2006年7月17日月曜日

初心を忘れず

 

Neil Young "Living with War", Bruce Springsteen "We Shall Overcome"

・ニール・ヤングとブルース・スプリングスティーンが、どういう関係かよくわからないが、ふたりはよく同じ場面に登場する。エイズをテーマにした映画『フィラデルフィア』ではスプリングスティーンが導入部の、ヤングがラストの主題歌を歌っているし、9.11直後の追悼番組でも最初がスプリングスティーンで最後がヤングだった。あるいは、最近ふたりが出すアルバムにはDVDがよく付属している、といった共通点もある。それからもう一つ、これが一番大事だが、アメリカ社会や政治、そして文化の現状について、人一倍の危機感を持っていて、それがアルバムのコンセプトになっていることだ。
young2.jpg・ニール・ヤングの"Living with War"はその題名通り、アルバムのほとんどが反戦歌で占められている。歌詞はどの曲も率直なものだ。

「この庭がなくなった後で、人は一体何をするんだ?」"After the Garden"


「毎日戦争と一緒に生きている。心には戦争のことがある。
平和に手を上げて、思想警察の法律になど屈服しない。」"Living with War"


「落ち着きのない消費者が世界中を毎日駆け回っている。
おいしさとおしゃれの欲のために。」"The Restless Consumer"


「1963年のボブ・ディランの歌を聴いてみろ。
<自由の旗>がはためくのを見よ。」"Flags of Freedom"


「この国を誤った戦争に引き込んだ大統領の嘘を弾劾せよ。
我々の力を浪費させ、我々のお金を外に投げ捨てた。」"Let's Impeach the President"


springsteen2.jpg・スプリングスティーンの"We Shall Overcome" にはトラディショナル(伝統的)なフォーク・ソングが集められている。タイトル曲はピート・シーガーが作り、黒人に対する人種差別に反対する運動などで歌われたが、マルチン・ルーサー・キング牧師の「私には夢がある」という演説とならんで、公民権運動には欠かせない一曲になった。

・アルバムにおさめられている曲の多くはピート・シーガーがアラン・ロマックスとアメリカを回って集めたものだ。どれもポピュラーになってよく歌われるが、最初のものとはずいぶん変わってしまったものもある。それを最初に戻って歌ってみる。そこには、シーガーが残したものを語り継ぐという使命感もあるようだ。録音は彼の自宅の居間でおこなわれ、シーガーに近いミュージシャンたちが集められている。フォーク・ソングにしても、黒人のブルースにしても、各地に散在し、埋もれかけていたものを集める作業をした人がいる。それが現在の音楽の出発点になっていることを、多くの人は忘れているし、若い人には知らされていない。

・だから、古いものを出発点に戻ってやり直してみる。それは最近のディランのアルバムにも見られる姿勢だ。ピート・シーガーとの関係でいえば、もちろん、ディランの方がはるかに近い。ウッディ・ガスリーやピート・シーガーに憧れて歌を歌いはじめたディランは、メッセージ性の強いフォーク・ソングをつくる若手として、彼らから期待をかけられた。ニール・ヤングが「1963年のボブ・ディランの歌」と歌っているのは「風に吹かれて」のことで、この歌は"We Shall Overcome" とならぶ60年代を代表するフォーク・ソングになっている。

・そのディランはギターをエレキに持ち替えて、シーガーとは一線を画したし、彼が始めたフォーク・ロックのスタイルからニール・ヤングもスプリングスティーンもスタートした。そんなフォークの第二世代や第三世代が、今、共通して、初心に帰っている。ノスタルジーではなく、できるだけ昔のままのものを求め、それを若い世代に伝えようとする姿勢には、スターという立場とは無関係な、アメリカの歌を語り継ごうとする意志がある。あるいは、何か訴えたいことがあったら率直に、素直に声に出す。そんな表現の仕方の大切さを訴える気持ちもある。

