではなく生活を中心に据えること、便利さを求めてお金で消費するのではなく、出来ることは自分でやってみること、性別に伴う既存の役割に疑いを持って変えていくことなどだった。残念ながら世の流れは、仕事や便利さを求める方向を加速させたし、男女の役割にも大きな変化は見られなかった。

・それでも、僕はマイノリティでもかまわないと思ってきたが、コロナ騒動は、僕が言ってきた「ライフスタイル」の変革を実現させるのではないかという可能性を感じさせる。もちろん、主に都会で成立していた多くの仕事は失われるだろう。しかしそれは、地方へのUターンを加速させて、農業や漁業、あるいは林業を活性化させる可能性に繋がる。何しろ日本の食料自給率は減少する一方で、従事者の多くは高齢者なのである。

・世界中でロックダウンが行われて、空気や水の汚染が著しく改善されたようだ。これを機会に、地球の温暖化を阻止することについて、もっと本格的に取り組む機運が強まることも期待したい。そもそもウィルス騒ぎの原因は、森林を伐採して道路をつくり、農場や工場を造ったことにある。動物の世界を狭めて、人間との接触が起きれば、動物の世界で留まっていたウィルスが人に感染することは避けられない。環境破壊や汚染と、ウィルスの流行は強く繋がっているのである。現実には、もう手遅れかもしれないといった危機感を持って、見直す時に来ているとしたら、ウィルスは強烈な警鐘だと言えるかもしれない。


2020年4月27日月曜日

いつもながらの生活ですが

 

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 ・暖冬だったから、カタクリの発芽も早かった。ところが、3月末から4月にかけて3度も雪が降った。これではせっかく咲いた花が萎れてしまう。そんな心配をしたが、カタクリの花は強くて、しっかり実をつけるまでになった。しかも今年は花が100を超えた。毎年わずかだが増え続けている。庭一面のカタクリになるのはまだまだ先で、生きているうちには見ることができないだろうと思う。しかし、春を感じる何よりの喜びであることは間違いない。カタクリの花が枯れた後は、二輪草やイカリ草やスミレが咲き始めている。不順な天候だが、植物は確実に春を告げている。

forest166-3.jpg・松の木にいくつも穴が開いているのを見つけた。時々キツツキが来て、こつこつとつつく音を聞くことがあったが、10個以上もの穴を開けているのに全く気がつかなかった。虫を見つけるためなら、これほど深く開ける必要はないだろうし、巣にするのなら、こんなにいくつも作ることはないだろうと思う。なんとも不思議な穴だが、これが原因で松が枯れることはないのだろうか。あるいはほかの鳥が、ちゃっかり巣にするのではないか。そんな心配や期待を感じる穴である。

forest166-4.jpg・ところで、コロナ禍での生活だが、普段とほとんど変わっていない。3月はほぼ毎週、周辺の山歩きをしたし、4月に入ってからも。本栖湖から烏帽子岳、山の神社の千本桜、鹿留発電所と山王神社などに行った。どこに行っても出会う人はわずかで、桜を楽しむことができた。桜といえば河口湖畔も満開になったが、いつもと違って観光客はいないし、列をなして富士と桜を写すカメラマンもいなかった。自転車も3月から週に1、2度乗っているが、歩く人も、自転車に乗っている人もほとんどいない。もちろん、他府県ナンバーの車もわずかだ。

forest166-5.jpg・社会的接触を気にするような人ごみにはめったにでかけない。週一回のスーパーでの買い物ぐらいだが、欲しいものがあって出かけたホームセンターの人ごみにびっくりしてしまった。買いたいものをさっと済ませて退散したが、自宅待機で暇になった人が庭作りや日曜大工でも始めたのかもしれない。そう言えば、中年以上の男達が多かった。
・山梨県でも50人を超える感染者が出ているが、周辺ではまだ一人もいないようだ。検査数が少ないから怪しいが、地元の人たちの生活に、それほどの変化はない。湖畔のホテルや土産物屋、それにレストランなどをのぞけば、町の店の多くは開いているし、客もそれなりに入っている。僕はもともと、外食はあまりしないが、ここ最近は全くしていない。3食すべて自分たちで作り、デザートのシュークリームなども作っている。

・東京は大変なことになっているようで、母親がいる老人ホームにも2ヶ月以上訪ねていない。おそらく当分無理だろうと思う。認知症気味だから、忘れられてしまうかもしれない。ホームの近くの病院が多くの感染者を出したりして、心配だが仕方がない。それにしても、わずか100kmほどしか離れていないのに、こことは別世界になっている感がある。検査数があまりに少ないから、感染者は桁違いに多いのかもしれない。

