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・このような経過をグラフで見ると株価と円の関係が対照的になるのは安倍政権以降であることが分かる。株価が上がったのは「アベノミクス」によるもので、そこには日銀や年金機構が株価を買い支えるといった操作が顕著であった。実際国内の最大の株主は日銀で、保有する時価は70兆円で、年金機構の額も30兆円以上だと言われている。これは日本の株式全体の6分の1にもなる額で、極めて不自然なものである。もう一つ、円安を誘導したのが日銀のゼロ金利、さらにはマイナス金利政策であったことも加えておく必要がある。 ・日本の経済の実態はバブル期を境に下がり続けていて、失われた30年と言われている。日本のGDPが戦後の経済復興によってアメリカに次いで世界2位になったのは1968年のことである。それが2010年には中国に抜かれ、去年の23年にはドイツに抜かれて4位に下がった。新興のインドが急速な経済成長を遂げているから、そこにも抜かれて5位になるのは時間の問題だと言われている。あるいは、一人当たりのGDPで言えば、日本はすでに先進7カ国の最低で、世界全体では37位に下がっていて、韓国と台湾にはさまれた位置にある。 ・このように見れば、現在の株高が経済の実態とはかけ離れたものであることがわかるだろう。最近の円安がインバウンド増の要因と言われているが、円そのものの値よりは、この30年間、物価が上がらなかったことで、日本にやって来る人には、何でも安いと感じられるからである。もちろん、その間、個人収入もほとんど増えていないし、パートやアルバイト、あるいは契約といった形で働く人が増えて、貧富の格差が大きくなっているのである。株高が外国人投資家によるとも言われているが、そこにもやはり、割安感があるのだろう。 ・現在の株高は、日本の経済とは関係ないものだから、いずれは暴落すると言う人もいる。ゼロ金利政策を是正したい日銀は、株価が急落しないようにして、それを改めなければいけないが、それはおそらく至難の業である。もっとも日銀は国債の5割以上を保有しているから、金利をマイナスから0、そしてプラスに上げれば、今度はその利子の支払いに苦慮することになる。それもこれも「アベノミクス」が招いたことだから、安倍元首相の罪はとんでもなく大きいのである。 |
・友達は三宅広明さんといいます。大学院を出た後、学校の先生として淡路島や神戸で働いて、退職後に山歩きに目覚めたのですが、きっかけは山歩きの好きな友人に誘われたことだったようです。明石に住んでいますから、歩くのはもっぱら近隣の山で、僕にはほとんど馴染みがありませんでした。けれども、初めて山を歩いて、木々や花々にふれ、生き物の気配を感じ、高いところからの景色を眺めて感激している様子は、十分に想像することができました。 ・山歩きはいつも三人で行っているようです。気心が知れた仲間なんでしょうね。連れ立って何かをすることが苦手な僕にはできないことだと思いました。僕はいつもパートナーと一緒に山歩きをしてきましたが、彼女の体力が衰えて、前には登ったところにも行けなくなりました。誰か連れがいたら、まだまだ行きたいところはあるのにと、うらやましく思いながら読みました。 ・ちなみに、去年歩いたのも羽束山(三田市)、編妙の滝(神崎郡)、天下台山(相生市)。摩耶山(神戸市)など家から日帰りできるところがほとんどですが、木曽駒ケ岳に挑戦したようです。もっとも彼以外の二人はアルプスにも良く上る登山家のようで、彼だけが3000mも、山小屋泊まりも初めてだったようです。「よく歩く六甲山が931m、これまでで一番高い山が氷ノ山の1510mという具合。日本アルプスにどんな山があるのやら、どんな景色が見えるのか、全く知らず、関心も持たずにずっと生きてきたわけで」と書いていますが、千畳敷カールの高山植物や、雷鳥のひな、そして山頂に登って見える山々に、大パノラマだといって感激しています。 ・僕は木曽駒ケ岳はロープウエイで行ける千畳敷カールまででしたが、御嶽山には登りました。だから彼が見た周囲の山の様子は僕にもわかりました。もちろん大噴火で多くの人が命を落とす前のことでした。この冊子を読みながら、息子と登った富士山や、友達だけが登って、僕とパートナーは途中の駒津峰であきらめた甲斐駒ケ岳のこと、そして昨年亡くなった義兄と登った磐梯山などを次々と思い出しました。そのうち彼とも一緒に歩きたいものだと思いました。 |
・原木を買って薪にしたり、倒木を探すことが多いから、『枯木ワンダーランド』という題名は気になった。確かに、木にはいろいろな生き物が寄生している。苔や地衣類がついているし、キノコや粘菌などもある。それに雨ざらしにしておくと、さまざまな色のカビも生えてくる。それぞれの名前などほとんどわからないから、それを教えてくれるかもしれない。そんな程度のつもりで読み始めたのだが、とんでもない世界に誘い込まれることになった。
