1998年4月22日水曜日

『シャイン』(1995 オーストラリア)

  • 少年の頃から天才といわれたピアニストがいる。その才能は父親ひとりによって引き出された。その父親が子供にくり返しいうセリフがある。
      子供の頃にきれいなヴァイオリンを買った。それを、父親がたたき壊したんだ。そんなものやる必要はないって叱られた。おまえは自由に思う存分ピアノが弾ける。恵まれている。だからがんばって練習するんだ。
  • 少年は素直に父親の話を聞き、その才能を開花させる。無償で教えようと申し出る者。アメリカへの留学の誘い。著名な女性作家の援助。そしてイギリスへの留学の話。父親は少年がコンクールで優勝することを生きがいにしてきた。ところが、同時に、子供が自分の手の中、世界からはみ出し、抜け出していってしまうことを恐れた。だから、また、父親は少年にくり返し、次のようにも話す。
    家族は大事だ。絶対離ればなれになってはいけない。いつも一緒だ。
  • ユダヤ人で強制収容所体験のある父にはまた家族の絆の大切さについて疑いのない信念がある。しかし、アメリカ行きはあきらめた少年も、イギリスへの留学は、父の反対を押し切って決行することになる。イギリスでもその才能はひときわ目立ち、ラフマニノフをマスターして演奏会で熱演するところまでいくが、そこで発狂する。
  • このピアニストが陥った状況はG・ベイトソンがいう「ダブル・バインド」に他ならない。人は互いに矛盾し合う二つの命令を受け、しかもどちらにも背けない状況に追い込まれると、どうにも動きが取れなくなる。子供の時代に親との関係の中にそれを持ち込まれた子供には、正常と呼ばれる精神状態に成長することがきわめて困難になってしまう。
  • ピアニストはオーストラリアに戻るが、ピアノは一切弾かなくなる。あらぬ事を口走る放浪者。それがいくつかのきっかけから、街の酒場でピアノを弾きはじめる。支えとなる女性の存在。彼のピアノは評判になり、かつての天才少年の復活として話題になる。そして母や姉妹も聴く大ホールでのコンサート。しかし、父親はすでに死んでいる。
  • 『シャイン』は、そんな親子の関係と、それを克服していく主人公を丁寧に描き出している。父親がなぜ、息子の才能の芽を摘み取ってまで、家庭を守りつづけようとするのか、といったことについて、その理由が、今一つ説得的に描き出されていない気がするが、なかなかの秀作だと思った。主演のジェフリー・ラッシュはこの役でアカデミーの主演男優賞を取った。どこやらウッディ・アレンに似た風貌と雰囲気が、なかなかいい。
  • 1998年4月18日土曜日

    R.ブラックのWebデザインブック(Mdn) 他

     

    ・ホームページを作りはじめてもうすぐ1年半になる。まったく新しいメディアということも言えるが、同時に、これはあくまで雑誌や新聞の延長上にあるものだとも強く感じている。一枚の紙に記事や写真をどう配置するか、文字の大きさや種類はといった工夫は、まさに本や雑誌のレイアウトやデザインの問題だ。もちろん本に比べれば、ホームページはずっとビジュアルなものだし、動画や音も使える。ホームページは、その意味では、映画やテレビ、あるいはレコードの延長上にあるとも言える。

    ・けれども、やっぱり、ホームページは基本的には印刷メディアの系譜に属している。少なくとも現在までのところは、それで間違いはない。自分で作りながら、そんなことを実感していたが、やっぱりそうかと確認させてくれる本があった。『ロジャー・ブラックのWebデザインブック』である。

    ・ロジャー・ブラックは雑誌『ローリングストーン』の表紙デザインで有名な人である。彼がその雑誌で最初にデザインしたのは右のディランの表紙だった。ロジャー・ブラックは雑誌のデザインから入って、いち早く、ホームページのデザインのおもしろさに気づいた。

