2026年8月31日月曜日

さよならアウトバック!

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10年近く乗ったアウトバックとさよならしました。仕事を辞めた後に乗り換えたのでまだ9万キロほどですが、サンルーフからの水漏れや、その他の故障が続いて諦めることにしました。何しろ2台目のランカスターは27万キロ、3台目のアウトバックは17万キロも走っていたのです。もっともその大半は東京までの往復200kmの通勤で、ほとんど高速道路でしたから、走行距離だけで比較はできないのかもしれません。

outback1.jpg 四台目のアウトバックは退職後ということもあって、四国遍路や九州一周をやり、北海道まで出かけました。どれも2週間の長旅でした。その他にも東北旅行を4年続けてやり、信州や北陸にも何度も出かけました。モデルチェンジの度に大きくなって、狭い道や林道などは走りたくなかったのですが、静かで安定した走りは長距離ドライブにはもってこいでした。ただしここ数年は夏が暑すぎることやインバウンドの影響で、長旅は控えるようになりました。もちろん、年齢による運転疲れということもあります。

このアウトバックはスバルのフラッグシップ車です。アメリカやオーストラリアなどでは人気のクルマのようですが、大きいこともあって日本ではあまり売れませんでした。そんな理由で昨年、日本では販売が中止され、輸出専用車になりました。もちろんニューモデルはさらに大きくなっています。ということもあって、買い替えの選択肢にはなかったのです。

legacy1.jpeg アウトバックはレガシーと名がつく最後のクルマです。僕が最初に乗ったレガシーは初代で1993年でした。キャンプに出かけるためというのが一番の理由だったと思います。子どもたちもまだ小学生でテントや寝袋を積んでよく出かけました。二台目のランカスターは車高が高くなってSUVと言われる車種の走りになりました。ちょうど2000年の河口湖への引っ越しと重なりましたから、雪道に強い4駆をというのが選択理由でした。こうなるともう典型的なスバリストです。クルマも2台いるということで、パートナーもやっぱりスバルのインプレッサになりました。

outback3.jpg 前述した通り二台目は27万キロ走り、3台目のアウトバックも17万キロ走って、通勤の足として働きました。パートナーも2台目のXVに乗り換えて、4台目のアウトバックまでスバルばかり6台乗り続けたのです。で、今度もやっぱりスバルということになりました。他社のクルマに乗っていませんから比較はできませんが、スタイルや走り、そして乗り心地には満足してきました。ただし燃費を考えて電気自動車にするのも選択肢の一つだと思いました。スバルは二種類のEVを出しています。しかしトヨタが開発したものをスバル風にアレンジしたもので、アウトバック以上に大きいですから食指は動きませんでした。

layback1.jpg 選んだのは7月に発売されたばかりのハイブリッドのレヴォーグ・レイバックです。レヴォーグはレガシーの大型化に伴って、国内販売に特化したレガシーの後継車でした。レイバックはその車高を上げたSUVですが、購入したのは少しだけ車高が低くなっています。アウトバックと同じ赤と思いましたが派手だったので青色にしました。手放したアウトバックはもちろん、今でもしっかり走ります。もったいないことこの上ないですが、どこか外国に行って走り続けるのではと思います。乗り換える時にはいつもそうですが、ありがとうの感謝と、元気でいてと願ってのさよならでした。



2026年8月24日月曜日

どこにも行かない夏

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雨ばかりの梅雨が明けて30度超えの日が数日続いたが、天候は不順で、夕立のような雨がよく降った。おかげで、雨漏りのするクルマには毎日、空の様子を見てタープをかけねばならなかった。サンルーフに最初つけていたガムテープがみっともないというので、はがして透明のテープに張り替えた。これで雨漏りはしないと思うが、用心にとやっぱりタープを張り続けている。だから、孫の野球の応援に東京に行ってからは、どこにも遠出はしていない。

forest220-3.jpg 野菜も長雨でほとんどダメになった。ただミニトマトとサヤインゲンはよく取れている。後は小さなナスとピーマンがちょっとだけで、カボチャは枯れたし、ジャガイモも元気がない。ミョウガも去年ほどには取れていないから、すっかりやる気を無くしている。要するに放りっぱなしなのである。ただし来年はもっと日当たりのいいところに新しい畑を作ろうと、いろいろ策は練っている。



forest220-4.jpg 庭仕事をしないから、早朝の自転車はがんばっている。ただし最近では20kmほどの湖畔一周コースを50分切るのもしんどくなった。かなりがんばったと思っても49分ぎりぎりで脚力が落ちたなとつくづく思う。何しろベスト・タイムは42分台だったのである。もちろん歳のせいだが、山歩きをしなくなったせいもあるだろう。動かなければどんどん衰える。そんなことを実感しているが、暑くて日中は何もする気にならない。

