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2021年11月29日月曜日

AmazonはもうCDを売る気がないようだ

 Amazonのトップ・ページがAmazon Basicsという名称になって、書籍とCDの欄がなくなってしまった。最近あまり買わないせいもあるのかもしれないが、その他の欄にも見つからないから、お目当てのものを検索して探さなければならなくなった。対照的に、プライム会員なら本は読み放題だし音楽は聴き放題だという知らせがやたら目立つようになった。ところが、そこでは読みたいものも聴きたいものも、ほとんど見つからない。そう言えば、あなたにお勧めの本やCDとか、新刊本やニュー・アルバムを知らせてくることもなくなった。Amazonは本とCDを売る店として始まったのに、もう初心を忘れてしまったのかと思いたくなった。

僕はインターネットを1995年から始めている。最初は大学の研究室でしか使えなかったが、すでにAmazonは本とCDを売る店を構えていて、洋書や洋楽を手に入れるのに重宝した。特に英語の専門書は、洋書専門店から注文して1ヶ月以上待たなければ届かなかったし、円レートも高く設定されていて、ずいぶん高額なものになっていた。それが、その時々のレートで買えて、航空便で注文すれば1週間とかからずに届くようになった。同じことはCDにも言えたから、大学から毎年付与される研究費の多くが、Amazonでの本とCDの購入に使われることになった。

そんなふうにしてAmazonを四半世紀に渡って使い続けてきたが、AmazonはGAFAとして世界有数の企業に成長した。ぼくも最近では、本やCDだけでなく、探し物を検索してはありとあらゆるものを買うようになり、コロナ禍以後は特にその傾向が強くなった。Amazonは客の購入履歴に基づいて、それぞれページを作るようになっているから、本やCDが目立たなくなったのは、大学をやめてから、僕があまり買わなくなったせいなのかもしれない。しかしそれにしても、本とCDは目立たなすぎる。

ここにはもちろん、書籍もCDも売れない時代になったということもあるだろう。モノそのものではなくデータで購入することが当たり前になったこともあるが、それ以上に本もCDも売れなくなっている。ごく一部のベストセラー作家や人気のミュージシャンを除けば、文筆業や音楽活動だけで生計を立てることが難しくなっている。コロナ禍で講演会やライブ活動もできなくなったから、文化的な衰退はこれからますます顕著になるだろう。

Amazonは一部の売れ筋だけではなく、街では見つけることが難しいレアなものでも見つけられることが売り物だった。「ロングテール効果」などと言われて、僕もずいぶん便利に使ってきた。スマホの普及で、その効果自体はますます一般的になっているようだが、Amazon自体の方針は、逆に売れ筋のものに特化させるという方向に変わっているのかもしれない。Amazonのトップ・ページの変更は、何よりそんな違和感を持たせるものだった。

2021年10月18日月曜日

エリック・アンダーソンとヴァン・モリソン


eric1.jpg" エリック・アンダーソンは1943年生まれだからもうすぐ80歳になる。1964年のデビューで半世紀を越えているが、まだ現役で歌い続けている。僕が初めて聴いた彼の歌は"Come to my bedside"で、いい歌だと思ったが、フォークと言えばメッセージ・ソングが当たり前の時代だったから、それほど興味を持たなかった。実際、彼の出したアルバムは40枚近くあるというのに、これまで一枚も手に入れなかった。そんなふうにほとんど忘れていた人の3枚組みCDをたまたま見つけて、懐かしさもあって買ってみようかという気になった。

『Woodstock Under the Stars』は1991年から2011年にかけて行われたコンサートやスタジオ録音が収められているから、長いスパンで彼がどんな歌を作ってきたかがよくわかる。タイトルに「星空のウッドストック」とあるのは、収録されたコンサートが主に、伝説的なロック・コンサートで有名なウッドストックにあるカフェなどで行われたことにある。もっともここは、牧場が多い小さな村で、有名になる前からディランなど多くのミュージシャンが暮らした所でもある。エリックもまた、ここで暮らしていたことがあったようだ。

収録された歌は35あるがエリックの作ったのは25曲で1960年代に作ったものから2000年代に作ったものまで幅広い。彼の歌は多くのミュージシャンにカバーされているが、このアルバムにもまた、多くのミュージシャンが参加している。小さな場所でそれほど多くはない人たちと楽しく歌い演奏する様子が再現されていて、いいアルバムに仕上がっている。ウィキペディアにはカミュやバイロンをテーマにしたアルバム・タイトルが最近のものとして載っている。ずいぶん遅くなってしまったが、もう少し彼の歌を聴いてみようかという気になった。

van3.jpg 対照的に1945年生まれのヴァン・モリソンのアルバムは、そのほとんどを持っている。最新作の『Latest Record Project Volume 1』は彼の42作目のアルバムである。コロナ禍でコンサート・ツアーが出来ず、日常から隔離された中で作られたアルバムのようだ。28曲が収められていて、ジャズ風なものやR&Bやブルース、そしてケルティックなど、いつもながらの調子の歌が並んでいる。ほとんどが新作というから、彼の創作意欲が健在であることがわかる。

彼についての最近の情報を探していると、ライブ演奏を全面禁止した英領北アイルランド自治政府に対して、その決定を見直すよう提訴したというニュースを見つけた。また、コロナやその対策に抗議して「Born To Be Free(自由になるため生まれた)」「As I Walked Out(外に出たら)」「No More Lockdown(ロックダウンをやめろ)」といった歌も作ったようだ。残念ながらこれらの曲は、今回のアルバムには収められていない。

とは言え、収められた歌には彼らしいタイトルのついたものが多い。「精神分析者のボール」「誤りのアイデンティティ」「ダブル・バインド」「ジェラシー」は心理学や社会学の論文名のようだし、「なぜフェイスブックに載ってるんだ?」「愛は警告なく来るべきだ」「反逆者はどこに行った」といった題名もある。なお意気盛んな様子がよくわかる歌が並んだアルバムだと思った。心臓が弱くて飛行機には乗りたくないから日本には来ないと聞いたことがあるが、いつまでも元気な様子で何よりだ。

2021年8月30日月曜日

二つの映画主題歌

・テレビがオリンピックやパラリンピックばかりやっているから、Abemaで大谷の試合を見たり、Amazonで映画を観ることが多くなった。何本も見た映画の中で主題歌が二つ気になった。映画のエンディングはほとんど見ずにやめてしまうのだが、「いい歌だな!」と思って二つとも最後まで聴き、誰の何という歌なのかをネットで確認した。

themule.jpg・一つ目はクリント・イーストウッドが監督主演する『運び屋』で、2019年に公開された彼の最新作だった。クリント・イーストウッドは91歳でなお現役の監督兼役者だが、この映画の主人公も90歳を過ぎたコカインの運び屋だった。園芸家としての仕事がうまくいかず、家族とも不仲になった老人が、それとは知らずにコカインの運び屋になって、何度も成功させる。老人が運び屋とは思わない警察のまごつきや、疎遠になった妻の最後につきあう様子などがあって、いい映画だと思った。

・その最後に流れたのはトビー・キースの「Don't let the Old Man in」で、切々と歌う低音の歌声に聴き入った。ベテランのカントリー・ミュージシャンのようだが、僕は知らなかった。ウィキペディアで調べると、愛国的な内容の歌もいくつか作っていて、トランプの大統領就任式にも招かれて歌ったようだった。YouTubeで他の歌も聴いてみたが、確かにそんな感じの歌が多かった。だからCDを買う気にはならなかったが、「Don't let the Old Man in」は歌詞もなかなかいいと思って、YouTubeでくり返し聴いている。

もう少し生きたいから この年寄りを呼びに来ないでくれ
ドアをノックしたって 呼ばれるままにはならない
自分の人生にいつかは終わりが来ることはわかっているんだから

rbg.jpg・もう一つはアメリカ初の女性連邦最高裁判事だったルース・ベイダー・ギンズバーグを主人公にした『ビリーブ 未来への大逆転』で、主題歌はケシャが歌う「Here Comes the Change」だった。ぼくはケシャについても何も知らなかったが、奇抜なメイクなどで、日本でも人気があるようだ。

・この歌は映画のために作られたもので、彼女はオファーをもらった時の気持ちを「自分はふさわしくないと思った。作曲はとても個人的なプロセスで、大体は自分自身が体験したことからインスピレーションが来る。だから、誰か他の人の人生についての曲で、それもルース・ベイダー・ギンズバーグ判事っていうことで、ちょっとおじけづいてしまった」が、「生涯をかけてたゆむことなく、また速度を緩めることもなく平等のために闘ってきたギンズバーグ判事に敬意を表するために私ができることをやりたいと思ったし、私も声を上げたいと思った」と語っている。

