1998年10月14日水曜日

栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス) 大島豊『アイリッシュ・ミュージックの森』(青弓社)

 

irish1.jpeg・今一番行ってみたいのはアイルランド。そんなふうに思わせる本を2冊読んだ。ぼくにとってのアイルランドへの関心のきっかけはもちろん、ヴァン・モリソンやU2だが、紛争の絶えないぶっそうなところだから、行きたいなどとはちょっと前まで考えもしなかった。映画の『父の名において』とかNHKのドキュメントで見る限り、のんびり旅行者が出かけるようなところではない気がしていた。

・イギリスのブレア首相とIRAとの間で平和協定が結ばれた。少しは安全になったのかなといった程度のものとして考えていたが2冊の本を読んで、ずいぶんちがった印象をもった。一つは栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス)である。

・仲間とパブへくりだしたばあい、あるいはその場で知り合ったどうしが三、四人で飲んでいるとしよう。ぼくの目のまえのグラスが空に近くなると友人のひとりが「もう一杯やるかい」とたずねてくる。こうたずねるのがエチケットだからだ。ぼくが「イエス」と答えると、彼はほかの友人たちにも同じことをたずね、バーまで立っていき、みんなの飲み物を買ってくる。次は誰か別の人物の番だ。………結局はおごりっこを順番にしながら、誰も損も得もしないことになっているのだ。

・このようなパブでの儀礼を「ラウンド」と呼ぶらしい。この本の最初のところで、著者はパブで隣り合わせた老人に「アイルランドでは宗教改革も産業革命も経験しておりません。近代化はついこのあいだはじまったばかり。ダブリンは都市に見えるかもしれませんが、じっさいは巨大な村ですよ。」と言われるたと書いている。『アイルランドのパブから』は、そんな巨大な村にいくつもあるパブで出会った人びとや人間関係や音楽、そしてもちろんギネス・ビールについての本である。著者はそれを「声の文化」と呼んでいる。知らない者どうしがすぐに知り合いになって、ビールをおごりあい、いつの間にかはじまる音楽に耳を傾け、一緒に歌う。アイルランドはまさにフォーク音楽が生きている世界である。ぼくは酒に強くはないし、ことばだって不安だ。それに、人見知りが激しいから、パブで知らない人と一緒にうち解けることはできそうもない。けれども、何となくいいなーと感じてしまうのも確かだ。

・しかし、アイルランドは一方では辛酸をなめ続けた歴史をもった国でもある。ノルマン人やヴァイキングの侵入、イギリスによる支配、 19世紀の中頃に起こった飢饉とアメリカへの移民によって、人口が一挙に3割ほどに減ってしまうという時代も経験している。中等教育が義務教育として制度化されたのがやっと60年代になってから、そして経済的な発展が本格化するのは、初の女性大統領メアリ・ロビンソンが登場してからである。

irish2.jpeg・もう一冊の本『アイリッシュ・ミュージックの森』には最近のアイリッシュ・ミュージックについての記述が詳しい。ぼくはそのほとんどのミュージシャンや音楽を知らないが、次のような話には思わず、うなってしまった。

・ 1922年にアイルランドが独立したとき、政府は独立を支える文化的支柱を必要としたが、そこで使われたのはアメリカから輸入されたSP盤の伝統音楽だった。
・アメリカからのSP盤がほぼ全国的に伝統音楽のかたちを統一するほどの影響を及ぼしたのは、そこに録音されていた音楽が並外れて質の高かったものであったそのほかに、まずそれがすべて善きものの源泉アメリカからの到来そのものであったためであり、二つ目には教会の弾圧によって音楽の名手はみなアメリカに行ってしまったという残った人びとの劣等感が裏書きされたからだろう。

