2017年2月20日月曜日

リチャード・セネット『クラフツマン』筑摩書房

 

sennet1.jpg・「クラフツマン」はふつう「職人」と訳される。「職人」は何より「作る人」だ。しかし、日本語訳を「クラフツマン」としたのは、この本が「職人」ということばを超えた、幅広い世界を扱っているからだ。例えばストラディバリウスのヴァイオリンに言及する一方で、ピアニストの手の動きにも触れている。あるいは副題には「作ることは考えること」とあるが、Makingには作ることだけではなく、「発達」や「素質」といった意味もある。つまり「クラフツマン」「クラフツマンシップ」は、およそ人間のすること全てに関わってくるのである。

・セネットの師であるハンナ・アレントは「労働する動物」と「工作人(ホモ・ファーベル)」を区別した。ここには現代の労働が、自ら考えながらするものではなく、強制され、自動的におこなうものに変質したという批判がある。オートメーション化された中の単純労働や組織のなかで働くことはもちろんだが、何のためにとか、どうなるかを考えずに行うことも含まれる。原爆の開発などはその典型だろう。

・セネットはこのような二分化に反対して、クラフツマンを歴史的に、あるいは身体論的に分析することを試みている。それはアレントが批判した「労働する動物」から「考えながら作る人」への転換を目指した試みだと言える。

・およそどんなことであれ、専門家になるまでには1万時間の訓練が必要だとされる。で、そこで修得されたものは「暗黙知」として結実化する。つまり、理屈やことばで自覚しなくても、手に代表される身体が自然に動いて、やるべきことができるようになる。もちろん現在では、何をどのように教えるか、訓練するかの多くはことばとして「明示知」化されている。しかし、それは全てではない。だから、かつての職人がそうであったように、「暗黙知」の中には習うのではなくて慣れる、教わるのではなく盗む形で身につくものも残されている。

・ここにはもちろん、個人的な才能もある。ストラディバリウスの工房には多くの弟子がいて、同じ材料で教えられるままにヴァイオリンを作ったが、誰もストラディバリウスと同じヴァイオリンを作ることができなかった。そんな才能は「アーティスト」の登場によって、一層注目されることになる。セネットによれば「アーチスト」と「クラフツマン」の違いは、「個人」と「集団」、「独創」と「共同」、「突然」と「ゆっくり」である。

・クラフツマンは何かを作るだけでなく、作るための道具も作り出す。機械化は、クラフツマンが習得すべき技術を軽減し、作成に要する時間を短縮する。あるいは、作品のできがりに見られるばらつきをなくした。それはまた、大量生産を可能にして多くの人に行き渡らせることを可能にしたが、同時に、画一化をもたらした。「クラフツマン」の仕事に、機械ではできないどこか未完成のもの、不完全な部分を求める流れも生まれることになった。

・「クラフツマン」が新しい試みに挑戦すれば、それを妨げる「抵抗」に出会うことになる。その「場所」を突き止め、疑問を抱き、打開する。セネットはその三つを「クラフツマン」に必要な三つの能力だという。しかもそれは必ずしも、能力のある人だけに限られたものではない。

・今は高度な消費社会で、自分で何かをしなくても、モノでもサービスでも購入することができるようになった。あるいはアナログからデジタルへの変化が、さまざまな技術を無効にしたり、新しい技術を必要にするようになった。残念ながら本書では、このような点についての議論はない。しかし、「クラフツマン」について、改めて考えさせられることに満ちあふれた内容であることは間違いない。

2017年2月13日月曜日

久しぶりのぎっくり腰

 

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forest139-2.jpg・この冬は昨年11月に季節外れの大雪が降った後は、ほとんど雪らしい雪はなかった。とは言え、寒いのはいつも通りだったから自転車は、知人が来た正月に西湖まで行ったきりだった。薪割りは着実に進めて、もう残りわずかになったのだが1月中旬に30cmほど降ってからは中断している。当然運動不足になって、そのせいかぎっくり腰が再発した。

