2014年7月7日月曜日

拝啓安倍総理大臣様

・あなたは戦後最悪で最低の総理大臣です。それは未来の歴史的評価を待つまでもなく、明らかなことだと思います。「集団的自衛権」「秘密保護法」「TPP」「消費税増税」「年金の減額」「介護保険制度の改悪」「残業手当の廃止」、そして「憲法の軽視」と、この2年足らずの間にあなたが強行に進めた政策は、どれも、今後の日本の行き先にとって不安の多い、大きな変更を迫るものばかりです。ところが、こういった大きな変更について、正面から正直にではなく、抜け道を探し、国民を欺くことをくりかえしてきています。

・そもそも、これらの政策は、選挙では争点にしなかったものばかりなのですが、あなたは国会において、選挙で選ばれた私には、自分の考える政策を遂行する権利があると豪語しました。その中には、憲法を改正するのも自分の権限だといった「立憲主義」を否定する発言もあったのです。そんな暴走ぶりに対してメディアが正面から批判しないのは、NHKの人事に明らかなように、批判を抑える手立てを労してきているからに他ありません。

・これほど強腰でいられるのは、国会の「ねじれ」が解消して、衆参共に圧倒的な議席をもっているからでしょう。その与党多数の国会がまったく軽視されて、内閣や私的諮問機関の段階で、重要な政策が決まってしまう現状を見せられると、「ねじれ」の効用に改めて気づかされてしまいました。その意味では、あなたはすでに独裁者だということができるでしょう。そんなあなたの最近の言動に接するたびに、僕はジョージ・オーウェルの『1984年』に出てくる独裁者ビッグブラザーの次のスローガンを思い浮かべます。


戦争は平和(War is peace)、自由は奴隷(Freedom is slavery)、無知は力(Ignorance is strength)

・あなたは「集団的自衛権」の根拠として「積極的平和主義」をあげました。平和を実現するためには、それを侵す危険に武力をもって積極的に対処する必要があるという意味ですが、それはまさに「戦争は平和」のスローガンが意味するところです。「集団的自衛権」は具体的にはアメリカがどこかと戦争をはじめて、日本に支援を求めた時に、そこに自衛隊を参加させることができるという権利です。今までは「ヴェトナム戦争」にしても「湾岸戦争」にしても、日本は憲法を理由に参加を断ってきましたし、イラクやアフガニスタン侵攻に際しても、大きな議論の上で、武力行使をしない後方支援として参加してきました。

・あなたは今、このハードルを取り除いて、戦争に参加できる「ふつうの国」にしようとしているのです。しかし、これまでアメリカが行ってきた戦争がどんな結果をもたらしたか、現在のイラクやアフガニスタンの現状などを見てみれば、その多くが愚行であったことは明らかです。しかし、日本はアメリカの属国ですから、アメリカから「集団的自衛権」の行使の要請があれば、他国に介入して侵攻するアメリカの方針そのものを批判したり、要請を拒否することはできないでしょう。

・あなたが法制化した、あるいはしようとしている政策の多くは、国民が当然の権利として持つ「自由」を抑え、行動を検閲し、なおかつ「自由という奴隷状態から解放してやるのだ」とうそぶくたぐいのものばかりです。「秘密保護法」が国民の「知る権利」や「表現の自由」を強く制限することは明らかです。しかも、政治家に任せて、知らない方が、黙っている方が楽なんですといわんばかりの態度ですが、これはまさに「無知は力」そのものでしょう。

・また逆に、「自由」にするのだと言って、逆に国民を縛り、路頭に迷わして奴隷状態にすることをいとわない姿勢も露骨です。一部の者たちばかりが豊かになり、多くの人たちは収入が減って、年金も健康保険も介護保険も頼りないものにさせられてきています。株価高と円安を維持すれば、後は何をやっても政権は安泰だと思っているのでしょうか。

