2025年9月15日月曜日

石破が辞めてどうなるのか

 

石破首相が自民党総裁の辞任を決めた。総裁選の前倒しが決まったり、それを受けて衆議院の解散に打って出れば、自民党が分断され、国政も混乱するといった菅や小泉の忠告を受け入れたからだと言われている。僕は総裁選の前倒しが賛成多数になるかどうかわからないし、多数になったら衆議院を解散すればいいのではと思っていた。解散には大義がないという人が多かったようだが、国政再編のための解散と銘打てば、納得する人も多かったのではないかと思う。何しろ石破やめるなという世論の声は、参議院選挙以降に上昇し続けていたのである。

総裁選前倒しは、そんな世論を無視した議員たちの愚行だと思う。石破に代わって一体誰がやるのか。彼よりましな人は誰もいないじゃないか。それに選挙に負けた主な原因は、闇金や統一教会問題に関わっても、何の責任も取らずに知らん顔を決めこんだ議員たちにあるのに、そんな連中が負けた責任を取れと吠えている。総裁選は10月になってからのようだが、それこそ政治の空白を作ってお祭り騒ぎなどすれば、自民党はますます見放されるだけだろう。

自公政権が過半数に満たないとは言え、代わって野党が政権を取りに行くこともない。おそらく自民党の新しい総裁が、また首相になるのだろうが、誰がなっても今の閉塞状況を変えることはできないだろう。その意味では石破首相が思い切って衆議院を解散して、政界再編の糸口をつかんだら面白いことになったのではと想像する。自民党の裏金や統一教会に関連した議員は公認しない。さらには同じ選挙区に刺客を立てる。そんな思い切ったことをやれば当然自民党は大混乱になって分裂するだろう。もちろん野党にも大きな変化が生じるはずで、そうなれば、政界の再編成が一気に進むことになったと思う。

石破首相や彼の少ない取り巻きには、おそらくそんな狙いもあったはずである。しかし石破はそれを決断できなかった。それはそもそも、彼の政治信念であったはずの政策、たとえば日米地位協定の見直しや夫婦別姓について、議題にすらできなかったところから始まっている。それは政治家としての彼の器の小ささを示すものである。やろうと思ったことができなかったことについて、辞任を表明した際に話していたが、それが心残りならなぜ、思い切って衆議院の解散を決断しなかったのか。おそらく後になって、彼はこのことを一番悔やむはずである。

しかしその悔やみは彼個人に留まらず、日本の将来についても言えることだろう。もう政治も経済もどうしようもないところまで落ち込むしかない。だからこそ、やけくそで、参政党のような悪霊を跋扈させる空気が蔓延してきているのである。石破辞めるなの声には、そんな不安がつきまとっていたはずである。なのに株価が史上最高値とは、いったいどういうことだろうか。今だけ金だけ自分だけ!こんな風潮とあわせてひどい世の中になったものだとつくづく思う。

2025年9月8日月曜日

収穫の秋?

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9月になったのにまだ暑い。30度を超える日が何日あっただろうか。下界では40度なんて言っているからかなりましなのだが、やっぱりこんな暑さにはまいってしまう。とは言え、小さな畑の野菜はそれなりに順調に育って、収穫できるものも少なくなかった。ジャガイモはやたら縦に延びて、実がつくのか心配したが、枯れかかったところで掘り返すと、立派なイモがいくつも出てきた。全部で10個ほどの収穫で、さっそくジャガバターにして食べた。自分で育てたこともあって、格別のうまさだった。

育てた野菜で一番の収穫はミニトマトで、すでに30個ほど食べたが、まだいくつも青い実がなっている。最初に取れた時から1ヶ月以上経っているから、これは来年も植えることにしよう。他にはキュウリが5本ほどで、シシトウが10個といったところだろうか。スナップエンドウは早かったがすぐに枯れたので、時期をずらして何本か植えることにしようと思う。

forest212-2.jpg 以前からあったミョウガは、畑にしたところを根こそぎにしたにもかかわらず、その周囲に広がったところから100個以上の収穫があって、今でも毎日いくつか見つけている。梅酢に漬けたり、薄切りして冷凍したりしたから、来年の収穫時まで楽しむことができるだろう。もちろん毎食のメニューにも入れているが、香りが強いから少し飽きてきた。

