2012年4月2日月曜日

Eddie Vedder


"Into the Wild" "Ukulele Songs"

vedder1.jpg・たまたまBSで見た『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画でまず気になったのは挿入される歌だった。pearl jamのようなと思ってiPadでAmazonで検索すると、確かにメンバーの一人エディー・ヴェダーで、その歌声に惹かれて映画そのものにも深く吸い込まれた。

・あらすじは大学を卒業した主人公が就職も進学もせず、アラスカを目指して旅に出るというものだ。ただしまっすぐ向かうのではなく、あちこちに行き、場所が気に入ればしばらくとどまり、資金稼ぎのバイトをしたりする。そこで出会った人たちとの関係の持ち方ややりとりが、いろいろ考えさせるものになっている。

・同じ年頃の息子が行方知らずになっている女性は主人公に母親の視線を向け、あれこれと忠告をする。家族を亡くして一人暮らしている老人は、若者に心を開いたばかりに、彼との別れがたまらなくつらいものになる。で、若者はそんないくつもできた関係をあっさり断ち切って、アラスカに向かう。何もない原野で動物を捕まえ、植物を採取して100日間暮らすという目標を立てるが、思うように食べ物は手に入らず、けがもして動けなくなり、廃車になって放置されたバスで飢え死にする。

・青年の無謀な冒険話と言えばそれまでだが、物語に挿入されているヴェダーの歌には、旅に出ざるを得なかった若者の思いが代弁されている。


社会は本当に狂っている
僕がいなくたって寂しがらないように

社会は、やれやれだ
僕が同意しないからと言って怒らないでほしい
"Society"


intothewild.jpg ・青年をアラスカに駆り立てたのは、一つは親の期待に対する拒絶の意思表示だ。しかし、そこには彼が憧れた生き方、マーク・トウェイン、ヘンリー・デヴィッド・ソロー、そしてジャック・ロンドンなどが描き出した世界もある。この物語は実話に基づくもので、映画の原作(ジョン・クラカウワー『荒野へ』集英社文庫)を読むと、この主人公がなぜ、自分の人生を社会から離脱することに求めたかがよくわかる。

・よりよき人生は、信頼できる親密な人間関係と物質的な豊かさを基盤にしてこそ可能になる。これこそアメリカン・ライフの基本だが、しかしまたアメリカには、建国時以来ずっと、それとは正反対の生き方も存在し続けてきた。つまり、孤独と自然への憧れだ。若者の遺品にあったソローの本には「愛よりも、金銭よりも、名声よりも、むしろ真理を与えてほしい」という一節に、「真理」ということばが書き加えられていたとある。

vedder2.jpg・エディー・ヴェダーのCDをアマゾンで探したら、彼がウクレレだけを伴奏にして作ったアルバムも見つけた。その "Ukulele Songs" もまたなかなかいい。どの曲も静かで単調で時間も短いが、それだけに一言一言に耳を傾けたくなって、繰り返して聴きたくなってくる。


僕は愛と災難の両方を信じている
それらは時に、全く同じものだ
"Sleeping by Myself"

2012年3月26日月曜日

卒業式を壇上から

・勤務する大学で2年ぶりの卒業式がおこなわれました。あいにくの雨でしたが会場の体育館には2000人ほどの卒業生、教職員、父母、そして卒業後50年、40年、30年の人たちが大勢参列しました。僕は今年度1年間学部長を務めましたから、その式に壇上に並んで、ということになりました。

・実は、大学の卒業式に出るのは自分自身の時も含めて初めてのことです。式後に学部ごとに分かれて学生に卒業証書を渡すお勤めには何度か出席したことがありましたが、式そのものは初めての体験で、校歌を歌ったのはもちろん、聞いたのもほとんど初めてのことでした。歌詞を書いた紙を渡され、起立してほとんど口パク状態で戸惑いましたが、国旗も君が代もない卒業式は、それだけで居心地の悪さを減じてくれた気がします。

・式では「君たちには無限の未来がある」という決まり文句が、何度か聞かれました。以前からこのことばには違和感を持っていましたが、今回ほど、そのことが強く感じられたことはありませんでした。「無限の未来」ということばに込められている意味は「可能性」だけを指しますが、大地震と原発事故の後では、むしろ「危険性」にどう対処するかといったといった自覚の方がずっと現実的で重い意味を持つようになったと感じているからです。

