ラベル Movie の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Movie の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年4月24日月曜日

『海は燃えている』

 

theatrecentral.jpg・甲府駅前の小さな映画館でやっているというので、『海は燃えている』を見に出かけた。甲府駅に近い繁華街にあったのだが、人通りがほとんどない。シャッターが閉まった店もあって、寂れた様子だった。映画館も上映の15分前にならないと鍵がかかったままで、観客は僕とパートナーの他に2人だけだった。割と新しいビルに二つのスクリーンがある映画館で、マイナーな作品も頑張って上映しているようだ。それだけに、いつまで持つのかと心配になった。

FUOCOAMMARE2.jpg ・『海は燃えている』はアフリカ大陸から船でイタリアに渡ろうとした難民たちをドキュメントした映画である。場所はイタリアといっても、むしろチュニジアに近いランベドゥーザという離島である。映画は松の枝を切ってパチンコを作る少年のシーンから始まる。それで鳥を狙うのだが、もちろん、それは難民とは何の関係もない。父親は漁師で、獲ってきたイカで母親(祖母?)がパスタを作る。それを3人で食べながら、いろいろ話をする。少年はまるでそばを食べるように、パスタをすすって食べている。

FUOCOAMMARE1.jpg ・そんな離島に住む家族の日常が映されながら、時折、小さな船に乗った大勢の難民たちのシーンが挿入される。救助艇が向かい、脱水症状などで気を失っている者や死んだ人の数を確認し、救助艇で難民たちを島まで移送する。この島にとって難民たちが船でやってくるのは、すでに日常化しているが、島民たちはそのことをほとんど知らないかのようだ。

・少年は左目が弱視だという。だから回復させるために、右目をふさいで左目だけを使うよう勧められる。そのような診断をした地元の医者は、難民の診療をしたり、検死ををしたりもする。難民が押し寄せていることを知る数少ない地元民だ。難民たちは収容施設にいて、島を出歩くことはない。その次にどこに行くのか.イタリア本島なのか、あるいはチュニジアに送り返されるのか。難民たちはアフリカや中東のさまざまな国から来ていて、今更送還されても、戻る場所はない。そのことは映画では何も語られない。

・この映画には役者は登場していない。少年をはじめとして島民と難民、そして救助隊員も実在の人たちだ。だからドキュメントなのだが、少年の家族の様子には日常を再現するようなフィクションが入り込む。難民と島民、その二つの世界を淡々と描き出すこの映画には、今まで見たことのない、リアルさを感じた。

・監督はジャンフランコ・ロージで、この映画は2016年度のベルリン国際映画祭で金熊賞〈最グランプリ高賞〉を獲得している。彼は前作の『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』でも2013年度ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞している。日本ではほとんど話題にならない映画だけに、これを甲府で見られたのは驚きだった。それだけに、観客が4人だけというのは、日本人にとって難民の問題が遠い世界であることを改めて実感した。

2017年3月6日月曜日

『沈黙』

 

silence1.jpg・遠藤周作の原作を読んでいなかったが、マーチン・スコセジが監督をしたというので映画を見た。時代は江戸幕府がキリスト教を禁止し、ポルトガル人の追放や入港を拒否した頃のことである。日本で布教活動をした司祭のフェレイラが棄教したことに対して、信じられない弟子たちが、フェレイラに会うために日本に出向こうとする。マカオを経て日本にたどり着いた若い司祭たちが出会ったのは、奉行の厳しい弾圧と、それでも改宗しようとしない熱心な信者たちだった。

・物語は、このポルトガル人の司祭ロドリゴを守ろうとする農民たちと、奉行所に囚われて、厳しい拷問によって死んでいく者たちとの関わりの中で、この地で布教することの意味を自らに問い、キリストやその教えに対して疑いを感じながらも、理想を追い求めようとする主人公の苦悩を描いている。映画を見ながら思ったのは、この主題は、コンラッドの『闇の奥』に通じる近代ヨーロッパが基本にした「文明」と、植民地に赴いたものが一様に感じた矛盾だというものだった。

・ヨーロッパで成立した近代文明には「理想」と「エゴイズム」、そして「懐疑」という三つの要素がある。「これら三者が相互に関連しあい、相互に制約しあいながら一種の動的均衡を保っている。」ところが文明人は「そこから切り離されると、彼は行動の方向を見失ってしまう。」(井上俊『悪夢の選択』筑摩書房)主人公を襲った苦悩は、まさにそれだったように感じた。

・近代化が及んでいない当時の日本では、このような文明観はもちろん通用しない。ヨーロッパ列強が世界各地に出かけ、見つけた大陸を植民地にし、そこで生きていた人たちにキリスト教を広めようとした中には、純粋な布教活動ではなく、植民地支配のために必要な条件だったという要素もある。だからこその、幕府によるキリスト教禁止とポルトガルやスペインに対する鎖国だったのである。映画では、なぜ幕府がこれほどまでに、キリスト教を弾圧するのかといった問いかけはない。だから奉行所による冷酷非常な仕打ちと、それに耐える司祭と農民たちといった関係だけが強調されている。

silence2.jpg・そんな感想を持った後で、原作を読んだ。物語は基本的には同じだったから、映画のシーンを思い出しながらの読書だった。ただ、「理想」「懐疑」「エゴイズム」というキーワードを意識していたためか、主人公の心の動きをこの三つの思いを巡って理解するといった読み方になった。また純粋に、というよりは盲目的に神を信仰する農民と、マカオから道案内をし、主人公を裏切りながら、その後もつきまとうキチジローの身勝手さに、「理想」と「エゴイズム」の二面を当てはめたくもなった。そうすると、もう一つの「懐疑」の役割は奉行や通辞(通訳)といったところだろうかなどと。先入見があると、読み方に偏りが出がちになる。そんな疑問を感じながらの読書になった。

・しかしまた、フェレイラとロドリゴが出会って棄教した(転んだ)理由を話す場面では、映画と原作の違いに妙な関心をもって、あれこれ考えながら読んだ。映画では日本の土壌にはキリスト教は根付かずに腐ってしまうということだったのに、原作では、日本人が受けとめると、それは全く異なるものに変質してしまうからと、違う説明がされていた。日本人は外の文化を受け入れるのは寛容だが、形だけを取り入れて、中身の受容については関心がない。だから、似てはいても本質的には違ったものになってしまう。それは奈良、平安の時代から続いていて、明治になってから現在にいたるまでも、相変わらず輸入文化に貫かれている特徴である。遠藤周作は、そんな指摘をした丸山真男や梅棹忠夫を読んでいたのかもしれない。

・こんな読み方をしながら一番自覚したのは、僕のキリスト教に対する無関心さと無関係さだった。敬虔なキリスト者だった遠藤周作にとっては、ふざけた読者だと思われるにちがいない。

2017年1月23日月曜日

トランプ就任と「世界の片隅」

 

obama-trump.jpg

・トランプがアメリカ大統領になった。ワシントンに集まった人の少なさや「女たちの行進」などの反対行動をする人の多さが報じられた。その違いは、8年前のオバマの就任式と比較すれば一目瞭然だろう。オバマの就任式には、90歳を超えたピート・シーガーやブルース・スプリングスティーンが登場して「This Land is Your Land」を大合唱したが、トランプの就任式には何の歌も歌われなかった。

・オバマ人気は、9.11後のブッシュ政権のひどさに対する米国民の期待の反映だった。オバマはイラクのフセイン政権を倒したことに始まる中東の混乱や、リーマンショックの後始末を任され、健康保険制度(オバマケア)の設立などを目指したが、何より黒人初の大統領であり、人種や宗教、あるいは性別に関する多様性を積極的に進めてきた。最後になって改めて、その成果が評価されて支持率が上がったが、8年間の支持率は不支持率と拮抗するようなものだった。

・トランプはオバマが掲げ実行した政策のほとんどに反対し、古き良き時代のアメリカを取り戻すと宣言した。アメリカ第一という傲慢さはもちろんだが、ホワイトハウスのホームページからは、環境問題やLGBTについての頁が削除されたようだ。彼の主張はアメリカさえよければ、地球のこと、世界のことなどはどうでもいいというものだし、そのアメリカも白人の男だけのことしか眼中にないというものである。彼の言う「偉大な国」の復活とは人種差別や性差別が当たり前だった時代にほかならないのである。

sekai.jpg

・主人公のすずの家は、広島の海岸近くにあって板海苔を作っている。その生活は質素で食べるものも着るものの多くも自給でまかなっている。すずには心に秘めた人がいたが、結婚話を受け入れて呉に嫁いでいく。そこでの生活は度重なる空襲にあって困窮し、右手を失って絵が描けなくなり、広島の実家が原爆にあう。

・戦後生まれとは言え、僕はそんな戦時下における日本人の暮らしや生き様については、いろいろ知っていることがあったから、特に目新しく思うことはなかった。しかし、若い人たちには、すずを通して描かれた当時の暮らしや生き方には、現在の自分とは大きく違う一面を見た驚きがあったのかもしれないと思った。学生たちとそんな話もしてみたいと思ったが、残念ながら今年度のゼミがちょうど終わったところだった。

・トランプが大統領になって一番怖いのは、世界の一層の混迷と、戦争の勃発の危険性だろう。そうなれば確実に日本は巻きこまれる。世界の片隅に生きる僕たちにどんな災難や不幸がもたらされるか。この映画が予想を超えて多くの人に見られている背景には、若い人たちのなかにも、そんな不安があるのかもしれないと思った。

