ラベル Book の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Book の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年10月11日月曜日

ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン 『アメリカを作った思想』(ちくま学芸文庫)

 

america1.jpg アメリカ合衆国はコロンブスから数えてもまだ、530年ほどの歴史しかない。政治や宗教、あるいは貧困や一獲千金目当てにヨーロッパから移り住んだ人、その人たちによって奴隷として送り込まれた人、そしてもちろん、新住民によって追い立てられ、滅ぼされた先住民などによってできた国である。極めて雑多で多様な人たちによって出来た国だが、20世紀以降、現在に至るまで、世界をリードし、支配してきた国でもある。一体、そのアメリカとは、どんなふうにしてでき上がったのか。この本は、その思想的側面に注目して分析した歴史書である。

ヨーロッパからの入植者が始まった時、北アメリカにはすでに5千万人を越える人たちが1万年以上も暮らしていた。この人たちは、中南米にあったマヤやインカといった帝国と違って、数千にも別れた部族社会で、ことばも暮らし方や習慣も違っていた。入植者たちは先住民に助けられ、また教えられることも多かったが、土地を奪い、殺し、また天然痘などを感染させて、その多くを滅ぼすことになった。しばらくは先住人との対比でしか自らのアイデンティティを自覚できなかった新住人たちが、アメリカ人として自覚し、建国するまでには数百年の時間が必要であったという。

アメリカが作られる過程では、もちろん、ヨーロッパからの新しい思想や哲学、あるいは文学が輸入された。そこからアメリカ的なものが生まれるのだが、この本でまず取り上げられているのはアメリカの独立の必要性を説いたトマス・ペインの『コモン・センス』であり、エマソンやソローに代表される「トランセンデンタリズム」(超絶主義)である。この自由と平等に基づくアメリカ生まれの新しい思想は、当然、奴隷を使う農耕を基本にする南部では受け入れられず、南北戦争が起こされることになる。

「トランセンデンタリズム」はダーウィンの「進化論」をもとに、人間が神によって現在のままにつくられたのではなく、多様な形態で進化してきたことを説き、白人も奴隷も同じ人間であることを主張した。しかしここには対立的な立場もあって、進化の過程で優劣が生じ、白人の優越性が生まれたと主張する「社会的ダーウィニズム」と呼ばれる動きもあった。この「進化論」をめぐる両極端の考えは、今でもなおアメリカを二分する思想の根にあるようだ。

アメリカを代表する哲学は「プラグマティズム」だと言われている。ジョン・デューイによって始められたこの哲学は、「普遍的で時間を超越した真理の探究を放棄し、かわりにある命題が真なのはそれが含意ないし予測する実践上の帰結が実際に経験として現れる場合だと言うことを強調した。」真理や信念はテストされる命題に過ぎない。それは何より実証的、経験的であるべきであり、現実に目を向け、そこから出発すべきだと考えた。「ダーウィニズム」や「トランセンダリズム」に影響されて生まれた「プラグマチズム」は20世紀のアメリカを根元から支える哲学になった。

こんなふうにしてアメリカの歴史を読み解いていくこの本には、今まで読んだことも聞いたこともない本や人の名前が次々登場する。先住民について、奴隷について、そしてもちろん移住者たちについて、今まではあまり注目されなかった文献を丹念に集め、徐々にアメリカ的なものが自覚され、思想が生まれ、国家として確立していく過程が丁寧にまとめられている。アメリカの歴史も「トランセンデンタリズム」も「プラグマティズム」も興味があって、ずいぶん読んできたが、今までとは少しだけ違うアメリカの歴史を知ることができた。

2021年7月5日月曜日

宮沢孝幸『京大おどろきのウィルス講義』


corona1.jpg・新聞の書評欄で見つけて、読みたくなった。欧米ではワクチン接種が進んで、鎮静化しつつあるが、変種のウィルスによってまた、感染者が増えたりもしている。この新型コロナ・ウィルスとは一体何者なのか。そんな疑問を持ち続けていたからだ。読みはじめて感じたのは、ウィルスというものの複雑さや深遠さで、克明にメモを取って読まなければ理解もしにくいし、頭にも残らないということだった。しかし、久しぶりにノートを取りながら読んで、新たな世界が開けたような気になった。

・当たり前だがウィルスは人類の誕生よりはるか昔から地球に存在してきた。生物でも無生物でもなく、他の生物に寄生して生き長らえてきた。著者は獣医学の専門家で、ウィルスの研究者だが、ヒトに比べて動物に寄生するウィルスについては、これまであまり研究されてこなかったと言う。エイズ・ウィルスやSARSコロナウィルスが登場してヒトに危害を及ぼすまでは、動物に寄生するウィルスは、研究対象としてはほとんど無視されてきたというのである。

・今、世界中を襲っている新型コロナ・ウィルスに研究者はもちろん、世界中の人びとが恐れ、翻弄されているわけだが、獣医学の分野でウィルスを研究してきた著者にとっては、それほど驚くことではなかったようである。そもそも、人に感染するウィルスは、動物に寄生しているウィルスのごく一部にすぎない。ウィルスは野生のあらゆる生き物はもちろん、牛や馬といった家畜や犬や猫などのペットにも寄生している。それが、突然変異をおこしたり、他の生物に感染した時に、悪さをするようになるのである。

・新型コロナウィルスは正式には"SARS-Cov-2"と名付けられている。コウモリ由来で、2002年に流行したSARSコロナウィルスに近く、その弱毒型のバリエーションにすぎないようである。しかし、弱毒型である故に多くの人に感染し、世界中に広まってしまっているというのである。確かにスプレッダーと言われる人の多くは無症状で、自分が感染していることに無自覚だったりするのである。感染集積地を特定したらできる限り多くの人にPCR検査をして、感染の広がりを防ぐようにする。その感染防止のイロハが、日本では未だに行われていないのである。

・生物の細胞内にはDNAという身体の設計図があり、これがコピーされてRNAという手続き書になり、それをもとにたんぱく質が作られるという仕組みがある。それによって細胞が絶えず作られ、成長したり、新陳代謝をおこしたりするのだが、ウィルスにはRNAの遺伝情報を持って生き物の細胞に入り込み、そのRNA情報をDNAに変換させて、寄生した細胞のDNAに付け加えさせてしまう種類があって、「レトロウィルス」と名付けられている。このウィルスの目的は、進入した細胞を使って自らを再生産することにあるのだが、感染した細胞にはこのウィルスのRNAがDNAとして残ってしまい、悪さをされることがあるのである。

・典型的には「成人T細胞白血病」を引き起こす「ヒトTリンパ好性ウィルス」(HTLV)やエイズを起こす「ヒト免疫不全ウィルス1型」(HIV-1)があって、どちらも感染すれば死の危険があって恐れられたものである。しかし、生物には「レトロウィルス」が入り込むことを利用して、新しい臓器を作り出すという進化の仕組みも見られるのである。この本で紹介しているのは著者の研究テーマでもある哺乳類の胎盤と「レトロウィルス」の関係である。卵子と精子が結合して受精卵となり、それが胎盤に着床して子宮の中で成長していく。この時母胎が受精卵を異物として攻撃しないよう制御するのが、ウィルス由来のDNAだというのである。

・この本ではさらにiPS細胞と「レトロウィルス」の関係にも話を進めている。読んでいて、ウィルスと生物の関係の複雑さと深遠さを、改めて教えられた気がした。コロナ禍は個人にとっても、国や世界にとっても大変深刻な問題だが、地球やそこで生きる生物が辿ってきた長い歴史という視点にたてば、ウィルスが欠かせない存在だったことがよくわかる1冊である。

2021年5月31日月曜日

宮入恭平・杉山昴平編『「趣味に生きる」の文化論』

 

shumi1.jpg・「趣味に生きる」とはどういうことか。生き甲斐を趣味に求めるということ?あるいは、趣味を生きる糧にするということ?題名から考えたのは、そんな疑問だった。一般に「趣味」とは、仕事や家事や育児などといった、しなければならないことのほかに、自分の興味に従って、時間やお金やエネルギーを費やすこととして考えられている。その意味ではあくまで「余暇」として嗜むことである。

・しかし、この本が扱っているのは、ほどほどにではなく、本気になって「マジ」で取り組む「趣味」である。全体を通じてキイワードになっているのは、「カジュアルレジャー」と対照させた「シリアスレジャー」という概念である。それは「アマチュア、趣味人、ボランティアによる活動で、彼・彼女らにとってたいへん重要でおもしろく、充足をもたらすものであるために、典型的な場合として、専門的な知識やスキル、経験と表現を中心にしたレジャーキャリアを歩みはじめるもの」(R.ステピンス)である。

・このような定義の元で、ここでは「お稽古事」「ボランティア」「ランニング」「バンドマン」「演劇」「将棋」「囲碁」「アイドル」などが事例として提供されている。あるいは自主的な放送として始められた「CATV」や「LGBT」に関わる活動への参加、そして学校という場における「部活動」や「発表会」に目を向けている。また、趣味を通じての関わりを「趣味縁」として、「SNS」や日系人の歌う文化、スポーツを通じた観光まちづくりなども話題にしている。

・もちろん、「シリアスレジャー」としての「趣味」といっても、そこには多様な側面がある。プロとしてお金を稼ぐわけではないが、高度な技術や能力の獲得をめざすものもあるし、プロをめざしているがアマチュアに留まっているという場合もある。仕事と余暇を明確に区別して行うこともあれば、境界が曖昧になるほど夢中になって、生活がたち行かなくなる場合もある。あるいは社会活動や政治的な行動のように、「趣味」とは言えない領域に生き甲斐ややり甲斐を求め、感じる人もいるだろう。この本を読めば、そんな「趣味に生きる」現状がよくわかる。

・日本の大学には「観光」について学ぶ学部はあっても、「余暇」や「レジャー」と名のつく講義すらない。それは「趣味に生きる」ことが、まっとうな生き方として考えられてこなかったし、今でもそう思われていないことの証である。「趣味」はあくまで、自由な時間に行われるべきもので、それは「仕事」などの「生業」を侵してまでやってはいけないものなのである。そして現在では、その「生業」自体が、不安定で低収入な状況になっている。その意味では、今は「趣味に生きる」ことが、極めて難しい時代なのだと言う視点が希薄な感じがした。