・これからの時代には、個人的なことから社会的なこと、そしてグローバルなことまで通して、「無限」ではなく「有限」こそがキーワードになりますし、未来の「可能性」と「危険性」についても、他人事や政治家任せではなく、自分の問題として考え、行動していく必要があります。式がおこなわれた1時間ほどのあいだ、僕は壇上で、そんなことばかりを考えていました。

・学部長の仕事も卒業式でお役ご免です。大震災と原発事故で入学式が中止になり、授業開始が1ヶ月近く遅れ、東電の無計画停電への対応などで頻繁に会議が開かれるという大変な1年でした。おまけに今年度は7年ごとに文科省に提出する「自己点検・評価報告書」について、学部のことを書かなければなりませんでした。その意味では、今までいかに大学のことに無関心でいたかということを思い知らされた1年でもありました。

・大学は今、大きな曲がり角にさしかかっています。受験生は何より就職を考えて進路を決める傾向が強くなりましたから、キャリア教育や資格の取得を目指したカリキュラムの充実が求められています。教員も自分の関心に従ってではなく、学生にとって必要なことを考えた講義を工夫しなければならなくなりました。わかりやすく役に立つ授業を品揃えして懇切丁寧に指導する。そんな必要性が大学の就職予備校化とコンビニ化を促進していくように思えます。

・そうしなければ生き残れないのが大学の置かれた現状ですが、それはまた大学が大学でなくなることを意味します。大学の教員はまた、研究者であるという側面を持っています。大学はこの面についても成果を上げ、広く公開することを求められていますから、教員は否応なしに、研究と教育に求められる要求のあいだで「ダブルバインド」の状況に置かれざるを得なくなっています。

・そんなことを強く思い知らされ、対応を考えさせられた1年でしたし、在学する学生たちに、どんなことを自覚させ、考えてほしいかを悩んだ1年でもありました。卒業式がすみ、学部長の職務もほぼ終わって、やれやれと思う気持ちがありますが、まだもう少し大学で働く限りは、可能性と危険性を背中合わせに持った大学の現状と未来について、考えていかなければとあらためて思いました。

2012年3月19日月曜日

森の恵み、木の力

 

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・春めいて雪ではなく雨が降る日が多くなった。まだまだ寒いから、あと1ヶ月以上は薪ストーブで暖をとる必要がある。一年乾かした薪も残りが少なくなって、次の冬のために薪作りに精出している。少し大きい新しいストーブにしたので、今年は9立米の原木を購入して、一月ほどをかけて切って割って積んで乾かしてきた。楢(なら)の木で固くて重いから割るのも積むのも大変だが、燃やした時の火持ちと暖かさは、他の木では得られない心地よさを与えてくれる。


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・薪は森の恵みだ。ミズナラ、コナラ、クヌギなどは里山に目立つ木で、薪や炭、そしてもちろん木材としても使われてきた。ドングリがなるから、山の生き物たちの食料としても、欠かせない役割を果たしてきた。そんな雑木の森が杉や檜の森に変えられたのは、材木としての利用を考えたからだが、安価な外材の輸入が増加すると、採算が合わなくなって伐採されずに放置されることになった。山歩きをしていても、杉や檜の荒れた薄暗い森を抜けて、広葉樹の森に入るとほっとすることがある。山の森をその土地にあった木々で再生することの重要性は、山歩きをするたびに感じることである。

・震災で残ったがれきの始末について、その焼却処分を日本全国で分担しようという動きが始まっている。放射能を排気しない処置や灰の処分地をどこにするかなど、しっかり定めないと放射能の拡散を引き起こしてしまうとして反対運動も強いようだ。しかし、がれきの処分は燃やすだけではない。海岸線にコンクリートの大堤防を作るのではなく、穴を掘ってがれきを埋め、小高い丘のようにして、そこにその土地にあった雑木を植えていくことを提言する人がいる。ここでも、放射能の問題をきちんと考慮する必要があるが、環境的にも景観的にも無機質なコンクリートよりはずっといいプランだと思った。提案するのは、これまでに日本はもとより世界中で植林を続けてきている宮脇 昭さんだ。その主張や実績を教えてくれる動画が、YouTubeにはいくつもある。