・『枯木ワンダーランド』は専門家しか読まない論文ではない。あくまで一般書として書かれたものだが、全体の3割ぐらいしかわからない難物だった。けれども、途中でやめる気はなく、何とか最後まで読んだ。それはわからないなりに、一本の枯木とその周辺の世界の複雑さや多様さ、あるいはダイナミズムを教えてくれたからだ。
・『枯木ワンダーランド』に登場するのはコケ、粘菌(変形菌)、キノコ、腐生ランであり、リスなどの動物と昆虫、そしてバクテリアなどである。一本の枯れ木は腐って、やがて土に帰るのだが、そこにはシロアリやナメクジがいて、キノコやコケや地衣類が生えている。ここまでは目でも見える。しかしコケには窒素固定バクテリアが共生していて、その腐朽菌には枯木を白色にするものと褐色にする2種類があるといった話になると、かなりわかりにくくなる。しかも、変形菌の種類がこの白と褐色の腐朽菌によって色分けされるというのである。ここまでくると、もう想像の世界になって、目の前にある枯れ木や倒木を見てもわからなくなる。
・植物も生き物であるから、自然環境から受ける試練を乗り越えて生き延びる必要がある。そのためには経験を蓄積しておく記憶装置がいるし、仲間とコミュニケーションをする必要もある。しかし、動物のような脳や神経組織があるわけではない。たとえばキノコは外に見える姿はかりそめで、実際には地中にある菌糸が本体だと書いてあった。さらにその菌糸体はネットワークのように広がって、数ヘクタールにもなるというのである。まるで巨大な神経組織や脳そのもののようなのである。キノコには食べられるものと毒のあるものがあって、その見分けが難しい。そんな程度の知識しかなかったぼくにとっては、まさにワンダーランドを覗くような思いになった。
・この本にはこんな話が次々出てくるが、後半は地球環境へと視点が向いていく。雑木の生えた森と違って人工林は杉や檜などで覆われている。それは切り出されてしまうから、倒木はあまり残らない。だからコケも粘菌も生きにくい世界になっている。そして病気や虫の害によって枯れれば、森全体がなくなってしまうことになる。あるいは山火事や台風などもあって、世界から森がなくなる危険がますます増してきているのである。
・ではどうしたらいいか。この点でも、目から鱗の話が多かった。人工林を間伐した木が放置されていると、森の手入れができていないと思うが、著者は枯木や倒木を残した方がいいという。それが炭素の貯蔵庫になるからだというのである。もちろん、それに寄生する生き物の住みかを奪わないことにもなる。そうすると、倒木を集めて薪にしているぼくの行動は、森にとってはいけないことだということになる。それはバイオマスにも、よく手入れされた里山にも言えることのようだ。見栄えのいい森にしたり、木を有効活用することと、森に炭素を蓄積させることは、実際には両立しにくいことだからである。温暖化を食い止めるためには、枯れ木が作るワンダーランドこそ大事にしなければならない。それがよくわかった一冊だった。
・テレビがひどいことについては、このコラムでも何年も前からくり返してきた。しかしますますひどくなるばかりで、もう取りあげる気にもならないのが現状だ。しかも、ジャニーズや吉本関連など、TV自体がスキャンダルに深く関わっているのに、そのことについて、まともに発言すらしないのである。ぼくはそんなテレビに絶望しているが、何とか生き返らせようとして立ち上がった人たちがいる。 ・「テレビ輝け!市民ネットワーク」は田中優子、前川喜平などが中心になって始めた運動である。その趣旨は、1)報道機関としてのテレビに本来の役割を果たさせることで、具体的には、2)株主提案権の行使という取り組みにあって、テレビ朝日の株を3万株(約6000万円)購入して、株主総会で株主提案を行うのである。テレビ朝日をターゲットにしたのは「報道ステーション」におけるコメンテーターやスタッフの降板を、テレビ報道の危機の典型としているからである。 ・テレビに対する権力の圧力は安倍政権から強くなった。批判的なキャスターやコメンテーターが降ろされ、提灯持ち的な人が大きな顔をするようになって久しい。それはもちろん、テレビ朝日に限らないし、民放よりは NHKの方がもっとひどいと言えるだろう。だから今度の動きは、テレビ朝日をとっかかりにして、他の民放、そしてNHKに広げていくという流れを狙う、その第一歩なのである。 ・その共同記者会見で前川氏は「経営側は番組の制作や報道の自由に余計なことをするな、外部の権力に忖度や迎合をするなと。権力には政治権力もあるが、民間もある。ジャニーズ事務所や吉本興業は民間の権力。そういうのに忖度するのもいかん。放送事業者の独立性を担保する」と発言した。この会は前川喜平を社外取締役として推薦することも予定しているが、テレビ朝日がこの動きにどう対応するかは見ものだろう。その株主総会は6月に開催される。 ・もちろん、これだけでは動きは単発に終わってしまう。