"No Nukes"
忌野清志郎「ラブ・ミー・テンダー」「サマー・タイム・ブルース」
斉藤和義 「ずっとウソだった」
・何かことが起こると、それを批判する歌が生まれる。歌にはもともと、そんなメッセージを伝える働きがあり、人びとの心や考えを凝縮させ、エネルギーを生み出す力があった。そんな一面はフォークやロック音楽が商業主義化された後も、一つの伝統として守り続けられてきた。少なくとも欧米ではそうだった。
・たとえば、スリーマイル島の原発事故があった1979年には、事故があった3月から半年後の9月にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで「ノー・ニュークス」という名の反核コンサートが5日間開催された。当時人気のあったブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウン、ジェームズ・テイラー、カーリー・サイモン、トム・ペティ、ライ・クーダーといったミュージシャンが大挙して出演し、その様子は2枚のCDになって残されている。VHS版として発売された実況録画をネットでも見ることができる。→"No Nukes"
・フォークやロックの音楽がJポップと呼ばれる日本の音楽の基本になっていることはいうまでもない。ところが、日本人のミュージシャンには、さまざまな出来事に際してメッセージを発するといった姿勢が希薄だという特徴があって、その政治意識の少なさは、ポピュラー音楽におけるガラパゴス化を象徴するものだと言えた。
・とは言え、メッセージを歌にして表現するミュージシャンがまったくいなかったわけではない。たとえば忌野清志郎は、折に触れてさまざまな主張を歌にして、その都度話題になってきた。原発に反対する歌も作っていて、プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」やエディー・コクランの「サマー・タイム・ブルース」の替え歌が有名である。
何言ってんだー、ふざけんじゃねー
核などいらねー
何言ってんだー、よせよ
だませやしねぇ
何言ってんだー、やめときな
いくら理屈をこねても
ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ 「ラブ・ミー・テンダー」熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ、誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース「サマー・タイム・ブルース」
・清志郎はすでに3年前に癌で死んでいるから、これらの歌はもちろん、福島原発事故についてのものではない。作ったのはソ連のチェルノブイリで起きた原発事故だが、そこから日本の原発に目を向けて歌ったところが、いかにも彼らしい。しかし、どちらの歌も、彼が所属していた東芝EMIからは発売を拒否されている。言うまでもないが、EMIの親会社の東芝は、日本と言うよりは世界を代表する原発製造メーカーである。
・とんでもないことが起きているのに、そのことを歌にするミュージシャンはいないのだろうか、と思っていたら、斉藤和義が自分の代表曲である「ずっと好きだった」を替え歌にして「ずっとウソだった」を発表していることを耳にした。
この国を歩けば原発が54基
教科書もCMも言ってたよ安全です
俺たちを騙して言い訳は「想定外」
懐かしいあの空くすぐったい黒い雨
ずっとウソだったんだぜ 「ずっとウソだった」
・果たして、彼に続いてメッセージを発信するミュージシャンは出てくるのだろうか。さらには "No Nukes"のようなコンサートがおこなわれる可能性はあるのだろうか。清志郎が生きていれば呼びかけ人になったかもしれない。だとすれば、彼と同世代のミュージシャンには、何か行動する責任があるはずだ。
P.S.マグロで有名な青森県の大間に新しい原発が作られている。その建設の中止を求めたロック・フェスティバルが5月21-22日、現地の未買収地にある「あさこはうす」で開かれる。今年で4回目になるそうだ。世界で一番小さなロックフェスを、世界で一番大きなロックフェスへ。 「大MAGROCK vol.4」