・特に激しい痛みが来たわけではなかった。朝起きて、少しおかしいかなと思った程度だったのに、昼過ぎになると腰が曲がって、頻繁に電気が走るような痛みが出るようになった。前日に工房の屋根や雨樋にたまった落ち葉を取るために、ハシゴに乗って無理な姿勢で作業をしたせいかもしれない。大学に行くたびに、研究室でのゴミ出しや、本の持ち出しも続けてきた。

forest139-3.jpg・4日には院の最後のゼミとパーティがあって、どうなるかと思ったが、何とか乗り切った。何しろ座ると固まってしまって、立ち上がるときに電気が走るし、おそるおそる腰を伸ばさなければならなかったのだ。大勢の人が集まったから、あまり無様な姿は見せたくなかった。家ではだらしなく腰を曲げて歩いていたが、社会に出るとそれなりにしゃきっとする。ところが家に戻ると、無理がたたってまたひどくなる。そんなくり返しが半月ほど続いた。

・で、腰はまだ完治していない。やっと消えたと思った雪がまた積もったから、しばらくは自転車も薪割りもできない。その代わりというわけではないが、ここのところ映画を見に出かけている。『シンゴジラ』から始まって『ハドソン川の奇跡』『この世界の片隅で』『スノーデン』を甲府のシネコンで見た。『沈黙』は夜しかやっていなかったので、三島まで出かけた。

・改めて気づいたのだが、映画は今、ほぼ全国一斉に多くのシネコンで上映されている。山梨県には一つしかないが、隣の静岡県にはいくつもある。しかし、『スノーデン』も『沈黙』も見ている人はわずか数人だった。両方ともよく出来た映画だと思うが、娯楽性には乏しい。シネコンだからこそ上映できるのかもしれない。この二本の映画については、近いうちにレビューをしようと思う。もっとも遠藤周作の原作を読んでいないから、その後でということになると思う。

forest139-4.jpg・今は厳冬期だが、湖畔には結構観光客が来ている。早朝の通勤時にも河口湖大橋には富士山を背景に写真を撮る人がかなりいる。しかも外国人が多い。世界遺産の威力といえばそれまでだが、歩道は雪が積もったままで、車道まで出て写真を撮ろうとするから、危ないことこの上ない。自転車を走らせている人もいる。滑って転ばなければいいがと、心配をすることが多い。

2017年2月6日月曜日

最後のゼミ

 

・退職する教員は慣例として最後の講義をやることがあります。しかし僕はやりませんでした。何によらず儀式や儀礼的なことは嫌いで、これまでもできる限り避けてきたからです。しかし、今年度限定の特別企画講義「仕事、レジャー、そしてライフスタイル」の最後の時間には、終了時に花束をもらいました。毎回ゲスト講師を招いて話してもらう授業で、僕は最後だけ、まとめとライフスタイルの話をしました。もうこれで十分と思ったのですが、院の卒業生たちから要望があって、院の最後のゼミをやることにしました。

・大学院ではこれまで18年間で30名ほどの学生を指導してきました。数年前まで、院のゼミには卒業した学生も多数参加していて、毎回3時間を超える時間を使って、各自の研究発表を行ったり、僕が編者になって何冊かの本を作ってきました。ユニークな研究をする人が何人も育ったことは、僕にとっては何よりの喜びであり、また自慢になることです。

・コミュニケーション学部には『コミュニケション科学』という紀要があります。退職者には記念号を出す権利があるのですが、僕は最後の仕事として、卒業生を中心に記念号を出すことを提案しました。最後のゼミではその編集方針も検討されました。順調にいけば夏休み明けに原稿を集めて、来年の3月までには発行できると思います。

・最後のゼミには14名が集まりました。中には九州や四国、そして中国から駆けつけてくれた人もいて、懐かしい話に花が咲きました。もっともこのゼミのメインは来年度に博士論文を出す予定のY君の発表で、その進捗状況を報告し、大勢の人から厳しい批判やアドバイスを受けました。僕は来年度も、もう一人の修士論文と学部の卒論を指導するために非常勤講師として勤務を続けます。1年限定ですからY君には頑張っていい論文を書いてほしいものだと思います。

・ゼミの後は場所を変え、飲み会としておなじみの店でパーティをしました。ここには30名近くの人が参加してくれました。賑やかな会の主役になるのは何とも照れくさかったのですが、大勢の人に集まってもらえたのはありがたい限りと思いました。その後2次会、3次会とつき合って、お土産や記念品をいっぱい車に摘んで帰りました。

・実は研究室の片づけなどのせいで数日前から腰痛でしたが、何とかつき合えてよかったです。


2017年1月30日月曜日

2017年の「真理省」

 

