2005年10月25日火曜日

info@〜というスパム・メール

 ジャンク(スパム)メールは相変わらず多い。さまざまな規制が行われてもいっこうに減らないから、ほとんどあきらめているが、しかし何とかならないものかと腹が立つ機会は何度もある。特に旅行中はそうだった。たまにしか開けないから数百通のメールが一気に届いた。


メール・ソフト(Thunderbird)が自動的に「迷惑メール」を識別してゴミ箱に移動してくれるから、受信トレイには必要なものしか残らない。驚くほど賢くて感心してしまうが、一応ゴミ箱もチェックすることにしている。捨ててはいけないものがまぎれこんでいるからだ。しかし、旅行中はネット・カフェで勝手がわかりにくかったせいもあって、しっかり確認をしなかったら、いくつか必要なメールが消えてしまうことになった。


ここ数ヶ月、異常に増えているのは"info@〜"という送信者名のついたものだ。メイリングリストと間違いやすい書式で、ジャンク扱いされないようにする巧妙な工夫だと思う。これに「ご連絡」だとか「ニュース」などという題名がついていると、メール・ソフトも最初はジャンク扱いにしなかった。しかし、くるものを次々ゴミ箱送りにしていたら、最近ではほとんどを自動的に処理してくれるようになった。もっとも、ときどき必要なものがゴミ箱に直行してしまうから、気になって、ゴミ箱を開けてリストだけは眺めなければならない。


中身を開けることは最近ではほとんどないのだが、相変わらず「出会い系」や「アダルト」が多い。商品情報が中心の英文メールに比べると、その違いはあまりに大きい。毎日数十通もくるから、それなりに効果があるのだろうが、本当にあきれる内容ばかりである。たとえば、比較的おとなしいものを紹介してみよう。

成年男性の皆様へ。
 唐突なメール大変申し訳有りません。今回は30代以上の女性を主にご紹介したく 思いましてメールいたしました。30歳過ぎると女性は今までの性欲以上に過激なSEXを求めるようなのです。一切の躊躇もせず、大胆且つ刺激的なSEXができるなんて、とても素晴らしいことだと思いませんか?(info@bkdjeu.com)

只今男性会員不足なので、女性会員から逆指名されたケースが非常に急増しており、当サイトは貴方を指名した女性会員のメッセージだけではなく、直アドと写メ(公開中)も無料で貴方に配信致します。面倒な検索は一切不要です。(info@effk.com)
ぼくのところにこの種のメールが多いのは、メールのアドレスを公開しているからだと思う。そして同じように、HPで公開しているぼくのパートナーのところにも、同様のメールが同程度に舞い込んでくる。HPで発信し続けるかぎりは仕方がないとあきらめているが、最近父親から「変なメールが大量にやってきて困る」という相談をされた。すでに80歳を過ぎていて、HPなども公開してはいない。インターネットを時折利用する程度だからアドレスがわかるはずはないのだが、どうしてなのだろうと思ってしまう。考えられるのはプロバイダーの情報が流出したということだろう。そういう可能性も含めて苦情をいうことと、アドレスの変更を勧めたが、大手のケーブル会社だから、かなりの数のデータが漏れたのかもしれない。(こんなふうに書いていたら、たまたまNTTが形態のメルアドを何万件もネットに晒していたという記事を見つけた。)


この手の迷惑メールの発信先は圧倒的にアメリカだったのだが、最近では韓国や中国からのものが多いようだ。インターネットは国境を無視するから、なかなか対応が難しいし、規制をしても必ず新しい抜け道が見つけられてしまう。だから、ソフトの改善も含めて、後手後手にまわるのは仕方がないのだが、大きな被害が出ないことを望むばかりである。


迷惑メールといえば、ネットで買い物をすると拒否してもやってくるものがおおいことも付けくわえなければならない。一番悪質は楽天で、何度拒否してもしつこくやってくる。だから楽天では買い物はしないことにしているが、最近はAppleやAmazonからもやたらに送られてくる。必要なときにはこちらからアクセスするし、ほとんど用のないものばかりだから、これらも拒否しようかと考えている。


ネットがマスコミに対抗できるものになりつつあることはソフトバンクやライブドア、それに楽天などの鼻息の荒さでもよくわかるが、儲けのためには相手お構いなしという姿勢が、あらゆる面で露骨なのではないかとも思う。インターネットは個々のネットの互助努力によって成立している。このことが全く忘れられてしまっているのではないだろうか。 

日時:2005年10月25日

2005年10月18日火曜日

ロナルド・ドーア『働くということ』(中公新書), リチャード・セネット『それでも新資本主義についていくか』(ダイヤモンド社)


・阪神やTBSの株買収でにぎやかだ。ホリエモンの日本放送買収以来だが、今度はあまり支持する気にならない。村上ファンドは短期的な利益という手法が露骨だし、楽天は二番手で実利を得るというやり方が気に入らない。いずれにしても、金儲けしか考えない貪欲さばかりが目立つ気がする。
・株を買い占めて企業の経営に参加する。それは株式制度の原則だが、日本ではこれまであまり一般的ではなかった。株主総会は儀礼的なもので、せいぜい総会屋がいちゃもんをつけるという程度のものだった。それが最近、様変わりしている。どんな大企業でも、一度目をつけられたら、あっという間に買収されかねない。そんな危険はアメリカではずいぶん前から日常茶飯のことだったが、日本でも頻繁になるのだろうか。
・日本の企業はこれまで、信頼関係にあるもの同士で株を持ち合って、買い占めを予防してきた。そのような体質が馴れ合いとして批判され、市場に晒して体質を強くしなければ、海外からの資本の流入に対応できないといった論調が自明のことになってきた。
・ところが一方で、「生き残り」を理由に働く人たちにかかる圧力や時間の拘束は大きくなるばかりだし、雇用形態をパートやアルバイトに変えて人件費を削減するといったやりかたも露骨だ。「サービス残業」などという奇妙なことばが使われても、力の弱くなった労働組合には、強く批判して抵抗することもできない。

dore1.jpg・ロナルド・ドーアの『働くということ』は、このような変化を「従業員主権企業」から「株主主権企業」への移行だという。村上ファンドの言い分はまさにこの通りで、「株主の声を聞け」が脅し文句の一つになっている。企業は株主のためにある、ということになると、従業員は何のために働くのだろうか。自分のために働いて、正当な報酬を得る、ということだとすると「サービス残業」をなぜしなければならないのかわからなくなる。そんな理不尽さに嫌気がさして転職をしても、どこも似たようなものだから居心地は変わらない。


