2019年5月27日月曜日

加藤典洋の死

 

・加藤典洋の死は不意の訃報だった。ツイッターをチェックしていて信じられない気がしたが、同様のツイートがいくつもあって、本当のことなのだと理解した。同世代で信頼している人をまた一人失った。肺炎が死因のようだが、体調は以前から悪かったようだ。ただし、今年になっても新刊本が出ているから、病をおして書き続けていたのかもしれない。

・加藤典洋はぼくと同学年だ。1985年に『アメリカの影』(河出書房新社)でデビューして以来、ぼくは彼の著書の熱心な読者だった。彼の関心がぼくと重なることや、執筆活動を志すきっかけが鶴見俊輔だったこと、それに村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』(新潮社)を評論して1988年に出た『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』が、ぼくの『私のシンプルライフ』とほぼ同時期に筑摩書房から出版されたことなど、親近感を持つ理由はたくさんあった。

・ぼくはこのレビューで彼の本を四度取りあげている。『言語表現法講義』(岩波書店)は大学の教職について学生に文章を書かせる苦勞を書いたものだが、書かれていることの多くに強い同感をもった。彼は鶴見俊輔の『文章心得帖』(潮出版)を引用して、文章のおもしろさが「1.自分にしか書けないことを、2.だれでも読んでわかるように書く」ことで生まれてくると書いている。これはぼくが学生に対してまず最初からくり返し話していたことでもあった。そんな授業をして、彼は学生たちと『イエローページ村上春樹』(荒地出版)を出した。そしてぼくもまた、学生の書いた卒論を1990年に教職について以来、退職するまで『卒論集』としてまとめつづけてきた。ぼくも彼も、誰であれ、懸命に書いたものにはそれを読む読者が必要だと考えたからだ。

・『村上春樹は、むずかしい』は、村上自身の『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)、内田樹の『村上春樹にご用心』(アルテス・パブリッシング)と一緒に紹介した。村上は狭い文壇社会から距離を置き、独特のスタンスを築いて、日本では異端の扱いをうけながら世界的な作家になった。加藤がこの本で試みているのは、改めて村上を、日本の近現代文学の枠内に位置づけることだった。そこにはまた、閉塞的な日本の文壇という殻を打ち壊す狙いもあった。そしてその村上もまた、僕等とは同学年である。特にぼくとは生年月日が3日しか違わない。そんな意味でも、ぼくは村上の小説にはずっと関心をもち、加藤の村上論にも注目しつづけてきた。ぼくが読んだ感想と、加藤のそれとはどこが一緒で、どこが違うのか。それはぼくにとっては、村上の小説を読むことと同じぐらい、興味のあることだった。

・2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故について書かれた『3.11 死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)も伊藤守の『テレビは原発事故をどう伝えたのか 』(平凡社新書)と一緒に紹介した。両者に共通しているのは、震災や原発事故の報道に見られた「原発事故と住民の避難にかかわるさまざまな情報に関して、情報の隠蔽、情報開示の遅れ、情報操作等のさまざまな問題」への注目であり、被災した住民ではなく、政府や企業サイドについているメディアの立ち位置や姿勢に対する批判だった。加藤はそこから、政府もメディアも専門家も信用できなければ、事故処理の過程や今後の原発と電力の関係について、政治や経済、社会、そして専門的な科学知識も含めて、自ら考えて、自分なりの見通しや哲学を作り出す必要がある、と説いた。

・加藤にとって最近の一番のテーマは「戦後」だった。そこにこだわって何冊もの本を書いているが、このレビューでも『戦後入門』(ちくま新書)をジョン・W.ダワーの『容赦なき戦争』(平凡社ライブラリー)と一緒に紹介した。ダワーの『容赦なき戦争』は第二次世界大戦を「人種差別」の視点から考察し、ドイツと日本への対応の仕方の違いから「人種戦争」と結論づけたのだが、加藤の『戦後入門』では、戦時中にされた都市への激しい空爆や原爆投下を、日本がなぜ人種差別的な行為として抗議をしなかったのか、その理由を詳細に検討している。