・トランプ米政権がスタートして、さっそく選挙中の公約を実行しはじめている。メキシコ国境に壁を作る、TPPの永久不参加、日本の自動車メーカーへの攻撃、入国審査の厳格化、オバマケア撤廃、原油パイプラインの建設認可などなどで、ホワイトハウスのホームページからは環境問題やLGBTに関する項目が削除されたようだ。オバマ大統領が進めてきたこと、制限してきたことの全てに「ノー」を突きつけていて、まさに破壊行為とでもいうほかはない振る舞いである。

・悪役プロレスラーの反則行為、と言うよりは善玉がリングを去った後の雄叫びと言った方がいいのかもしれない。しかし、それが世界中を慌てさせているのだから、トランプはさぞやご満悦のことだろうと思う。ところが、彼は少しの批判にも逐一ツイッターで反論し、罵倒を浴びせている。ウイメンズ・マーチで演説したマドンナに対して、ゴールデングローブ賞でのメリル・ストリープのスピーチに対して等々である。就任式に訪れた人びとの数の少なさについては、マスコミの意図的な操作だと批判をした。

・こういう思慮のない、肝っ玉の小さい人が権力の座についたら、何をしでかすかわからない。そんな心配が世界中に蔓延しているが、日本ではすでに似たような権力者が4年も居座っていて、さらに東京オリンピックまで続けてやろうとしている。「アメリカを偉大な国として復活させる」というスローガンは、「日本を取り戻す」という公約とそっくりだし、そのために感情に訴えて論理や倫理を無視する姿勢も共通している。

・アメリカのアマゾンではジョージ・オーウェルの『1984年』がベストセラーになったと言う。リベラルなアメリカ人にとってトランプはまさに独裁者「ビッグ・ブラザー」と二重になって認識されているのだと思う。その独裁国のスローガンは「無知は力、戦争は平和、自由は奴隷」で、全ての情報は「真理省」が統制していた。そんな世界が現実になろうとしているが、その方がいいと思う人がアメリカには4割もいる。僕はそのことの方に、一層の怖さを感じている。

・オックスフォード英語辞典が2016年を象徴する単語として「ポスト・トゥルース(脱真理)を選んだ。「真理」「真実」「事実」がないがしろにされる時代になったということだが、もちろん、ないがしろにする精力もまた「真理」「真実」「事実」を使う。「真理省」が発することだけが「真実」であり、それだけを信じることが力になるし、戦争状態こそが平和の証しであり、自由に囚われた状態からは解放されるべきだ。そんな虚構の世界が、オーウェルが『1984年』を書いてから70年後に世界の現実になったのである。

・トランプ政権の報道官が就任式の参加者は150万人にもいたとして、それが「オルタナティブ・ファクト」だと言った。「もう一つの事実」あるいは「別の事実」といった意味だが、こういう使い方をすれば、何でも自分の都合の良い判断をして、それこそが事実だと主張できる。そう言えば安倍首相は、自分の政策の失敗を認めずに別のことばで言いかえて、それが「新しい判断だ」と言った。

・こんな状況に対して抗するのは何よりメディアの仕事で、アメリカでは大統領とメディアの関係が険悪になっている。ハリウッドの俳優やミュージシャンの多くも公然と、トランプ批判をしている。ところが日本では、テレビはもちろん新聞も、政権の批判をほとんどしない。俳優もタレントもミュージシャンも、批判を公言する人はほとんどいない。実は日本の方がずっとひどいことになっているのだが、最近目につくのはトランプの暴言に対する驚きや不安ばかりである。

・就任前にトランプ詣でをした安倍は電話会談をして、「トランプ氏の指導力によって、米国がよりいっそう偉大な国になることを期待しており、信頼できる同盟国として役割を果たしていきたい」と語ったようだ。アメポチそのもので、言いなり外交を最初から宣言してしまっている。もちろんアベポチのメディアは何も言わない。

2017年1月23日月曜日

トランプ就任と「世界の片隅」

 

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・トランプがアメリカ大統領になった。ワシントンに集まった人の少なさや「女たちの行進」などの反対行動をする人の多さが報じられた。その違いは、8年前のオバマの就任式と比較すれば一目瞭然だろう。オバマの就任式には、90歳を超えたピート・シーガーやブルース・スプリングスティーンが登場して「This Land is Your Land」を大合唱したが、トランプの就任式には何の歌も歌われなかった。

