2000年11月13日月曜日

村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』( 文春新書 )


・ぼくはこれまで5冊の翻訳をした。こつこつと根気のいる作業だが、けっして嫌いではない。何より、自分で書く文章と違って、時間を見つけて少しずつやれるのがいい。翻訳はいってみれば夜なべ仕事である。とは言え、その報酬は内職仕事ほどにもならないから、収入のことを考えたらやってられない仕事であることもまちがいない。

・それではなぜ、そんな面倒な上に儲からない仕事をやるのか。ことばによって作り上げられた一つの世界を、別のことばで作り直すおもしろさといったらいいだろうか。そこには、推理もあれば、賭もある。創作はできないが、想像力を働かせる場面にも事欠かない。ただ読むよりは数段楽しめる気がする。もっともそう思えるのは、ぼくが翻訳家ではなく、余技としてやっているからなのかもしれない

・村上春樹と柴田元幸が出した『翻訳夜話』には、そんな翻訳に対する姿勢や意識に共感できる部分があっておもしろかった。


・小説を書くのはもちろん本職であるわけで、これがぼくにとっては生命線なわけです。それだけに「好き」とかそういう言葉では簡単に表現できない部分があるし、またいつでもどこでもすらすら書けるというものでもない。それなりの覚悟を決めて、正しいときを選んで、「さあやらねば」という勢いと集中がないとできません。でも翻訳というのは、違うんです。放っておいても、ちょっとでも暇があったら机に向かって、好きですらすらやっちゃうようなところがあるんです。(村上、p.30)


・翻訳はことばを置き換える作業だから、当然、原文に忠実であることが大事だ。けれども、一字一句正直に置き換えていったのでは、日本語にならないし、なっても、とても読みにくいものになってしまう。「忠実に、しかし、スムーズな日本語に」。翻訳の極意は簡単にいえばここにある。しかしまた、それが難しい。難しいからやってみたくなる。

・『翻訳夜話』を読んでいて、うらやましいな、と思ったところが一つある。それはふたりが訳しているのが小説だというところだ。ぼくが訳すのはいつも学術書だから、作品の奥にある作家のイメージとか文体の特徴とかを意識することは少ない。注意するのはただ一点、論理的な正しさの追求である。それはそれでおもしろいが、学者ももっと文体に工夫してくれたら、訳しがいがあるのにと文句を言いたくなることが少なくない。

・ふたりが披露する翻訳の極意でおもしろいのは「リズム」である。つまり「リズム」のある文章で訳す工夫ということだ。これにもぼくは共感するが、翻訳をしていていつも迷ってしまう点でもある。学術書は正確さを大事にするから、どうしても文章が長くなったり、くりかえしが多くなったりする。だからリズム良く訳そうと思ったら、長い文章はいくつかに分け、くりかえしは省略したり、回りくどい表現は率直に言い換えたりしたくなる。けれども、学術書は読みやすさとか訳者のセンスを発揮させるよりは、正確に訳すことが大事だと言われたりしかねないから、ついつい、リズムに合わせて踊り始めた頭や指先にブレーキをかけることになる。翻訳者のジレンマである。

・「正確」であることと「リズム」のある文章であること。翻訳は両方の使命の達成を理想とすべきだが、これははっきり言って不可能である。学術書の翻訳は引用されて、あたかも原文そのままであるかのように扱われる。だから正確にという意見を良く耳にする。もっともらしいが、ぼくは引用するなら原文にあたれと言いたくなってしまう。研究者なら、翻訳をあてにしたり鵜呑みにするような姿勢をもつべきではない。

・ぼくは今、6冊目の翻訳を始めている。ポピュラー文化論の入門書で、諸理論の解説が内容だから、当然正確さを期さねばならないが、入門書だから、わかりやすく、読みやすいものにしなければならない。しばらくはまた翻訳者のジレンマに悩まされそうだが、そこがまた、おもしろがれるところでもある。


2000年11月6日月曜日

M.Knopfler, The Wall Flowers

 