・初心に戻るのはノスタルジーに浸るのとは違う。それは現在から過去を懐かしむのではなく、過去に戻って、そこから現在や未来に向けてやり直すことだ。あるいは現在までの道のりをたどり直してみる。ディランはもちろん、ヤングもスプリングスティーンもそういう年齢になったといえるのかもしれない。彼らのメッセージを若い世代はどう受け止めるのだろうか。

2006年7月10日月曜日

ビートルズ伝説への疑問

  NHKでもWowowでも、ここのところビートルズ関連の番組を放映している。新聞記事や雑誌の特集も目につく。理由はビートルズが来日して40周年ということのようだ。大きな話題になったできごとであることは間違いないが、今わざわざふりかえるほどのことだったのか、という疑問を感じてしまう。というより、CDやDVD、あるいは関連グッズなどを売るためのキャンペーン、といった印象が強い。
1966年に高校生だったぼくはもちろん、ビートルズが次々とヒット曲を出して、それまでのポピュラー音楽の傾向を変えていったことは知っている。しかし、ビートルズに興味がわいたのは日本公演の後の彼らの活動やつくりだした音楽であって、来日までの印象は、女の子たちがキャーキャー騒ぐアイドルといったものでしかなかった。
当時の僕にとってのアイドルは断然、ボブ・ディランで、メロディやサウンドはともかく歌の内容は、とても比較にならないほど高尚で、しかも政治的な意識の高いものだったから、ビートルズがいいなどというやつは意識が低いと馬鹿にしていたし、「かわいい」などといって熱を上げる女の子たちは軽蔑の対象でしかなかった。
実際、そんな熱気は身近で手っ取り早く同じ雰囲気を味わえる「グループ・サウンズ」という新種の芸能タレントを生み出すことになった。タイガース、テンプターズ、スパイダース等々だが、彼らは他の既成の歌手たちと同様にナベプロなどの音楽事務所に所属し、テレビの歌謡番組に出演した。彼らの歌が自前のものではなく、それまでは歌謡曲を作っていた作詞家や作曲家、あるいは編曲家の手になるものだったことはいうまでもない。だから、グループ・サウンズの人気者は、ブームが下火になると俳優やタレントになっていった。で、そういう人たちが、当時を懐かしがって、いい時代だったと感慨にふけっている。

40年もたつと、時代のディテールは消え去って、同じシーンばかりが再現され、特定の人物や出来事が伝説化され、ノスタルジーに彩られた別の歴史として変形する。それは団塊世代について書かれた本でうんざりしているが、いつのまにか事実そのものとして定着してしまうから始末が悪い。しかも、さらにうんざりするのは、当の団塊世代が、ビンテージのエレキギターを買って、若い頃にやっていたバンドを復活させたりしているという話題だ。それは童心に帰ってする子供遊びと同じで、定年後にする楽しみを見つけたという点では結構だが、「ノスタルジー」だけではどうしようもない、という批判をしてしまいたくなる。
もっとも、ノスタルジーに浸るのは団塊世代ばかりではない。50代も40代も、そして30代ですら、自分が子供だった頃に夢中だったものに愛着をもち続けていて、テレビ番組の人気キャラを買い集めたがるから、ゴムやプラスチックや鉄でできた当時のグッヅが信じられないような値段で取引されている。レコードがCDにかわってアルバムジャケットの魅力が失われたといったことがいわれたが、今、売れているのはLPレコードに似せた紙ジャケといわれる装丁のCDだ。元々はレコードのリメイクとして一部のファン向けに売り出されたもので、無機質なプラスチックのケースにない魅力を感じさせるから、新しいアルバムなどにも使われている。

交換経済の下での文化の発展の中では、オーセンティックな、すなわち真物の経験に対する追求、またそれと繋がってオーセンティックな事物に対する追求は俄然危機的になる。経験がいや増しにさまざまな媒(なかだち)をはさみ抽象化していくにつれ、身体と現象世界との生きられた関係は、接触と現存のノスタルジックな神話にとって代わられる。S.スチュアート「欲望のオブジェ」
ノスタルジーは本物をまがいものにする一方で、本物をアンティークなもの、牧歌的なもの、深遠なものとして神秘化させ、高級品化させもする。あるいはもう一つ、まがいものをいつのまにか本物のようにもする。個人のどんな経験も、今では、ノスタルジーをたっぷりしみ込ませたモノをたよりにしなければリアルなものとして思い起こすことさえ難しい。しかもそこには共感してくれる仲間が欠かせない。