・さらに、超高齢化社会になって、定年退職をした後に数十年も、何か趣味を見つけて生きなければならない人が急増した時代でもある。毎日が日曜日という日常は天国でもあり、また地獄でもある。執筆者のほとんどが若い人たちだというせいもあって、この本にそんな視点がないのも、老人である僕には、少し物足りなかった。

2021年4月26日月曜日

 

子育て日記に想うこと

kudo1.jpg・工藤保則さんから本が届きました。『46歳で父になった社会学者』(ミシマ社)というタイトルに、おやおやと思い、笑ってしまいましたが、読みはじめると、他人事ではなかったな、と反省してしまいました。

・工藤さんのパートナーは出版社で編集の仕事をしています。実は彼女とは2冊の本を出していて、最初の『コミュニケーション・スタディーズ』は彼女にとって最初の編集の仕事であり、2冊目の『レジャー・スタディーズ』は、出産後に復帰してすぐの仕事でした。相変わらずの仕事ぶりに、出産も子育ても順調なのだろうと、勝手に判断していましたが、この本を読むと、大変なことだったことがわかりました。

・本の内容は工藤さんが雑誌に連載していた子育て日記です。46歳になって初めての子育て体験が大変なことがよくわかります。何事も初体験で、それまでの生活習慣をがらっと変えなければならなかったのですから、それは当然でした。もちろんここには、しんどさだけではなく、子どもとつきあうことでもたらされた楽しい経験も、詳細な日記をもとに語られています。

・子どもは二人にとって計画的ではなかったようです。で、彼女には母親になることに対する不安が生まれました。出産前からあれこれ悩み、重いつわりや、出産時の苦闘、そしてその後の体調の悪さを抱え、仕事に復帰しての子育てと続きました。そんなこととはつゆ知らず、本を作る過程で、彼女にあれこれ注文したのではなかったかと、改めて思い起こさざるを得ませんでした。

・僕にとって子育ては、すでに40年以上前のことでした。あー、そんなこともあったなと、思いだすこともありましたが、ずいぶん違うと感じられることもありました。二人がフルタイムの仕事をしていれば、子どもは預けることになります。しかし、僕らはフリーで仕事をしていましたから、どちらかが家にいるローテーションを組んで、子どもを預けることはしませんでした。これは二人目の子どもの時も続きましたから、僕らの子どもたちには、保育所や学童保育の経験はありません。

・二人がフルタイムで働いて子どもを育てることが大変なのは、この本を読んでもよくわかります。これでは子どもが欲しくても無理だと思う人が多いのも頷けます。だからといってフルタイムでなければ、経済的に苦しくて生活が困窮してしまいます。その意味では、40年前に比べて、日本は明らかに貧しくなったと言えるかもしれません。そもそも預けることも容易ではないようですから、子どもの数が減るのは当たり前のことなのです。

・もう一つ、「イクメン」などということばが今頃になってもてはやされていますが、男が家事や育児に関わらないことは、40年前だって問題にされていました。僕は積極的に関わり、そのことを新聞や雑誌に書きましたし、テレビでも取り上げられたことがありました。半世紀近く経っても現状がさほど変わっていないことに、日本社会や男たちの意識の低さを感じます。それだけに、もう若くはない年齢になって家事や育児に奮闘する工藤さんには、がんばれ!とエールを贈りたくなりました。

・僕は自分自身が求め、経験したライフスタイルを研究対象にして何冊かの本を書きましたが、井上俊さんから「私社会学」と言われました。この本には、そんな特徴を感じて親近感を持ちました。

2021年4月12日月曜日

ヘンリ・ペトロスキ『失敗学』青土社

 失敗を認めない。失敗だと自覚しない。最近の日本は、こんなことのくり返しのように思われる。その最たるものは、東日本大震災から10年過ぎてもまだ廃止できない原発だろう。欧州では太陽光や風力が主力電源になっているのに、日本の政府はまだ、脱炭素化社会に不可欠だなどと言っている。
JR東海が建設中のリニア新幹線も同様だ。コロナ禍でも仕事の多くはリモートでできている。仕事や生活の仕方が大きく変化すれば、交通機関もそれに対応しなければならない。乗客の落ち込みが常態化して、既存の新幹線もリニアも共倒れになるかもしれないのに、そんなことには目もくれないようである。そもそも、南アルプスに穴を開けるのは無謀な行為だし、膨大な電力量を必要とするリニアには、原発が欠かせないのである。

コロナ禍でわかったのは、日本の政府がどこの国よりもダメだということだった。PCR検査を徹底させて感染源を断つことをしなかったし、「Go to~」などというコロナをまき散らすことに巨額の税金を使ったりしたのである。しかも誰一人として、そんな繰り返される失敗を認めようとしない。で、開けるはずのないオリンピックに固執して、聖火リレーを始めてしまっている。一度始めたらやめられない、止まらない。こんな性癖は戦争で懲りてるはずだが、やっぱり同じ轍を踏んでいる。なぜ、どうして、と思って読みはじめたのが『失敗学』だった。彼の本は『鉛筆と人間を』自分でも訳していたから、まだ読んでいない本を何冊か持っていた。

petroski1.jpg 著者のヘンリ・ペトロスキは土木工学の研究者である。だから内容は、洞窟に投影される光と影からカメラなどを経て、PowerPointなどのデジタル機器に至るもの。飛び石から木の橋、そして巨大な吊り橋に至るものなどを話題にしている。そこで主に問われるのはデザインの問題であり、小さいものと大きいものに関わる事柄である。
そこにはもちろん、はっきり失敗とわかる事例がある。風で落ちてしまった吊り橋や地震で倒壊した建物などである。それらは設計そのものに原因があったり、材料の問題であったりする。しかし大事なのは、失敗を批判し、非難するだけではなく、失敗の原因を探り、その改善に力を注ぐことである。

失敗は失敗で終わらないし、成功も成功で終わらない。この本が言っているのはこの一点である。失敗には学ぶべきものがたくさんあるし、成功したからといって、それで終わるわけではない。失敗の原因は何らかの欠点や欠陥に求められるが、欠点や欠陥は、成功したと思われるものの中にも必ずある。だからこそ、どんなものも改良や改善が進み、画期的な変容が可能になるのである。

この本を読みながら考えた。蒸気機関が鉄道を産み、電気によって進化した。それは現在の生活には欠かせない交通機関だが、それをさらに進化させたリニア新幹線は、未来に必要な技術だろうか。電気なしには生活できない世界になったとは言え、大惨事をくり返し起こしてきた原発が、未来に不可欠な電源と言えるのだろうか。時代の流れに沿わないし、危険性があまりに大きい。それがわかったなら、計画を断念したり、開発を中止したり、できてしまっているものを捨てたりする。その決断こそが重要だが、日本人にはそれが一番苦手なのかもしれない。

現在のコロナ禍は異常事態である。だから通常とは違うルールや発想が必要になる。しかし平時のルールや慣習や既得権に縛られているから、適確な対応がとれずに後手後手になる。それでも、自らの失敗を批判されたくないし、認めたくないから、責任をうやむやにして、根拠のない新手を打ち出し、かえって支離滅裂になって泥沼にはまることになる。緊急事態を解除したらすぐに感染拡大してしまったから「マンボウ」だって。こんな体質の政府や政治家や官僚やメディアに任せていてはいけないのに、人びとはあまりにおとなしく、従順だ。

2021年3月1日月曜日

ジリアン・テット『サイロ・エフェクト』(文春文庫)


silo1.jpg・サイロとは牧場などにある貯蔵庫のことだ。大きな牧場ならそれがいくつも林立している。日本でも北海道に行けば、よく見かける風景だろう。ただし、この本は酪農を扱っているのではない。大きな組織が専門化や細分化されると、それぞれが独立し、分断化して、全体としてうまく機能しなくなることを指して、「サイロ・エフェクト」と名づけているのである。
・著者のジリアン・テットはアメリカのフィナンシャル・タイムズで働くジャーナリストだが、彼女はまた文化人類学で博士号をもつ研究者でもある。そんな経歴から、人類学的なフィールド・ワークを駆使し、ピエール・ブルデューの理論や視点の持ち方を使って、高度専門化によって陥りやすい社会の罠を分析している。

・「サイロ」は日本ではなじみがないから、「たこつぼ」と言った方がわかりやすいかもしれない。同じ組織でも専門化されて細分化されれば、それぞれが分離独立して、相互のコミュニケーションや情報の共有がしにくくなる。と言うより、相互に競争意識が強くなったりすると、意図的に情報隠しが行われたりもするのである。そのような例として最初に取りあげられているのは、日本の先端性を代表する企業だった「SONY」だ。

・「SONY」は「ウォークマン」で音楽の聴き方を一変させたが、「アップル」の「iPod」の登場によって消えてしまった。カセット・テープからCD、そしてDVDと進化して、次は小型のハードディスクになることはわかっていたはずなのに、なぜ「SONY」にはデジタルの「ウォークマン」が作れなかったのか。著者が指摘するのは、巨大企業になっていくつものサイロに分極化した組織の仕組みの問題である。実は新商品は開発されていたのだが、それがいくつものサイロから相互の検証なしに複数提案され、同時に複数商品化されたのである。「iPod」に負けて売れなかったようだが、ぼくはそんな商品自体があったことすら知らなかった。

・この本では、そんな巨大企業化してサイロの林立を招いた故に衰退した企業をいくつか追っている。たとえば「マイクロソフト」やスイスの銀行である「UBS」、そしてリーマンショックを予測できなかった経済学者や規制当局などである。ここにはもちろん、巨大都市における細分化された自治組織が抱える問題もある。どんな組織でも、大きくなれば分野ごとに分割して、専門性を避けることは避けられない。その時に大事なのはできたサイロをつなぐ回路と人的・情報的な交流だが、それがおろそかになるのが自然の流れなのである。

