1997年11月3日月曜日

B.バーグマン、R.ホーン『実験的ポップミュージックの軌跡』勁草書房

 

・たとえば、音楽のジャンルを「芸術」「ポピュラー」「民俗」といった枠で分類する考え方がある。「芸術」とはいわゆるクラシック音楽と呼ばれる分野だが、ここにはもちろん、比較的新しい前衛音楽もふくまれる。一方「ポピュラー」は主にマス・メディアの発達の中で生まれた音楽をさし、典型的にはジャズやロックなどがある。この二つの音楽のちがいは、もちろん聞けばすぐわかるものとして考えられている。けれども、最近の音楽の傾向としては実際には、二つのジャンルの境目はますます曖昧になってきているようである。

・ B.バーグマン、R.ホーンの『実験的ポップミュージックの軌跡』には、さまざまなミュージシャンが紹介されている。あまりに数が多すぎて、その分、個々にはカタログ的な簡単な記述しかないという不満が残らないわけではない。けれども、この本を読むと、60年代のロック登場以降の音楽、とりわけ「芸術」と「ポピュラー」の前衛的な流れがよくわかる。

・ 一方に、シュトックハウゼンやジョン・ケージといった人に代表される現代音楽の流れ、そしてもう一方にプログレッシブ・ロックやパンクからの流れがある。この二つを最初から、そして現代においても峻別しているのは、学校で学んだ音楽かそうでないかのちがいだけだろう。だから、サウンドではうまく区別がつけられない音楽も、それを作り演奏している人に採譜の能力があるかないかを確かめれば、一目瞭然になってしまう。逆に言えば、楽譜が書けるとか読めるといった能力(技術)は、音楽作りや理解にとって必要不可欠なものではないということになる。

・「芸術」は何らかの予備知識なしにはわからないものとして考えられてきた。一定の評価を与えられた作品には、またそれなりの聴き方、解釈の仕方があって、それにしたがうことではじめて、その作品を理解できるのだという前提があった。他方で、「ポピュラー」は何より大勢の人に楽しまれることを第一の目的として作られてきた。独創的で難解な音楽と、画一的でわかりやすい音楽。そのちがいがまるでベルリンの壁のように崩壊してしまっている。この本は80年代以降の音楽の特徴を、何よりそこに見ているのである。

・けれども、この本の作者は、一見融合してしまったかのように聴こえる音楽の中に、楽譜の読み書き以外のちがいも見つけだしている。たとえば、「コマーシャリズム」に対する姿勢のちがいである。ロックはビートルズやローリング・ストーンズ以来、自分の音楽が商品として売られ、巨額のお金をもたらすことにさほどの抵抗感を持ってこなかった。だから「ポップ」には、何より、たくさん売れて、大勢の人に好まれて、なおかつ新しさやユニークさを持った音楽というニュアンスがずっとふくまれてきた。前衛的な実験音楽を志向する人たちには、この点について二律背反的なジレンマがあるという。「ポップ」は好きだが「ポップ」にはなりたくないというわけだ。

・こんな話を読んでいると、僕はついついスポーツにおけるプロ化の波とアマチュアリズムの問題にダブらせて考えたくなってしまう。プロを目指す人は何より名声とお金を重視する。サッカーにしてもバスケットにしても、プロ選手になることはどん底の世界から身を立てる数少ない可能性の一つになっている。それはたぶん音楽でも同じだろう。レゲエ、パンク、ラップとそのことを裏付ける音楽の流れを指摘するのはむずかしくない。だから、一流の才能を持ちながら、アマチュアリズムにこだわる姿勢には、ある種の貴族主義的なニュアンスを感じてしまう。そう考えると、同じようなサウンドを志向しながらも、個々にはやっぱりまだまだ大きな壁が残されていると感じざるを得ない気になってくる。

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