2018年9月3日月曜日

何より駄目な日本

 

・テレビは相変わらず、日本のここがすごいといった話題を取りあげているが、ニュースと言えば、ここも駄目、あそこも駄目といったものばかりだ。政治や経済、そしてスポーツや芸能といった文化の面でも、この国のひどさ加減が露呈している。中でもひどいと思ったのは、官公庁や自治体の障害者雇用水増し問題だ。

・日本では「身体障害者雇用促進法」として1960年に制定されたから、すでに60年近い歴史がある。この法律は87年には知的障害者も適用対象になり、2006年には精神障害者も対象になった。事業主に一定の割合で障害者を雇用する義務を課したもので、違反すれば罰金を払わなければならず、民間企業には厳しく適用されてきた経緯がある。ところが今回発覚したのは、国の行政機関や自治体で、決められた割合を障害者ではない人で埋め合わせてごまかしてきたというものだった。しかも、ごまかしは最近始めたものではなく、長期間にわたるものだったようだ。

・障害者を雇うためには働く環境をバリアフリーなどにしなければならない。どんな仕事なら働いてもらえるか、時間はどうか、補助はどの程度必要かなど、受け入れる事業所は対応しなければならない。行政は民間企業などに対して、かなり厳密に監督をしてきたのに、自分のところは適当にごまかしてきたのであるからその罪は重いと言わざるをえない。

・森友加計問題に際して各省庁は、証拠となる記録を隠したり、改竄したりして、そのひどさが明らかになっている。しかもセクハラ、パワハラ、賄賂、裏口入学などと言った不祥事も続発していて、そのひどさ加減は驚くばかりだが、責任を取ってやめた大臣が一人もいないというのもおかしな話である。首相を始め閣僚達には、責任を取る気はまったくないのだが、それを批判したり、抗議する声も強くならない。

・隠蔽や改竄は経済界でも頻発している。これまで問題になった企業名も、いちいち覚えていられないほどだ。ぼくはスバルの車を愛用するスバリストだから、検査態勢の不備やデータ改竄のニュースにはがっかりした。しかし、同じようなことはほかの自動車メーカーでもやっていて、慣行になっていたようだ。技術や品質管理の良さは日本が何より自慢にすることだったはずだが、もうメイド・イン・ジャパンだから信頼できるとは言えなくなってしまった感がある。

・スポーツ界の不祥事についてはすでにこのコラムでも取りあげた。アメフトや相撲、あるいはサッカーの日本代表にまつわるものだったが、その後でもレスリングやボクシング、そして体操などと続出している。各団体の体質の古くささや閉鎖性、あるいはワンマンさといったことが指摘されているが、犠牲になるのはいつでも若い現役の選手である。しかもその若い選手が沈黙するのではなく、公の場できちんというべきことを主張しているから、権力を握って好き勝手をやってきた年寄りの醜さが目立つばかりである。

・自民党の総裁選挙に立候補をした石破茂が、その公約に「正直と公正」をあげた。安倍政権が不正直で不公正であることは自明の理だから、あまりに素直すぎて笑ってしまったが、それを個人攻撃だからやめろと言った議員がいたようだ。安倍本人も石破との論争を避けて逃げ回っているが、これまでやってきたことにやましさを感じてというのではないだろう。自覚があればとっくに辞めているはずだからである。嘘を平気でくり返す性格は、もうサイコパスと診断してもいいほどなのだから。

・現在の日本にはプチ安部がたくさんいる。それが組織を牛耳って好き放題をやっている。下に仕える人たちは、逆らうことなど出来ずに渋々従うのみだ。自分は、自分が所属する組織は「正直で公正か」。そう問いかけて、そうだと応えることが出来る人がどれだけいるのか。出来そうもないから、他人も批判しない。そんな空気が蔓延しているように思う。

2018年8月27日月曜日

ボキャヒン、高音、わざとらしさ


・夜の地上波はバラエティ番組ばかりで見る気もしない。よくもまあ、お粗末な番組を毎日毎日やっているものだとあきれるばかりだ。ちょっとおもしろそうなテーマだと思っても、見始めた時にひな壇にお笑いタレントが並んでいれば、もう駄目だと思ってチャンネルを変えてしまう、最近ではNHKでも似たような構成のものが目立つ。だからどうしても、見るのはBSということになるのだが、バラエティ形式の侵入はBSの番組でも顕著で、見たいものがどんどん減っていってしまっている。