・ギンズバーグ判事は昨年87歳で亡くなって、トランプ大統領は選挙間近にもかかわらず、その後任に保守派の女性を任命した。ギンズバーグの人生がアメリカの法律にある性差別を指摘し、改善するために戦ってきたものであることは、映画でもよくわかった。大学に女性用トイレがなかったこと、弁護士として女性を雇う法律事務所がなかったことなど、この映画は「性別」を当たり前とする社会ヘの挑戦がテーマで、題名も「On the Basis of Sex」だが、邦題には、そんな意味が考慮されていなかった。『ビリーブ 未来への大逆転』では、何のことかわからないが、日本人にはこの方が訴求力があるのだろうか。

2021年7月12日月曜日

追悼 中山ラビ


rabi1.jpg・中山ラビが死んだ。その不意に訪れた古川豪さんからのメールを読んで、まさかと思い動転した。彼女とは長いつきあいだが、ここ数年は会うことも、連絡を取り合うこともなかった。その後の新聞報道では去年から癌で入退院を繰り返していたようだ。元気で店を切り盛りし、音楽活動をしているとばかり思っていたから、一度ぐらいは店を訪ねておくべきだったと後悔した。

・中山ラビは、自分で作った歌を自分で歌う日本のミュージシャンの草分け的存在だった。そのデビュー・アルバムの『私ってこんな』は1972年に出されている。その後『ラビひらひら』(1974年)、『ラビ女です』(1975年)、『ラビもうすぐ』(1976年)、『なかのあなた』(1977年)、『はだ絵』(1978年)、『会えば最高』(1980年)、『MUZAN』(1982年)、『SUKI』(1983年)、『甘い薬を口に含んで』(1983年)、『BALANCIN』(1987年)と70年代から80年代にかけて精力的にレコードを出し続けた。

rabi2.jpg・僕はこの時期に京都にいて、彼女のパートナーだった中山容さんと親しかったこともあって、彼女のライブに頻繁に出かけ、歌作りを間近で見た。彼女の作る歌のレベルの高さはもちろん、歌唱力も当時の女性ミュージシャンの中では傑出した存在だと思っていた。ビッグヒットがあってスターになるということはなかったが、その音楽的評価は高く、その歌や生き方に共感するファンは少なくなかった。

・彼女が東京に移り、母親になって音楽活動を休止したこともあって疎遠になったが、彼女が営む「ほんやら洞」の近くにある大学に僕が職場を移したこともあって、時折会うようになった。「ほんやら洞」は癖のある人たちがたむろする場で、学生たちには敷き居が高い所だったが、時折、学部や院の学生たちと飲み会をした。彼女は音楽活動を再開していたから、コンサートにも出かけた。ベスト盤やライブ盤、そして自主製作盤のCDやDVDなども出していて、その度にプレゼントされた。お返しに僕の書いた本を進呈しようと思ったが、いつも興味ないとそっけなかった。

・彼女の歌は車に仕掛けたiPodで時折流れてくる。で、この追悼文を書きながら、またiMacで聴いている。どの歌を聴いても、当時の情景が走馬灯のように浮かんでは消えていく。どれも思い出深い歌だと、改めて感じた。「私ってこんな」「私の望むのは」「いい暮らし」「あてのない一日」「一年がおわる」「どうしますか」「そのままのまま」「さわれますか」「ノスタルジー」………。くり返し聴いて、ぼくは『ラビひらひら』にある「人は少しづつ変わる」が一番好きだと改めて思った。高田渡や南正人、忌野清志郎、加川良、そしてリリーや浅川マキと死んでしまったミュージシャンは多い。ラビちゃんは、あの世で再会して一緒に歌っているんだろうか。

人は少しづつ変わる これは確かでしょう
ひとつの時代がやがて過ぎるよに
とりのこしの年令 とき告げる一番鳥
一夜の夢さめやらず うかつな10年一昔
そして あなたも変わったね
忍ぶ面影 色あせたのです(「人は少しづつ変わる」)

・彼女に最後に会ったのは、僕の退職パーティの2次会で「ほんやら洞」を訪れた時だったから、もう4年以上前になる。ライブの知らせを伝える手紙が届いたりしたが、東京まで出かけるのが面倒で、一度も行かなかった。彼女がいなくなれば、「ほんやら洞」もなくなるのだろうか。「ほんやら洞」は京都にもあったが、これも数年前に火事でなくなってしまっている。「うかつな10年一昔、あなたも変わったね」と言われたら、返すことばもない。

2021年6月7日月曜日

Travis "10 songs"


・相変わらず、Amazonで探しても、目ぼしい新譜が見当たらない。そんなふうに思っていたら、トラビスがコロナ感染といったニュースが目に入った。しかし、読んで見ると「トラビス・ジャパン」というジャニーズ所属のグループだった。何だ!と思ったが、「トラビス・ジャパン」という名前が気になって、ウィキペディアで調べることにした。トラビスの名の由来は振り付け師のトラヴィス・ペインで、このグループは歌って踊るアイドル・グループらしかった。いずれにしろ、"Travis"とは関係ない、僕には無縁の存在だった。

・"Travis"はスコットランドのグラスゴー出身のグループで1996年のデビュー以来9枚のアルバムを出している。僕はそのすべてのアルバムを持っていて、イギリスのミュージシャンでは、"stereophonics" 同様、今でも気になるバンドである。既に書いてくり返しになるが、このバンドの名はヴィム・ヴェンダースが監督をした『パリ・テキサス』(1985)に登場する主人公の名前に由来する。家出をした妻を幼い息子とともに探してまわる男の話である。そのトラヴィスを演じたのはハリー・ディーン・スタントンで、死の直前に撮った『ラッキー』2017)を3年ほど前に見た。さらについでに言うと、「トラヴィス」は『タクシー・ドライバー』(1976)でロバート・デ・ニーロが演じた主人公の名前でもあった。

10songs.jpg・それはともかく、Amazonで"Travis"を検索すると、昨年"10 songs"という名のアルバムを出していたことがわかった。今年最初のCD購入である。"10 songs"という何ともそっけないタイトルだが、彼らのアルバムには、これまでにも"12 memories"といった名前もあった。前作の"Every thing at once"からは4年ぶりである。聴いた感想はというと、いつもながらのサウンドで、前作とまとめて聴いたらどのアルバムかわからないほどで、目新しさは感じないが、悪くはなかった。YouTubeにはアルバムに修められた曲のほとんどがビデオ・クリップになっている。

・歌は全曲ラブソングだが、面白い、しゃれたフレーズがいくつもあった。

「サヨナラもハローも言いたくないし、窓辺で手を振る君も見たくないんだ」
(”Waiting at the window')
「君は夢見る人生を過ごしてきたけど、それを実現させようとはしなかった」
('Butterflies')
「リハーサルするより失敗の方がいい。それで人生が逆転しても、シングルテイクなんだ」
('A million hearts')
「去っていく時に思う、ずっと愛していたのかと、心を開いてありのままを話したのかと」
('A ghost')
「隠そうと思えばできるけど、それで何かが変わるわけではない」
('All fall down')
「幸せを感じるのは夢を見ている時だけ、何もない夢を」
('Kissing in th wind')
「窓ガラスについた三つの滴が一つになって落ちていく。恐れも、悔やみも、恥ずかしさもなく」
('No love lost')

・ロックにしてはおとなしく、外にではなく、内に向かって沈潜する。どれも同じような曲だけど、聴いていて心地よい。何を主張しているわけではないけれど、所々に、心に触れるフレーズがある。そんな歌を集めたアルバムを、同じメンバーで25年も出し続けている。ウェールズ出身のStereophonicsとは対照的なサウンドだが、どちらにも感じる心地よさは、アイルランドのミュージシャンとも共通した、ケルトの魂から来るのかもしれない。

2021年3月15日月曜日

新譜がないのはコロナのせい?