1993年からの10年間、正規労働者が9%減っている代わりに、パートタイム労働者が31%、フリーターが83%増え、さらに派遣労働者(まだ全体の1.3%ですが)が342%増えました。非正規労働者は全体の20%から37%に達しています。(p.101)

・「市場原理」を第一にすれば、当然、勝ち負けがはっきりする。しかも勝つのはごく少数で、大半は敗者になる。これはアメリカが昔から是としてきた原理で、だからこそ、「アメリカン・ドリーム」が現実味を帯びた目標になり続けてきたし、「不平等社会」を黙認する理由にもなってきた。ドーアはしかし、そのような傾向がアメリカでも、一層顕著になっているという。

アメリカ企業トップ100社のCEOの所得は……1970年には平均的従業員のサラリーマンの39倍だったのが、今日では1000倍以上になりました。(pp.136-137)

・ドーアはこのような変化の原因として、1)低賃金の発展途上国による競争の激化、2)技術変化によって引き起こされる技能割増金の拡大、3)スーパースター現象の三つをあげている。先進国では単純労働はますます低価値になり、新しい技術や技能を習得した者が有利になる。とりわけ、突出した者に桁違いの価値がつくというわけだ。このような現象はもちろん、アメリカでも「不平等化」をもたらす問題として深刻だが、いったい日本人にどれだけのストレスになるのか、空恐ろしい気がしてしまう。

sennett1.jpg・リチャード・セネットの『それでも新資本主義についていくか』(ダイヤモンド社)には、このような経済システムの大きな変化が「フレキシブル」「リエンジニアリング」「ネットワーク」「キャリア」といった新しい魅力的に見えることばとともに押し寄せてきたことが力説されている。「ニュー・エコノミー」は「キャリア」を持続的で一貫したものから短期的でフレキシブルなものに変えた。また、組織をピラミッド的なものからネットワーク型に変えた。あるいは過去にとらわれない大きな変化をよしとする「リエンジニアリング」という手法を一般的にした。そして実際、このような手法をいち早く導入し、意識の高い人を集めた会社が成功し生き残ったというのである。セネットはその典型例をIBMの凋落とマイクロソフトの台頭に見ている。
・しかし、このような変化は、働く人びとにはいったいどうなのだろうか。『それでも新資本主義についていくか』の視線は当然、そちらのほうに向けられている。たとえば、勤務時間のフレキシブルな管理には、労働の世界に多くの女性が参加したことが理由にあげられるが、一部の恵まれた従業員の特典にはなっても、多くの人には低賃金のパートタイムでの仕事の増加にしかなっていない。時間を自由に決められるパートタイム労働は、安価な労働力となって、働く者よりは雇用する者を利しているのが現実だという。その意味では、フリーターの増加は、若い世代の自発的な選択ではなくて、労働市場に大きな原因がある。
・状況がけっして良くないのは、勝ち上がったと思われる人たちにも散見される。勝つためには「リスク」を恐れてははじまらないが、それは時にはリスクを回避するといった冷静な判断を躊躇させてしまう。「人びとが賭に打って出るのは、自負心からではなく、打って出ないと、最初から負けと認めることになるからだ。一人勝ち市場に参入する人は、失敗の可能性を知っていながら、それには目をつぶる」(p.120)ことになりがちだからだ。仕事が、あるいは人生が、ゲームやギャンブルになってしまうのである。そんなリスクの経験は遊園地の乗り物やスポーツ観戦で十分と思うのだが、どうだろうか……。
・フレキシブルでネットワーク型の職場には年齢を重ねることで積み上げられていく「キャリア」は必要ない。だから、歳をとればその職場には居づらくなる。私はほんのつかの間必要とされる人間に過ぎないから、そこには信頼関係も生まれにくくなる。長い人生を生きていく上で仕事とはいったい何なのか。そんな疑問が当然おこることになる。感覚的に鋭い若い人たちが、そんな世界に踏み出したくないと考えてしまうのももっともだと言えるのかもしれない。自己破滅を招くのはあきらかに、無欲ではなく貪欲のほうだろう。生きにくい社会になってきたな、とつくづく思う。 


2005年10月11日火曜日

ヴェロニカ・ゲリン

 