2016年9月12日月曜日

久しぶりの映画館

・地元に映画館がなくなって、もう10年ぐらいになる。だから、映画館で映画を見ることもほとんどなくなってしまった。最近ではアマゾンで見たいときに見たいものが見られるから、わざわざ遠くの映画館まで出かける気にもならなくなった。ここにはもちろん、新作とは言ってもどうしても見たいと思うような作品がないという理由もある。とは言え、アマゾンで探すと、気づきもしなかった作品が結構あって、時折、映画鑑賞の時間を楽しんでいる。

・そんなことをしながら気づいたのは、邦画がずいぶんたくさん作られているということだった。もちろん、映画収入で邦画が洋画を抜いてからずいぶん経つことは知っていた。あるいはジブリなどのアニメが国内だけでなく、海外でもよく見られていることもわかっていた。しかし、映画館のある街をぶらついて、上映中の映画について関心を向けることもなかったから、ほとんど興味も持たなかった。

・ところが、ツイッターやフェイスブックでいろいろな人たちが『シンゴジラ』について、絶賛に近い感想を寄せていて、ちょっと興味が湧いてきた。『ゴジラ』映画について、これまでほとんど興味がなかったが、それなら見に行ってみようかという気になった。一番近い映画館は甲府のイオンモールにある。今まで一度も行ったことがないから、ショッピングモールの見物とあわせて出かけて見ようということになった。映画館にはシニア割引があって、1800円が1100円になる。そんなこともまた、新たな発見だった。

・で、肝心の『シンゴジラ』だが、評判ほどの映画だとは思わなかった。この映画はゴジラが主役ではなくて、それに対応する政府の動きやアメリカとの関係でストーリーが作られている。ゴジラは単に東京を壊滅させるだけでなく、やがて世界中を崩壊させる脅威を持っている。だから核攻撃をしてでも退治しなければならない。こんなアメリカと国連の決定に、将来を嘱望されている若い政治家が中心になって、冷凍させる作戦に打って出る。東京が広島、長崎に続く被爆地になることを避けるための必死の行動がクライマックスになる。

・しかし、映画を見ていて気になることがいくつもあった。なぜ、ゴジラが東京湾に出没したのか。謎の研究者がゴジラの卵を東京湾に落としたのかもしれないが、そのことは暗示的で、詳しくは語られていない。また、幼いゴジラはガラス玉のような目で、いかにも作り物でしかないし、変態を繰り返して成長するのだが、大きくなったゴジラもまた、生物と言うよりは作られたものにしか見えないものだった。そもそもゴジラがなぜ、火を吹いたり背中からレーザー光線を出したりするのだろうか。そんなことを思いながら見ていたから、映画に没入することは全然できなかった。

・この種の映画には、そんなけちをつけてもしょうがないのかもしれない。しかし、一方でゴジラに立ち向かう政府や自衛隊の描き方は、きわめてリアルなものだった。おそらく東日本大震災のときの動きはこんなものだったのだろうと思わせるようなシーンがいくつもあった。この荒唐無稽さとリアルさが奇妙に混在した映画を楽しむためには、怪獣映画やアニメのファンであることが前提になるな、と思ったのが見終わっての感想だった。

・とは言え一つだけ納得できるセリフとシーンがあった。東京の中心部が破壊され、政府の首脳の多くが死んだ状況から、もう一度リセットして日本を復興させることを主人公が決意するところだ。確かに日本の現状はリセットでもしなければ、身動きが取れないような状況にある。古い考えや目先の利害に囚われた政治家や企業家ばかりが幅をきかせている。未来を見据えた国作りを目指す発想は、まったく影を潜めている。

・3.11でもダメだったのだから、ゴジラにというのがこの映画のメッセージだったのかもしれない。しかし、それはまたゴジラに頼まなくても、首都直下地震がいつ起きてもおかしくないと言われていることからすれば、荒唐無稽な話ではないとも思った。であれば、ビルが崩壊したり、鉄道や道路が寸断されたりして、多くの人々が逃げ惑う姿は他人事ではないだろう。3.11の経験を思い起こしたり、明日の我が身を想像しながら見た人がどのくらいいたのだろうか。実際僕は、東京に出かけるときにはよく、地震があったらと、思うことがよくあるのである。

2016年1月4日月曜日

ディラン前夜のグリニッジ・ヴィレッジ

 

"Another Day Another Time: Celebrating the Music of Llewyn Davis"

The Milk Carton Kids"The Ash & Clay"

Llewyn_Davise.jpg・コーエン兄弟の『名もなき男の歌』(Inside Llewyn Davis)は、1961年のニューヨーク・グリニッジヴィレッジで音楽活動をしていた男の一週間を描いた物語である。売れないフォーク・シンガーで彼女に子どもができてしまう。その堕胎の費用を工面したり、預かった猫を逃がしてしまったりと、やっかいなことばかりが続く。仕事を求めてシカゴに行っても、いいことは何もなかった。船乗りというもとの仕事に戻ろうとしたが、免許証は姉に捨てられた。どうしようもない、散々な一週間で、見ている方も憂鬱になった。

・コーエン兄弟の映画で60年代初めのグリニッジ・ヴィレッジが舞台だからと、アマゾンで見たが、ちょっとがっかり。デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝をもとにしたにしては、主人公が惨めすぎる。おまけにラストシーンでは、ボブ・ディランとおぼしき若いミュージシャンがステージで歌っていた。まるでニューヨークにおけるフォークシーンの夜明けを暗示するような終わり方だった。

anotherday.jpg・ネットで調べると案の定、当時を知っているミュージシャンには評判が良くなかったようだ。しかし、この映画を祝ってコンサートが開かれていて、そのライブ盤が出ていた。知っている名前はジョーン・バエズとエルビス・コステロ、そしてパティ・ズミスぐらいで、後は知らないミュージシャンばかりだった。当時の歌もあり、映画の挿入歌もあり、また若いシンガーの歌もありでなかなかおもしろかった。

・60年代のフォーク・シーンを彷彿といった感じだが、アメリカには今でも、フォークソングを歌う若いミュージシャンがたくさんいる。しかも新しいだけでなく、また懐メロみたいでもない。そんなことを再発見するアルバムだった。中にはもっと聞いてみたいと思うミュージシャンもいた。このコンサートはYouTubeでも見ることができる。

TheMilkCartonKids.jpg・ミルク・カートン・キッズはデュオのバンドで、サイモンとガーファンクルを連想させる。その"The Ash & Clay"は3枚目のアルバムで、生ギターだけの歌が12曲入っている。こんなシンプルなサウンドで演奏する若者が今もいて、それが多くの人に支持されている。原点帰りのリバイバルなのか、それとも、ずっとこのスタイルが続いてきているのか。内容的には、プロテストの要素はなく、内省的なものが多くてジェームズ・テイラーに近いと言えるかもしれない。

・ところでバンド名だが、アメリカではかつて行方不明になった子どもの顔写真を牛乳パックに貼っていたところに由来する。そう言えば確かに、聞いていて「喪失感」を思い起こさせる。なお、彼らのデビューと二作目のアルバムは次のサイトから無料でダウンロードできる。The MIlk Carton Kids

2015年12月14日月曜日

アマゾンで映画のただ見

・アマゾンからビデオをただで見放題というメールがあったのは数ヶ月前だった。もちろん誰でもというわけではなく,プライム会員限定のサービスである。田舎に住んでいるから、僕の家では本だけでなく、家電製品から食料品、衣料品などあらゆるものを購入している。かなりの上得意だから、このぐらいのサービスはしてもらっても過剰ではないかもしれない。何しろ、僕の家の近くには映画館がひとつもない。これはなかなかいいと思ったのだが、残念ながら見たい映画はそれほど多くなかった。

・テレビがますますつまらなくなった。食事やその後の食休み時しか見なかったのだが,その時間にも見たいものが何もないことが多い。その意味では、ますますテレビ離れがすすむばかりだが、と言ってパソコンでじっくり映画を見るのは,何となく馴染めない。ただでさえパソコンに向かっている時間が多いから、これ以上増えるのは、もう不可能に近いのが現状だ。そんなわけで、まだ数本しか見ていない。

・ジム・ジャームッシュの映画はほとんど見ているが、大学の卒業制作だという『パーマネント・バケーション』があって、これを見た。ニューヨークに暮らす青年の退屈な生活が描かれているが、集中しないで見たから、今ひとつという気がした。彼の映画はほかに『ダウン・バイ・ロウ』と『ストレンジャー・ザン・パラダイス』がリストされている。そのうち見直そうかと思ったのだが、両方ともビデオカセットでもっている。もっとも、すでにビデオ再生機はない。

・僕の研究室には、映画やドキュメントなどのビデオカセットが数百本ある。かつては,それを講義やゼミで一部を見せたりしていたのだが、ネットを利用することで,ほとんど使わなくなった。もう一度見るといったこともほとんどしなくなって、もう見ることができなくなった。DVDにコピーも考えたのだが,面倒で数枚で辞めた。だから、退職する時にはすべて廃棄処分ということになる。

・もっともDVDで買ったり、録画したものも,くり返し見るといったことはほとんどない。だから、アマゾンでいつでも好きな時に見られるのなら,所有する必要はないのだということに気がついた。大学を辞めれば,資料や教材として持っておくこともない。本やCDも含めて,これからはどう処分するかが最大の課題になるのである。