・あなたの政治手法は一言でいえば「欺き」です。その最たるものはオリンピック誘致のためにブラジルまで出かけて公言した「福島第一原発は完全に制御できている」という嘘でしょう。あるいは「集団的自衛権」の根拠として説明した、有事の際に日本人の母子の乗った米軍の軍艦を護衛するといった荒唐無稽な話など、あなたの使う手口には「欺き」が満ちあふれています。

・そんな嘘でいつまでも国民をだまし続けることができると高をくくっているとしたら、あまりに国民を馬鹿にした態度だと言うほかはありません。あなたが今築こうとしているのは明らかに「砂上の楼閣」です。僕は早く大波に崩されたらいいと思いますが、そのために私たちが被る被害の大きさを考えると、空恐ろしい不安や怒りがこみ上げてきます。戦前の日本を取り戻して、もう一度破滅の道を歩くことなどは、断じて許してはいけないことなのです。

2014年6月30日月曜日

スペイン再び


司馬遼太郎『南蛮の道I,II』朝日新聞出版
渡部哲郎『バスクとバスク人』平凡社
坂東省次他編『スペインのガリシアを知るための50章』明石書店

・ワールド・カップも日本が負けて、ヒートアップしていたメディアも静かになったが、僕は中南米諸国の強さに引き続き興味を持っている。決勝トーナメントに残った国が7つもあって、その多くはスペインの植民地から独立した国だからだ。そして当のスペイン、そしてブラジルの宗主国だったポルトガルは、戦前の予想に反して1次リーグで敗退した。

・その負けてしまったスペインとポルトガルに夏休みに出かけることにしている。もちろん、目的はサッカーではない。どちらも現在では、EUの中にあって、お荷物的な存在になっている。けれども、両国が世界に与えた影響は中南米を中心にして、計り知れないほど大きい。生活文化や宗教、言語、音楽、建築、そしてスポーツ等々上げたら切りがないほどだろう。

shiba1.jpg ・スペインには2006年に出かけている。その時には戻ってから何冊か本を読んで、このコラムでも「スペインについての本」というレビューを書いた。旅行で受けた強烈な印象や疑問に答えてくれたのは堀田善衛のエッセイだった。ローマだけではなくイスラムの影響があること、他のヨーロッパ諸国とはちがって、宗教改革や近代革命、産業革命がなかったこと、中南米から収奪した金銀財宝を浪費して、貧しい国になってしまった理由などが書かれていた。

・今回読んだなかでおもしろかったのは司馬遼太郎の『南蛮のみち』である。この本の主なテーマは「南蛮」にある。外の世界と言えば中国とインドしかなかった日本人の世界観の中に、その壁を破ってやってきたのが「南蛮」だが、彼はそれを自ら確認するために旅に出た。「南蛮」の糸口にしたのはフランシスコ・ザビエルだった。僕は「南蛮」と日本の関係についてはあまり興味がないから、ザビエルについてよりは、彼がスペインを歩きながら感じ取ったスペイン理解について、納得しながら読んだ。

shiba2.jpg ・スペインといえば赤茶けた大地というイメージだが、ローマ帝国が支配した時代にはそうではなかったようだ。イスラム王朝が支配した時代には森の消滅が進んでいたようだが、イスラム人は灌漑技術を駆使して農業を重視した。しかし、キリスト教徒による「レコンキスタ」(国土回復運動)とコロンブス以降のアメリカ大陸侵略が、自国の自然や農業を軽視させ、現在のような赤茶けた大地をもたらしたというのである。