・マーク・ノップラーの新しいアルバムがでた。ぼくは最近、彼の前作やそれ以前の映画のサウンドトラックをしょっちゅう聴いているから、 amazon.comで見つけてすぐに注文した。一緒に購入したのはウォールフラワーズ、ラジオヘッド、トレーシー・チャップマン、それにU2のニュー・アルバム。U2はまだ届いていないが、聴いた中ではノップラーが断然いい。中でもジェームズ・テーラーと一緒に歌っていて、アルバム・タイトルになっている"sailing to philadelphia"、それにヴァン・モリソンとのデュエット"the last laugh"。写真で見るノップラーは太って、しっかり、おじさんしているが、歌やギターは相変わらずのノップラー節だ。ヴァン・モリソンとのデュエットは本当に渋くて、聴くたびにしんみりしてしまう。

最後の笑い声の音は好きじゃないのか、友人
泥だらけの老兵と溝に倒れ
酔っぱらった船乗りとは甲板の排水溝にはまった
だが、最後の笑いは君のだ。その音が好きじゃないのか?

奴らが泣かそうとしても、君は笑っていたし、
這いつくばらせようとしても、飛ぼうとしていた
だから、最後の笑いは君のなのに、その音が好きじゃないのか?
"the last laugh" with Van Morrison

・ノップラーはダイアーストレイツのリーダーだ。ぼくは彼らのデビュー以来のファンだが、最初に惹きつけられたのは、ノップラーの声がボブ・ディランにそっくりということだった。歌い方も明らかに意識していたから、一歩間違えば、そっくりさんで終わっていたところかもしれないが、ノップラーにはもう一つ、独特の音色のギターがあった。その透明で糸を引くようなサウンドはアイルランドを連想させたが、彼の作るサウンドには、次第にアイリッシュが色濃くでるようになった。聴き始めるとアルバムを次々かけたくなる。で、一日中ノップラー、なんてことが良くある。乾いたしっとり感、あるいは冷たい優しさ。彼のつくる歌にはルー・リードのような都市の風景ではなく、田舎の情景を感じる。


・ディランにそっくりといえばもう一つ。ザ・ウォールフラワーズのボーカルはジェイコブ・ディラン。3枚目のアルバムだが、こちらもなかなかいい。もう親の七光りなどと陰口をいわれないだけの力をつけたと思う。ぼくは聴きながら、どうしても若い頃の父親を連想してしまうが、ジェイコブのほうが良くも悪くも屈託がない。

 

ママ、今月は愛を送ってこないで、心が疲れ果ててるから
ママ、家に帰りたい、戻りたい
だから朝の雨に飛び出した、で、悲しみの列車に乗っている
スーツケースをおろして、靴を茶色に磨いている
誰もぼくの名前を知らない、今はもう、誰もぼくの名前を知らない
"Mourning Train"


・ママなどということばを聞くと、今度はサラを思い浮かべてしまう。サラは離婚した後ジェイコブと暮らしていたんだ、などと想像力は勝手に歩き始める。そういえば、ぼくの息子は「米、送ってくれ」なんていうメールをよこしていた。「中古の250ccのバイクを20万円で買うからよろしくだって」。それがどうした。そうそう甘い顔ができるものか。などと、連想ゲームは公私混同もはなはだしくなってくる。ジェイコブの詩は"morning rain"と"mourning train"で韻を踏んでいたりして親父の影響が感じられるが、内容はまだまだだ。とは言えぼくの息子よりはずっとましかな………。
・ウォールフラワーズを聴いていると、どうしても自分のことに気持ちが移ってしまう。

2000年10月30日月曜日

H.D.ソロー『ウォルデン』その2;「生きること」について

 

 