・この本ではもちろん、そんな罠に陥らない、陥っても再建できた例も紹介している。たとえばSNSで急成長した「Facebook」は最初からサイロ化の危険を自覚していて、採用する人材を誰であろうと先ず、訓練期間を設けてたがいに顔なじみにすることをしてきた。だから部署が違っても、必要なら情報交換や相互の交流がやりやすかったというのである。またクリーブランドの病院が外科や内科といった分け方をやめて、脳や心臓、あるいは肺といった身体の部位によって再編した例も紹介している。ここでは同時に、医師や看護師と患者の関係やコミュニケーションの取り方などにも、旧来のやり方を改めることが実践されている。

・かつては世界をリードした多くの日本企業が、現在では衰退化している。だから「サイロ」の問題は「SONY」に限らないのだろうと思う。かつての栄光に囚われて、その再現ばかりを追い求めて、世界の流れや変容に気づかないし、見ようともしない。もちろんそんな特徴は、国の政府機関でも変わらない。原発、リニア、そしてオリンピック、コロナ対策等々、何をやってるんだと首をかしげ、腹立たしくなる政策が何と多いことか。

・難局を乗り越えたり、新しい流れを作りだしたりするヒントは、専門外のところに偏在している。だからそれに気づくためには、専門に囚われない目と、意外な視点や、それに基づく発想が必要だし、それを無視しない心のゆとりが望まれるが、今の日本には、そのどれもがかけているように思われる。何しろ男ばかり、老人ばかりがトップで幅をきかせつづけているのだから、これはもうどうしようもないのである。

・日本は今、国全体が一つのサイロのなかにある。政治も経済も社会もまるで閉ざされた孤島状態だ。そう言えばガラパゴスということばもあった。だから森発言に対する世界中の批判にあたふたする。コロナのワクチンが作れないのが日本の現状であることも含めて、サイロの外からの目で日本を見直す必要があるだろう。

2021年1月18日月曜日

斉藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)他

 「人新世」は「じんしんせい」と読む。"Anthropocene"の訳で、地球に人類が登場し、地質や生態系、そして大気などに影響を及ぼし始めた以後の時代の呼び名である。古くは農耕革命以降をさすが、産業革命以後や、20世紀の後半以降をさす場合もある。地球環境の劇的変動は20世紀後半以後のことだから、ここに注目して取りざたされることが多いことばであるようだ。

saito1.jpg 『人新世の「資本論」』は、この20世紀の後半から深刻になりはじめた環境問題、とりわけ二酸化炭素による温暖化を食い止める策として、資本主義そのものを捨てることを主張し、その理論的根拠としてマルクスの資本論を読み直したものである。著者の斉藤幸平はまだ若い研究者だが、一読して、優れた人がでてきたものだと感心した。

資本主義はイギリスにおける「囲い込み運動」に端を発し、産業革命によって本格化した経済の仕組みである。つまり、羊を飼う農場を作るために地主に追い出された小作農が、都市に移り住んで工場などの労働者になったところから出発したものである。そこには本質的に、労働力を安価なものにすることで、資本を蓄積するという仕組みがあった。マルクスの資本論は、その資本家による労働者からの搾取を批判し、労働者の抵抗や運動のバイブルになった。ソ連や中国などのマルクス主義に基づく国が生まれたし、労働者の権利や福祉を重視する国もできた。

20世紀の後半は、先進国では貧富の格差が縮まることを政策的な目標にして、経済的、物質的な豊かさと福祉制度が行き渡ることをめざした。しかし、国家の財政がうまくいかなくなり、グローバリズムや新自由主義的な考えが幅を利かすようになると、資本主義は、一部の資本家を際限なく豊かにし、莫大な数の貧民を作るようになった。また大量のモノの生産と廃棄、資源の浪費、人やモノの移動、海や大気の汚染、そして排出されたCO2がもたらす温暖化等々ももたらした。このままではそう遠くない未来に、地球は人間をはじめ、生物が生きにくい世界になることが明らかになった。この本で説かれる現状分析は、決して新しいものではないが、うまく整理されていて説得力がある。

斉藤は、この危機を乗り越える方策は、マルクスに帰って資本主義を捨てることしかないと言う。資本主義は本質的に人を強欲にして、資本を独り占めにさせようとするものだから、いくら成長しても、すべての人が豊かで幸福な人生を過ごすことなどできないシステムである。21世紀になって、その本性が露骨に現れてきた。しかも、成長し続けなけれ生き残れない資本主義には、地球環境の危機を乗り越える術も、姿勢もないのである。著者が主張するこの危機を乗り越えるための方策は、「コモン」から新しい「コミュニズム」へという道である。

saito2.jpg 『未来への大分岐』は、著者と考えを共有する人たち三人との対談をまとめたものである。アントニオ・ネグリとの共著『帝国』(以文社)で知られるマイケル・ハートは、社会的富を民主的に共有して管理する「コモン」から出発して新しい「コミュニズム」に至る道を提唱する。『なぜ世界は存在しないのか』(講談社)の著者であるマルクス・ガブリエルは、「ポスト真実」や「フェイク」で混乱する世界に「新実在論」を掲げて注目されている哲学者である。そしてポール・メイソンは、『ポストキャピタリズム』(東洋経済新報社)で、デジタル技術が資本主義を凋落させて、より自由で平等な社会をもたらす可能性がある反面、デジタル封建主義を作り出す危険性を指摘する。

この本を読むと、現在が未来に作り出される世界の分岐点にいることがよくわかる。そこでさまざまな可能性に触れ、そこに向かう動きが既に起きていることも指摘されている。ちょっと安心したくなる気にもなるが、しかし、そうなるにはまた、大きな障害が無数に存在していることにも気づいてしまう。マルクスの有名な「大洪水よ、我が亡き後に来たれ」は、現在の「今だけ、金だけ、自分だけ」という風潮を予見するものだが、また人間の本質に根ざした変わらない特徴のようにも思われる。だからこその「脱資本主義」だが、一体どこから、どんなふうにして、その動きが起こるのだろうか。何より日本では、他の先進国で若者たちを中心に動きはじめた格差や人種差別や温暖化などについて、あまりに無関心すぎるのである。

2021年1月4日月曜日

静かな正月と新しい本




forest172-1.jpg
                              家から30分弱の急登でこの景色。いつ来ても誰もいない。絶景独り占め。

forest172-2.jpg 寒波襲来とコロナ禍で、正月はどこにも行かずに過ごしている。もちろん訪れる人も誰もいない。例年なら東京に出かけてホテルに泊まり、孫や親に会ったり、初詣をしたのだが、今年は東京に行くことなど、もってのほかになってしまった。代わりに息子ファミリーが来ることになっていたのだが、感染者の急増で、それもやめになった。小さい孫がストーブに触れないようにと柵を買ったのだが、無用になってしまった。柵をつけると薪をくべたり、鍋を乗せたりするのが面倒だから、また来る日まで押し入れにしまっておくことにした。

とは言え、寒波襲来前は比較的暖かかったから、自転車に乗り、裏山にも登った。ハアハアと息をし、寒さに鼻水をすすりながら、結構がんばった。さて一月はどうなるか。来年に使う薪がないので、付近の枯れ木や倒木を拾っているが、とても足りない。原木の調達出来ましたという連絡を、首を長くして待っているところだ。雪が降って積もったら春になってしまうし、その時にもまだ手に入らなかったら、いよいよ困ってしまう。

communication1.jpg 10年ぶりに改訂した『コミュニケーション・スタディーズ』(世界思想社)ができ上がった。毎年、大学の教科書として使ってもらい、なおこれからも使われるだろうというので、著者の人たちにがんばってもらった。前半の理論的な部分の変更はわずかだったが、応用編の文化やメディアに関するところは、この10年の間に変えなければならないところが多かった。今ではもう当たり前だが、スマホやSNSは10年前にはやっと産声をあげたところだったのである。それらがもたらした変容には、調べていて、今さらながらに驚かされてしまった。

あるいはLGBTなどということばと性別や婚姻形態に関する問題もここ数年に盛り上がったものだし、貧富の格差やグローバリズムの進展と、それがもたらした問題なども検討して追加しなければならなかった。それに加えて、改訂作業を始めた頃から世界中を混乱させたコロナ禍である。人間関係の基本である対人接触を避けることが必要になったから、これはまさに「コミュニケーション」の問題だった。これが一過性のもので終息するのか、それとも、大きな変更を伴うものなのか。それはまだ不確かな問題だから、どこまで触れたらいいのか大いに悩んでしまった。

日本人にとって「コミュニケーション」能力とは、人とうまくつきあう術を意味している。特に最近では、この傾向がさらに強くなっている。しかし「コミュニケーション」にはディベートのように競う要素もあって、そのためには「アイデンティティ」、つまり自分自身をしっかり自覚することが必要だし、「コミュニケーション」を成立させる基盤になる「コミュニティ」も必要である。だから「アイデンティティ」と「コミュニティ」の意識が欠如した「コミュニケーション」が、今、一番問題にすべきところなのである。そのことは前書から強調してきたことだが、「忖度」「や自粛」など、この傾向がますます強くなってしまっているのが現状だ。

欧米では、人種差別や格差、そして気候変動をもたらす環境問題に自覚的なZ世代の登場が話題になっている。1960年代以来の、政治に自覚的な世代の登場だと言われている。ところが日本では、その同世代が極めて内向きで、政治には無関心で、協調性や同調性に敏感だと指摘されている。それはまさに「アイデンティティ」と「コミュニティ」の自覚が薄いところで「コミュニケーション」をしていることの結果なのだと思う。この本を教科書として読むことで、少しでも、そのことに自覚してもらえたらと願っている。