・オバマ人気は、9.11後のブッシュ政権のひどさに対する米国民の期待の反映だった。オバマはイラクのフセイン政権を倒したことに始まる中東の混乱や、リーマンショックの後始末を任され、健康保険制度(オバマケア)の設立などを目指したが、何より黒人初の大統領であり、人種や宗教、あるいは性別に関する多様性を積極的に進めてきた。最後になって改めて、その成果が評価されて支持率が上がったが、8年間の支持率は不支持率と拮抗するようなものだった。

・トランプはオバマが掲げ実行した政策のほとんどに反対し、古き良き時代のアメリカを取り戻すと宣言した。アメリカ第一という傲慢さはもちろんだが、ホワイトハウスのホームページからは、環境問題やLGBTについての頁が削除されたようだ。彼の主張はアメリカさえよければ、地球のこと、世界のことなどはどうでもいいというものだし、そのアメリカも白人の男だけのことしか眼中にないというものである。彼の言う「偉大な国」の復活とは人種差別や性差別が当たり前だった時代にほかならないのである。

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・主人公のすずの家は、広島の海岸近くにあって板海苔を作っている。その生活は質素で食べるものも着るものの多くも自給でまかなっている。すずには心に秘めた人がいたが、結婚話を受け入れて呉に嫁いでいく。そこでの生活は度重なる空襲にあって困窮し、右手を失って絵が描けなくなり、広島の実家が原爆にあう。

・戦後生まれとは言え、僕はそんな戦時下における日本人の暮らしや生き様については、いろいろ知っていることがあったから、特に目新しく思うことはなかった。しかし、若い人たちには、すずを通して描かれた当時の暮らしや生き方には、現在の自分とは大きく違う一面を見た驚きがあったのかもしれないと思った。学生たちとそんな話もしてみたいと思ったが、残念ながら今年度のゼミがちょうど終わったところだった。

・トランプが大統領になって一番怖いのは、世界の一層の混迷と、戦争の勃発の危険性だろう。そうなれば確実に日本は巻きこまれる。世界の片隅に生きる僕たちにどんな災難や不幸がもたらされるか。この映画が予想を超えて多くの人に見られている背景には、若い人たちのなかにも、そんな不安があるのかもしれないと思った。

2017年1月16日月曜日

祝!!50周年 NGDB

 

Nitty Gritty Dirt Band "Circlin' Back - Celebrating 50 Years"
John Prine "For Better or Worse"

ngdb1.jpg・「ニッティ・グリッティー・ダート・バンド」は1966年にデビューしている。その50周年を祝うコンサートが2015年にナッシュビルの「ライマン・オーディトリアム」で行われた。このCDはそのライブ盤である。

・50年の間にメンバーはずいぶん入れかわったが、ジェフ・ハンナとジミー・ファッデンは代わらない。初期にはソロ・デビュー前のジャクソン・ブラウンが参加していたし、オールマン・ブラザースと活動を共にしていたこともある。他にもケニー・ロギンズやイーグルス、あるいはジェリー・ジェフ・ウォーカーなどとも一緒だったこともある。実際彼らの最大のヒットはジェリー・ジェフ・ウォーカーが作った「ミスター・ボージャングル」だし、ケニー・ロギンズの「プー横丁の家」だった。

ngdb2.jpg・カントリーやフォーク、あるいはロックミュージシャンと幅広い関係を持ち続けてきたバンドで、1972年には「このサークルは壊れないだろう」というタイトルのアルバムを出し、さらに89年に同名のタイトルで「Vol.2」を出している。どちらも、大勢のミュージシャンが参加したライブ盤だった。地味なバンドだが、誰かとの共演やバックバンドとしてよく名前が出てきてもいた。同じような役割を担ってきたバンドとして、ロックなら「ポール・バター・フィールド・ブルース・バンド」があった。残念ながらポール・バター・フィールドは1987年に死んでいる。