クルマは乗り換えることにして、アウトバックよりは小さくて、ハイブリッドの新型に決めた。色は赤もあったが派手すぎるので青にした。燃費がよくなるとは言え、結構な価格のクルマである。おそらくこれが最後の乗り換えになるのだろうと思う。何しろ77歳になったから、10年乗ったら90歳に近くなるのである。それまで健康でいられたらいいなとつくづく思うが、こればっかりはどうしようもない。そのクルマが来たら、久しぶりにあちこち遠出をしようと思っている。もっとも9月には2度目の高齢者教習と認知テストを受けなければならない。免許証を持ち続けるのも楽なことではないのである。

最近の暑さと歳を考えて、エアコンをつけることにした。これもつけてもらうのは9月になってからだが、必要を感じたのは、暑さの他に、冬の暖房ということもあった。ストーブに必要な薪を自分でつくるのはいつまでもできるものではない。そもそも原木の調達が難しくなっているのである。とは言え、冬の仕事としての薪作りは体力を維持するためにも続けたいものだと思っている。

2026年8月17日月曜日

広告に腹が立つ

テレビをケーブルで見るようになって3ヶ月ほどになる。東京の民放がすべて見られるようになったのだが、面白いと思うような番組はほとんどない。というより、どこのチャンネルにあわせてもCMの洪水で、面白そうと思うほど見ていないのである。たまに何か番組を見ていても、CMになった瞬間に音無しにする。そんなことをしていたのだが、すぐに、ケーブルテレビのチャンネルに合わせることが習慣になった。河口湖のケーブルテレビは一日中、富士山の周囲に設置したカメラを流し続けている。山中湖や河口湖、西湖に精進湖、そして本栖湖の富士五湖はもちろん、朝霧高原や勘助坂から新東名、富士山の南斜面から駿河湾、御殿場、あるいは葉山から海の鳥居越しの富士山を巡回している。

ktv.jpg 梅雨が長く、明けても天候不順の日が多かったから、雲ばかりで何も見えないことが多かったのだが、時には富士山や富士五湖がくっきり見える日もあって、それはなかなかの風景だった。それに出かける時によく通るいくつかの交差点や河口湖駅前などもあって、今日の人出は、交通量はなどとチェックすることもできるようになった。だから見たい番組がない時には、ケーブルテレビにずっと合わせておくことも少なくない。ちょうど景色が変わる一つの窓が増えた感じなのである。

少なくとも我が家では、増えた民放よりは、ケーブルのチャンネルにあわせていることが多い。面白そうな番組がなにもないし、あまりにCMが多すぎるのである。CMの間に中身がある。そんな印象を持つのだが、実際には番組全体の18%と設定されているようである。しかし見たくもないものに突然番組が妨げられるのだから、その時間は実際の何倍に感じてもおかしくないだろう。人々はこんなCMをよく我慢してテレビを見ているなーと今さらながらに感心してしまう。それとも何か無視する方法があるのだろうか。あるいはCMこそがおもしろいと思う人がいるのだろうか。

広告に妨げられて腹が立つのはYouTubeなどでも同じである。それがだんだんひどくなってきて、いやならお金を払って広告なしにしろという態度だから、ますます腹が立ってくる。すぐにスキップ・ボタンを押すことにしているが、それができない長いものや、連続するものもあって、邪魔なことこの上ないが、金など払うものかと思っている。

で、思うのだが、嫌われるだけの広告に何かプラスの効果があるのだろうかと疑問を感じている。ネットの広告は視聴者の情報に合わせて選択されていると聞くが、少なくとも僕にとっては興味を持つものなどほとんどない。「うるさいな」「邪魔だ」と思われるだけのためにお金を出して広告をして何かメリットがあるのか不思議に思う。そんな広告に限ってまた、何度もくり返しやってくるのである。

メディアに氾濫する広告には当然、広告費がかかっていて、それは製品などの価格に含まれている。要するに僕たちは、迷惑な広告の費用を、製品を買うことで払っているのである。もっとも僕が見る限り、邪魔になる広告の製品など、一度も買ったことはない。

