2016年5月2日月曜日

斜陽の国と認めなければ

・大戦の敗戦国だった日本は、奇跡的といわれるほどの経済成長を果たしてアメリカに次ぐ経済大国になった。その成長を支えたのは第一に家電メーカーであり、自動車産業だった。経済成長が鈍り始めてすでに20年を超えているが、ここに来て、家電や自動車企業の中に,存続が危ぶまれるものが続出している。シャープは台湾の企業に買収され,東芝も家電部門を中国の企業に売却した。ソニーにはかつての面影はなく、パナソニックも再建に懸命だ。そしてまだ元気だといわれている自動車にも斜陽の波が及びはじめている。エアーバッグのタカタに続いて,今度は三菱自動車である。

・どう考えたって,その家電が勢いを盛り返す可能性はないし、自動車だって,電気が主流になれば、現状を維持することも難しいだろう。そして何か新しい産業が起こる気配もない。大企業が抱え込んだ内部留保はこの10年に100兆円増えて300兆円を越えたと言われている。逆に正規から契約や派遣といった雇用形態の変化も著しい。サラリーマンの平均年収はアベノミクスにもかかわらず減少傾向は止まらない。日本の企業が成長や攻めではなく、守り一辺倒であることは明らかである。

・ところが当の安倍首相は今年の年頭所感で、「一億総活躍社会」というスローガンを掲げ、「GDP600兆円」、「希望出生率1.8」 、「介護離職ゼロ」に向けて三本の矢を放つとぶち上げた。この現状との落差はまさにブラック・ジョークで、GDPをあげる材料がどこにあるのかわからない。「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」と改悪して進めたオーストラリアへの潜水艦12隻の輸出が失敗したし、インドネシアへの新幹線の輸出も中国に取られている。原発の輸出などというのは狂気の沙汰だろう。

・出生率を上げるといった先から保育所不足が露呈して、政府は慌てて定員増や給与増で急場しのぎをしはじめた。「保育所落ちた日本死ね」のブログに同感する人たちが大勢いて国会でも取りざたされたが、安倍首相の「匿名だから確認できない」といった発言が、怒りを買って大問題になった。現実を知らない上でのスローガンであることは「介護離職ゼロ」でも変わらない。老人ホーム不足はいよいよ深刻化しているし、保育士同様介護士の給与の低さも相変わらずだ。

・数日前に、育児と介護を同時にしている人が25万人いるといったニュースがあった。以前から問題になっている老老介護も,介護する人が65歳以上である割合が5割を超えたようだ。認知症の人が原因の鉄道事故で、その責任を家族に負わせる 裁判があったり、介護に疲れた殺傷事件も繰り返されている。このような状況は,これからますます深刻化するものであることは明らかで、ノーテンキに「介護離職ゼロ」などと言える状況ではないのである。

・日本は経済も人口も減少期に入っている。すでに世界でも類を見ない超高齢社会なのである。他方で地震は活動期になったと言われている。東日本の大震災から5年で,熊本・大分が大地震に襲われた。この先、もっと大きな地震が続発する危険性を指摘する人も多い。このような状況を前提にしたときに出てくる政策は、成長ではなく衰退や減少、大企業優先ではなく,人びとの暮らしの充実に目を向けたものでなければならないはずである。もちろん、今からでも遅くないから東京オリンピックは返上すべきだと思う。

2016年4月25日月曜日

内田隆三『ベースボールの夢』岩波新書

 

野球の始まり

uchida2.jpg・ベースボールはアメリカ発祥のスポーツである。フットボールやバスケットボールに押され気味という傾向にあるが,歴史からいえば、アメリカを一番に代表すると言える。内田隆三の『ベースボールの夢』は、その誕生のいきさつについて、定説に疑問を投げかけると同時に,定説が誰によってなぜ生まれ定着したかを説き明かす内容になっている。

・野球発祥の地はニューヨーク郊外のクーパーズタウンということになっている。だからここには野球博物館が作られ,殿堂入りした選手や、歴史に残るゲームと選手のユニホームやグラブ、バッド、そして写真などが飾られている。野球を考案したのはダブルデーという名の南北戦争に従軍した北軍の兵士で、野球をしたのは1839年とされている。しかしダブルデーがクーパーズタウンで本当に野球らしきものをしたかどうかについては、確証はない。