・連合国が日本に降伏を迫った「ポツダム宣言」(1945)だけであれば、日本は1952年には独立して、占領状態は終わっていた。しかしアメリカと単独で1951年に結ばれた「サンフランシスコ講和条約」によって、米軍基地や「日米地位協定」が現在まで存在して、まるでアメリカの植民地のような状態になっている。この曖昧さは「日本国憲法」と自衛隊の存在、加害者としての戦争責任や被占領国への謝罪の少なさ、非人道的な空爆や原爆投下に対するアメリカへの抗議のなさ、さらには戦争で命を落とした人への態度の有り様など、あらゆる面に及んでいて、ほどけない糸のように絡まり合っている。

・僕は最近、この『戦後入門』を再読しているところだった。加藤が安倍政権を「対米従属の徹底と戦前復帰型の国家主義の矛盾」と捉えて、批判してからもう4年が過ぎた。安倍政権はますますひどいことになっているのに支持率が下がらない。その理由がどこにあって、どうしたら現状を打破することができるのか。読み直そうと思ったのは、そんな気持ちからだった。そんな現状に対する危惧は加藤の方がはるかに強かったのだろう。彼は『戦後入門』の後も、『敗者の想像力』(集英社新書)、『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(幻戯書房)、『9条入門』(創元社)と書いている。

・「日本国憲法」、特に9条についてもう一度、しっかりと考えてみなさい。そのことばを加藤典洋の遺言としてかみしめたいと思う。

2019年5月20日月曜日

リハビリとメインテナンス

 

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forest158-2.jpg・自転車でこけて首を痛めた後、しばらくしてぎっくり腰が再発した。踏んだり蹴ったりで、自転車はもちろん、歩くこともままならなくなった。杖をついて買い物に行き、パートナーが通うクリニックにも行った。医者からは身体が硬いことを指摘されて、教えてもらったストレッチを毎日やるようになった。そのせいか少しずつよくなって、孫たちが来たゴールデン・ウィークまでには、何とか普通に歩けるようになった。孫は3歳になったから、もう話も普通にできる。いちご狩りに行ったり、シュークリームを一緒に作ったり。ダッコするにも腰に響かないようにと気をつけて、何とか無事に楽しくすごした。

・腰が痛くても、暖かくなって用が済んだ薪ストーブの掃除をしなければならない。これは孫たちが来る前に綺麗にしようと、痛いのを我慢して、煙突を外し、すす払いをして、ストーブ内にたまった灰を、綺麗に掻き出した。また、連休明けには、はげて汚くなっていたベランダと玄関のポーチのペンキ塗りをした。どちらもしゃがみ込んでの作業で、腰に負担がかからないようにと、おそるおそるだった。もうちょっと後になってからと思ったが、晴れて乾燥した日が続いたから、今がやり時だと思った。案の定、数日後から午後には雷雨になり、梅雨の走りのような天気になった。

forest158-3.jpg ・ところで我が家では食料品の買い物は、週一回と決めている。だから、大きなトートバッグ二つと保冷バッグ一つが満杯になるほどの量になる。老人二人で一週間にこんなに食べるのかと思うほどだが、買い物の日になると、冷蔵庫は空っぽになっている。一番かさばるのは野菜だ。保存がきくタマネギ、ジャガイモ、サツマイモなどは余裕を持って常備している。キノコは椎茸、マイタケ、シメジなどを三種類ほど。大根、人参、トマト、茄子、キュウリ、長ネギ、セロリ、キャベツ、レタス、ほうれん草、もやし、山芋などは毎週必ず買っている。他にもショウガやニンニク、そして苺やバナナやリンゴといった果物もある。これらを毎日食べていくと、一週間経てば、嘘のようになくなってしまう。

・ぼくは主に昼食の担当だが、蕎麦やうどんには野菜のかき揚げ天ぷらを作り、ラーメンや焼きそばにも野菜をふんだんに使っている。夕食にコロッケやカツを作れば、キャベツの千切りは皿に山盛りになるほどのせている。これからは地元の野菜が出回るから、食べる種類も量も、もっと増えることになる。だから、青汁やジュースといった代用品は買ったことがない。贅沢な食生活だと思うが、その代わりに外食は滅多にしない。食事は一日のハイライトで、作ることに時間と手間をかけている。

forest158-4.jpg・もちろん、自転車も再開した。しかし連休中は車やバイク、それに自転車で混雑するからパスをして、連休明けから本格的にと思ったのだが、風が強かったり、雷雨になったりして、思うように走れていない。筋肉をつけるよりは、ストレッチをして身体を柔らかくする。今回の故障でその事を痛感したから、むやみに走らずに、ほどほどを心がけようと思うようになった。。