2026年8月10日月曜日

ジェニファー・ラウシュ『スロー・メディア』(世界思想社)

slow1.jpg 翻訳者の伊藤明己さんからこの本をいただいた時の反応は「スロー・メディア」って何だ?というものだった。「ファースト・メディア」なら何となくわかる。スマホやタブレット、それにPCといったものと、それを使って利用するインターネットのことだろう。だとすると、「スロー」は新聞や雑誌、あるいは番組編成で規制されるテレビやラジオのことだろうか。そんなふうに思って読みはじめたのだが、それほど単純な話ではなかった。

内容は「ファースト・メディア」批判の書だと言える。あらゆる情報が洪水のように押し寄せるし、SNSでのやり取りやメールも瞬時のうちにできてしまう。だから一日中スマホやPCから目が離せない。そんな中毒症状に陥って、心身に不安を感じる人が増えている。で、一度スマホやPCを脇において、接触しない時間を作ったらどうだろうか。この本はそんな筆者自身の体験から始まっている。

「スロー・メディア」は「スロー・フード」を参考にしてつけられた名前である。「ファースト・フード」ではなく、時間をかけて作った食べ物を、ゆっくりと味わって食べる。そこにはもちろん、大量生産や遠隔地から輸送されるものではない、近隣で取れる無農薬の食材が大事という側面もある。だから当然、そんなことができるのは金持ちや閑人だけだという批判も起こってくる。そんな批判は「スロー・メディア」に対してはどうだろうか。

「ファースト・メディア」はペーパーレス時代を招くから、木の伐採による環境破壊を抑制することができる。そんなふうに言われたこともあったが、代わりにとんでもないほどの電力を使うようになった。スマホのメーカーは次々に新しい機能を装備し、スピードをアップさせて、買い替えた方がいいですよと宣伝する。だから廃棄される量もまた膨大なものになっている。レアアースなどの採掘やゴミ処理などがもたらす健康被害や環境の汚染は、紙媒体がもたらしたものとは比較にならないほどになっている。

とは言え、「スロー・メディア」は「ファースト・メディア」を捨てて、その代わりに使うものではない。かつて産業革命時に起こった「ラッダイツ{機械打ち壊し}運動」とは違って、スマホやPCの使い方を工夫しましょうというものである。スマホはメーカーが宣伝するほどには買い替える必要のないものである。ニュースだってSNSだって、メールだって自分の心や身体と相談して使えば、いい道具になるはずである。あるいはよく調べ、考察された記事やエッセイを探して読めば、氾濫する情報にまどわされずに済むかもしれない。この本はそんな至極当然の対処の仕方を提案している。

要するに「スロー・メディア」は「ファースト・メディア」に批判的に対処するための、一種の運動なのである。それは個人の心身を健康に、正常に保つためにするメディアへの接触の仕方であり、環境破壊や資源の浪費をこれ以上ひどいものにさせないための方策である。それはまた、1960年代に起こった既存のシステムに対する「対抗運動」の再現だとも言える。

僕はそういった発想には大いに興味を持ち賛同するが、現実を見た時にこれがどれほどの力を持つのかという心細い気にもなってくる。この本が書かれたのは2018年で、現在の「ファースト・メディア」の力は比較にならないほど強く、大きなものになっている。AIの進化は、僕たちに、もう考えなくていい、調べなくていい、トレーニングや勉強もしなくていいと言わんばかりなのだ。しかしだからこそ、「スロー」な発想に立ち返る必要があるんだよ、と訴え続けなければとも思った。

2026年8月3日月曜日

アブドゥーラ・イブラヒムについて

アブドゥーラ・イブラヒムが亡くなった。享年91歳だった。この欄で彼を取り上げたのは2014年で、そこでは次のように紹介している。
・アブドゥーラ・イブラヒムは南アフリカのアパルトヘイトに反対して、ヨーロッパやアメリカに逃れて音楽活動をしていたが、彼が作曲した「マネンバーグ」という曲は「反アパルトヘイト運動」のテーマ曲となり、第二の南アフリカ国歌といわれるほどに、人びとに親しまれ、支持されている。