・そのことを史実として強く主張したのはアルバート・G・スポルディング(スポルディング社の創設者)で、彼は野球がイギリスに起源を持つゲームの発展したものではなく,純粋にアメリカで生まれたスポーツであると考えた。そのために、開拓時代を彷彿させるスモール・タウンや、合衆国を二分した南北戦争をいわば創世神話に取り込もうとしたのである。南北に分かれて戦っていた兵士が,共に野球に興じていたことは、アメリカという国の統一にとって欠かせない物語だったというわけである。

・メジャーリーグが始まった19世紀の末はアメリカが政治的にも経済的にも,そして社会的にも大きく変貌した時期だった。自ら開拓した農地で生きてきた農民たちにかわって農業は企業による大規模な形態に変わりはじめていた。その他の産業も起こり、多くの人びとは自営ではなく,雇用されて給料を受け取る生活に変わった。当然、田舎から都市に移り住む人たちも激増した。かつての中間層が没落し、コミュニティも衰退化した。そんな変容の中で,古き良きアメリカを体験できるスポーツとして、ベースボールが国民的なものになった。プレイするのはもちろんだが,スタンドで応援することによっても実感できた。

・「産業化と進歩の時代を生きる都市の人間が求めた『田園のアメリカ』」という「理想的なイメージ」というわけだが、このように成立したベースボールやメジャーリーグは、黒人を排除した白人だけのものになり、新興のミドルクラスが楽しむものになり、男だけに限られたマッチョなスポーツになった。

・この本はベーブ・ルースが登場するところで終わっていて、そこが、これまで書かれたベースボールやメジャーリーグの本と違うところだ。野球を通して、19世紀から20世紀にかけてのアメリカ社会の変容を描き出す。そんな試みに,新鮮さを覚えながら楽しく読んだ。

・メジャーリーグの本拠地は,全米の大都市に分散されている。カンザスシティのように50万人程度の都市でも,それはけっしてスモールタウンではない。しかし、スタジアムに入って野球を見はじめれば,見ず知らずの人たちが同郷の人間であるかのようにして,ホームチームの応援をする。桁違いの年棒を稼ぎ、頻繁に移籍を繰り返す選手が多くなったとは言え、野球はフィールド(野原)で行われるゲームであり、古き良きアメリカをノスタルジーとして体感できるスポーツとして楽しまれている。

2016年4月18日月曜日

春が来た

 

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・暖冬だったとは言え,3月になっても寒暖を繰り返していたから、片栗の花がなかなか開かなかった。数えると今年は80を超えた。去年が65で一昨年が50だったから、毎年順調に増えている。ずいぶんな数になったが,一面片栗の花となるのは,まだまだ先の話だろう。我が家に春の訪れを告げるのは,この片栗の花と蕗の薹で、蕗味噌も堪能した。

katakuri2.jpg・暖冬だったとは言え、この冬の薪の消費量は例年以上で、今でもストーブをつけたり消したりしている。来冬用の薪はすでに全部割り終わった。8㎥の原木をチェーンそうで切って斧で割る。その作業がいつまで続けられるか。だんだんきつくなってきた自覚はある。



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light1.jpg・とは言え、この冬には2階の二部屋の四面に60cm幅で2m50cm前後の本棚を20も作った。仕事部屋が文字通りの書斎になって気分一新で、長年使ってボロボロになった和紙の照明器具も折り紙で張り替えた。なかなかいい環境になったと満足している。さて何を研究テーマにしようか。それが問題だ。

・大学が始まって,体調がすぐれない。その一番は頻尿だ。少しましになったが夜中に何度もトイレに起きる。授業の一時間半を持たせることに気をつかわなければならない。老化現象といえばそれまでだが、漢方やハーブの薬を試しはじめている。気になるせいか,テレビのCMや新聞広告によく見かけるようになった。

forest132-1.jpg・とは言え、暖かくなったので自転車に乗り始めた。桜が満開で快晴の日は,自転車に乗りながら,ビデオも撮った。それにしても、今年は観光客が多い。アジアの人は観光バスでやってきて、富士山や桜を撮そうとして,平気で道路の真ん中に立ったりしている。欧米から来る人たちは電車でやってきて,レンタサイクルで湖を一巡りしている人が多い。ロードバイクに乗っていると,どちらもやっかいだ。何しろペダルと靴がくっついているから,こちらは急には止められないのである。

forest132-2.jpg・カヤックも乗り始めている。しかし、お決まりの西湖にも観光客が来始めていて、わいわい来ては富士山を撮してさっと引き上げる。日本人は週末限定だが,外国人は平日にもやってくる。だから、まだ静かな奥河口湖に乗り出した。満開の桜と富士山、それに新緑に変わりはじめた山。なかなかいい。いつまでも静かでいて欲しいと思うが、そうもいかないかもしれない。