 今年になってCDを一枚も買っていない。アマゾンで検索しても、新譜がほとんど見当たらないからだ。このコラムは数年前までは一度に数枚の新譜を取り上げることが多かった。研究費で買っていた頃は年に数十枚が当たり前だったが、退職してからは吟味して買うようになった。だから、最近取り上げるのは一枚だけというのが多くなった。たった一枚だけ取り上げるというのは、話題を探すのに苦労するが、その一枚さえ見つけにくくなった。

理由はいくつかあるだろう。ずっと聞き続けてきたミュージシャンの多くは老人になって、積極的に音楽活動をしなくなっている。それに昨年からのコロナ禍だから、ツアーはもちろん、近場でのライブも控えているのだろうと思う。ジョン・プラインなどコロナで亡くなった人もいるし、感染した人もいる。怖がって引きこもっている人もいると聞く。だから、落ち着くまでは当分、新譜は出てこないのかもしれないと思う。

もっとも、音楽活動ができないのは、若い無名のミュージシャンの方が深刻なのだろう。コンサートホールはもちろん、ライブハウスも使えないし、ストリートで歌うことも難しい。表現活動の制限は、当然、収入減をもたらしている。ほかに定職を持っていない人は、音楽どころではないのかもしれない。文化活動に対する日本の政府の保証は皆無に等しいから、コロナ禍は人材にしても場にしても、文化の芽を摘み取ってしまうのではないかと心配してしまう。

僕がコンサートに行ったのは5年前のボブ・ディランだった。コロナ禍以前から足が遠のいていたが、ライブハウスにはいつ行ったかも覚えていない。ライブハウスの現状がどうなっているのかについても疎かったのだが、閉鎖されたところが多いようだ。何しろコロナ禍が問題になりはじめた時に、ライブハウスはクラスターが発生する場所として槍玉に上げられたところだったからだ。年末から感染者数が急増して、緊急事態宣言が出された時に、飲食業者には営業の自粛に伴う支援金が給付されたが、ライブハウスは映画館や劇場と同じ扱いにされて、支援金は給付されていないようだ。ライブハウスの多くは飲食を提供する場であるにもかかわらずである。

宮入恭平が主催するWebの「Tell the Truth」は、そんなライブハウスやミュージシャンが抱えるコロナ禍による影響を伝えるメディアである。昨年の4月に始められ、僕もそこに寄稿した。ライブハウスやミュージシャンの状況、音楽と政治などについていくつか掲載された後、しばらくは月一程度の掲載だったが、12月から掲載頻度が多くなった。「アフターマスーCOVID-19による東アジアのポピュラー音楽文化への影響」が連載されるようになり、Webシンポジウムの「COVID-19によるライブハウス文化への影響~現状報告」、あるいは「ポピュラー音楽と文化助成~COVID-19による影響」といったオンラインワークショップも始まった。ようやく軌道に乗りはじめたようだ。

欧米に比べて文化に対する政府や自治体の政策が貧弱なのは、コロナ禍に始まったことではない。また、政治や社会に対する批判的な言動や表現に場を閉ざす傾向も根強くある。そういったところに目を向けて、問題を指摘する必要は大事だと思う。けれどもまた同時に思うのは、そもそもポピュラー音楽の源流や、新しい流れのほとんどは、ひどい貧困や差別のなかから生まれてきたものであるということだ。奴隷としての境遇から生まれたブルーズ、移民のなかから生まれたカントリー、植民地だったジャマイカから生まれたレゲエ、イギリスの労働者階級の若者たちのなかから生まれたパンク、そしてアメリカの貧しい黒人たちから生まれたラップ等々である。

コロナ禍は環境破壊がもたらした人災で、それを指摘し、改善の主張をする動きは、若い世代を中心に世界大になっている。その中やそれに呼応するところから、新しい音楽が生まれれば、それは新しい力になるかもしれないと思う。しかし日本では、そんな動きはほとんど見られない。換骨奪胎された人畜無害の音楽など、この際駆逐されてもいいのでは、などと言いたくなる。

2021年1月11日月曜日

Jackson Browne, "Downhill from Everywhere"

 それにしても、興味のある新しいCDが見つからない。何度も書いているが、新しいミュージシャンを見つけるアンテナがないせいである。だからどうしても、おなじみの人たちのニュー・アルバムを探すことになるが、それも極めて少ないのだ。当然、このコラムを書く材料探しに苦労している。もちろん、コロナ禍のせいでもあるだろう。実際にジョン・プラインが亡くなっているし、感染したミュージシャンもいる。僕と同世代以上の人たちは高齢者だから、今は家に閉じこもって密かにしているのだろうか。だとすると、コロナ禍がおさまったら、ニュー・アルバムの続出が期待できるのかもしれない。いずれにしても、亡くなったりしないようにと願うばかりである。

jacksonbrowne2.jpg で、探していたらジャクソン・ブラウンの新しいCDを見つけた。しかし、アルバムだと勝手に思い込んで注文したら、たった2曲のシングル盤だった。それにしては高いな、と思ったが、これしかないから紹介することにした。リリースされたのは4月で、その時に彼自身がコロナに感染したことも明らかにした。予定では10月に出すアルバムの先行トラックだったようだが、新しいアルバムはまだ出ていない。なぜ2曲だけ先行したかについて、「ローリングストーン誌」で、「コロナ禍で先行きが不透明で見通しが立たない今だからこそ、公開したのだ」と言っている。

"Downhill from Everywhere"は海に流れ込む、プラスチックその他の人間が捨てたゴミを歌ったものである。ゴミは学校から、病院から、ショッピングモールから等々、あらゆるところから流れ下る。歌詞の大半はその「~から」を列挙したものになっている。引力に従って行き着く先である海を、私たちはどこまで自分のこととして考えているのだろうか。私たちが生きていくのに、海がいかに大切かということを。プラスチックは海に流れ下ることで細かく粉砕される。それを魚が食べて、また人間に返ってくる。この歌はドキュメンタリーの"The Story of Plastic"でも使われている。

もう一曲の"A Little Soon To Say"は、今の状況に対する自分の戸惑いを歌っている。地平線の向こうが見えない、明かりに照らされた道の向こうが見たいんだけど、とつぶやき、すぐに決断しなければならないのに、情報があまりに少なすぎる、とつづく。今の病を乗り越える道を照らしたいし、できると思いたいが、そう言うにはまだ早すぎる。

ジャクソン・ブラウン自身が感染したコロナ禍は、この曲が発表された後も猛威を振るっていて、なおこれからも拡大し続けるだろう。アメリカではトランプ大統領が敗北したが、分断の大きさはますます深刻なものになっている。そのことを憂い、悩み、希望を見つけ出したいと考える。そんな彼の姿勢は極めて明快だ。新しいアルバムが楽しみだが、リリースはいつになるのだろうか。

このコラムではボブ・ディラン、ブルース・スプリング・スティーンと続けて取り上げてきた。ジャケットの顔写真を見る限り、もうすっかり老け込んで、じいさんになったなと思う。けれども、歌っている姿勢や、そこに込められたメッセージには、若い頃から一貫した態度と、確かな視線がある。僕ももちろん、彼ら同様に老け込んで、ジジイになっているが、心の老け込みはしないよう、心がけたいと思っている。 

 

2020年11月16日月曜日

Bruce Springsteen, "Letter to You"



Bruce Springsteen, "Letter to You"
『ボーン・トゥ・ラン: ブルース・スプリングスティーン自伝』(早川書房)

springsteen5.jpg ・スプリングスティーンは去年『ウェスタン・スターズ』を五年ぶりに出したばかりなのに、わずか一年後に『レター・ツー・ユー』を発表した。前作はオーケストラをバックにして静かに語るように歌う曲が多かったが、今度は、Eストリート・バンドをバックに、ロックしている。最近作った歌を二つにわけてアルバムにしたのかもしれないと思ったが、ネットを探すと、十日間で曲作りをして、五日間で録音したとあった。ほとんど一発で、オーバーダビングなどもしていないと言う。熟練ゆえと言うべきか、10代の頃の熱気を取り戻したと言うべきか。いずれにしても、彼らしくて素晴らしい仕上がりになっている。


辛かった時やよかった時に見つけたものをインクと血で書いた
魂の奥深くまで入って名前を書いた
で、それを手紙にして君たちに送った
その中に、俺の恐れや疑い、しんどいことや真実を書いた 
  'Letter to You'

・この「ユー」は誰を差しているのか。もちろん僕は、自分への歌として受け止めたが、彼の気持ちは、単に自分の音楽を好む人だけでなく、アメリカはもちろん、世界中の人に向いているのかもしれないと思った。折しもアメリカでは大統領選挙の時で、保守とリベラル、白人と黒人、金持ちと貧しい人などの分断がひどくなっていた。このアルバムには、そんな分断に対するメッセージと読める歌もある。

白の黒と黒の白、夜の昼と、昼の夜
時に人は何か悪いものに惹かれて信じたくなる 'Rainmaker'

springsteen6.jpg ・前回取り上げたディランの"Rough and rowdy ways" でも感じたが、 "Letter to You"もスプリングスティーンにとってはデビューから現在までを振り返るような気持ちで作ったのかもしれないと思った。そう言えば、ちょっと前に彼は『ボーン・トゥ・ラン: ブルース・スプリングスティーン自伝』(早川書房)という二冊に分けた長い自伝を出している。僕は読みはじめて止めてしまっていたが、また読んでみた。

・この伝記はごく幼い頃から始まっている。祖父や祖母との暮らし、ニュージャージーという街、そしてもちろんおやじとおふくろのことなどが、事細かく語られる。その詳細さに閉口して読むのを止めてしまったのだが、今回はそんなところを飛ばし読みして読んだ。彼は口数が少ないほうだと書いているが、どうしてどうして、話しはじめたら止まらないという感じで、デビュー前のことも、最初の売れなかったレコードから爆発的に売れた『明日なき暴走(Born to Run)』のこと、そしてスーパー・スターに成り上がったことで感じた喜びや苦悩について書いている。