イブラヒムは1962年に南アフリカからヨーロッパに移り住んでいる。その2年後に、後に大統領になるネルソン・マンデラが国家反逆罪によって終身刑を言い渡されている。当時の南アフリカ共和国は少数の白人層が大多数の黒人層を支配して、「アパルトヘイト」という名の人種隔離政策を実行していた。黒人達は住む場所や就く仕事、選挙権や教育の機会など様々な面にわたって厳しく制限されていた。マンデラは「反アパルトヘイト運動」のリーダーで、その後1990年に釈放されるまで、27年間投獄され続けた。

ibrahim4.jpg イブラヒムが積極的に音楽活動の中に「反アパルトヘイト」の姿勢を見せたのは1970年代の中頃からである。「マネンバーグ」が初めてアルバムとして発表されたのは1974年で、ケープタウン郊外に作られた非白人達が強制的に移住させられた土地の名を冠したものだった。その後イブラヒムはアフリカをテーマにしたアルバムをいくつも作り、1985年にはマンデラという名の曲も作っている。「アパルトヘイト」に対する国内はもちろん、国際的な批判が強まる中で、マンデラは解放運動の象徴的な存在となっていった。ネルソン・マンデラは1990年に釈放された後、1994年に全人種参加選挙が行われて大統領になっている。

ibrahim1.jpg イブラヒムはその後も積極的に音楽活動をしていくつものアルバムを発表したが、僕が気になって購入したのは「Senzo」と「Mukasi」という日本語のタイトルがついたものだった。そこに修められた曲は日本と直接関係するものではなかったが、そのピアノソロの曲に心が洗われ、落ち着くような印象を持った。それはほぼ即興で作られたもののようで、どこかキース・ジャレットにも通じる音楽だった。ジャズには疎いのだが、この二人は、僕にとって大事なピアニストで、また一人、馴染みのミュージシャンが亡くなってしまったことをとても残念に感じた。

2026年7月27日月曜日

傍若無人のとんでも国会

こんなひどい国会ははじめてだろう。高市首相は国論を二分するような案件を成立させると豪語したが、その法案はどれもひどいものだった。「個人情報保護法改正案」「皇室典範改正案」「国家情報局(国家情報会議)設置法案」「国旗損壊罪」そして「副首都構想法案」などである。どれもが充分な審議を必要とする法案だが、極めて少ない時間で強行採決された。衆議院では極めて少数になった野党にはなす術が無かったのだろうか。

「国旗損壊罪」とは一体何なのだろうか。ここには国旗は国民の誰もが尊重し敬愛すべきものという前提がある。しかし、国家の行いへの批判として、国旗を燃やしたり汚したりするするのは、一つの政治的な表現の一つだろう。そんな憲法に認められた表現の自由に違反する法案だとも言える。国旗の損壊を犯罪とするのは人々を不快にさせたことが根拠になるというのだが、不快に思うかどうかは極めて主観的だから、好き勝手に判断されてしまう恐れがある。僕はこの法案を知った時にすぐに刑法の「わいせつ罪」を思い出してしまった。

「皇室典範改正案」は醜悪としか言えないものだろう。ここには皇室の世継ぎが将来的に途絶える危険性があるので、女性皇族の身分を保持することと、旧皇族の男子を現皇族の養子として縁組みすることの二本の柱がある。そして養子縁組みした男子の息子が天皇になることを拒まないが、女性皇族が天皇になることは認めないとなっている。憲法では天皇という地位は国民の総意に基づくとあって、世論調査では女性天皇や女系天皇について7割もの賛意が示されている。それを国会の総意に置き換えて強行採決したから、この成立直後の世論調査では高市政権の支持率が激減して、不支持が上回った調査もあった。

「個人情報保護法改正案」には、それに対する過剰な反応を避けるという名目で保護を緩めるという特徴がある。たとえば医療のデータなどを利用するために、個人の了解を得なくてもいいといった点である。グローバルなデータ規制に合わせるといった視点もあって、国会ではもっと充分な時間をかけて検討する必要があったはずである。

「国家情報局(国家情報会議)設置法案」はスパイ防止が目的だと言われている。日本はスパイ天国だとも言われているが、この法案が目的とするのは外国のスパイではなく、政権に批判的な人々や集団に対する見張りの正当化にあるとも言われている。日本の主要な政治家がアメリカの情報局によって、その電話まで盗聴されていたといったこともあったのに、ろくに非難もしなかった政権が、今さら何をやろうとするのかと言いたくなった。

最後に「副首都構想法案」である。副首都は東京が天災などで機能不全に陥った時に、機能を代行する都市を決めておこうとするものである。しかし、副首都には名古屋や福岡などが手を上げているが、実際には維新の会が強行に主張する大阪のための法案だと言われている。高市政権が成立するために維新が持ち出した案件だからである。