・栗の実がなってちょっと楽しい思いをしたら、今度はキノコ。ぼくはキノコに詳しくないから近づかないようにしていたのだが、同居人が隣人に教えてもらったといって数種類を摘んできた。それを野菜炒めやみそ汁の具にしてこわごわ食すと、まあまあいける。何より腹が痛くならなかったのがいい。で、今度はキノコ図鑑での学習。春先の野草やバード・ウォッチングから始まって、森の生活は本当に変化に富んでいる。秋になって、周囲にやってくる人びとの数はめっきり減ったが、寂しい思いをすることがない。

・学会の準備でそんな森の生活も上の空だったが、無事に終わって数日間、久しぶりにのんびりする時間をもてた。工房の建築を依頼したログ・ビルダー「Be-Born」の宮下さん宅におじゃましたときに玄関先で見つけた手作りの表札が気に入って、自分でも作ってみたいと思っていたが、ストーブにあたりながら1日半、ナイフと糸鋸と錐を使って作り上げた。材料は白樺で幅は8cm長さは40cmほどある。字と字をどこでどうつなげるか、中はどんなふうにくりぬくか、削っては考えの危なっかしい作業だったが、思った以上のできで、至極満悦!! 充実感いっぱいの一日!!!


・ぼくが森に行ったのは、慎重に生きたかったからだ。生活の本質的な事実だけに向きあって、生活が教えてくれることを学びとれないかどうかを突きとめたかったからだ。それにいよいよ死ぬときになって、自分が結局生きてはいなかったなどと思い知らされるのもご免だ。ぼくは生活でないものは生きたくなかった。生きるとはそれほどに貴いことだ。(137ページ)


・『ウォルデン』を読みながら毎日の生活を見回すと、現代人の生活の危うさを思い知らされてしまう。生きていることの実感がますます見つけにくい反面で、今ほど自分の存在証明をほしがる時代はない。家の周りの動物や植物は刻一刻と表情を変え、雨粒の感触も風の音も変わっていく。すべてが生きていることを精一杯表現していて、それに反応するだけで、自分も生きていることを確認できる気がする。

・どうして僕らはこんなに慌ただしく、こんなにいのちをむだ使いしていきねばならないのか。飢えもせぬうちから餓死すると決めこんでいる。今日の一針は明日の十針などと世間では言うが、その流儀で明日の十針を節約するために今日は千針も縫ってしまう。仕事はと言うと、これと言うものは一つもない。(140ページ)


・もちろんぼくは、ソローが体験したような自給自足の暮らしを始めたわけではない。収入を得る場と生活の場を分けただけの話で、ずるいと言われればその通りと答えるしかない。けれども問題は経済的・社会的な立場と言ったものよりは発想の転換なのだとも思う。自分にとって居心地のいい空間と時間を確保することを第一の価値にする。それがはっきりすれば、そのための方策は後から見えてくるはずだ。「静かなところでいい仕事ができますね。」と言われることが多い。そうありたいという気持ちは確かにある。しかし、森の生活で味わう充実感はそれとは違う形でやってくる。


・一日はぼくの何かの仕事を先導する明かりのように進んでいった。朝だとばかり思っていたのに、それがもうあっというまに夕暮れだ。しかも記憶に価することは何一つ成し遂げていない。鳥のように囀る代わりに、ぼくは途切れることのないぼくの幸運が嬉しくて、黙ったままで微笑していた。(171ページ)

・楽しみを外に求め、社交や芝居見物に余念のない人びとに対して、ぼくの生き方には少なくとも一つ長所があった。ぼくには生きること自体が楽しみとなっていて、ついぞ鮮度の落ちたことがない。ぼくの生活は見せ場がいくつもある終わりのないドラマだった。(172ページ)


・薪を割って乾かす。それをストーブで燃やして夜の暖をとる。木のとげは刺さるし、やけどもする。朝にはたまった灰や煤の掃除。ついでに、庭の落ち葉を掃いて、たまにはベッドを日に干したり、部屋の片づけをしたり。そうするうちにまた、薪割り。こんなふうにして過ごす一日は、けっして単調ではないから、飽きてしまうこともない。何も生み出さないのに無意味な感じもしない。そんな感覚を新鮮に思う自分を再発見。