・ニュージャージーの貧しい家庭に生まれ育ち、街の中で出会った人たちの中で成長した。有名になり、大金持ちになったが、自分のアイデンティティはあくまでニュージャージーの労働者街にある。今でもそこで生きる貧しい白人たちの多くは共和党に支持を変え、トランプに希望を託した。そのことに理解を示しながら、なお、彼は白人中心主義ではない多様で、貧富の少ない社会を希求する。ディランとブラウンとスプリングスティーン。三者三様だが、彼らの歌と音楽を通してアメリカを見る気持ちは、ますます強くなっている。

2020年9月28日月曜日

Bob Dylan, "Rough and Rowdy Ways"

 

bobdylan3.jpg・ボブ・ディランは3月に日本でコンサートツアーをやる予定だったが、コロナ禍で中止になった。その後もキャンセルされたようだが、80歳になるから、コロナに感染などしないようにと思っていた。そうしたら、新譜が出た。
・ボブ・ディランのアルバムは3年ぶりだが、オリジナル曲を集めたものとしては2012年の"Tempest"以来だから8年ぶりで、ノーベル文学賞受賞後初ということになる。2枚組みで、2枚目は17分近い ケネディ大統領暗殺事件を歌った'Murder Most Foul(最も卑劣な殺人)' 1曲だけである。全英チャートでは1位を取ったほど注目されているが、いつものことながら、日本では全く話題になっていない。

・アルバム・タイトルの"Rough and Rowdy Ways"は「ラフで荒れた道」といった意味だろうが、カントリー音楽の先達であるジミー・ロジャーズの" My Rough and Rowdy Ways"を意識してつけたと言われている。このアルバムは1960年に発売されているが、ロジャーズは1933年に死んでいて、復刻版として出されたものである。カントリーにかぎらず、フォークやブルース音楽にも大きな影響を与えた人で、彼の歌は多くの人に歌われているようだ。また、クリント・イーストウッドが監督・主演した『センチメンタル・アドベンチャー』(Honkytonk Man)の主人公も、彼がモデルだと言われている。

・アルバムにこのタイトルをつけたのには、ディラン自身が若い頃から敬愛し、自らも歌っていたからなのかもしれない。あるいはディラン自身の人生や、彼が生きてきた時代を表しているのだろうか。何れにせよ、このアルバム全体が回顧的な視点で作られていることはよくわかる。ケネディ大統領暗殺を歌った 'Murder Most Foul' はもちろんだが、プレスリーやビートルズ、あるいはローリングストーンズをはじめとして多くのミュージシャンや曲の名前が登場し、フロイトやマルクス、そしてエドガー・アラン・ポーの名前もある。ゴッドファザーとアル・パチーノ、マーチン・ルーサー・キング等々、各曲にちりばめられた名前は数多い。

・もちろん、地名もたくさん登場する。いろんなところに行って、いろんなものを見て、いろいろな経験をした。そしてもちろん、多くの人に出会った。そんな自分史を語っているようであり、また50年代から60年代にかけての、彼の経験した歴史を思い返しているようでもある。ディランはもう80歳を過ぎているが、コロナ禍がなければ、今年も世界中を回って、コンサート・ツアーをしていただろう。しかしそれができなくなって、隠ったところで、人生を振り返る歌を作りだしたのかもしれない。ひょっとしたら、これが最後のアルバムか、などと思ってしまうが、多分、それはないだろう。

 プレスリーが歌う道を整えた人
 マーチン・ルーサー・キングが歩いた道を切り開いた人
 やるべきことをやり、自らの道を歩いた人
 そんな人たちの物語なら、一日中話すことができるだろう 'Mother of Muses'

・今に始まったことではないが、このアルバムの歌詞も難解だ。ただし面白いフレーズもいっぱいある。最初の曲の題名は 'I Contain Multitudes'だが、これはホイットマンの詩からの引用で、定訳では「私は矛盾を抱えた存在だ」となるようだ。2曲目の 'False prophet' にある 'I opened my heart to the world and the world came in' (「この世界に心を開いたら、世界が入ってきた」)は含蓄があるし、3曲目の 'My Own Version of You' (「君を僕のバージョンで作り直す」)と、4曲目の 'I’ve Made Up My Mind to Give Myself to You' (「君に僕を捧げることに決めた」)は対照的な題名で面白いと思った。ネットで調べた限り、このアルバムの評価は極めて高いから、歌詞を見ながらでないと聞き取れないのが、今さらながら残念だ。

2020年8月24日月曜日

Bonny Light Horseman

Bonny Light Horseman .jpg・未知のミュージシャンや新しいアルバムについては、これまでも中川五郎の「グランド・ティーチャーズ」というブログに教えてもらっている。ダミアン・ライスにリサ・ハニガン、そしてミルク・カートン・キッズといった人たちだ。あるいはジョーン・バエズの引退宣言もジョン・プラインの新しいアルバムも、このブログからだった。そこでボニー・ブライト・ホースマンという名のバンドを知って興味を持った。アルバム・タイトルは同名の『Bonny Light Horseman』だが、アルバムの中にはやっぱり同名の”Bonny Light Horseman”という歌があった。

・ボニー・ブライト・ホースマンは男2人、女1人の3人組みだ。楽器はギターが中心だが、YouTubeではベースとドラムがついていた。デビューしたばかりのグループとは言え、それぞれが既に長い音楽的なキャリアをもっていて、たまたま最近一緒にやることにしたようだ。中川五郎の解説によれば、きっかけは、2018年のオークレア・ミュージック&アーツ・フェスティバルへの3人そろっての出演だった。そこで「リハーサルを重ねるうち、イギリスやアメリカのトラディショナルミュージック、フォーク・ソングを自分たちなりの新しいやり方で取り組もうというはっきりとした方向性が定まった。」

・そうしてできたアルバムに収められた10曲はすべて、イギリスやアイルランド、そしてアメリカの古い歌である。「ジェーン、ジェーン」のように、中には大昔に聴いた懐かしい曲もあったし、「10000マイル」も聴いた覚えがあった。しかし、「ボニー・ブライト・ホースマン」をはじめ、多くの曲は知らないものが多かった。しかも、昔の歌のままではなく、シンプルだが独特で極めて新しい音で演奏され、歌われている。


おー、ナポレオン・ボナパルト、おまえが悲しみの元凶だ
我がボニー・ライト・ホースマンは戦争に行き
心を痛め、死んだのだから ”Bonny Light horseman"

輝く朝の星が昇り、一日が僕の心のなかで始まる
我らの親愛なる母たちはどこに行った
彼女たちは祈りに谷に降りた
我らの親愛なる父たちはどこに行った
彼らは天に昇って叫んでいる
一日が、僕の心の中で始まる "Bright Morning Stars"


・特に何が新しいとか変わっているというのではないのに、今まで味わったことがない音と雰囲気を持っている。しかも、そこで歌われ、演奏されているのが大昔の歌ばかりというから、さらに奇異な感じさえする。この3人組みは、果たして次のアルバムを出すのだろうか。また一人になって、それぞれ別々になってしまうのだろうか。そう言えば、Macに録音したら、『Bonny Light Horseman』ではなく、V.A.、つまり、さまざまなアーティストのコラボに分類されてしまった。バンド名もアルバム名も、そして代表曲も同じ名前だから、多分、この一枚限りのものなのだろうと思った。

・ちなみに3人は、アナイス・ミッチェル、エリック・D・ジョンソン、ジョッシュ・カウフマン。全く知らない人たちだったが、アナイスはもっとおっかけようかと思っている。

2020年6月29日月曜日

Pearl JamとStereophonics

 

Pearl Jam "Gigaton"
Stereophonics "Kind"

jam3.jpg・パール・ジャムとステレオフォニックスは、僕が聴ける数少ないロック・バンドで、新譜が出るとほとんど買っている。そのパール・ジャムのアルバムは6年半ぶりのようだ。リーダーのエディ・ベダーのソロアルバムの方がじっくり聴かせる感じでいいのだが、今度のアルバムには、そんな落ち着いた歌もある。3月にリリースした後、今ごろはヨーロッパをツアー中だったはずだが、コロナ禍でキャンセルされたようだ。
・ アルバム・タイトルは「メガトン」の上を行く「ギガトン」という意味なのだろうが、それと同名の曲名はない。ジャケットは海洋生物学者のポール・ニックレンの作品を使用していて、ノルウェイのスヴァーバル諸島で撮影した、地球の温暖化によって解け出した氷河だという。ギガトン級の規模と速さで温暖化が進むことへの警鐘なのかもしれない。