・たとえば田中陽希が、今年は日本三百名山一筆書きをやっている。数ヶ月おきにその行程をたどる番組があるのだが、なぜ途中で、トレッキングなどやりそうもない女の子達が出てきて、わいわいやるのかわからない。以前は田部井淳子などが出ていたのだが、亡くなってから山歩きの専門家を出すこともなくなった。
・ほかにもトレッキング番組はよく見ているのだが、歩くのが若いタレントの場合には、途中でうんざりしてやめてしまうことが少なくない。ガイドに頼りきりで無知丸出しのうえ、発することばと言えば「すごーい」の連発だったりする。草花や動物を見かけても「かわいい」しか出て来ないし、「やばい」なんてことばも使われたりするからだ。「ボキャヒン」はすでに死語かもしれないが、このことばがよく使われた頃より、もっとひどくなっている。

・それは旅番組でも変わらない。いくら仕事とは言え、出かけるのなら、事前に予習をして、ちょっとでも予備知識を持って行けよと言いたくなることが少なくない。知らないから驚く。そこでおきまりのことばが出てくる。しかもテンションが上がって高音になるから、やかましいだけになる。うんざりするのは、そこにわざとらしさが丸見えになったりする場合だ。そうなったらもう、続けてみる気がしなくなる。
・もちろん、出てくるタレントのすべてがそうだというわけではない。自分でもトレッキングをしたり、旅に出かけたりしている人もいて、その落差が激しいから、この種の番組を見る時には、出演者が誰かを調べてからにするようになった。

・テレビを見ていてもうひとつ気になるのは、女子アナに高音で話す人が多いことである。甲高い声でしゃべられるのは聞きづらいものだが、ほかの視聴者は気にならないのかと不思議に感じることが少なくない。もちろん甲高くなるのは、緊張していたりするからということもある。新人アナは同時に表情も硬いから、これは経験不足と聞き流すこともあるが、いつまで経っても高音が直らないと、そのニュース番組はもう見たくないということになる。そんな人は天気予報をする人にも多い。高音はアナや予報士には向かないという基準がないのだろうか。

・NHKBSでやっている「クール・ジャパン」は、日本で生活している外国人が日本や日本人について、自らの経験にもとづきながらクールかクールでないかを議論しあう番組である。その中で、日本人の若い女の子達の声が高いことが話題になった。高い方がかわいらしく聞こえるからだと言って、それは子供っぽさの演技だが、自分の国ではばかにされるだけだという批判をしている人がいた。まったくその通り、とぼくは思わず声を出してしまった。

・かわいらしく振る舞うこと。これは今、テレビに出るタレントや女子アナばかりでなく、若い女達が共通に意識していることなのではないかと思う。だから知っていても知らないふりをする方がいい。予備知識など持っていない方がいい。教養などは必要ない。その方が、見ている人や相手は喜ぶに違いない。それをコミュニケーション力だと思っている人が増えたのだとすれば、とんでもない誤解で、こんな風潮は困ったものでしかない。

2018年8月20日月曜日

Chavera Vargas

 

"Macorina"
"Las 20 Grandes de Chavera Vargas"

julieta.jpg・『ジュリエッタ』はアリス・マンローの短編をヒントにしたペドロ・アルモドバルの作品だ。結婚して女の子が生まれたが、夫の浮気や、それを叱責したことが原因になった、海での夫の遭難死などがあり、その事が理由でまた娘が家出をしてしまう。それらをひきずりながら人生を送り、娘との再会を願う女の物語だった。ちょっと深刻でわかりにくかったけれど、スペイン人の監督らしく、色合いが鮮やかで、シーンが美しかった。この監督の作品をほかには何も見ていなかったし、特に興味があったわけでもなかったが、主人公が旅行に出かけるカバンの中に坂本龍一の本かCDが入っているのを見つけたりして見始めて、結局、最後まで見た。で、最後に聞こえてきた歌に聞き覚えがあった。年老いた女性の声で、すぐに『サン・パトリシオ』に入っていたことに気がついた。