    ・彼が力説するのは、印刷物の伝統に載ることだが、その第一は視覚的な重要性である。例えば、色合いは赤と黒と白の組み合わせに勝るものはないが、それは、グーテンベルグが印刷したバイブルから気づかれていたものだという。ちなみに『ロジャー・ブラックのWebデザインブック』は全頁がその3色で作られている。

    ・伝統の第二は字体である。インターネットが放送よりも印刷物に近い存在であるからには、無意味な画像や、画像の使いすぎは失望感を与えるだけである。大事なのは、むしろ適切な書体の使い方にある。ロジャーはここでも、デザイナーの伝統的なアプローチを学び、その巨人の肩に乗れという。ウィリアム・モリス、グスタブ・スティックリー、フレデリック・グーディ.........。

    ・本はもともと読まれるものである以上に見られるものとして作られた。その意味では、ホームページは、文字に書かれた内容だけが重視されるようになった印刷物の歴史にもう一度、デザインの重要さを認識させるものになった。読ませるためには注意を惹きつけなければならないし、次の頁、そのまた次の頁と読みすすめさせるためには、かなりの工夫が必要になる。

    ・表紙はポスターでなければならないし、どの頁にも、それなりの内容が盛り込まれなければならない。しかし、大文字の多用や文字間のあけすぎ、小さすぎる文字、スクロールが必要な頁、遅くなるだけの大きな画像、多すぎる色数などは避けること。この本に書かれた指摘はしごくごもっともなことだが、実際に作っているとまた、それがきわめて難しいルールであることも実感してしまう。

    ・もう一冊リンダ・ワイマンの『Webワークショップ』は色合いと見やすさ、引き立ち安さを丁寧に解説した本である。こんな本を読んでいると、ホームページを作りながら、気分はすっかり1世紀以上前のウィリアム・モリスの時代の本作りのおもしろさにはまりこんでいってしまう自分を自覚せざるを得ない。

    1998年4月15日水曜日

    社会学科のスタッフが作った本です

    『社会意識論を学ぶ人のために』池井望・仲村祥一編(世界思想社)

    社会意識という概念は便利なものですが、考えてみるとよくわからないものでもあります。大学の講義にもあって、さまざまな人が講義を持っているようですが、専門分野に共通性があるわけではありません。テキストにふさわしい本もほとんどないのが現状です。そんな理由で、この本が企画されました。
    編者の池井さんには現在追手門学院大学の非常勤講師として「社会意識論」を担当していただいています。また、仲村さんは数年前まで専任のスタッフとして在籍しておられました。この本は二人の長老を中心に中嶋さんや原田さんが積極的に参加して企画されたものです。
    ぼくはメディアと社会意識の章を担当しました。活字に始まって映画、ラジオ、レコード、テレビ、そしてコンピュータと続くメディアの革新と社会意識の関係について考えました。
    これ以上の詳細については『学びの人間学』とともに社会学科のホームページをご覧ください。

    『学びの人間学』中嶋・矢谷・吉田編(幸洋出版)

    この本は社会学科のスタッフが中心になって行ってきた「学びの研究会」の成果を形にしたものです。追手門学院大学からは研究会と出版に対してそれぞれ助成金をいただきました。やらされる勉強ではなくて、知りたい、やってみたいという気持ちから出発する「学び」社会学科のスタッフにはガリ勉君よりは、好きなことが高じて研究者になったといった経歴の人が少なくありません。
    今大学は、半ば義務教育化して、誰もが行くもの、行かされるものといった感じになってきています。大学生も勉強はやらされるものと思っている人たちが少なくありません。 

    そんな発想を何とか変えてやりたい。これは、私たちが日頃学生に対して一番感じている思いですが、そんなことを本にして伝えようというのが、この研究会の出発点の一つになりました。もう一つは生涯学習といったことばで語られる、中高年者の向学心の高まりです。

    学ぶことのおもしろさの発見!!