2020年12月7日月曜日

加藤典洋『オレの東大物語』(集英社) 『大きな字で書くこと』(岩波書店)

 tenyo.jpg加藤典洋が亡くなった時に、僕はショックを受けて、このホームページで追悼文「加藤典洋の死」を書いた。『オレの東大物語』は、彼の死後一年以上たって出された遺作だが、死の直前に闘病生活をしている最中に、わずか二週間で書いたとされている。直接の死因は肺炎ということだったが、本書には急性骨髄性白血病だったとあった。ここ数年、周囲でも白血病に罹った人が二人いたから、その闘病生活の苦しさは想像することができた。まさに命を削っての、最後の著作だったのである。
だから、生死の境目で苦しみながら、なぜ、大学生時代のことを思い出して書こうと思ったのか。そんな疑問を感じながら読みはじめた。しかし、東大闘争に深く関わっていて、事細かに振り返っているから、読んでいて、夢中になれなかった。彼は安田講堂での攻防が鎮圧された後も、運動に関わるような、関わらないような、曖昧な生活を続けた。振り返ってみて改めてそのことを思い出すのだが、そんな態度が、彼がずっと批判し続けてきた、戦後の日本の姿勢に瓜二つであったことに気づくのである。

彼は山形から東大に現役で合格し、教養課程の駒場では、早くも文学評論の活動を始めている。そして、学内で起きたさまざまな問題に関わり、新宿や羽田で行われた大規模なデモにも参加している。父親が警察に勤務していたことから、機動隊に捕まることは極力避けなければならないことだった。他方で、新宿駅周辺にたむろしたフーテンたちにも興味を持って、頻繁に出かけることもあったようだ。ところが専門課程の本郷に移ると、その居心地の悪さを感じ、また激化する大学紛争に翻弄されるようになる。本当なら、ここで大学をやめてもよかったのだが、彼はズルズルと続け、大学を批判しながら大学院の入試を受け、二年続けて落とされることになる。

で、諦めて国立国会図書館に就職するのだが、仕事には全然興味が持てないままに、ここでも辞めずに続けることになる。そこで六年努めた後、カナダのモントリオール大学東アジア研究所での日本関係図書室拡充の仕事に派遣された。そこで鶴見俊輔と出会い、多田道太郎を紹介され、多田が開設に関与していた明治学院大学国際学部に勤務することになる。彼の処女作である『『アメリカ』の影』が出たのは1985年で、国会図書館を辞めて明治学院大学に勤めるのは翌年の1986年である。以後、文芸批評家として、戦後の日本の政治状況を批判的に語る人として、数多くの著作を残すことになった。

tenyo3.jpg『オレの東大物語』の「オレ」に、僕は違和感を持って読んだ。なぜ、「僕」や「私」ではなく、「オレ」だったのか。死後に出された『大きな字で書くこと』(2019)では主語は「私」になっている。こちらは、『図書』に死の直前まで2年半にわたって連載したものと、信濃毎日新聞に1年連載されたものをまとめたものである。幼い頃のこと、父のこと、そして大学時代のことなど、極めて個人的な話題が多いが、「私」である分だけ、冷静で、また距離も置いて書かれている。『オレの東大時代』と同じ内容で、ほとんど同じ文章のものもあるが、読んでいてずいぶん違う印象を持った。

「私」「僕」そして「オレ」。もちろん、ここには複数形の「私たち」「僕たち」「オレたち」と言い方もある。これらの使い分けには、もちろん、さまざまな理由がある。僕は一貫して「僕」を使い続けていて、論文に「僕」はおかしいなどとよく批判された。論文はエッセーではないから、「私事」や「個人的な視点や関心」を論文に入れてはいけないなどとも言われたが、いったいどこにそんな規則があって、それは誰が決めたものなのか。そんな反撥心を持って書き続けてきた。しかしさすがに「オレ」は使わなかった。日常的にも使わなかったからだが、加藤典洋はなぜ、大学時代を振り返って「オレ」にしたのだろうか。あるいは彼は、普段は「オレ」と言っていたのだろうか。2冊を読んで改めて、そんな疑問を持った。

『言語表現法講義』(岩波書店)
『可能性としての戦後以後』(岩波書店)、『日本の無思想』(平凡社新書)
『3.11 死に神に突き飛ばされる』岩波書店
『戦後入門』ちくま新書
『村上春樹はむずかしい』岩波新書

2020年10月12日月曜日

コロナ後の世界について

 パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』
朝日新聞社編『コロナ後の世界を語る』
大野和基編『コロナ後の世界』


コロナ禍はもちろん終息してはいない。それどころか、次の冬こそが感染爆発を抑えられるかどうかの正念場だと思う。しかしそれにしては、日本の政府は「Go to~」とオリンピックにばかり勢力を注いで、感染対策には本腰を入れていないように見える。高をくくっているとしか思えないが、コロナ慣れは多くの人びとにも蔓延しているかのようである。他方で「コロナ後」を予測する新聞記事や書籍も目につくようになった。で、いくつか読んでみた。

colona2.jpg 『コロナ後の世界を語る』は朝日新聞に連載された記事をまとめたものである。冒頭の養老孟司と次の福岡伸一はウィルスと人間の関係を生物学的な視点から語っている。コロナ後と言えばどうしても、明日や明後日のことを考えがちになる。しかし、生物学の視点から見れば、ウィルスと生物の関係は、はるか昔からずっと続いているものである。
ヒトゲノム(遺伝子)の4割がウィルス由来だと言う。しかもその多くは何の役に立っているのかわからない。養老は、わからないけれども、組み込まれていることには何らかの理由があるはずだと言う。一方福岡は、ウィルスは高等生物の遺伝子の一部が外に飛び出したものだと考える。それがまた宿主を求めて入り込む。悪さをすることもあるが、親から子へといった垂直だけでない水平方向への遺伝子の伝達に役だっている。「長い時間軸を持って、リスクを受容しつつウィルスとの動的平衡を目指すしかない」というのである。

とは言え、やはり明日明後日をどうするかといった問いかけも必要だろう。『サイエンス全史』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリはウィルス禍を「国際的な連帯か孤立か」「民主主義か独裁か」、そして「経済についての政治判断」の三点を指摘して、重要な岐路に立っていると言う。そして、この本に登場する他の人たちの意見は、この三つの対立や選択をめぐって書かれたものが多い。

colona3.jpg 『コロナ後の世界』はもともと、世界的な知性と言われる6人にコロナ禍前にインタビューをしたもので、コロナについて追加して出版されている。一番興味深かったのはスコット・ギャロウェイの「新型コロナで強力になったGAFA」だった。ロック・ダウンなどで世界中の人びとが家に閉じこもって、仕事も買い物も遊びもネットで行うようになった。既に巨人化した四つの企業がますます強大になって、世界中の人びとの暮らしを支配するようになった。電力や水道や道路のような公共的な役割をするようになったのだが、一番問題なのは、GAFAにとって最大の目的は利益の追求にあって、国家や国際社会への関心がない点にあると言う。国家の長はどこもだれも頼りないし、危なっかしくて心もとない限りだし、国際社会を統括する組織も目立たない。
それでは個人レベルではどうか。リンダ・グラットンの「ロック・ダウンで生まれた新しい働き方」には、在宅勤務の増加や、人生における仕事以外、つまり家庭生活や趣味や遊びに重きを置く傾向が、好ましいものとして指摘されている。当然そうなるだろうと思うが、同時に、リモートでは仕事にならない職種や、コロナ禍で職をなくした人たちとの間に生まれる格差はますます大きくなる。企業にしても個人にしてもコロナはその格差をますます肥大化させてしまう。この二冊を読んで感じたのは、何よりその点だった。

colona1.jpg パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』はイタリアで感染拡大が起きた二月の末に書き始められている。著者は数学者で、『素数たちの孤独』という青春小説の作者でもある。だからパンデミック中の記録ながら、文章には数学者ならでは、あるいは小説家ならではと言った話題や描写の仕方があった。例えば感染者数は常識的には線形的に増加すると考えがちだが、実際には指数関数的に激しく増加した。それは医学的には予測できることなのに、メディアは「劇的に」などと書いて、読者を煽ってしまう。ほとんどパニックに近い状況の中で書かれた本書には、混乱を隠さない気持ちと極めて落ち着いた心が同居している。
そんなところに魅力を感じて『素数たちの孤独』も読んでみた。幼い頃に事故でけがをした少女と、双子の妹を自分のせいで亡くしてしまった少年の恋愛物語だ。それぞれ深い傷をもって成長した二人が、それゆえに引かれ合うが、またそれゆえに傷つけ合って別れてしまう。ちょっとつらい話だったが、最後まで一気に読んだ。なお、この小説はイタリアでストレーガ賞を獲得している。


2020年8月31日月曜日

作る者と作られた者

 ポール・オースター
『写字室の旅』
『闇の中の男』
『オラクルナイト』

オースターをずっと読み続けている。といっても寝る前にベッドの中でだから、数分の時もある。面白くなってやめられなくなっても、1時間を過ぎたら寝ることにしている。前回も書いたが、すべて一度読んでいるはずなのに、ほとんどストーリーを覚えていない。健忘症もここまでくれば呆れるより感心してしまう。もっとも、初めて読むような気持ちになれるから、これはこれでいいのかもしれないとも思っている。いや、思うことにしている。老いを正当化して自己納得しているのである。

auster11.jpg 『写字室の旅』の主人公は奇妙な部屋に閉じこめられている。ミスター・ブランクという名の老人で、過去の記憶をほとんどなくしてしまっている。だからなぜ幽閉されているのかは、本人にもわからない。身の回りの世話をする女が毎日来るが、彼にはそれが同じ人であるかも不確かである。そんな彼の部屋に訪れるのは、彼がかつて、さまざまな理由でさまざまな場所に送り届けた人たちで、その任務で経験した苦難を吐き出して攻め立ててくる。そして、その人たちは、オースターが書いたこれまでの小説に出てきた人物だったりする。つまり、この本の主人公は、年老いたオースター本人であり、作品に登場させた人物から復讐されているのである。