おそらくテレビ各局は、これをニュースとして報道することをいやがるだろう。テレビ局と新聞社は「クロスオーナーシップ」(相互依存)で繋がっているから、当たり障りのない取り上げ方しかしないに違いない。だから、つづけて他の民放でも同じような動きをしていく必要がある。果たして賛同者が増えて、大きな運動になるのだろうか。 ・1年ほど前に会長の任期満了を控えたNHKに前川喜平を会長にという動きがあった。 NHKの会長は公選ではなく経営委員会が任命するから、現実的には不可能なことだったが、ある程度の話題にはなった。今回の市民ネットワークの動きはこれにつづくものだったのだろう。その意味では一時的なものではなく、これからも持続する動きを狙っているはずである。テレビが輝きを取り戻すことなど期待しないが、せめて膿を出すぐらいの力にはなって欲しいと思う。 |
・小澤征爾が亡くなった。ぼくはクラシック音楽をほとんど聴かないし、彼のレコードやCDも持っていない。けれども彼に対する関心はあって、ずい分やせ衰えた最近の姿は気になっていた。
・小澤征爾は斎藤秀雄に師事し、24歳の時にヨーロッパに武者修行に出かけている。その指揮者としての才能がすぐに認められ、いくつもの賞を取り、カラヤンやミンシュ、そしてバーンスタインといった巨匠に師事することになる。その勢いでNHK交響楽団の指揮者に招かれるのだが、その指揮者としての立ち居振る舞いを楽団員から批判され、演奏をボイコットされることになる。以後彼は、日本を去って音楽活動を海外に求めることになるのである。
・ぼくはこの出来事について、音楽に限らずスポーツなどで海外に出向き、成功した人がしばしば経験する、やっかみや拒絶反応を最初に味わった人だと思っていた。それは帰国子女に対する扱いにも共通する、未だに改まらない日本人の島国根性なのだろう。それでつぶされる人もいるが、中には世界的に認められた超一流の存在になる人もいる。そうなると、最近の大谷翔平選手のように、今度は一転して、まるで英雄か神様のように扱うのもまた、相変わらずの現象である。
・小澤征爾は1973年から30年近くをボストン交響楽団の音楽監督として活動した。しかし国内においても、1984年から師を偲んで「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を国内で開き、「斎藤記念オーケストラ」を結成して、松本市などでのコンサートを定期的に行ってきた。YouTubeを検索すると、さまざまな場での活躍を見ることができるが、おもしろいのは、コンサートそのものではなく、そのリハーサル場面を収録したものである。彼は事細かに楽団員に指示し、そのたびに理由を明確に伝え、時には楽団員の意見を聞きながら、一つの作品を仕上げていく。そのやり方は、一流の演奏家に対しても、小学生に対しても変わらないのである。
・クラシック音楽に疎いぼくには、指揮者は単に飾り物にしか見えなかった。小澤征爾の指揮者としてのパフォーマンスは独特で見栄えがいい。そこにカリスマ性を見る人もいて、彼の評価は何よりそこにあるのだろうと思っていた。しかし彼のリハーサル風景を見て、指揮者は脚本をもとに舞台を作り上げる演出家であり、なおかつコンサートの場で聴衆の視線を一点に集中させる主役的な存在であることを改めて認識させられた。
・小澤征爾が20世紀後半から21世紀にかけて、世界を股にかけて痛快に生きた人であることは間違いない。とは言え、申し訳ないが、彼の死をきっかけにして、彼が指揮した作品を改めて聴いてみようかという気にはなっていない。彼の指揮した音楽が、他とは違っていることが、やっぱりぼくにはよくわからないからである。クラシック音楽音痴としては、彼の魅力はやっぱり、その生き様と立ち居振る舞いにある。
・朝ストーブの掃除をしようと思ったら、ガラスにひびが入っている。ストーブ屋さんはあいにく正月休みでしばらく直せない。で一週間ほど、おそるおそる使って、交換してもらった。ねじが固着してガラスを外すことができなかったので、扉ごと持って出かけた。取れないヤニでくすんでいたから、きれいになったガラス越しに見る炎の美しさに見とれてしまった。やっぱりストーブはいいと思ったが、何より心配なのは薪集めだった。 ・さっそくチェーンソーで玉切りにして積んだが、なまっていた腕が筋肉痛になった。すべて玉切りするのに数日かかり、それを斧で割って、上のように積み上げるのにさらに一週間以上。まだ終わっていないが、半月ほどで何とか片づけることができた。背後に見えるのは、倒木を割った薪だ。これで再来年ぐらいまで何とかなるだろう。ちょうど誕生日のプレゼントのようで感謝、感謝!!。ぼくのホームページを見てくれていて、薪不足を気にかけてくれたようだった。 ・伐採には3人がやってきて、およそ2時間ほどかけて片づけてくれた。枝が絡まっていたから、専門業者でも手こずっていた。やれやれ、ご苦労さんでした。 |