2016年4月11日月曜日

Bob Dylan at Orchard Hall

 

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Twitter @SonyMusicLegacy

2016_tour.jpg・ボブ・ディランのコンサートは6度目で,前回は1997年だったから20年ぶりということになる。最初のコンサートは1978年で、僕は20代でディランは30代、20年前はぼくは40代で彼は50代。本当に長いつきあいだとつくづく思う。
・今回は彼はもう70代の半ばだが,相変わらずエンドレス・ツアーを実践している。日本にも頻繁に来ていて、2010年と2014年に長期のツアーをしている。ただしオール・スタンディングの会場だったから行く気にはならなかった。今回はここのところ何度も行っている渋谷のオーチャード・ホールだったし、もう最後になるかも,と思ったから行くことにした。

・ディランはけっして懐メロ歌手ではない。レジェンドだのレガシーなどと言われるが、積極的にアルバムを出し続けていて、あっと驚くものが少なくない。たとえばクリスマス・ソングを集めた『クリスマス・イン・ザ・ハート』やフランク・シナトラのナンバーを歌った『シャドウ・イン・ザ・ナイト』があって、その意外性に戸惑ったりしたが、聴き慣れればなかなかいいという印象だった。
・もちろんその他にも自作を集めたアルバムも出していて、不思議なのは評判だけでなく、売り上げも最近の方が多いことだ。ディランは日本では名前ほどには売れないミュージシャンの代表だったのにである。2012年の『テンペスト』はアメリカとイギリスでともに3位になり、2009年の『トゥゲザー・スルー・ライフ』は米英で1位になっている。こんな傾向は1997年の『タイム・アウト・オブ・マインド』からで、2001年の『ラブ・アンド・セフト』、2006年の『モダン・タイムズ』も1位やそれに近い数字を出している。もっとも日本でも売れたかどうかはわからなかった。

・コンサート会場にはあらゆる世代の人が集まっていて、若い人に関心を持たれていることに,今さらながら驚いた。ディランのライブはほとんどおしゃべりがない。次から次へと曲を連ねて,終わったらさっさと帰っていく。そのサービス精神のなさは今回も一緒だったが,前半の最後に「アリガトウ」と日本語で言った。僕がはじめて聴いたディランの話す日本語だった。
・歌っているのが何なのかがよくわからない。これも毎回のことで、前半の最後の「タングルド・アップ・イン・ブルー」もこの歌詞が聞こえて初めて気づいたほどだった。もっとも、セットリストを見ると、多くは最近のアルバムからで、とりわけ『シャドウ・イン・ザ・ナイト』のものが多かった。何しろ後半の最後が「枯れ葉」だったのである。

・アンコールの1曲目は「風に吹かれて」で,これも見事にわからないようにアレンジされていたが、僕にとっては思いの深い曲だったせいか、すぐにわかって、とてもよく聞こえた。ただしピアノの前で座ってのもので,今日彼はギターを一度も手にしなかった。ハーモニカを2曲。曲にあわせて舞台の背後に映し出される照明は落ち着いたもので良かったが、ディランの顔はいつも影になっていて,よくわからなかった。
・何をとってもディランらしいいいコンサートだった。ただし、懐かしさを捨てきれない僕には今ひとつもの足りない感じもした。ダメだね、古い地図に囚われている僕の方がずっと老けていて,ディランの方がずっと若い。今の自分を演じる楽しさに徹底しているディランに、改めて敬意を払いたくなった。コンサートに来た若い人たちは,もちろん、最近のディランがお目当てだったのだろう。最後まで立ち上がる人のいない静かな客席だったが、満足顔の人が多かった気がした。

2016年4月4日月曜日

がんばれサンダース

・アメリカの大統領選挙が混迷状態化しています。共和党のトランプ候補は「冗談から駒」で,放言や暴力沙汰にもかかわらず、予備選で勝ち続けています。支持をするのは白人の貧困層のようで、口にはできない個人的な思いを公言する態度が受けているようです。この人が大統領になったら,いったいどうなるのか。アメリカはもちろん,世界がめちゃくちゃになるのではという恐れも感じます。