・さらに、アイリッシュ・ミュージックが一層盛り上がるのは、ロックンロールの流行と、その世界でのアイルランド出身のミュージシャンたちの活躍が引き金になる。このような経過を指摘しながら、著者はアイリッシュ・ミュージックを昔ながらの様式や素材に固執した伝統音楽ではなく、むしろ時代の流れに敏感に呼応するところから再生した音楽だと言う。「周縁ゆえに、辺境ゆえに伝統は『近代』の侵攻をこうむらず、その力を温存してきた。時を得て、伝統は『近代』のシステムを逆用し、新しい存在として生まれ変わる。」

・ぼくはこの本で紹介されているCDがたまらなくほしくなった。またTower Recordで散財してしまいそうだ。

1998年10月7日水曜日

野球の後は映画

 

  • 今年の夏休みは、見るのも読むのも考えるのも書くのもメジャー・リーグばかりだった。その季節も終わると、今度はBSでおもしろい映画をやりはじめた。で、ここ二週間ほどは、毎晩のように映画を見ている。二本立て、三本立てなんて日も珍しくない。たとえば、最近見た映画でおもしろかったものをあげると、『セブンティーン』『すべてをあなたに』『フェイク』『ジャック』『バスキア』『バッド・デイズ』『エビータ』『ペレ』『私家版』『死と処女』『愛よりも非情』記憶の扉』『心の指紋』『ハーモニー』それに『理由なき反抗』や『大人はわかってくれない』なども見てしまった。もちろん、これは全部BSで放送したものばかりである。
  • これだけいっぺんに見ると、さすがにそれぞれの映画を一つずつ記憶しておくことは難しい。けれども印象に残ったものをいくつか。ちょっとでも書き留めておけば、後で思い出すことができやすくなる。今回はそんなメモのようなレビュー。
  • 『ペレ』にはマックス・フォン・シドーがでていた。スウェーデンからデンマークに少年を連れて出稼ぎにでる初老の男の話。いい暮らしができると子どもに話しながら職を探すが、やっとありついたのは農場の家畜の世話をする仕事だった。確かではないが20世紀の初め頃の話だと思う。福祉の行き届いた、世界で一番豊かだと言われる国とはとても思われない世界。一緒に働く農奴のような人たちの中には、夢をアメリカに託す者がいた。ヨーロッパからアメリカに渡っていった大勢の人たちの心が少しわかるような作品だった。
  • 特に選んだつもりはなかったのだが、青春映画が多かった。『セブンティーン』はハンガリーから父とアメリカにやってきた移民の少年の話。DJに憧れるが(the)の発音ができない。永住権をとるためにはしっかり勉強しなければならない。けれども、女の子は気になるし、ちょっと不良になってもみたい。『理由なき反抗』や『大人はわかってくれない』とどこか共通したテーマだが、それなりに現代の若者をうまく描き出していると思った。『すべてをあなたに』はトム・ハンクスが監督をした作品。田舎のロックンロールバンドが売れて一躍スターになり、仲間割れして解散するという話。たわいがないといえばそれまでだが、60年代の一風景をうまく描いていた。
  • 『愛よりも非情』はイタリアが舞台で主人公はサーカスの女拳銃使い。彼女は新聞記者と恋に落ちるが、不良たちに強姦され、その復讐に男たちを皆殺しにしてしまう。傷つきながらの逃避行。警察に包囲され、恋人に抱かれながらの死。フランチェスカ・ネリに一目惚れしてしまったせいか、見ていて腹が立つやら、可哀相になるやら、久しぶりに目が離せないほど見入ってしまった。『死と処女』はアルゼンチンの独裁政権時代に政治犯としてとらわれ、性的な拷問を受けた受けた女性が、復讐をする話。ポランスキーが監督。
  • 『記憶の扉』は『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレの作品。雨の中を歩いていた男が検問で引っかかって警察で尋問を受ける。そのやりとりだけの話で、最後になるまで不可解なのだが、主人公が自殺した作家本人であることがわかって納得。死んだ本人に自分が誰であるかをわからせるための検問と尋問、そして旅立ち。ぼくはどういうわけか村上春樹の小説を思い浮かべた。彼の映画は小説になりにくいと思うが、こんなふうに作ったら案外おもしろいかも、という気がした。
  • それにしても、さすがに目が疲れる。深夜映画を見て、明け方ぼーっとしながら家に帰った若い頃を思い出してしまった。
  • 1998年9月23日水曜日