ピーマンとナスはそれなりに育っていたが、いつまで経っても花が咲かなかった。しかし、ナスに1つだけきれいな紫の花が咲いて、しばらくするとナスの実に育ってきた。収穫するにはもう少しかかるが、これは感激だった。当然、来年も植えるつもりだが、ピーマンはどうしようか。もう少し待ってみようと観察を続けている。
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forest212-5.jpg 今年植えた中で、全然ダメだったのがネギで、これは植える時期をずらすことにした。アスパラはそのままにして来年の収穫に期待するつもりだ。これから収穫する楽しみはサツマイモで、収穫した後のジャガイモの所にはりだして、元気にしている。葉が枯れはじめたら収穫ということだから、まだもう少しかかるだろう。どんなイモが育っているか楽しみだ。

夏は雨が少なかった。夕立があっ
ても我が家の周辺には降らないことが多くて、近くで畑を借りて野菜作りをしている人も、水をやるのが大変だと言っていた。我が家では時折水を蒔く程度だったが、水分をほしがる野菜には足りなかったかもしれない。養分や日当たりも含めて、来年は植える場所を考えなければいけないと思った。

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その一番はコスモスで、あちこちに種を蒔いたけれども、いまだに花が咲いていない。朝から夕方まで、一日中太陽が当たるところでないと花が咲かないのかも知れないから、来年は植える場所を変える必要がある。もう一つはジャガイモとサツマイモで、これも日当たりさえよければ耕すだけで、養分の補給はしないで育てた方がいいと思った。とにかく今年は、ほとんど世話をしなかったから、来年はもっと丁寧に育てようと思う。

2025年9月1日月曜日

沢木耕太郎『暦のしずく』 朝日新聞出版

sawaki2.jpg 沢木耕太郎の作品は一昨年に『天路の旅人』を紹介した。戦中に満州からチベットのラサまで歩いた西川一三の話で、その取材の仕方や描こうとする対象へのいつもながらの真摯な姿勢に感心した。それから3年経って、今度は時代小説である。彼にとっては時代小説はもちろん、小説を書くこと自体も初めての試みである。僕よりちょっと上だから、もう80歳近いのに新しい試みに挑戦する。その意気込みにまず興味を持った。

主人公は江戸時代の中期に生きた講釈師の馬場文耕で、その講釈を理由に打ち首獄門に処された人である。講釈師はもともと『太平記』などの古典を話して聞かせる人であったが、文耕は「世話物」と称して、その時代に起きた事柄を、取材はもちろん、創作も交えて話すことで人気を博した。その話は当然、文耕自身が作ったもので、それは写本として売られもした。沢木が注目したのは、文耕の仕事が現在のジャーナリストやルポライターという仕事の草分けと言えるものだったことにある。しかも、その仕事を理由に幕府によって打ち首獄門の刑に処せられたのだ。そんな人は現在に至るまで、日本には存在しないのである。

著者はノンフィクション作家であるから、最初はそのつもりで資料集めにとりかかった。ところが文耕に関する資料があまりに少ないことから、事実と思われることと自らの創作を合わせた時代小説に仕上げることにしたようだ。だから、創作と思われる話の間に、事実として残された資料が紹介されたりもする。そのスタイルにもまた、新しさや面白さを感じた。

馬場文耕はもともと御家人の家に生まれたが、その職を辞して浪人となり、剣の道を究めようと四国や九州に出かけ、江戸に戻って講釈師となる。貧乏長屋に住んで質素な暮らしをするが、その生き方はいたって自由である。隣の子連れ後家や芸者、あるいは講釈の舞台になる茶店の娘に好かれるが、所帯を持ったり色事に興じたりすることに興味はない。そんな人柄として描かれる文耕にはもちろん、作者の好みが投じられている。

文耕は「世話物」の題材として、郡上藩の農民一揆に興味を持つ。江戸に直訴にやって来た農民を縁があって匿い、その重税を課して農民を締め上げる藩主や家来に怒りを覚えるようになる。しかし、目安箱に入れた訴えがいつまで経っても取り上げられる気配がなく、匿った農民の身が危うくなって、懇意にしている吉原の店に預かってもらうことにする。この一件にはやがて、藩主の改易(領地没収)や、幕府の老中や若年寄の罷免といった裁定が下されるが、一揆を起こした農民たちにも重罪が課されることになる。