小説は作家が作り出した世界であり、作家は登場人物の特徴はもちろん、その運命をどうにでもできる神のような存在である。生かそうが殺そうが作家次第で、その判断はあくまで、作品を面白く出来るかどうかにかかっている。しかし、登場人物の側に立てば、好き勝手にされてはたまらないという気持ちにもなるのもうなづける。

auster10.jpg たまたまだが、次に読んだ『闇の中の男』も同じような話だった。眠れない夜を過ごす老人が、ある物語を夢想する。オーウェン・ブリックという名の人物を設定し、彼を穴の中に入れる。さて話をどう展開させるか。舞台は同じアメリカだが、そこでは内戦が戦われている。突然そんな世界に置かれた主人公は、当然うろたえる。兵隊に見つけられて、穴から抜け出すが、彼には任務が与えられる。この内戦を終結させるために一人の男を殺せという命令だった。オーウェンがついさっきまでいた世界と、今いる世界は同じアメリカだが、二つの世界はまるで違う。そんなダブル・ワールドができてしまっているのは、一人の不眠症の老人の仕業で、内戦状態を終わらせるためには、その老人を殺す必要があったのである。

老人の夢想は、やはり眠れずにいる孫娘に聞かせる話として展開する。そして、二人がいる現実の世界にも「9.11」の惨事が起こることになる。彼女のボーイ・フレンドは志願してイラクに出兵して、捉えられて殺されるのである。

auster3.jpg 物語の中にもう一つの物語を作るのは、オースターの常套手段だといえる。そして次に読んだ『オラクルナイト』もそうだった。主人公は死を宣告されるほどの病から回復した作家である。今は最愛の妻の稼ぎに依存していて、新しい作品を書き始めようかと思っている。そんな彼が想像力を刺激されたのは、散歩の途中で見つけた、開店したばかりの文房具屋で買った、ポルトガル製の青いノートブックだった。

突然不慮の事故に襲われて、一命をとりとめたとしたら、その主人公はどう思い、それ以降の人生をどう生きるか。そんなモチーフから描き出されたのは、出版社に勤務する男が、歩いていて上から落ちてきたガーゴイルに当たるところから始まる。運良く助かった彼は、不意に、これまでの人生を捨てて、新しく生きることを決断する。飛行場に行き、乗れる飛行機に乗る。青いノートブックのせいか、物語は順調に展開するが、主人公がある部屋に閉じこめられたところで、ストップしてしまう。そこからどう脱出させるか、思いつかなかったからだ。この後、物語内物語は中断したままで、この作家と彼の妻との間で展開される物語が進行する。

題名の「オラクルナイト」は物語内物語で主人公の男に持ち込まれた小説の題名である。つまり、物語内物語内物語だ。なぜそれがこの本の題名になったのか定かではない。しかし、「オラクル」は神のお告げ、神託といった意味だから、小説を書くという行為が、神のお告げのようなものだという意味が込められているのかもしれない。作家は神として、一つの世界を創造する。オースターは、そこに罪の意識を感じて自分を罰している。そんなふうに読んだら、確かに作家は罪深い人なのだと思えてきた。

2020年7月6日月曜日

田村紀雄『自前のメディアを求めて』

 

tamura.png田村さんについては、1年前にカナダ移民について書かれた『移民労働者は定着する』を紹介したばかりだが、また新著をいただいた。80代も後半だというのに、気力充実ですごいなと感心した。とは言え、『自前のメディアを求めて』は書き下ろしではなく、インタビューで、聞き手は『鶴見俊輔伝』をまとめた黒川創さんである。
黒川創さんからメールで、田村のこれまでの生涯60年間をこえる執筆作業について話を聞きたいと言ってきた。私も小さな新聞・雑誌を発行していた人たちに「パーソナル・ヒストリー」として聞き書きをとる仕事はたくさんしてきたが、立場をかえてじぶんの生涯をインタビューされるとは思いもよらなかった。
もちろん、このインタビューには事前に入念な準備がなされている。田村さんは少年時代の戦争体験から始まって、最近の仕事に至るまでを思い出し、調べ、整理しなければならなかったし、黒川さんには田村さんの著書の多くを読む必要があった。で、話はゼミでの教師と学生のやり取りのようにして行われた。

田村さんは1934年に群馬県前橋市で生まれている。自宅が爆撃されるという戦争体験、高校生の時の「レッドパージ」、東京に出て働きながらの大学生活、卒業後のフリー・ライターという仕事と関西移住、そこで何人もの研究者と出会って、メディアやコミュニケーションについて関心を持つようになる。その業績が認められて東京大学新聞研究所の助手になり、桃山学院大学、そして東京経済大学で教鞭をとり、研究者としての仕事を続けるようになった。

田村さんの仕事は大きく三つにわけられる。一つは小さなメディアとジャーナリズムに対するもの、そして田中正造を中心にした足尾銅山と鉱毒にまつわるもの、それからカナダを中心にした日本人の移住についてである。インタビューはそれぞれについて、代表作を中心にしながら行われていて、田村さんの記憶力と、黒川さんの読み込みの深さに感心させられた。実際に書かれたことの背後や奥にあるものについて質問し、そのことについて明確な理由が述べられていたからだ。

田村さんの研究は三つにわけられるとはいえ、そこには一貫して小さなメディアがあった。 彼の最初の著書は『日本のロ-カル新聞』(現代ジャーナリズム出版会)で、60年代から70年代にかけて盛んに発行されたミニコミやタウン誌に注目した『ミニコミ 地域情報の担い手たち』(日本経済新聞社)や『タウン誌入門』(文和書房)、そして『ガリ版文化史 手づくりメディアの物語』(新宿書房)などがある。しかし、『鉱毒農民物語』(朝日選書 )や『明治両毛の山鳴り 民衆言論の社会史』(百人社)にしても、『カナダに漂着した日本人 リトルトウキョウ風説書』(芙蓉書房出版)や『日本人移民はこうして「カナダ人」になった 『日刊民衆』を武器とした日本人ネットワーク』(芙蓉書房出版)にしても、その仕事のきっかけや研究の材料になったのは、その動きや運動の中で発行された新聞や雑誌だったのである。

僕は田村さんと大学院の学生の時に知り合い、雑誌『技術と人間』で一緒に「ミニコミ時評」をやり、彼が編集した『ジャーナリズムの社会学』(ブレーン出版)等に寄稿した。また彼が中心になって開設した東京経済大学コミュニケーション学部に、大学院開設時から赴任している。もう五十年近いつきあいで、彼から教えられたこと、影響を受けたことは極めて大きかった。本書には、そんな僕にとっても懐かしい場面の話がいくつも登場してくる。

この本のタイトルは「自前のメディアを求めて」で、田村さんは一時期『田中正造研究』を出していた。僕も田村さんと知り合った頃から、最初はガリ版、和文タイプと謄写ファックス、そしてワープロ、パソコンを使って自前のメディアを発信し続けてきた。このホームページは1995年以来25年になる。その意味で、田村さんからは、何より自前のメディアの大切さを教えられたと思っている。

2020年6月1日月曜日

コミュニケーションの教科書


CS-1.jpg・『コミュニケーション・スタディーズ』(世界思想社)を出版したのは2010年ですが、それから10年経って、9刷で1万部を超えました。毎年300名以上が受講する「コミュニケーション論」を担当することになって、教科書を作ろうと思ったのがきっかけでした。当時大学院で担当していたゼミには在籍者や卒業生が多数参加していたので、それぞれの得意分野のテーマを担当させ、ゼミでの討議を経て完成させました。出版状況が悪い折りでしたから、初版の2000部は何年かかけて、自分で使いきろうと思ったのですが、翌年には増刷ということになりました。それからほぼ毎年、1000部ほどを出し続けて、とうとう1万の大台に達しました。

・日本の大学にはどこでも「コミュニケーション論」という名の講義が置かれています。「コミュニケーション能力」といったことばが注目され始めた時期でしたから、教科書として多く使われたのだと思います。しかも、中には継続して使い続けている方もいて、ありがたいことだと思ってきました。ぼくは大学を辞めて3年になります。もう研究者としても引退をしているのですが、今年も増刷という知らせを聞いて、少し手直しをしなければいけないと思いました。

・この10年で何がどう変わったのか。まずは2011年に起きた「東日本大震災」など、大きな出来事がいくつもありました。コミュニケーションやメディアについても、インターネット環境を中心に大きな進展と変化がありました。また、障害者やLGBTを自任する人たちに対する社会の対応の変化など、人間関係について改めて見直すことも求められるようになりました。そして何より、現在進行中のコロナ禍です。何しろ、人ごみにいてはいけないし、集まってもいけない。人と接する時には2mの間隔をとって、必ずマスクを着用して行うことが強制されたのです。

・その「社会(的)距離」(social distance)ということばは、E.T.ホールが提案した「近接学」(proxemics)において、人間関係における親しさを、「親密距離」「個人距離」「社会距離」「公衆距離」と区分したものでした。ここにはもちろん文化差があって、挨拶時にハグやキスをおこなう欧米人と、離れてお辞儀をする日本人では、その距離の取り方にずいぶん違いがあります。ところが日本では、毎朝の通勤通学電車では、誰もが当たり前としてすし詰め状態を許容しています。こんな特徴は感染の度合いとどう関係したのでしょうか。

・おそらく、人びとの接触や関係の仕方、集まりの仕組みには、これから大きな変化が起きることでしょう。それは当然、人間関係やコミュニケーションの仕方を変えていくはずです。そんな予測も含めて、執筆者たちには、担当したテーマについて書き直しをお願いしました。あまりに大胆な予測をして、数年後に陳腐化してしまってはいけませんから、そのあたりをどう書くかが問題になりますが、現在各自検討中です。

・コロナ禍を経験した人たちが、今後どのような人間関係やコミュニケーションの仕方をするようになるのかという疑問は、極めて興味深いテーマになると思います。テレワークや遠隔授業の経験は仕事や教育の仕方を変えるでしょう。外食や旅の仕方、音楽や演劇、そしてスポーツの楽しみ方も変わるでしょう。そんな大きな転機を感じさせますが、それが現実化した時には、全く新しい『コミュニケーション・スタディーズ』が必要になるかもしれません。もちろん、監修するのは僕ではなく、若い人たちになると思います。今回の改訂は、そんな予測をちりばめるだけになると思います。