・山歩きもパートナーにつきあって、ごく軽めにしている。勝山地区にある羽根子山は足和田山や紅葉台に続く登山道にある。40分ほどで登り降りできるコースだが、いつ行ってもほとんど人がいない。頂上からは富士山がよく見えるし、登山途中には眼下に河口湖が広がっている。勝山の道の駅から気楽に登れるのに、道の駅に来る人も、湖畔で遊んでいるばかりだ。観光地の情報をスマホで簡単に調べることができるとは言え、その分、すぐに見つかるところにばかり集中してしまう。観光地に住んでいると、そんな傾向がよくわかる。

2019年5月13日月曜日

ジョニ・ミッチェルの誕生日

 

"Joni 75 A Birthday Celebration"

joni6.jpg・75歳の誕生日を祝うコンサートというのは、最近、ジョーン・バエズを取りあげたばかりだった。その折に、ジョニ・ミッチェルの75歳を祝うコンサートが、ロサンジェルスで行われたことにふれ、YouTubeでその模様を見聞きすることができることも書いた。今回紹介するのはそのCD盤である。
・ジョニ・ミッチェルについてこのコラムで紹介したのは2007年だった。引退宣言をして"A Tribute to Joni Mitchell"という名のアルバムも出たが、すぐに復活宣言をして"Shine"というアルバムを出した。ただし、コンサートなどはやらず、田舎暮らしをして絵を描いたりして、隠遁に近い生活をしているようだった。ところがしばらくして、モルジェロンズ病という難病を患っていることを知った。

・モルジェロンズ病は皮膚の下を虫が這っているような感覚に襲われる病気のようだ。実際、彼女はこの病気を次のように説明している。「神経を直接攻撃してくることがあって、そうするとノミやシラミに咬まれたみたいになるのね。皮膚にすべてが入り込んでいて、幻覚とかじゃないんだから。わたしを生きながら餌食にしていて、体液を吸い出されてるのよ。わたしは生きてきてずっと病気にかかってきてるし。」

・ジョニがこの病気に罹ったのは引退宣言をした頃だから、すでに10年以上の闘病生活をしていることになる。2015年には意識を失って緊急入院したというニュースも伝わってきた。その後の消息については何もなく、時折どうしてるのかと思う事もあったから、75歳の誕生日を祝うコンサートがあったという知らせと、ステージに上がってケーキのろうそくを消した写真を見てほっとした。

・このコンサートに参加したのは、ジェイムス・テイラー、グラハム・ナッシュ、クリス・クリストファーソン、ノラ・ジョーンズ、ダイアナ・クラール、チャカ・カーン、エミルー・ハリス、ラ・マリソウル、ブランディ・カーライル、シール、ルーファス・ウェインライト、グレン・ハンザードといった人たちで、それぞれが彼女の歌をカバーしている。

・ぼくがジョニ・ミッチェルを知ったのは『いちご白書』の主題歌「サークル・ゲーム」を聞いた時だった。この60年代の学園闘争をテーマにした映画で歌っているのはバッフィー・セントメリーで彼女自身ではなかったが、この曲をきっかけにジョニに興味を持つようになった。70年代から90年代にかけて多くのアルバムを出し、「ボス・サイド・ナウ(青春の光と影)」「コヨーテ」「ウッドストック」など多くのヒット曲を作った。フォークやロックといったジャンルを超えて、ジャズにも近づいたりと、いつも新しいことに向かっていた。

・ジョニはカナダ出身ということもあって、ぼくにはニール・ヤングとの共通性を感じさせるミュージシャンだ。都会よりは田舎が好きで、大勢の人に囲まれるよりは、一人での生活を好む。二人とも子どもの頃に小児麻痺を患ったようで、そんなところもまた、共通性を感じさせるところだったのかもしれない。ニール・ヤングは今も元気で、毎年のようにアルバムを出している。ジョニにはもうそんな力も気持ちもないのかもしれない。しかし、人前に出て元気に振る舞う気力は健在のようで、アルバムを聴きながら安心した。

2019年5月6日月曜日

高齢者の自動車運転について

 