journal1-134-3.jpg ・『サン・パトリシオ』はこのコラムで以前に少しだけ紹介したことがある。ライ・クーダーとチーフタンズの共作で、メキシコとアメリカにまたがる地域で集めた歌でできている。サン・パトリシオは1836年にメキシコとテキサスとの間で戦闘が行われた地でもある。アイルランドやスペインのガルシアとバスク、そしてポルトガルなどから移り住んできた人たちが持ちこんで、歌い継いできた音楽だから、メキシコだけでなく、フラメンコやケルト、カントリー、そしてファドなどを感じさせる不思議な作品だった。その中でひときわ際立っていたのがチャベーラ・ヴァルガスの歌う「月の光」で、しわがれた声で、時々息が継げずに途絶えたりするのが印象的だった。

chavera2.jpg ・チャベーラ・バルガスは1919年にコスタリカにで生まれたメキシコ人で2012年に亡くなっている。メキシコを代表する歌い手でアメリカやヨーロッパでもよく知られているようだ。脊髄性小児麻痺を患いながらストリートで歌い始め、30歳を過ぎてからプロ歌手になった。50年代から70年代にかけては数多くのアルバムを作り、海外にも積極的に公演をして廻ったが、70年代の後半にアルコール中毒を理由に活動を休止した。しかし、酒を断って90年代に復活している。その時すでに70歳を越えていたが、亡くなる直前までステージに立っていて、『サンパトリシオ』で歌ったのは死ぬ2年前だった。手に入れた『マコリーナ』は復活後の94年から96年にかけて作られたものである。

chavera1.jpg ・もう一枚の『Las 20 Grandes de Chavera Vargas』を含めて、彼女の歌を聴いて感じるのは、にぎやかで明るいイメージのあるメキシコ音楽ではなく、ポルトガルのファドのような愛惜に満ちた世界である。だから当然、日本の演歌にも通じている。日本人の心の歌といわれる演歌は、古賀政男以降のもので、その源流は、彼が弾いたマンドリンとファドにあるのだから。残念ながら、彼女が歌っている歌の歌詞はスペイン語だからわからない。
・チャベーラは80歳を過ぎてから、レスビアンであることをカムアウトしている。その相手であった画家のフリーダ・カーロを主人公にした『フリーダ』では、自ら登場して「La Llorona(The Weeping Woman)」を歌っている。50年代には男装で歌う異端の歌手として、先ず注目されたようだ。たんなるおばあちゃん歌手ではなかったんだ、と改めて聴き直している。

2018年8月13日月曜日

オリンピックはやっぱりやめましょう

 

・猛暑の中で行わなければならないオリンピックのために、2年限定でサマータイムを導入しようといった計画が出ています。2時間早起きしたって焼け石に水だと思いますから、策を講じたことを示したいだけなのではと勘ぐりたくなります。そのために変えなければならない事柄を考えると、たかがオリンピックのために、何を考えているのでしょうか。オリンピックが終わったらまた元に戻すというのですから、ご都合主義もいい加減にしろと言いたくなります。10月にとは言わないまでも、酷暑を理由に1ヶ月ずらして欲しいとIOCに言えばいいだけの話だと思うのですが、政権には、そんな気はまったくなさそうです。東京の夏は温暖で過ごしやすいなんて嘘をついたから、今さら言いだせないのでしょうか。

・大会中のボランティアについても、おかしな提案がいくつも出されています。ボランティアとは自発的にすることであって、ただで働くことを意味しないのですが、無給であるだけでなく、食事も交通費も宿泊費も自腹でというのですから、必要な人数を確保するのが難しいのは、わかりきったことでした。ところが文科省は大学や専門学校の学生の参加を促すために、授業や試験日程の繰り上げや祝日授業の実施を言い出しています。5月のゴールデンウィークに授業をやるなどと、いち早く対応した大学も出始めました。これでは参加を強制するようなものですから、「ボランティア」といったことばは使えないことになります。

・大学の授業は文科省の強い指導で年間30回を必ずやらなければならなくなりました。さまざまな理由で休講をすることが当たり前に認められていたのですが、今では休講したら必ず補講をすることが義務づけられています。ところがオリンピックに限っては、授業回数に読みかえても良いなどと言い出すのですから、開いた口がふさがらない話だと思いました。その文科省は入試疑惑や受託収賄容疑などが次々問題になって批判の的になっています。ひどい所だと思いますが、他方で森加計問題でリークが相次いだことに対する政権の報復だといった指摘も出されています。