・この50周年を祝うアルバムにも「サークリン’ バック」とついているように、大勢のミュージシャンが参加しているし、最初の曲はボブ・ディランの「ユー・エイント ゴーイング・ノーホエア」で最後は「ウィル・ザ・サークル・アンブロークン」だ。ジャクソン・ブラウンは「ジーズ・デイズ」など2曲を歌っているし、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが「ミスター・ボージャングル」、ジョン・プラインが「パラダイス」などを歌っている。

prine1.jpg・そのジョン・プラインが新しいアルバムを出した。タイトルは「フォー・ベター・オア・ワース」(どんなことになろうと永遠に)で、結婚式の宣誓式で使われることばである。ジャケットも表は結婚式の二人で、裏は海を眺める老夫婦の後ろ姿になってる。彼もまたデビューしてから50年近くなる。地味だが多くの人に歌われてヒットした曲も少なくない。アル・クーパー、ボニー・レイト、ベット・ミドラーなどで、ベットが歌った「ハロー・イン・ゼア」は大ヒットをしている。

・「ハロー・イン・ゼア」は子どもが家を出たり戦死して、夫婦二人だけになった老人を語った歌だ。年月が経てば木は大木になるし、川も大河になる。なのに人間は孤独になっていく。そんな内容だ。今になってしみじみわかる歌だが、彼がこれを作ったのは、まだ30歳にもならない時だった。

prine2.jpg・「フォー・ベター・オア・ワース」はカントリー調のサウンドで、全曲女性とのデュエットだ。誰一人知らない人ばかりだが、「マイ・ハッピネス」をパートナーのフィオナ・プラインと歌っている。結婚は三度目のようで、フィオナとプラインは親子ほど歳が違う。子どもも3人いるようだ。「ハロー・イン・ゼア」の主人公の歳になってもけっして孤独ではない。そんな彼の気持ちが、アルバム全体に溢れている。

・同世代のミュージシャンがずいぶん死んでしまっているが、元気に新しいアルバムを出し、コンサート活動をしている人もいる。僕もこのサークルを遠巻きにして、いつまでも聴いていたいと思う。

2017年1月9日月曜日

今年の卒論

 

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・ 今年の4年生は7名です。国内研究で2年生のゼミを持たなかったために、全員3年生からの参加になりました。2年次のゼミから追い出された人、どこかに入らなければ卒論の指導をしてもらえないからといった消極的な理由の人、先輩からのすすめで3年次まで待った人、そして休学から復帰してやってきた人など、不揃いのリンゴたちでした。

・3年次のゼミが始まるとすぐに、一人が「飲み会」をやりたいと言いました。お互いに距離を近づけるチャンスですからOKを出しましたが、全員出席とはいかず2名が欠席でした。続いて夏休みの合宿もやりたいというのでこれも承諾しましたが、出席者は3名だけで、他のゼミの学生が2名参加をしました。合宿とは言え、勉強らしきものは何もやりませんでした。

・ゼミは本当に初歩の初歩からで、論文というよりは文章の書き方からはじめ、そもそもコミュニケーション学部で何も勉強していないことを自覚させたり、本を読んで、その内容をまとめてレジュメを作らせたり、ゼミで発表させたりと、それこそ1年生並の授業で半年が終わりました。

・3年生の夏休みに卒論に向けたレポートを書かせ、その発表や修正に後半を費やし、何とか卒論の準備ができたと思いました。で、春休みの宿題として続きを5000字書いて4月のゼミまでに提出することを課しました。ところが提出したのは1人だけ。出さなければゼミへの出席は認めない。こんな通告をいいことに、前期もまるで出席してこない学生もいて、ゼミはほとんど開店休業状態でした。

・そんな状態は夏休み明けの後期になっても変わらずで、卒論の最終提出1ヶ月前に設定した提出とその後の修正作業にも、2人が反応せずで、わずか7人なのに2人も落第か、とうんざりしてしまいました。その2人は最終提出日にやっと論文を持ってきましたが、できは推して知るべしで、まあまあがんばった学生も含めて、今年は一言、「おそまつさん」というほかないものになりました。


今の若い世代について ……………………………………………………………中島 啓太

お酒とコミュニケーション ………………………………………………………福原 涼祐

遊びとスポーツの境界線にあるスケートボード ………………………三ツ橋海州

大学長距離ランナーの栄養管理 ………………………………………………堀田 将純

聖飢魔IIが日本の音楽界に与えた影響………………………………………向井 陽也

フリースタイルフットボールというカルチャーとその起源…………伊藤 在生

「ファストファッション」の成長と裏側…………………………………志村由香里