ほとんど審議されずにこのような法案が可決されて法として成立した理由には、他にも高市首相個人の醜聞と、それに対する首相の態度にあった。総裁選の対立候補に対して誹謗中傷動画をネットで拡散させ、同じことを、衆議院選挙で野党の有力政治家にもやったという疑惑である。あるいは「サナエトークン」という仮想通貨を作り高騰させておいて、自分とは関係ないといって暴落させたという問題である。どちらも信じられないほどの暴挙で、実際にビデオやトークンの作成に関わった人が、文春などで、そのいきさつを暴露している。

今人々が本当に困っているのは円安による物価の高騰だし、世界情勢に対して日本はどういう立場に立って発言するかといったことだろう。しかしこの国会では、そんなことは議題にもならなかった。国会前を初めとして、デモを続ける人たちが徐々に増えているが、メディアがほとんど取り上げない。野党の腰抜けと合わせて、日本が取り返しのつかない道に進むことを止めるのは無理だな、と思ってしまった。

2026年7月20日月曜日

少年野球とMLB

今年のMLBのオールスター・ゲームはフィラデルフィアで開催されました。膝の怪我で大谷選手は出られませんでしたが、故障あけの村上選手がホームラン・ダービーに出場しました。試合は盛り上がりに欠けたものでしたが、途中のイベントはにぎやかでした。その中で、少年たちが自転車に乗って野球場をめざし、グランドに入ってきて、オールスターの選手達と一緒に練習をするというイベントがありました。少年野球をテーマにした映画の再現だったようです。どんな子どもでも、野球を始めた頃は、いつかメジャーの選手になってオールスターに選ばれたい。そんな希望を持つものだと言いたい企画でした。僕はこのシーンを見て、数日前に応援に行った少年野球のことを重ね合わせたくなりました。

僕の孫は小学校1年生の時に野球を始めました。父親、つまり僕の息子は中学・高校と野球部でしたから、男の子には野球をさせると考えていたのでしょう。僕はまだ小さいのに野球なんかできるのかと思いましたが、何度か試合を見に出かけました。チームは1年生から3年生までで、4年生になると上級生のチームに行くということでした。さあ、いつまで続くことやら、と思っていましたが、今年は5年生になって、チームの主力としてがんばっていました。

野球場は東京湾の夢の島にありました。ここには以前にも行ったことがありましたが、少し離れた、前とは違う野球場でした。家から出発して高速に乗れば、首都高速の新木場までは一本道のようでしたが、降りてからがわかりにくかったです。清掃工場の駐車場に止めたのでずいぶん歩かされて、クルマの移動もしなければなりませんでした。折から梅雨が明けたかのような好天で気温は30度超えの暑さです。普段涼しいところに住んでいる者にはかなりきつい観戦でしたが、チームは強敵を破り、孫も大活躍でした。

fkei1.jpg 思い出せば、最初に応援に行った時、孫は三振するたびにべそをかきました。チームメートに慰められるのを見て、泣き虫だなと呆れましたが、悔しくて泣くのは悪くないと弁護する人もいました。チームには当然、親達のサポートが必要です。ほぼ毎週末のように試合をやり、練習もするので、子どもたちの特徴は誰もがよくわかっているのでした。子どもたちも大変だけど、親はもっと大変だな。応援に行くたびにそんな感想を持ちました。

最初の頃の試合は、とても野球と言えるものではありませんでした。ストライクが入らないからフォアボールばかり、塁に出るとすぐに盗塁して(されて}、暴投やエラーがあって点になる。いつまで経ってもチェンジにならない感じでした。それが少しずつうまくなって、野球らしくなったのです。この点についても、親達の辛抱強さには感心しました。僕にはとてもできないと 思いました。思い出せば僕は子どもたちとこんなつき合い方はしませんでした。一緒に旅行に行くことは頻繁にやりましたが、グループ活動などは皆無だったのです。

孫はこの試合を最後に辞めるようでした。後は中学受験の準備のようです。この点でも、全く放りっぱなしだったぼくとはえらい違いです。野球の方は今年1年生になった次男坊が始めるようで、またしばらくは応援に出かけなければなりません。東京までのクルマの往復がいつまで続けられるか。孫が成長する分、自分はいろいろ不安に感じられる歳になったなと、つくづく思いました。