・で、アマゾンのただ見だが、パソコンの画面で見るのはどうも落ち着かない。ついついほかのこともしたくなるし,メールが入ってきたりするからだ。もうあまり使わなくなった古いMacbookをテレビの台に置いて、アマゾン映画専用機にしようか。そうだとすると、あらかじめ見たいものをリストアップしておく必要がある。パートナーはすでに結構見ているようなので、調整も必要だ。もっとも、実際にそうするのは,退職してからということになるだろう。

・1年も経てば、見られる映画もずっと増えているはずだ。しかし、アマゾンのことだから、そのうち課金を取るように変更するだろうとも思う。ただより高いものはない。美味しそうな話には,無警戒に乗らないのが賢明だろう。

2015年9月14日月曜日

見たはずなのに、ほとんど忘れている

・BSや光テレビで時々映画を見る。初めて見るものもあるが、すでに見たものもある。特にもう一度見たいというわけでもなく、たまたま見はじめたから続けてという場合が多い。最近特に多いのだが、見たはずなのにほとんど忘れている。たとえば『フォレスト・ガンプ』、あるいは『戦場のピアニスト』や『ダイハード』のシリーズなど、見事に忘れていることに呆れてしまった。

・もちろん、歳のせいだと思う。しかし、一度見たからもういいと思ってきたが、果たしてどれだけ記憶に留めることができているのだろうかという疑問も感じた。そうすると、今まで見て、よかったと思う映画をもう一度見てみようかという気にもなった。僕の研究室には数百本のビデオカセットがある。ビデオのデッキが健在のうちに見直すことにしようか。

・映画やテレビ番組をビデオで保存したのは、講義の教材にするためだった。講義の内容に合わせて何本かのビデオを教室で見せてきたのだが、アップルの「キイノート」を使ってプレゼンテーションの講義を始めるようになってやめてしまった。それでビデオも用なしになって、廃棄してしまおうかと思うようになっていたのである。

・廃棄する前にDVDにコピーすれば、大学をやめて家に持ち帰ることもできるし、まだしばらくはパソコンはもちろん、テレビでも見ることができるだろう。しかしコピーをするには、相当の手間暇がかかる。CDで音楽を聴くように、くり返し見ることはないにしても、何度かは再生する。そんなことはないと思っていたが、ストーリーをほとんど忘れてしまっているなら、コピーしておく価値はあるのかもしれない。

・NHKが20年前に作った『映像の世紀』のシリーズは11本ある。講義ではずいぶん役に立ってきたドキュメントだが、これもBSで久しぶりに見かけて、その第1集を最後まで見た。見直すというより初めて見る感じがして、これはDVDにコピーしようかとも思った。しかし、たまたま放送されていたから見たのであって、わざわざ自分で見てみようと思うだろうかとも感じた。たぶんDVDにしてもほとんど見ないだろうとも思う。

・というわけで、見たはずなのに記憶が怪しいことを再認識したのだが、だからといって、プライベートに記録することもないかと思い始めている。youTubeを探せば見られるものもあるし、Amazonが動画の提供をするといったニュースもある。僕はプライム会員だから、追加料金なしで見ることができるようだ。どんな作品があるのかチェックしていないが、利用するのなら、テレビとパソコンをつなげるようにしなければならない。

2014年3月24日月曜日

ジェフ・ブリッジス『Crazy Heart』

 

jef.jpg・ジェフ・ブリッジスは目立たないけど、渋い役柄をこなす俳優だ。その彼がアカデミーの主演男優賞を取ったのが『Crazy Heart』である。NHKのBSがアカデミーを取った映画を昼間放映していて、たまたま見た。かつては人気だったカントリー・ミュージシャンの悲哀をテーマにした映画である。主演が誰なのかもわからずに見始めたから、最初登場したときはクリス・クリストファーソンかと思った。

・主人公のブレイクはテキサスやニューメキシコの小さな町を自分の車で一人巡って、ボーリング場の一角やバーなどで歌っている。要するにどさ回りの身だ。かつてはヒット曲を飛ばしたこともあったのだが、今ではアルバムも出ない。新曲を作ればその可能性もあるのだが、彼にはもう、そんな気がほとんどない。ウィスキーを手放さず、絶えず煙草を吹かして、めちゃくちゃな生活をしているから、体調もひどく悪い。ライブの途中で吐き気をもよおして、ステージからトイレに直行したりもしている。

・そんなストーリーに光が差したのは地元の新聞記者のジーンの取材に応じたのがきっかけだった。そして、かつては自分のバックバンドの一員で、今では大スターにのし上がったトミーの前座を渋々引き受けたことだった。ジーンと恋仲になり、その幼い息子のバディとも親しくなる。ところがアルコールが原因で彼女とはうまくいかなくなり、落ち込んだなかで歌を作り始める。それをトミーが歌って大ヒットするのである。

・ありそうな話だったが見ていておもしろかった。何より気になったのは、ジェフ・ブリッジスが吹き替えなしに歌って演奏しているところだった。ネットで調べてみると、ミュージシャンでもあって何枚かのアルバムを出しているという。クリストファーソンのような完全な二足のわらじではないが、音楽活動もしているようだ。それに絵なども描いているという。今まで見た映画では感じられなかった別の側面を見た気がした。

・で、『Crazy Heart』のサントラ盤を買うことにした。ライトニン・ホプキンスやウェイロン・ジェニングス、それにバック・オーエンスの歌も入っているが、ジェフ自身が歌っている曲が6曲あって、弟子で今はスター役をやったコリン・ファレル自身も2曲歌っている。おもしろいのは友人でバーのマスター役のロバート・デュバルが、二人で釣りをしているときに歌った鼻歌が入っていることだ。彼女が離れたのをきっかけにアルコールをやめ、生き直すことをはじめたシーンである。


いつまでも生きるつもりだ
川を横切って
明日を掴むんだ

・この映画はアカデミーの歌曲賞もとっている。歌っているのはライアン・ビンガムで、まだ若いのにトム・ウェイツを思わせるようなだみ声だ。2007年にデビューしたというから、すぐにこの映画に使われて、アカデミーを取ったということになる。その"The Weary Kind"はなかなかいい。芋づる式に、今度は彼のアルバムを聴きたくなった。

2012年11月19日月曜日

「パイレーツ・ロック」


rock1.jpg・2009年に作られた映画なのに全然知らなかった。「パイレーツ・ロック」というタイトルで60年代のイギリスを舞台にしている。ビートルズやローリングストーンズに代表されるブリティッシュ・ロックが世界中を席巻した時代だが、不思議なことに、この種の音楽を放送するラジオ局はイギリスにはなかった。だから、イギリスの法律が届かない公海上に船を浮かべて、一日中ロック音楽をかける放送局が登場して人気を博した。映画はそんな時代の物語だ。

・海賊放送と言われたから「パイレーツ・ロック」なのだが、原題は"The Boat that Rocked"だ。放送をやめさせようとするイギリス当局のあの手この手の工作にもかかわらず放送を続けてきた船が、岩礁にぶつかって沈没してしまう。だからロックには音楽と岩の両方の意味がある。なるほどと思ったが、日本名の方がわかりやすい。もっとも、題名をつけた人の狙いはヒット作の「パイレーツ・オブ・カリビアン」にあやかろうとしたことは容易に想像がつく。良し悪しはともかくとして、原題と邦題の違いに対する違和感は、映画やポピュラー音楽の歴史を通して変わらずに続いている。

・映画は無数のファンたちの船がDJたちを助けるところで終わる。イギリスの放送は国営のBBCが独占していて、教養的価値のないポピュラー音楽は放送する価値がないと判断されてきた。ましてや、当時の大人たちの常識や礼儀、あるいは道徳観を無視したり否定することが当たり前だったロック音楽は、絶対に放送などしてはいけないものだと判断されてきた。また、BBCは組合に配慮して、音楽家たちの職場を守るために放送でレコードをかけることはせず、スタジオでのライブを基本にしてきた。映画に登場するDJたちも平気でセックスの話をくり返す。ただし"FUCK"だけは禁句で、これを言ったらイギリス当局の規制を許してしまうということだったようだ。連発が珍しくない昨今の映画やテレビになれてしまうと、昔日の感が一層強くなった。

・今から思うと嘘みたいな話ばかりだが、逆に言えば、イギリスに登場したロック音楽がラジオ放送なしで人気になり、ヨーロッパやアメリカ、そして日本でも大流行したのは、この音楽とそれが主張するメッセージがが国境を越えて若者の心にいかに強く響いたかを物語っている。おそらく、この映画を見た若い人たちは、そんな感想を持つのではないかと思った。あるいは、存在感の薄くなったラジオの力を再認識する機会になるのかもしれない。

・で、さっそくサントラ盤を購入したのだが、高校生の頃に聴いた曲が多く、いくつかはドーナツ盤で買った記憶があるもので、懐かしい気がした。ビートルズもローリングストーンズも入っていないが、60年代後半のイギリスを中心にしたロック名曲集といった内容になっている。

・ところで、ロック音楽とラジオの関係についてだが、アメリカではイギリスとは逆に、ロックの誕生にはラジオの役割が大きかった。3大ネットワークがテレビ放送開始によって全米各地のラジオ放送局を売りに出して、その放送局が地域ごとに番組を作って放送した。ドーナツ盤やLPなどのレコードの新技術と相まって、DJがレコードをかけて番組を作る方式が定着し、そこに新しい音楽が生まれる下地ができたのである。イギリスの海賊放送が目指したのは、そんなアメリカ各地にあって若者たちに人気のラジオ放送だった。