ビートルズは解散して、ジョンもジョージも死んでしまったが、同時代にデビューして、今も生産的に音楽活動をしている人はたくさんいる。僕は、その人たちのノスタルジーを売り物などしない、今の姿に興味がある。彼や彼女たちだって、昔のままでいてとか、昔を再現してなどといわれたら、きっとうんざりだろう。ただし、日本人の中にはノスタルジーだけが売り物というミュージシャンが少なくない。

2006年7月3日月曜日

民主主義の生まれたところ

 

星川淳『魂の民主主義』(築地書館),D.A.グリンデJr.,B.E.ジョハンセン『アメリカ建国とイロコイ民主制』(みすず書房)

journal1-103-1.jpg・9.11 の後にアメリカがおこなったアフガニスタンとイラク侵攻に、ブッシュ大統領は、「民主的な国家」にするという大義をかかげた。それはまるで、出来の悪い勧善懲悪のハリウッド映画のセリフそのもので、ばかばかしかった。しかも、現実におこなわれた戦争は、悲惨で泥沼化し、とてもハッピー・エンドとはいかない状況に陥ってしまっている。ヴェトナム戦争のおろかなくりかえしと言ってしまえばそれまでだが、性懲りもなくくりかえすアメリカ人の精神構造は、やはり問題にしなければならない。
・『アメリカ建国とイロコイ民主制』はイギリスからアメリカ大陸に移民していった人たちが独立するまでの過程で、インディアンのイロコイ族とどのようにかかわり、どのような影響を受けたのかを史実を洗い直しながら明らかにしている。それは白人が作り上げたアメリカの歴史とは違うという点で、目から鱗といった読後感を与えてくれる。
・たとえば、移民たちの多くはイロコイ族やその他の部族の人たちに助けられて新大陸での生活を確保していったし、その身分の違いや貧富の差のない社会のあり方、つまり民主的な制度から多くのことを学んでいる。それが何よりはっきりしているのが合衆国憲法で、ジョン・ロック等の啓蒙思想に基づくばかりでなく、それ以上にイロコイの制度に負うところが多いというのである。

journal1-103-2.jpg・星川淳はその『アメリカ建国とイロコイ民主制』の訳者だが、彼はまた自ら『魂の民主主義』を書いて、イロコイ民主制をわかりやすく説明している。それによれば、イロコイはオンタリオ湖南岸に住むいくつかの部族によってできた連邦で、諍いを解消するためにたがいに努力してできたものである。その伝承された物語から読み取れるのは、「グッド・マインド」(理性と冷静さ)をもって話し合えば、かならず合意点が見いだせるという確信であり、そのために必要な公平な審判を間にはさんだ話し合いの形(イロコイ・トライアングル)である。いったん合意が達成されたら、それは「ワンパム」という飾り帯に協議の内容や約束されたことを明記する。それは文字ではなく様々な色の貝殻や鳥の羽根をつかったビーズ模様のものだが、事実の記録だけではなく、そのときの気持ちまでも記憶させる媒体になったということである。
・「ワンパム」はもちろん、イロコイと移民たち、あるいは建国後のアメリカ合州国の間でも何度もつくられている。ところが、白人たちはまた、それをくりかえし反古にしてきたようだ。たとえば初代大統領のワシントンは、独立戦争のときにイロコイから戦力の支援や食料の調達を受けたにもかかわらず、その恩を忘れて、数年後にはイロコイ掃討作戦を実行して集落に焼き討ちをかけている。だからイロコイ族のなかではワシントンには「町の破壊屋」というあだ名がつけられたが、そのあだ名はワシントン一人にとどまらず、歴代の大統領や有力政治家、あるいは将軍などにもつけられるものになった。もちろんそれは現在のブッシュにもあてはまる。
・アメリカ人は初心に帰れば、躊躇なく理想主義的な発想に傾倒する。しかし、それを忘れてしまったり、邪魔だと思えば無視したりするのもまた、彼らの得意とするところだ。この二冊は、そんなアメリカ人の特徴をあからさまにしている。新天地に夢を描いて移住した人たちの理想主義と現実的な対処に際しての利己主義という矛盾した考えが同居して、それがことあるたびに便宜的に使われてきた。そしてどういうわけか、その矛盾にとらわれ、立ち止まって考えるということがない。