・テレビのニュースは連日トップニュースで、命に関わる危険な暑さだと警鐘を鳴らしています。日中にスポーツなどもってのほかだと思いますが、高校野球では相変わらず熱戦、熱闘、そして感動などといって煽っています。視聴率や部数を気にしてのことだと思いますが、オリンピックも甲子園も、新聞やテレビはほとんど暑さを問題にしていません。メディアの多くはオリンピックを協賛する立場にいますから、開催を危惧するような問題提起は出来ないのでしょう。

olympic4.jpg・中でも、オリンピックに一番関わっているのは電通だと言われています。『電通巨大利権』(サイゾー)の著者である本間龍によれば、「招致活動からロゴの選定、スポンサーの獲得、放映中のテレビ・ラジオのCM等の広告宣伝活動、全国で開催される五輪関係行事、五輪本番での管理・進行・演出等、文字通り全部に電通が1社独占で介在」しているのです。招致活動における嘘の指南(福島原発はアンダーコントロールや東京の夏は温暖)やIOC委員への賄賂疑惑、ロゴ選定のいかがわしさや盗作問題、スポンサーの獲得(4000億円と言われているが詳細は非公開)、そして10万人のただ働きに文科省に圧力等々、この会社がオリンピックについてやってきたことには、うさんくさいことが多すぎるのです。

・電通は安倍首相や政権の演出にも深くかかわっていて、憲法改悪の国民投票が現実化する際にも、テレビや新聞等でのキャンペーン活動を任されていると聞いています。金に糸目をつけずに嘘八百のテレビCMを流されたら、投票が賛成多数になる危険性は十分にあるのです。広告料はメディアにとってのどから手が出るほど欲しいものですから、中身がどうであろうと、平気で垂れ流すことでしょう。

・オリンピックはすでにスポーツの祭典などではありません。巨額な金が動く巨大イベントで、「オリンピック憲章」に書かれていることとは似ても似つかないものに変質しています。政権は招致理由に経済効果を上げましたが、無理がたたって、開催後には経済不況がやってくると指摘する経済学者も少なくありません。オリンピックを間近に見たいなどといったナイーブな発想で期待していると、猛暑以上に恐ろしいことがやってくるかもしれません。今からでも、やっぱりやめましょう、といった声を上げる必要があると思います。大会を返上した場合の違約金は1000億円だそうです。高いと思われるかも知れませんが、役に立つかどうかわからない「イージス・アショア」1基にも満たないのです。


2018年8月6日月曜日

白神山地

 

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photo81-2.jpg・去年の鳥海山、月山、蔵王に続いて、今年は白神山地に出かけた。関越道から日本海を北上するルートは去年と同じで、一泊目は鳥海山の麓の象潟にした。途中鶴岡のクラゲ水族館で一休み。平日なのに大勢の人で、年間100万人を超える入館者があるという。鳥海ブルーラインを走って上まで行ったが、去年より残雪が少ない気がした。宿からは日本海に沈む夕日が鮮やかに見えた。翌日はさらに北上して十二湖まで。早めに着いたので、いくつかの湖を散策した。温度はたいしたことなかったが湿気がすごくて汗びっしょりになった。このあたりの名称は十二湖だが、実際には大小合わせて33もあるようだ。

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・三日目は白神山地に向けて白神ラインを走る予定だったが、通行止めなので岩木山をぐるっと回るルートになった。岩木山の有料道路はヘアピンカーブが69もあって8合目まで上がったが、上は霧がかかって何も見えなかった。白神山地は広大なブナ林が有名で、世界遺産にもなっている。道路も未舗装で車が泥だらけになったが、その割に、どこにでもあるブナ林しか見ることが出来なかった。テントと食料を持って、何日も歩き回ってこそ、そのすごさに触れることが出来るのだと改めて思った。

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・四日目の朝は宿から岩木山がよく見えた。晴れていれば頂上から北海道まで見えるようだ。この日は弘前から仙台まで走った。弘前は城下町で落ちついた感じだった。ねぷた祭りが始まっているのだが、山車の場所はわからなかった。下道を走って大館まで行き、そこから東北道までの山道を走ると尾去沢の銅山跡があった。坑道見学が出来たので入ると中は13度で肌寒いほどだった。ここは銅だけでなく金もたくさん取れたようだ。歴史も古く奈良の東大寺の金箔に使われたそうだ。鹿角から高速に乗って仙台までひとっ走り。七夕祭りで賑わう町は渋滞がひどくて、宿までずい分時間がかかった。