・高齢者の起こす交通事故がくり返し話題になっています。池袋で起きた事故では自転車に乗って横断歩道を渡っていた母子が亡くなって、加害者への非難はもちろん、高齢者の運転をやめさせろといった声が大きくなりました。運転していたのは87歳の元官僚で、逮捕されずに入院し、報道で「さん」づけされたりしたことから、元官僚に忖度しているのではないかといった批判が出たりもしました。同じ日に神戸で起きたバスでの人身事故では運転者がその場で逮捕されていましたから、その対応の違いに注目が集まったのでした。どちらもひどい事故だとは思いましたが、あまりに感情的なテレビ報道には、やっぱり強い違和感をもってしまいました。何ごとによらず、一方的に煽ることしかしない最近のテレビにこそ、もっと批判の目が向けられるべきなのです。

・昨年(2018年)の交通事故での死者数は3532人ですから、およそ一日に10人前後が亡くなっていることになります。このすべての事故の中から大きく取りあげられるのは、加害者は誰か、被害者は誰か、事故原因は何か、その状況はどんなだったか、場所はどこかについての興味や感情をかきたてる特異性ということになります。死亡事故の多くは、新聞の地方面や地方新聞の記事で小さく扱われるだけでしょう。ですから、交通事故と死亡については、もっと実態を見る必要があるのですが、テレビはセンセーショナルに報道し過ぎるように思います。

・警察庁交通局の資料によると、交通事故での死者数が一番多かったのは1970(昭和45)年で16765人でしたから、昨年はその2割強にまで減少していることになります。その間、車両の保有台数は3倍以上、運転免許保有者数が3倍弱、そして走行距離も4倍弱になっていますから、死者を出す事故の割合は大きく減少してると言えるでしょう。最近の特徴として、死亡者に占める割合として65歳以上の高齢者が多いことがあげられますが、その多くは歩行中に車にはねられる場合で、その割合は70歳以上から増加し80歳以上が特に多いというものです。歩行中の死者数は全体の55%ほどですが、その70%以上が65歳以上の高齢者です。統計からは、高齢者にとって危険なのは運転よりは歩行中であることがわかります。

・それでは高齢運転者による死亡事故ではどういう特徴があるのでしょうか。免許人口10万人あたりの年齢層別事故件数で一番多いのは85歳以上(14.6人)です。80~84歳(9.2 人)も高いですが、この間に16~19歳(11.4 人)が入ります。続いて75~80歳(5.7 人)、20~24歳(5.2 人)、70~74歳(4.1 人)、そして25~29歳(4.0 人)となります。確かに高齢になれば死亡事故の確率が高くなりますが、それは10代から20代の若者層にも言えるのです。もちろんその理由は大きく違います。高齢者にとっては老化による心身の衰えが原因ですが、若者層では運転の未熟さや無謀な運転が原因になります。

・高齢運転者の事故で目立つのはもう一つ、免許を保有する人が急激に増えていることがあげられます。75歳以上の免許保有者は、この10年で2倍、80歳以上は2.3倍に増加していて、この数は団塊世代の高齢化によってますます増える傾向にあるのです。免許証を返納しましょうという呼びかけは、このような高齢運転者の増加を危惧してのものでしょうが、都市部ではともかく地方では、車がなければ生活できない人も多いのが現状です。たとえばぼくは現在70歳で、車がなければ買い物もできないところに住んでいます。ですから、車の運転をやめる時には、今住んでいるところから引っ越しをしなければならないことになります。しかし、そんな歳になって、どこに行けばいいのでしょうか。

・高齢運転者が起こす死亡事故で一番話題になるのはアクセルとブレーキの踏み間違いのようです。しかし原因として多いのは安全不確認や前方不注意のほうで、この面でもメディアの取りあげ方には偏りがあります。また高齢者の起こした死亡事故件数は免許証所持者の増加にもかかわらず、ここ数年漸減傾向にあるようです。それはおそらく、車に装備された安全運転装置の進歩や普及によるのだと思います。前方に障害物があったり人がいたりすれば、アクセルを踏んでも自動でブレーキがかかりますし、レーンをはみ出せば警告音が鳴ったり、自動で修正したりもするようになりました。前後左右に設置されたカメラが、運転者の目を補強する役割がかなり備わってきているのです。この進化はおそらく、今後もさらに強化されるでしょう。完全自動運転とはいかないまでも、運転者の不注意や反応の衰えを補強する技術によって、高齢者の起こす事故は減っていくに違いありません。