    尾崎善之『志村正順のラジオ・デイズ』(洋泉社)沢木耕太郎『オリンピア』(集英社)

     

    ・ひきつづき、メディアとスポーツ関連の本について、というわけでもないんだけれど、今週もまた似たような話題です。

    ・ラジオの実況中継がスポーツを大きく変えたことは、すでによく言われている。しかしこれまで、具体的な話も、理論的な展開についても、ラジオについてはそれほど豊富ではなかった。学生に聞いても、ラジオはほとんど聴かないと言う。聴いているのはお年寄りばかり。テレビその他の新しいメディアに押されて、ラジオはほとんど忘れられようとしている。そんな気がしないでもなかった。

    ・ラジオが話してと聞き手との間に直接的なコミュニケーションの世界を作りだすこと、それがしばしばきわめて親密に感じられることを指摘したのはM.マクルーハンである。彼はそのような世界の特徴を「部族的連帯」と呼んだ。このような特徴をうまく使ったのは、一方ではA.ヒトラーやF. ルーズベルトで、ラジオというメディアが情報操作に弱いことを示す好例としてよく紹介される。けれども他方では、ラジオはロックンロールやロック(FM)の登場には欠かせないメディアになったし、アメリカのプロスポーツ、特にメジャー・リーグを国民的なスポーツにするのにも大きな役割を果たした。日本では、何より大相撲、そして、オリンピック。

    ・ラジオが人びとに新しい世界を一つ提供したことはまちがいない。すぐ目の前でしゃべっているかのように感じられるアナウンサーの声が伝えてくる世界は、聴き手が想像力を働かせてはじめて再現できるものである。その現実とも空想ともつかぬ不思議な世界に対する驚き、それによってもたらされるきわめて強い興奮。これはテレビを知ってしまった者にはわからない感覚である。

    ・志村正順は昭和11年にNHKに入りスポーツ放送の主流がテレビになる東京オリンピックの頃まで、大相撲、東京六大学野球、あるいはプロ野球やオリンピックの中継で第一線の人気アナとして活躍した。スポーツ中継はあくまでジャーナリズムであるから、ニュースと同じように正確に、偏りなく、冷静に伝えなければならない。これがNHKの基本方針だが、ラジオによるスポーツ中継はけっしてそうではなかったようだ。誇張や脚色、あるいは全くの作り事が、時に聴いている者に、強い迫真力をもたらす。彼の語りの特徴はまずそんなところにあった。

    ・沢木耕太郎の『オリンピア』はベルリン・オリンピックの記録映画『民族の祭典』とその作者であるレニ・リーフェンシュタールとのやりとりから始まる。この映画の中には、実写ではない部分、わざとネガを反転させた箇所がずいぶんある。すでに90歳をすぎた作者の記憶は定かではないが、沢木はそれを、リアルに見せるための工夫だったと判断する。リアル、あるいは迫真力とは何か?たとえばベルリンで有名なのは例の「前畑がんばれ!前畑勝った!」の実況中継だが、ここにはいくつかのことばの連呼以外に何の描写もないにもかかわらず、聴いていた日本人を興奮の渦に巻き込んだという事実がある。

    ・映画『ラジオの時間』が暴いていたように、ラジオにはそれらしく聞こえさえすればいいという特徴がある。口だけ、音だけでどうにでもなる世界。今さらながらに、おもしろくて、怖いメディアだと思うが、そのような世界に浸りきるナイーブさを、残念ながら僕たちはもう持ち合わせてはいない。ここに紹介した2冊は、まさにそんな古き良き時代に思いを馳せるノスタルジックな本という感じで読んだが、ラジオのメディア的な特質は、もっともっと考えられていいテーマだとも思った。