2000年10月23日月曜日

釣りとコスモス


  • 秋になると河口湖に来る人の大半は釣り人になる。週末には湖にボートがいくつも浮かんでいる。岸辺も人でいっぱいだが、つり上げたところをあまり見かけない。

  • 河口湖のコスモスは夏前から咲いている。それが夏の間から秋まで咲き続ける。夏になっても咲いている紫陽花など、高原の季節は都会とは違うが、その分、この時期の花の種類は豊富だ。7月のラベンダーが特に有名で町も力を入れているが、ぼくは今の季節のコスモスが一番見事だと思う。湖畔に咲き乱れて壮観だ。ここではコスモス越しに富士を撮ろうとするカメラマンが鈴なりになっている。極めて月並みな絵に描いたような構図だが、ぼくも試しに撮ってみた。






  • 我が家の栗の木に実がなった。イガが8つほどで栗の実は20個足らず。栗ご飯にしたらわずか一回分だったが、おいしかった。摘みたての栗は水分が多くて甘みは今ひとつ。しかし香りは何とも言えずいいものだった。これで付近の赤松林で松茸でも見つかったら言うことはないのだが、なかなかそううまくはいかない。



  • p.s.久しぶりに付近を散策したら、見慣れぬキノコがいっぱい。お隣の人が詳しくて、シメジやなめたけの種類、あるいはその他、食べられるものを教えてもらった。腹痛や笑い出したりしないか心配だったが、大丈夫。あたりまえだがこんな新鮮なキノコは生まれて初めて食べた。


  • 2000年10月16日月曜日

    オリンピック・野球・サッカー


  • もうくりかえしになるから、やめようと思ったが、どうしようもなく腹が立つから書くことにした。スポーツ・メディアのことである。日本はシドニーで金メダルを5個取ったが、その内の4つは柔道で、今更ながらに力のなさを印象づけたオリンピックだった。世界に出れば、否応なしに、その実力がはっきり示される。塚原の失敗や室伏の緊張、サッカー・チームの体力的な弱さ、中途半端なプロ・アマ混成の即席チームだった野球などなど、その自覚や反省が、その後の対応を決めるのだが、日本のメディアはオリンピック期間中は日本選手の数少ない活躍場面ばかりを取り上げ、終わった後も女子マラソンと柔道ばかりを反復させている。これは、現実から目を背けて、いいところばかりを記憶に焼きつけようとする、一種の神経症的な兆候のように思える。10月の番組改編期と相まって、テレビには、しょうもないお座敷芸やのぞき趣味的な番組ばかりが並んでいる。この中から、おもしろいものをいかに探すか、あれこれザッピングしながら、つくづく日本人とは悲しいほどに内向きで現実逃避的で同調的な性格の国民なのだと痛感した。はっきり言うが、ぼくはこのような傾向は大嫌いだ。
  • ダイエーがパ・リーグで二連覇したら、もうメディアはONシリーズと浮かれだす。「20世紀を締めくくる最高の日本シリーズ」。だからいつまでたってもだめなんだと思う。なぜ、いつまでも王と長嶋にしか頼れない状況を危惧しないのだろうか。とにかくややこしい話は抜きにして、盛り上がれる材料を探して陽気にやろう。そのような態度は日本のメディアにおきまりのものだが、日本人なら誰もがそう感じるはずだと信じて疑っていないのだから救いがない。メジャーというもっと強い野球の存在がはっきりしたかぎりは、日本シリーズはしょせん、ローカルなマイナーの選手権試合にすぎない。なぜそう、はっきり言えないのだろうか。
  • そのメジャーでは、1年目の佐々木ががんばった。野茂のケースといい、日本で超一流の選手はメジャーでも一流になれる。そのことがはっきり証明された。フリー・エージェントをこれから取る選手は、巨人になど行かずにアメリカへ行くべきだ。マック鈴木も大家もローテンション・ピッチャーとして定着した。高校生も大学生も、日本のドラフトなどは蹴飛ばしてマイナー・リーグからはい上がることを目指した方がいい。何しろオリンピックで金メダルを取ったアメリカはマイナーの選手で構成されたチームだったのだ。頭のうえにいくつも別の世界が見えているのに、きょろきょろヨコばかり見回している時代ではないだろう。
  • と、書いていたらイチローのメジャー行きが大きなニュースになった。で、やっぱり気になったのは「日本のプロ野球が寂しくなる」とか「マイナー化してしまう」といった心配だった。そんなこと今更言うことではないだろう。マイナーでしかないことは野茂の活躍時にはっきりしたはずだし、策を施すなら、その時点から始める必要があったからである。しかし、この心配は長続きはしないだろう。寂しくなっても何とか話題を探して盛り上げて、といった発想で不安はどこかにしまい込まれるはずだからである。
  • たまたま見かけて読んだ村上龍の『フィジカル・インテンシティ』はおもしろかった。一昨年のワールド・カップ前後にサッカーの話題を中心に書いた週刊誌への連載をまとめたものだが、ぼくが思っていることとあまりによく似ていて、読みながら笑ってしまった。
     仲良しモードというのは危険だ。甘えというのは「ある集団における一体感を楽しむ」ということだ。簡単には勝てない戦いが続く現場では、集団における一体感を楽しむのは罪悪となる。それは客観的な批評を排除し、敵との距離や戦略を曖昧にする。(32p.)