・イギリス・アイルランド旅行の余韻をいまだに楽しんでいる。BSで放送している欧州鉄道の旅は出かけるまえにもよく見ていたが、帰ってきても欠かさずに見ている。すでに再放送で、何度もやっているものだが、乗った列車や見た車窓の風景などがあると、また印象がちがう。
・おなじことは映画にも言える。ロンドンが舞台の映画などに出くわすと、ストーリーなどは関係なく、移る風景に関心が向いてしまう。一度現地に行くと、感覚的にどのあたりなのか察しがつくから不思議だ。もっとも逆はあまり役に立たなかった。『ノッティイングヒルの恋人』を直前に見ていて、実際に行ったのだが、映画のイメージとはずいぶん違っていて、どこがどこだかわからなかった。映画は実際の地理には関係なしにつくられたりする。だから、見る側に地理的な感覚がインプットされていなければ、どうしようもない。逆に見覚えのある風景なら、ほんの一瞬でも気づくといったことだろうか。
・同じような興味で、たまたまwowowで放映していた『ヴェロニカ・ゲリン』を途中から見た。アイルランドのダブリンが舞台で、麻薬密売ルートを取材して、ボスを突き止めるジャーナリストの物語だ。1996年に実際に起きた事件をもとにしているという。記者は殺されるが、それを機会に麻薬ルートが明らかにされ一掃されたらしい。勇敢な女記者を中心にしたストーリーだったが、関心はもっぱら、風景とサウンドトラックにむいてしまった。
・アイルランドの治安はよくない。特にダブリンは気をつけろ、といった話はよく見かける。以前に紹介したことがある栩木伸明『アイルランドのパブから』は、アイルランドに行きたい気にさせた一冊だが、それほど物騒ではないことを教えてくれたと同時に、アパートに泥棒が入ったり、近づいては行けない地区があったりということも認識させた。
・ダブリンには二泊したが、歩き回ったのはほとんどにぎやかなところか観光客がたくさんいるところだった。鉄道の駅やホテル、あるいは飛行場の間はバスや路面電車を利用した。歩いてい行けない距離ではないところでもそうしたが、突然物騒な一角に入り込む危険性があるといったことが旅行案内に書かれていたからだ。映画の舞台になったのは、当然、旅行者は危ないから近寄るな、といわれているところで、どこがどこだかさっぱりわからなかった。
・ヴェロニカ・ゲリンが麻薬に注目したきっかけは、麻薬中毒で死ぬ少年少女の存在だった。学校にも行かず、仕事もせず、路上でたむろする子供たちと、彼や彼女たちを食い物にする麻薬シンジケート。どこの国にもある闇の部分だが、アイルランドでは、それはごく日常的な風景の一つに過ぎなかった。イギリスに属する北アイルランドの独立を求めた運動は、IRA(カトリック系武装派アイルランド共和軍)によるテロなどの過激な行動が続いていたし、国の経済は立ち後れたままだった。
・アイルランドが変貌するきっかけは1990年の女性の大統領、メアリ・ロビンソンの登場以降だといわれている。1993年にイギリスとの間ではじまった北アイルランドを巡る和平交渉は紆余曲折があってなかなか進展しなかったが、政治や経済の改革は進んだ。ゲリンの事件は、そんな大きく変貌するアイルランド社会を象徴する出来事だったといえるかもしれない。
・映画はもちろん、そんなアイルランドの歴史や現状を強調したりしない。暴力や脅しにもひるまない勇敢な女性記者のヒロイックな物語に仕立てあげられている。その意味で言えば、不満が残るが、主人公のヴェロニカ・ゲリンを演じるのはケイト・ブランシェットで、監督は『バットマン』や『オペラ座の怪人』をつくったジョエル・シュマッカー。これは正真正銘のハリウッド制作の娯楽映画なのである。もっとも、当然ながらサウンドトラックにはアイリッシュ音楽が流れていて、その最初と最後にはシニード・オコーナーが使われていたから、早速購入してしまった。
・アイルランドの変貌は現在進行形である。その様子はたった数日滞在した旅行者の目にもよくわかった。変わったところ、変わらないところ、そして変わりつつあるところ。音楽だけでなく、国そのものの歴史や現状にますます興味を持ち始ていて、次はいつ、どこへ行こうかなどと考えたりしている。「アイルランドにはまるとくりかえし行きたくなる。」旅先で出会った日本人の青年のことばが、ここにきて実感として理解され始めている。

2005年10月4日火曜日

大工仕事、内と外

 

forest46-1.jpg・イギリスから帰ってしばらくは時差ぼけに悩まされた。河口湖とはいえ、湿気の多い暑さにも参ったし、旅の疲れもあった。だからぼやっとして何もしない日が数日続いたのだが、しばらく前から気になることがひとつあった。休みが終わる前に、玄関と庭先のバルコニーのペンキを塗らなければならないことである。

・で、改めてバルコニーを点検すると、玄関先の板のほとんどに腐りがある。「うわー、まいったなー」と思ったが、ペンキでごまかしても、何年ももつわけではないから、木を張り替えることにした。まずは材料の調達。近くのホームセンターで木を買い、車で運んだが、2m40cmの長さだと助手席を倒してフロントガラス近くまできてしまう。急ブレーキをかけたらガラスを割ってしまうかも。だから片手で運転して、左手は木を押さえるという形になった。翌日からすぐに修理を始めようと思ったのだが、天気が悪い。それで一週間ほど待たねばならなかった。

forest46-2.jpg・作業は単純だが力がいる。柵を分解し、板の釘を全部抜いて取り除く。はがすと外からは見えなかった腐りがまた数本見つかった。柵も変えた方がいい。しかし、さいわい、土台にも湿りはあるが腐ってはいない。そこで中断して、ホームセンターに追加の材料を買いに行く。
・作業再開。新しい板をかぶせていく。次は釘打ち。10cmほどもある長い釘だから、一本打ち込むのにもかなり叩かなければならない。しばらくやっているうちに手がくたびれていたくなってきた。で、一日目は途中で終わり
・二日目は残りの釘打ちをし、板にペンキを塗り、柵を作った。同じ長さの棒を買ってきたのに隙間ができるのが何本もある。きちっと切っていないのか板にゆがみがあるのか。柵ができあがると二回目のペンキ塗り。予定よりペンキの消費量が多い。庭先のバルコニーを塗るほどは残っていないのでまたホームセンターに出かける。ついでに階段用の板も買っておくことにした。