・他方で民主党は、クリントンがリードしているとは言え,サンダースの支持も根強いようです。直近のワシントン州(73%)、ハワイ州(70%)、そしてアラスカ州(82%)では圧勝と言っていい結果でした。支持をするのは白人の若者で,インテリ層です。貧困層ではないが学費の負債を抱えたり、就職難に直面して,現在や将来に不安や不満を持つ人たちのようです。

・サンダースは民主社会主義者を表明して、この大統領選のスローガンを「革命に参加せよ」としています。掲げた政策は弱者の立場に立ったラディカルな改革で、仮に大統領になっても,共和党多数の議会の反対にあって,ほとんど実現できないのではないでしょうか。8年前のオバマへの期待が落胆と失望に変わったように、同じことのくり返しになるのかもしれません。

・それでも「今度は」と思って期待する。そんな楽観的で前向きなアメリカ人の姿勢には半ば呆れもしますが,それ以上に感嘆もしてしまいます。理想を掲げる人に対する支持は、日本ではほとんどゼロに近いからです。もっともSEALD's以来、若い人たちの発言や行動が,日本でも目立つようになりました。保育所不足騒動で女たちも怒っています。ただし、この怒りや主張を受け止める政党が日本にはありません。民主党が民進党と名前を変えても、支持率はほとんど上がっていないようです。

・アメリカの大統領選は共和党と民主党の2大政党間で行われています。ただし今回は、トランプもサンダースも党員ではありません。アメリカでも政党不信は大きいのです。だとしたら、日本でも、誰かがはっきりとした主張を掲げて新党を立ち上げ,既成政党がそれに呼応するといった動きが出ないものかとも思います。

・そのためにも、サンダースにはがんばって欲しいです。代議員数ではクリントンに差をつけられているとはいえ、カリフォルニア、ニューヨーク,ペンシルバニアといった大きな州での予備選次第ではどうなるかわかりません。トランプとサンダースによる大統領選では,アメリカは大混乱になるかもしれませんが、安倍政権の思いのままという日本の現状には、大きな波風となってくれるのではないでしょうか。

・既成政党への不信と,左右両極の対立。そんな不満の根源には貧富の大きな格差や現状や未来に対する不安や不満があります。そしてアメリカに追従する日本もよく似た状況にあるのです。毎日がエープリル・フールのような安倍政権の言動や、プチ・トランプが続出している自民党に三行半を突きつけるために、日本にもサンダースが登場して欲しいものだと思います。

2016年3月28日月曜日

本棚ができた

 

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・本棚が何とか完成した。作り始めてから1ヶ月、夏休み中にと思っていたのに,作り始めたら止められなくなった。性分といえばそれまでだが、大変というよりは楽しかった。忘れないようにかかった費用やかけた時間を記録しておくことにした。
・使った材木は「ラジアタパイン集成材」で3x6(90x180cm)が33枚。1枚4500円、背中に貼ったベニヤ板とあわせると15万円ほどだった。塗料のワトコオイルが7リットルで2万円弱で釘やネジ、あるいは留め金、木工セメダインなどをあわせると18万円ほどでできたことになる。

photo75-2.jpg・すでに書いたように、『清く正しい本棚作り』を参考にして、右のような図面を書いた。60cm幅で2m50cm前後の高さの2段組を5台。これを1セットにして4組作ることを目標にした。材木はたまたま近くのホームセンターで見つけたもので、3x6の大きさの板をカットしてもらうのに何枚もの図面を作った。できるだけ無駄がないようにと工夫をして、1セットが8枚でできると計算した。 


photo75-3.jpg・最初はまず1セット分を買って,カットをしてもらい、それを1週間ほどで完成させた。思った以上にうまくできたからと、またホームセンターに行って、在庫のほとんどだった15枚を買った。これで3セットは作れることになった。その作成に10日ほどかかって,春休みはこれで終わりかと思ったが、塗料を買いに行くと、また材木が山積みになっていて、続けて作ってしまおうということになった。 