    1998年4月8日水曜日

    Art Gurfunkul (大阪サンケイホール、98/4/1)

  • この季節は毎年必ず数回コンサートに出かけるのだが、今年は行きたいものがなかった。とは言え、好きなミュージシャンが来なかったわけではない。ただ、U2もローリング・ストーンズもビリー・ジョエルも大阪ドームだった。
  • ドームは決して音楽を聴く場ではない。少なくとも、1万円近いお金を払ってまで行く価値があるとは思えない。音は悪いし、ステージははるか彼方で、ミュージシャンは豆粒にしか見えない。大型スクリーンで確認するくらいなら、家でビデオでも見ている方がずっとましだろう。
  • なぜ、コンサートにドームが使われるかというと、それは、一回に稼げるお金が多いからだ。たぶんそれ以外に納得のできる理由は見つからない。確かにロック・コンサートにはウッドストック以来の伝統があるかもしれない。けれども、たくさん人が集まったからといって、観客たちの間に何か共有できる気持ちや思いが作り出されるわけではない。
  • 昔、スプリングスティーンが一人一人からそんなにお金を取らずにコンサートをやろうと思ったら、大きな会場にするしかないんだが、そうなると、観客との関係が密にならなくなってしまうといった話をしていた。同じようなジレンマはドアーズのジム・モリソンも言っていて、映画の『ドアーズ』ではそのことが一つのテーマになっていた。
  • しかし、最近の大きな会場でのコンサートは平気で1万円も要求するから、料金を安くするためのものだとは言えない。
  • で、サンケイ・ホールでやったアート・ガーファンクルのコンサートを聴きに行った。ここは一昨年ジェームズ・テイラーのコンサートを聴いたことがあって、座席は狭いけれどもステージが近く感じられて悪くはない。とは言え、アート・ガーファンクルはポール・サイモンとのデュオだったが今回はひとりだけ、しかも最近の活動はほとんど知らないから、対して期待はしなかった。
  • コンサートは1時間半ほどで、半分以上はナツメロだった。「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「明日に架ける橋」「スカボロ・フェア」「コンドルは飛んでいく」。懐かしくて恥ずかしくなるくらいだった。それは決して嫌なことではないのだが、結局、それだけでしかなかった。アート・ガーファンクルは自分では歌は作らない。楽器も弾かない。ただ歌うだけである。オシャベリもうまいとは言えない。
  • ロックは確かに一大産業になって、売れっ子のミュージシャンは同時に成功した事業者だが、ぼくはやっぱり、ロックは一面ではアイデンティティの音楽だと思っている。だから、ぼくがコンサートに行くのは、今現在のミュージシャンの実像にちょっとでも触れたいと思うからだ。多少格好つけた言い方だが、CDよりも高いお金を払ってコンサートに出かける理由は、そのことをおいて他にはないような気がしている。
  • ドームではそんな実像は見ることができない。というよりは事業家という意味あいばかりが際立ってしまう。ところが、小さな会場でも、昔のスタイルの再現だけで、他に興味を引くようなものがなければ、そこにはやっぱり、ミュージシャンの現在のアイデンティティについての関心も起きようがない。
  • 映画の『卒業』を今見ると、その純真無垢さに恥ずかしくなる。ガーファンクルのステージを見ていて感じたのも同じものだった。彼の時間は、たぶん、その時から動いていないの
  • 1998年4月3日金曜日

    桜・さくら・サクラ

     

     山崎・八幡・摂津峡
    • 桜の名所といわれるところはたくさんありますが、ここにあげた桜も、地元では有名なところがほとんどです。我が家を出てから大学に着くまでの間、バイクに乗りながらきょろきょろして、ここと思ったところで、停まってはビデオで写しました。おかげで、いつもの倍の時間がかかってしまいました。
    • ただ一枚、子守勝手神社は知る人ぞ知る穴場です。ぽつんとある3本の桜がとても印象的なところで、ここは、別の時にわざわざ出かけました。

    阪急京都線山崎円明寺付近 長岡・子守勝手神社(光明寺裏)


    山崎聖天




    もう一枚山崎聖天


    天王山(大山崎山荘から山崎聖天さん)