・日本ではマスメディアとしてのラジオ放送局が深夜に番組を開始して、そこで欧米の新しい音楽をかけたから、ロックは日本でもラジオから流行したと言える。ただし、僕の経験で言えば、聴きたい音楽が最初に流れるのは進駐軍放送のFENだった。海賊ではなく進駐軍。共産圏への影響などもふくめて、ロックとラジオの関係を調べるのは案外おもしろくて、先行研究の少ない部分なのではないかと思った。

2008年12月29日月曜日

今年の聴きおさめ

 

davemason2.jpg・今年も50枚ほどのCDを買った。去年の暮れのこのコラムを読むと、復刻版が多くて、新しいものが少なかったと書いてある。ディランをモデルにした"I'm not there"、自分にとって思い出深い曲をカバーしたパティ・スミスの"twelve"。ジョニ・ミッチェルへのトリビュートやジョン・ケールやジェームズ・テイラーのライブ版、それにニール・ヤングの伝説のライブなどなど………。
・それでは今年はどうだったか。これはあくまで個人的なことだが、新しいミュージシャンとの出会いがいくつもあった。レイ・ラモンターニュ、ジェームズ・モリソン、グレイソン・ギャップス、ジェームズ・ブラント。エイモス・リー、さらに、デイブ・メイソン、J.D.サウザーなど、忘れていた人の復活もあって、あたらしいだけでなく、古いアルバムを買ったりもした。

eno&byrne.jpg・もうおなじみで、アルバムが出れば買ってしまう人たちが、続々新しいものを出した年でもあった。ボブ・ディランの"Tell Tale Signs"、ブルース・スプリングスティーンの"Magic"、ヴァン・モリソンの"Keep It Simple"、ジャクソン・ブラウンの"Time The Conqueror"、R.E.M.の"Accelerate"、エミルー・ハリスの"All I Intended To Be"、アラニス・モリセットの"Flavors Of Entanglement"、マドンナの"Hard Candy"、シェリル・クロウの"Detours"、一番最近買ったのはデビッド・バーンがブライアン・イーノと共作した"Everything That Happens Will Happen Today"だ。もう、こういった人たちには、聴いてがっかりといった駄作はない。

travis5.jpg ・比較的若いミュージシャンの新作も多かった。去年出したばかりのトラビスが出した"Ode To J. Smith"とスノウ・パトロールの"A Hundred Million Suns"、それにジェイコブ・ディランがソロで出した"Seeing Things"は力作揃いでどれも聴きごたえがある。対照的に、話題になったコールド・プレイの"Viva La Vida"は、もう結構という感じだった。同じような印象を受けたのはエンヤの"And Winter Came..."。いかにもクリスマスに合わせて出しましたという感じだが、「きよしこの夜」以外には、古いものと区別がつかないほどのマンネリぶりだ。

snowpatrol2.jpg ・CDの売れ行きはさっぱりのようで、とりわけ洋楽はひどいらしい。大学生を見渡しても、洋楽好きはめったにお目にかかれないほどだから、意外な感じは受けないが、ごく一部のミュージシャンのコンサートだけは活況だという。映画も洋画よりは邦画に注目が集まっている。内容が充実しているというなら理解できるが、果たしてどうなのだろうか。良質な小品を上映してきたミニシアターがどこも存続の危機に瀕しているといったニュースも目にした。内向きで、みんなと一緒といった発想の結果だとしたら、文化的な貧困としか言いようがないのかもしれない。ちなみに、僕が今年買った日本人のアルバムは、一枚もない。

2008年4月27日日曜日

A LOVE SONG FOR BOBBY LONG

 

bobby1.jpg・最近のアメリカ映画には珍しい、静かでしんみりとした話だった。舞台はニューオリンズで、墓地のシーンから始まる。死んだのはクラブ歌手だったようだ。参列したのは2人の同居人と、遊び仲間や近隣の人たちで、その集まりからは、暑くてけだるい感じ、生きることに疲れた様子が伝わってくる。

・死んだ歌手の娘が母の住んでいた家にやってくる。幼い頃から祖母に育てられて、母の思い出はほとんどない。けれども、母が住んでいた家に来て、そこに住もうと思うようになる。ただし、同居人の男二人がじゃまくさい。一人は老人で、元大学教授。もうひとりはかつての教え子で小説家をめざしている。師を慕う気持と、それゆえに枠を破れないでいるもどかしさ。二人の関係はまた親密でなおかつ束縛的だ。

bobby2.jpg ・ストーリーは、そんな三人の関係の変化を巡って展開する。追い出そうとする娘と抵抗する老人。間に入る売れない小説家。彼女は母が遺した衣服などを整理していて、ひとつの手紙を見つける。老人のボビー・ロングにあてたもので、娘はその老人が自分の父親であることを知る。ありふれた話といえばそれまでだが、それが大げさでなく展開するから、引きこまれてしんみりした気分になった。

・キャストは地味ではない。老人役はジョン・トラヴォルタで娘はスカーレット・ヨハンソン。この映画を見て、トラボルタはいい感じで老けたな、とあらためて思ったし、スカーレット・ヨハンソンもなかなかいい(ただし、日本のテレビCMで荒稼ぎは興ざめだ)。疲弊したけだるい町と人びとのなかに咲いた一輪の花。彼女に母がつけた名はパースレインで、このあたりに咲く野生のハーブだった。

capps1.jpg ・この映画に引きこまれた原因はもうひとつ、挿入歌にあった。ブルース、カントリーといった歌がうまくつかわれていて、それぞれがなかなかいい。トラボルタがギターをもって仲間たちの輪の中で歌うシーンもある。ぼそぼそとした歌い方で"I Really Don't Want To Know"(知りたくないの)やイギリス民謡の「バーバラ・アレン」を歌う。さっそくアマゾンで注文したが、気になったミュージシャンはGrayson CappsとTrespassers Williamだった。改めて聴くとまた、なかなかいい。で、今度はまたそのCDが欲しくなった。

・この映画にはミシシッピー川も出てきた。この映画が出来たのは2004年だから、ニューオリンズ周辺を壊滅状態にしたハリケーンのカトリーヌが襲った1年前ということになる。映画に出てきたあの家や町も粉々で水浸しになってしまったのだろうか。ボビーは映画の中で病死したし、作家志望の青年は本を出したが、パースレインや町の住人たちはどうしたんだろう。この映画には、そんなことをふと感じさせるようなリアリティがあった。

・ニューオリンズには一度だけ行ったことがある。もう30年以上も前のことだ。夏休み中だったから、とにかくじとっとした暑さだけを覚えている。「欲望という名の電車」に乗って、フレンチ・クオーターでブルースやジャズを聴いた。音楽の町、フランスや奴隷制の面影をのこした歴史の町。若さにまかせてアメリカ中を40日以上、グレイハウンドバスを乗り継いで旅をしたが、いま思い出すと、ニューオリンズが、そのクライマックスだったような気がする。

・この30年のあいだに海外旅行が大衆化した。その変容に乗り遅れまいとして、世界中の都市が歴史や景観を魅力あるものに作りかえてきた。アメリカにもそれですっかりブランド化した都市がいくつもある。しかし、ニューオリンズはその流れに乗り損い、そのうえに猛烈な台風でやっつけられた。ブランド化したアメリカの都市にはあまり興味はないが、ニューオリンズにはもう一度行ってみたい。そんな気持が強く感じられた。

2008年3月3日月曜日

飛行機の映画、ホテルのテレビ

 

virgin1.jpg・日本を出てから2週間、今回の旅も終盤で、残りわずかになってきた。くたびれているけど、何となく心残りという気持ちにもなっている。インターネットがずいぶん使いやすくなって、今度の旅行では、ホテルの部屋からネットにつながるところがずいぶんあった。ただ、ブロードバンドではないから、ずいぶん遅い。それでも、メールのチェックをして、普段見ているサイトを覗くぐらいは、何も問題ない。来るたびにネットが便利に、あたりまえになっている。そんなことを今回も実感した。だから、日本の情報はニュースはもちろん、家のあたりの天気までわかる。

・ホテルに泊まれば、必ずテレビがある。それもずいぶんチャンネルが増えて、いろいろな番組が見えるようになった。もちろん、国や都市によるのだろうが、パリではNHKの国際チャンネルがあって、一日中日本でおなじみの番組をやっていた。日本でもBSにはCNNやBBCがあったし、NHKの BSではフランスやスペインのニュース番組があって、旅行前は耳慣らしによく見ていたから、パリで日本語の放送を見たからといって驚くほどではないのかもしれない。けれども、リモコンを押していて、突然、日本語が聞こえてきたときには、やっぱりびっくりした。
・とは言え、ホテルの部屋でテレビを見ている時間は極めて少ない。朝起きたときと、夜寝る前のひととき、それに昼間歩き疲れてひと休みに帰った時ぐらいだから、イギリスやフランスのテレビ番組の特徴などはよくわからない。ニュースがあって、ドラマがあって、クイズ番組がある。素人が出て現実に近い、あるいは即興の生番組をリアリティ・テレビという。その番組を見たいと思っているのだが、わざわざ番組表でチェックして、その時間にホテルの部屋で待機などというほどでもない。