・納得したことはもう一つ。アメリカ大陸の国家を見た時に気づくのは、メキシコ以南の国の人びとには原住民と白人、あるいは黒人の混血が進んでいて、北米とは対照をなしていることだろう。その点についての司馬は、ローマやイスラムの支配によって、他のヨーロッパ諸国とはちがう混血が進んだことに理由を求めている。

vasco.jpg ・とは言え、スペインは単一民族の国家ではない。むしろ、その違いを主張して独立を求めている地域がいくつもある。その典型はバスクで、『南蛮のみち』が追ったザビエルもバスク人だった。バスク人は他のヨーロッパの民族とは言語をはじめとしてかなり異質な特徴を持っている。しかもスペインだけでなく、フランスにまたがって住んでいる。漁業に長けていて、アメリカ大陸にもスペイン人として移り住んでいったようだ。他方でバスク人のアイデンティティにも固執して、スペイン内戦から民族独立運動まで、強い抵抗をし続けている。ヒットラーのドイツによって空爆されたゲルニカはピカソの作品で有名だが、チェ・ゲバラもバスク人だったと聞くと、なるほどと納得したくもなった。他の地域とはちがって産業も発展して、ビルバオという鉄鋼業で発展した都市も作った。ここにはグッゲンハイム美術館もあるから、ゲルニカを訪れることもふくめて、数日間滞在しようと思っている。

galicia.jpg ・もう一カ所訪ねるのはスペイン北西部のガリシアだ。ケルトの文化が残っていて、アイルランドやスコットランドと共通した音楽もある。あるいは巡礼で有名なサンチャゴデコンポステーラの教会もある。音楽についてはすでに「ガリシアのケルト」で紹介をした。『スペインのガリシアを知るための50章』によれば、スペインでも閉鎖的な辺境の地として取りざたされることが多いようだが、バスク同様にアメリカ大陸に移り住んだ人が多かったようだ。キューバのフィデル・カストロ、アルゼンチンのラウル・アルフォンシンなど、国家の指導者になった人もいる。あるいは独裁的権力を持ったフランコ将軍もガリシア出身である。
・まだまだわからないことは多いが、バスクとガリシアを訪れる楽しみがますます膨らんできている。

2014年6月23日月曜日

雨にも負けず

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5月の末に突然大粒の雹が降った。屋根を破るような音がして、あっという間にあたり一面真っ白になった。付近の農家では、出荷間際のレタスに穴が空き、育ちはじめたトウモロコシが折れたそうだ。ほかにもブルーベリー、サクランボ、ブドウなど、被害は甚大な額になるらしい。2月の大雪ではビニールハウスがつぶれたりしたから、まさに泣きっ面に蜂である。

・もう異常気象というのもマンネリ化しているが、今年は特にひどいと思う。真夏のような暑さが続いたと思うと、梅雨入りと同時に土砂降りの雨の日が続いた。そんな変化の激しさのためか、我が家では、せっかく積み上げた薪が何度も崩れ落ちた。崩れたらまた積み直す。たっぷり2時間、汗びっしょりになったが、数日後にまた、崩れた。で、また2時間。雨を吸い込んだ薪は重くて、少しカビが生えている。

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・梅雨に入る前にベランダを直してペンキ塗りを、と考えていたが、思わぬ仕事ができて始められなかった。梅雨に入って天候が不順だから、いつになったらはじめられるか、今のところわからない。今年はできれば、母屋のログのペンキ塗りも考えているが、いったいいつのことになるか。

・今年は山歩きも思うようにやっていない。それでも、これまで身延山、不老山、黒岳、そして甘利山(千頭星山)、そして夜叉神峠を歩いてきた。間が空くと、山登りはきつく感じるようになる。この歳になると、体力つけるというより、落とさないように維持するだけでも大変なことを自覚しはじめている。膝に痛みを感じるようになったから、無理をしないで続けることも必要で、なかなか大変だな、とつくづく感じている。

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2014年6月16日月曜日

この国の行き先

・梅雨に入ったら、毎日のように雨が降っている。それも豪雨で、高速道路が通行止めになるほどだ。2月の豪雪といい、昨夏の猛暑といい、天候はもう異常が平常になったかのようである。今年の夏はエルニーヨが出て冷夏の心配があるという。そしてこれらの多くは、自然というよりは人工的にもたらされた現象だと推測されている。

