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・YouTubeのCMがひどいことになっている。何を見ても3分と経たずに中断されるから、邪魔なことこの上ない。中にはスキップできないものがあるし、ほっておくと続けて次々やったり、やたら長かったりする。フジテレビが広告なしになった分だけ増えているのかも知れない。えらい迷惑で、腹が立つばかりなのに、それでも宣伝したら効果があると思っているのだろうか。 ・前回も書いたが、フジテレビにCMを流さなくなった企業の売り上げに変化が出たのだろうか、が気になっている。もし変化なしだったら広告費は無駄だったということになる。そんなデータがいくつも出てきたら、テレビに広告費を使う企業は減るに違いない。テレビに広告費を使えば、それなりに大きな効果がある。というのはもはや神話に過ぎないのでは、という感想を僕はずいぶん前から持っていた。 ・民間放送を広告費で成立させたのはアメリカのラジオ放送だった。20世紀になって音を遠くに届ける方法が有線と無線の両方でできた時に、使用料が取れる有線を電話にし、広告費で稼げる無線をラジオにしたのは有名な話である。有線と無線を電話とラジオに使い分けることに技術的な理由はなかったのである。そのやり方はテレビ放送にも継続されたが、その歴史はまた、家電製品や自動車から日常生活に必要なさまざまな製品が発売され、普及した時代でもあった。 ・もちろん、それらは今でも日々消費されたり、買い替えられたりしているが、消費行動がCMを当てにする割合が減っていることも間違いない。ネットには様々な商品や製品を比較するサイトがいくつもあるし、Amazonや楽天で性能や値段を比較して、自分なりに判断することもできる。それにかつてはテレビCMの主流だった家電製品の多くを日本のメーカーは生産しなくなっているし、作っていたとしても、広告費を使って安価な外国製品と競ってはいない。テレビ受像機や冷蔵庫などの家電製品のCMは、実際ほとんどなくなっているのである。 ・そう言えば、トランプの関税政策で日本のメディアは大騒ぎだが、大きな影響を受けるのが自動車だけだということに、日本の経済力の衰退を改めて認識させられた。かつてはアメリカの家庭の中に溢れていたメイド・イン・ジャパンの製品は、今は関税を心配するほど売れていないのである。これでは貿易額が輸入超過になるわけである。だから、クルマが売れなくなったら、日本の経済は本当に沈没してしまう。それだけ深刻な話のようである。 ・で、YouTubeのCMだが、見ているものを中断するのはほぼ100%関心がなかったり、よくわからないものばかりである。だから音楽を聴いたり、野球の結果を見ている時に邪魔されると腹が立つだけなのだが、それでも何らかの効果があるとする根拠があるのだろうか。もちろん、僕は老人だから、もっと若い人には効果があるといったこともあるかも知れない。だとしたら、視聴している人の好みや年齢などに合わせてCMを届けるぐらいのことは、やろうと思えばできるのではないだろうか。今は何しろAIの時代でアルゴリズムが全盛になりつつあるのである。もっとも、今一番興味があることやこれから買おうと思っていることを見透かされたら、それはそれでちょっと困るし、怖くも感じてしまう。 ・ついでにいえば、電波の利用はその経済的な理由で無線がマスメディアになり、有線がパーソナルメディアになったが、100年経って完全に逆転したのも面白い結果である。電話はスマホが主流になり、インターネットは有線として発展したのである。もちろんスマホは無線でインターネットを利用しているから、無線も有線もインターネットが支配するようになるのは自明だろう。テレビによる電波の独占は、もはや時代錯誤なのである。 |







・春になって野鳥もにぎやかで、アカゲラが盛んに薪をつついている。家のまわりに積んだ薪もつつくから、餌付けしたら馴れるのではと思うほどだ。そんなわけで、ほとんどどこにも行かずに冬を過ごしたが、次は日当たりのいいところに小さな畑をつくって、じゃがいもでも植えてみようかと思っている。伐採した後に桜の苗木も植えたいし、実のなる林檎の木も植えてみたい。
・東京についてこの本で提示されている視点は、東京が3度侵略され、その度に大きく変容したということである。最初は徳川家康による江戸、2度目が大政奉還と明治維新による東京、そして3度目が大戦に負けて米進駐軍による統治と戦後の復興である。もちろん東京には縄文時代から人々が住んでいて、貝塚や古墳も見つかっている。
・「都心・再開発編」で歩いているのは下北沢から渋谷、そして麻布、四谷、新宿などである。ここでは明治時代からあった軍の施設とそれが進駐軍によって接収された影響と、戦後の西武や東急による土地買収と、ビルや住宅地への変貌ぶりが批判的に指摘されている。江戸時代の大名屋敷や戦後に困窮して手放した皇室所有の土地が何に変わったか、谷筋にあった庶民の暮らしが、どう潰されていったか。東京の現状が、歴史を残すことなど無頓着に、経済優先のやり方で進められていったかがよくわかる街歩きになっている。そのような流れは今も、そしてこれからも変わらずに続けられていて、その象徴を六本木や麻布に立てられた高層の森ビルなどに見ている。
・『名もなき者』はボブ・ディランのデビューから5年ほどを描いた伝記映画である。その初期のヒット作が次々と流れたが、それはティモシー・シャラメが自ら歌いギターやハーモニカを演奏したものだった。ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロやピート・シーガー役のエドワード・ノートンも同様で、この映画はアフレコを全く使わず歌や演奏を役者に演じさせている。にもかかわらず、見ていて一番よかったのは、そのライブ風景だった。コロナの影響で、できあがるまでに5年以上もかかったことが役者たちに歌や楽器を上達させる時間を与えたと言われている。