・とは言え、アルバムのコンセプトが地球温暖化にあるわけではないようだ。エディ・ベダーはデビュー以来、政治的なメッセージを歌に載せてきたが、今度のアルバムでもトランプ大統領を批判することばがいくつも出てくる。


国境を越えてモロッコへ
カシミール、それからマラケシュ
トランプがまだ台無しにしてない場所を見つけて
どこまでも行かなければならない "Quick Escape"

ヤツが何と言い、何と言われたか
認めたくはないだろうが、ヤツの良き日は去った "Seven O’Clock"


stereophonics7.jpg・ステレオフォニックスの"Kind"は意外なほど穏やかなサウンドで仕上げられている。音は激しくても、メロディがあって歌詞に物語がある。それがこのグループの魅力だったが、この新譜は、僕にとっては音も好ましい。パール・ジャムはバンド結成30周年だが、ステレオフォニックスも20年を超えたようだ。ネットで見つけたこのアルバムの批評には、前作の"Scream Above The Sounds"を2017年に出して世界ツアーをした後で、リーダーでほとんどの楽曲を作っているケリー・ジョーンズがバンドを辞めたいと言い出したそうだ。で、しばらく休息期間があって、今までとは違う歌が生まれてきた。心身ともに疲れ、ただ休息をしようとした時に、自然に生まれてきた曲ばかりだと言う。今度のアルバムには、物語のある曲はないが、生ギターだけの曲もあって、繰り返し聴いている。

流れ星が遠くにあり
君はジャーから水を飲む
僕は自分の傷を癒やしたい
子供の世話をし、妻の面倒を見る
だが、自分の落ち着かない心にはあまり優しくなれない "Restless Mind"

・ケリー・ジョーンズには高校生の娘がいて、彼女が性同一障害であることをカミング・アウトした。その時に感じた動揺をもとに作った曲が、このアルバムの中にあって、シングル・カットされている。歌詞からはよくわからないが、ビデオ・クリップを見れば納得する。 「何もかも上手く行く。全て大丈夫だ」。親として悩み、葛藤した後で出てきたことばだと思う。。→"Fly Like An Eagle"

2020年5月25日月曜日

●音楽の聴き方、楽しみ方

 

・コロナ禍で音楽を生で聴く場が閉ざされている。感染を防ぐためには、社会距離と呼ばれるおよそ2mの距離をとりあうことが必要とされるから、ライブハウスはもちろん、コンサート・ホールや野外もダメということになっている。確かに、ライブハウスの多くは狭い空間で、そこに大勢の人が集まり、ステージのパフォーマンスに応えて歌ったり踊ったり、掛け声をかけたりすれば、感染のクラスターになりやすいだろう。実際、ライブハウスは流行のごく初期に感染しやすい場所として注目され、3密の好例として槍玉に上げられた。

・そんな場に自粛を要請し、休業を強いるのであれば補償をするのが当たり前だ。しかし政府の対応は無視に近いし、わずかな補償も遅々として進まないほどお粗末である。EU諸国の対応に比べて、文化の大切さに対する認識不足が、露呈されてしまっている。このままでは、つぶれたり、閉じたりするところもあるだろう。また、主な活動の場としている人たちにとっても、表現の場が制限され、収入が途絶えてしまっているのだろうと思う。

・いったいいつになったら、音楽をライブで聴くこと、楽しむことができるのだろうか。感染が一旦終息しても、2次、3次と流行することは避けられないから、免疫や抗体を作るワクチンが一般に提供されるようになるまで、ということになるのかもしれない。しかし、そうなったとしても、今までと同じようなスタイルで復活するのだろうか、できるのだろうかという疑問は残る。インフルエンザと同じように、冬の流行時には多くの人が感染し、死者も出ることは避けられないはずだからだ。たとえばインフルエンザは毎年日本人の1割が感染し、数千人が亡くなっている。今まで通りの再開には、新コロナによる感染をあわせて、流行を常態として受け入れることが必要になる。何しろ、日本では毎年、9万人を超える人が肺炎で亡くなっているという報告もあるのだから。

・ライブハウスはビルの地下室のように密室状態のところが多いようだ。しかもオール・スタンディングにして、ぎっしり詰め込んだりもする。決して居心地の良いところではないが、好きなミュージシャンのライブを楽しみに集まった人たちには、知らない者同士でも仲間意識は生まれやすい。だからこそ、盛り上がったりもするのである。それは野外で行われる大規模なフェスでも変わらないが、密閉状態ではないし、夏場だから、感染の危険性は少ないかもしれない。

・僕は既に退職したから、大学で今行われている遠隔授業をしなくて済んでいる。大変な作業に追われているようで、辞めた後でよかったと思う。しかしゼミなどでは、学生が積極的になったといった経験を話す人もいる。大学のゼミ室や教員の研究室では、学生たちは圧倒的にアウェイであると感じている。だから緊張し、牽制しあい、遠慮しあって発言を控えるようになる。ところが家での参加になれば、ホームで一人だから、自然に積極的になれるというわけである。

・それを聞いて、だったらすべての授業を大学内でやることはないし、教員同士の会議だって家から参加にしたっていいのではと思った。それはまた、テレワークで仕事がはかどるのなら、毎日会社に出勤する必要がなくなることにも繋がる。それでは人間関係が疎遠になってしまうと危惧する人がいるかもしれない。しかし、人間関係やコミュニケーションの仕方は通信機器や交通の発達で、この1世紀で激しく変わってきてもいるのである。もちろん、仕事の種類だってそうだ。

・音楽はそういうわけには行かないと言う人もいるだろう。しかし音楽を聴く仕方も、通信や交通同様に劇的に変わってきてもいる。記録して聴くレコードやCD、ウォークマン、そしてスマホはもちろんだが、ライブだって、ミュージックホールやパブ、あるいはコンサートホールが’できてからまだ200年と経っていないし、野外のフェスはまだ半世紀といったところなのである。ライブがいいと思うなら、それなりの方策を生み出さなければならないし、欲求が強ければ必ず、新しいスタイルが生まれてくるはずである。

・だから、今のコロナ禍を転機として、さまざまなことが大きく変わっていくのではないかといったことを夢想したくなる。もちろんそれは音楽にはかぎらないし、演劇やスポーツなどの文化全般、そして仕事の仕方や学校のあり方、あるいは近隣の人たちとの関係にも及ぶのではと思っている。できればそれが、環境問題や気候変動に本気になって向かう方向に舵が切れれば、もっといいのにと思う。そもそも、ウィルス禍が頻発するようになったのは、開発による自然環境の破壊が原因だと言われていて、そこを改善しなければ、これからも新種が瞬く間に世界中に蔓延することを繰り返す恐れがあるからである。

2020年4月13日月曜日

ジョン・プラインの死

 

prine5.jpg・ジョン・プラインがコロナ・ウィルスで死んだ。感染して症状が重いことは知っていたが、死の知らせはやっぱりショックだった。入院していることを知ってから、持っているCDやYouTubeで彼の歌を聴き、インタビューなども聞きながら、回復して欲しいと願っていたが、残念だった。73歳。僕より二つ上だった。

・ジョン・プラインは日本ではあまり知られていない。ウィキペディアも日本語版には載っていない。しかし彼は今年のグラミー賞で生涯功労賞を受けているし、1991年の"The Missing Years"と2005年の"Fair & Square"で、グラミーの"Best Contemporary Folk Album"を受賞している。18枚のアルバムを出して9枚が同賞などにノミネートされているから、その実力の程は飛び抜けていたと言っていい。

・とは言え、彼は地味なミュージシャンだった。格好もつけず、驕りもせず、隠し事もしない。「つねに自然体。一人の自由な姿勢をくずさない。そして、時代の気温を親しい旋律にとどめて、ひとの体温をもつ言葉をもった歌をつくる。ほんとうに大事なものは何でもないものだ。かざらない日常の言いまわしで、なかなか言葉にならないものを歌にする。」長田弘が『アメリカの心の歌』(岩波新書)で書いた評ほどプラインを言い当てたものはない。僕はこれを読んで、それまでは興味を持たなかった多くのミュージシャンを聴くようになったが、プラインもその一人だった。ちなみに、僕はこのホームページを1996年から続けているが、最初に書いたのは、この長田弘の『アメリカの歌』だった。

John Prine.png・プラインは1998年と2013年に二度の癌手術をしている。しかし少しの中断期間はあっても、コンスタントに音楽活動はしていて、2016年 "For Better, or Worse" 、2018年 "The Tree of Forgiveness"とアルバムを出して、健在ぶりを示していた。僕はこの2枚とも、このコラムで取り上げている。亡くなったと聞いてまず聴いたのは、遺作になったアルバムの最後に収められた「僕が天国に行く時」 という曲だった。神様と握手をして、ギターをもってロックンロールをやる。酒を飲み、かわいい娘とキスをし、ショウ・ビジネスを始める。そんな歌のように今ごろは天国に着いて、この歌を実現させているのかもしれない。