・星川淳はそのような発想を日本との戦争と戦後政策、そして何より「日本国憲法」の作成過程に見ている。日本の憲法は世界に類を見ないほどの理想に溢れたものだが、それは戦争の無益さをほとほと実感したマッカーサーが、戦争のない世界の実現を念頭に置いて作成させたものだという。しかし、武力の一切の放棄をうたっておきながら、朝鮮戦争が起きると自衛隊の創設を強く要求したのもまた、マッカーサーの進駐軍だったのである。
・人民主権という発想が薄い日本では、その憲法は一方では絵に描いた餅のように扱われ、また他方では、軍備については、便宜的な曲解がほどこされてきた。だからおしつけられたものではない自前の憲法をというわけだが、その最近の主張には「憲法に愛国心を書き込め」というものがある。ここには「憲法」が一体どういうものかという理解についての主客転倒がある、と著者は言う。「憲法とは国民/市民/人民が政府をコントロールするための指示命令文書であるという近代法の基本」が忘れられている。日本では、政府はお上であって、民主主義はあいかわらず上意下逹のシステムでしかない。ただし、自由は自分が好き勝手に何かをする権利だと考える風潮は、隅々に蔓延している。そんなところを見ると、忘れてしまったのではなく、最初から理解していないのだと考えたくもなってしまう。


<魂の自由=平等>に立ち、同時にあらゆる他者の自由=平等を尊重しながら生きるには”好き勝手”的なフリーダムと、様々な社会的要請を引き受けつつそれらの囚人にならないリバティのあいだの絶妙なバランスが必要だ。112ページ

・「リバティ」と「フリーダム」。アメリカ人はそのバランスをしばしば見誤るが、日本人には、そもそもその違いすら自覚されていない。「自由」「民主」「自由民主」。政党名としておなじみだが、またほとんど意味の問われない、使いたい放題のことばでもある。

2006年6月26日月曜日

Wカップで気づいたこと

 