・雨が続けば滅入って憂鬱になる。世の中の情勢が、そんな気分をさらに増進させる。元凶の多くは安倍だ。「集団的自衛権」の強行、原発の再稼働と原子力規制委員会のメンバー交代、残業代ゼロ制度、法人税の減税と消費税の増税、年金のギャンブル的な運用、学校教育法の改悪、グロテスクな新国立競技場、リニア新幹線の工事着工計画などなど枚挙にいとまがないほどだ。

・しかも、こんなひどい状況について、メディアは弱腰で見て見ぬふりをしたり、積極的な旗振り役になったりしている。NHKの会長批判がなぜ、NHKの内部から起こらないのだろうか。朝日新聞が暴露した「吉田調書」について、なぜ他の新聞社や放送局は無視を決め込んでいるのだろうか。そして何よりわからないのは、内閣支持率が相変わらず高いことだ。この国がとんでもない方向に大きく舵切りをはじめていることに、なぜ多くの人が無関心なのだろうか。

・内閣支持率が高い一番の理由は株価の高さと円安だといわれている。けれども、株価が上がって儲かっている人はごく一部の人だし、円安の恩恵を受けているのは輸出産業だけのはずで、多くの人には何の恩恵もないのである。それどころか、消費税の増税と相まって物価が上がっているから、そのことに対して、もっと大きな反発の声があがってもいいはずなのである。最近のニュースで驚いたのはトヨタ自動車が6期ぶりに法人税を納めたことだった。世界一の自動車メーカーがずっと税金を納めなかったという税制に疑問を感じたが、安倍はさらに、法人税の減税を唱えている。

・1%の富める者と99%の貧しき者たち。そんな社会が日本でも現実のものになりつつある。その富める者たちが考えているのは、ただ一つ、目先の儲けだけだ。その先が見えない、見ようとしない姿勢には、この国の行き先について、大きな不安を感じざるを得ない。そんな現状を見ていて思うのは、民主党政権が当たり前のように言われるほど、だめだったのだろうかという疑問だ。

・鳩山は沖縄の普天間基地について、できれば国外、最低でも沖縄の外にと言って失脚した。しかし、その発言によって沖縄の人たちは、普天間基地の辺野古移設に強硬に反対をはじめたのだ。あるいは、菅は3.11による福島第一原発事故の対応を巡って、さまざまな批判を浴びた。けれども、浜岡を止め、原発の再稼働にハードルを設けたのだし、事故直後の原発に乗り込んだことが、逃げ腰の東電を留まらせて、事故をさらに甚大なものにすることをくい止める役割を果たしたという人もいる。

・その民主党は今ぼろぼろで、選挙をしても自民党に対抗できる力はない。その他の野党も、右往左往して野合をくり返すばかりだ。大飯原発再稼働の差し止め判決が出ても、国会周辺でデモがくり返されても、現政権は無視を決め込んでいる。この国は、これからどこに行こうとしているのか。60数年生きてきて、これほど不安に感じた時代は未だかつてなかったと思う。

2014年6月9日月曜日

MLBの日本人選手

・MLBでプレイする日本人選手が去年に続いて好調だ。新人の田中は9勝を挙げて、防御率でリーグ1位になっている。寝違えでたびたび登板を回避させているダルビッシュも6勝をあげて防御率は2位だ。けがで出遅れた岩隈も安定したピッチングを持続させていて、4勝をあげて防御率も2点台になった。打ち込まれることが多くて苦戦していた黒田も、調子が上向きになってきている。今年のボストンは10連敗したりして、去年の勢いがないが、田沢と上原は好調だ。肘の手術から復活した松坂は、慣れないリリーフで実績を上げて、何度か先発もしている。日本人の投手を追いかけていると、毎日のようにTV中継を見て、ネットで戦況や成績を確認しなければならないほどだ。