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・五日目は仙台から河口湖まで。途中三度ほど休憩して、東北道、圏央道、中央道を一気に走った。金曜日なのに道路は混んでいて、SAもPAも一杯だった。去年もそうだが、もっとゆっくり予定を組むべきだったと改めて思った。

2018年7月30日月曜日

佐々木裕一『ソーシャルメディア四半世紀』(日本経済新聞社)

 

socialmedia.jpg・四半世紀は25年だから厳密には、この本が分析対象にするのは1993年から2018年までということになる。しかし1993年はブラウザのモザイクや、そこにホームページなどを作成するHTML1.0が公開されたばかりの年である。だからもちろん「ソーシャルメディア」といったことばも存在しなかった。一般に使われるようになったのは2006年だと言われている。
・実際本書が扱う「ソーシャルメディア」は2001年からで、5年刻みで五部構成になっている。500ページを超える大著で、主にビジネスとして成立することを目指したユーザー・サイトについて、その設立者や運営者にインタビューをしながら、長い時間をかけてまとめたものである。25年ではなく18年ほどだが、インターネットとそれに関連する世界の急速な変容が整理された好著だと思う。

・ぼくがインターネットに接したのは1995年で、大学の研究室からだった。電子メールという新しい通信手段を使い、ネットスケープ(ブラウザー)によって国内はもちろん世界中のサイトを訪ね歩いた時の驚きや興奮は、今でも良く覚えている。サイトを探す時に使う検索エンジンはYahooで、できたばかりのAmazonで洋書を購入するようになった。書店を通すのとは段違いに早く、低額だったから、一時は研究費の多くを洋書に費やすほどだった。海外のサイトでものを買ったり、ニュースに直接アクセスするという経験は、それほどに新鮮なものだった。
・またHTMLを覚えて、1997年からこのサイトを作り始めた。もう21年になるが週一回の更新を一回も休まず続けている。始めて数年経つと一日100前後のアクセスがあり、その数は多少の増減はあったが、今でもほとんど変わらない。1999年に勤務校を変えたが、そこから数えてアクセス数はもうすぐ78万になる。単純に割ると1年のアクセス数はおよそ4000ということになる。増えもしないが減りもしない。見捨てられるのはさみしいが、やたら増えすぎても対処できなくなる。だからぼくはこの数に安心し、満足している。

・この新しい通信手段にどんな新しい世界が作り出せるか。そしてどうしたらビジネスとして成り立つか。インターネットの四半世紀は、そういう夢や野望を持った人たちの戦場という一面も持っている。万単位の人を集めるために考えられた一つが、ユーザーに積極的な参加を求めるものだった。アクセス数が増えれば、そこに広告を載せることが可能になる。あるいは参加者に課金することも出来るようになる。しかし、対処すべき課題は魅力的なサイトにしてアクセス数を増やすことだけではない。インターネットはただで利用できるメディアだという通念を、どうしたら変えることが出来るか。広告の内容とアクセス者のマッチングはどうしたら可能か。ビジネスサイトの創設者や運営者は、絶えず、このような難問と取り組むことになった。

・この本に登場するのは商品や店について、消費者どうしの情報交換の場を提供した「カカクコム」や化粧品の口コミサイトの「@cosme」、「食べログ」、質問と応答の場である「はてな」、電子掲示板の「2ちゃんねる」、ネットワーキング・サービスの「mixi」「GREE」「LINE」、そしてオンラインやソーシャル・ゲームを提供する場等々である。この中には年商が数百億円になったものも少なくない。あるいは「LINE」や「メルカリ」のように、公開した株価が総額で1000億円を超えるといった規模になっているものもある。

・ここにはもちろん、インターネットを支えるインフラの進歩や変化もあった。「ブロードバンド」が普及したのは2000年代で、それによって動画などの大容量のデータがやりとりできるようになった。2010年代になると、ネット利用にスマートフォンが加わり、パソコン以外で大量の人がアクセスするようになった。それに合わせて広告の仕方も代わり、またその規模も飛躍的に拡大した。