東東日本大震災 現地調査(宮脇 昭 緊急提言)

いのちを守る森づくり 〜東日本大震災復興〜

森の再生の第一人者=宮脇昭1/2

・森の恵みや木の力を実感し、それに日々感謝する生活をしているから、この提言と実践には諸手を挙げて賛成し、僕も参加してみたいと思った。

2012年3月12日月曜日

もう1年、まだ1年

・東日本大震災と福島原発事故から1年が過ぎた。もう1年かと思うし、まだ1年かとも思う。いずれにしても、小出裕章さんが言うように3.11以後世界は変わったのだという思いに違いがあるわけではない。

・原発事故で放出されたセシウムは4京ベクレルとも言われている。京は兆の上の単位で0が16個つく数字だ。そのうちの7割が海、3割が陸に撒かれたのだが、セシウム137の半減期は30年で土壌粒子と結合しやすいものだから、簡単に取り除けたりするものではないようだ。

・3.11以降に日本周辺で起きたマグニチュード5以上の地震は600回を超えている。3.11の時ほどではないにしても、その大きさにびっくりしたことが何度もあった。住んでいる近くが震源地になったこともあるし、東海、千葉沖、東京湾、そして富士山の噴火と注意を促す報告も多いから、意識の中にはたえずそのことがある。

・この一年であからさまになったこともたくさんあった。国策としての原子力発電を支えてきた国(経済産業省)と独占事業としての電力10社、学者とメディアが「電力村」を形成して、安全で安価でエコロジカルな電気という「安全神話」を作り出してきたこと。電気の値段が電力会社の言い値で決められてきたこと。再生可能エネルギーによる発電開発が、「電力村」によって抑えられてきたこと。等々、あげたらきりがないほどである。

・地震と原発事故後の政府や東電の対応に対して、それを検証する報告書が出始めている。「想定外」ということばが言い訳として使われたが、巨大な災害や事故に対処する心構えが皆無だったことはもちろん、マニュアルもなかったことが露呈された。都合の悪い、採算の合わない危険を無視してきた姿勢とあわせて考えれば、的確な事故対応などできるはずもなかったのである。

・政府は昨年暮れに「冷温停止状態」になったと宣言をした。「想定外」「直ちに身体に影響はない」と同様、曖昧でいい加減なことばで、メルトダウンをして燃料が容器の外に漏れだした状態を「冷温停止」などとは言わないのが常識のようだ。また「除染」もよく使われるが、それは汚染した土壌を取り除いてよそに移すことであって、セシウム自体をなくすことではないから、正確には「移染」に過ぎないのだという。

・事故は何となく終息に近づいていて、除染が進めば避難している人たちが家に戻れるような状態がもうすぐやってくるかのように取りざたされている。停止している原発を再稼働させようとする動きも目立ってきてもいる。東電も事故の責任には沈黙したままで、使用する燃料の増加や高騰を理由に電気代を上げようとしている。ここには3.11以降世界が変わったのだという認識はほとんどない。

・この1年で読んだ本は、今までとはずいぶん違うテーマのものだった。レビューで取り上げたものにも原発関連のものが多かった。その中でもう一度、紹介したいのはレベッカ.ソルニットの『災害ユートピア』だ。政府は原発事故についての情報を隠し続けた。その理由として繰り返されるのは国民がパニックになることだが、ソルニットは明らかにしているのは、これまで起きた大惨事の中で人びとがとった行動がパニックよりは相互扶助の気持ちと行動だったことである。この1年の経過を見れば、パニックを起こしたのが政府や東電のだったことは明らかである。

・もう一冊、ビル・マッキベンの『ディープ・エコノミー』は経済成長の神話への警鐘で、経済成長が一部の富裕層をさらに富ませる政策でしかないことと、生活の豊かさを量や便利さではなく、質とやりがいに求める必要性の強調である。R.ボッツマン&R.ロジャースの『シェア』とあわせて考えれば、豊かさの実感を個人的な所有ではなく共用、使い捨てではなく交換、あるいは贈与によって実現させていくという方向性への転換だろう。