文耕はこの事件を「写本」に書き、講釈をする決心をして、実行する。庶民の話なら構わないが、武家や幕府に関わることを「写本」の題材にしたり、「世話物」として講釈することは幕府によって厳しく禁じられている。文耕が捕らえられるのは当然だが、打ち首獄門といった刑に処せられるほどの罪とは思えない。そんな疑問のためか、この小説では、打ち首にされたのは別人で、文耕は逃げおおせたことが暗示されて終わりになっている。

文耕はまだ御家人であった若い頃に、当時旗本で、後に出世して老中になる田沼意次と昵懇(じっこん)になる。その縁で講釈師になってからも関わりを持った。彼を介して将軍の家重に講釈を聞かせたりもしたのだから、獄門の刑に処せられるわけはないはずである。表向き見せしめとして厳しい処罰を与えながら、実際には無罪放免にした。それは史実にはない作者の創作だが、本当はそうだったのかも、と思いたくなるような物語だった。

2025年8月25日月曜日

メディアに対する疑問、不安、そして怒り

 

参議院選挙後すぐに、「石破退陣」という見出しがいくつもの新聞に躍った。読売は号外も出したのだが、石破首相はいまだに辞めていない。しかもどの新聞社も「退陣」が誤報だったと認めていない。いったいどういうつもりなのだろう。その新聞が、石破首相の続投を望む声が高くなっていることを世論調査で発表している。退陣報道が一種の世論操作だったとすれば、それが全く効果なしだったわけで、今さらながらに新聞の影響力のなさを実感した。

その参議院選挙で「参政党」が大躍進した。「日本人ファースト」というスローガンが功を奏したと言われているが、それは選挙活動をSNSで配信して、多くの人に浸透させる戦略の勝利だとも言われている。選挙でネットが強力な武器になることは兵庫県の知事選や都知事選、そして都議選でも明らかだったが、今回もまたそれが立証されたのである。その「参政党」の政策について新聞は強い批判を浴びせているが、それで支持率が下がったわけではない。これもまた新聞の影響力のなさを証明するものである。

新聞の発行部数はどこも大きく減っている。特に若い世代には読まれないから、ますます影響力をなくすのは明らかだろう。僕は毎朝読むことを半ば習慣のようにしているから、まだ止めようとは思っていなかったが、「退陣」の誤報とそれを謝罪しない姿勢には呆れて、もう止めようかという気になっている。嘘偽りが平気で拡散するネットがますます強力になっているのだから、新聞にはもっとがんばってほしいという気もあるのだが、頼りないことこの上ないのである。

もっともネットには、知りたいことを検索すれば、その情報が豊富に蓄積されているといった一面もある。たとえば大阪万博では会場の設営に当たった業者にその代金が払われていないといったケースが多発している。それを伝えて問題視するのはフリーのジャーナリストが多く、また当事者が直接発する声が載っていたりする。現在わかっているだけで7つの国の会場に関わった19社で、中には億単位の被害にあっていて、倒産の危機にあるところもあるようだ。ところが多くの新聞は、この問題を小さくしか扱っていない。

万博批判に消極的なのは今に始まったことではない。これは新聞社自体が協賛していたり、関連の広告収入があるためだと言われている。地下鉄の故障で万博会場や駅に足止めになって夜明かしをした人が3万にもいたそうだ。ものすごい数で、猛暑の中体調を崩した人も多くいただろうと思う。これもネットには、足止めされた本人の書き込みなどが溢れたのだが、新聞の報道はごく小さなものだった。

新聞はジャーナリズムを代表する機関で、社会を正確に映しだす鏡であるべきだと言われてきた。しかしその影響力が弱まった今、新聞にとって重要なのは企業として生き残るための方策なのである。もっともこの点でもっと露骨なのはテレビだが、このメディア、とりわけ民放についてはもう見限っていて、批判する気さえなくなっている。ネットのSNSには両刃の剣といった特徴がある。匿名だから何を言ってもいい。騒ぎが大きくなるならどんな手段を使ってもいい。そんな傾向が野放しになっている。これもネットを支配する企業が利益優先の方針であるからで、規制する策をほどこさなければますますひどくなるばかりだと思う。

2025年8月18日月曜日

避暑地の暑さ対策

 