forest46-3.jpg・三日目は庭先のバルコニーのペンキを塗った。こちらの方が三倍ほどの広さがあって、塗るだけで一日かかってしまった。余裕を持って買ってきたはずのペンキもなくなってしまって、重ね塗りするためにはまた買いに行かなければならない。買ったものにほとんど無駄はなかったが、3万円ほどかかった。大工さんとペンキ屋さんを頼んだら10万円はかかるかもしれない。できあがりもまずますで、気分良く仕事を終えた。
・バルコニーにおいているゴシップチェアにはオーク・レッドのペンキを塗った。半透明だからカビでまだらになった木面は変わらないが、少し赤くなって落ち着いた感じになった。今度はこの色でログを塗ろうか、と考えたが、面積の広さはバルコニーの何倍もあるし、高いところにはハシゴを使わなければならない。木が腐っていることはないが、汚れを落とすのにもかなりの時間と手間がいる。やるのなら積んである薪がなくなる春先なのだが、さあどうするか。

forest46-4.jpg・そんなわけで、数日、トントン、カンカンとにぎやかだったのだが、じつは家の中でも数日前からガリガリという激しい音がする。屋根裏に済んでいるムササビが木をかじっているのである。どうも繁殖期になるとはじまるようだが、今回はいつになく激しい。壁を叩いてやめさせようとしても一切関知しない。「おいこら、いい加減にしろ!」などとどなっても、何の効果もない。普段は昼は寝ているのだが、いつまでたってもガリガリやっている。2階の屋根に上がって下をみると、軒先の屋根に木くずが落ちていたりするから、見逃すわけにはいかないという気になってきた。

・ムササビは夜行性で夜8時頃出かけて朝4時頃に帰ってくる。どうも2匹いそうだと思ったのだが、早起きのパートナーが、帰ってきたムササビにカメラを向けた。姿はわからないが目の輝きが2個所にある。彼女を見つけて、住まいをリフォームしようというのだろうか。あるいは、出産の準備なのか。いずれにしても困ったことで、どうしようか悩んでしまっている。野生の生き物との共生というのは何とも美しいイメージだが、巣の様子を確認できないから、心配の種は尽きない。

2005年9月27日火曜日

ディランの海賊版と自伝

 

dylan1.jpg・ディランの海賊版(Bootleg)は無数に出ていたが、そのオフィシャル版もすでに何種類も発売されている。"No Direction Home"はその新作でマーチン・スコセッシが編集したドキュメントのサウンドトラックということになっている。DVDで発売されているが、アメリカではテレビ放映されたというから、日本でも放送されることを期待して、僕は買わないことにした。

・海賊版はコンサートでの隠し録りやミュージシャンが売り込むためにつくるデモ・テープ、あるいは没になったスタジオ録音などさまざまだが、ディランの海賊版はその多様さや売り上げからいっておそらく1番だろうと思う。海賊版はレコード会社にとっては何ともやっかいな存在で、そのためにオフィシャルのアルバムが売れないということもおこるのだが、ディランについてはそれを逆手にとって海賊版シリーズを音のいいヴァージョンとして売り出している。1966年の伝説的なコンサートや75年の風変わりなライブ・ツア、あるいはデビューから現在までのライブをまんべんなく網羅したものなど、ファンにとっては見逃せないものがたくさんあって、僕もそのほとんどを買ってきた。"No Direction Home"はデビュー前のものから大きなヒット曲となった"Like A Rolling Stone"まで多様だが、ほとんどが未発表のものでなかなかいい。同じ曲をちょっと違うからという理由で、何曲も手にして喜んでいるというのはマニアックと言われてもしかたがないが、やはりディランだけは別格、という理由を口実に何度も聞いて喜んでいる。聞いているとスコセッシのドキュメントが見たくなる。DVDにしておけばよかったなどと考えていて、ついでに買ってしまおうかという気にもなっているから、しょうがないといえばしょうがない。

dylan2.jpg・ディランについてはCDやDVDだけでなく、つい最近本も発売された。『ボブ・ディラン自伝』(ソフトバンクパブリッシング)という題名の通り、ディラン本人による伝記である。ちなみに原文のタイトルは"Chronicles"で、Dylanとつけないところ、複数にしているところが何とも奇妙でおもしろい。著者がディランなのだから題名に名前はいらないということだろうか、複数になっているのは続編があるからということらしい。
・だいたい自伝というのはおもしろくない。過去は美化して、あるいは都合よく記憶しているものだし、文章にしようとすれば、気取りが出るし、脚色もしたくなる。ふれてほしくないところ、誤解してほしくないところなど、他人が書けば一番注目するところがふれずじまいといったこともある。だから、読みはじめるまでほとんど期待していなかった。

・ところが、読みはじめたら止まらない。彼の伝記は何種類も読んで、特に若い頃の話などは自分のことのようにわかっているはずなのに、新鮮な感じがしてとりこまれてしまった。本の章構成は時間通りではない。話題はあっちに行ったり、こっちに来たりする。知らない実名もたくさん登場する。だからわかりにくいはずなのにリアリティがある。理由はその克明な記述にあるのだと思う。彼は毎日日記をつけていたのかもしれない。でなければ、とんでもない記憶力の持ち主なのか。いずれにしても、その具体的な描写には驚いてしまった。

・ありありと想像できる描写のほかにもう一つ、とてもすがすがしい感じを覚えながら読んだ。その理由は、登場人物に対する敬意というか信頼が感じられたことだ。特に若い頃のディランは皮肉屋で辛辣な発言が多かったから、素直さと淡々とした文体は意外な感じがした。年の功なのかもしれない。

・ニュー・ジャージーの病院に入院するウッディ・ガスリーを見舞いに行った話、ジャック・エリオットを知って、その才能に驚愕し、自信喪失した話、ディブ・ヴァン・ロンクのかっこうよさや知識に憧れ、なおかつステージの仕事を世話してもらった話。彼はニューヨークに来て一年以上も、たまたま知り合った人たちの家に居候して暮らしている。そこでただ飯を食い、レコードを聴き、蔵書を読んで勉強もしている。本にしてもレコードにしても、それぞれにこだわりのあるコレクションばかりだったから、それを吸収することでディランが得たものは計り知れなかったようだ。