・最後にもう一つ。この1年ではっきりしたのは、マスメディアに対する幻滅とインターネットへの信頼だ。僕はそのことを「地デジ化」の中で自ら経験したことを根拠にして、「電波村」と「ガラデジ」と表現した。限られたマスメディアとそれによる情報の管理という体制を維持しようとする力にかかわらず、情報の流れは多様化し、国境を越えて行き来する。原発から放出された放射能の流れを計測するSPEEDIの結果がいち早くアメリカやドイツから発信されたことは、その象徴だった。あるいは、数万人も参加した反原発デモがネットで生中継されていて、ニュースでほとんど報道されないというおかしさもあった。

2012年3月5日月曜日

サヨナラ 地デジ

・総務省からの予告通知の通り、3月1日からBS経由での地デジにスクランブルがかかって見えなくなった。地元のケーブル局と契約して対応せよというお達しだが、そんな馬鹿なことはする気もない。地デジそのものが国税の無駄遣いだが、それはケーブルテレビにも言えるし、地デジ対応の液晶テレビやチューナーを買わせたことも、ケーブルテレビに契約させたことも、すべて無駄なことだと思うからだ。

・それに何より、地デジ化したテレビ放送自体が、見る気もおこらない無駄なものになっている。そんなテレビとサヨナラするいい機会だと感じている。とは言え、テレビを捨てるわけではない。今までだって、見るもののほとんどはBSか光だったわけだから、数日たっても、テレビ視聴にほとんど何の変化も不都合もおこっていない。

・テレビを見るのはだいたい食事時で、ニュース番組をつけながらというのが習慣だったのだが、去年の3.11以降、報道の作為があからさまで、見ていて信頼できないといよりはインチキと思うことが少なくなかった。その典型は数万人の反原発でもがあっても、一切触れないといったNHKの姿勢だろう。あるいは、原発の現状、電力の不足や料金値上げについての無批判な報道も相変わらずだった。

・対照的にNHKはBSではシリアスなドキュメント番組を積極的に放送をしてきている。アフガニスタン、カンボジア、イラン、シリア、エジプト、リビア、中国、ロシア、アメリカとテーマにする地域は世界中に渡るし、問題についても鋭くついたものが少なくない。だったら日本の問題も同じように取り上げるべきだと思うのだが、身近なことになるととたんに逃げ腰になってしまう。地上波とBSを見比べて思うのは、何よりそんな違いにある。

・1月にNHKのBSが「革命のサウンドトラック〜エジプト・闘う若者たちの歌〜」と題したドキュメント番組を放送した。デモに集まった若者たちが大合唱する歌を作ったミュージシャンたちに注目した内容で、ムバラク政権が倒壊した後も、軍部による暫定政権に対する抗議行動が続いていて、事態が深刻であることが報告されていた。聴いていていいなと思った「カイロキー」という名のバンドをYoutubeで探すと、ビデオがいくつも出てきて、番組で聴いた曲も見つけることができた。たとえば『自由の声』には日本語の歌詞がついている。

・残念ながらAmazonで探してもカイロキーのCDは見つからなかった。しかし、気になることがあって、何か一つでもとっかかりが見つかれば、ネットは、すぐ近くまでたどり着くことを可能にした。今度もまたそんなことを再確認した。であればなおさらと感じたのは、NHKはなぜ日本の各地でおこなわれているサウンドデモのドキュメントを作らないのだろうということだった。

・その様子や新たに作られた反原発の歌はYoutubeで容易に見つけることができるから、ネットを使える人なら世界のどこにいても見つけることができる。ところが地デジだけを視聴している人には、デモがあったことすらわからない。地デジは情報を伝えるメディアではなく、情報を制御し、遮るメディアになっている。ガラパゴス化はケータイ以上で、3.11と地デジ化によってそのことが一層明らかになったといえる。

2012年2月27日月曜日

拝啓、総務大臣様

・我が家は地デジの難視聴地域にあります。昨年7月に面倒な交渉や手続きをして、BS経由でNHK2局と民放2局を受信することができるようになりました。しかしそれは暫定的な措置で、2月末をもって受信ができなくなるという手紙が届きました。半年間はケーブルテレビなどで見られるようにするための猶予期間だったわけですが、ケーブルテレビと契約したり、高感度のUHFアンテナを設置する気などないことは昨年7月の交渉時にお話をしたはずです。いかにもお役所的な一方的やり方に、しばらく収まっていた腹の虫がまた騒ぎ始めました。