・リアリティ・テレビを見たいのは、今翻訳している本にその話題が出てくるからだ。古くは「ドッキリ・カメラ」のような番組で、似たものは日本でも少なくない。だから大体わかるのだが、しかし、実際に見ておけば、それこそリアリティは増すはずである。残りの数日はちょっとまめに見ようかと思っている。たとえば「ビッグ・ブラザーズ」とか「アイム・ア・セレブリティ〜」といった番組だ。
・翻訳本との関係で、もう一つチェックしたかったのは、ヴァージン航空のサービスぶりだった。60年代の対抗文化の中から生まれて成功したビジネスを総称して「ニート資本主義」と呼ぶ。ニートは日本でつかわれているものとは違って「洒落た」とか「かっこいい」という意味だ。その代表格がパソコンのアップルであり、ヴァージンなのだが、僕はヴァージンの飛行機を使ったことはなかった。だから旧国営のブリティッシュ・エア(BA)とどうサービスが違うのか、比べてみようと思った。
・ヴァージンは食事がおいしいという評判だった。それは確かで、映画や音楽の種類もBAよりは豊富だ。ただし映画も音楽も有名なものばかりで、音楽はやっぱり携帯した自分のiPodで聴いたが、バッテリーが気になったから、半分の時間は映画で過ごした。何しろ飛行時間は12時間、しかも時差ボケを避けようと思ったら、なるべく寝ない方がいい。で、「ダイハード」と「パイレーツ・オブ・カリビアン」それにもう一本を見た。字幕はないが日本語吹き替えが何本もある。おかげで退屈はしなかった。

・ヴァージンの精神は、第一に非形式性にある。つまり従来の形にこだわらずに、新しいことをやって違いをつける、客にとってよいと思われることをやるといった発想だ。そのためには心をしなやかにして、みずから楽しんで仕事をする。ヴァージンは、ロンドンの小さなレコード店から始まった。大きくなるきっかけは、みずからのレーベルからデビューしたセックス・ピストルズの大ヒットだった。それこそ伝統も形式もぶち壊せと叫んだイギリス・パンクの代表だが、そこで儲けたお金が、現在、イギリスを代表する飛行機会社をつくり、鉄道や金融、そして電話サービスにまで手がける大企業の出発点になっている。
・このような発想や、事業の展開は、もちろん、アップルを初めとするコンピュータやネット産業にもめずらしくない。そこで働く人たちは、本当にみずから楽しんで仕事をしているのだろうか。ヴァージンに乗った感想で言えば、BAと大差はないという印象だった。ヴァージンの進出でおそらくBAはかなり変わったのだと思う。違いはすぐにまねされて同じになる。それだけに、「違いをつける」ためのヴァージンの戦略は、これからはなかなか難しいのでは、という気もした。

2008年1月14日月曜日

硫黄島の2部作

 

・クリント・イーストウッドが監督をした、硫黄島の2部作『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』を見た。戦争映画は必ず、一方の側から見た物語になる。だから太平洋戦争をテーマにしたアメリカ映画を見れば、敵が日本軍になり、見ていて奇妙な違和感に囚われることが少なくなかった。たとえば、ノーマン・メイラーの『裸者と死者』は、その典型で、そこに出てくる日本兵に対して感じた複雑な思いは今でもよく覚えている。
・戦争には、どちらの側にも大義名分がある。で、こちら側は正義で相手は邪悪ということになる。ブッシュの演説でおなじみだが、映画はそのような視点をさらに強調するから、敵側にアイデンティファイしたのでは、とても見られたものではなくなってしまう。もちろん、そうでない戦争映画もなくはないし、『裸者と死者』も決して能天気な戦争映画ではなかった。

・ジェームズ・ジョーンズの『地上より永遠に』を原作にしたテレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』は、ガダルカナル島での日本軍との戦いを描いているが、戦闘場面はほとんどなくて、主題は戦場で生死の淵をさまよう人間達の心模様だった。印象的だったのは、ガダルカナル島が天国のような島で、そこに地獄のような世界を挟み込んで対照させるという手法である。豊かな動植物、のんびりとした島民の暮らし、それに、日米両軍の兵士たちが繰り返す死闘。この映画が優れていたのは、兵士たちの心理状態の描写を米軍だけでなく、捕虜にした日本兵にもしていたところだった。僕は、今まで見た戦争映画の中で、これが一番優れたものだと思っていた。

letter.jpg・硫黄島の2部作は、一つの闘いを両方のサイドから別々に二つの作品として描いたもので、同時につづけてみると、今までの映画では経験しなかった感覚を味わうことができる。もちろん、主題は壮絶な戦闘シーンよりは、そこにいた兵士たちの心理状態であり、戦場に来るまでのそれぞれの経歴や生活である。『硫黄島からの手紙』で描かれる日本軍の兵士は、日本でこれまで作られた戦争映画とは少し違っている。全軍を指揮した栗林中将はアメリカでの留学経験があり、精神主義ではなく、冷静に戦略を練るタイプだし、部下にはオリンピックの馬術でメダルを取った西中佐もいた。直情型の兵隊もいれば、生きて返ることを最後まで考えていた兵隊もいた。玉砕的な行動を厳禁し、不利な戦力をもとに考え出された戦略が日本軍の抵抗を強いものにしたが、そのために日本軍はほぼ全滅し、アメリカ軍にも多大な被害をもたらすことになった。

flags.jpg・『父親たちの星条旗』はアメリカ軍からみた硫黄島の戦いである。実は僕は、この戦いについては、これまで日本側のことは何も知らなかった。ところが、アメリカ側についてはピーター・ラファージの「バラッド・オブ・アイラ・ヘイズ」を知っていたから、彼がどう描かれているのかについては、映画が作られたという話を聞いてからずっと気になっていた。もっとも最初に聴いたのはディランの歌だった。
・アイラ・ヘイズはピマ・インディアンで、硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げて英雄に祭りあげられた兵士たちの一人である。ラファージはその英雄が、その後の人生を狂わされ酒浸りになったことを歌っている。映画を見ると、アイラ・ヘイズが酒浸りになった理由がよくわかった。硫黄島の英雄は、戦時国債の宣伝に使われて、アメリカ中を巡回させられたのである。時にはスタジアムで、張りぼての擂鉢山に登って旗を立てることまでやらされたようだ。

・英雄でも何でもないのに、英雄の演技をさせられる。戦友を多く失った地獄のような戦いの後で待っていたのが、嘘で塗り固められた宣伝の世界だから、おかしくなるのが普通の心理だろう。『父親たちの星条旗』は『硫黄島からの手紙』とは違って、戦いの後や現在のシーンなども登場して、戦争の残酷さや無益さを訴える構成になっている。ここにあるのは、過去の歴史ではなく、現代の戦争に対する批判である。クリントイーストウッドはそれを声高に主張してはいないが、それだけに、そのメッセージがよく伝わってくる映画だと思った。

2007年12月10日月曜日

"I'm not there"ほか

 

young6.jpg・今年買ったCDをあらためて並べてみると、全くの新作がきわめてすくないことに気づく。このコラムでもニール・ヤングの伝説のライブ盤を2枚とりあげたが、ヤングはそのあとに、未発表だったアルバムを"Chrome Dreams II"としてわざわざ30年ぶりに作り直している。精力的だが、後ろ向き。そんな特徴は、同様にすでにとりあげたパティ・スミスの"twelve"にも言えた。新世紀になって7年もたったのに、いまだに世紀末のような傾向が続いている。ポピュラー音楽の行き詰まりは明らかだが、世の中全体が行き止まり状態なのかもしれない。

int.jpg・後ろ向きの姿勢には、原点帰りといった一面がある。ライ・クーダーの"My Name Is Buddy"が描写したのは、1920年代に登場したアメリカのフォークソングだし、ディランの"Modern Times"には、同時代のブルースやジャズの雰囲気が盛りこまれた。そのディランの伝記映画"I'm Not There"のサントラ盤を購入した。さまざまな人がディランの歌を歌っている。トリビュート盤が多く出たのは、前回のこのコラムの話題だったが、CDを聞いている限りは、同様の趣きだ。2枚組みで収録されているのは33曲。これらが映画ではどんなふうにつかわれているのか、YouTubeで映画のプロモーション・ビデオを見ると、ケイト・ブランシェットが若い頃のディランを演じている。物議を醸したイギリス公演の記録ビデオ"Don't Look Back"で見たシーンを忠実に再現している。見てみたいが、そのためには、DVDが発売されたら、また買わなければならない。ジャケットの顔は、多分ディランではなくブランシェットだろう。似てはいるが、鼻の形が違う。

taylor1.jpg ・ジェームズ・テイラーの"One Man Band"は故郷の古くて小さいホールでのライブを収録している。同じもののDVD盤がついているから、コンサートの様子が映像として楽しめる。穏やかな歌い方は若い頃からだが、聴衆も同世代でレトロな会場だから、熟成した懐メロという感じがしてしまう。どの曲もアレンジを変えずに一人で歌う。そのアットホームな雰囲気が売り物だろう。
・これを聴いて思いだすのは、去年のコラムでとりあげた、キャロル・キングの"The Living Room Tour"とジャクソン・ブラウンの"Solo Accoustic Vol.1"だし、少し雰囲気が違うが、ジョン・ケールの "Circus Live"だ。ベスト盤のようにして聴くことができるライブ盤。共通した特徴はそんなところだ。ただし、ベスト盤には新しい顧客をつかもうとする狙いが明らかだが、ライブ盤にあるのは、長いつきあいのファンにもう一枚といった戦術だ。わかっていながら買ってしまうのはちょっと癪。だけど、悪くないからまあいいか、と納得もしてしまう。


travis.jpg ・とはいえ、新作もなかったわけではない、すでにとりあげた忌野清志郎やジョニ・ミッチェルのほかに、マーク・ノップラーの"Kill To Get Crimson"やトラビスが久々に出した"The Boy With No Name"もよかった。ノップラーは毎年のように新作を出しているが、どれもいいできで、目立たないけど見逃せないものという感じだ。トラビスの新しいアルバムには'New Amsterdam'という曲があって、そこにはディランへの憧れや、バンドの名前の由来がヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」であることが歌われている。そう言われればそうか、とあらためて納得した。
・ふりかえると、今年もたくさんのCDを買った。ただ、買うんじゃなかったとがっかりしたものが1枚もなかったのは幸いだ。わが家のステレオが完全に壊れて、スピーカーを残して、新しいものに買いかえた。だから、もっぱらiPodを接続して楽していたのをやめて、一枚一枚CDを入れて聴いている。そうすると当然音が違うから、あれもこれもひっぱりだしてくることになる。聴くのは一階で、装置は二階にあるから、終わるたびに階段を上がり下がりする。くたびれるけど健康的なこと。面倒になるまでの楽しい苦痛だ。