・サッカーのWカップは本当にワールドワイドな大会だと思う。春にやった野球のWBCがアメリカ大陸とアジアに限定されたローカルなスポーツ大会だったことを認識した後ではなおさら、そう思う。
・出場国はどこも2年間に及ぶ予選を勝ち抜いてきた。だから、どうしようもなく弱い国は一つもない。審判も世界中から厳選され、中立的な立場でゲームを管理できる人が担当する。当たり前の話だが、WBCはそうではなかったし、奇妙な判定が勝負を左右したことが何度もあった。アメリカ生まれのローカルなスポーツで、メジャー・リーグが現在でも頂点なのだから仕方がないといえばそれまでだが、世界大会を本気で考えるのなら、見直すべき点があまりにたくさんある。Wカップを見ていて、何よりそのことを感じた。しかし、である。
・Wカップに参加するチームはどこも勝つことを第一の目標にしていて、それぞれ、できる限りの支援をしてきている。けれども、それぞれのチームを支える国の状況は、また、あまりに違いすぎる。それはとても、公平な条件でやっているとはいえないものである。
・たとえば、アフリカから参加したチームには、その報奨金をめぐって選手やコーチに不満がくすぶって、試合をボイコットするといった問題が生じた。これは前回の日韓大会でもあったことで、国が極貧状態にあったり政情不安だったりすることが原因である。しかも、選手の多くはヨーロッパのプロ・リーグで活躍していて、母国に帰ることはほとんどないし、そもそもヨーロッパ生まれだったりもするようだ。監督や選手の要求する金額は国の財政からすれば法外なものだろうから、工面するのも大変なことだろうと思う。
・今回参加したアフリカの国は、トーゴ、ガーナ、アンゴラ、コートジボアール、そしてチュニジアの5カ国だが、どこもヨーロッパの植民地だった歴史がある。地図でそれぞれの国を調べると、トーゴ、ガーナ、それにコートジボアールは隣国で象牙海岸と呼ばれたところに位置している。
・奴隷貿易が盛んでカカオや穀物のプランテーションがつくられ、象牙や金などもとれて、ヨーロッパを潤わしたところだが、その代わりに貧しい生活と政情の不安がもたらされた。イギリスやフランスなどから60年代にあいついで独立したが、その後の政情はどこも不安定で、クーデターが何度も起きている。たとえばアンゴラは75年にポルトガルから独立した後、アメリカとソ連をそれぞれ後ろ盾にした勢力が激しい内戦を繰り返した。で現在のGDPはどこも世界で100位前後で最貧国と呼ばれる位置にいる。
・同様のことは中南米から参加する国にもいえる。ブラジルがポルトガル、トリニダードトバゴがイギリスで、ほかのアルゼンチン、パラグアイ、コスタリカ、エクアドル、そしてメキシコはスペインの植民地だった。その多くは19世紀の前半には独立しているが、アフリカほどではないにしても政情は不安で経済は破綻しているところが少なくない。
・ブラジルは経済的には比較的裕福だが、スター選手の多くは黒人で、極貧生活のなかで育った人が多い。彼らは奴隷貿易の時代にコーヒーや砂糖のプランテーションで働かすためにつれてこられた人々の子孫である。拉致され強制連行されてきた人は、カリブ海から中米、そしてもちろんアメリカ合衆国にも数多くいて、その大半は現在でも貧しい生活状況にある。ちなみに、トリニダードトバゴのGDPは世界126位でアンゴラの103位よりも低いし、コスタリカは82位だ。
・このような国々でサッカーが盛んなのは、もちろん、植民地支配をした国の影響である。だから、サッカーが文字通りの世界大のスポーツであることは、世界中のほとんどがヨーロッパの大国に支配された歴史を持つことを意味している。そして、宗主国の子孫ではない人たちにとって、サッカーやその他のプロスポーツが経済的な豊かさや社会的な地位を得る数少ない道の一つであることも共通している。同じ可能性を持っているのが音楽だが、それもまた、ヨーロッパから持ち込まれた楽器や音楽が、土着のものや奴隷によって伝えられたものと融合して生まれたものである。
・国情や国力の違いは他にもある。日本と対戦したクロアチアはユーゴスビアから凄惨な内線をへて独立した国である。人口は400万人で、 GDPは世界72位。一人当たりのGDPは12,000ドルで、日本とくらべて3分の1強、人口は30分の1である。もっとも旧ユーゴで今回出場しているセルビア・モンテネグロは6月5日にさらに分離したが、セルビア単独では人口は1000万人に近いものの、一人当たりGDPは3200ドル(日本の約1割でトーゴの2倍)にすぎない。
・こんなことに気づくと、試合を見ていて応援したくなるのは、どうしても、ヨーロッパの強国以外になってしまう。このような歴史や現状が反映して、試合以上に盛り上がるスタンドや自国での応援の熱の入れ方のすごさに圧倒されてしまう。「がんばれ、にっぽん」とはいっても、どこかにわか騒ぎで、せいぜい「感動をありがとう」程度で終わる日本の応援とは決定的に違う何かがある。
・日本はテレビの放映権に140億円もだしたそうだ。しかも、視聴率をあげるために日中の試合を2試合も組んだ。テレビは「がんばれ日本」を煽っておきながら、勝負よりは視聴率を重視したということになる。メディアは何よりビジネス大事。そのことは、もっと問題にしてもいいことだと思うが、さして話題にならないのは、勝敗より見やすい時間のほうがいいと考えた人が多かったということなのだろうか。