・そもそも地デジ化は誰のためにどういう理由でおこなったものだったのでしょうか。素直な国民はアンテナの付け替え、テレビの買い換え、ケーブルテレビとの契約といった余計な出費を言われるがままにしたのですが、それによって何か恩恵やメリットがあったのでしょうか。もちろん地デジ化にかかった費用はそれだけではありません、日本全国に新しいアンテナをいくつも立て、広報活動にも巨額のお金を使いました。総額では1兆円にもなると言われています。しかも地デジ化はほぼ達成されたと言いながら、他方で今後もさらに2000億円もの税金が使われるというのです。

・地上波のデジタル放送ははBSでも見ることができます。BS用のアンテナを立てれば誰でも視聴できるはずなのですが、総務省はあくまで難視聴地域対策だとして、スクランブルをかけて視聴制限をしています。しかも、見ることができる場合でも、既存の地方局数にあわせて地域ごとの制限を設けていますから、たとえば山梨県では民放は2局だけということになっています。理由は、テレビ放送の既得権を守るためにあります。

・こういった制限はB-CASカードによっておこなわれています。このカードを発行しているのは「ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ」という民間会社ですが、社長は2代続けてNHKからの天下りですし、この会社と連携して発行や運営に関わっている「デジタル放送推進協会(Dpa)」は総務省の天下り機関です。またこのカードにはコピー制御の機能もあって、それについては「電波産業会(ARIB)」という社団法人が存在しています。

・電波行政はことごとく失敗をしているのが実情です。ケーブル・テレビはアメリカではテレビ放送網の基本になって、CNNやFOXなど新しい放送局と形態を生み出しましたが、日本では既存の地上波を垂れ流すだけの役割しか持てませんでした。BSはヨーロッパではデジタル放送の中心に使っている国がいくつもありますが、日本では、これも既存の放送局がテレビショッピングや韓流ドラマで埋め合わせるだけのもので、使っていないチャンネルがたくさんあります。テレビ放送のデジタル化は、それによってあいた電波帯域をケータイやネットなどのために多様に使える可能性を作り出すものです。しかし、ここでも既得権が主張されて、あいた帯域の積極的な活用という方向にはいくつもの障害があるようです。

・国が抱える借金がもうすぐ国民一人あたり1000万円にもなる日が近づいています。だから消費税で増税をというのですが、地デジ化に対する総務省の方針を見れば、無駄遣いというより、お金をどぶに捨てるような政策を続けてきて、それを根本から改める必要性を感じていないことは明らかです。これが総務省に限ったことではなく、原発に対する経産省の対応を見れば、あらゆる省庁に蔓延したものであることは言うまでもありません。

・スカイツリーが完成間近になりました。東京の新名所として期待を持って受け取られていることが報道されていますが、スカイツリーはいったい何のために作られたのでしょうか。地デジの電波発信は東京タワーからおこなわれていて、何の問題もないのですから、新しい電波塔を作る必要はなかったことははっきりしています。僕にはスカイツリーは無駄使いのシンボルにしか見えないのですが、そんな意見を言う新聞やテレビが皆無です。

・話を地デジに戻しましょう。BS衛星からの地デジ受信が見えなくなっても、僕は何も不便を感じません。この半年、ニュースや一部の報道番組を除けば、地デジにチャンネルを合わせることはほとんどありませんでした。反対に、相変わらずのバラエティ番組ばかりの放送に、その行く末を見る思いだけを感じました。日本独自のケータイがガラパゴス化(ガラケー)してあっという間にスマートフォン(iPhone)に席巻されしまったように、近い将来、テレビはパソコンと一体化した大型画面のiTVに淘汰されるかもしれません。その時私たちが見るのは、既存の地デジやBS放送ではなく、ネットを介した多様なコンテンツから選択したものになるはずです。そんな地デジ放送がガラデジとでも呼ばれるようになったときの責任はいったい誰がとるのか、総務大臣にお聞きしたいものだと思います。