    男山(石清水八幡宮と木津川・桂川・宇治川合流点)、ここから淀川


    高槻摂津峡

    1998年4月2日木曜日

    レビューにメールが来はじめた


  • ぼくのホームページに来るメールはこれまで、卒論関係がほとんどだった。ゼミの学生の卒論を読みたいとか、よその大学の学生からの相談など。もちろんそれだけでも、ホームページを公開していることの意味は十分感じられたのだが、本当のところは、レビューについての感想も来てほしいと思っていた。
  • ぼくは本とCD、それに映画のレビューとその他の記事を順番に毎週更新している。それぞれが月に一回といったペースだ。これは基本的には、読んだもの見たもの聴いたものなどをその都度メモ代わりにまとめておくためにやっているから、たとえ読まれていなくとも、やる気がなくなるといったことはない。というよりは、一週間経てば次のものを書かねばならないから、以前よりはまめにおもしろいものを探すようになった。最近ではホームページのネタ探しに、本を読んだりCDを聴いたり、映画を見たりしているような感覚すら持ちはじめている。
  • ところが最近、そのレビューへの感想がやってくるようになった。ホームページはその仕組みからいって、内容のすべてを一目でわからせることは難しい。特にぼくのホームページのようにあれこれ盛り込んであると、関心のあるものまで行き着くことは大変だろう。もうちょっと何とかならないか、と前から考えていた。そうしたら、最近次のようなメールがやってきた
    私はpatti smithで検索してここにたどり着いた者です。こうやってきままにメールを出すのは初めてです。CD評など読んで、きっとライターの方だろうと思っていましたが、先生だったんですね。とても謙虚でいて鋭い文章にひかれました。
  • つまり、この人は、表紙から入ったのではなくて、いきなりパティ・スミスのレビューに来たのである。そして、後になって大学のサーバーにある教師のページであることに気がついている。どうしてこんなことができるのだろうか。ためしにぼくも、Yahoo でPatti Smithを検索してみると、確かにぼくのレビューが出てきた。要するに、Yahooの自動検索エンジンが、中身の一つ一つまで調べてくれているのである。そういえば、大学に学生が来なくなりはじめた2月からも、アクセス数はほとんど減ってはいない。原因はこれだったのかと、ひとりで勝手に納得してしまった。
    CDレヴューを拝見しましたが、ロックがお好きなのがわかり、何だかうれしいです。私はロックというよりメタルが好きで、バンドをやっています。バンドのホームページも開いてますのでよろしければ見てみてください。
  • これは、卒論提出間際に詰まってしまってインターネットをやった学生からのメール。彼はこの後無事提出をしたというメールをくれた。そして、次のは大学の図書館で働いている人からのものである。
    And......のところの「知人の病気」「容さんが死んだ」「容 さんを偲ぶ会」を読みました。おもわず泣いてしまいました。キース・ジャレット のパリ・コンサートのCDがバックに流れてたこと、夜遅く静かなこと、そして雨が 降っていること、きっとそういうことすべてと、ひとつひとつの言葉から立ち上が ってくるようなものに悲しくなりました。
  • こんなメールが来はじめると、うれしくなってしまう。新聞や雑誌に原稿を書いたり、本を出したりしても、このような感想を受け取ることはほとんどなかった。そんなわけで、インテラクティブ(相互的)なホームページのおもしろさに、ますますのめりこみはじめている今日この頃である。
  • 1998年3月25日水曜日

    『アミスタッド』(1997) 監督:S.スピルバーグ、荒このみ『黒人のアメリカ』(ちくま新書)