・この自伝は、そんなデビュー前のニューヨークでの生活から始まって、次にはウッドストックに隠遁していた時期の話に移る。反戦運動、あるいは対抗文化運動の旗手としての役割を押しつけられることの苦痛、苦悩が語られている。妻や子供との生活が乱され、次々と居場所を変えて落ち着くことのできない日々が思い出されている。ウッドストックのコンサートはディランの登場を当てにして行われたものだが、そんな主催者の思惑にディランが乗るはずもなかったことは、この本を読むとよくわかる。そして最後は、故郷と家族、それにミネソタ大学に通った話、あるいはニューヨークでした最初の恋愛の話になる。

・この第一話には、ディランが華々しく活動していた時期のことは何も書かれていない。一見バラバラに思える章立てだが、行き先のわからない迷いの時期という点では最初から最後まで一貫していて何の違和感もなかった。思いつきのように見える構成も、実際にはずいぶん考えた上でのことだということがわかる。続編が待ち遠しい。

2005年9月20日火曜日

ユートピアについて

 

yutopia1.jpg・ユートピアについての本を読んでいる。もっとも最近書かれたものはない。ユートピアということばもあまり使われない。それではなぜユートピアかというと、ライフスタイルについて考えるためである。現在の日本人の生活や生き方はいいものなのかどうか、理想に近いものなのか、あるいは遙かに遠いものなのか。それを考えるための尺度として、古今東西のユートピア論、ユートピア小説を読もうと思ったのである。


・いわゆる「ユートピア」と名がつく物語はそれほど多くはない。誰もが名前ぐらいは知っているトマス・モアの『ユートピア』とウィリアム・モリスの『ユートピアだより』ぐらいかもしれない。けれども、理想郷をテーマにしたものは、モア以前から存在するし、モリス以降にもたくさんある。あるいはSFなどに目を向ければ、これはもう無数と言ってもいい。とても全部というわけにはいかなかったが、そのいくつかと数冊の「ユートピア論」を読んでみた。


yutopia3.jpg・トマス・モアの『ユートピア』は、1515、6年頃に書かれている。当時のイギリスの政治や社会の状況を痛烈に批判した風刺小説という意味合いが強い。『ユートピア』はラテン語で、あくまで人に聞いた話として書かれたが、それは彼が時の国王ヘンリー8世の下で重要な地位についていたからである。ヘンリー8世は離婚を目的にカトリックを離れプロテスタントを国教としたことで有名な暴君だが、モアは彼によって断頭台にかけられている。理由は『ユートピア』ではなく、カトリックを支持し続けたことにある。
・「ユートピア国」には貨幣制度がない。また貴金属は価値がないものとして認識されている。つまり、財産の私有が認められていないし、国民のほとんどは、それを必要と考えていない。だから虚栄や搾取といったこともない。人が生きていくのに必要なものはまず食べ物だが、それはすべての国民の手でつくられる。もちろん都市に住んで様々な専門職に従事するものはいるが、その人たちも収穫の時期には田舎に出かけて手伝いをする。そうすれば、一日6時間働くだけで、国から飢饉はなくなるという。したがってユートピア人には、一日の3分の1を自由に過ごすゆとりがある。それを使って人びとは団らんし、また勉強をする。それはきわめて合理的で、清く正しい世界である。

・生活の必需品にしろ文化品にしろ、あらゆる必要な物資を潤沢豊富にそろえるのには、6時間という時間は決して足らないどころか、むしろ多すぎるくらいなのである。このことは、他の国々においてはどんなに多くの国民が遊んで生活しているか、ということをとっくり検討する時、自ずと判明することがらである。(84ページ)

・遊んで生活している人とは、司祭や聖職者、王侯貴族、地主、紳士といった支配層、あるいはそれに雇われている人たちをさしている。だれもが働き、財産を一人占めしなければ、飢える人が出る社会は克服できるし、病院をつくって伝染病による大量死を防ぐこともできる。ここには当時のイギリスやヨーロッパ諸国の現状に対する痛烈な批判が読みとれるが、そこにはまた、マルクス以前に発想された共産主義的な理想郷という性格もうかがえる。

yutopia2.jpg・ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』は1890年に書かれている。モアの『ユートピア』から400年近くたっているが、イギリスの社会、とりわけ人びとの生活は改善されていない。もっとも、社会そのものは大きく変動して産業革命が起こり、イギリス人の多くは都市生活者になった。生活の劣悪さと貧困は、その都市で起こる現象になっている。19世紀にはイギリスは世界中に植民地をつくり、ヴィクトリア女王の下でもっとも繁栄する国となったが、モリスがユートピアを描いて批判したのは、モア同様に時の支配層である。ただし、そこには近代化の中で台頭したブルジョアという新しい階級が含まれている。モリスはマルクスに共鳴して社会主義的な社会を提唱するが、そこにはまた、機械によって支配されない人間の手仕事やデザインや美観を重視した建築物や道具、あるいは印刷物といった発想と実行がある。彼は思想家であり作家、あるいは詩人であると同時に、建築物や木工用品のデザインを手がけ、自著を自分の手で出版した。ロンドン郊外にあるケルムスコット・ハウスには当時の印刷機が残されている。


yutopia5.jpg・ケルムスコット・ハウスはロンドンのテムズ河畔にある。ケルムスコットはコッツウォルド地方にある村の名で、モリスはその間をボートで行き来した。ロンドンからコッツウォルドまでのボートでの行程は『ユートピアだより』にもある。残念ながら今回の旅ではケルムスコットには行けなかったが、その近くのバイブリーでは、マナハウスに一晩泊まって周囲の景色や雰囲気を楽しんだ。

・モリスが『ユートピアだより』で描いた世界は近代化によって劣悪になった社会環境とブルジョア階級の強欲さを批判したもので、やはり人びとは衣食住に関わるものを金銭でやりとりはしないし、また私物化しようともしない。そして大量生産で出回る粗悪品は排除されている。衣食住に必要なものは人びとが共同して生産し、そこに従事する仕方も積極的なものだ。つまり、人びとは自分の生き甲斐としてものを工夫してつくり、技を磨こうとする。20世紀になってモリスの理想は一つはロシア革命とソヴィエト連邦の誕生となって実現する。そしてもう一つは大量生産品にデザインや品質の工夫をするといったバウハウスの発想や、アメリカにおける商品文化の台頭へとつながっていく。 