・このアルバムには、すでに死んでしまった音楽仲間を歌ったものもある。そう言えばウィリー・ネルソンの最新作の "Last Man Standing"(最後の生き残り) も、すでに死んだミュージシャンをあげて、次は誰かと歌っていた。そんな気持ちは僕も同じなのかもしれない。最近このコラムで取り上げた中にも、難病に苦しむジョニ・ミッチェルのことや、引退を宣言したジョーン・バエズなどがあった。そのバエズはプラインがコロナに感染したことを聞いて、彼を励ますためにYouTubeで"Hello in There"を歌っていた。4月に来て、ライブハウスで数多くのコンサートをこなす予定だったボブ・ディランの来日も中止になった。感染したと伝えられたジャクソン・ブラウンは軽症のようだが、どうしたのだろうか。なお、ジョン・プラインの死を追悼してブランディ・カーライルも"Hello in There"を歌っている。

・プラインが感染したのは、ひょっとしたら小さな会場でのライブだったのかもしれない。最近でもそんなところでライブをやっていたようだ。日本でもライブハウスが感染のクラスターになって、行ってはいけないところの代表に上げられている。確かに密閉された空間に大勢の人が集まって、一緒に歌ったり、掛け声をかけたりするから、感染しやすい場所であることは間違いない。二度も癌の手術をしたという自分の体調を考えれば、感染を恐れて自重したらよかったのにと言いたくなるが、彼はやっぱり歌いたかったのだろうと思う。何しろ、天国に行っても歌うぞと宣言していたのだから、本望だと納得するほかはないのかもしれない。

2020年1月6日月曜日

ジェスカ・フープという女性ミュージシャン

 

Jesca Hoop
"Stone Child"
"Kismet"
"Love Letter For Fire"

jesca2.jpg・ジェスカ・フープというミュージシャンは中川五郎のブログ「グランド・ティーチャーズ」で知った。特に若いミュージシャンについてのアンテナがないぼくには、彼の勧めはずい分役に立っている。ダミアン・ライス、ウォリス・バード、ミルク・カートン・キッズなどだし、ジョーン・バエズの引退やウディ・ガスリーのアルバムなどもこのブログで初めて知った。今のぼくには唯一の情報源といってもいい。

・彼のブログによればジェスカ・フープは2007年に"Kismet"でデビューしている。音楽好きのモルモン教徒の家に生まれ育ち、北カリフォルニアの原野に入植したり、情緒不安定児のリハビリ教育に携わったりした後に、音楽活動をし始めている。デビューのきっかけはトム・ウェイツの家で子どものお守りをしたことだったようだ。トムが気に入ってデモ・テープを紹介したらしい。トムはジェスカを「四面あるコインのようで、夜の湖で泳いでいるようだ」と形容した。

jesca1.jpg・聴いていて感じるのは、今まであまり聴いたことがないサウンドだし、ちょっと昔の音楽のようにも、まったく新しいものにも思えることだ。透き通った優しい声なのに、どこか棘や影がある。それはデビュー・アルバムの"Kismet"にも、最新作の"Stone Child"にも共通している。「キスメット」は「神が定めた運命」を意味するイスラム教のことばで、「ストーン・チャイルド」は「化石胎児」を意味している。そして、どの歌の歌詞も難解だ。


希望は闇の中で生きている
彼は彼女のベッドで眠り
闇がテーブルを満たすのは
希望がもたらした心痛で望みをもたない友達だ ”All Time Low"

・"Stone Child"についていくつかのレビューを読んでみた。中にはこのアルバムのテーマが「人生の残忍さ」にあると書かれたものもあった。生まれることができなかった胎児と直接関わるのはその母親だが、そこには母性や子育て、そして性差別などの問題がある。それをストレートなメッセージではなく、比喩的に歌にする。複雑な問題を複雑なままに歌いあげる。わかりにくいが何となくわかるような気がした。 jesca3.jpg・もう一枚はサム・ビームとの共作だ。そして彼女だけのアルバムとはだいぶ違っている。共演するアイデアはサムからだったようだ。タイトルのように全曲ラブ・ソングだが、二人がこのアルバムや歌に込めている思いは同じではない。レビューによると、サムは「もらった、あるいは出さなかったラブレターを火の中に入れているような」と言い、ジェシカは「終わってしまった一過性の愛のはかなさ」を表していると言っている。デュエットは会話のようなもので、共鳴する瞬間もあればすれ違いもある。なるほどと思いながら聴いた。
・それにしても洋楽についての情報が少なくなった。若い人がほとんど興味を示さなくなったせいだろう。内向きもここまでくると、そろそろ反転してもいいのではと思うが、どうだろう。内向きは音楽の好みに限らないから、どこかにきっかけがあるかもしれない。年始めの希望的観測である。

2019年10月14日月曜日

コラボの2枚

 

Sheryl Crow "Threads"
Ed Sheeran "No.6 Collaborations Project"

・このコラムの更新は3ヶ月ぶりである。それにしても聴きたいと思う新譜がまったく出ない。今回紹介する2枚のCDも、特に欲しいわけではなかったから、買おうかどうしようか迷った。しかし、3ヶ月も更新しないのは長すぎるからと買うことにした。

sheryl.jpg・シェリル・クロウの"Threads"は"Be My Self"から2年ぶりである。買おうかどうしようか迷ったのは、前作にそれほど感心しなかったからだ。今回はゲストを多く招いている。エリック・クラプトン、スティング、ブランディー・カーライル、キース・リチャーズ、ウィリー・ネルソン、クリス・クリストファーソン、エミルー・ハリス、ジェームズ・テイラー、ニール・ヤング、そしてジョニー・キャッシュ(故人)等々である。そしてそこで歌われているのも、ゲストや他の人のものだったりする。これが最後のアルバムになるかもなどと言っているようだ。引退するつもりなのだろうか。

・なぜ、このようなアルバムを作ったのか。ネットで探すと次のようなことばがあった。「少女だった自分と、床に転がって姉のレコードを聴いていたあの頃の昼下がりから今に至る私の人生の長い旅路を思い返すうちに、優れたソングライターに、ミュージシャンに、プロデューサーになりたいと思わせてくれたレガシー・アーティストたちと一緒に音楽を体感するようなアルバムを作ろうと思い立ちました。彼らと共に祝福し、彼らに捧げるものを作ろう、と」。

・アルバム・タイトルの"Threads"は糸や筋道といった意味だ。複数になっているから、彼女にとって大事な何本もの糸が織り合わされて、一枚の布になっているという意味が込められているのだろう。もちろん糸はそれぞれ、色も太さも材質も違うから、トーンは一つではない。彼女もそんなふうに自分の人生を振りかえる歳になったのかと思う。もっとも、次は若い人たちと仕事をしたいとも言っているから、これでやめるということではないだろう。迷ったが聴き応えのあるアルバムで、買ってよかったと思う。

sheeran.jpg ・エド・シーランの "No.6 Collaborations Project" も多数のゲストを招いている点で共通している。ただしこちらのゲストはぼくにはほとんどなじみがない。ぼくはラップは苦手だからやめておいた方がよかったかも、と思ったが、彼流にまとめられていて、聴きづらくはなかった。日本でやったライブをYouTubeで見て、たった一人でやっているのに感心した、コラボをやってもなかなかだと思った。共演したのは彼が大ファンだった人たちばかりだったようだ。「僕がキャリアの初期の頃から追いかけていたり、アルバムを繰り返し聴き続けているような人たちばかりで、そんな僕を刺激してくれるアーティストたちが、それぞれの曲を特別なものにしてくれているんだ。」ほとんど同時期に似たコンセプトをもったアルバムが出たことになる。

2019年9月9日月曜日

音楽とスポーツ

 

宮入恭平『ライブカルチャーの教科書』(青弓社)
浜田幸絵『<東京オリンピック>の誕生』(吉川弘文館)

・今回紹介するのは大学院で長年一緒に勉強した、二人の若手研究者の作品である。宮入恭平さんはすでに多くの著作を公表している。ぼくと一緒に『「文化系」学生のレポート・卒論術』(青弓社)を編集したし、単独で編集した『発表会文化論』(青弓社)もある。『ライブカルチャーの教科書』は以前に出した『ライブハウス文化論』(青弓社)を大幅に改訂したものだ。もう一人の浜田幸絵さんが出した『<東京オリンピック>の誕生』は、前作の博士論文をもとにした『日本におけるメディア・オリンピックの誕生 』(ミネルヴァ書房)の続編である。

kyohei1.jpg・「ライブカルチャー」とは録音や録画されたものではない、生で行われる文化全体をさしている。この本では主に音楽を扱っていて、レコードやラジオが登場して以降に一般的になった記録され、再現されるものに代わって、最近ではライブハウスから野外フェスティバルに至るまで、音楽(産業)の主流になりつつあることに注目している。音楽はレコードやテープ、そしてCDとして購入するものではなく、ネットを介してダウンロードをしたり、課金を払って聴き放題が当たり前になっている。