・だとすれば、高齢者の運転を頭ごなしに批判するのではなく、安全装置のついた自動車に乗り換えるよう、国が積極的に推奨して、補助金を出すようにすることが賢明な策だと思います。しかし、アクセルとブレーキの踏み間違いや高速道路での逆走などはもちろんですが、車庫入れや駐車、狭い道でのすれ違いなど、基本的なところで以前の運転ができなくなったと自覚した場合には、免許証の返納を考えるのが無難だと思います。いずれにしてもこの問題は、一つの悲惨な事故から感情的に一方的な結論を出すようなことではないのです。

2019年4月29日月曜日

今年のMLB

 

・今年のMLBはイチローの引退セレモニーから始まった。イチローは去年開幕して間もなく、メジャーのロースターから外されて、チームに帯同するけれども試合には出ないという中途半端の立場になった。引退させずにおいて、日本でやる開幕ゲームを引退セレモニーにして盛り上げる。そんな演出は去年からわかっていたが、そのテレビ中継も、メディアの反応もあきれるほどのバカ騒ぎだった。救いはイチローが国民栄誉賞を辞退したことだが、なぜそうしたのかは、よくわからない。政治に利用されたくなかったのか、松井程度の選手が先にもらったことに対する反発か。あるいはパイオニアの野茂がもらっていないのに、自分がもらうわけにはいかないということなのか。

・イチローが辞めたマリナーズには菊池雄星が入った。そこそこのピッチングをしているのに、勝ち星に恵まれない試合が続いた。父親が亡くなっても帰国せずにがんばって、やっと一つ勝ったが、このこともまた、メディアは美談として大騒ぎした。今年は無理をせずに使うという球団の方針のようだ。マリナーズは主力を放出して、若返りをはかったが、出だし好調で優勝争いになればフル回転ということになるかもしれない。ムダ球が多くて中盤で100球近くなってしまうのが気になる。

・しかし、四球の多さではダルビッシュが一番だろう。スピードはあるし勢いもある。球種も豊富だから力でねじ伏せる投球ができるはずなのに、四球を連発して長打を浴びている。身体よりは精神面が問題で、投げる時にいろいろ考えすぎているのではないかと思う。力はあるのに自滅する試合を何度も見せられてきたから、彼の試合が見たくない気がしていたが、今年はNHKも見限ったのか、ほとんど中継をしていない。ピンチになっても動じないで飄々として投げる。そんな野茂のビデオでも見たらどうかと思う。

・対照的に田中将大はコントロールがいい。きわどい所にぴしゃりと投げて三振を取る。だから終盤に来ても球数が少ない。ただしヤンキースはレギュラーの多くが故障者リスト入りしていて、好投しても勝てない試合がいくつかあった。球に威力がないせいか失投してホームランを浴びることも少なくない。彼が投げる試合をもっと見たいのだが、どういうわけかデイゲームに投げて、中継が明け方なんてことが多いようだ。

・そんな中で一番好調なのが前田だろう。すでに三勝してドジャースの勝ち頭になっている。しかし、NHKは前田の試合をほとんど中継していない。それは去年も一昨年もそうだった。なぜ無視するのか。地味で話題性に乏しいから視聴率が上がらないのかもしれないが、前田が登板しているのに日本人選手の出ない試合を中継したりするから、担当者が前田嫌いではないかと勘ぐりたくなってしまう。

・日本人の誰もが待ち望んでいる大谷翔平は、まだ復帰していない。ただし復帰間近と言うことで練習風景が連日報道されている。去年の今頃は投げて打って大活躍で、メディアは大騒ぎだった。さて今年はどうか。DHで打つだけのシーズンだが、去年の成績を越えられるのだろうか。実はぼくは6月初めにアメリカに行く予定で、シアトルで見ることにしている。菊地対大谷とはいかないかもしれないが、彼が打つ姿を楽しみにしている。

・というわけで、今年もMLBを追いかけているが、シーズンオフの動向に強い疑問も感じた。ハーパーやマチャドといった選手が長期間で高額な年俸をもらう契約をした反面、何人かの選手が契約できずに浪人生活に入ってしまっているのである。それは去年もあって、年齢的にピークを過ぎた選手が敬遠される傾向がますます強くなっている。確かに、不良債権化した高額年俸の選手を抱える球団は少なくない。しかし、スター選手を引き留めたり、よそから引き抜いたりするのには、高額な年俸を払う必要がある。そんな露骨なマネーゲームを見させられると、うんざりして興ざめしてしまう。実力以上の年俸格差は、現在のアメリカ、そして日本の実社会を反映、というよりは先導するもののように見える。