    1998年9月16日水曜日

    東ドイツのロックについて


    ・ 9月9日から11日まで、京都のドイツ文化センターと立命館大学で旧東ドイツのポピュラー芸術をテーマにしたシンポジウムが開かれた。主に映画とデザインとロック音楽、ぼくはそのロックの講演のコメンテーターとして参加した。今回はそのことについて。
    ・ベルリンの壁崩壊にロックがある種の役割を果たしたことはよく知られている。たぶんロック音楽について考えようとすれば、それはまちがいなく一つの大きなテーマになる。けれども、その実状については、音楽そのものもふくめて、日本にはほとんど紹介されていない。ぼくも今まで東ドイツのロックは一つも聴いたことがなかった。講演者はアメリカ人で東独に留学経験をもつエドワード・ラーキーさん。彼は主に80年代の政治意識の強いロックについて、その歌詞の分析を中心に報告した。

    思うようにいかない日がある/髪も半分、ベッドの半分は空
    ラジオからは半分のボリュームで聞こえてくる:人類の半分がどこかで死んでいく
    半神が金色の子牛のまわりで踊る/世界の半分はそんなところ
    ハーフ・アンド・ハーフ、ハーフ・アンド・ハーフ
    半分になった国で、半分に切り取られた街で/身の程に半分ばかり満足している
                          City "Halb und halb"

    ・東ドイツは西側に隣接していた。特に東ベルリンは壁一枚のみだった。だからどんなに情報を統制し、行き来を規制しても、電波(主にラジオ)をとおして西から東へ何でも筒抜けになってしまう。東ドイツのロックは、そんな特殊な状況のなかで独自性を生みだした。つまり政府は、ロックを全面的に禁止することはできないから、西からのものではなく、自前のものを作ってコントロールをしようとした。政治や社会の批判は困るから、当然厳しい検閲がある。けれども、一方では、西に負けない芸術性の高い作品を奨励したりもする。ラーキーさんは主に歌詞の部分で、検閲制度が文学性を高める役割を果たしたというアイロニーを指摘した。たとえばシリー(Silly)の「サイコ」(Psycho)は、もともとは「1000の眼」(Tauscend Augen)という曲で、監視体制を批判したものだが、検閲をくぐるためにヒッチコックの映画を題材にしたかのように見せかけたのだという。

    1000の眼               サイコ
    1000の眼がマットレスの下にある    1000の憧れが私の胸を開く
    1000の眼が苔の中から突きでる     1000のナイフが私の腿をおそう
    1000の眼が皮膚と皮膚の間に入り込む  1000の教皇が墓の下でのたうち回り
    1000の眼ーはやく私を抱いて      1000の頭蓋骨が苔の中から覗いている

    ・ぼくはコメンテーターとして、その歌詞のレベルの高さに同意したし、規制が芸術を熟成させる機能の1例としても納得したが、同時にいくつかの疑問も指摘した。このような歌はいったいどんな階層の若者たちに受け入れられ、それはどの程度の割合だったのか?ラーキーさんははっきり確かめたわけではないが、インテリ層で、全体の1割程度ではないかと答えた。大半の若者たちは西側から聞こえてくる音楽に興味はもっても自国のものには関心を示さなかった。彼はそのことを残念ながら、という気持ちで話した。
    ・ロックは60年代に確立して、その時にリーダーシップをとったのはアメリカでもイギリスでもインテリ層だったが、それ以後の、たとえば「パンク」や「レゲエ」、あるいは「ラップ」などは、ほとんどが社会の最下層から生まれている。それは芸術性や文学性などという議論とは無関係なところから発生して、あらゆる階層、あらゆる国に広まるというプロセスをもっていた。そんなロックの偶発性、あるいは「限界芸術」的な側面に比べると、どうしても作り物だという感じがしてしまう。ぼくはそんな趣旨のコメントを言った。
    ・出席者の大半が旧東ドイツ、あるいはドイツ、そして美学や芸術学の専門家だったせいかもしれないが、全てのテーマが芸術性という一点で切り取られようとしていた気がする。ぼくはここに違和感をもって、芸術という視点はポピュラー文化を見る一つの物差しにすぎないのではと指摘した。たとえばロックは芸術ではなくスポーツと比較した方がよくわかるかもしれない。そんな意味のことを言ったのだが、わかってくれた人は少なかったようである。参加者のまじめさ真剣さに、へとへとに疲れてしまった。