・対照的に日本人の野手は苦戦している。レギュラーでがんばっているのはカンサスシティの青木ぐらいで、イチローも控えに甘んじているし、その他はマイナーに落とされている。日本ではオールスターや全日本のレギュラーに選ばれる実力があっても、メジャーでは通用しないことが定着してしまったようである。一番の理由はパワー不足ということになるのかもしれない。けれども、活躍している投手がすべてパワーがあるというわけではない。上原や岩隈、そして黒田も、好投できる理由はコントロールや駆け引きのうまさにあるわけだから、打者だって、通用するやり方はあるはずだ。

・そんなわけで、MLBには今年も注目しているのだが、どの試合でもスタンドがガラガラなのが気になっている。開幕時は寒さのせいだろうと思っていたのだが、暖かくなっても閑散としている試合が多いようだ。とは言え、観客の少なさについて触れている記事はまだ見たことがない。逆に発表されている観客数は減っていないから、年間契約のシートは売れているのかもしれない。ちなみにヤンキー・スタジアムの今年の1試合平均観客数は42250人で85%になっている。

・ヤンキースの田中は7年で1億5500万ドル(160億円)の契約をした。その額に見合う活躍をしているとされているが、ヤンキースはこのお金をどうやって回収できるのか、閑散としているスタンドを見ていると、不思議な気がしてしまう。バブル状態の選手の年俸を支えているのは、テレビの放映権料だと言われている。各球団は地元のケーブルTVと独占的な放映権の契約を結んでいるが、その他に、全国ネットのテレビ局との契約についてはMLBが結んで、各球団に分配している。それらの収入が、多い球団では100億円を超える仕組みになっているようだ。MLBの試合はもちろんネットでも見ることができる。今シーズン全試合を9500円で見ることができるようだ。

・プロスポーツがバブル状態なのは野球だけではない。ヨーロッパのサッカーも同様で、有名選手を高額で引き抜きあっている。けれども、いくら選手を集めても勝てるわけではないのは、香川が所属するマンチェスター・ユナイテッドの成績を見れば明らかだろう。同様のことは田中に160億円も払うヤンキースについても言える。今年のヤンキースはけが人続出や移籍選手の不調で、やっと5割を維持する程度なのである。対照的に、他球団からけがや不調を理由に解雇された選手を再生させることがうまいオークランドが、今年も快調に勝ち続けている。

・MLBの試合を見はじめて、もう20年ほどになる。野茂から始まって、ずいぶんいろいろな選手を見てきたが、選手の稼ぐお金の桁違いの増え方に今さらながらに驚いてしまう。もっとも、一度けがをしたり、成績不振で解雇されれば、安い報酬でマイナー契約をしなければならない。メジャーに復帰しても、数年好成績を残さなければ元の額には戻らない。現在、そんな境遇にいる日本人選手もまた、松坂、和田など少なくない。僕はこんな選手も気になっているが、NHKではもちろん、あまり見ることができない。

2014年6月2日月曜日

ガリシアのケルト


Carlos Núñez "Os amores libres"
"Brotherhood of Stars"
『絆~ガリシアからブルターニュへ』

chieftains3.jpg・ケルト音楽は一般にはアイルランドのものだとされている。けれども、ケルト民族はかつてはヨーロッパ中にいて、今でもフランスのブルターニュやスペインのガリシア地方に住んでいる。文化的にも人類学的にも共通していないところがあるようだが、ガリシアには、アイルランドやスコットランドでよく使われているバグパイプとそっくりのガイタという楽器がある。カルロス・ニュネスはその奏者として第一人者と言われている。