2020年5月18日月曜日

ポール・オースターを読んでる

 『サンセット・パーク』新潮社
『インヴィジブル』新潮社
『ミスター・ヴァーティゴ』新潮社
『ティンブクトゥ』新潮


ポール・オースターの新作が翻訳されたのをアマゾンで見つけた。そうすると買わなかった作品がもう一冊あった。『サンセット・パーク』は2010年に出ているから、翻訳はだいぶ遅れている。もう一冊の『インヴィジブル』も2009年に出版されて、翻訳は2018年だ。その間に『冬の日誌』(2012)や『内面からの報告書』(2013)が先に翻訳されて、後回しになったようだ。翻訳者は柴田元幸で、彼はほかにも翻訳しているから、出たらすぐに訳すわけにはいかないのだろうと思った。

auster4.jpg 『サンセット・パーク』は大学を中退した若者が主人公で、オースターが初期の頃にテーマにした、喪失と再生をめぐるストーリーになっている。2005年に書かれた『ブルックリン・フォーリーズ』のように、中年から老年にさしかかる男を主人公にしたものや、自分のこれまでの生き様を振り返って赤裸々に表現した『冬の日誌』や『内面からの報告』と違って、また初期の作品に戻った印象を持った。大学をやめ、ニューヨークでホームレスの生活をしたり、各地を放浪して、恋愛関係に陥ったりと青春小説のような趣がある。
ただし、その流れとは別に、父親や義母、そして実母が登場して、それぞれ、第一人称で自らの現状や、息子への思いを語っている。いわば、若者を軸にした相互の関係がテーマになっていて、僕は父親の立場で読んでいることに気づかされたりもした。時代設定も書かれた時とほぼ同じで、リーマンショック後のアメリカが映し出されている。

auster5.jpg 『インヴィジブル』も主人公は若者だが、こちらは時代設定が1960年代から70年代になっていて、オースター自身であるかのようにして読むことができる。その意味では、初期の作品に戻ったという感じもした。大学生の頃に知りあったフランス人の哲学者とその恋人との関係が軸になり、舞台はニューヨークからパリに移って話が進む。しかしそれは。すでに老いて病と闘う主人公が書いた自伝小説で、大学時代の友人に中途のままで送り、次にそのもとになるノートやメモを送り、死んだ後に友人が見つけたものも含めて、小説ににまとめたものだったのである。しかも友人はでき上がった作品を持って登場人物を訪ねてもいる。小説であり、ドキュメントでもある。そんな工夫が面白かった
訳者の後書きに、この小説が『ムーン・パレス』に共通していると書かれていた。もう内容を忘れてしまったので読み直すと、驚いたことに、僕はほとんど思い出すこともなく、初めてのような感じで読んだ。で、オースターを読み直そうと思って、次に『偶然の音楽』を読んだが、やっぱり、思い出すことはほとんどなかった。このコラムでも書評しているのに、よくもまあ、すっかり忘れてしまったもんだと、我ながら呆れてしまった。

auster7.jpg そこで書棚を見回して、内容を思い出さないものをと『ミスター・ヴァーティゴ』を手に取った。読み始めて、これは買ったけれども読まずに積んどいたものかもしれないと思った。主人公は孤児で、拾われた男に、空中を浮遊する能力が見込まれて、その修業に明け暮れるところから始まる。時代設定は1920年代から30年代で、大恐慌が始まる直前の好景気から、一転して暗い社会になる世相が背景になっている。空中に浮いて歩くことをマスターすると、二人は興業に出かける。それは人びとを驚かせ、国中の話題になり、大金を手にするようになるが、少年の悪伯父に誘拐され、山奥に幽閉されたりもする。うまく逃れて興業を再開するが、今度は浮き上がるたびに強烈な頭痛に襲われるようになって、結局、浮遊はやめることにする。
オースターには珍しいおとぎ話で、悪ガキから全うな大人に成長する物語という意味で「ピノキオ」にも似た趣があって、そのことは彼自身も自覚しているようだ。ただし、子どもにはちょっと難しいかもしれない。

auster8.jpg 彼の作ったおとぎ話と言えばもう一冊、『ティンブクトゥ』がある。犬が主人公の物語だが、僕は途中で読むことをやめてしまっていたから、これも初めてというように読んだ。犬の主人は若い放浪者で、病を患っていながらニューヨークからボルチモアまで歩いて、旅をしている。しかしボルチモアに着き、エドガー・アラン・ポーの記念館にたどり着いたところで生き別れてしまう。主人が倒れて病院に運ばれ、犬は捕まることを恐れて逃げたのである。物語はそこから一匹だけの放浪生活になり、何度か拾われて、楽しいことも、つらいことも経験する。こちらは『吾輩は猫である』の犬版にも思えるが、ポーの生き様を念頭において書かれたもののようでもある。
そんなわけで、もうしばらくオースターの作品を読み続けようと思っている。もっとも読むのはいつも、寝る前のベッドの中で、気がついたら2時間も経っていた、なんてことも度々だ。だから早めにベッドに入るようになった。

2020年4月6日月曜日

こんな時にこそ、読みたい本

 エドワード・T.ホール『かくれた次元』みすず書房
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン上下』岩波書店
レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』亜紀書房

新コロナウィルスによって、世界が大混乱に陥っている。感染者や死亡者の多いイタリアでは「濃厚接触」を避けて「社会距離」を取ることが法律で規制されるようになった。ハグやキスを挨拶としてすることが習慣化している人たちにとっては、簡単なことではないのかもしれないと思った。もっとも、「濃厚接触」ということばは2009年に新型インフルエンザが流行した時に使われ始めたもので、その時に「マスクと濃厚接触」という題で触れている。

hole1.jpg エドワード・T.ホールの『かくれた次元』は、人びとが取りあう距離が、その関係に応じて物理的に違っていることを説いたものである。つまり私たちが他人との間につくる距離は、その親密さの程度に応じて「密接距離」(極めて親しい)から「個体距離」「社会距離」「公衆距離」(見知らぬ他人)と分類できるというものだった。「濃厚接触」はこの分類では「密接距離」や「固体距離」にあたるが、今回の騒ぎでは「社会距離」を取れということがしきりに言われている。
ただしこれらの距離感には、人種や国民性による微妙な差異がある。この本には、パーティの場で近づきたがるイタリア人と、それに圧迫感を覚えて後ずさりするイギリス人の例を挙げ、それが外交官同士なら、国の関係にも影響してしまうといったことが冗談として語られている。
今は多くの国で、法律の規制として2m以内に近づくことが禁止されているのである。もちろん屋内の密閉された空間では、「社会距離」をとっても感染する危険性がある。だからこその「テレワーク」だが、コロナ禍をきっかけに人びとの持つ距離感が大きく変わるかもしれない。そんなことを思いながら、読み直してみた。

naomi1.jpg データの改ざんや書類の隠蔽が日常化している安倍政権下では、新コロナウィルスについての情報は全く信用できない。感染者数や死亡者の少なさには、海外からも、オリンピックのために情報操作をしているのではという疑問が上がっている。
ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』は、惨事に便乗して政治や資本が、自分に都合の良い政策や投資を行うことを、極めて多くの事例をもとに告発したものである。戦争や紛争やテロ、台風や地震などの自然災害がその好例だが、さて今回のコロナ禍はどうか。各国の政治リーダーは感染の拡大を抑えることに全力投球していると言うだろう。実際雑念があったのでは、うまくいくはずはないのである。しかし、現実には。これを利用してと考える力も少なくないはずである。
ショック・ドクトリンの信奉者たちは、社会が破壊されるほどの大惨事が発生した時にのみ、真っ白で巨大なキャンパスが手に入ると信じている。(上巻28頁)
solnit.jpg 大災害が起きた時には買い占めや暴動などが起きるが、逆に被害者を助け、支える人たちやグループが生まれ、そこに一種のユートピアが一時的に出現することがある。レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』は東日本大震災直前の2010年末に出版されていて、この欄でも取り上げたことがある。詳細はそちらに譲るが、ここでは、国家の災害対策が情報の統制や過剰な取り締まりによって、人びとの不安や恐怖心を募らせ、暴動などを生じさせる危険があることだけをあげておこう。
読み返してみて思うのは、人が集まることが規制されるコロナ禍では、人びとの間に相互扶助の気持ちが生まれ、「自生の秩序」ができる機会が極めて難しいという点である。外出や営業の自粛を求めても、そのために生じる損失を保証するとは言わない日本の政府の対応では、倒産したり、生活が困窮したりする人が大量に出現するのは明らかである。それを批判するデモや集会もできないから、ネットでということになるが、果たしてどんな動きが出てくるのだろうか。

ほかにも思いついた本はいくつもあった。しかし、ぱらぱらとめくってみて気づいたのは、伝染病の世界的蔓延を危機として取り上げたものがほとんどなかったことだった。コレラやペストなど、すでに過去のもので、人類が克服したものとして語られることはあっても、現在、あるいは未来に起こるかもしれない危機として指摘したものは見つからなかった。それだけ先例のない、予測や対処方法の見つけにくいものであることを再認識した。もっとも、気候変動による自然災害が急増しているように、新たな病原菌が続出する危険性だってありうることかもしれない。

2020年3月2日月曜日

桜井哲夫『世界戦争の世紀』(平凡社)




sakurai1.jpg桜井哲夫の『世界戦争の世紀』は850頁にもなる大著である。彼は僕と職場の同僚で、僕が退職した1年後に、僕と同様に定年より2年早く辞めている。僕は辞職と同時に研究活動もやらないことにしたが、彼は、これまでの研究を仕上げる仕事に専念した。その成果が本書である。6400円もする高額な本をいただいたから、せめて紹介をするのが礼儀だろう。と思ったが、大著を読むことさえしんどくなっていて、ずいぶん時間がかかってしまった。
このテーマについては、すでに『戦争の世紀』『戦間期の思想家たち』『占領期パリの思想家たち』(いずれも平凡社新書)がある。この本はそれをまとめた形だが、内容的にも量的にも、全く新しい本だと言っていい。戦争の世紀は20世紀をさしているが、本書で扱われているのは、主に第二次世界大戦までである。また、日本やアメリカと違って、ヨーロッパでは第二次よりは第一次世界大戦の方が、その被害や意味が大きいとして、メインのテーマにしている。さらに、この二つの大戦を主としてフランスの思想家たちの考えや動向を通して描き出しているのも、この本の特徴だと言える。