    1998年9月9日水曜日

    スポーツとメディアについての外国文献


    ・井上俊さんと亀山佳明さんが編者になって『スポーツ文化を学ぶ人のために』という本を世界思想社から出版する計画を立てた。で、ぼくのところに、「スポーツとメディア」というお題目がまわってきた。執筆者は日本スポーツ社会学会の会員が中心で、ぼくも所属しているのだが、実は今まで一本もスポーツ論を書いたことがない。編集委員をやったりして多少申し訳ない気もあったから引き受けたが、書くあてがあるわけではなかった。

    ・話は1年前に来て、締め切りが夏休み明け。最近一番関心をもっているメジャー・リーグのことでも書こうと考えて、夏休みに入ってから文献を探しはじめた。ところが役に立ちそうな本は日本語ではほとんどない。あわてて研究室の本棚を探し、大学の図書館で検索し、あるいはAmazon comで注文し、井上さんからも1冊お借りして読み始めた。そうしたら、今年の夏は蒸し暑い。じっと寝転がっていても、体中から汗が噴き出してくる。とても本など読む状態じゃなかったが、1ケ月で一応目を通しておかなければならない。そんなわけで、今年の夏休みは、ぼくにとってはちょっとつらい日々になった。などと、ついつい愚痴っぽくなる前置きはともかくとして、読んだ本の紹介をしよう。

    ・おもしろかったのは次の2冊。どちらも、第二次大戦後に急変するアメリカのプロ・スポーツの歴史を内容にしている。最初はラジオ、そしてテレビ、そこに人種の問題とお金の話が絡まってくる。それらによってスポーツがいかに変わったか。読んでいて「へー」と思うことの連続だった。

    *Benjamin G.Reader, "In Its Own Game ; How Television has Transformed Sports", Free Press, 1984
    *Randy Roberts and James Olson "Winning is the only thing; Sports in America since 1945" The John Hopkins U.P. 1989 あと、アメリカにおける人種とスポーツをテーマにしたもの
    *Richrd Lapchick,"Five minutes to midnight; Race and sport in the 1990s, Madison Books, 1991.

    ・大金が動くアメリカのカレッジ・スポーツ、特にフットボール(NCAA)を批判したもの
    *Kenneth L. Shropshire, "Agents of opportunity; Sports agents and corruption in collegiate sports", Univercity of Pennsylvania Press, 1990.

    ・同じ著者が、サンフランシスコ、オークランド、そしてワシントンDCなどのいくつかの都市を取り上げて、野球やフットボールのチームとその本拠地の関係を扱っている
    *Kenneth L. Shropshire, "The sports franchise game; Cities pursuit of sports franchises, events,stadiums, and arena",Univercity of Pennsylvania Press, 1995.