・トマス・モアの『ユートピア』は外国に旅して理想郷にたどり着いた者の話として描かれている。それはコロンブスのアメリカ大陸発見以降の大航海がヨーロッパにもたらした驚きや富、そして世界認識の変化を反映したものだ。一方、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』は主人公が一時期未来に行ってしまうという想定で書かれている。異世界の創造が空間から時間に移行したというのは、19世紀がそれだけ未来や将来のことを現実的なものとしてとらえるようになったことを意味している。


・20世紀になると、この時間を未来に設定した物語がたくさん書かれることになる。その代表はH.G.ウェルズで『タイムマシーン』といった時間を旅する道具そのものが題名の小説も書かれた。科学技術と機械によってもたらされる世界は、一面では人びとに無限の可能性を夢見させる。しかしまた同時に、とんでもない悪夢の世界も想像させる。機械に抑圧される人間、機械を使って管理される人間。20世紀の前半だけでなく、後半、あるいは最近でも、このようなテーマで書かれる小説や映画は数多い。


yutopia6.jpg・「デストピア」つまり逆ユートピアをテーマにした作品としてはG.オーウェルの『1984年』と『動物農場』が有名である。それらは革命後に全体主義的な国家に変貌したソ連やヒットラーのドイツを批判した物語だと言われたが、また同時にメディアが発達して管理化の進んだ先進資本主義の社会にも当てはまるのだともされた。『1984年』は1948年に書かれ、普及し始めたばかりのテレビが国民を監視する道具として使われる独裁国家が舞台だった。小さな部屋の壁一面をおおう巨大なテレスクリーンは双方向で、政府の宣伝を流すと同時に人びとの行動を監視する。空恐ろしい世界として描かれたが、今多くの家にはテレスクリーンに負けない大画面のテレビがあり、双方向のインターネットに接続されたパソコンがある。そして町のいたるところに監視カメラ……。それを異様と思わないのは、それが危険なものではないとわかったからなのだろうか。それとも危険さに無自覚なだけなのだろうか。(上の写真はオーウェルがはじめて就職したロンドンの北にある本屋さん跡に掲げられた記念碑、今はピザ屋さんになっている)


・科学技術と機械を駆使した上にできる理想郷とそれとは反対に、それらを全く拒否した上で達成されるユートピア。この関係は60年代にでた「対抗文化」のなかでも大きな議論となる。クリスチャン・クマーの『ユートピアイズム』(昭和堂)にはユートピア理論に共通してみられる特徴として人間とその理性に対する信頼があるという指摘がされている。


・物質的に豊かで、社会的に調和が保たれ、個人の自己実現が可能であるような多少とも永続的な状態を生み出すことを不可能にしてしまうものは、人間や自然、社会の中には存在しない。(48ページ)

・60年代の対抗文化は「性と文化の革命」と言われた。欲望の解放を可能にし、なおかつ人びとが競争や対立ではなく、共同と融和によって暮らせる社会。その理性と人間の欲望、それを誘発させて自己増殖する資本主義のシステムの関係に取り組んだマルクーゼは、『エロス的文明』『一次元的人間』などを書いて「対抗文化運動」のイデオローグとなった。

・このような問いかけはしかし、70年代になると説得力を持たなくなってしまう。マルクーゼのことばで言えば「ニセ」の欲望、快楽、あるいは幸福が、「真の」もの以上に魅力的なものになって人びとを魅了するようになったのだ。「消費社会」の到来が「対抗文化」の後に訪れたというのは何とも皮肉だが、その原因や理由は、必ずしもきっちりと検証されたわけではない。

yutopia4.jpg・夏休みに読もうと思った本は、その半分以上が残ったままだ。読書の秋にがんばろうということにしているが、読まなければならない本が芋づる式に次々出て、ため息ばかりをついてしまうこのごろである。読めなかった理由はイギリス・アイルランド旅行だが、ロンドンでは、その「対抗文化」やその後の「若者文化」についてもふれてみようと思った。60年代に有名になったロック・ミュージシャンの多くは大富豪になって城の住人になり爵位を授かったりしている。その後を追いかける気はなかったが、パンク発祥の地の「キングスロード」は落ち着いたファッション通りになっていたし、今一番元気だという「カムデンロック」も、にぎやかなのはがらくた市で、新しい文化が生まれそうな感じは受けなかった。もっとも「コミケ」や「フリマ」が最近の若者文化の特徴だから、両方の通りとも、それなりに新しかったのかもしれない、などと納得したりもしている。


2005年9月15日木曜日

トイレ・喫煙・etc.

 

・出かけたときにトイレの場所がわからず困るといった経験はたまにある。子供が小さかった頃はいつでも気にして、早めにおしっこを確認したことを今でもよく覚えている。それでも、たとえば渋滞の高速道路などでは、もうどうしようもない。仕方がないからペットボトルに、といったことがあったかもしれない。そんなトイレについての困った体験を、今回の旅行で久しぶりにした。


・ロンドンの町には公衆トイレが少ない。特に地下鉄駅には見あたらないし、あっても有料のが一つといった具合だ。それはデパートやショッピング・センターでも同じで、30ペンスを払って用を足すといったことが何回かあった。一回は突然、大きいのをもよおしてきて、乗りもしないのに地下鉄の駅に行って有料トイレに入った。当然、すぐにはすまない。長居をして、すっきりしたところでドアを開けると数人の行列。誰に不平を言われたわけではないが、視線があったとたんに恥ずかしくなってその場を急いで離れた。パートナーが笑いながら「使用中はなんて表示されていたかわかる?」なんて聞いてきたが、そんなことに注意を向ける余裕があるわけはない。