・こんなふうに書いてきたら、連休中は山歩きもやめましょうといった声が聞こえてきた。人気の山は混雑するから、そうかもしれない。しかし、付近の山もにぎわうだろうから、連休中は家に閉じこもろうと思う。

2020年4月20日月曜日

コロナ禍に思うこと


・ここのところ毎週、コロナ禍について書いています。欧米では猛威を振るっていて、全世界で感染者数が200万人を超え、死者も10万人を超えました。他方で中国や台湾、そして韓国などの隣国は終息に向かっているようです。台湾では、無観客ながらプロ野球が開幕しましたし、韓国では、国会議員の選挙が行われました。ところが日本では、これから急増するのではと危惧されています。

・ 日本の感染者数と死者数の少なさには、ずっと違和感を持ってきました。理由はPCR検査自体の桁外れの少なさにありました。たとえば東京では3月末から感染者数が激増して200人近くになった日もありましたが、検査実施人数は多くても一日に500人といったところでした。つまり、極めて陽性の可能性が高い人にかぎって検査をしてきたのです。

・これでは、陽性だけど無症状という人の数はわかりませんし、熱や咳などの症状がある人のなかに、どれだけ感染した人がいるのかもわかりません。日本の感染者は1万人を超えたところですが、この数字はほとんど意味がありません。死者数についても、肺炎で亡くなった方の検査をしていれば、その数はずっと増えているはずです。何しろ日本では毎年、誤嚥性も含めて肺炎で亡くなっている人が13万人もいるのです。

・WHOが検査を勧めるよう警告を発し、世界中のほとんどの国が検査に力を入れているのに、なぜ日本だけが検査を抑えているのでしょうか。感染者が増えたら軽症の感染者の入院で病院がパンクしてしまうというのが、一番の理由のようです。しかし、中国は武漢に数千床の病院を数日で作りましたし、他の国でも、体育館やイベント会場、そしてホテルなどを軽症の患者用に用意するところが多くありました。

・クルーズ船での集団感染騒ぎから2ヶ月が過ぎているのに、政府は何をやってきたのでしょうか。感染者を入院させるベッドが不足しているとか、医師や看護師が装備するマスクや防護服が底をついたとか、今さら何を言っているのかと思います。感染拡大を予測して用意をしてこなかったのでしょうか。マスクは店頭でも相変わらず品薄です。だから首相の提案で一軒に2枚の布製マスクを配布というのですが、いったい何を考えているのかと呆れてしまいました。

・その首相は緊急時多宣言を4月6日に出しました。外出を極力控え、密な接触を避けるようにという要請で、仕事はテレワークを、食事の提供は持ち帰りやケータリングを、そして歓楽を目的とする営業は自粛をといったものでしたが、それに伴う、売り上げや収入減の補償については、ほとんどなしというものでした。欧米の国ではすでに補償の給付が始まっているところが増えていているのですが、多くの批判にもかかわらず、日本の政府は30万円だの10万円だのと、もたもたうろうろしています。

・世界一斉のコロナ禍で何よりはっきり見えたのは、各国のリーダーの姿や言動でした。芸術活動も含めて素早く補償などを宣言したドイツのメルケル首相。自ら感染して入院したことで、目が覚めたように真剣になったイギリスのジョンソン首相。台湾の蔡総統の対応は見事でしたし、韓国の文大統領の指揮は決然としていました。その他、ニュージーランド、アイスランド、ノルウェイなど、女性のリーダーが目立っています。それに比べて日本の安倍首相は、専門家会議から進言があったわけでもない小中高の一斉休校を突然出したり、効果の薄い布マスクを配ったりと、何をしているのかという感じです。

・ところがそんな政権でも、未だに4割前後が支持しているのですから、この国はどうなってしまったのかと唖然とするばかりです。一番の原因は、本気になって批判をしたり、実態を正確に報道する気のないメディアにあります。こんな様子を見ていると、なぜ日本が無茶な戦争を始めて、原爆を落とされるまでやめられなかったのか。3.11で原発をなぜ止められなかったのか。その理由がわかる気がしました。このままではアジアはもちろん、欧米が鎮静化してもなお、日本は深刻な状況のままだということになりかねない気がします。アベノリスク、アベノウィルス。このことに一刻も早く気づくべきです。