    ・イギリスのスポーツとメディア、特にテレビとの関係を分析した次の本にはアメリカとはちがうイギリスのお国事情がはっきりあらわれている。
    *Garry Whannel, "Fields in Vision ; Television Sport and cultural Transformation", Routledge, 1992

    ・ぼくはここ数年、ロック音楽を材料に20世紀の文化的な変容を調べてきたが、スポーツについての文献を読んで、両者の間に多くの類似点があることに気がついた。考えてみれば、どちらもポピュラー文化の大きな柱であることははっきりしているのだが、スポーツについては本気で考えたことがなかったのだとあらためて実感した。

    ・で、その類似点だが、メディアとの関係が非常に強いこと、成立の基盤に生活の豊かさと余暇(余裕の時間)が必要だったこと、若者という世代の出現、そしてアメリカの黒人の存在などがあげられる。
    ・原稿はもうほとんどできたのだが、これ以上のことについては、本が出たらぜひ買って読んでほしいと思う。どうぞよろしく。

    1998年9月2日水曜日

    ハイビジョンについて

  • ちょっと前に10年間見てきたテレビの調子がおかしくなった。テレビのない生活は一日でも耐えられない。そんな気分でスーパーのカタログを見ていると、格安のハイビジョン・テレビが目玉商品として載っていた。そろそろハイビジョンもおもしろくなったかもしれない。そんな期待を込めて買うことにした。
  • まず最初に感心したのはワールド・カップ。日本の試合はBSの7チャンネルでも同時放送していたから、珍しがって画面の比較をしながら見た。画像が横長だから、当然、画面に映る範囲は広くなる。画像が鮮明だから、細かなところがわかりやすい。だからだろうか、アップの画面が比較的少ない。ぼくはあまりサッカーに詳しくないが、ボールのまわりに集まる選手の動きや陣形がよくわかって、今までとは違う見方ができた気がした。
  • 同じことは、高校野球でも感じた。今までよりもグラウンドが幅広く見える。だから、バントやダブル・プレーの守備位置がよくわかる。もちろんまだ、実験放送の段階だが、ハイビジョンはスポーツの見方をかなり変えそうだというという感想を持った。
  • テレビが放送され始めた頃は、画面は小さくモノクロだった。だから野球の中継は球を追いきれずに、訳の分からない画像を映し出すことが多かったようだ。テレビカメラも、今とは違って、1台とか2台しかなかったから、アメリカでは、人びとはテレビよりはラジオの中継の方を好んで聞いたそうだ。だから、テレビのスポーツ中継は、まず、1台のカメラで映せて、しかも迫力を感じさせるボクシングとプロレスで人気を集めることになった。そういう肉体のぶつかり合いの印象が強かったせいか、アメリカでは、その次に人気を集めたのは、アメリカン・フットボールだった。
  • 100年の歴史を持つメジャー・リーグ(MLB)が、60年代にスタートしたプロのアメリカン・フットボール(NFL)にあっという間に人気をさらわれて、70年代からすでに斜陽だといわれ続けている。そしてその原因は、何よりテレビによるところが大きい。さらに最近では、やっぱり格闘技的な魅力を強調するバスケット(NBA)がものすごい人気になっている。乱闘でもなければ接触プレーなどない野球は、考えてみればきわめて静かで単調なゲームだが、ひょっとしたらハイビジョンが、そのおもしろさを見つけだしてくれるかもしれない。そんな期待を感じた。
  • ハイビジョンで見られるのは、もちろんスポーツに限らない。たとえば、動植物、あるいは海や山、砂漠や氷河といった自然を描くドキュメント。絵画や彫刻などを詳細に映し出す番組。また衛星から日本列島を生で映し出すといった時間も毎日ある。実験放送のためか、時間をたっぷり使い、ことばよりは映像で見せようとする番組が少なくない。バラエティや歌番組のようにやかましくないから、窓から見える風景のつもりでつけっぱなしにしておくことが多くなった。
  • JR京都駅から関西空港まで「はるか」という特急が走っている。その出発から終点までを映した番組を見た。ぼくは電車に乗ると先頭に座って運転席越しに前方の風景を見ることが好きだったが、ついつい最後まで。見入ってしまった。もう一つ感激したのは、秋田県の大曲で行われた「全国花火選手権」の中継。ぼくの住んでいるところでも、花火は何度か見ることができる。しかしそれは、音のない小さなものだったり、逆に音だけしか聞こえないものだったりして、今ひとつもの足りない。その点、ハイビジョンでの花火見物は、きれいで、迫力も十分だった。もちろん首が疲れることもなかった。
  • テレビが多チャンネル化して、見る番組の選択肢が増え始めた。そしてこの傾向は、近いうちにもっともっと強まっていく。料金を払って見るテレビ番組も、当然増えるわけだが、いったい人は何を見たがっているのかを見極めるのはなかなか難しいだろう。けれども、全国ネットはされないスポーツやイベントの中継や、地道なドキュメント、あるいは、案外見ることのできない日常の風景など、おもしろい素材はいくらでもあるのではないかとも思った。
  • 1998年8月26日水曜日