・ガリシアのケルトは「チーフタンズ」の『サンチアーゴ』で知った。巡礼の道順にしたがってバスクからガリシアまでの音楽を辿り、最後はポルトガル国境のビーゴの町にあるダブリンという名のパブでのライブで終わっている。収録曲にはポルトガルのファドもあり、キューバで録音されたものまで入っていた。アイリッシュと似ているけど、どこか少し違う。そんな音楽に興味を持った。

journal-134-3.jpg ・『サンチアーゴ』にはライ・クーダーも参加している。キューバでの録音を主に担当したようだ。彼はアメリカにおけるカントリー音楽の大御所だが、アメリカ大陸で発展した音楽の採集と、そのルーツの探求に熱心でもある。キューバのミュージシャンを探して作った『ブエナビスタ・ソーシャル・クラブ』は大きな話題になったが、彼はまたチーフタンズと協力して、メキシコと米国にまたがる音楽を集めた『サン・パトリシオ』を作っている。僕がガリシアのケルトに興味を持ったのは、この2枚のアルバムがきっかけだった。で、ガリシアに行きたくなって、ガイタを演奏しているニュネスを聴くことにした。

nunez1.jpg ・3枚買ったアルバムは、タイトルがそれぞれ、スペイン語、英語、そして日本語だった。"Os amores libres"はニュネスのガイタや笛、オカリナが主役だが、共演者は多彩で、フラメンコやファド、それにアイリッシュも入り交じっている。一曲(Danza da lúa en Santiago )だけジャクソン・ブラウンが歌っている。言い歌だが、残念ながら、その理由や歌詞はわからない。

・"Brotherhood of Stars"はライ・クーダーやチーフタンズ。それにファド歌手のドゥルス・ポンテスも参加して、一層多彩な内容になっている。ガリシアという土地やそこに生きてきたケルトを感じさせるとは言えないが、混在が交響して聴き応えのあるアルバムになっている。
nunez2.jpg ・曲の多くはガリシアに伝わるもののようだ。しかし、この2枚のアルバムに参加しているミュージシャンは、イベリア半島の北にあるアイルランド、ガリシアの東に位置するピレネー山脈周辺に住むバスク、ガリシアの南にあるポルトガル、そしてスペインやポルトガルが大航海時代に侵略して植民地にした南北アメリカ大陸から集まっている。
・その意味では、ヨーロッパとアメリカ大陸の長い歴史を思い起こさせるような内容だと言える。ケルトがアイルランドやスコットランド、そしてガリシアにしか残っていないのは、ローマ帝国の支配が及ばなかったからだし、そのローマ帝国を衰退させたゲルマン民族の移動も、やっぱり大陸の果てまでは徹底しなかったからだ。

nunez3.jpg ・もう一枚の『絆~ガリシアからブルターニュへ』はフランスの北西部にある、やはりケルトの文化が残るブルターニュの音楽を集めたものである。ケルトの歴史を調べると、ここに住む人たちはイギリス本島から移ってきたようである。だからもともとの言語(ブルトン語)はウェールズに近いと言われている。
・ブルターニュの伝統音楽はアイルランドやスコットランドの音楽復興に触発されて、1970年代頃から盛んになったようだ。ニュネスはそんなブルターニュとのつながりを、このアルバムで表現している。

・グローバリゼーションの時代だが、音楽はとっくの昔からグローバルな存在だ。で、一つ一つがローカリティを意識して、自らのアイデンティティを模索し、表現している。ガリシアのケルトはまさに「グローカル」な音楽である。

2014年5月26日月曜日

音楽の変遷

吉成順『<クラシック>と<ポピュラー>』ARTES
南田勝也『オルタナティブロックの社会学』花伝社

yosinari.jpg・音楽は大きく「クラシック」と「ポピュラー」の二つにジャンル分けされる。単純には、前者は古くて後者は新しいと思われているが、実際には、音楽の種類の違いであって、時間や時代に制約されるものではない。一般的には、コンサートホールの座席に座って音だけに神経を集中させて聴く「集中的聴取」が「クラシック」なら、「ポピュラー」は、立ち上がって踊ったり、手拍子したり、あるいは飲食をしながら聴く「散漫な聴取」が許される音楽だと思われている。