・けれども気になって別の機会に確認すると、"Vacant"と"Engaged"となっていた。「空き」はわかる。しかし "Engaged"は「従事する」とか「没頭する」といった意味で「使用中」のことだとはすぐにはわからなかった。だから、従事したり没頭したりするのは利用者のことかと勝手に考え、ずいぶん直接的な言い回しだと思ったりした。後で辞書を調べるとたしかに「「使用中」とある。そして従事するのはトイレそのもので、そこで用を足す人の様子を形容したものではないことがわかった。しかしそれにしても素直な言い方で、アメリカでは"Occupied"(専有中)とちょっと遠回しである。


・そのトイレだが、日本では便所という直接的なことばは最近ではほとんど見かけない。かわりに手洗い、化粧室、あるいはカタカナでトイレ、さらには英語でrest roomと表示されていたりする。アメリカでもrest roomが多かったように思うが、イギリスやアイルランドではどこでも「トイレ」で一貫していた。では、性別はどうかというと"Lady"と "Gentleman"あるいは"Gents"で、アメリカの"Woman""Man"に比べて丁寧な感じがする。さすが紳士淑女の国と思ったりするが、それは何百年も当たり前に使われてきたことばだから、特に丁寧な言い方という感覚はないのかもしれない。


・イギリス人(といってもあまりに多様で驚いたが)は、アメリカ人ほど大きくはない。僕と変わらない人も大勢いる。けれども、トイレの小便用の便器はえらく高い位置にあって、いつでも背伸びをする感覚を強要された。しかし、違いは背の高さではなく足の長さかと気づいて安心したり、がっかりしたり。また観光地などではステンレス製の樋のような形状をしているところが多くて、これにもずいぶん違和感をもった。樋が膝上あたりにあるから、並んで用を足している人たちの小便が混ざり合って流れていくのがよく見えるからである。連れションするのも多生の縁ということか、などと妙な納得をしたが、感覚的にはいい気持ちではなかった。


・これほどトイレが気になったのは、その少なさを不安に思って、すぐに尿意を感じてしまったからだ。用を足しても30分もするとまたすぐにしたくなる。で、行っても少ししか出ないし、我慢すればできないわけではない。しかし、したくなる。これは明らかに軽い神経症で、バスに長時間乗るときなどは飲み物を控えるようにせざるをえなかった。イギリス人はいったい、この自然現象(Nature calls me)をどう処理しいているのだろうか。

・僕はヘビー・スモーカーではないが、我慢するのはつらい。だから飛行機で禁煙を強いられる海外旅行は、ここ数年敬遠してきた。行かなかった最大の理由がそれだったといってもいい。もっとも、全面禁煙になる前から飛行機は大嫌いで、特に離着陸の不安定なときにはいつでも生きた心地がしないから、なおさらという感じだった。それが今年の春にしたハワイ旅行で少しだけ払拭された。飛行機は相変わらず怖いが、タバコは吸わなくても我慢できることがわかったからだ。ただし、アメリカ行きの便ではライターが没収されるというニュースがあったこともあって、飛行機はもちろん、どこでも吸いにくいのだろうなと予測はしていた。そうは言っても、吸いなれているウィンストンの赤箱を1カートン、バッグに入れることは忘れなかったが……。


・ところがロンドンに着いてみると、建物内には禁煙マークが目立つが、一歩外に出れば禁止する表示は何もない。実際に多くの人が歩行喫煙をしているし、吸い殻入れがないから平気でポイ捨てしている。路上には吸い殻が一杯なのである。本当にほっと一息、ついでに久しぶりの一服。頭がくらくらするほどよく効いた。
・確かめたわけではないが、イギリスにおける建物内での禁煙は、条例で一方的に定められたもので、イギリス人の間に自発的な強い動きがなかったのではないかという気がした。実際、建物内ではあってもホテルのロビーには灰皿がおいてあるところがあったし、喫煙可の部屋もあった。レストランでも必ず席を喫煙にするかどうか尋ねてきて、一角では食後においしそうに吸う人が多く見かけられた。

・またまたところがである。アイルランドにはいると状況は一変。建物内ではほとんど全面禁煙になった。可哀想なのはパブで、酒とタバコはつきものだが、客たちは吸いたくなると表に出て外で吸わなければならない。だからどこのパブも入り口にはタバコを吸う酔客がたむろする。観光客にとってはきわめて入りいにくい光景だが、観光客を呼び込むためにマナーの徹底を急ぐという姿勢がありありだった。アイルランドのパブでは、観光用として新しく作られたゾーンはともかく、従来からある店では、ほとんど食べるものがない。客はただひたすら黒ビールを飲んで、しゃべり、歌い、踊る。そこにタバコは不可欠だと思うが、そのイヤな煙と臭いは消さなければならないというわけである。ところが店内は、タバコの臭いは消えても小便の臭いが充満しているから、決して居心地がいいわけではない。聞きたいライブ音楽がなければ、とても長居はできないし、そもそも入ったりしないだろう。第一僕は、最初の晩、その入りづらさに躊躇して、あきらめてホテルに帰ったのである。


・広告塔や立て看板の有無、建物の様子、町行く人の格好などを比較すると、イギリスとアイルランドの生活格差がよくわかる。イギリス人は背筋を伸ばして大股で歩くが、アイルランド人は少しうつむき加減で、たらたらという感じがする。アイルランドは近代化が遅れ、今やっと経済成長をし始めたところだが、そんな状態が人びとの挙動からもよくわかる。そんなところへの突然の禁煙化条例なのだと思う。聞いたわけではないが、パブの客はさぞぶつくさ文句を言いつつ、法を破ることはせずに、タバコを吸いに店の外に出るのだと思う。
・それに比べてイギリス人は、たとえ禁煙が国際的な風潮であっても素直には従わない。そんなプライド、あるいは個人主義的な考え方があるのだろうか。つんとすまして姿勢を正して歩くイギリス人と、田舎で出会う人たちの人なつこさや親切さを感じさせるアイルランド人。そう対照させてもいいかもしれないが、イギリス人が冷たいといわけでは決してない。僕らが行き場所を探しあぐねてウロウロしていると、どの人も、声をかけて助けを申し出たりしてくれた。あるいは、こちらから尋ねれば親切に応じてくれた。