    Lou Reed "Perfect Night Live in London"

     

    ・ルー・リードの新しいアルバムを聴いているうちに、ニューヨークのことを考え始めた。そうしたら、メジャー・リーグのことが気になった。今年は吉井正人がメッツに入った。だから、ヤンキースの伊良部とあわせてニューヨークからの中継を見ることが多くなった。そんな感じでスタートしたら、途中から野茂もメッツに移ってきた。で週に3回、ニューヨークからの中継を見ている。あいにく、3人ともスカッとする試合をなかなか見せてくれないが、スタジアムを通して、ニューヨークはすっかりなじみの街になってしまった。

    ・ニューヨークは変な街だ。アメリカを象徴するようでいて、ここだけがまた、アメリカではない。ヨーロッパからの移民が最初に見るのが「自由の女神」と「マンハッタン」。世界中から、そしてアメリカ国内からも、その景色を求めて大勢の人がアメリカを目指してきた。人種や文化がごちゃごちゃに入り乱れた場所。成功者と敗北者。自由と平等を基盤にした熾烈な競争が生み出す不自由と不平等。もっともアメリカらしくて、またそれだけに、他の土地とは異質になってしまう都市。

    外に出ると夜は明るい、リンカーンセンターのオペラに
    映画スターたちがリムジンで乗りつける
    撮影用のアーク灯がマンハッタンのスカイラインを照らし出し
    けれど卑しい通りでは明かりが消えている
    幼い子どもがリンカーン・トンネルのそばに立ち
    造花のバラを1ドルで売っている
    道路は39丁目まで渋滞し
    女装した売春夫が警官にひとしゃぶりどうと声をかける
                "Dirty BLVD."

    ・ウォール街は史上空前の景気に沸き立っている。さっそうと歩くビジネスマンと路上生活者、そしてドラッグ中毒の子供たち。夢に憧れてやってくる人たちは跡を絶たないが、大半は夢破れて退散するか、のたれ死ぬ。ルー・リードはそんなニューヨークの人間模様や風景を繰り返し歌う。彼は、そんなニューヨークを嫌悪しながら、なお愛し続ける。この新しいアルバムはロンドンでのライブだが、伝わってくる情景は、何よりニューヨークそのものだ。

    ・以前にアメリカに行ったときに、ぼくはノーフォークから飛行機でニューヨークに移動した。飛行機は自由の女神の真上を飛んで、マンハッタン島の摩天楼を左に見ながらシェア・スタジアムをかすめるようにしてラガーディア空港に着陸した。内野席が何層にもなっているのに外野席がほとんどない、馬蹄形をした奇妙な球場だった。実際にぼくは野球を見たのはヤンキースタジアムだったが、飛行機からのニューヨークの眺めがすばらしくて、メッツの本拠地の印象もかなり強く残っている。

    ・ぼくはニューヨークはあまり好きではない。とても住みたいとは思わない。野球ファンも辛辣というよりはせっかちに結果に反応しすぎるようだ。けれども、ルー・リードの歌を通して感じるニューヨークの哀感には、時折ふれてみたい。とはいえ、日本人メジャー・リーガー達が挫折して傷心の帰国、などといった光景だけは見たくないものだ。