2012年2月20日月曜日

上野千鶴子『ケアの社会学』太田出版

 

journal1-150.jpg・ケアということばが介護の意味に使われるようになったのはそれほど昔のことではない。英語としては「気遣う」「気をつける」といった意味で日常的に使われることばだし、「世話をする」という場合でも、老人に限らず乳幼児や障害者に対しても使われている。もちろん、このことばは他者に対してだけでなく、自分にも向けられるものである。この本は、そんな多義的なことばが老人の介護だけに限定して使われるようになった傾向に異議を唱えるところから書き始められている。ここで使われる「ケア」の定義は、次のようなものである。


依存的な存在である成人または子どもの身体的かつ情緒的な要求を、それが担われ、遂行される規範的・経済的・社会的枠組みのもとにおいて、満たすことに関わる行為と関係。(p.39)

・この簡潔な定義はメアリ・デイリーのものだが、著者はそこに込められた意味が重要だという。つまり、「成人または子ども」としたことで「介護、介助、看護、そして育児までの範囲」が含まれるし、「身体的かつ情緒的」としたことで「ケアの持つ「世話と配慮の両面」がカバーされる。「規範的・経済的・社会的枠組みのもと」で満たされる「ケア」という行為には「ジェンダー」「人種」そして「階級」の問題が入りこむし、「ケア」の規範それ自体を「社会的文脈」の変数にして「規範」を脱構築することができる。そして何より「ケア」は相互作用的な「関係」である。この本は2段組で500頁を超える大著だが、著者の主張は、このケアの定義とその解釈のなかにほとんどすべて込められていると言っていい。

・高齢者を基本にした介護保険制度が日本で施工されたのは2000年だった。「高齢者人口比7%以上の社会を『高齢化社会』、14%以上の社会を『高齢社会』と呼ぶが、それにしたがえば、日本は1970年に『高齢化社会』に突入し、1994年に『高齢社会』の段階に入った。」(p.106)恍惚の人、寝たきり老人、痴呆性老人といったことばが流行し、高齢社会の問題が現実化してからすでに20年もたつとも言えるし、わずか20年ばかりしかたっていないとも言える。いずれにしても、僕にとっては社会問題としては大きいとは感じられても、個人的にはほとんど他人事の異世界の話だった。

・『ケアの社会学』は、その前半が「ケアとは何か」「ケアとは何であるべきか」「当事者とは誰か」「ケアに根拠はあるか」「家族介護は『自然』か」「ケアとはどんな労働か」「ケアされるとはどんな経験か」「『よいケア』とは何か」といった章が続き、後半は官民協私の福祉の歴史を詳細にたどり、現状のフィールドワークを生協の取り組みを評価的に扱いながらおこなっている。

・僕は一昨年の夏に、80代の後半になって体調を急に悪化させた父親のことで、ケアの問題に唐突に直面させられることになった。介護保険の仕組みを勉強し、介護施設を訪ね、ショート・ステイを手配などしたのだが、介護される父、介護する母、そして弟や妹を含めて、子どもとしてどのように、どこまで対応する必要があるのかなど、いろいろ話し合い、時には怒鳴りあいの喧嘩にまでなることを何度か経験した。

・僕はこんな事態になるまで、そうなったらどうするかと言うことについて、ほとんど考えたこともなかったが、それは当の両親も同じだった。母に全面的に頼ることを自明視する父と、子どもの支えを当てにする母という構図は、家族介護を自然とする規範そのものだが、高齢者の母一人でできることでないこと、それぞれに家を離れて自立している子どもたちにとっても、できることには限度があることは明らかだった。だからこその「介護保険」を十分に活用すること、必要なら介護施設に入ってもらうことなどを説明し説得をしたのだが、それを理解し納得してもらうことはきわめて難しかった。

・介護責任は家族が担うべきであるという「規範」に対して、他人による「労働」としての「ケア」をどう組み込んでいくか。「ケアされる抵抗感」は本人だけでなく、家族にとってもあるものだが、その意識とどう対処していくか。施設を利用するとしたら、それは当人にとって、家族にとって、どのようなものが好ましいのか。そんなことに実際に悩まされる経験をしている者にとって、この本は全体から細部にわたって示唆的な記述に溢れている。もちろん、それだけでなく、福祉社会の現状と未来を考える上で的確なモデルを提供してくれてもいる。