2000年3月15日水曜日
第3ステージのスタート
引っ越しをして1週間がすぎた。やっと段ボール状態を抜けだして、座って落ち着ける時間と空間がもてるようになった。それにしても腰痛が治らないままの引っ越しはしんどかった。で、いまだに腰は治っていない。それでも、薪割りはやりたいし、倒木を見つければ、多少無理しても木を担いだり引っ張ったりしてしまう。腰痛の原因は運動不足と年齢からくる腹筋や背筋の衰えだから、それは鍛錬にはなる。しかし、気をつけているつもりでも、ついつい無理をしてしまう。昔のようには意のままにならない体にじれったさを感じるが、やっぱり、歳相応の行動の仕方を見つけなければならない。
僕にとって今回の引っ越しは、大きな方向転換になるものだ。まず、これは1年前からだが職場が変わった。大阪から東京。気の合う同僚と別れて新しい人たちとのつきあいをはじめた。教職員とも学生とも、つきあいの仕方で違うところがあったが、それにも慣れてきた。それほど違和感なく受け入れることができたのは、僕がもともと関東の出身だったからだと思う。しかし、関西を離れて思うのは、日常の関係の中にボケ役がいないこと、あるいはボケの演技をする人が少ないことだ。だからどうしてもやりとりがシリアスなものになってしまう。僕ももともと冗談を言ったりするタイプではないから、ボケのありがたみをしみじみ感じてしまう。日本人は一面で極めて同質的だが、地域、つまり関東と関西の違いも大きなものだと思った。
転機の2つめは子ども達と離れて夫婦2人の生活に戻ったことである。生まれてから親と一緒に生活していた期間を第1ステージだとすると、結婚して子供が産まれ、その子ども達が巣立っていくまでは第2ステージ。別れてみると、その20数年があっという間だった気がするし、実際、人生の中のほんの一時期なんだということをあらためて思ってしまう。
僕の家では子ども達を甘やかさないようにしてきた。かなり小さい頃から食後の片づけをさしてきたし、時には食事の支度もしてもらった。「よその家では〜}「誰々君のお母さんは〜」と言って、子ども達は何かと不平を漏らしたが、いずれは何でも自分でできるようにならなければと、方針を貫いてきた。もちろんその分、やりたいことがあれば、何でも自由にやったらよろしいし、家を出ていってもかまわない、といったことも小さい頃から話してきた。そのせいか、アパートを借りると、子ども達は、まるで新しい自分たちの部屋に移るような様子で、親よりも一歩早く引っ越しを済ませてしまった。
なかなかいい、と思った反面、親父としてはもの足りない気持ちも残った。親子の別れなんだから、もうちょっと「じ〜ん」とくる場面があってもいいのに、と。子どもにとっての親離れと、親にとっての子離れ。難しいのはやっぱり後者の方なんだなとつくづく感じた。とは言え、経済的な援助はまだまだ続いている。だから、親離れして好き勝手にやろうなんて思ったってそうはいかない。金を出せば口も出る。これは当たり前の話なのである。 子どもが巣立った家(ホーム)には父親と母親という役割を終えた2人が残って、2人だけの生活が新しく始まる。僕らはその思い出の家を後にして新しい家(ハウス)に住み始めた。「まあ、ラブラブの新婚ね!」などと冷やかす人もいるが、それほど、いいことばかりではない。これをきっかけに離婚などという話をよく耳にするし、生き甲斐の喪失に悩む人も多いようだ。寿命が延びて、人生はまだまだ3分の1以上も残っている。これから先をどう生きるか。それは、はっきりしたものがまだ示されていない状況で、一人一人が模索しなければならないのが現実なのである。
僕らは、その模索を楽しもうと思っている。そのための職場変更であり、田舎暮らしの選択なのだ。一からはじめたばかりで、わからないことばかりだが、この気分がまたなかなか新鮮で楽しい。『ライフスタイルの社会学』(世界思想社)を出したのはもう20年近く前だが、そのうちに続編でも書ければ、と思っている。もちろんそれは若者論ではなく、中高年の文化論や生活論になる。老人学はちょっと前から話題になってきているが、中年学はまだほとんど手がつけられていない分野である。ぼくはこのことに、ごく最近気がついた。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。