人類の歴史は戦争のそれだと言っていい。しかし、この500年に限って言えば、戦死者の数の3分の2が、20世紀に集中している。その大半が二つの大戦であることは言うまでもない。1914年に始まった第一次大戦は4年3カ月続いて、855万5000人を超える死者と775万人超の行方不明者を出した。そして第二次大戦では戦死者と行方不明者の数は6千万人にも達している。もっともヨーロッパに限って言えば、戦死者や行方不明者の数は第一次大戦の方が多かったりする。そして、それまでの戦争とはやり方はもちろん、その規模の大きさが違ったことで、人々に大きな精神的な変動をもたらした。とりわけ、文学者や哲学者、そして社会科学や自然科学に携わる人たちには、その衝撃ははかりしれないほどのものだった。

第一次大戦は19世紀後半から20世紀初めにかけての科学技術の進歩やが反映された戦いだった。鉄道網の拡大、電話の普及、ラジオや映画、飛行機、そしてもちろん、毒ガス、機関銃、戦車、手榴弾、そして潜水艦などといった新しい兵器の開発である。それによって戦争の仕方がまるで変わり、戦死者を激増させたのである。諸国家がそれぞれナショナリズムを謳い、戦意高揚を宣伝する。そして実際の戦いには、これまでなかったような悲惨な状況と人々の残忍さが露呈した。
このたびの戦争において、われわれの幻滅は次の二つの意味で強く感じられた。一つは、内側に向けては道徳規範の監視人として振舞っている諸国家が、外向きに見せる道徳性の低下についての幻滅。もう一つは、個々の人々の振舞いの残忍さである。それはもっとも高度に人間的な文明に寄与する者に、そういうものがあろうとは信じられなかったような残忍さであった。(フロイト)」

この戦争を経験した者としなかった者、その後に育った者の間には大きな断絶が生まれた。そこで発言し、論争する人たちの登場が、この本の中核をなしている、ポール・ニザン、アンドレ・マルロー、ヴァルター・ベンヤミン、ジャン・ポール・サルトル、ジョルジュ・バタイユ、マルセル・モース、ハンナ・アーレント、サン=デグジュペリ等々で、その人たちが戦間期から第二次大戦に至るまでの間に、どう発言し、行動し、どんな作品を作り、どのような状況に追い込まれたかが詳細に綴られている。ヒトラーの登場とヨーロッパ支配、ユダヤ人狩りとユダヤ系知識人の運命。あるいはドゴールやチャーチルはもちろん、レーニンやトロツキー、そしてホーチミンなども登場する。当然、反戦運動の動向を語るのも忘れていない。

僕はこの本をまだ読み終えていない。読み始めてしばらくしてから中断し、その後は時々拾い読みするような読み方をしている。フロイト、ベンヤミン、アーレント、サルトルといった人たちについてのところで、知らなかったことがずいぶんたくさんあった。フランスを中心としたヨーロッパの哲学者に精通した人ならではの歴史書だと思った。もちろん、これからも時折手にして読むことになるだろう。

2020年1月13日月曜日

奄美大島について

 永田浩三『奄美の奇跡』(WAVE出版)
島尾敏雄『島の果て』(集英社文庫)
南日本新聞社編『アダンの画帖』(小学館)


2月に奄美大島と屋久島に出かける予定にしている。厳寒期に暖かい所で過ごし始めて3年目になる。一昨年は四国、昨年は九州で、今年は南の島へということにした。沖縄には本島だけでなく、石垣島、宮古島、そして西表島にも行っている。だから奄美と屋久島にしたのだが、奄美については、田中一村と島尾敏雄、それに大島紬ぐらいしか思い浮かばなかった。しかも島尾敏雄の作品は読んだことがなかったし、田中一村の作品もアカショウビンを描いたものしか知らなかった。だから出かける前に予備知識を少しでも入れておこうと年末から読み始めた。

amami1.jpg 奄美の島々は敗戦後にアメリカの統治下となった。そして沖縄よりも早く返還されている。しかし、ぼくはこのことをすっかり忘れていた。永田浩三の『奄美の奇跡』は島の人びとが戦った返還の過程を記録したものである。奄美群島は1953年12月に日本に返還されている。だから占領されていたのは8年ほどだが、復興資金が沖縄に集中され、特産物の大島紬や黒糖も日本に出荷することができなかったから、経済は疲弊し、食料も困窮して、飢餓状態になることさえあった。本土との行き来も密航という手段に頼るしかなかったのである。だから返還の運動は占領直後から起こり、アメリカ軍の締め付けにもかかわらず、しぶとくつづけられた。
返還を要求する署名は島民の99.8%になり、くり返しハンガーストライキが行われた。米軍政府は反共を掲げて政治活動を厳しく取り締まったが、返還を願う島民の思いを行動に結びつけるうえで、共産党の働きは大きかったようだ。もっとも、返還が実現に向けて動きだすと、米軍政府に正面から立ち向かい、沖縄の返還と連携しようとする勢力は排除されることにもなった。この本を読むと、返還運動を支えた数名の人と、その人に影響され、また支えた多くの人たちの思いや動きがよくわかる。

amami2.jpg 島尾敏雄は奄美大島の南にある加計呂麻島で180名ほどの部隊を率いる特攻隊指揮官として2年近く過ごしている。米軍の船舶に体当たりする魚雷艇部隊だが、敗戦まで出撃の命令は下されなかった。『島の果て』は加計呂麻島での経験をつづったいくつかの短編を集めたものである。書かれたのは「島の果て」の1948年から「その夏の今は」の1967年まで20年に渡っている。もちろん、ほかにも作品はあって、島尾にとって加計呂麻での戦争体験がいくら書いても尽きないテーマだった。
『島の果て』には戦闘場面はない。出撃命令に備えながら、島を散策したり、島の女と恋に落ちて逢い引きを重ねたりしながら、島の様子を描写し、自分の心持ちを語る。死を覚悟し、アメリカの軍艦に突撃する準備を整えながら、何も起こらない島で、時間を潰す。自殺艇はベニヤ製で舳先に200kgを超える爆薬を積んでいる。海岸に掘った洞窟に隠していて、湿気に錆がついたりもしている。そんな艇で軍艦に突っ込むのが、なんともお粗末な行動であることを承知しながら、部隊の長としては、そんなことはおくびにも出せない。そんなことについての自問自答や、部下に対する振る舞いや、その反応などが繰り返し語られる。

amami3.jpg 『アダンの画帖』は田中一村の伝記だ。才能に恵まれ東京美術学校に進学するが病で退学をする。そこから画壇からは退いて独自な生き方をした。そんな清貧を貫いた画家の物語である。一村が奄美に移り住んだのは、返還後5年経った1958年であった。最初は南東だけでなく、北海道などにも行き、スケッチをして回る旅の予定だったが、そのまま奄美大島に移住することにした。この頃にはまだ、傑作をものにして画壇を驚かせようといった野心もあったようだ。
絵を描くため、生活費を稼ぐために見つけた仕事は、大島紬の染色工だった。5年働いてお金を貯め、3年間絵に集中する。そんな計画を立てて、その通り実践した。それが終わるとまた染色工の仕事についた。しかし貧困生活の中で体調を壊し、売る気のなかった絵を売ろうと思ったが、当てにした人からは返事がなかった。地元で絵に感銘を受け、買ってくれる人もいたが、田中一村とその作品が広く知られるようになったきっかけは、死後2年経って奄美で開かれた遺作展と、さらに5年後にNHK教育テレビの『日曜美術館』で「黒潮の画譜」として紹介された後だった。

奄美に行って、さてどこに行こう、何を見ようと思っていたが、これで行きたいところ、見たいものがはっきりした。もちろん、まだ時間があるから、もっと探してみようと思っている。

2019年12月2日月曜日

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』 (集英社)

 

ross1.jpg・フィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、1940年のアメリカ大統領選挙でF.D.ルーズベルトではなく、C.A,リンドバーグが当選していたらという、仮定の物語である。リンドバーグは飛行機で初めて大西洋を単独横断した英雄で、実際に選挙では、彼を候補にしようとする動きもあったようだ。リンドバーグは反ユダヤ主義者でヒトラーとも近かったから、彼が当選したら当然、アメリカは第二次大戦には参戦しなかったはずである。そうすると、戦況はドイツ優勢のままに進み、日本軍の真珠湾攻撃もなかっただろう。それだけではなく、アメリカ国内でも、ユダヤ人に対する反感が高まり、大統領も反ユダヤ政策を推し進めたに違いない。

・そうなったとしたら、アメリカ社会はどうなったか。この小説は、その様子を7歳のフィリップ少年の目を通して描き出したものだ。この主人公の少年が作者自身であることは明らかだ。そして舞台も作者自身が生まれ育ったニュージャージー州ニューアークのユダヤ人街である。少年が育ち、成長する過程で経験した父や母、兄弟、親戚、隣人との関係、そしてこの町そのものの実際の歴史を念頭に置きながら、リンドバーグの登場によって、それらが変質し、壊れていく様子は、少年を介しているだけに切実だ。

・アメリカが第二次世界大戦に参戦しなかったことにより、ヨーロッパはドイツに占領され、日本は中国はもちろん、オーストラリアやニュージーランドまでを支配することになる。南米までもヒトラーの手に落ちるが、それでもリンドバーグへの支持は落ちなかった。多くの人命と莫大な戦費を失うよりは、その方がずっとましだという主張に、多くの国民が賛成したからだ。そしてアメリカ国内での批判はユダヤ系アメリカ人に向けられていく。ユダヤ人街が解体され、日系人が実際に経験した強制移住を強いられるようになる。人びとによるユダヤ人狩りも頻発し、少年とその家族にも危険が押し寄せる。