・いつでもどこでもスマホでネット。今はもうこういう時代になっている。「思想を持ったスモールメディア」(第一部)が「ユーザーサイト・アズ・ビッグ・ビジネス」(第二部)になり、「ユーザーサイトの黄金期」(第三部)を迎え、「メディアから仕組みへの助走」(第四部)を始めるようになった。世界中の人が多様な使い方や接触の仕方をすることを可能にしたメディアが、いくつかの巨大な企業によってコントロールされ、アクセスする人たちの自発的な行動から、簡単で便利な受け身的なそれに変わってきた。

・実はこの本の著者は、大学で同僚だった人である、広告やネットビジネスが専門領域だったから、ビジネスにも広告にも批判的で無関心だったぼくは、どんな研究をしているのか、ほとんど知らなかった。実際この本でも、ネットビジネスの可能性を追求する人たちに対するたくさんのインタビューについては、こういう人たちがネットを変容させてしまったんだと思いながら読んだ。何しろぼくはインターネットは今でも、「思想を持ったスモールメディア」であるべきだと思って実践しているのである。

・もっとも著者の佐々木さんは、大学では教務主任などの激職を長期間やり、学部の運営を支えてきた人である。こういった職に就くと研究自体を忘れてしまう人が多いのだが、彼は研究者としての自分の仕事を続け、大著をものにした。この本を贈られ、手にして読み始めた時に感じたのは、校務に負けずに頑張った、その努力や熱意に対する敬服の念だった。ご苦労様、そしてこれからもいい仕事を。

2018年7月23日月曜日

暑い!暑い!

 

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forest151-2.jpg・連日の猛暑。河口湖でも30度を超える日が続いている。夜になってもあまり下がらないから、窓を開け放して寝ている。こんな経験は引っ越して以来なかったことである。ここ数年、暑さがどんどん厳しくなっているから、もはや異常気象などとは言えないだろう。暑くなる前の豪雨と合わせて、今までとは違う気象状態になったことを自覚すべきだと思う。集中豪雨の被害だって、毎年、どこかで大きな被害が出ているのだから。

・そんな陽気のせいか、我が家では例年になく早く、ヤマユリが咲き始めた。繁茂する雑草の中に、白い大きな花がいくつも咲いて、ユリ独特のにおいが、あたりに香っている。以前は猿の群れが来て、花を食べていたが、去年から、猿の群れをほとんど見かけなくなった。桑の実や栗を食べに来て悩まされることが年中行事だったが、来なければ来ないで寂しい気にもなる。駆除されたのかも知れない。

・1週間ほど雨が降り続いて自転車に乗れなかったので、暑いとはいえ、毎朝自転車に乗るようにした。25、6度だから走れば風が涼しいが、走っている途中はもちろん、帰ってからも、ボトル1本ほどの水を飲んだ。ハンモックに揺られて体の火照りを冷まそうと思っても、いつまで経っても汗がひかなかった。疲れも取れないし、いつまでも高温が続くから、しばらく乗るのを控えた。

・河口湖でこんな様子だから、40度近い気温が続いているところでは、外に出ることすら避けたくなるだろうと思う。気温が体温を超えているのだから、仕事はもちろん、日常生活だって満足にはおくれないだろう。実際、毎日何千人もの熱中症患者が救急搬送されて、すでに何十人も亡くなったようだ。もう問答無用の暑さになってしまっているのに、この時期になると決まって、学校にエアコンをといった意見が蒸し返される。あるいは、気温を考慮せずに校外での活動をして、生徒が熱中症になった事例が、毎日のように報じられている。

・びっくりするのはそういったニュースと並べて、“熱戦”などといって甲子園野球の予選を報じていることだ。選手にも観客にも熱中症が多発しているのに、やめたらとか、夜にやったらといった声はほとんど聞こえてこない。2年後のオリンピックが猛暑の中で行われることについて、日程の変更などを言い出す人も多くない。海外からはすでに開催を危惧する記事も出ているから、参加を見合わせるような動きが出るかも知れない。

・状況を自分で判断して対応を考える。そんなことが出来ない人が多いのだなとつくづく思う。先月の大阪北部地震は通勤通学時だったが、引き返さずにそのまま会社や学校に行った人が多かった。最近の猛暑の中でも、決まったことだからとやめない人が多いようだ。何より、政治家などのリーダー役を担う人たちの中に、そんな気質が蔓延している。何しろ原発事故があって、とんでもない被害が出たのに、まだやめようとしないのだから、この国はもう救いがたい所まで来てしまっているのではと思ってしまう。