2007年7月23日月曜日

Ry Cooder "My Name Is Buddy"

 

ry1.jpg・ライ・クーダーの"My Name is Buddy"はジャケットが絵本になっている。猫のバディが住み慣れた村を離れて旅に出る話だ。相棒はネズミのレフティで、二匹は村を通る線路で待って、貨物列車に乗り込む。旅が、アルバムに収められた曲の順番で進んでいく。20世紀初頭のアメリカの話である。
・炭坑町で下車すると、坑夫たちがストライキをやっている。安全と賃上げを求めて歌う人たち。そこに警官がやってきて、みんなを牢屋にいれてしまう。だけど歌声はやまない。歌うことが危険だったときで、ジョー・ヒルが殺人罪で不当に処刑された。
・二匹はそんな出会いをしながら旅を続ける。誰もが貧しく、不条理な生活を強いられている。「団結」がみんなを鼓舞する新しいことばとして登場し、集まりにはかならず歌があった。アメリカにフォーク・ソングが生まれた時代である。

・ディランやスプリングスティーンを初めとして、アメリカのミュージシャンにポピュラー音楽を原点に帰って見直そうという流れがある。ライ・クーダーのこのアルバムにも、そんな志向が強くうかがえる。それを猫の物語にして、絵本のような装幀にしたのは、なかなかしゃれた発想だと思う。ピートとマイクのシーガー兄弟も参加して、サウンドも原点そのまま、きわめてシンプルである。

ry4.jpg ・ぼくがライ・クーダーを知ったのは喜納昌吉の「ブラッドライン」が最初だった。デビュー作の「ハイサイおじさん」とは違って、ハワイで録音されたせいかアメリカ的なサウンドになっていて、そのギターが小気味よかった。
・録音は80年で、ぼくはLPレコードでしか持っていない。久しぶりにかけるとざらざらとかなり痛んでいる。たぶんよく聞いた一枚なんだと、あらためて思った。ライ・クーダーの参加に特に興味を覚えたわけではないが、今にして思えば、ライが昔からさまざまな音楽に興味をもっていたことがわかる。そういえば、"My Name is Buddy"のなかには、沖縄を感じさせるメロディの歌がある。バンジョーを蛇皮線のように鳴らして、ホームレスが住む「段ボール通り」を歌っている。

ry2.jpg・ライ・クーダーについての印象は、ヴィム・ヴェンダースが監督した『パリ・テキサス』(1984)のサウンドトラックが強烈だ。放浪癖のある男と失踪した妻、そして置き去りにされた幼児。売春宿かストリップ小屋のマジックミラー越しに話をする二人。パリとは名ばかりの、乾いて荒れたテキサスの風景に、独特のスライド・ギターの音が鳴り響く。僕は今でも、時々、このギターの音が聴きたくなる。
・ただし、ライ・クーダーといえばスライド・ギターという印象が僕の中にはずっとあって、何枚か買ったアルバムにそのサウンドがなくてがっかりしたことが何度かあった。で、半ば忘れていたのだが、ヴェンダースと一緒に作った『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で、また驚かされた。

ry3.jpg・『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は全編、キューバの音楽で溢れている。キューバ以外ではほとんど無名の老ミュージシャンたちが作り出す、生き生きとして熱い音楽で、ライ・クーダーが旅行した際に出会った人たちだ。それをヴェンダースがドキュメンタリー映画にした。
・「音楽は国籍や言語を越える」とはきわめて安直につかわれるセリフだが、ライ・クーダーには、あらゆるボーダーを超えていいものをみつける音楽的嗅覚がある。"My Name is Buddy"が越えるのは、時の経過と音楽状況の変化がつくったコマーシャリズムという壁だ。そこには、虚飾を取り去った時に聞こえてくる音とことばがある。

2007年7月8日日曜日

フラガール

 

・ゼミの学生にさまざまなテーマや書き方を指定して作文を書かせている。その中に、最近の邦画人気を話題にしたものがあった。2006年度の興行収入が洋画を越えたことが書いてあって、ちょっと信じられない気がして質問すると、ネットで探したという。出所はきちんと書くようにと指摘したが、さっそく自分でもグーグルしてみた。
・「日本映画製作者連盟」によると、邦画のシェアが最低だったのは2002年で27.1%、それが2006年度に逆転したというのだから、確かに、急激に盛り返していることになる。原因はテレビ局が制作していること、シネコンなど上映館が確保されてきたこと、観客のニーズをつかむ努力をしていることなどのようだ。ただし、映画観客自体がふえたわけではなく、興行収入の総額は横ばい状態だから、アメリカ映画に飽きたことも大きな理由になっているようだ。
・2006年度の興行収入1位は「ゲド戦記」で、そのほかドラえもんやポケモンなどのマンガが並んでいる。僕がみたものというと「THE有頂天ホテル」だが、笑いネタが上滑りしてちっとも面白いと思わなかった。しかし60億円の収入で3位というから、ちょっと驚いてしまう。邦画が元気といってもこの程度か、などといいたくなるが、面白いものもたしかにあった。
journal3-88.jpg ・「フラガール」は福島の常磐炭坑が舞台になっている。僕は、パートナーが近くの出身ということもあって、「ハワイアンセンター」には何度か出かけている。だから、懐かしさもあったし、その誕生の経緯自体にも興味を覚えた。付近にはもともと温泉があるし、広い館内を常夏にする石炭も豊富にある。きわめて合理的な発想だが、炭坑からハワイアンセンターへの転換は、当時としては奇抜だから、ずいぶん反対も強かっただろうと思っていた。
・映画は、そんな炭坑の閉山と娯楽施設への転換をめぐる、関係者の対立を中心に話を展開させている。抗夫やその家族のなかには別の炭坑に仕事場を求める者もいる。しかし、この地にとどまるかぎりは、別の仕事をしなければならない。映画では、そのとまどいや不満が、若い娘たちを集めて踊り子チームを作るプロセスに焦点を合わさて描かれている。「結婚前の娘に裸踊りなどさせるわけにはいかない。」そんな意見に、一度手を挙げた娘たちのほとんどがやめざるを得なくなる。で、最初は、落ちぶれて都落ちしたダンサーと素人娘たちの絶望的なほどにまとまりのない練習からスタートする。
・話は紆余曲折があって、何とか開場にこぎ着けてめでたしめでたしとなるのだが、映画を見た後で、あらためて、このあたりの地図や、閉山と開場のいきさつ、あるいはその時代(昭和40年前後)のことが知りたくなった。映画には当時を感じさせる風景が随所に登場した。しかし当然だが、ロケ地は 1カ所ではない。「映画『フラガール』を応援する会」のサイトには撮影場所を記した地図が載っていて、いわき市やその周辺をあちこち探し回ったことがよくわかる。映画やテレビは、それらしく感じられるものを求めて嘘をつく。それはドラマに限らずドキュメンタリーでも変わらない。もちろん、そのこと自体は非難されることではない。
・常磐炭坑は戦時中にでき、京浜工業地帯にもっとも近いところにあったから、50年代には活況を呈した。しかし、硫黄を含んでいて質は悪く、炭層が掘りにくく、温泉が大量に噴出するなどしたから、石炭需要が石油への転換で減り始めると、将来の見通しに陰りが見えるようになる。「ハワイアンセンター」の開場は1966年で、その意味では、いち早い転換を象徴するものだが、それで抗夫の多くが職替えできたわけではない。むしろ大多数は、茨城県から福島県にかけての新産業都市、東海村やそのほか数カ所の原発施設などに吸収されている。
・その意味では「フラガール」はことの一部だけ捉えたロマンチックな物語だといえる。とくに夕張市の財政破綻といった現状と同時期に上映されたから、常磐炭坑の決断の確かさがいまさら強調されもする。けれどもそれはまた、石炭の質の違いや大都市との距離の違いにこそ、大きな原因があったはずで、戦後の日本がたどった東京への一極集中や、経済大国化がもたらした二つの局面のようにも見えてくる。
・もちろん、こういったことは、映画のおもしろさを減じさせるものではない。面白いと感じたからこそ湧いた興味や疑問。今はもう義母も死んで、知っている人はだれもいないけれども、もう一度「ハワイアンセンター」(スパリゾートハワイアンズ)に行ってみたい気にもさせられた。

2006年7月17日月曜日

初心を忘れず

 

Neil Young "Living with War", Bruce Springsteen "We Shall Overcome"