・もう一つ気になるのは、故障する選手が多いことである。投手のトミー・ジョン手術は当たり前だし、野手もあちこち損傷させている。投手の球速競争やフライボールの流行で、ホームランばかり狙う傾向が怪我を増やしているのではないかと危惧している。やたら筋肉をつければいいというものではないだろう。イチローは大きな怪我をせずに選手生活を終えた。日頃の体調管理や試合前の入念なストレッチなどは他の選手が驚き、あきれるほどだったようだ。体格もほとんど変わらなかった。記録などより見習って欲しいところだと思う。

2019年4月22日月曜日

黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)

tsurumi2.jpg・鶴見俊輔は2015年に93歳で亡くなった。『鶴見俊輔伝』はその3年後に出版されている。著者の黒川創は幼い頃から鶴見俊輔と親交があって、小学生の時から時折『思想の科学』に文章を書き、大学を出るとすぐに評論活動を開始し、小説も書いたりして、多くの著作を出してきた。この本にも書かれているが、彼が初めて『思想の科学』の特集号の編集を任された時に、ぼくは彼のインタビューを受けている。彼は大学生で、特集号のタイトルも「大学生にとって大学生は何か」というものだった。ぼくを推薦したのは鶴見俊輔だったようだ。

・『鶴見俊輔伝』はその生い立ちから亡くなるまでを丹念に追った伝記である。ここに描かれた多くのことは、すでに本人によっても他者によっても書かれたことが多い。しかし、鶴見俊輔という人間の一生をこれほどまでに描写できるのは、著者の力量はもちろん、二人の関係の近さや濃さがあってこそだと思いながら読んだ。寝床で読んで、久しぶりに目がさえて眠れなくなってしまった一冊である。

・鶴見俊輔は後藤新平の孫、鶴見祐輔の長男である。そんな家系と母親の厳しい躾に逆らって不良少年になり、中学をいくつも退学になってアメリカに留学せざるをえなくなった。しかし、そのアメリカでは、わずか1年の高校生活の後ハーバード大学に16歳で入学し、二年半の在籍でまだ10代のうちに卒業を認められている。日米の開戦によって卒業論文を書いたのは留置場の中で、日米交換船でアフリカ回りで日本に帰国した。海軍軍属にドイツ語通訳として志願してジャワ島に赴任し2年務めた後、体調を崩して帰国し敗戦を迎えている。

・戦後になるとすぐに姉の鶴見和子や都留重人、武谷三男、丸山真男、渡辺慧などとともに「思想の科学研究会」を創り『思想の科学』を刊行した。この雑誌は出版元を代えて何度も休止と再会をくり返し、1996年に休刊されたが、鶴見がずっと中心にいたのは変わらなかった。鶴見はこの間、京都大学、東京工業大学、同志社大学で教職に就いたが、60年安保や70年安保の際に、国や大学に抗議して辞職をしている。

・この本にはぼくの知人が何人も登場してくる。多くは京都ベ平連に関わった人たちだ。ベ平連はアメリカ軍が北ベトナムに爆撃を始めたことをきっかけに生まれた運動である。60年安保をきっかけに生まれた「声なき声の会」が母体で、代表は小田実になったが、仕掛け人は鶴見俊輔だった。この運動体の中核は東京に置かれたが、京都にいた鶴見を中心に京都ベ平連が作られた。東京に比べれば規模も小さく地味だったが、定例デモを行い、また米軍からの脱走兵を匿い、国外へ出国させる手助けをした。あるいは岩国基地の前に反戦喫茶「ほびっと」を作り、ベトナム戦争の不当さを米兵に訴えることもした。

・ぼくが京都に住むようになったのはベトナム戦争が終結した1973年で、ベ平連もその年に解散した。だからベ平連としての活動に参加する機会はなかったが、できて間もない「ほんやら洞」などで、多くの人たちと知り合うようになった。この本には、ベ平連などに多くの若者を巻き込んで、その人生を変えてしまったことに対して、ずっと責任を感じつづけてきたという鶴見のことばがくり返し出てくる。しかし、運動に参加することでできた人間関係は、その後もずっと持続しているし、それぞれに納得のいく人生を歩んできている人がほとんどではないかと思う。