・この本は、そんな現状を歴史的にさかのぼり、また理論的に裏付けて、大学の講義に使う教科書に仕立て上げている。昨今論争になった音楽と政治の関係やストリート・カルチャーと法規制、アイドルばかりが売れる傾向と音楽の産業化、そしてアニメとテーマソング等々の多様化など、時事的な問題や流行も取り入れていて、学生にとっては興味を持ちやすい内容になっていると思う。講義内容準拠のテキストは、ぼくと一緒に何冊も作ったから、お手の物だ。

sachie1.jpg・『<東京オリンピック>の誕生』はやや硬質な専門書という内容である。東京オリンピックといっても1964年に開催されたものではなく、1940年に開催が決まったが、第二次世界大戦によって中止になった「幻の東京オリンピック」が主題になっている。明治維新以降、西洋に追いつき追いこせをモットーにしてきた日本にとって、東洋でのオリンピック開催は、その国力を世界に誇示する希有の機会だった。活発な招致活動をやり、国民に一大イベントへの期待を植えつけ、もうすぐ開催というところで中止になった大会である。

・1964年のオリンピックは、この中止になった40年から敗戦を経て、経済成長が本格化した時期に行われた。高速道路や新幹線を開通させ、東京の町を整備して、敗戦からの復興を短期間で成し遂げたことを世界に向けて発信する大きな機会になった。この本は最初の招致活動から中止、そして戦後の再招致活動から開催までを、新聞記事などを丹念に調べながら追っている。

・前著の『日本におけるメディア・オリンピックの誕生 』は日本が戦前に参加したロサンジェルスやベルリン大会について、主にラジオと新聞による報道を分析したものだった。それこそライブ中継ができなかった時代に、どうやって臨場感のある中継をするか。そんなことも含めて、日本という国の盛衰や、さまざまなメディアの発達とスポーツの関係がよくわかる内容になっている。

・映像や音声の技術がデジタル化して、いつでもどこでも好きなものを楽しむことができるようになったのに、音楽にしてもスポーツにしても、ますますつまらないものになっている。ぼくはこの2冊を読みながら、そんな皮肉な現象を再認識した。来年の東京オリンピックなどは愚の骨頂だろう。


2019年7月1日月曜日

スプリングスティーンとマドンナ

 Madonna "MadameX"
Bruce Springsteen "Western Stars"

madonna6.jpg・マドンナが4年ぶりにアルバムを出した。前作のタイトルは『反抗心(Rebel Heart)』で、突っ張りぶりを遺憾なく発揮していたが、今回は『マダムX』という名前だ。「マダムX」はスパイで、さまざまに姿を変えながら世界を巡り自由のために戦い、暗黒の場所に光をもたらす。そんな物語で全曲が構成されている。だから歌には英語の他にスペイン語やポルトガル語が入り、サウンドにはラテンやアフリカ、そしてポルトガルのファドを感じさせるものもある。

・彼女がこのアルバムで主張しているのは、世界が融和や連帯ではなく争いや分断の方向に舵を切ってしまっていることに対する批判だ。だからこのアルバムでは中南米やアフリカ、そしてアラブに行き、またアメリカに戻って、さまざまな境遇に身を寄せ、抵抗を支援する。高校での銃乱射事件をきっかけに銃規制運動に立ち上がった高校生のスピーチが、そのまま使われてもいる。還暦を過ぎてなお、その突っ張りぶりは健在だ。

・日本では「音楽に政治を持ち込むな」といったことを正論として吐くミュージシャンが多い。そういった人たちは、マドンナのこのような姿勢をどう感じているのだろうか。もっともそう発言する人たちの多くは、権力者やスポンサーには従順で、メディアの言うなりにふるまったりもするから、無関心のままなのだろう。ポピュラー音楽は商業主義の中で成り立っているが、その出発点には政治や経済、そして社会や文化に対する批判があった。マドンナは世界で最も成功し、富と名声を得た女性ミュージシャンであり、また世界で一番強く不条理を批判する人でもある。その事を改めて実感したアルバムである。

springsteen4.jpg ・スプリングスティーンの『ウェスタン・スターズ』も5年ぶりのアルバムである。彼は1949年生まれでもうすぐ70歳になる。健在なのは確かだが、最初は、マドンナと比べるとメッセージもサウンドも地味な印象だった。オーケストラがバックだから、ロックでもないしフォークでもない中途半端な感じもした。しかし、何度も聴き、歌詞も読んでいるうちに、よく練られたアルバムであることがわかってきた。彼はインタビューでこのアルバムのコンセプトを、70年代の「南カリフォルニア・ポップ・ミュージック」、たとえばグレン・キャンベルやバート・バカラックにおいたと言っている。そこで歌われているのはハイウェイ、砂漠、孤独、コミュニティ、そして家庭と希望の永続性というテーマだとも。

・「偉大なアメリカ、アメリカ第一」と連呼して支持者を喜ばすトランプ大統領とは対照的に、スプリングスティーンが歌うのは、変質したアメリカから失われかけている古き良きアメリカだ。アルバム・タイトルになっている「ウェスタン・スターズ」で歌っているのは、かつてはハリウッドの脇役俳優で、ジョン・ウェインに殺される役をしたことがある老人の回想物語だ。あるいは「ヒッチハイキン」や「ムーンライト・モーテル」からはハイウェイの旅、「ツーソン・トレイン」は列車の旅で、がんばったが報われなかった生活や、人との別れや再会が描かれる。やはり全曲が物語になっている。アメリカ映画にはおなじみの夜明けや日没、砂漠や岩の風景のなかで。自分の人生を振り返る。

・二人の新しいアルバムを聴きながら、『マダムX』には『ミッション・インポッシブル』を『ウェスタン・スターズ』にはいくつかのロード・ムービーを思い出した。世界が壊れかけている。それは世界中から伝わる出来事に顕著だし、個々の人たちの生活や心にも溢れている。この二つのアルバムには、そんなシーンを見つめる二人の様子がいくつもちりばめられている。

2019年5月13日月曜日

ジョニ・ミッチェルの誕生日

 

"Joni 75 A Birthday Celebration"

joni6.jpg・75歳の誕生日を祝うコンサートというのは、最近、ジョーン・バエズを取りあげたばかりだった。その折に、ジョニ・ミッチェルの75歳を祝うコンサートが、ロサンジェルスで行われたことにふれ、YouTubeでその模様を見聞きすることができることも書いた。今回紹介するのはそのCD盤である。
・ジョニ・ミッチェルについてこのコラムで紹介したのは2007年だった。引退宣言をして"A Tribute to Joni Mitchell"という名のアルバムも出たが、すぐに復活宣言をして"Shine"というアルバムを出した。ただし、コンサートなどはやらず、田舎暮らしをして絵を描いたりして、隠遁に近い生活をしているようだった。ところがしばらくして、モルジェロンズ病という難病を患っていることを知った。

・モルジェロンズ病は皮膚の下を虫が這っているような感覚に襲われる病気のようだ。実際、彼女はこの病気を次のように説明している。「神経を直接攻撃してくることがあって、そうするとノミやシラミに咬まれたみたいになるのね。皮膚にすべてが入り込んでいて、幻覚とかじゃないんだから。わたしを生きながら餌食にしていて、体液を吸い出されてるのよ。わたしは生きてきてずっと病気にかかってきてるし。」

・ジョニがこの病気に罹ったのは引退宣言をした頃だから、すでに10年以上の闘病生活をしていることになる。2015年には意識を失って緊急入院したというニュースも伝わってきた。その後の消息については何もなく、時折どうしてるのかと思う事もあったから、75歳の誕生日を祝うコンサートがあったという知らせと、ステージに上がってケーキのろうそくを消した写真を見てほっとした。

・このコンサートに参加したのは、ジェイムス・テイラー、グラハム・ナッシュ、クリス・クリストファーソン、ノラ・ジョーンズ、ダイアナ・クラール、チャカ・カーン、エミルー・ハリス、ラ・マリソウル、ブランディ・カーライル、シール、ルーファス・ウェインライト、グレン・ハンザードといった人たちで、それぞれが彼女の歌をカバーしている。