2006年6月19日月曜日

暑くないけど夏の朝顔の準備を

 

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forest52-2.jpg・農鳥がきれいにでない年は冷夏で凶作といわれている。ことしは先月半ば過ぎにヒヨコのような形が見えたが、あっけなく消えた。気象庁は夏は平年の暑さというけれど、昔の知恵にしたがえば、今年は暑くはならないということになる。この「森の生活」のバック・ナンバーをみると、去年は平年並みで一昨年は猛暑、そして一昨々年は冷夏と書いてある。その年は、桃も不作でろくに食べなかったが、今年はそのときによく似ている。
・とはいえ、家の周囲は日に日に緑を濃くしている。上(↑)のように、キッチンから見える森は雑草で鬱蒼としている。雨が多いから、ちょっと入っただけで体中びしょびしょになってしまうほど、露がいっぱいだ。うっかり触ると臭くてたまらないカメムシも、葉っぱの上で水を吸っている。背中の模様や前足の玉虫色にしばし見とれてしまった。

forest52-4.jpg ・近くから持ってきて植えたアイリスが毎年少しずつ増えている。今年は5本ほど花が咲いた。雨上がりで、その花にもいっぱい露がついていて、淡い色の上で少し光っている。クレマチスはもう花が落ちはじめているが、咲き始めの薄紫も美しかった。もう少しすると大きな白い花を咲かせるヤマユリがつぼみをつけている。
 


forest52-3.jpg・毎年家の南面いっぱいに朝顔を咲かせている。今年もその準備にと種をまいた。プランターで双葉がでたところで植えかえたが、雨ばかりで成長が遅い。中には葉が虫に食われたり、黄色くなってきたりしているのもある。雨の日がもっと続くと、もう一回発芽させる必要があるかもしれない。もともとはモンゴル土産の野生の品種だから、雨には弱いのだろう。周囲の自生している植物に負けないように、草取りをマメにしなければいけない。 

forest52-1.jpg ・湖畔ではもうハーブ祭りが始まっているが、ラベンダーはまだ全然花を咲かせていない。暑い年にはもう満開、なんてことがあったから開催時期を早くしたのだが、全くの肩すかしである。湖北にある大石公園のラベンダーは満開になると湖と富士を背景にした眺めがなかなかだが、今年はプランターを積んで花のナイアガラなどという妙なものをつくってしまった。蔓状の花を植えたのならともかく、ペチュニアだから、横からはプランターしか見えない。冬に続いて、原色のセルロイドでできた大きな七夕などもハデに飾ったから、何とも趣味の悪い景色になっている。このセンスのなさは天然記念物もので、何でも飾ればいいというものではないことの標本のようだ。

2006年6月12日月曜日

古い人たちの声も聴いた

 

Carole King "The Living Room Tour",Jackson Browne "Solo Acoustic Vol.1"

caroleking1.jpg・ジャクソン・ブラウンとキャロル・キングのライブ盤を買った。もちろん、名前はよく知っていてレコードは何枚か持っているのだが、CDはそれぞれ一枚しかない。嫌いではないが、どうしてもほしいというわけでもない。ふたりは僕にとってそんな存在のミュージシャンだった。とはいえ、ふたりともキャリアの長い大物であることに違いはない。
・たとえばキャロル・キングは僕が小学生の頃からのヒット・ソング・ライターで「ロコモーション」をつくっている。僕はよく聴いた覚えがあるが、そのときにはだれが作ったかなんて知らなかったし、どうでもよかった。歌っているのはリトル・エヴァだったか。しかし、今では顔も覚えていない。同じ頃にヒットしたニール・セダカの「オー・キャロル」は彼女のことを歌っているのだという。この曲もよく聴いたが、そんなことは知りもしなかった。
・キャロル・キングは1942年生まれだから、もう60代の半ばになる。ライブの「The Living Room Tour」は去年の発売だが、ジャケットの写真も若いし、声もほとんど変わっていない。会場に集まったのはおそらく長年のファンが大部分なのだろう。曲の合間のおしゃべりも気さくだし、歌の際にも会場からの歌声がよく聞こえる。ヒットした歌が中心で、アルバムタイトルのように、彼女の居間に友達を招いて歌っているという雰囲気である。アンコールはその「ロコモーション」。
・キャロル・キングというと「タペストリー」が有名だが、僕は1970年に出た「ライター」が好きだ。ソロ・デビューのアルバムなのに、若いジェームズ・テイラーを従えていて、僕はそれで初めて彼を知った。イケメンのかっこいいシンガーで声も優しかったが、その時代にしっくりくる内省的な歌だったから、僕はよく聴いた。それが「アイム・ノー・ヴァージン」なんていう当時では過激な歌をさわやかに歌ったカーリー・サイモンと結婚したから、意外な感じがして驚いてしまった。ちなみに15年ほど前に大阪で彼のライブを聴いたが、もうすっかり頭が後退していて、ステージに登場するとすぐに客席から「ハゲー」と声がかかって大爆笑。しかし彼はいつもどおりに「ハーイ」とやったから、また大爆笑。息子まで出ていて「The Living Room Tour」同様、楽しいコンサートだった。