・ニール・ヤングとブルース・スプリングスティーンが、どういう関係かよくわからないが、ふたりはよく同じ場面に登場する。エイズをテーマにした映画『フィラデルフィア』ではスプリングスティーンが導入部の、ヤングがラストの主題歌を歌っているし、9.11直後の追悼番組でも最初がスプリングスティーンで最後がヤングだった。あるいは、最近ふたりが出すアルバムにはDVDがよく付属している、といった共通点もある。それからもう一つ、これが一番大事だが、アメリカ社会や政治、そして文化の現状について、人一倍の危機感を持っていて、それがアルバムのコンセプトになっていることだ。
young2.jpg・ニール・ヤングの"Living with War"はその題名通り、アルバムのほとんどが反戦歌で占められている。歌詞はどの曲も率直なものだ。

「この庭がなくなった後で、人は一体何をするんだ?」"After the Garden"


「毎日戦争と一緒に生きている。心には戦争のことがある。
平和に手を上げて、思想警察の法律になど屈服しない。」"Living with War"


「落ち着きのない消費者が世界中を毎日駆け回っている。
おいしさとおしゃれの欲のために。」"The Restless Consumer"


「1963年のボブ・ディランの歌を聴いてみろ。
<自由の旗>がはためくのを見よ。」"Flags of Freedom"


「この国を誤った戦争に引き込んだ大統領の嘘を弾劾せよ。
我々の力を浪費させ、我々のお金を外に投げ捨てた。」"Let's Impeach the President"


springsteen2.jpg・スプリングスティーンの"We Shall Overcome" にはトラディショナル(伝統的)なフォーク・ソングが集められている。タイトル曲はピート・シーガーが作り、黒人に対する人種差別に反対する運動などで歌われたが、マルチン・ルーサー・キング牧師の「私には夢がある」という演説とならんで、公民権運動には欠かせない一曲になった。

・アルバムにおさめられている曲の多くはピート・シーガーがアラン・ロマックスとアメリカを回って集めたものだ。どれもポピュラーになってよく歌われるが、最初のものとはずいぶん変わってしまったものもある。それを最初に戻って歌ってみる。そこには、シーガーが残したものを語り継ぐという使命感もあるようだ。録音は彼の自宅の居間でおこなわれ、シーガーに近いミュージシャンたちが集められている。フォーク・ソングにしても、黒人のブルースにしても、各地に散在し、埋もれかけていたものを集める作業をした人がいる。それが現在の音楽の出発点になっていることを、多くの人は忘れているし、若い人には知らされていない。

・だから、古いものを出発点に戻ってやり直してみる。それは最近のディランのアルバムにも見られる姿勢だ。ピート・シーガーとの関係でいえば、もちろん、ディランの方がはるかに近い。ウッディ・ガスリーやピート・シーガーに憧れて歌を歌いはじめたディランは、メッセージ性の強いフォーク・ソングをつくる若手として、彼らから期待をかけられた。ニール・ヤングが「1963年のボブ・ディランの歌」と歌っているのは「風に吹かれて」のことで、この歌は"We Shall Overcome" とならぶ60年代を代表するフォーク・ソングになっている。

・そのディランはギターをエレキに持ち替えて、シーガーとは一線を画したし、彼が始めたフォーク・ロックのスタイルからニール・ヤングもスプリングスティーンもスタートした。そんなフォークの第二世代や第三世代が、今、共通して、初心に帰っている。ノスタルジーではなく、できるだけ昔のままのものを求め、それを若い世代に伝えようとする姿勢には、スターという立場とは無関係な、アメリカの歌を語り継ごうとする意志がある。あるいは、何か訴えたいことがあったら率直に、素直に声に出す。そんな表現の仕方の大切さを訴える気持ちもある。

・初心に戻るのはノスタルジーに浸るのとは違う。それは現在から過去を懐かしむのではなく、過去に戻って、そこから現在や未来に向けてやり直すことだ。あるいは現在までの道のりをたどり直してみる。ディランはもちろん、ヤングもスプリングスティーンもそういう年齢になったといえるのかもしれない。彼らのメッセージを若い世代はどう受け止めるのだろうか。

2006年5月22日月曜日

コーヒーとシガレット

・テレビを見ていたらジム・ジャームッシュの映画の宣伝をやっていてびっくりした。『ブロークン・フラワーズ』という題名で、現在ロードショー公開中らしい。彼の映画は地味でミニシアターでしかやらないようなものばかりだから、またどうしてと思ったら、去年のカンヌ・グランプリ作品だという。中年男(ビル・マーレイ)がまだ見ぬ息子とその母親を捜して回るロード・ムービーだというから、見てみようかという気になった。
journal3-79-2.jpg・こういう情報に最近まったく疎くなった。映画はもっぱらBSで、それもほとんど行き当たりばったり。おそらく、『ブロークン・フラワーズ』も、「見たいな」で忘れてしまったかもしれないのだが、Wowowでたまたま『コーヒーとシガレット』に遭遇した。それも途中からで、アメリカによくある古びたあか抜けないコーヒー・ショップのテーブルにイギー・ポップが一人でいてタバコを吸ってコーヒーを飲んでいた。モノクロ画面で直感的にジム・ジャームッシュと思ったが、そこにトム・ウェイツがやってきておしゃべりをはじめたからさらに確信した。
・時間は朝の8時半。ぼくは起きたばかりで、コーヒーを飲みながらネットをやって、新聞を読んで、タバコを数本。それで、ぼけた頭がはたらきはじめるのを待つという日課の途中だったのだが、そのままソファーに寝転がって見始めてしまった。これではトイレに行きそびれてしまう、などと気になることがいくつかあるけれども、動くわけにはいかなくなってしまった。
・イギーがトムにタバコを勧める。トムは「タバコはやめた」といって断る。しかし「やめたんなら吸ってもいいじゃないか」と言われると「そうだな」といって吸い始める。タバコをやめたからもう吸わない、ではなく、やめたんだから吸ってもいい。変な理屈だけど一理ある。買わないけれどたまにはもらいタバコを楽しむ人は、まわりにもいる。
・トム・ウェイツは酔いどれ天使などと言われてタバコと酒がトレードマークになっていたが、最近では田舎にこもって奥さんのキャスリン・ブレナンとつくったアルバムをだしている。イメージはずいぶん変わったけれど、映画には昔のままで登場している。この二人の会話はまったくかみ合わない。そこが何ともおもしろい。イギーがトムに店のジュークボックスに「君のレコードがない」というと、トムは「この店、気にいらないか?」と聞き返す。いいドラマーがいるけどどうか聞くと、「俺のバンドのドラムは駄目か?」と聞き返す。そのたびにイギーは、そんなつもりでいったわけじゃない、と弁解する。
・いつ壊れてもおかしくないやりとり。そこをかろうじて、タバコとコーヒーが取り持っている。もちろん、イギーの我慢強さということもある。イギーは待ち合わせがあるといって席を立つ。トムは一人残って、もう一杯。最後にジュークボックスを確かめて「何だ、イギーのもねーじゃねーか」。コーヒーショップのジュークボックスに自分のレコードがないのは、ミュージシャンのこけんにかかわる、ということか。
・もう一つおもしろかったのはケイト・ブランシェットが二役で演じたシーンだ。大女優とそのいとこの売れないロックミュージシャンがホテルのカフェで話をしている。携帯が鳴ったりして忙しい大女優に最初は同情的ないとこも、自分の売れない境遇と比較して、愚痴を言い始めたりする。大女優がいとこに高級ブランドの化粧品のプレゼントする。ありがとうといいながら、「もらいものでしょ?」と聞き返すのも忘れない。さらに「金持ちはただでもらって、貧乏人が金を出して買う。それっておかしいくない?」などとからんでくる。大女優はスケジュールがあるからと退席するがロックミュージシャンはしばらく居座ろうとする。で、タバコをくわえて火をつけようとすると「禁煙です」の声。

・どこもかしこも禁煙になって、タバコを吸いながら雑談、なんていう状況設定がだんだんとりにくくなった。レストランはもちろん、喫茶店もカフェと名前を変えて禁煙といった具合だから、もうタバコは憩いの道具ではないのかもしれない。第一今は、「憩う」ではなく「癒す」のである。ストレスなどで心身共にまいっているのに、万病の元のニコチンでさらに体を痛めつけるな、ということだろうか。そう言えば、カフェもテイクアウトがおおい。エスプレッソやカプチーノと気取っても、ゆっくり時を過ごすゆとりがないのかもしれない。
・ポール・オースターの『スモーク』と『ブルー・イン・ザ・フェイス』はブルックリンのたばこ屋が舞台だった。その『ブルー・イン・ザ・フェイス』のほうにジム・ジャームッシュが登場して、たばこ屋の雇われ店主のハーベイ・カイテルとタバコ談義をするシーンが印象的だった。それを見たときに書いたレビューには、ジャームッシュはそこに最後のタバコを吸いに来たと言ったと書いてある。
・『コーヒーとシガレット』は何年にも渡って撮りためた短編集のようである。その割にはトーンが一定で、最初から、後でまとめるつもりだったように思われる。タバコが吸えた時代、タバコが人々の間に介在して、間を持たせ、空気を和ませる役割を認められていた時代の記録。そんなことを考えてしまうほど、昨今の禁煙の波は激しい。それも、グローバルな傾向だから、どこに行ってもスモーカーには逃げ場がない。やれやれ……。
・ところで、『ブロークン・フラワーズ』はどうしようか………………。

2005年11月29日火曜日

Bob Dylan "No direction home"