このコラムでは去年の7月にも「異常な暑さが当たり前になってきた」と書きました。今年は、その暑さがいっそうひどくなったと思います。何しろ全国的には40度超えが珍しくなくなったのです。もちろん、まだ8月ですから、これからも暑い日は続きます。テレビの天気予報では、危険な暑さですから、エアコンを使ってできるだけ涼しく過ごすようにと繰り返しています。そう言えば、夏の電力不足を言わなくなりました。原発がいくつも再稼働されているせいでしょうか。

暑さが年々ひどくなるのは我が家でも一緒です。その対策として今年は強力な除湿器+加湿器を購入しました。温度が上がる日中は外の風を入れるために窓を開けますが、夜には閉めて除湿器を働かせることにしました。それで涼しさを感じたわけではないですが、毎年悩まされてきたカビが出なくなりました。大助かりでしたが、やっぱり来年のためにエアコンを入れようかと考えはじめています。ここに住みはじめた頃には考えもしなかったことですが、4半世紀で全く変わってしまいました。

夏は毎年長期の旅行をしてきました。しかし、一昨年に東北旅行をした時の暑さに懲りて、もう夏にはどこにも行かないようにしようと決めました。我が家も暑いですが、それでも避暑地ですからずっとましです。もっとも歳のせいか、長い時間運転すると目の疲れを自覚するようになりました。一日中、何百キロも運転するのはもう無理かも知れません。四国の巡礼や九州一周をしたのが懐かしくなりました。そう言えば、「Photo Album」に載せた一番新しいのも一昨年の上高地ですから、もう2年あまり長距離を運転する旅行はしていないことになります。

ところが猛暑にもかかわらず、人々はあちこち出かけているんですね。テレビに映される繁華街の人出はいつもと変わらないようですし、万博にも大勢の人が出かけているようです。その分熱中症で救急搬送される人も増えているようですが、老人には命をかけた外出のように感じられます。今年の8月の連休はあいにくの雨で、外出を控えたり、諦めたりした人が多かったようです。しかし、お盆休みの人出は河口湖も結構なものでした。

気候の変動は暑さばかりではありません。一旦天気が崩れれば、今度は大雨で、線状降水帯なるものが出現して、あっという間に洪水ということになりました。これもここ数年あちこちでおこっていますし、それはもちろん日本に限りません。好天が続けば乾燥して、山火事も起きています。温暖化を食い止めるために二酸化炭素の排出量を制限しようと言い始めてずいぶん時間が経ちました。しかし、それが進むどころかトランプ大統領が温暖化と二酸化炭素の排出量の関係を否定して、どんどん石油を使えと喧伝していますから、もう気候変動が加速化するのは避けられないと思います。

これから加速度的に天候が極端なものになっていくとしたら、一体どうやってそれをやり過ごしたらいいのでしょうか。熱波が襲う。集中豪雨に見舞われる。山火事が頻発する。そんな災害がいつどこで起こるかわからないのです。どこにも行かずに家にいたらいい、というわけにもいかないのです。そんな心配が他人事ではない気がしますが、せめて、この暑い夏を少しでもましに過ごして、体調を崩さないよう心掛けることにします。

2025年8月11日月曜日

石破辞めるなにちょっとだけ賛成!

 

参議院選挙で自公が過半数を割った。さっそく党内から退陣要求が声高に叫ばれ、毎日やサンケイが一面大見出しで「退陣」と書いた。読売は号外まで出したのだが、石破首相は辞めるとは言ってないと否定した。面白いのは官邸前で「石破辞めるな!」と叫ぶ人たちが多数集まって、その中には自民党支持者でない人がかなりいたことだった。僕はこの動きに、それはそうだとまず思った。負けた原因が石破政権の失政にあったわけではないと思ったからだった。

石破首相の退陣を迫ったのは旧安倍派の議員たちである。しきりに責任を取れ!と迫ったのだが、彼らはヤミ献金の責任を全く取っていないのである。責任を取れなどと言うのはちゃんちゃらおかしい話なのだ。あるいは、二世や三世の若手議員の中から勇ましい声が出たが、青年局の懇親会にダンサーを呼んで過激な踊りをさせたことが蒸し返されると、急にトーンダウンをしてしまった。さらにヤミ献金や統一教会との関係の首謀者である萩生田議員について、検察が一転して不起訴を起訴に変えると、旧安倍派の声も小さくなったようだった。

