1999年3月5日金曜日

ジム・カールトン『アップル 上下』(早川書房)


・ぼくはもう10年を越えるマック・ユーザーで、ウィンドウズなどはいまだに使いたくないと思っている。使い慣れていることが一番だが、こだわるのは、情報操作の巨大な装置だと考えられていたコンピュータを、個人が自己表現やコミュニケーションに使う道具としてつくりかえたのが「アップル」だったことにある。その発想の中に、60年代のカウンター・カルチャーの思想が感じられたのが、ぼくが飛びついた最大の理由だったからだ。その「目から鱗」といった衝撃の体験が忘れられない。
・パソコンの形を作った「AppleII」から最近の「i Mac」に至るまで、アップル社にはさまざまな出来事が起こり、作られた製品にも出来不出来があった。熱心なファンの一人として、ぼくは時にユーザーであることを鼻高々に吹聴し、また胃に潰瘍ができるほどイライラさせられた。その10年間のつきあいを、ぼくはきわめて貴重なものとして感じている。実際「Macintosh」と出会わなければ、この10年は、まったく違ったものになっていただろうと思う。
・ジム・カールトンの『アップル』は、アップル社の創業者でマックの生みの親であるスティーブ・ジョブズが解任される前後、つまり80年代の後半から、現在に至るパソコン界の動向をアップルを軸に追ったきわめて面白いレポートである。アップル社にずいぶん厳しく、ビル・ゲイツに好意的だという不満はあるが、アップル社やパソコンのもつ意味について、ずいぶん貴重な示唆を与えてくれる本だと思った。
・パソコン市場を自覚させたのが「AppleII」だったとすれば、現在のような操作方法を方向づけたのは「Mac」だった。「Mac」は、さらに、コンピュータが文字入力や計算ばかりでなく、映像や音声、あるいは出版編集に有効なことを実現させた。その「Mac」がなぜ、パソコンの標準機になれなかったのか。著者によれば、それは何よりも歴代の経営陣がとった戦略の失敗にあったという。
・たとえば、ビル・ゲイツは「Windows」開発前後に、「MacOS」のライセンス公開をジョン・スカーリーに申し出ている。それに応じていれば、「Windows95」などは登場しなかったか、あるいは「MacOS」を大幅に取りこんだものになっていたかもしれなかった。そうなればもちろん、ハードもDos機と同様に、さまざまなメーカーが生産していただろう。あるいは、ウィンドウズ3.1が市場で受け入れられたことに危機感を持ったアップル経営陣が、インテルのCPUでも動くMacOSを独自開発したそうだ。「スターウォーズ計画」という名だったが、完成目前で中止されている。
・このような話が『アップル』には次々と出てくる。日本の家電メーカーとの提携、IBMとの合併話、あるいはサン・マイクロシステムズの買収やその逆のケースなどなど。そのすべてが成立直前まで行って頓挫した。その間に馬鹿にする対象でしかなかった「Windows」に追いつかれ、小型軽量の「PowerBook」は開発できず、インターネットで出遅れることになる。企業経営や市場競争のゲームという点から見れば、ジム・カールトンが描き出したように、アップル社は、最高の技術を最低の経営戦略でだめにした驚くべき会社ということになるだろう。けれども、ぼくはこの本を読みながら、それがまたアップルの宿命だったのではと思った。
・アップルの歴代の経営者がこだわったのは、何よりアップルやマックのアイデンティティである。ヒッピー青年だったジョブズとウォズニアクが自宅のガレージで作った道具。その手作り的で自由、つまり反管理を精神にした創造的な機械。アップルやマックの魅力の核心を保ちながら、パソコン市場を支配する。しかし、この本来相容れない目標を両立させるのは不可能である。ビル・ゲイツはMsDosの開発からウィンドウズやインターネット・エクスプローラーに至るまで、すべてを買収やパクリで手に入れ、経営戦略と法廷闘争の巧みさで業界標準に仕立て上げた。それはまさに、思想の違いというほかはないものだが、その両立という使命に、アップル社の歴代経営者は呪縛され続けてきた。
・そのアップルの生みの親であるスティーブ・ジョブズが戻ってきて「i Mac」を作り、落ち続けたシェアが回復しはじめた。彼の戦略は、全機種を青や赤のスケルトンにしたかわいらしいマックで巻き返しをはかるというもののようだ。かわいらしくて使うのに恥ずかしさを感じるぼくとしては「ちょっと待ってくれよ」という気がするが、おもしろくなったことはまちがいない。ぼくは、ジョブズが作ったんだから彼が最後につぶしたっていいではないかと思う。けれども、できれば、マイノリティではあっても、独創的な道具を生みだす企業としてずっと元気でいてほしいと願っている。たぶんそのことはビル・ゲイツだって望んでいるはずだ。独禁法もあるが、彼には漁夫の利を得るセカンド・ランナーという役割しかできないのだから。

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