・そう思うと、最近の日本人のことが気になった。東京にはすでに、田舎の人情はない。しかしまた、自分の行動には自分で責任をという個人主義的な態度も育っていない。禁煙条例が出れば渋々したがう従順さがあっても、人びとの間につながりを感じさせようとする態度はほとんどない。イギリスもアイルランドも人びとの顔は本当に多様だ。その人たちが互いに相手を意識し、気遣いあって生活している。対照的に日本はというと、ほとんど同じ顔をした人たちが互いに全くの無関心・無関係でいるから、一見平穏に見えても、自分勝手で殺伐とした感じがしてしまう。

 

・ロンドンの街角のあちこちにStarbucksがあった。それは、リバプールにもブリストルにもあったから、イングランドの大きな町ならどこにでもあるのだろうと思う。もちろん「スタバ」でなくても「カフェラテ」は注文できた。シアトルで生まれたコーヒー・ショップがあっという間に世界中の都市に出現したということなのだろうか。僕は値段の高いスタバは使わず、名も知れないスタンドやカフェを利用したが、イギリス人がこれほどコーヒーを飲む人たちだとは想像もしなかった。ここは紅茶の国ではなかったのか。


・それは世界(とは言っても一部の都市だが)同時発生的な流行の象徴だと言っていいかもしれない。しかし、そのように感じたのはほかにもいくつかある。女の子(時にはおばさん)の臍下(あるいは半ケツ)出しである。ぼくはあまり都心に出て行かないから、大学でおとなしいのをちらほら見かける程度だったが、ロンドンでは、その洪水に悩まされた。しゃがんだりすると本当におしりが半分露出してしまう。目のやり場に困るというよりは、そこに目がいってしまう自分の関心の強さにとまどい、見ていることをさとられることに恥ずかしさを覚えた。もっともそれは最初の数日で、しばらくたつとごく当たり前の光景に見えてきたから、不思議といえば不思議である。


・しかもそれはロンドンばかりでなく、イギリスの各地、あるいはアイルランドでも見かけ、女だけではなく男も、町行く人ばかりでなくウェイターやウェイトレス、店員などにも多かったから、すでに先端的な流行ではなく、ごく当たり前の普段着になっているのだろうと思った。これをもちろん非難する気はないが、腹の突き出た人まで平気で晒しているのはどうかと思った。特に男の半ケツなどはオエッとしてしまう。自分の後ろ姿に気づいているのだろうか。自信のある女の子は腰にタトゥをしていて、そこが見せる場所であることをはっきり自覚していたが、本物ばかりでなく一時的なものを書いてくれる場所は、確かにあちこちにあった。見せることはそこを美しくすることにつながる。とは言え白人の肌はけっしてきれいではない。イギリスの水はミネラルがたくさん入った硬水で、肌の油分をとってかさかさにしてしまう。だから老化が早く、大きなシミができてしまうようだ。そんなこともいっそう目立ってしまうから、流行とは言え誰でもというわけにはいかないと思った。

・こんなふうに外国に行って異文化にふれると、いろいろなことに気づき、とまどい、また興味を持たされる。今回の旅で感じたことはまだまだあるが、最後にもう一つだけ紹介しておこう。今回の旅では主に鉄道を使った。Brit Railパスを買って一等車の旅を楽しんだのだ。そこで気づいたのは駅に改札口がないことで、最初はこれでいいのかと思った。もちろん、車内では車掌が検札に回ってくる。しかしそれは日本でも同様で、なおかつ出入りには改札口を通らなければならない。人を信用することを前提にした制度だと言えるかもしれない。だからキセルをしたときには1000ポンドだったか1万ポンドだったか、高額の罰金が問答無用で科されるようだ。そう考えると、人を信用しない代わりに、不正をしても寛容な態度をとったりする日本の鉄道との違いがよくわかる。


・たとえば、同様のことは駅や車内での放送の量でもわかる。日本では、「白線の内側で待て」「降りる人が済んでから乗れ」「〜〜」とおせっかいがましいが、イギリスでは次の停車駅がどこかという放送もほとんどなかった。それはじぶんで判断しろということだろうが、旅行者にとっては大きな不安の種である。特にリバプールからブリストルまで行くときには、途中で3回も乗りかえたから、駅に着くまでに名前をチェックすることに気を使った。ところが駅名の表示にはまた次の駅が書かれていない。特急だったら意味はないといえばそれまでだが、違いというのはこうも徹底するものかと感心してしまった。


・こういう国ならたぶん、自己責任という意識は、誰に言われなくても当たり前のこととして認識されているだろう。それに比べると日本は自分の判断で勝手に動くなという社会で、自己責任は、それに背いたときの罰則的な言辞として使われる。そんなことが、事細かな経験の端々で感じられた。ついでに言っておくと購入した鉄道パスは4日間有効のもので、使用した日付を書き込むところがあった。1日目は車掌が「これが大事」といって書き込んだから、その後も車掌が書くものと思っていたら、誰も書き込まない。ずいぶんいい加減だなと思い、それをいいことに短距離の部分ではあったが2日もよけいに使ってしまった。後で旅行会社の人に話をすると、そこもやっぱり自分で書き込むべきところだったと言われてしまった。怪しまれて「何日使った?」などと問いつめられ。不正使用だと判断されたら1000ポンドの罰金だったかもしれない、と考えたらひやっとしてしまった。自己責任の意識が薄い証拠だと、つくづく実感させられた。