・結局1ヶ月ほどで4セットができて、余った板でCD用と階段の上がり口に置く変形の本棚も作った。90cm幅だと棚板がたわむ心配があるから真ん中に支え板を置いて,棚板も左右半分ずつ別々につけることにした。作り方に慣れてくると,複雑な形に挑戦したくなる。何とかできた時にふと考えた。これなら60cm幅でなく120cm幅と180cm幅で作れば,側板がだいぶ少なくて済んだ。ただし、180cmx180cmでは、組み立てにずいぶん苦労するし、2階に上げることもできなくなる。

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・で、書斎の本棚はほぼ本で埋まった。後は寝室の本棚で、研究室の本を運んでくることになる。これでもたぶん全部は無理だから、欲しい人にあげたり、処分したりしなければならないだろう。そもそももうほとんどは読まない本ばかりだから、売るなり捨てるなりしてもいいのだが、本に囲まれないと安心できないのだからしょうがない。

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2016年3月21日月曜日

高校生の政治意識

・衆参同日選挙が真実味をおびてきた。18歳に選挙権が引き下げられて、高校生も国政に参加をする。その権利を行使するための判断材料は多様で、日本の将来を左右することばかりだから,若い人たちにとっては切実なはずだ。考えなければいけないことはたくさんあるし,そのために調べたり勉強したりすることも多い。友だち同士で,クラスで、あるいは外に出て議論をしたり,行動したりすることが投票に必要なことは明らかだろう

・ところが文科省は高校生の学外での政治活動に制限を加えるような通達を出したし、それに応える県の教育委員会も出始めた。たとえば愛媛県の教育委員会は、県立高校すべてに高校生の学外での政治活動を届け出ることを校則として定めて義務づけることを決めた。勉学に支障が出ないようにというのが表向きの理由だが、高校生の政治意識の高まりを危惧した処置であることは明らかだ。このような動きは今後も続出するだろうと思う。

・実際、「戦争法案」が国会で成立した時には大学生の「SEALD's」に呼応して高校生の「T-ns SOWL」が結成されて,各地でデモが行われた。文科省は18歳選挙権に伴って、政治活動容認という通達も出していて、「違法、暴力的になる可能性の高い活動」「学業や生活に支障がある場合」に限って制限や禁止としている。しかし、この基準は曖昧だから、高校生の政治活動が高まりを抑える理由に使われることはありうる。

・文科省の通達は校内での政治活動については、「授業や生徒会活動、部活動などを利用」を禁止しているし、「放課後や学校構内での活動」を制限している。あるいは「教員の個人的な主義主張を述べない」「特定の事柄を強調しすぎたり、一面的な見解を配慮なく取り上げたりしないよう留意」とも断っている。一見もっともらしいが,他方で高校で使う教科書に政府の見解を盛り込むようにといった要求もして、教科書の検定を行っている。あるいは国旗の掲揚や君が代の斉唱を義務化する動きも顕著だ。

・高校生が授業や課外活動の中で,政治について考えたり,議論をしたり,行動することは,本来禁止されてはいけないことである。それどころか、高校はもちろん、中学や小学校でも、政治意識というよりは、自分の考えをも持つことや,それをもとに議論することはきわめて大事なことのはずだ。しかし、日本の教育制度の中では、そのような授業はまったく設けられてこなかった。政治に無関心という傾向は、そうなるよう仕向けてきた教育の問題なのである。

・だからだろう。大学生が何によらず,自分の意見を持たない、持っていても主張しようとしない、他人の意見に反対しようとしないという態度は、十年一日変わらない傾向である。しかし、それは最近ますます強まってきたように感じられる。ゼミを活性化するには、意見を持つことの必要性や、学生個々を覆っているバリアを壊すことからはじめなければならないのだが、これは至難の業で、諦めてしまうこともしばしばあった。

・他方で「コミュニケーション力」やグローバル化に対応した「語学力」の養成が緊急のこととして叫ばれている。しかし、自己主張や議論を伴わない「コミュニケーション力」は単なる迎合の技でしかないし、「語学力」だって意味はない。そもそも英語は戦うための言語だから、話し聞く力以前に、自己表現や議論の能力をつけなければいけないのだが、そこがまったく理解されていないのである。

・選挙権が18歳に引き下げられ、もうすぐ国政選挙が行われる。国の政治は自分の生活や人生を大きく左右する問題だという意識を大学生はもちろん,高校生が自覚できるいい機会になると思う。それを公権力で歪めてはいけないのである。