JB1.jpg ・ジャクソン・ブラウンの「ソロ・アコースティックvol.1」もライブで2005年に出されている。キャロルのとおなじで、アットホームな感じで客とのやり取りが楽しそうだ。アンコールはやはり客席からのリクエストでイーグルスがヒットさせた「テイク・イット・イージー」で、笑いながら「ok」といって応えている。
・彼は僕よりも3ヶ月早く産まれている。だからほとんど同世代だといっていい。ジェームズ・テイラーと同様、静かで内省的な歌が多いが、政治的なメッセージのある歌もかなりある。1979年に起きたスリーマイル島の原子力発電所での放射能漏れ事故に抗議して「ノー・ニュークス」コンサートを企画したり、レーガン政権を支持するアメリカの右傾化を皮肉ったアルバムを出したり、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を批判したアルバム「サン・シティ」にも参加している。
・「ソロ・アコースティックvol.1」では、そんな初期の頃から最近のものまで幅広く歌っている。ただし、僕が知っているのは半分ほどで、80年代後半からのものははじめて聴いたものばかりだ。

僕は家を借りる 高速道路の陰だ
朝、昼飯を持って出かける 毎日仕事だ
で、夜になる頃 家に帰って横になる
でまた、朝日が照らす頃に起きて 繰り返し
アーメン で、もう一回 アーメン
"The Pretender"1976


真理の探究がウィンクとうなずきで振る舞われるところ
権力と地位が神の慈悲に等しいとされるところ
こんな時代は、感覚的には祝祭であっても 魂は大飢饉だ
この国の淵に立って 海を背にしながら 東を眺める
"Looking East"1996

・あらためて、探すとふたりともアルバムを出し続けている。それほど話題にはならないが、いいなと思う歌が少なくない。アルバムも買ってみたいし、こんなコンサートならぜひ行ってみたい。そう思うと、またあらためて、日本人にはそんな気持ちにさせるミュージシャンがいないなとつくづく感じてしまう。