     日本人初の快挙という言い方に代表される閉鎖性を嫌う若いスポーツ選手は増えていくだろうと思う。それは実によいことだ。実はスポーツに限らず、そういう、閉鎖性を実感として嫌う意識を持てなければ、この国に第二の復興の可能性はない。(79p.)

     中田と現地ペルージャの日本マスコミとの対立は象徴的だ。中田は日本の文脈から個人として飛び出してしまった人間であり、現地マスコミは(メディアという言い方よりマスコミのほうが彼らをより表していると思う)日本的な集団の価値観の中にとどまっている。だから必ず衝突する。(218p.)
  • 中田に限ったことではない。野茂も伊良部も伊達もそうだったし、たとえばスキーのオリンピック代表選手もそうだった。日本の閉鎖性はスポーツから崩れるかもしれない。そんな期待を抱かせるヒーローが出始めている。そんな人たちにとって日本の閉鎖性を一番感じさせるのがマスコミの対応であることは、この国のジャーナリズムのしょうもなさを証明する。
  • もうすぐぼくの勤める大学で「日本マス・コミュニケーション学会」が開かれる。開催校の準備で、ぼくは発言どころではないが、メディア批判を本気になってやる人が出ることを願う。
  • 2000年10月9日月曜日

    AOL、NTT、Amazon、そしてMS

     