  • メイフラワー号がプリマスに着いたのは1620年だが、その時にはすでに約20人の黒人がアフリカからアメリカに連れてこられていたそうである。この映画の話は、それから2世紀後の1839年に起こった実際の事件をもとにしている。
  • 映画の話はおおよそ次のようなものだ。ハバナからアメリカに向かうスペインの奴隷船「アミスタッド号」で反乱が起こる。黒人たちのリーダーはシンケという。彼らは、鎖を外し、船員たちを襲って船を奪う。船の操縦のために残した二人のスペイン人にアフリカに帰るよう命令するが、着いたのはコネチカット州ニューヘブンだった。そこで船や黒人たちの所有権をめぐって裁判が起こされる。
  • 裁判にはスペインとイギリスが関わる。アメリカ人の間では奴隷制をめぐって北部と南部の対立がある。言葉がまったく通じない黒人たちは最初はつんぼ桟敷だが、裁判の行方は彼ら自身による陳述によって大きく様変わりしはじめる。弁護士の若い白人と、元奴隷の新聞発行者の懸命の努力。捕らえられた黒人たちとの心の通いあい。黒人狩り、運搬、売買。その巧妙で残酷で醜悪な実態が裁判の中でシンケによって語られる。クライマックスは、たとえ国が内乱になっても奴隷制は廃止すべきだと唱える元大統領の弁護人の演説
  • いつもながらの一大ロマンといってしまえばそれまでの話だろう。愛や自由や人間の尊厳、あるいは良心をあちこちにちりばめた映画作りはアメリカ人のお得意だが、見ていて食傷気味に思えるところも少なくなかった。けれども、やっぱり見ておいて損はない、というよりは知っておかなければいけない話だとは思った。
  • アメリカの奴隷の歴史については最近、おもしろい本を読んだ。おもしろいというよりは、「なぜこんな事を今まで知らなかったんだろう」という驚きを感じた。荒このみの『黒人のアメリカ』である。
  • アフリカにリベリアという国がある。ぼくは時折ニュースで話題になるタンカーがリベリア船籍である場合が多いという以外に、この国のことをほとんど知らなかった。『黒人のアメリカ』はこの国がアメリカによって強引に作られた国であることを教えてくれる。リベリアは解放された後のアメリカの奴隷を送り返す地として1824年に作られた国である。
  • なぜ、解放された黒人たちをアフリカに帰そうとしたか。その理由の第一は、白人たちが黒人との共生を嫌ったからだ。「黒人たちを自由にするのはいいが、一緒に生活するのはかなわん、用がなくなったら送り返してしまえ」というわけだ。それは、奴隷制に反対した北部の進歩的な人びとのマジョリティだった。それに黒人たちの中にも、そのような形で解放後のユートピアを考える者たちがいた。
  • けれども、リベリアという国は建国以前には無人の地だったわけではない。買収と侵略。アメリカ帰りの黒人によって追放され、抑えつけられる先住民。イスラエルと似たような話が一世紀も前にあったのである。そして、リベリアの建国はアミスタッド号事件よりも15年前のことである。ちなみにリンカーンによる奴隷宣言は 1863年、憲法によって奴隷制廃止が制定されたのは1865年。『黒人たちのアメリカ』には黒人たちによって残された資料を中心に、他にも興味深い話が多く紹介されている。
  • 映画論やマンガ論を専門にする立命館大学のジャクリーヌ・ベルントさんと話をしていたら、『アミスタッド』には原作にはある大事な話が語られずに終わっていて、それが、まさにアメリカ映画の限界なのだということだ。反乱のリーダーであるシンケは正真正銘この映画のヒーローだが、彼は、アフリカに帰った後、奴隷商人になったそうである。そこを映画は抹殺した。ぼくは読んでいないが、そうだとすると、この事件の持つ意味は、かなり変わってくる。
  • 『アミスタッド』はアメリカの歴史の暗い一面を描き出したものだが、同時に、白人と黒人の両方に希望を持たせる描き方をしている。たぶん、だからこそ、人びとが見に行こうと思い、エンターテイメント映画として成立することになるのだと思う。けれども、問題は、その「希望」にこそあるのではないかと考えてしまう。ひとりの人間、あるいは集団や社会の「希望」がもうひとりの人間や一つの社会を抑えつけ滅ぼしてしまうように働く。アメリカの開拓も、そこにアフリカから黒人が連れてこられたのも、そもそもは「希望」という名の傲慢さから始まった。そのジレンマをどう見据えるか。本当に考えなければならないのは、たぶん、その解きがたい問題なのだろう。