自民党が負けたのは、何よりヤミ献金や統一教会との関係が批判され、それらがうやむやになってしまったところにある。それが石破政権の支持率が上がらない原因だったのだが、党内基盤が弱い政権にとっては、大鉈を振るうことはできなかったのだと思う。石破首相には以前から米軍基地や地位協定、あるいは原発などについて独自の発言があったのに、首相になるとそのほとんどを引っ込めてしまって落胆させたという理由もある、しかし、これも実行するには自民党内の抵抗があまりに強かったのだと思う。

党内の退陣圧力に対して、石破首相は粘り腰でこらえている。彼にはそれなりの勝算もあるのだと思うが、その態度の一端が広島原爆の日の式典での石破のあいさつだった。これまでの首相のあいさつは官僚の作った文章をコピペのように繰り返すものだった。広島出身の岸田もそうで批判されたのだが、石破のあいさつは彼自身が考えたもので、彼自身の思いを述べたものだった。それは長崎の式典でも独自なものとして発言され、どちらも評価の高いものだった。

歴代の首相は10年刻みで、第二次大戦についての談話を発表しているが、今年は戦後80年で、石破首相はその談話を出すつもりでいた。しかし、これについても党内から批判があり、新聞は談話を発出しないと書いたのである。ところがこれについても首相は何らかの談話を出すつもりだと発言して、新聞記事を否定している。おそらく、彼は安部の70年談話とは違うものを出すつもりでいるのだと思う。それにしても、この間の大手の新聞の姿勢には、もうダメだと切り捨ててしまいたくなった。そもそも「退陣」と報道した新聞はどこも、それが誤報であったと認めていないのである。

「石破辞めるな!」にちょっとだけ賛成と思うのは、彼が考えていることの多くを棚上げにしたことについて、批判があるからだ。もしこの難局を乗り越えて政権を続けることができたのなら、思い切ってやりたいことをやるといった姿勢に転じたらどうだろう。党内の抵抗は世論の支持を背に跳ね返すことができるかも知れない。かつての小泉政権がとった戦略だが、僕は一縷の希望をここに見出したい気になっている。もっとも、石破降ろしが実現したら、自民党がますますダメになるだけだから、それはそれで良いのではとも思っている。

2025年8月4日月曜日

暑い! 暑い!!

 

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それにしても暑い。と言うと、甲府の人には怒られるかも知れない。甲府は連日40度に迫る気温で夜も熱帯夜だという。一山越えた河口湖も30度超えが続いているが、夜は涼しくなる。そのぐらい我慢できるだろうと言われたら返すことばはないが、毎年暑さがひどくなるのはどこでも変わらないだろう。もう河口湖は避暑地だとは言えなくなった。もっとも我が家の庭には欅の大木が4本あって、それが家や庭を覆っている。家に帰ってくるとひやっとした気持ちになるから、かなり救われている。

forest211-2.jpg 大地震が来るといった予言でアジアからの団体客が一時激減したようだ。とは言え、湖畔に出れば主に白人の観光客の多さは相変わらずだ。日盛りでもものともせず自転車に乗ったり歩いたりして湖畔で楽しんでいる。
僕も自転車を週2回のペースでがんばっている。ただし走るのは早朝で、それもだんだん早くなっている。5時に起きて6時過ぎに出れば、人もクルマも少なくて、それほど汗もかかずに湖畔を一回りすることができる。時にはがんばって西湖にも行くが、時間がかかるようになっているのは年相応で仕方がないと諦めている。とにかく転んで怪我などしないことだ。

庭に出て何か作業をする気にはとてもなれない。やることといえば、野菜の出来具合を見に行くぐらいで、スナップエンドウから始まって、プチトマトとシシトウ、それにキュウリを収穫した。ネギは消えてしまったし、アスパラは細くて食べられるものではなかった。ナスは花が咲かないし、ピーマンも実がなる兆候はない。やたら背が高く伸びたジャガイモと、横にはい出すサツマイモがどれほどの芋になっているかは、まだ確かめていない。畑の周囲に残したミョウガはいつになく大きく育っている。もうちょっとしたら実が出るのだが、果たしていくつ収穫できるか。

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まだ8月になったばかりだから、暑い日はまだまだ続く。外でやることはないし、暑くてやる気もないから、昼はもっぱら大谷君の試合観戦だ。ドジャースはけが人ばかりだが、それでも首位を明け渡したことがない。大谷君も三振ばかりだが、ホームランは去年以上に打っている。さて、今年もワールドシリーズまで楽しませてくれるだろうか。