・『<クラシック>と<ポピュラー>』は音楽にこの違いが生まれたのがいつ、どこにおいてなのかを探求した研究書である。「クラシック」はもともとはヨーロッパの宮廷などで、上流階級の人びとが集まる社交の場で演奏される音楽として発展した。当然、そこには流行があり、古くなれば忘れられていたのだが、古いもののなかで良いものを厳選して再演しようとする動きが現れた。そのための演奏の場やジャーナリズムを支えたのは、近代化のなかで台頭した「ブルジョア」階級だった。本書の前半は、その過程をドイツを中心にして解き明かしている。

・他方で、近代化によって大発展した都市には地方から移住した人びとの中から生まれた音楽もあった。それらは主にパブやミュージックホールで歌われたり演奏されたりして「ポピュラー」と称せられることになるが、「クラシック」とはっきり区分けされるのは19世紀の後半のことである。その前の一時期には、たとえばパリのシャンゼリゼ通りの一角に特設された会場で行われる「プロムナード・コンサート」が流行して、そこでは二つのジャンルに分離される音楽が混在したかたちで演奏されたそうである。

・音楽の混在は、当然、そこに集まる人たちにも当てはまる。つまりこのコンサートには「ブルジョア」も「労働者」もいて、一つの音楽を一緒に楽しんでいたはずなのである。上流階級から生まれた音楽が「ブルジョア階級」によって「クラシック」になり、労働者階級が楽しんだ音楽が「ポピュラー」になる。しかし、そう区分けされる前の一時期に、両者が混ざり合ってストリートで演奏され、楽しまれたことは、ヨーロッパにおける近代化や都市の発展、そして階級の成立過程を見る上でも、きわめて興味深い分析だと言える。

minamida.jpg ・音楽におけるこのジャンル分けは、種類の違いというだけでなく、芸術的、知的レベルの違いとして序列付けされるようになった。その序列を揺さぶる動きは、20世紀の前半に登場したジャズにはじまり、後半に登場したロック音楽によって大きくなった。ロック音楽はアメリカの黒人音楽と、それに影響されて生まれたイギリスの労働者階級育ちの若者によって作り出されたものである。この新しい音楽の興隆がアメリカにおける黒人の位置やイギリスにおける階級の問題と深く関連していることは言うまでもない。

・南田は以前に『ロック・ミュージックの社会学』(青弓社)で、ロックとアートの関係を分析しているが、『オルタナティブロックの社会学』は、ロック以後やロックの現在形を対象にしている。既成の政治や社会、そして文化に対して痛烈な批判をして共感を呼んだロックは、商業的にも成功したことで、新しい流れによってくり返し批判され、乗り越えられてきた。パンクやレゲエ、ゴシック、あるいはヒップホップといったものである。著者はその現在形をグランジに見て、ロックの核心にあるロックたるものと、「ポピュラー」であるゆえに逃れられない商業性との確執に揺れ動く様子に焦点を当てている。

・ロック音楽はアートであり、文学であり、また政治的、社会的、そして文化的批判のための武器でもある。そこに本物性(オウセンティシティ)という価値をおけば、商業性やポピュラリティは両立しにくい要素になる。ポピュラー音楽が産業として大がかりなものになり、巨大な市場となった現在では、本物であることとポピュラーであることを具現化できるミュージシャンは希有の存在だと言えるかもしれない。本書では、その狭間で悩み、自殺をした「ニルヴァーナ」のカート・コバーンに注目している。

・そのコバーンが死んでからすでに20年になる。その間のオルタナティブ・ロックは小粒で、目立ったものはポピュラーに振れている。くり返しロックは死んだという言説で批判された音楽が、今ではクラシックとして一ジャンルを形作っている。1世紀半ほどの時を隔てて、クラシックとポピュラーが再構築されたと言えるのだろうか。僕はもちろん、その両方に興味がある。