  • 僕は、家ではAOLをプロバイダーにしている。電話回線ということもあるが、とにかく遅くて、イライラすることが多い。ほかに代えようと何度も思ったが、メール・アドレスの変更をしたくないことが主な理由で、京都に住んでいる頃から、AOL一筋である。すっきりしたアドレスはなかなか捨てがたいのだ。
  • AOLは世界でもっとも巨大なプロバイダーである。しかし、僕が使いはじめた頃は日本に進出したばかりで、アメリカで一番といった程度の認識しかなかった。山梨県に引っ越したときに近くにアクセス・ポイントがなかったから、やめようと思ったが、TCP/IP接続でメールはつづけてきた。僕が公にしているメール・アドレスは大学のものだから、AOLは完全にプライベートなもので、やりとりするメールは少なかったのだが。最近アメリカからジャンク・メールが無数に舞いこんでくるようになった。アダルト・サイト、金儲け、ショッピングなどで、毎回接続するたびに気分が悪い。最近は開けもしないで即、削除。原因は確かめていないが、NTTとの提携以後だから、やっぱりそのせいか、と勝手に決めつけている。前回も書いたが、NTTには本当に腹が立っているのだ。
  • 僕の家の電話は以前から、0088とマイ・ラインの契約をしている。その前は0077だったのだが、電話を買いかえたときに、いちいち押さなくても自動的に安い回線を使う機能が付いていたから0088にした。だからこのサービスは、0077からだともうずいぶん長い期間利用していたことになる。ところが、NTTから先日マイライン契約の確認書類が届けられてきた。こちらでは契約したつもりはないから抗議をしたら、書類上は契約したことになっているという。そんなはずはないと見直したら、非常に紛らわしい、というよりは、NTTに否応なしに契約してしまうような書式になっていることに改めて気がついた。市内通話だけNTTにしたつもりだが、書類は、すべてがNTTになるように巧妙につくられていた。
  • こういった手続きはわが家ではパートナーの役割になっていて、電話でさんざやりとりをして解約をした。そうしたらすぐに新聞に、NTTのマイ・ライン契約の問題が記事になった。そのつもりがないのに契約したことになってしまった人からの苦情が殺到しているという内容だった。サービスが悪いくせに、横柄なやり方を、一方的に押しつけてくる。NTTのお役所体質には、本当に腹が立つ。NTTなんてなくなってしまえ!と声を大にして言いたい。
  • そんなNTTがAOLと提携したから、僕はいやな気がしていた。で、ジャンク・メールの増加である。いったい何が原因なのかわからないが、ぼくはどうしてもNTTのせいにしたい気分である。
  • そうしたら、今度はAOLがAmazon.comと提携というニュースが飛び込んできた。Amazonは最近日本で開店したこともあって、僕はよく本やCDを注文しているのだが、NTTとつながりを持ったと思うと、これもやめたくなってしまった。
  • オンライン・ショッピングの覇権争いは、アメリカではAOLとマイクロソフトの一騎打ちになっているらしい。有力だが経営状態がよくないオンライン・ショップを傘下に入れるための奪い合いが熾烈なのだ。AOLはAmazon.comに1億ドルを出資して、強者連合で業界トップの地位をさらに固める計画なのだという。朝日新聞の記事によれば、AOLの接続会員は全世界で3千万人、アマゾンの昨年の買い物客が2100万人。総計で5千万人を固定客として囲いこもうという狙いなのだそうだ。
    ネットショッピングはAOLとマイクロソフト陣営の主戦場になっており、本人確認の利便性などで客や業者の囲い込みが激化。将来的に利用者の多い方が業者などから有利な条件で手数料を取れると期待されているため、マ社陣営がパソコン基本ソフト「ウィンドウズ」で新規客を獲得し、AOL時婦負はアマゾンのような有力企業と関係を強めて対抗している。(朝日新聞、2001年7月25日)
  • コンピュータやインターネットはベンチャー企業の可能性のある世界だったはずだが、巨大企業が合併してますます強大化する傾向にあるようだ。それによって、簡単に利用できる状況が生まれるのかもしれないが、利用者個々の選択の余地は少なくなってしまう。たとえば、マイクロソフトの「オフィース」は、世界中の誰もがそれを持っていて、使っていることを露骨に前提にしている。ぼくのところにやってくるメールに添付された文書もワードのファイルであることが多いが、そのことを指摘しても、テキスト・ファイルという書式を認識していない人が少なくない。それが必ずしも初心者ではないから、ソフトは「オフィース」しか使わない人が増えたということなのだろう。これでは、日本独特の製品だったワープロ専用機と変わらない。
  • 多様性の衰退はまちがいなく、コンピュータの世界を硬直させる。日本で一人勝ちしているのが、国営企業の体質がぬけないNTTであることを考えると、このような状況はいっそう薄暗く見えてしまう。僕はDSLが使えるようになったら、AOLともNTTともおさらばしようと思っている。もちろん、マイクロソフトとはこれからもできるだけ無縁にと思っている。ついでに、アマゾンもやめようかと考えているのだが、洋書の求めやすさはまだまだ、ほかのネット書店を圧倒しているから、悩んでしまう。
  • 2000年10月2日月曜日