・ぼくがジョニ・ミッチェルを知ったのは『いちご白書』の主題歌「サークル・ゲーム」を聞いた時だった。この60年代の学園闘争をテーマにした映画で歌っているのはバッフィー・セントメリーで彼女自身ではなかったが、この曲をきっかけにジョニに興味を持つようになった。70年代から90年代にかけて多くのアルバムを出し、「ボス・サイド・ナウ(青春の光と影)」「コヨーテ」「ウッドストック」など多くのヒット曲を作った。フォークやロックといったジャンルを超えて、ジャズにも近づいたりと、いつも新しいことに向かっていた。

・ジョニはカナダ出身ということもあって、ぼくにはニール・ヤングとの共通性を感じさせるミュージシャンだ。都会よりは田舎が好きで、大勢の人に囲まれるよりは、一人での生活を好む。二人とも子どもの頃に小児麻痺を患ったようで、そんなところもまた、共通性を感じさせるところだったのかもしれない。ニール・ヤングは今も元気で、毎年のようにアルバムを出している。ジョニにはもうそんな力も気持ちもないのかもしれない。しかし、人前に出て元気に振る舞う気力は健在のようで、アルバムを聴きながら安心した。

2019年3月25日月曜日

初めてのウィリー・ネルソン

 

Willie Nelson "To All The Girls........"
"Healing Hands Of Time"
"Star Dust" "Last Man Standing"

・ウィリー・ネルソンはよく知っているミュージシャンだが、彼のCDは一枚も持っていなかった。なぜか?ちょっとポピュラー過ぎるということもあるし、これはいいと思った曲に出会わなかったのかもしれない。それに、彼に限らないがぼくはフォーク・ソングは好きだがが、カントリーはそれほどでもない。フォークに比べてカントリーは、アメリカの保守的な層が支えてきた音楽だと思っていたからだ。
・とは言え、彼はまた、フォーク・ミュージシャンとの交流が多かった人でもある。ボブ・ディランの30周年記念コンサートに出ているし、『ブロークバック マウンテン』ではディランの持ち歌でトラディッショナルの「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン」を歌っていたし、アメリカの農民たちの厳しい境遇を訴えた、ディランとの共作の「ハートランド」という歌もある。また、ウッディ・ガスリーのトリビュート・アルバムにも参加している。アルバムを一枚も持っていないのは不思議だな。と今さらながらに思った。

nelson2.jpg・というわけで、ウィリー・ネルソンのアルバムをいくつか買ってみた。さて何にしようかと探して、とりあえず選んだのは女性ミュージシャンとのデュエットを集めた"To Alll The Girls......"(2013)だ。共演者はシェリル・クロウ、エミルー・ハリス、ノラ・ジョーンズ、ブランディ・カーライル、ローザンヌ・キャッシュ、ドリー・パートン等々と多彩で豪華だ。全部で18曲が収録されている。もちろんそこには、フォークとカントリーといった区別はない。ウィリー・ネルソン自作の歌も数曲あるが、フォーク、カントリー、それにロックなどもある。父と娘、あるいはおじいちゃんと孫娘が仲良くデュエットして、ほのぼのとした雰囲気が伝わってくる。こんなふうにジャンルを超えた女性ミュージシャンと一緒に歌えるということは、彼の音楽的な力はもちろん、人間性にもよるのだろうなと思った。ちなみに彼は1933年4月生まれだから、もうすぐ86歳になる。

nelson3.jpg・ウィリー・ネルソンのベスト・アルバムは何だろうか。これまで70ほどのアルバムを出している中からネットで調べて"Healing Hands Of Time"(1994)を選んだ。「ウィリー・ネルソンの掛け値なしの傑作」と題名のついたページには、彼の声が「苦労の多い人生が作り出したものである」という記述があった。どんな苦労があったのか知らないが、確かに声だけでなく顔に刻まれたしわからも、それはうかがい知ることができる。このアルバムはそんな彼の風貌や声とは違って、ストリングスを使った美しい調べになっている。そんな所が、彼に惹かれなかった理由かもしれないと思いながら聴いた。もう一枚の"Star Dust"もタイトルでわかるように、スタンダード・ナンバーを集めたものである。なじみの曲をネルソン流に歌っていて悪くはないが、イージー・リスニング過ぎて飽きてしまう。

nelson1.jpg・もっとも、自作の歌詞には文学的でいいものが少なくない。


君を失った間
時という癒やし手が働いて
やがてぼくの心の中から君が消えた
≪中略>
目を閉じて眠りにつかせるのも
時という癒やし手 "Healing Hands Of Time"

・長田弘の『アメリカの心の歌』(岩波新書)にはウィリーについての、次のような描写がある。「誰からも愛されてきただけでなく、誰からも信じられてきた。生き方はむしろ八方破れで、保守にくみしない人生は決して穏やかなものとは言えない。そうであって、つねに無垢の人、微笑の人でありつづけてきた。」改めて聴いて、そうかもしれないと思った。

nelson4.jpg・ウィリー・ネルソンはまだ現役だ。最近でも二枚のCDを出している。一つはフランク・シナトラのナンバーを集めたものだが、もう一枚は全曲彼のオリジナルで、しかも新作のようだ。その"Last Man Standing"は、はじめに戻ったようなシンプルでカントリー風のサウンドで、陽気さに溢れている。そして声もまったく変わらない。しかし、タイトルになった歌は「最後の生き残り」といった意味で、今はもういないウィリー・ジェニング、レイ・チャールズ、そしてマール・ハガードといった名前を出している。まだ仲間はいるが、次は誰になるのか、と楽しそうに歌うネルソンの境地はどんなものなのだろうか。いずれにしても、今頃になって、彼の歌に魅了されている。

2019年2月4日月曜日

最近買ったCD

 

Mark Knopfler "Down The Road Wherever"
Tom Waits "Closing Time"

・最近、CDをほとんど買わなくなった。大学を辞めて研究費で買えなくなったというのは一昨年のことで、そこから良く吟味してから買うことになったのだが、そもそも気になる新譜が滅多に出なくなった。ぼくがつきあってきたミュージシャンがみんな歳を取ったということもあるし、若いミュージシャンについてアンテナが効かなくなったということもあるのだろう。あるいは、新作発表としてCDを使わなくなったのかもしれないとも思う。いずれにしても、このコラムに取りあげるものがなくて、どうしようかと悩むことが多くなった。コンサートにも3年近く行っていない。

knopfler2.jpg・アマゾンが新譜やあなたに勧めるCDといってメールを送ってくる。しかし、その多くはすでに持っているものだったり、気をそそられるものがほとんどなかったりする。ぼくの好みはデータによって分かっているはずなのに、まったく当てにならないから、ビッグデータもいい加減なものだと言いたくなる。しかしその中で久しぶりに気になるものがあった。

・一つはマーク・ノップラーの新譜だ。ノップラーは精力的に活動しているミュージシャンだ。このコラムでも16年に"Altamira" 、15年に "Tracker"、そして13年に"Privateering"を紹介している。スコットランドのグラスゴー出身で、母親がアイルランド人ということもあって、彼の音楽にはケルトを感じさせるものが少なくないが、今回はちょっと違っていた。「新しく試みたスローでエレガントな歌のコレクション」というのがノップラー自身の狙いだったようだ。アルバムタイトルは「どこであろうとこの道をくだろう」といった意味だろうか。同名の曲はないが、どの曲も息せき切って駆け上がるものではなく、静かにくだっていく感じだ。中身は過去を振り返るものが多い。

waits9.jpg・もう一枚はトム・ウェイツの "Closing Time"だが、これは新譜ではない。1973年に発表されたものだから、もう45年も前のものになる。持っていないのに, デビューアルバムだと言うことと、評価が高いから買うことにした。聞き慣れただみ声とはちょっと違い、ピアノだけで静かに歌っている。「酔いどれ詩人」などと形容され、チンピラか用心棒のような風貌が特徴的だった時とは大違いだ。ジャケットに映っているトムは、痩せていて、ピアノの前で悩みを抱えるようにうつむいている。歌も孤独をテーマにしたものが多い。ヒットとはならなかったようだが、今聴いてみると、彼のまた別の一面が感じられた気がした。

・そう言えば、パートナーのキャスリン・ブレナンとの共作で何枚ものアルバムを作ってきたが、2011年の"Bad as Me"以来、しばらくなりを潜めている。精力的にライブ活動をやっているマーク・ノップラーとは違い、ライブもしていないようだ。
waits10.jpg・もっとも昨年コーエン兄弟が監督した『バスターのバラッド』には出演しているようだ。六つの話で構成されるオムニバス映画で、トムが出ているのは第四話の「金の谷」だという。山奥で砂金を掘る老山師が鉱床を掘り当てて、それを独り占めにしようとした若い男を殺す話のようだ。画像で見る限りではすっかり老けている。オフィシャルサイトを見ると、劇場公開はなしでNetflixで独占配信しているようだ。見たいけれども、ちょっとためらっている。ともあれ元気なようだから、そのうちまた新しいアルバムを発表してくれるかもしれない。