  NHKのBSで"No direction home"を見た。3時間半の長さでくたびれてしまうかと思ったが、ずっと見入ってしまった。で、見終わった後は、しばらく放心状態。とにかく貴重な映像の連続だった。デビュー前から1966年までのディランの軌跡である。


たとえば、数年後には伝説のようにあつかわれ、くりかえし語られてきた出来事のほとんどが映された。ニューポート・フォークフェスティバルで絶賛され、プロテストの旗手といわれるきっかけになったステージと、翌年のバック(のちのThe Band)をつけて登場して、大ブーイングを浴びたシーン。そこに、パニックを起こしてケーブルを斧で切ろうとして止められたピート・シーガーの行動が本人のことばで裏づけられる。ディランの変身はたちまち世界中に伝わり、それ以降のコンサートでは、ステージはディランと客との喧嘩状態になる。特に、有名なのはイギリスでのコンサートで、会場からの「ユダ」というののしりに、「そんなこと信じない」といった後に「おまえは嘘つきだ」と叫んで歌い始めるシーンがある。これが映像として映し出されたが、バックに「でっかくやろう」と語りかけていたり、ステージに下がった後の言動まで記録されていた。


このような逸話は、当時は雑誌の記事でしか知り得ないことだったし、その海賊版を見つけて、ひどい雑音のなかから、それらしいやりとりを感じ取る他はなかった。その海賊版が正式に公表され、音を手に入れることができたのはここ10年ほどのことだ。それでも結構喜んでいたし、映像で残っているとは思わなかったから、びっくりしてしまった。寝ころんでテレビを見ていたのだが、そのたびに起きあがって、「えー」とか「うわー」とかいってしまった。
そのような一つ一つに、現在のディランやそのほかの当事者たちのコメントがつく。時間がたっているから冷静に振り返った発言が目立ったが、中には立場の違いがはっきりするおもしろいものもあった。たとえばディランのデビューアルバムに「朝日の当たる家」(これはとんでもない誤訳で、本当は「朝日家」で、ニューオリンズの売春宿の名前)を入れた。トラディッショナルだが、歌い方やコード進行はデーブ・ヴァン・ロンクが工夫したものだったようだ。ディランはそれをレコーディング後にデーブに言ったようだ。当然デーブは怒ったが、それでも了承した。しかし、それが納得のいかないことであったのは、現在の彼の口ぶりからもよくわかった。「朝日の当たる家」はその後「アニマルズ」が歌って大ヒット曲になる。デーブはその後で、ディランが「おかげでぼくがアニマルズのまねだと思われてしまう」と言った話を紹介して、愉快そうに笑った。


ディランはニューヨークに来てからオリジナルを作り始めたようだ。それ以前は、いろいろな人のコピーだったから、ミネソタの知人たちは、その変貌ぶりにびっくりした。中でもおもしろかったのは一般には手に入らないウッディ・ガスリーのレコードを何枚も盗まれたフォークソング収集家の話だ。ところが、若い頃のディランが人一倍功名心が強く、ずる賢くて要領もよかったことを強調する人たちもふくめて、登場する誰もが、自分がボブ・ディランという時代の寵児の誕生に関わったこと、その才能の開花に手を貸したことなどを得意げに話していた。あるいは、地味なフォーク・シンガーのままで現在に至っている人たちの、賞賛や批判、あるいは嫉妬などが混じり合った発言など。それにまた、ディランのコメントがかぶさって、ディランを中心にした感情の蜘蛛の巣ができあがる。なかなかおもしろい構成だと思った。
ディランの2枚目のアルバムのジャケットには、当時の恋人スーズ・ロトロと冬のニューヨークを歩く写真が使われている。そのスーズも出て当時のディランとの関係を話したし、スターになるきっかけを作り、その後コンサートに帯同して恋仲になったジョーン・バエズも登場した。ディランとロトロの別れにはバエズが原因したが、そのバエズは、ディランの才能に惚れ、そのすごさに怖れ、自分の世界からあっという間に遠ざかってしまったことを寂しそうに振り返った。そこにまた、ディランのことばが重なってくる。


ディランにたいする矛盾した愛憎の感情ということで言えば、アコースティックをエレキに持ちかえた直後の客の反応もおもしろかった。今までのディランは好き。しかし今日のステージのディランは嫌い。だから会場はいつもブーイングの嵐になった。そんな反応をしたファンのコメントの後に、楽屋裏でディランが「だったら、なぜチケットがすぐ売り切れてしまうんだ」とつぶやく。本当にそうだなと思ったが、ディランのステージの半分は生ギターをもったソロだから、客の気持ちは<見たい←→見たくない>で引き裂かれる。さらに客の中には、ロック・アイドルとしてのディランに惚れ込んだばかりの少女たちもいて、客層も二分されている。


3時間半の長いドキュメントは66年で終わっている。デビュー前の50年代後半から、わずか7年ほどの記録でしかない。ディランはその後、現在まで40年近くも歌い続けている。おそらく残された映像は膨大なものだろうと思う。彼のインパクトは確かに66年でいったんとぎれるが、その後に辿った道筋は、またそれなりに興味がある。「自伝」と同様、続編を期待してしまうのだが、スコセッシは、作るつもりなのだろうか。

2005年10月11日火曜日

ヴェロニカ・ゲリン

 

・イギリス・アイルランド旅行の余韻をいまだに楽しんでいる。BSで放送している欧州鉄道の旅は出かけるまえにもよく見ていたが、帰ってきても欠かさずに見ている。すでに再放送で、何度もやっているものだが、乗った列車や見た車窓の風景などがあると、また印象がちがう。
・おなじことは映画にも言える。ロンドンが舞台の映画などに出くわすと、ストーリーなどは関係なく、移る風景に関心が向いてしまう。一度現地に行くと、感覚的にどのあたりなのか察しがつくから不思議だ。もっとも逆はあまり役に立たなかった。『ノッティイングヒルの恋人』を直前に見ていて、実際に行ったのだが、映画のイメージとはずいぶん違っていて、どこがどこだかわからなかった。映画は実際の地理には関係なしにつくられたりする。だから、見る側に地理的な感覚がインプットされていなければ、どうしようもない。逆に見覚えのある風景なら、ほんの一瞬でも気づくといったことだろうか。
・同じような興味で、たまたまwowowで放映していた『ヴェロニカ・ゲリン』を途中から見た。アイルランドのダブリンが舞台で、麻薬密売ルートを取材して、ボスを突き止めるジャーナリストの物語だ。1996年に実際に起きた事件をもとにしているという。記者は殺されるが、それを機会に麻薬ルートが明らかにされ一掃されたらしい。勇敢な女記者を中心にしたストーリーだったが、関心はもっぱら、風景とサウンドトラックにむいてしまった。
・アイルランドの治安はよくない。特にダブリンは気をつけろ、といった話はよく見かける。以前に紹介したことがある栩木伸明『アイルランドのパブから』は、アイルランドに行きたい気にさせた一冊だが、それほど物騒ではないことを教えてくれたと同時に、アパートに泥棒が入ったり、近づいては行けない地区があったりということも認識させた。
・ダブリンには二泊したが、歩き回ったのはほとんどにぎやかなところか観光客がたくさんいるところだった。鉄道の駅やホテル、あるいは飛行場の間はバスや路面電車を利用した。歩いてい行けない距離ではないところでもそうしたが、突然物騒な一角に入り込む危険性があるといったことが旅行案内に書かれていたからだ。映画の舞台になったのは、当然、旅行者は危ないから近寄るな、といわれているところで、どこがどこだかさっぱりわからなかった。
・ヴェロニカ・ゲリンが麻薬に注目したきっかけは、麻薬中毒で死ぬ少年少女の存在だった。学校にも行かず、仕事もせず、路上でたむろする子供たちと、彼や彼女たちを食い物にする麻薬シンジケート。どこの国にもある闇の部分だが、アイルランドでは、それはごく日常的な風景の一つに過ぎなかった。イギリスに属する北アイルランドの独立を求めた運動は、IRA(カトリック系武装派アイルランド共和軍)によるテロなどの過激な行動が続いていたし、国の経済は立ち後れたままだった。
・アイルランドが変貌するきっかけは1990年の女性の大統領、メアリ・ロビンソンの登場以降だといわれている。1993年にイギリスとの間ではじまった北アイルランドを巡る和平交渉は紆余曲折があってなかなか進展しなかったが、政治や経済の改革は進んだ。ゲリンの事件は、そんな大きく変貌するアイルランド社会を象徴する出来事だったといえるかもしれない。
・映画はもちろん、そんなアイルランドの歴史や現状を強調したりしない。暴力や脅しにもひるまない勇敢な女性記者のヒロイックな物語に仕立てあげられている。その意味で言えば、不満が残るが、主人公のヴェロニカ・ゲリンを演じるのはケイト・ブランシェットで、監督は『バットマン』や『オペラ座の怪人』をつくったジョエル・シュマッカー。これは正真正銘のハリウッド制作の娯楽映画なのである。もっとも、当然ながらサウンドトラックにはアイリッシュ音楽が流れていて、その最初と最後にはシニード・オコーナーが使われていたから、早速購入してしまった。
・アイルランドの変貌は現在進行形である。その様子はたった数日滞在した旅行者の目にもよくわかった。変わったところ、変わらないところ、そして変わりつつあるところ。音楽だけでなく、国そのものの歴史や現状にますます興味を持ち始ていて、次はいつ、どこへ行こうかなどと考えたりしている。「アイルランドにはまるとくりかえし行きたくなる。」旅先で出会った日本人の青年のことばが、ここにきて実感として理解され始めている。