    井上摩耶子『ともにつくる物語』 (ユック舎)

  • 井上摩耶子さんから新しい本を贈られた。『フェミニスト・カウンセリングへの招待』につづく2冊目。なかなか快調のようでうらやましい。今回はフェミニスト・カウンセラーとしてつきあったアルコール依存から回復した人との対話が中心で、やっぱり話し上手、というよりは聞き上手な彼女に感心してしまった。
  • ぼくは胃腸が弱いから、深酒はしたことがない。ある程度のところまで飲んだら身体が受けつけなくなる。無理をしたらすぐに胃がチクチク痛くなって、ひどいときには潰瘍ができてしまう。そのしんどさを何度も経験しているから、どんな精神状態になってもアルコールに依存することはないと思う。とにかく潰瘍は痛いのである。実は後期が始まったとたんの忙しさで、久しぶりに十二指腸にできてしまっているのだが、この忙しさは当分おさまりそうもない。やれやれ………。
  • それはともかく、本題に入ろう。『ともにつくる物語』は題名の通りアルコール依存を克服した松下美江子さんと摩耶子さんの対話が中心だが、話しているのはもっぱら松下さんで、語られる物語は松下さんの半生記である。
  • 松下さんがアルコール依存症になった原因は、専業主婦であること、しかも、結婚前の妊娠で何度も堕胎手術をして子どもができなかったこと、夫の転勤で各地を転々として、友人関係ができにくかったことなどである。銀行に勤めるエリートサラリーマンの妻がアルコール依存症、となれば、周囲の目は当然冷たいし厳しい。「何とだらしがない」「甘ったれな」といったセリフをはきたくなるのは、たぶんぼくも同じだろう。
  • けれども、二人の対話を聞いていると、なぜアルコールに頼るようになったのか、どうしてそこからぬけ出せなかったのかが理解できるようになる。たとえば、すぐに結婚するとはいっても結婚前に妊娠してしまったら、そのことに罪悪感をもつ。だから堕胎手術ということになるが、今度はそれが新たな不安や罪悪感になって妊娠恐怖症になる。で、妊娠をよく確かめずにまた手術。時代は戦後の混乱がまだおさまらない昭和20年代の末。結婚や性に対する考え方は今とはまるで違っていて、医療や身体に対する知識はお粗末なものだった。
  • 結婚するが子どもはできない。高度成長期の銀行マンだった夫は家にはあまりいない。自分の時間をどう使うか。あれこれやってみても、夫の転勤とともに中断。昼間から酒を飲む生活が始まる。そうして30代から40代にかけてアルコールに依存した毎日が続くことになる。だらしがないからではなく、潔癖であるから、怠け者だからでなく、いろいろやりたい、やらねばという気があるからこそ陥る泥沼。この本を読んでいくと、そのあたりのプロセスがよくわかる。
  • 摩耶子さんは前作で「物語を聴くことは、今もうっとりする体験である。子どもの頃は、もっとうっとりする体験だった。私の想像力は、人が話す物語を聴くときに一番遠くまで広がっていく気がする。」と書いていた。今回の話はとてもうっとりするようなものではないが、摩耶子さんの想像力はぴったり松下さんに重なっている。
    テープを聞いてみると、私はただ「ワッハハ」「ガッハハ」と笑ってばかりいる。しかし松下さんには『これは井上さんへの遺言状です』という決意があり、それは私も十分にわかって聴いたつもりである。
  • 大丈夫。摩耶子さんの「ガッハハ」は話を誘発する。おしゃべりや世間話が苦手なぼくがいうのだから間違いはない。カウンセラーにとって大事なのは、理屈先行で相手の話を解釈することではなく、物語として聞き入ることとうまい反応をすること。まじめに、深刻に応対していたら、たぶんこの本の物語はずいぶん違ったものになっていたはずだ。話すことで癒される。カウンセラーという仕事は大したものだと思うが、ぼくにはとてもできそうにない。