・鶴見俊輔の晩年は病気との格闘だったようだ。しかし、それでも、彼の創作意欲は盛んで、いくつもの著作を残している。そしてそれを支えてきたのが、本書の著者である黒川創や、京都ベ平連からのつきあいであった人たちだったことを改めて知った。ぼくは部外者だが、この本から一番感じ取ったのは、鶴見俊輔という一人の巨人の回りに集まった人たちの人生模様だった。


鶴見俊輔関連ページ
「『鶴見俊輔座談全10巻』(晶文社)」1996年12月

「鶴見俊輔『期待と回想』(晶文社)」1998年1月

「僕らの時代の青春の記録」1998年6月

「鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)」2010年7月

「京都「ほんやら洞」が燃えてしまった!」2015年1月

「樽の中に閉じこもる!」2019年4月

2019年4月15日月曜日

樽の中に閉じこもる

 

・新元号でメディアが大騒ぎをしているようだ。ようだというのは、そういう番組は、まったく見ていないからだ。「令和」については評判がいい。サウンドから来るのかもしれないが、安倍首相がその意味や由来を、まるで自分が決めたかのようにテレビで吹聴して廻ったらしい。おかげで支持率が8%も上がったという。ネットではさっそく、万葉集(国書)ではなく、その元は中国の張衡の歌『帰田賦(きでんのふ)』だとして、その意味が、首相の説明とはかなり違ったものだといった指摘もあった。

・元号を政権支持率の浮揚に使うというのは不謹慎だが、これであたかも時代が変わっていい方向に進むといったイメージ操作をするメディアの行いは犯罪的ですらあると思う。何しろ最近のメディアはイチローの引退でもお祭り騒ぎをしたし、ピエール瀧のコカイン使用でも大騒ぎをした。皆が同じものに興味を示し、賛美をしたり非難したりと同じ方向を向く。そんな傾向がますます強くなっている。国際的な教育を柱にする大学の入学式で、新入生の服装がまるで制服のように統一されていることに、学生部長の先生が驚いたというニュースがあった。空気を読む、忖度する。何より大事なのは回りに同調することであって、個をもち我をはることではない。そんな態度が社会にくまなく蔓延してしまっている。

tsurumi1.jpg ・鶴見俊輔と関川夏央の対談集『日本人は何を捨ててきたのか』(ちくま学芸文庫)には「樽」というキーワードがあって、今の日本人の大半がその中に住んでいて、それが明治以降、とりわけ日露戦争以降に創られたものだという指摘がある。明治政府は近代化を急速に進めたが、その政策の根本にあったのは、近代化には不可欠のはずの「個人主義」を軽視したことだったというのである。個人ではない何者かにとって重要なのは所属であったり役職であったりする。人が会えば先ず名刺交換をするし、手書きのサインよりはハンコが大事にされる。それは第二次大戦で負けても変わらなかった。個よりは集団、世界よりは日本というわけだ。この特徴は進駐軍も見抜いていて、壊すよりは残した方が、日本人をコントロールしやすいと考えたという。

・このような指摘はもちろん、土居健郎の「甘えの構造」、神島二郎の「擬制村」、そして井上忠司の「世間体の構造」などたくさんある。しかし、明治以降にこのような傾向が強化されたし、戦後も意図的に維持されたという見方には、なるほどと納得した。何しろこのような特徴は誰より若い世代に強くて、彼や彼女たちは就職のために大学に行き、その大学は偏差値によって選ぶのである。「樽」の中では何より同調性が大事にされるが、そこにはまた、自分の個性とは違う偏差値やブランドにもとづく序列づけがある。

・グローバル化の時代なのに、いや、グローバル化の時代だからこその内向き思考だと思う。そこで日本の、日本人の、ここがすごいといったナルシシズムに浸っている。それがガラパゴスだなどと言われても、ガラパゴスの島民である限りは、そのおかしさに気づかない。少なくても、知らないふりをすることができる。何しろ周囲のみんながそうしているのだし、政治や経済をリードする人たちが、そう言っていて、メディアがそれを増幅してるのだから。

・日本はすでに先進的でも豊かでもない社会に落ち込んでいる。収入は格差が広がって、多くの人は労働時間は減らないのに給料は減るばかりだ。軍事費が突出して社会福祉は削られている。国の借金は増えるばかりなのに、国の予算は100兆円を超えた。いつ破綻してもおかしくないのは、「樽」の外に出ればすぐにわかる。出なくたって「樽」の外に目を向けることもできる。しかしそうはしないし、させないようにしている。新元号騒ぎは、その端的な例だと言えるだろう。