・そんな状況が一変するのは、リンドバーグが自ら操縦する飛行機が行方不明になったからだった。国内は大混乱に陥るが、大統領選でルーズベルトが再選されると、アメリカは大戦に参戦し、ドイツと日本は負けることになる。大戦が終結し、アメリカにも平穏な時が訪れるが、フィリップ少年やその家族、そして近隣の人たちが受けた傷は、そう簡単には癒やされない。

・この小説を読みながら感じたのは、国のリーダーの登場によって一変する世論の動向や、それによってもたらされる政治や社会の変容だった。それが少年の目を通して描かれるから、大人たちの狼狽ぶりや、保身や損得勘定に基づく豹変ぶりがよりあからさまになる。それは実際に、最近でも世界中でくり返されてきたことである。ブッシュ大統領の登場と貿易センタービルへの航空機の衝突が、アラブ地域における戦争と惨状を連続させていることなどは、まさに、この小説の再現そのものと言えるかもしれない。

・それなら、もし、ブッシュがアフガニスタンやイラクに侵攻しなかったら、今の世界はどうなっていただろう。そんなことを考えながら、この本を読んだ。イラクは相変わらずフセイン独裁の国かもしれないが、シリアの内戦もなかっただろうから、ヨーロッパに難民が押し寄せることもなかっただろう。それよりもっと、ブッシュが大統領にならなかったらどうだったろう。おそらく世界の情勢は、今とはずい分違っていたかもしれない。そして決して悪い方向へというのでないはずだ。

・もし日本が第二次世界大戦に勝っていたら、などというのは想像するのもおぞましい。しかし今は、そんな方向に舵を切ろうとする政権が支配していて、戦争中に起こしてしまったことをなかったことにしようとしているのである。朝鮮半島における徴用工や従軍慰安婦、中国での南京虐殺等々である。この政権は、森友加計問題から、最近の桜を見る会まで、そんな事実はなかったと白を切って、証拠書類などを改竄、あるいは廃棄してしまっている。なぜ、こんな政権が生まれて、しかも長続きしてしまっているのか。まるで現実が架空の話であるかのように感じられてしまう。私たちがいるのは、そんな奇妙な世界である。

2019年10月21日月曜日

竹内成明『コミュニケーションの思想』(れんが書房新社)

 

seimei1.jpg・竹内成明さんは2013年に亡くなっている。その6年後に出た本書は、かつての教え子たちによって編まれたものである。実は彼が書き残した原稿は他にもあって、本にまとめようという話は、ぼくにも持ちかけられた。現在の出版事情や竹内成明という書き手のネーム・バリュー、あるいは世界の情勢やネットなどによる人間関係やコミュニケーションの仕方の変化等々から、ぼくは強く反対した。本にするためにはそれなりの費用が必要だし、在庫の山を抱えて難儀することがわかっていたからだ。しかしそれでも出版した。

・編者の三宅広明と庭田茂吉の両氏は、竹内さんが同志社大学に赴任した時の最初のゼミ生で、それ以降ずっと、彼が死ぬまで関係を続けてきた。彼らより少し年長のぼくは竹内さんの授業を受講したことはなかったが、彼らに誘われて研究会に出席をした。会えば必ず酒盛りになる。酒に弱いぼくには、その関係の濃密さに辟易することもあったが、少し距離を置いて関わるかぎりは、おもしろい集まりであることは間違いなかった。

・ぼくが1989年に出した『メディアのミクロ社会学』(筑摩書房)のあとがきには、その本が竹内さんの『コミュニケーション物語』(人文書院、1986年)に触発されたものであることが書かれている。「この本は人間以前の猿の歴史から始まって活字の誕生までの人びとのコミュニケーションの歴史を、物語ふうに解き明かしたものである。その壮大な時間の流れを、語り部が村人を集めて語って聞かせるような文体で展開していることに強い印象を持った。」だから『メディアのミクロ社会学』は活字以降に登場して人びとにとって欠かせないメディアとコミュニケーションに注目した『続コミュニケーション物語』でもあるとも。

・この本は題名通り、さまざまな哲学者や思想家の業績を「コミュニケーション」を軸に分析した論考を中心にまとめている。たとえば第一章で登場するのはアダム・スミス、プルードン、マルクス、ガンジー、そして中井正一であり、第二章はルソーとデリダである。一章は主に70年代に本の一部として、二章は80年代に同志社大学文学部の紀要に連載されている。ルソーは竹内さんがした思索の出発点にいた人で、紀要という狭い世界で発表されたものであるから、この章が、この本の中心に位置づけられていると言えるかもしれない。

・第三章のメディアの政治学序説は三宅氏の解題によれば1994年に出版された『顔のない権力』(れんが書房新社)の理論的枠組みになっているということだ。しかしぼくは同時に、読み物であることを意識した『コミュニケーション物語』の後に書かれた理論的枠組みでもあるように感じた。第四章は新聞等に書いた書評や短いエッセイを集めている。

・ところで、なぜ、今このような内容で本を出そうと思ったのか。最後に二人の編者が書いた文章を紹介しておこう。先ず三宅氏から。「無知で先の見えない私たちの愚かな話を面白がりながら酒を楽しむ姿に、私たちはいつも励まされ、大人になるのもいいものだと思ったものだ。ちょうどその頃に書かれた文章がここに収められているわけで、当時は楽しい酒宴と発表される論文の広がりと深さのギャップに驚かされながら、同時にそこに通底する竹内の強い意志と価値観に圧倒される思いで読んでいたのを思いだす。」

・なぜ出したかったがわかる一文だが、もう一人の庭田氏はもう少しさめている。「竹内成明の仕事の過去と現在、そして書きつつあったことを考えた。残された、多くの論文や文章がある。何冊かの著書がある。いつか、それら全部を読まなければならない。まだ生々しさが残っているうちに。しかし、時間は残酷である。竹内成明は忘れられつつある。彼の本は消えつつある。本屋からはすでに消えている。大学からも消えている。では、それはどこにあるのか。はたして、読者はいるのだろうか。」

・冷たい言い方だが、ぼくは読者はほとんどいないと思う。ただ若者であったときから現在まで、竹内さんが二人にとってかけがえのない人であったことは、この本には十分すぎるくらいににじみ出ている。ただし、読みながら思ったのは、どの文章も決して時の流れによって陳腐化などはしない、普遍的な問題を深くついていて、筆者の立ち位置に共感できるものであることは間違いないということだ。ものすごく大事なことを問うているのに、ほとんど見向きもされないかもしれない。今はそんな空疎な時代なのである。

2019年9月9日月曜日

音楽とスポーツ

 

宮入恭平『ライブカルチャーの教科書』(青弓社)
浜田幸絵『<東京オリンピック>の誕生』(吉川弘文館)

・今回紹介するのは大学院で長年一緒に勉強した、二人の若手研究者の作品である。宮入恭平さんはすでに多くの著作を公表している。ぼくと一緒に『「文化系」学生のレポート・卒論術』(青弓社)を編集したし、単独で編集した『発表会文化論』(青弓社)もある。『ライブカルチャーの教科書』は以前に出した『ライブハウス文化論』(青弓社)を大幅に改訂したものだ。もう一人の浜田幸絵さんが出した『<東京オリンピック>の誕生』は、前作の博士論文をもとにした『日本におけるメディア・オリンピックの誕生 』(ミネルヴァ書房)の続編である。

kyohei1.jpg・「ライブカルチャー」とは録音や録画されたものではない、生で行われる文化全体をさしている。この本では主に音楽を扱っていて、レコードやラジオが登場して以降に一般的になった記録され、再現されるものに代わって、最近ではライブハウスから野外フェスティバルに至るまで、音楽(産業)の主流になりつつあることに注目している。音楽はレコードやテープ、そしてCDとして購入するものではなく、ネットを介してダウンロードをしたり、課金を払って聴き放題が当たり前になっている。

・この本は、そんな現状を歴史的にさかのぼり、また理論的に裏付けて、大学の講義に使う教科書に仕立て上げている。昨今論争になった音楽と政治の関係やストリート・カルチャーと法規制、アイドルばかりが売れる傾向と音楽の産業化、そしてアニメとテーマソング等々の多様化など、時事的な問題や流行も取り入れていて、学生にとっては興味を持ちやすい内容になっていると思う。講義内容準拠のテキストは、ぼくと一緒に何冊も作ったから、お手の物だ。

sachie1.jpg・『<東京オリンピック>の誕生』はやや硬質な専門書という内容である。東京オリンピックといっても1964年に開催されたものではなく、1940年に開催が決まったが、第二次世界大戦によって中止になった「幻の東京オリンピック」が主題になっている。明治維新以降、西洋に追いつき追いこせをモットーにしてきた日本にとって、東洋でのオリンピック開催は、その国力を世界に誇示する希有の機会だった。活発な招致活動をやり、国民に一大イベントへの期待を植えつけ、もうすぐ開催というところで中止になった大会である。

・1964年のオリンピックは、この中止になった40年から敗戦を経て、経済成長が本格化した時期に行われた。高速道路や新幹線を開通させ、東京の町を整備して、敗戦からの復興を短期間で成し遂げたことを世界に向けて発信する大きな機会になった。この本は最初の招致活動から中止、そして戦後の再招致活動から開催までを、新聞記事などを丹念に調べながら追っている。

・前著の『日本におけるメディア・オリンピックの誕生 』は日本が戦前に参加したロサンジェルスやベルリン大会について、主にラジオと新聞による報道を分析したものだった。それこそライブ中継ができなかった時代に、どうやって臨場感のある中継をするか。そんなことも含めて、日本という国の盛衰や、さまざまなメディアの発達とスポーツの関係がよくわかる内容になっている。

・映像や音声の技術がデジタル化して、いつでもどこでも好きなものを楽しむことができるようになったのに、音楽にしてもスポーツにしても、ますますつまらないものになっている。ぼくはこの2冊を読みながら、そんな皮肉な現象を再認識した。来年の東京オリンピックなどは愚の骨頂だろう。