2006年6月5日月曜日

最近のSpamメール

  迷惑メールが相変わらず、毎日100通以上もある。Thunderbirdを使うようになって、ほとんどが自動的にゴミ箱行きになったので、気にならなかったのだが、最近、その網をくぐり抜けるものが増え始めてきた。迷惑ながら、敵もさるものといった工夫が少なくない。
一つは、個人メールを装ったもので、よくある苗字の送信者名で、題名は「こんにちは」とか「謹啓、はじめまして」、あるいは「お久しぶりです」「この前の件です」といったよくあるものだ。うっかりあけると裸の写真で「普段婦人警官として現場で働いています。なかなかまとまった時間は取れませんが、少ない時間でも一緒に居て下さる方を募集しています。」などと書いてあったりする。
迷惑メールの半分は、このようなH系のもので、最近目立つのは学校ものである。「県立白姫女子校保険室」「専門学校実習授業についてのお願い」といったものは題名からして怪しいが、送信者が「事務局」「情報課」だったりすると、大学の事務からのメールかと思ってしまう。実際、ぼくの大学では、そんな題名の学内メールがよくあるからだ。
「ギフト券、締め切り間近」「おめでとうございます」「採用のご報告」「【親展】当選通知在中」「初日招待券」といった題名はいかにもフィッシングくさい。しかし送信者が女の子の名前ではなくSupportだったりすると、引っかかる人がいるのかもしれない。ネットで買い物をすれば、そのサイトから、ギフト券や賞品や賞金の応募の知らせが来る。だからAmazonや楽天のサイトを真似たものであれば、引っかかる可能性は十分だ。
題名や送信者欄に何もなかったり、「"」や「?」だけだったりというメールが目立ってふえていて、それが迷惑メールの網をぬけるようだ。内容は相変わらずの「出会い系」や「欲求不満の女性の紹介」といったもので、先にあげた「個人メール」を装ったものと内容はほとんど変わらない。とにかく、棄てられずにあけてもらうことを狙った工夫で、確実に何%かはひっかかっているということなのかもしれない。ちなみに、詳しい人に聞くと「?」になるのは、判読不能な文字なのだそうである。アラビア文字、あるいは中国の略字等々といったもので、Spamかどうかの判断をさせない工夫としては、なかなかのものだと感心してしまう。

最近、ニュースを伝えるメーリングリストが何種類かはいるようになった。
「ニュースストリート」は「freeMLオフィシャルメールマガジン」で
 ◇トップニュース 【訃報】岡田真澄さん死去 70歳 他
 ◇芸能      マイケル・ジャクソンが都内の児童養護施設を訪問 … 他
 ◇スポーツ    ゴルフ 三菱ダイヤモンドカップ最終日 横尾要がパ… 他
 ◇ビジネス・経済 トヨタ、SUV「ランドクルーザー」を愛知・田原工… 他
といった内容のもので、特にいかがわしいところはないのだが、こんなニュースならわざわざ送ってもらう必要もない。だから、迷惑マークをつけて次回からはゴミ箱に直行にした。

「核はいらない—テヘラン大学で反核学生暴動」という題名のメーリングリストは、聞き慣れない話だったので、全部読んでしまった。ただし、危ないから、どこにもクリックはしなかった。そうすると、ライブドアのサイトに「反核運動かたる スパムメール横行」という記事を見つけた。

「今日、日本は平和と調和の中で生きています。世界の政治に我々の声を伝えることにより、過去のひどい事件を繰り返さないよう防ぐのは、我々のいまの権利と義務です」という文面で始まり、反核運動への賛同を求める内容だ。メールはHTML形式で配信されており、メールの最後には「全世界の請願書の全文はこちらで読めます。あなたのサインもお残しください」と、別サイトに移動するように促される。
促されるがままに、サイトに移動してみた。そうすると、意味不明のウィンドウが何度も立ち上がり、しまいにはブラウザがフリーズしてしまった。だが、それに懲りず、パソコンの設定を変えて、もう一度アクセスしてみた。
そうすると、ブッシュ大統領を始めとする各国首脳への嘆願書が英文で掲載されており、賛同者の中には、秋葉忠利・広島市長の名前もある。だが、その他にはこれといった内容はなく、自分の連絡先を記入する欄が設けられているだけだ。サイトを設置したのが何者なのかも分からない。
発信元は個人情報などを盗み取ろうとするサイトのようだ。つまり、うっかり署名をするとそれが迷惑メールの発信元などに使われてしまい、自分のメール・アドレスがブラック・リストに載ってしまったりする。そう言えば、ぼくのところには、自分が差出人で同時に受取人でもある変なメールがとどいたことがある。メールのアドレスを公開している人は、署名などしなくても悪用される危険性があるわけで、これは大量に受け取って不愉快、だけではすまない問題になりかねない。「悪質メールお断り」などといった抗議のメールが届いたら、何ともやっかいな話で、そうならないことを祈るばかりである。